Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

2月6日 

https://medical-tribune.co.jp/news/2017/0206506367/
病院でなく自宅や施設で最期を迎える割合に地域差...「看取り率」最大13倍〔読売新聞〕
yomiDr. | 2017.02.06 16:50 読売新聞

 病院ではなく自宅や老人ホームなど生活の場で亡くなる人の割合に、自治体間で大きな差があることが厚生労働省研究班の調査でわかった。

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 2014年の全死亡者から事故や自殺などを除き、「看取り率」として算出したもので、人口20万人以上は約3倍、3万人以上20万人未満では約13倍の開きがあった。背景に在宅医療・介護体制の違いがあるとみられ、「最期は自宅で」の望みがかなうかどうかは、住む場所によって決まる実態がうかがえる。

 人口動態調査(14年)の全死亡例を基に、自治体ごとに病院や自宅など、どこで亡くなったのかを分析。孤立死などを除外できなかったが、より看取りの実態に近い数値だという。

 データがしっかりしていた全国1504市区町村の集計では、病院の看取り率が78・6%、自宅や老人ホームなどでの「地域看取り率」は21・4%だった。12年度の内閣府調査で、最期を迎える場所に自宅や老人ホームなどを希望した人が6割を超えているのと比べると、希望と現実に違いがある。

 市区町村別の地域看取り率をみると、人口20万人以上では神奈川県横須賀市が35・4%で最も高く、最も低い愛知県豊田市は11・6%だった。3万人以上20万人未満の最高は兵庫県豊岡市の43・5%、最低は福岡県岡垣町の3・3%。

 横須賀市に316ある診療所が14年9月に行った訪問診療は4336件。これに対し、人口規模がほぼ同じ豊田市で、218の診療所が同時期に行った訪問診療は673件にとどまっている。研究班は看取り率の差の背景に、「往診を行う診療所の比率」など、在宅医療体制の違いがあるとみている。研究班メンバーで医療法人「アスムス」理事長の太田秀樹医師は、「自宅などで生活を続けた先に、穏やかな死を迎えられるよう、自治体は取り組んでほしい」と話している。

病院・介護と連携強化を

 終末期に延命治療を望まない人が増え、自宅など住み慣れた場所で最期まで過ごしたいと願う人は多い。厚生労働省は病院の病床数を削減する方針で、2025年までに、自宅や介護施設で長期療養する高齢者らが約30万人増えるとの見通しもあり、安心して死を迎えられる体制作りは急務だ。

 厚労省研究班の調査では、病院で9割以上が亡くなる自治体も、全体の7%あった。自宅や老人ホームなどで看取りを行うには、苦痛を軽減する緩和ケアなど医療処置ができることが前提だが、全国に約1万4000か所ある24時間態勢の「在宅療養支援診療所」には、往診に手が回らず、実績に乏しい所もある。自宅での看取りを担う開業医の高齢化も進む。

 診療所だけに頼らず、地域の病院、介護事業所などとの連携を強化することが必要だ。先進地域に学んだ各自治体の取り組みが求められている。

(2017年2月6日 社会保障部 飯田祐子・読売新聞)



https://www.m3.com/news/general/500514
院内給食施設を5日間停止 松山赤十字病院
2017年2月6日 (月) 共同通信社

 松山赤十字病院(松山市)で入院患者ら100人以上が下痢などの症状を訴え、患者の便からノロウイルスが検出された集団食中毒で、松山市保健所は1月30日昼に提供された病院食が原因と断定し、4日に院内の給食施設を5日間の食品調理業務停止命令処分とした。

 同保健所によると、この昼食を食べた454人のうち111人に下痢や嘔吐(おうと)の症状が出た。



https://www.m3.com/news/general/500341?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD170206&mc.l=204871000&eml=3f492a08f1681d66441569ec02c0b51e
桜ケ丘病院 移転問題 初の住民説明会 静岡市
2017年2月6日 (月) 毎日新聞社

 老朽化に伴う桜ケ丘病院(静岡市清水区)の移転問題について、市は4日、市立清水高部小で住民説明会を開催した。

 市の方針では、同病院を市役所清水庁舎に、同庁舎をJR清水駅東口にそれぞれ移転する。いずれの移転先も海に近い。方針表明後の住民説明会は初めてで、今後7回の開催を予定している。

 説明会には約240人が参加し、「津波による浸水や液状化で、病院の周辺道路が利用不可能にならないか」などの意見が出された。

 これに対し、田辺信宏市長は「緊急車両が通行できるよう、早急に最大限のがれき処理をし、救援ルートを開く体制を整備する」と説明。「清水は海や港を軸に発展し、沿岸に中心部がある。病院や役所が内陸に移転すれば『市も避難した』と受け取られて地価が下がる」と理解を求めた。

 同区の片岡恭夫(やすお)さん(83)は「これまで市の考え方が見えなかっただけに、状況を理解するいい機会になった」と述べた。【井上知大】



http://www.tomamin.co.jp/20170247379
白老町立国保病院 公設民営へ
(2017年 2/6)苫小牧民報

 白老町が公設公営で存続させるとしていた白老町立国保病院(58床)について、町は公設民営方式に方針転換することが、関係者の話から分かった。戸田安彦町長の政策判断で、民間が管理運営に当たる指定管理者方式を導入する考え。指定管理の協議先を一般財団法人苫小牧保健センター(沖一郎理事長)とし、1日に協議開始の覚書を交わした。今後、病床数や診療科目などの詳細について昨年5月に公表した病院改築基本構想などをベースに同センターと協議を進め、今年夏をめどに方向性を固める方針だ。

