Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

5月6日 熊本震災関連 

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050600721&g=keq
避難者ら23人を救急搬送=食中毒か、原因調査-熊本市
(2016/05/06-20:32)時事通信

 6日午後3時25分ごろ、熊本市中央区千葉城町の市立城東小学校から「10人程度が吐いたり頭痛を訴えたりしている」と119番があった。熊本市消防局によると、熊本地震で避難していた人を含む6~84歳の男女23人が病院に搬送された。重症者はいないが、うち11人が医師の判断で入院した。

 同校では昼食時に炊き出しが行われていた。市保健所などは、食中毒の疑いもあるとみて、患者らから話を聞いている。
 消防局と保健所によると、23人はおにぎりと野菜炒めを食べたとの情報があり、吐き気や気分の悪さを訴えた。城東小学校には6日午後1時時点で隣接する中学校と合わせて60人が避難していた。



https://www.m3.com/news/general/422355
被災者支え必死の治療 益城町の医療機関
2016年5月6日 (金) 熊本日日新聞

 熊本地震で甚大な被害を受けた益城町の医療機関が、地域医療を守り抜こうと奮闘している。今も水道が復旧せず、レントゲンなどの医療機器も使えないが、「地元の患者さんのために」と必死の診療を続けている。

 上益城郡医師会によると、同町内の17医療機関は建物が損壊するなどし、2日現在、半数以上が医療機器の故障などで通常診療ができない状態。6施設は新規患者の受け入れができないという。

 「地震の時はどうでしたか」。2日、益城整形外科医院(同町安永)で、山本正昭院長(67)が男性(77)に優しく声を掛けた。本震で転倒し、左手の薬指を骨折した男性は「これぐらいは不幸中の幸い。避難所は応急処置しかできず、かかりつけは安心できる」と笑顔を見せた。

 同医院は地盤沈下のため、応急危険度判定で危険を示す「赤紙」が張られたが、専門家の診断では建物に大きな被害はなかったという。上下水道も破断したが、飲料水などで器具を洗浄するなどしてカレンダー通りの診療を続けている。

 4月14日夜の前震後、診療ロビーはけが人や避難者であふれた。翌日未明まで山本院長は懐中電灯を手に診療を続け、入院患者を別の病院などに移送した。

 本震で院内の被害は広がったが、今も毎日約60人の診療を続けている。山本院長は「ほとんどが避難所から通ってくる患者さん。通常の半数ほどに減り、来ていない方が心配」と表情を曇らせる。

 同医院から入院患者を受け入れたさくら病院(広崎)では、ほかの医療機関の透析患者も引き受ける。前震直後は、高齢者施設の避難者も受け入れた。

 昨年9月の建て替えで専門家に「近くに断層がある」と指摘を受け、耐震強度を上げた結果、被害はほぼなかった。人工呼吸器が必要な患者や透析患者らが多く、柴田美貴子事務長(65)は「自分で動けない方も多い。被害がなくてよかった」と胸をなで下ろす。

 かかりつけ患者の容体変化が気掛かりな医師もいる。おがた整形外科(福富)の緒方博司院長(56)は「膝や腰の痛みを訴える患者が多い。窮屈な避難所生活の影響だろう」と心配する。

 どの施設も職員自身が被災者でもある。自宅兼医院が被災した永田内科医院(福富)で事務を担当する永田昭子さん(70)は、4月末まで避難所暮らし。職員6人のうち4人は自宅が全半壊した。それでも、次女の美与院長(45)を中心に診療を続ける。永田さんは「患者さんがいる限り医院は閉められない。規模を縮小してでも続ける」と力を込めた。(林田賢一郎)



https://www.m3.com/news/iryoishin/421883
シリーズ: m3.com意識調査
「来てやった」と傲慢な態度の人も、災害派遣医療
災害派遣医療で印象的だった出来事<医師以外の職種>

