Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

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5月15日 熊本震災関連 

http://www.asahi.com/articles/ASJ596TNBJ59TIPE052.html
研修医「故郷支えたい」 熊本出身26歳、被災地駆ける
岩田智博
2016年5月15日15時01分 朝日新聞

 震度7の地震に2度襲われた熊本県益城町で、物資も医療支援も届かなかった平田地区を、発生直後から支えた研修医がいた。重症者に診察を受けるよう勧め、足りない物資を募ってきた。研修先の山形県に戻ったが、「これからも、できることを一緒に考えていきたい」と話している。

 「体調、お変わりないですか」。7日昼、益城町の平田地区。熊本市出身の研修医、岡崎幸治さん(26)が体をかがめ、家の軒先で90代の男性に話しかけた。「大丈夫、足がはれているくらい。お風呂にも入れるようになったよ」。男性が応じた。

 男性は地震の発生直後、家が倒壊する危険があるからと屋根付きのガレージに畳を敷いて生活していた。今は近くの息子家族のもとに身を寄せる。岡崎さんは「元気そうでよかった」とほっとした表情を見せた。

 中学まで熊本市で育った岡崎さんは、東京大学の医学部を卒業。現在は日本海総合病院(山形県酒田市)に勤める。故郷の役に立ちたいと、院長や指導医の許可を得て、本震翌日の4月17日、鹿児島空港からレンタカーで熊本に入った。

 2011年の東日本大震災では、医療支援が届かなかった場所があったことが頭に浮かんだ。「同じような場所があるはず。早く見つけて何とかしたい」。避難所を訪ねるうちに、益城町の平田地区に支援が届いていないと聞いた。

 18日夜に車で駆けつけ、目に入ったのは、公民館の駐車場や広場などで、多くの高齢者が車中泊をしている姿だった。「エコノミークラス症候群のリスクの塊だ」。しかも、人手も物資も足りていなかった。

 国家試験に合格した医師には2年間の臨床研修が義務づけられ、研修医は指導医の下でしか医療行為は認められていない。それでも、翌日から車中泊の高齢者を中心に声をかけた。

 心筋梗塞(こうそく)の病歴があり、足にむくみがある男性には医療機関への受診を進言。歩行がおぼつかない女性にはケアマネジャーへの連絡を勧めた。さらに「自分の強みは発信力」と、支援が届いていない状況をフェイスブックで発信し続けた。

 そのかいあってか、次第に各地から物資が届くように。寝泊まりや女性の着替えに必要なテントが新潟から送られてきた。知り合いを通じてJMAT(日本医師会災害医療チーム)にも、平田地区に来るように求めた。

 結局、実家がある熊本市内から平田地区に通ったり、現地で車中泊をしたりと滞在は初日も含めて11日間。地元の人から信頼されるようになり、「本当のニーズが分かるようになった」と振り返る。

 いったん山形県に戻った後、5月7日に平田地区を再訪した。車中泊は大幅に減っていた。「物資は足りても食が偏れば健康によくない。生活の基盤を失われた人も多く、今後が心配だ」と話す。

 山形県で研修を再開した岡崎さんは「病院からしか医療を見ていなかった」と自身を振り返る。「患者さんにずっと寄り添う医師になりたい」と前を向く。(岩田智博)



http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0514/mai_160514_1728911465.html
<熊本地震1カ月>続く休院、戻らぬ体調
毎日新聞5月14日(土)23時3分

 熊本地震では、熊本県内の医療機関の3割にあたる450の病棟にひびが入るなどの被害が出た。震源に近い益城町では17の医療機関が被災。16機関は順次再開したものの、今も続く断水や医療機器の損傷、職員の被災による人手不足のため、開院時間を短縮したり、新規患者の受け入れを取りやめたりしている。町で唯一、急性疾患に対応する病床がある東熊本病院は地震から1カ月がたった今も再開できておらず、地域医療と患者の苦難は続いている。

 14日朝、益城町から約60キロ離れた多良木町の病院のベッドに横たわった田上カツエさん(95)は、次男英行さん(65)の姿に表情を緩めた。心臓が悪く、入院していた東熊本病院が震度7の揺れで損壊し、多良木町への転院を余儀なくされた。被災前は毎日見舞いに来た英行さんだが、車で往復4時間かかるここにはめったに来られない。地震発生から1カ月。この間、2回しか会えなかった。

 「来てくれてありがたい」。カツエさんは涙を拭った。

 東熊本病院にはカツエさんを含め45人が入院していた。しかし、4月14日夜の揺れで電気や水道が停止。職員らが夜通しで入院患者を別の病院に搬送していた16日未明、2度目の震度7に襲われ、病棟の一部が傾いた。

 益城町の自宅が倒壊し、避難所の体育館に身を寄せている吉山澄子さん(90)は日中、段ボール製のベッドに腰掛けて過ごす。血圧が高く、約20年通った東熊本病院は休院中。今は避難所で各地から派遣された医師チームに診てもらっている。

 「いつもの病院に行きたい」とつぶやく吉山さんの横で、親類の女性は「ここでもよく診てもらっているが、体調を崩しやすくなっている」と心配する。

 別の避難所にいる北村澄子さん(81)の通院先は再開したが、持病の薬の処方などに限られ本格的な診療とはほど遠い。次男良二さん(52)は「何かあったら熊本市の病院に救急車で行くしかない」。

 阪神大震災で被災者の診療にあたり、益城町にも入っていた兵庫県医師会の田中良樹常任理事(65)は「かかりつけ医の方が患者の変化に敏感に気づけ、安心感も与えやすい」と一刻も早い復旧を願った。【蓬田正志、佐野格】


  1. 2016/05/16(月) 05:58:46|
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