 厳しい経営が続いていた白老町立病院は2013年、町の財政危機を背景に存廃問題が持ち上がったが、14年8月に戸田町長の政策判断で経営継続が決まった。病院施設も老朽化しているため、病院改築基本方針策定検討委員会(委員長・古俣博之副町長)などの協議を経て改築構想をまとめたが、最重要課題の医師確保を町単独で進めることが難しいとの見方が浮上。このため、苫小牧市や市医師会が出資する同センターに対し、昨年11月ごろ、町の幹部が町立国保病院の管理運営を打診し内諾を得たという。

 同センターは、苫小牧市で健診・健康管理事業や夜間休日急病センター、呼吸器内科クリニック運営の指定管理業務に携わっていることから、町はそのノウハウと医師確保の有利性などに期待した。

 町と同センターの今後の協議は改築基本構想をベースに進め、「43床程度」としている病床数は、19床以下の診療所化も含めてさらに削減する方向。診療科目は現行4科(内科、外科、小児科、放射線科)の維持を基本とする見通しで、採算性を高める観点から人工透析科部門の導入も視野に入れる。

 総額24億円と試算している病院改築費用については、病床数の削減などで20億円以下に圧縮される見通し。改築スケジュールは、22年度開設とする従来計画を維持し、同年度に指定管理者による病院運営の開始を目指しているとみられる。

 町立病院を守る友の会の清水俊秀会長代行は、町の方針転換について「突然のことで戸惑っている」と困惑の表情を浮かべ、「民営化後も経営が赤字になれば、町の一般財源から病院への繰り入れ負担は避けられない。財政面への影響がどうなるか心配だ」などと話している。



http://www.huffingtonpost.jp/akihiko-ozaki/takano-hospital_b_14537932.html
高野病院が被災地の医療で果たしてきた役割と被災地医療の構造的な問題
尾崎章彦  医師(外科)、高野病院を支援する会事務局長
投稿日: 2017年02月01日 15時57分 JST 更新: 2017年02月01日 15時57分 JST ハフィントンポスト

高野病院を支援する会事務局長を務めております尾崎章彦と申します。高野病院は、福島県双葉郡広野町に位置する民間病院です。今回、院長かつ唯一の常勤医でいらした高野英男氏が2016年12月30日自宅での火事で亡くなったことで、高野病院は存続の危機に立っています。

高野病院で医療が継続されることは、地域にとって絶対に重要なことです。震災後の高野病院は、双葉郡の救急医療においても重要な役割を果たしてきました。もともと高野病院は二次救急施設ではありません。

しかし、震災後に双葉郡の他の医療機関が閉鎖したことに伴い、嫌が応でもその役割が大きくなりました。平成27年に高野病院が受け入れた救急車は61台。決して絶対数は多くありませんが、広野町に居住する住民の数は復興関連の作業員も含めて6000人程度ですので、地域の救急搬送の大多数を受け入れていたと思われます。

実は、私自身がそのことを実感する出来事がありました。1月中旬に私が勤務する南相馬市立総合病院において当直業務を行っていた時のことです。朝方に交通事故と内科疾患で2件救急車がいらっしゃいましたが、いずれも双葉郡からの搬送でした。高野病院への搬送が難しく、いずれも30分〜1時間程度かけて私たちの病院まで搬送されて来たのでした。

私たちの病院に連絡する前に、いわき市の病院にも問い合わせを行ったそうですが、受け入れが難しかったようです。高野病院への緊急搬送が困難な場合、いわき市や南相馬市に搬送すれば良いのではとする議論もあるようですが、長距離の移動は、患者や家族だけでなく救急隊にとっても大きな負担となります。

「高野院長がご存命の時は断らずに受け入れてくださるので助かっていました。」と救急隊の方がおっしゃっていました。病院は社会インフラの一つです。なくなってしまった場合、住民の生活に及ぼす影響は甚大なのです。

さらに、高野病院には65床の療養病棟が存在しており、長期的なケアが必要な高齢患者や慢性期の患者さんが入院しています。入院の背景や原疾患は様々ですが、ほとんどの患者さんは自宅に帰ることなく高野病院で「最期」を迎えます。

実は、このようなタイプの医療は、若年者が減少し、高齢化が進行した浜通りの被災地において最も必要とされているものの一つです。その背景には、震災後に起こった家族構成や社会構造の変化があります。

今回の震災後、放射能を恐れて若年者の大多数が地域に避難した一方で、高齢者の多くは被災地に留まりました。その結果、被災地においては高齢化が進行し、また、高齢者のみの世帯の割合が増加しています。

このような変化は、高齢者のケアにどのような影響を及ぼすでしょうか。例えば、二世帯が同居している場合、若い子どもが高齢の親が病院への受診や自宅療養を手助けすることが可能です。

しかし、高齢者のみの家庭においては、若年者のサポートを受けられません。その結果、高齢者の異常の発見や病院への受診が遅れる他、入院中の患者が退院を希望したとしても退院が叶わないこともあるでしょう。

本来、医療や介護はそのような変化に対応し、不足を補うことが求められますが、双葉郡において高野病院以外に療養病床を運営していた西病院(37床)、今村病院(54床)はいずれも震災後診療を中止したままです。そのため、今後高野病院が立ち行かなくなった場合、双葉郡で長期的なケアが必要になった患者は、いわき市や南相馬市など近隣自治体の医療機関に入院する他ありません。

結果として、故郷から離れて長期の入院生活を余儀なくされる患者さんだけでなく、それを支える家族においても負担が増加するでしょう。

また、高野病院には53床の精神科病棟があります。現在、状態が大きく動いている急性期の患者は少なく、長期入院患者が大多数を占めています。あまり知られていませんが、相双地区の精神科診療は東日本大震災に大きな影響を受けました。

