Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月28日 熊本震災関連 

https://www.m3.com/news/general/420691
避難所7人に1人がエコノミー症候群の疑い
2016年4月28日 (木) 読売新聞

全員が女性…新潟大調査

 熊本県を中心に相次いでいる地震で、避難所で過ごす被災者の7人に1人が肺塞栓症(エコノミークラス症候群)の疑いがあることが新潟大学の 榛沢はんざわ 和彦講師(心臓血管外科)らの現地調査で分かった。車中泊による発症が注目される中、避難所でもリスクが高まっている実態が浮き彫りになった。榛沢講師は数時間おきの歩行や弾性ストッキングの着用などによる予防を呼びかけている。

 エコノミークラス症候群は、脚の血管に血の塊(血栓)ができ、血流に乗って肺の血管を詰まらせる。呼吸困難などで死に至るケースもある。

 榛沢講師らは19~21日、熊本市や益城町の避難所6か所で、声をかけて同意が得られた79人に、脚の超音波検査や症状の聞き取りを行った。その結果、14%の11人で血栓が見つかり、エコノミークラス症候群の疑いがあると診断された。全員女性で69~87歳だった。呼吸困難や胸の痛みを訴える人もいた。車中でなくても長期間動かないでいると発症しやすいという。

 榛沢講師によると、食事が温かい、トイレが清潔など避難所の快適性が高いほど、被災者に活動する意欲がわき、発症のリスクが下がる。簡易ベッドの導入も活動を促すのに有効だとして、「被災者が過ごしやすい環境作りが重要」と指摘する。



https://www.m3.com/news/general/420699
震災関連死、拡大の恐れ 仮設建設へ行政始動 復旧進む交通網
2016年4月28日 (木) 共同通信社

 震度7を2回観測した熊本地震は、最初の揺れから28日で2週間。交通網は着実に復旧する一方、避難生活は長期化の様相を見せる。続く余震への恐怖と疲労で体調を崩す被災者は後を絶たず、心のケアと安全に暮らせる住まいの確保が急務だ。

   ×   ×

 14日に始まった一連の地震で49人が死亡、1人が行方不明になった。震度1以上は900回を超え、27日午後現在の避難者は熊本、大分両県で計約3万7千人と、約18万人だったピーク時の約2割に減った。16人に震災関連死の疑いがあるとされ、避難所生活や「車中泊」の長期化でさらに増える恐れがある。

 1万棟以上の住宅が全半壊した熊本市では、約2万人が避難生活を続ける。自宅が損壊していなくても余震への警戒から避難所に身を寄せたり、車中で寝泊まりしたりしているためだ。損壊家屋が5千棟を超える益城町では約6千人、土砂崩れが集中した南阿蘇村でも約700人が避難する。

 18日には車中泊をしていた熊本市の女性(51)がエコノミークラス症候群で死亡した。共同通信の調査によると、同症候群と診断された患者や疑いがあるとされた人は97人以上。南阿蘇村の避難所でノロウイルスの集団感染が発生するなど、感染症の拡大も懸念される。

 政府は熊本地震を激甚災害に指定し、被災自治体への財政支援を本格化。約3千戸分の仮設住宅資材も確保した。益城町は2千戸の建設を目標に候補地選定を進める。熊本市は公営住宅の入居者募集を始め、他県でも受け入れの動きが相次ぐ。

 ライフラインは回復しつつあるが、一部地域で完全復旧の見通しが立たない。停電は最大約48万世帯に上ったが、送電線の復旧や発電機車の使用により全域で解消。西部ガスは供給を停止していた約10万世帯のうち、6万世帯以上の復旧作業を終えた。益城町や南阿蘇村などでは断水が続く。

 交通網の復旧も着実に進む。九州新幹線は、最後まで不通だった熊本(熊本市)―新水俣(熊本県水俣市)の修復工事が完了。27日午後、博多(福岡市)―鹿児島中央(鹿児島市)の全線が開通した。

 物資輸送の要となる九州自動車道は、植木インターチェンジ(IC)―嘉島ジャンクションを残し開通。植木IC―益城熊本空港ICは緊急車両や高速バスに限り、通行できるようになった。