2016年5月6日 (金) 成相通子(m3.com編集部)

 m3.com意識調査で、災害派遣医療についてお伺いしました(『災害派遣、医師の参加が低調』を参照)。医師以外の職種の体験談や意見をご紹介します。

【薬剤師】

・OTC医薬品を避難所で配っていたが、震災から1カ月以上経つと、化粧品が欲しいという声が多くなっていた。時間の経過と共に必要なものも変わってくる。食料を持ち込んだが、実際には避難している方には行き渡っていたので、現地のお店にお金を落とす方が優先と思い、レストランで食事をした。いつ行くかで、必要なことや支援の仕方は変わります。【薬剤師】

・3.11の1カ月後に医療支援で岩手県に行きました。被災された方はお薬手帳をほとんどの方が持っておられて、診療に役立ちました。仮設の診療所であった小学校の教室で寝袋に入って寝ましたが、女性の看護師さんと同じ部屋で緊張しました。一緒に行ったグループ5人は、今では働いている施設がバラバラですが、たまに飲み会をしています。【薬剤師】

・災害時はみな、気持ちが高ぶり、普段服用している薬の名前さえ思い出せずにいました。お薬手帳がある人は大丈夫でしたが、持ってない人は色や用法などで推測して調剤しました。【薬剤師】

・阪神、淡路大震災で大阪薬剤師会より参加しました。公園に被災者の方々がテントを張っておられ、公園の中に設けられた薬局で活動をしました。参加は3月で比較的落ちついていました。お薬より粉ミルク、赤ちゃん用のオムツ等を配布したと記憶しています。無償なので遠くから来ている方がいました。【薬剤師】

・神戸で震災後応援に現地入りしました。救援物資を一般人に渡す役割でした。必要な人に渡したくても取りに来る方はまばらで、どこに行けば貰えるのか全く伝わっていないことが分かりました。救援物資をどこに行けばもらえるのか伝わっていないのです。【薬剤師】

・阪神大震災では、薬剤師会からの派遣でしたが、次の引き継ぎのチームが引き継ぎ時間までに到着できず、引き継ぎは、現場にいた地元の薬剤師にお願いしました。【薬剤師】

・阪神淡路大震災で医療チームの一員として参加しました。私が初めて“チーム医療の一員としての薬剤師”を実感した経験になりました。当時は薬局の中で調剤しかしていなかったので、日中の医療支援を終えてチーム全員で行うミーティングはとても貴重なものでした。【薬剤師】

・東日本大震災の際、神奈川県薬剤師会より派遣されて、福島県の主に原発で避難してきた人達の集まる体育館で5日間、ボランティア活動を行った。それ以上は勤務先の業務に影響があるので、難しかった。【薬剤師】

・東日本大震災の時は、患者が口頭で何色の何の薬で何回飲んでいたくらいの情報から、医師に多分この薬だろうと助言しながら、一緒に診察に当たった。熊本は、本部での活動が主だったので、現地の医師、薬剤師と情報交換しながら薬剤を供給した。【薬剤師】

・東北の時に薬剤師会経由でDMATチームと連携して参加でした。被災者の方々に応援してもらったことの方が多かったですよ。【薬剤師】

・被災した方の笑顔(阪神大震災の時、おばあさんが「こんなの戦争に比べたらましだよ。こうしてみんなが助けてくれる。ありがとう」って言いながら向けていただいた笑顔)【薬剤師】

・避難所によりOTC支援物資の管理体制に大きな差があった。このOTCを利用した1次的な治療(対処)が可能である。【薬剤師】

・津波で車ごと流され、自力で脱出。全身打撲の身体で丸一日歩いて病院に到着した青年がいた。【薬剤師】

・普段から薬に興味を持っている者は、災害時のメリットは計り知れない(自分の薬が言える)。お薬手帳が大活躍であった。年寄りは、平時も有事も医療弱者である。個人のボランティアは、組織力が生かせず、被災地では迷惑になる場合もある。GE医薬品増加により、医師や看護師に薬剤師が頼られる場面が何度かあった。地元の医療関係者との連携と引き継ぎが大切。(復旧後の医療を尊重)。病診連携、病院薬剤師と開局薬剤師の連携が重要。【薬剤師】