震災前、相双地区(相馬地方と双葉地方を併せた呼称)においては、高野病院の他に、雲雀ヶ丘病院(南相馬市、254床)、小高赤坂病院(南相馬市、104床)、双葉病院 (大熊町、350床)、双葉厚生病院(双葉町、140床)と4つの医療機関が精神科診療を行なっていました。

しかし、震災の影響で、小高赤坂病院、双葉病院、双葉厚生病院、高野病院は診療を中止します。このうち、高野病院は2012年に診療を再開し、現在に至っています。

一方、雲雀ヶ丘病院は震災後も診療を継続しましたが、60床と大幅に規模を縮小しています。(なお、小高赤坂病院は、2017年8月に新地町において再開予定ですが、病床のないクリニックの形態をとるようです。)結果として、現状相双地区で稼働している精神科病床は震災前の約900床から大幅に減少した100床程度に過ぎません。

そして、現在、高野病院には約その半分が存在しているという状況です。また、震災後に相双地区から福島県外に避難を余儀なくされた精神科患者においては、依然として福島県に帰還できていない方々も少なくありません。その一つの理由が、同地区内に十分な精神科病床がなく、受け入れが不可能なことです。

以上のように、高野病院の役割を、高齢者の慢性期ケア、精神科診療、緊急医療の3点から議論してきました。以上を読めば、高野病院が震災後の双葉郡の地域医療において果たしてきた具体的な役割をある程度ご理解いただけると思います。

高野病院を支援する会においては、高野病院存続の危機に際し、高野院長の「美談」の背景にある被災地医療の構造的な問題を繰り返し指摘してきました。

高野病院の例に示されるように、被災地の医療においては、しばしばひとりのヒーローの頑張りによって医療が成立しています。このようなケースにおいては、そのヒーローがいなくなってしまった時に医療が崩壊するリスクを秘めています。

しかし、医療はインフラであり、安定した医療を住民や患者に提供するためにはそもそも個人に過度に依存しないシステム作りが重要です。

特に、福島県の双葉郡は、福島第一原子力発電所事故において未曾有の被害を受け、ほとんどの住民が避難を余儀なくされました。現在国主導で住民の帰還が推し進められています。2015年9月には楢葉町の避難指示が解除となりました。2017年春には浪江町や富岡町において、2017年秋には大熊町において避難指示が解除となる予定です。

しかし、このプロセスには必ずしも住民の意向は反映されていません。実際、楢葉町に帰還している住民は元々の人口の十分の一程度に留まっております。このような特殊な事情を省みた際に、国あるいは県がイニシアチブをとってその地域の医療体制を整え、住民の帰還を促すことは当然のことと考えます。

しかし、現状は、そのような理想から程遠い状態であり、高野病院がこのような状況にあってなお福島県の対応は「及び腰」と呼ばざるを得ません。なお、院長のご逝去から1月18日に行われた「高野病院の体制に関する第二回の緊急会議」までの福島県の対応に関しては、ハフィントンポストにおいて以前に掲載していただいておりますので、ご高覧いただければ幸いです。(http://www.huffingtonpost.jp/akihiko-ozaki/takano-hospital-and-fukushima-prefecture_b_14277516.html)

それでは、高野院長がお亡くなりになった現在、高野病院はどのような形で「あり続ける」のが望ましいでしょうか。ヒントになるのが、生前高野院長が理想にしていた「地域住民と共存する」という概念です。

私見では、既存の診療機能をできる限り維持しつつも、住民のニーズを拾い上げてこれまで以上に地域に根ざした病院になることが重要なのではと考えています。住民との対話も少しずつ始まっています。小規模の勉強会を繰り返し開いて高野病院の現状に理解を広めてもらうとともに、住民がどのような医療ニーズをもっているか見極めようとしています。

すぐに成果は出ないかもしれませんが、このような顔の見える取り組みは住民の方との信頼関係を築く上でも非常に重要です。4月以降の体制に関しては定まっていませんが、高野病院を支援する会ではできることを淡々と引き続きやっていきたいと考えております。



http://synodos.jp/intro/19035
患者の人生の伴走者になる「家庭医」の仕事とは?
ヘルスコミュニケーション、医療教育・孫大輔氏インタビュー

2017.02.06 Mon SYNODOS

今回の「高校生からの教養入門」では、「家庭医」として地域の医療に携わり、一般社団法人「みんくるプロデュース」で市民と医療者との対話の場づくりをされている、東京大学・医学教育国際研究センター講師、孫大輔さんのインタビューをお届けします。地域の人々のかかりつけ医として、患者と家族の健康を管理する家庭医のお仕事、そして医者・患者間のコミュニケーションに関する研究、医学生への教育としてどのような取り組みをされているのか伺いました。(聞き手・構成/大谷佳名)


人間全体をみる「家庭医」という仕事

――孫先生は家庭医として勤務しながら、医療・健康に関わる研究や教育などにも携わっています。まず、家庭医とはどのようなお仕事なのでしょうか。

家庭医は、地域に住む人々のかかりつけ医として、患者さん本人だけでなく家族の健康までも管理する医者です。一般的に医者の仕事は「体の中の壊れている部分を修理する」というイメージですが、家庭医の場合、特定の疾患だけをみるのではなく「人間全体をみる」という視点が大きいのが特徴です。これは「総合診療」と呼ばれます。

また、内科のみならず精神科、小児科、整形外科などあらゆる病気やけがを扱うのも家庭医の役割です。また欧米など、家庭医・総合診療医の育成が進んでいる国々では、お産を担当する場合もあります。


――海外では家庭医や総合診療医の数も多いのですか?