 ボランティアの受け入れも始まった。熊本県の12市町村がボランティアセンターを開設。熊本市や益城町では、全国から集まった人が支援物資の仕分けや家屋内の片付けなどに当たっている。



https://medical-tribune.co.jp/news/2016/0428503404/
方言学者らは語彙集で熊本支援!
熊本支援方言プロジェクト

医療の現場レポート | 2016.04.28 18:30 Medical Tribune

 今回の熊本地震を受け,福岡女学院大学人文学部メディア・コミュニケーション学科教授の二階堂整氏,弘前学院大学文学部准教授の今村かほる氏,高知大学教育学部准教授の岩城裕之氏は「熊本支援方言プロジェクト」を立ち上げ,方言支援ツールの作成と公開を行っている。4月23日には「熊本県方言身体語彙図」と「医療福祉関係方言語彙集」を公開,各地から支援に入る医療・福祉関係者やボランティアの利用を想定している。

被災地での方言コミュニケーションを支援するツールを公開

 さまざまな地域の医療者が被災地に赴く際には,意外な問題が浮上することがある。「お年寄りの言葉が分からない」という問題もその1つだ。方言学者らによる災害派遣医療者などへの方言コミュニケーション支援ツールの開発は,東日本大震災を契機に急速に進んだ。方言研究者による長年のフィールドワークに基づく方言語彙データの蓄積と,医療・福祉関係者の連携によって,2014年には47都道府県の方言支援ツールが公開されるに至っている(今村かほる方言研究チーム 方言支援ツール)。今回公開された熊本方言支援ツールはそのデータを活用したものだ。熊本県の方言は東部・北部・南部の3つに分かれるため,それぞれの語彙集を公開する予定。

 「方言身体語彙図」は,甚大な被害を受けた阿蘇市など熊本東部では,体を"ゴテ,ゴチャー,ゴタイ",妊婦を"コモチ,ミモチ"と称するなど,身体部位に関する基本的な方言を集めたもの。A4サイズの紙に印刷したり,タブレットなどの電子媒体で携帯するだけでなく,避難所など支援者が交替する場所ではポスターとして掲示,記載のない方言を追記するなど,次の医療者・支援者への情報伝達としても活用できる。

 「医療福祉関係方言語彙集」は,感覚や感情,動作,程度や頻度,病気や症状,人間関係,挨拶や声かけに関する語彙と特徴的な文法などを記載している。同プロジェクトによれば,まずは発災後1カ月程度の段階で医療・福祉関係者が直接,被災者とコミュニケーションを取る際の助けとなる語彙を中心に公開しているが,今後は被災地からの要望などを反映し,順次改訂・更新していくとしている。

情報掲載先(ダウンロード先)
・福岡女学院大学HP:http://www.fukujo.ac.jp/university/other/hougenpjt.html
・今村かほる方言研究チーム医療看護福祉と方言HP:http://hougen-i.com/
・岩城裕之HP 方言楽の館:http://ww4.tiki.ne.jp/~rockcat/
・弘前学院大学公認フェイスブック 弘学レポート:https://www.facebook.com/hrgk240/

問い合わせ先
熊本支援方言プロジェクト
kumamotoshien@ukujo.ac.jp

福岡女学院大学人文学部メディア・コミュニケーション学科事務室
TEL 092(575)6450
受付時間 9:30〜12:00,13:30〜17:00



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/tuusin/201604/546731.html
崎長ライト、熊本へ(その2)
指令、ノロキットを受け取り阿蘇へ

崎長ライト
2016/4/28 日経メディカル

 災害医療支援チームのリーダーとして熊本に入った崎長ライト氏。初日は熊本県庁から阿蘇へ向かいます。(編集部)

 このたびの熊本の地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
 このコラムは医療情報や被災情報を正確に発信するという性格のものではなく、被災地での医療支援で起こったこと、見聞したことを「崎長ライト」という物書きの視点で描くものです。完全なノンフィクションというより脚色を含んだ物語です。災害医療を将来担う若い医師や医学生の役に立てば幸いと思い、書いております。
 第1話も多くの医療者の方々に読んで頂いたようです。熊本でも数名の医療者の方に「読みました」と言われ、好意的に捉えていただいたようです。「災害医療は功名を競うものではない」とご批判する方もいると思いますが、「続きを読みたい」という読者も多数いるようですので、継続いたします。なお、文中敬称は略しました。


 指令。「ノロキット」を熊本県庁で受け取り、阿蘇へ。
 2016年4月24日土曜日早朝、長崎大学災害医療支援チーム第1班からの指令で、僕たちは島原からフェリーに乗り、熊本へ到着。陸路、県庁に向かっていた。僕たちというのは、内科医2名、看護師2名、事務1名の長崎大学災害医療支援第2班。DMATではない。
 DMATとは、「災害急性期に活動できる機動性を持った、トレーニングを受けた医療チーム」であり、第1話で報告した災害医療のプロの集団で、人命救助を目的としている。事態が少し落ち着いてくると医療支援チームが派遣される。
 医療支援チームはどちらかというと、慢性疾患の患者さんに接している内科系の医師が多いと思う。災害発生から1週間くらいたつと、やはり日頃の持病や精神面へのケアが必要な人が多くなるようである。