・参加する側が災害対策をきちんとする。【薬剤師】

・阪神地震で倒れた小学校の大きな金庫の上で寝たこと。【薬剤師】

・思ったほどは動けなかったです。というか、基幹病院での調剤補助でした。【薬剤師】

・支援物質は数知れない状況でしたが、医師、看護師、事務の方々と出向き、薬局の立ち上げに皆で協力したことが、今でも鮮明に記憶しています。【薬剤師】

・私が参加したのは急性期を過ぎた後だったので(震災2カ月後の避難所)災害医療というよりは、人員の足りない薬局にお手伝い、という感じでした。(もちろん診療や薬の使い方などは平時と違っていましたが)いろいろな地域からいらした方々と一緒に仕事をさせていただく形になり、同じ薬剤師でも地域や職種によって仕事の仕方が違うな、ということは強く感じました。形ができ上がったところへの派遣でしたので、他の職種の方との役割分担や情報共有などに苦労は感じませんでしたが、急性期の派遣だと、そこは大きな課題になると思います。【薬剤師】

・自分の力を試されるので、シビアです。でも、非常にやりがいを感じました。【薬剤師】

・津波に襲われた街は、人通りもなく、音のない世界の広がりに心が苦しく感じた。【薬剤師】

・避難所では、紙ベースのお薬手帳が有用。電子版は役に立たない。【薬剤師】

・避難所の独特の雰囲気が忘れられません。【薬剤師】

・薬剤師にはできることが少ない【薬剤師】

・余震が激しくはっきり言って怖かったが、貢献できて良かった。【薬剤師】

【歯科医師】

・ありすぎますが、一番腹が立ったのは、派遣で来た医師が「普通に働いていれば何倍もの収入なのにボランティア(有償ですけど)で来てやったんだ」という態度だったことですかねえ。まあ、地域も違えば常識も変わるのですが、自分の地域、自分の病院の常識を押し付けてくる人がいて、困るのはいつものことです。きちんと説明すれば理解してくれる人も多いですが、心が疲れます。【歯科医師】

【看護師】

・先ず驚いたことは日常の医療を実践しようとする人が多いこと!!「目に見える身体の損傷ではなく心を~」と言う医療者が多いが、誰かれ構わず押し付けているような場面が見られた。そばに寄り添って見守ることの難しさを学んだ。不眠不休も否めないが、やはり休息が足りない人は適切判断ができていないし、言ってはいけない言葉を発することが多い!!【看護師】

・全国から色々な医療チームが支援に当たるので、各支援場所などでスムーズな活動ができる体制は重要であると感じた。経験上、日赤のリーダーシップはすばらしかった。【看護師】

・地元である新潟中越地震の時に職場が都内だったので単独で参加しました。地方が実家で都会に出て働いている医療従事者は多いと思います。そういう方こそ医療ボランティアに最適なのではと感じました。【看護師】

・日本人だけじゃなく、海外の方も多くいたので、対応が難しかったという印象があります。【看護師】

・災害医療は各チームが決められた範囲を担当しますが、もう少しその垣根を越えられるシステムが必要な時があります。少数でも良いと思いますが、広域に活動できるチームが必要だと思います。短期間の派遣ならば、時には先に入っている医療チームのケアも行う必要があります。被災者だけが対象ではないことも知っておくべきだと思います。【看護師】

・現地の被災者の方がしっかりしており、逆に勇気づけられた。人間の強さを知った。【看護師】

・被災地のことを良く知っている人が、チームのリーダーになって住民の特性に合った支援が出来るように最初の指導者を選ぶべき。支援者のマナーや精神の教育が徹底されていることが重要。被災者の気遣いと本心が見抜けないと、支援の食料等を平気でどうぞの一声でいただいてしまったりすることがあり、被災者は自分たちは食べなくても若い支援者の方が活動しているのでおなかがすくだろうと考えてしまって、貴重なおにぎりをついどうぞと若い人に差し向けたりすることがあった。それをリーダーがしっかりと教育して認識を変える状況にすることが大切である。水やトイレの使用、入浴等にも通じることである。入れ替わる支援者のこのような認識を教育する人が重要である。【看護師】

【その他の医療従事者】

・東日本大震災の時、情報が錯綜していたため、派遣直前に刻一刻と派遣先や形態が変わったり、依頼が来たり取りやめになったりを繰り返した。だから何という話だけど、そんな印象。【その他の医療従事者】