はい。欧米の先進国を中心に、1970年代ごろから研修システムが整備されてきました。特にイギリス、フランス、オランダなどでは、国民一人一人に登録されたかかりつけ医がいます。「GP制度」といって(総合診療医[General Practitioner])、病気になれば初めに担当のGPに診療してもらい、専門医が必要だと判断すれば紹介を受けて専門医に診てもらえる、という制度になっています。

日本にはこのような制度はありませんが、家庭医は症状が重い患者さんの場合、必要に応じて他の専門医療機関につなぐ役割を担っています。


――日本では、何科に行くべきかを患者自身が選んで受診するのが一般的ですよね。家庭医の数もまだまだ少ないと思います。

はい。2010年に、ちょうど僕が家庭医の研修をやっていた頃ですが、家庭医を専門医として認定する学会の制度が本格的に準備されました。専門医というのは学会が認める医師の資格のことで、家庭医の場合は「日本プライマリ・ケア連合学会」というところが認定をしています。家庭医と専門医の役割分担に関しては、どこまでが家庭医の診療できる範囲で、どこからが他の専門医の領域なのか、ある程度指針を示すガイドラインが整備されてきた段階です。

僕は医者の仕事を始めて今年で17年目ですが、はじめは腎臓内科医をしていました。だんだん自分のやりたいことと違うな、という気がしてきて、9年目にして家庭医にシフトしたんです。

――医師のような専門職だと、途中でご自分の専門分野を変えるというのはかなり思い切った転換だったのではないですか。

確かに大きな決断でした。専門が変われば知識から実践的な技術まで全てが違いますし、とくに内科では16歳以上しか診療しません。家庭医になって自分は子どもが診れるのかなど、不安はありました。

でも、やはり患者さんを全人的に診たいという思いはあったので、3年間の研修プログラムを終えて家庭医になった時は、「やっぱりこういう医療がしたかったんだ」と思いましたね。全人的、と言いましたが、例えば体の病気だけを治しても、実は心の問題が絡んでいたりします。あるいは、家族との関係が上手くいっていない、一人暮らしで孤独な生活を送っているために、病気が悪化してしまうケースもある。このような精神的、社会的な側面も含めて、人間を全体的に診ていこうというのが全人的な医療と言われます。

10年、20年、30年先も患者の人生に寄り添う

――そうした家庭医療・総合診療への関心は、医学生のころからお持ちだったのですか。

そうですね。ただ、当時は「人間全体をみる医者」というカテゴリすらなかったです。大学でも学ぶことができませんでしたし、言葉すら聞かない。総合的な診療はもっと昔の地域の開業医ならできたけど、医療が高度専門化していくにつれて難しくなっているわけです。当時の大学の先生にも「そんな医者はいない」と言われました。

そうなんだ、残念だなと思って、結局、内科の中のどこかの臓器(心臓、脳、腎臓、消化器官など)を専門に選ぶことになりました。医学生は、大学5〜6年の時期に病院実習を経験するのですが、いろいろな科を回るうちに自分の専門を考えます。今の学生もそうですが、循環器内科(心臓や大動脈を診る専門科)に行けば「心臓こそが内科の王道だよ」とか、神経内科に行けば「神経が一番推理的で面白いんだ」とか、まるでサークルの勧誘みたいに、行った先々で口説かれるんですね。そのうち、家庭医を目指していた学生も「ぼんやりと総合的にみるよりは、ある分野に特化したエキスパートの方がかっこいいかもしれない」と、気持ちが揺らいでしまうわけです。

――そんな中で、家庭医の魅力と言える部分や、孫さんがやりがいを感じるところは何ですか。

全人的にみるという視点があるので、体だけ治せばいい、薬だけ出していれば良い、というわけではありません。例えば、僕は認知症の方もよくみるのですが、認知症の場合、大変なのは患者さんご本人だけでなく、介護しているご家族もなんですね。だから、認知症の方とそのご家族を一緒にケアしていかなければいけない。

認知症の薬というのもありますが、治る薬ではありません。重要なのは、医者だけでなく看護師やリハビリ専門職、ご家族の状況を細かいところまで把握してくれるケアマネージャーなど、さまざまな職種の人と連携しながら、患者さんの心も診て、家族のこともみる。このようなチーム医療における「協働」が大変でもあり、やりがいもあるところです。とくに最近ニーズが高まっている在宅医療・地域医療においては、いろいろな分野の医療従事者の方と連携が必要になってきます。

また、精神の病気をみることもありますが、その場合も患者さんを支えてくれるご家族、あるいはサポーターの方を巻き込んでケアをしていきます。そうしないと、患者さん一人では薬を出しても飲んでくれないかもしれないし、ふさぎこんで病院に来なくなってしまうかもしれない。一ヶ月に一回とか、時間をかけて継続的に診ていきますが、必ずサポーターの方も一緒に病院に来てもらいます。

僕は長い方だともう6、7年くらいずっと診ているうつ病の患者さんもいますし、中には不安障害だった方が2、3年診ていくうちに薬も飲まなくていいくらい回復したこともありました。たとえ完治はしなくても、治療を続けていくにつれて患者さんとの信頼関係が出来上がっていきます。症状が良くなっていって患者さんに感謝された時などは、やっぱり嬉しいですね。

10年、20年、30年という長いスパンで健康を支えていくというのは、その患者さんとご家族の人生の一部を見させてもらうということです。その人の人生観や価値観、家族との関係性や、その中で大事にされていることまでを見つめ、時には人生の最後にも立ち会ってきちんとケアをさせていただく。家庭医の仕事は、患者さんの人生に寄り添って、マラソンで横について走るような「伴走」をするというイメージですね。

ブラック・ジャックのような医者に

――孫先生はいつから医者を目指されていたんですか? 

医者を目指す人にもいろいろなパターンがありますが、僕は中学校一年生の時には医者になろうと思っていました。

――それは早いですね!中高生のころは、どのように過ごされていたのですか。

中学時代はいくつかの部活に入っていたのですが、高校一年生になってからは、何を思ったか東大医学部を目指そうという壮大な野望を立ててしまい……。それからは帰宅部になり、勉強していましたね。中高一貫校の男子校で、見た目もさえないし、スポーツもできない、全然イケてない暗い6年間を過ごしました。

医者になりたいと思ったきっかけは、中学の時に読んだ手塚治虫の 『ブラック・ジャック』という漫画です。主人公のブラック・ジャックは、医師免許を持っていないもぐりの医者なのですが、一見、患者に対して冷たいようで、実はハートが熱くて正義感のある人物なんですよね。そうしたアンチヒーロー的な魅力もありますが、ストーリーを読んでいくと純粋に医療の素晴らしさを感じられるような作品です。今思えば、医療の科学的な面白さと、人間の命を扱うヒューマニスティックな側面というバランス感覚に惹かれたのだと思います。

――総合的に患者を診たいという思いも、ブラック・ジャックの影響があるのでしょうか。

そうですね。単に体を治せばいいのではなくて、精神的な面、社会的な面も健康に関わっているんだな、というのは『ブラック・ジャック』を読んでなんとなく思っていました。また、ブラック・ジャックは基本的には外科医ということになっていますが、実は内科や他の専門についても詳しいんです。甲状腺の病気を治療する際に、他の内科医たちにブラック・ジャックが的確に指示をするという印象的なシーンもあります。医者としての自分の原点となった漫画です。

医療者と患者の間に流れる“共感”

――孫先生は大学での活動もされていますが、どのような研究をされているのですか?

現在は東京大学の医学教育国際研究センターというところにいますが、そこで僕が担当しているのは家庭医の領域ではなく、医学教育です。どのように学べば、医療の現場に立つ上で必要な知識・技能・態度をバランス良く身につけることができるのか。そのために医学部の6年間のカリキュラムをどうデザインすれば良いのか。それを研究したり、授業で実践したりしています。

最近の医学教育では、学生のころから問診や採血など、実習を通して教科書からは得られない技術を学びます。中でも僕が専門的に携わっているのは、患者とのコミュニケーションに関する教育です。

多くの大学では6年間かけて医学の知識をたくさん学びます。でも、それを頭に入れていざ患者さんの前に出てみると、ほとんどの人が何もできないんですね。20歳ちょっとの若者が60〜70歳くらいで人生経験が豊富な、しかも病気を抱えている方々とコミュニケーションしなくてはいけない。そうした難しさがあるのは当然で、やはり知識だけでは医療を提供することはできないわけです。

――そうした実習も含むコミュニケーションの教育は、どのように行われているのですか?

東京大学のカリキュラムは少し変わっていて、最初の2年間は他の学部と一緒に教養科目を学ぶので、医学教育は3年生から始まります。そこから、解剖学、生理学、病理学などの基礎医学を学び、4年生になると内科学、外科学などの臨床医学を学ぶ。それと並行して、患者さんと接する準備をします。

僕が主に担当しているのは「医療面接実習」という授業で、問診の練習をしながら患者さんとのコミュニケーションを学んでいきます。具体的に言うと、「模擬患者」という、患者さんの演技をする人たちが相手をするんです。

――ちゃんと患者役の人がいるんですね。

はい。ボランティアの方々で、60〜70代の方が大半ですね。事前にトレーニングも受けてもらい、細かい症状の伝え方なども実際に近い形で演じてくれます。ちなみに模擬患者さんのトレーニングも僕が担当しています。

そして対話を繰り返し練習していくわけですが、初めはほとんどの医学生が「対話を通していかに情報をゲットできるか」というように考えています。診断して治療するために有効な情報をどう引き出せるか、と。しかし、医療者と患者のコミュニケーションは、実は情報を引き出す以上のものを含んでいます。関係性ができて信頼感が高まると、それだけで治療効果が高まることもあるんです。

情報を取るだけならロボットにでもできますよね。でも、病院に行ってそこにロボットの医者が座っていたとしたら、どう思うでしょうか。ロボットは非常に正確に、「どこが痛いですか?」「痛みの種類はどんな種類ですか?」「一から十のうち、いくつくらいの痛みですか?」と症状を聞いてきます。それで、症状をすべて伝えられたとします。でも、それだけでは患者さんは満足できないんです。

情報を伝えるだけでなくて、人間対人間のやりとりによる、「信頼できるな」「私のことを思いやってくれているな」という気持ち。あなたの病気はこういうもので、こういう治療をすれば治りますよ、心配しないでくださいね、と声をかけてくれると、良かった、安心できた、と感情が動きますよね。それはロボットだと起こらない。

そうした、医療者と患者の間に流れる“共感”は、どのような心理的要素を含んでいて、健康にどのような影響を与えるのか。それは教育によってどこまで学習可能なのか、という研究もしています。

医療者も患者も自由に語り合う場所

――孫先生は、「みんくるプロデュース」という一般社団法人の代表もされていますよね。「みんくるカフェ」という、病院の外で地域の人々と健康について語り合う、医療者-患者のフラットな対話の場を作られています。なぜ、このような取り組みを始められたのですか。

僕は家庭医になって、診療所に勤め始めたのですが、だんだんと患者さんの生活に近い視点で病気を診ていくうちに、病院に来た人だけをみるだけでは限界があるなと思うようになりました。

というのも、家庭医が扱う病気の多くは、糖尿病、認知症など長い期間付き合っていくような慢性疾患です。薬を投与すれば治って終わり、と単純な病気ばかりではありません。患者さんのライフスタイルに向き合っていく必要があります。治療していくうちに、患者さんと一緒に伴走するマラソンみたいな感じになってくるんですね。