・東北震災発生から8カ月経過した時に支援に行った。幾分か住みやすい状況になっているかと考えていたが、瓦礫や壊れた建物、壊れた車などがあったこと。今でもまだまだ復興には程遠い状況かと思うが、このような災害を軽く見ていた自分が恥ずかしかった。【その他の医療従事者】

・福島県郡山市で放射能スクリーニング検査の支援を行いました。支援2日目にある方から「今日の料金はおいくらですか?」と聞かれました。スクリーニング検査はお金を頂くものではありません。どうやら大勢並んでいる先の方で、測定料金と偽り詐欺を働いている集団があったようです。対策本部にはすぐに伝えましたが、今回の熊本-大分地震でも窃盗団が動いている様子です。医療チームにはそこまではできないにしても、そこを何としても守ってあげたい気持ちです。【その他の医療従事者】



https://kumanichi.com/news/local/main/20160506010.xhtml
阿蘇立野病院が閉院へ 裏山、土砂崩れの危険
2016年05月06日 熊本日日新聞

 熊本地震で被災した南阿蘇村立野の救急指定病院、阿蘇立野病院(上村晋一院長)は6日までに、敷地周辺が土砂崩れの危険があるとして閉院を決め、入院患者71人全員を県内9カ所の医療機関に移した。南阿蘇地域(南阿蘇村、高森町)で唯一の救急、入院を受け入れる病院がなくなるため、同地域の医療体制に重大な影響を及ぼすのは必至だ。

 病院を経営する医療法人社団順幸会によると、立野病院は4月16日未明の本震で崩落した阿蘇大橋の西約500メートルの国道57号沿いにあり、病床数は88床。病院施設が停電や断水したほか、人工透析などの医療機器が破損した。

 通院患者は村内にある系列のクリニックで診療。閉鎖に伴い、常勤医師や看護師らスタッフ約180人を解雇する。同村河陽にある系列の特別養護老人ホームに、5月中にも在宅医療に特化したクリニックを新設する方針という。

 立野病院は1979年に開院し、年間約300人の救急患者を受け入れてきた。閉院によって、村内の医療機関は内科、小児科など入院できない民間クリニック4施設のみとなり、救急搬送先は阿蘇市や山都町の指定病院に変わった。

 上村院長は「立野病院の裏山の斜面は危険な状態で、閉院はやむをえない。救急や手術は対応できないが、地域医療を担う責任は今後も果たしていく」と話している。(藤山裕作)



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/243572
熊本市民病院の再建後押し 国がほぼ全額負担へ
2016年05月07日 03時05分 西日本新聞

 熊本地震で損壊し、熊本県内に2カ所しかない総合周産期母子医療センターを含め、入院診療ができなくなった熊本市民病院(同市東区)について、政府は再建費用のほぼ全額を国費で負担する方向で検討に入った。費用の3分の2を厚生労働省の補助金、残りの大部分に地方交付税を充てる案が軸。再建の時期や方法、費用などについては、市側の意向を踏まえた上で厚労、総務両省で詰める。

 両省によると、厚労省の補助金は、激甚災害指定によって国の補助率が2分の1から3分の2に上がる「医療施設等災害復旧費補助金」を活用。残りは地方交付税と、病院が発行する災害復旧事業債で賄うことを検討している。その場合、再建費の約8%が市側の負担になるという。

 同病院は1946年開院。79年完成の南館が耐震基準を満たしていないため市は建て替えを決め、2015年度に着工予定だったが、資材費や人件費の高騰などで建設費が当初想定の133億円から209億円に膨らんだため、16年度以降に着工を延期していた。

 2日に熊本市を訪れた高市早苗総務相は、大西一史市長から同病院の再建支援要請を受けた後、記者団に対し「(病院に)新たな機能を付与することになれば、財務省との折衝を含めて精いっぱい応援する」と語っていた。

 同病院の周産期母子医療センターは、早産などのリスクが高い妊婦や重病の新生児を受け入れている。今回の被害で、こうした妊産婦や新生児が年間150人近く、福岡など県外への搬送を余儀なくされるとの試算があり、九州全域の周産期医療への影響も懸念されている。


  1. 2016/05/07(土) 05:53:04|
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