ただ、いつも外来が混んでいて、午前中だけで30人みるようなこともしばしばです。そうなると1人5分とか10分になってしまう。そんな短い時間では限界がありますし、もう少し、病院とは別の場でも対話ができたらいいなと思ったんです。それには、やはり病院の中では患者さんも本音が話せていないんじゃないかな、という気持ちもありました。また、病気になっていない人は病院に来ませんから、その人たちが病気になるのを医者は待っていることしかできないのかな、と。

だから病院の外で、病気になっていない人も含めて健康や医療について対話する場をつくろうとしたわけです。それが、2010年ごろのことですね。

――病院の外だと変な緊張感もなく、些細な悩みや疑問も打ち明けられそうですね。

はい。病院の中ではこっちが医者で、相手は患者という決められた関係、決まった時間の枠での対話になりますが、まちのカフェのような場所だと僕も一個人として参加できるし、本音も聞ける。自由に話し合えるのが、純粋に楽しいんです。

最初は一般の人や患者さん、つながりのある医療者を呼んで、細々と10人くらい集まってカフェの一角でやっていました。続けていくうちに、だんだんと人が集まるようになり、現在は毎回20人くらいで開催しています。また、他の地域の方から「私もやってみたい」という声をいただくようになりました。そこで2012年から、カフェでの対話のやり方やファシリテーション(対話を円滑に進めるスキル)を学んでもらおうと「みんくるファシリテーター育成講座」というのを始めたんですね。現在は全国各地の医療従事者の方をはじめ230人くらい修了生が出ていて、全国20〜30箇所くらいでみんくるカフェが広がっています。

パウロ・フレイレの精神

――今後はどのような活動をされていきたいですか。

僕自身は大学に籍を置いているので、フルタイムで家庭医をしている医者とは違う立場です。その分、がっちりと地域に密着するという側面は弱くなるのですが、若い人たちの育成に携わったり、家庭医療やみんくるカフェでの実践を研究に活かすことができる。それが僕の役目なんじゃないかなと思っています。

欧米では「アカデミックGP」と言われる、大学ベースで研究や教育に携わるGPが注目されています。ヨーロッパ、北米、カナダでは、大学で家庭医療・総合診療を学んだり研究できる機会が圧倒的に多いのです。そうしたアカデミックGPとしての立場をもっと突き詰めていけたらな、とも思います。

――アカデミックな領域と実践との間で、常にフィードバックをしながら両方に活かしているんですね。これからの地域の中での活動については、いかがでしょうか。

今取り組んでいることでは、東京の「谷根千」(谷中・根津・千駄木)という下町でお寺や銭湯、古民家といった人の集い場に注目した研究をしています。地域の中で、いかに市民主体による健康づくりが可能なのかというのがテーマです。というのも、これからの日本において、健康な社会づくりをしていくためには、実は医療従事者などの専門家主導ではなく、市民が主体になって取り組む活動が重要になんじゃないかと思います。僕自身、専門家としての「白衣」を脱いで、一市民として地域に入って活動するのが好きなんですね。

谷根千でも、医療の専門家ではないけれど、実は地域の健康づくりに関わっている人はたくさんいます。たとえば、地域密着型の漢方薬局の方で、まちの保健室的な活動をされている方。常連さんも多い銭湯なども、見守りやコミュニケーションの場として役立っています。お寺にも地域に開かれている場があって、住民主体の縁日を開いているお寺や、座禅会や住民の集いの場に提供しているところもある。こうした地域住民の「つながり」は、こころと体の健康に効果があると考えられます。

みんな健康になろうという目的を持っているわけではないのですが、自然と健康づくりにつながっているような住民活動がある。そうした市民目線で健康を考えていく方が、日本のこれからの社会にとっては効果的なんだと思います。そこに専門家も参加していって、一緒にネットワークを作り、支えていくことに可能性を感じています。

――今ある資源にも注目しつつ、地域の健康づくりにつながる様々な可能性を試されているんですね。

はい。実はこうした僕の活動のモデルになっている人がいます。ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレです。彼の活動は「市民参加型アクションリサーチ」の源流になっています。その活動は、教育によって社会を変えるということに起点をおいていて、専門家主導ではなく市民が主体的になるよう、市民をエンパワーメントすることを大事にしました。

当時70年代の教育は、フレイレの言葉でいうと「銀行型教育」、教師は生徒に預金をしていくように知識を付け足すだけの教育でした。彼は、それではダメで、教育とは自分自身の力に気づいて、自分を変えていけるようなものでなくてはならない、と考えた。このように自らの現状を認識して、自分を解放していくような学習をフレイレは「意識化」と呼びました。

それで、彼が実際にやったことというのは、スラム街の中に入っていって読み書きを教えることだったんですね。文字が読めるようになってくると、今度はスラムの住民に自分たちが置かれている状況を理解させた。すると、今まで知らなかった社会の構造、自分たちは社会の底辺にいて、富裕層に抑圧されているんだということに初めて気づくんです。同時にフレイレは「言葉は作り変えることもできるんだ」と言って、2つの単語を合わせて新しい言葉をつくったり、実際に住民にやってみせた。それを通して、自分たちの状況や社会も変えることができるのだと教えていきました。これは、まさに「意識化」のプロセスですね。

僕はこうしたフレイレの精神が好きで、自分も教育に携わるときは知識をただ単に伝達するのではなく、常にエンパワーメントできるような方法を心がけています。

――最後に、高校生へのメッセージをお願いします。

僕には小学生の娘がいるのですが、この前彼女に「悩みとかないの?」と聞いたら「ない」と言うのでびっくりして。小学生でも友達とケンカぐらいするだろうと思うのですが、「みんなお互い気を使うからケンカにならない」と言うんです。今の子どもって、大人的な視点を早い段階から先取りしている子が多いなと思います。

昔だったら子どものうちは少し逸脱した行動もできたけど、今の時代はSNSですぐ自分の言動が拡散される、管理型社会になっているのかもしれません。社会の中で外れたことをするとバッシングされるかもしれない。とくに十代の子はそれをすごく気にすると思います。

ただ高校生時代は、大人になる前に自分はどういう人間なのか、この社会に生きている意味を考えるような時期です。だからリスクを恐れずに、自分が本当に好きなことはなんなのか、これから長い時間をかけてやりたいことはなんなのか、じっくり考えて欲しいなと思います。

高校生におすすめの三冊

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
著者/訳者:小林 多喜二
出版社:新潮社( 1954-06-30 )
Amazon価格:¥ 432  ペーパーバック ( 217 ページ )
ISBN-10 : 4101084017  ISBN-13 : 9784101084015

プロレタリア文学の代表作……と言われると、とても固いイメージがあると思いますが、実際に読んでみると面白くて止まりません。ストーリーは、凍てつく北の海に蟹漁に出た船の中で、労働者たちは死人が出るほどの劣悪な労働環境にさらされます。その非人間的な扱いに対して、労働者たちが立ち上がる物語です。貧困の問題、ブラックな労働環境など現代にも通じる問題や、人間が団結して支配者にどう立ち向かうかという人間たちの姿がビビッドに描かれています。小林多喜二はこの作品を書いたため、当時の特高警察に逮捕され、凄惨な拷問を受け亡くなりました。

社会を変えるには (講談社現代新書)
著者/訳者:小熊 英二
出版社:講談社( 2012-08-17 )
Amazon価格:¥ 1,404   新書 ( 520 ページ )
ISBN-10 : 4062881683   ISBN-13 : 9784062881685

日本における市民運動の歴史が分かりやすく学べ、また現代において社会を変えるために何ができるのかを学べる一冊です。最近では国会議事堂前での「金曜デモ」が話題になりましたが、デモって何でしょうか?実際に社会を変えたいと思ったときって、デモをやるか、投票するかしかないのでしょうか?そうしたことを歴史学的・社会学的に論じていながら、これからの社会を生き抜くための実践的な知恵を学べる社会学者・小熊英二氏の本です。

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)
著者/訳者:斎藤 環
出版社:筑摩書房( 2012-02 )
Amazon価格:¥ 821   文庫 ( 285 ページ )
ISBN-10 : 4480429115  ISBN-13 : 9784480429117

精神科医であり、フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたジャック・ラカンの思想を分かりやすく解説した一冊。著者はやはり精神科医でありオタク研究家でもある斎藤環氏。超難解なことで有名なラカンの文章が、おそらく世界一分かりやすく解説されています。ストーカー、ひきこもり、おたくと腐女子、フェティシズム、など、不可解な現代の現象も、ラカンの理論で考えてみると理解可能なように思えてきます。



http://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20170206-OYTNT50095.html
市立小高病院、帰還住民に遠隔診療…4月から
2017年02月07日 読売新聞

◆タブレット端末などで

 東京電力福島第一原発事故による避難指示の大部分が昨年7月に解除された南相馬市小高区で、市立小高病院は4月から、タブレット端末などを使った遠隔診療システムを全ての帰還住民を対象に導入する。看護師らが患者の自宅に赴いてタブレット端末から画像や音声を病院に送り、院内の医師がそれを見ながら診療する仕組みだ。県などによると避難指示が解除された地域では初の試みで、住民帰還を後押しすることが期待されている。

 市の計画では、同病院は非常勤医を中心にした看護師3人の現行体制から、4月以降は常勤医1人を配置し、看護師らが住民宅を訪問して、タブレット端末やスマートフォンを使って常勤医が遠隔診療する体制への移行を目指す。遠隔診療システムの導入について、市は数十万円の関連費を当初予算に盛り込む方針だ。

 原発事故で診療を中止していた同病院は、2014年4月に再開した。15年度の患者数は1日平均6・6人で、避難指示が解除された昨年は8・4人にまで増えた。それでも地域の住民らからは、「交通の便が悪く、車がないと病院に行きたくても行けない」といった声が上がっている。

 小高区の解除対象地域では、昨年7月時点で住民登録していたのは1万714人で、解除直後には202世帯、402人が帰還した。その後帰還者は急増し、今年1月12日時点には664世帯、1400人が帰還完了を届け出た。帰還人口は解除直後の3倍以上に膨らんでいる。

 これに対し、原発事故前、小高区内では同病院のほかに小高赤坂病院が診療していたが、現在再開したのは市立小高病院のみ。今後も利用者が集中する状態が続くとみられる。

 遠隔診療の導入は、かつては離島やへき地の患者に限定されていた。しかし、政府が15年8月に過疎地などにも事実上解禁する通知を出して以降、全国的に普及が始まっている。



http://biz-journal.jp/2017/02/post_17951.html
「傲慢」医師たちの生態…若い頃から「先生」と崇拝され、毎年数十億円の不正生む
文=吉澤恵理/薬剤師
Business Journal 2017.02.07

 私は、薬剤師になってから25年がたちました。その間、薬剤師として医療現場でたくさんの医師を見てきました。そのほとんどは、「患者を救う」という使命に燃えた立派な医師でした。しかし、わずかではありますが、医師としてのモラルに大きく欠ける人がいたことも事実です。昨今の不正請求や診療上の不正などのニュースを聞き、医療界全体で改善すべき問題だと感じています。

 日本医師会のHPを見ると、トップページに「診療報酬の不正請求の実態とその防止対策」が掲載されています。その冒頭の「保険医療機関及び保険医の責務」に、以下のような一節があります。
「私は、現職に就く前、厚生労働省においてこの指導監査を長年担当してきたが、医師会や厚生労働省の指導等にも関わらず、極僅かな保険医や保健医療機関ではあるが、継続的に不当・不正行為が存在し、その額も毎年数十億円に上るという現実に疑問を感ずると共にその対策に苦慮した。ただ、事実を分析していく過程において感じたことが幾つかあった。

 1つは、単なるミスでは無く不正又は不当と言われる行為を認識しながら故意に行っていた医師がいたということ。2つ目は、社会的ルールや倫理観が欠如していると思われる医師もいたということ。3つ目は、医療保険のルール等について不知に近い医師もいたということ。4つ目は、医師は診療のみを行っていればいいとの考えのもと、請求に関しては全く関与せず事務方に任せっきりにしているところも存在するということである」(一部抜粋/文:向本時夫<福島医科大学医学部医療制度研究センター特命教授>)

 このように、日本医師会でも一部のモラルなき医師の存在を認めているのです。また、その医療上での不当・不正行為による額が毎年数十億円に上るということは、驚愕以外の何物でもありません。知的レベルの高い医師たちが、その事実に気づいているにもかかわらず、なぜ自分たちの手で改善できないのでしょうか。

 当たり前の話ですが、日本の医療制度は、私たちが支払う保険料と税金で賄われています。医療費は2015年に40兆円を超えており、政府は25年には60兆円を超えると試算しています。医療費の増大は、将来、国民皆保険制度を崩壊させる危険性さえあります。しかし、不正請求を行う医師にはその意識が欠如しているのでしょう。行っていない診療内容や検査、処置、手術、投薬などをカルテの上で改ざんし、保険料をだまし取るという行為に罪悪感を持たない医師は、患者に医療を施す資格はありません。
モラルなき医師を生み出す社会

 モラルなき医師を生む一番の理由は、社会が医師崇拝の傾向にあることだと思います。医学部を卒業し、24歳前後で医師になった時から「先生」と呼ばれ、医師がトップとして機能する医療機関で働いているうちに「医師である自分は万能だ」という傲慢さを持ってしまうのでしょう。私が過去に遭遇したモラルのない医師のなかには、処方箋を応需している薬局から自分の薬をタダで受け取っている人がいました。こんなことは、絶対にあってはなりません。なぜなら、医師は薬を無料でもらう代償として、患者を優先的にその薬局へ誘導する可能性があります。これは不正行為といえます。そのような医師は、崇拝どころか尊敬にも値しないと思います。

 現在、多くの病院やクリニックでは、患者に質の高い医療を提供できるよう医師、スタッフの意識改革や教育がなされています。地域のクリニックでは、医師はかかりつけ医として患者に寄り添う医療を目指し、大きな病院ではセカンドオピニオン外来を設けるなど患者が納得のいく治療を選択できるよう取り組んでいます。そのような流れの先には、患者が医師を選ぶ時代がやってくるでしょう。患者が医師を選ぶのが当たり前となり、モラルのない医師が淘汰される社会になることを望みます。
(文=吉澤恵理/薬剤師)

吉澤恵理/薬剤師、アロマコーディネーター
1969年12月25日福島県生まれ。1992年東北薬科大学卒業。同大学で研究に従事。その後、福島県立医科大学薬理学講座助手として勤務するなかで臨床に興味が湧き、福島県公立岩瀬病院薬剤部勤務となる。その後、いくつかの病院・調剤薬局に勤務してキャリアを積み、現在は薬物乱用防止の啓蒙活動、心の問題などにも取り組んでいる。アロマコーディネーターの資格も有し、美容に関しての相談にも応需、好評を得ている。 医療、健康、美容、ダイエット、子育てなどをテーマにしたコラムは、多くのファンを持つ。プライベートでは、男3人、女1人の4人の子どもを持つシングルマザーである。



https://www.m3.com/news/general/500537
南伊豆に「杉並区の特養」 互恵狙う試み、各地が注目
2017年2月6日 (月) 共同通信社

 東京都杉並区が静岡県南伊豆町に造る特別養護老人ホーム(特養)の開設準備が本格化している。夏に希望者を募り、来年1月にオープンする予定だ。杉並区は千人を超す入所待機者の減少を目指し、南伊豆町は町民の雇用創出を狙う。高齢化に直面する都市と地方が「互恵関係」を構築する新たな試みで、各自治体が注目する。

 南伊豆町は年間平均気温が16・9度と温暖で、海水浴や温泉、伊勢エビなどの豊かな海産物で知られる。特養を建設中の町有地は海に程近く、木々に囲まれた場所だ。

 区が全寮制学校を町に開いた1974年から交流があった両自治体による特養構想が浮上したのは2010年度。介護施設不足という双方が抱える課題の解決策として検討を続け、14年12月に静岡県を加えた3者が合意した。自治体間の連携による特養整備は全国初。

 建設費などの整備費は17億7千万円で、杉並区と県が補助金を支出。南伊豆町は土地を無償で貸し出し、静岡県下田市の社会福祉法人に運営委託する方式でまとまった。敷地は約6600平方メートルで建物は3階建ての計画だ。定員は90人で50人は区民が利用し、40人は町周辺から入所する予定。

 区は約1200人に上る入所待機者の解消が狙い。土地代が不要となり、区内に特養を造る場合に比べ支出が約3分の1に抑えられ、設備の充実を図れるのが利点だ。

 町にとってもメリットがある。見舞いの家族が滞在し、観光も楽しめば経済効果が期待できる。特養では30~50人程度の雇用増も見込んでいる。

 前例のない取り組みとあって、区と町には、それぞれ地方や都市部の自治体から「参考にしたい」と経緯を尋ねる電話が相次ぐ。入居に関する住民からの問い合わせも多いという。

 杉並区の担当者は「都市部では特養の土地確保が難しい。入所待機解消の新たな選択肢として、全国に先駆けて成功させたい」と話している。


  1. 2017/02/07(火) 05:43:36|
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