 熊本県庁に着くと、玄関はものものしい雰囲気であった。
 災害時にはこういうものか……と思ったが、白バイに黒塗りの車、バス。ちょっと変だ。後で分かったことだが、ちょうど安倍首相が訪問していた時間だったようだ。僕らは、報道陣やSPたちが集まる玄関の脇を、ジーンズやシャカパン姿で恐る恐る通る。水田芳博がささやく。
「ここで、不審者と間違われて捕まったら、看護部長から怒られるだろうな~」
 皆、笑いをこらえて肩が震える。水田はチームのムードメーカーで、緊張している僕らをいつも和ませてくれる。長い移動の中で、何度も爆笑させてくれて、皆、元気を出すことができた。彼はICUの中堅看護師だ。生と死の瀬戸際であるICUで働くからこそ、人をリラックスさせるすべを水田は自然と身に着けているのかもしれない。彼のおかげで、怒涛のような3日間を、(不謹慎ではあるが)楽しく頑張れたと思う。

 県庁の8階へ向かう。
 エレベーターが使用できないということで、8階まで階段を昇る。息が切れる。若いメンバーは、どんどん登ってゆく。支援チームのメンバーがここで倒れたらシャレにならないなと思いながら、休み休み、なんとかたどり着いたが、探しているノロキットはない。いろんな人に聞いて、さらに時間が経つ。
「ノロキット探して、ノロノロだなあ~」
 沈黙。
 僕のおやじギャグには誰も笑ってくれない。唯一、間をおいてクスっとしてくれたのは、紅一点の久志(ひさし)愛美。彼女は五島列島出身の3年目看護師だ。水田と同じICU勤務。まじめで一生懸命に何でもトライする。いいメンバーが来てくれた。
 言わずもがなかもしれないが、ノロとはノロウイルスのこと。その感染をチェックする簡易検査ツールをノロキットという。こちらでは、皆「ノロキッド」と呼ぶが、九州独特なのだろうか?
 思えば、このときはまだ冗談を言う元気があった。まさか、「ノロ」のおかげで冷や汗が止まらないくらい大変な事態が待っていようとは……。いや、冷や汗どころではない。翌日は僕の人生の中で最も長い一日が訪れることとなる。

 とにかく、県庁ではノロノロで、早く現場に入りたいという焦りが少し出てきた。結局のところ、間違った建物に入りこんでいたらしく、目的とする部署は別の棟だった。
 熊本県医療救護支援本部。
 熊本市街が見渡せる角部屋にあり、20~30人の関係者がいたが、落ち着いた雰囲気であった。長机の上にパソコンを開いて黙々と仕事をしている。おそらく、数日前までは慌ただしかったのだろう。マジックで手書きの模造紙があちらこちらに貼られている。熊本の地図がいくつもある。正面のホワイトボードには、手書きの組織図があった。指揮命令系統がわかる図だ。
 医療コーディネーターをトップに、救護班管理、搬送班、記録、連絡、受付、各団体(日赤、医師会)、小児・周産期……などの下部組織がある。さらに、救護班管理の下、熊本市、御船保健所、阿蘇保健所、菊池保健所が地区別に分かれていた。
<なるほど、しっかり管理統制されているんだ。災害医療支援というのは…>
 これが今回の任務に対する僕の最初の印象。そして、最後の印象もこれだった。
 この図を見ると、僕らは阿蘇保健所の管理下のチームというわけだ。


災害医療支援では裏が表

 受付にチームを登録すると、いくつかの資料をもらった。活動日報(電子ルートで本部へ送る)、熊本市から阿蘇への進入ルート、災害診療記録の解説、医療救護班健康管理シート。
<なるほど、自分の健康もしっかり管理しなければならないのだな>
 今回の派遣では、5年前の派遣と比べて、「なるほど」と感心させられることが多かった。単なる一臨床医としてそう感じたが、災害医療関係者や行政など様々な方々の反省と努力の成果なのだろう。
 ふと外を眺めると、市街地にはブルーシートをかぶせた屋根が目立つ。雨がひどくならなければいいのだが。


 僕たちは、まず熊本大学病院へ向かった。
 第1班は宿泊するところがなく、熊本大学病院のご厚意にて、会議室の一室に泊まらせて頂いたようだ。会議室から寝袋やヘルメツトや食料を積んで、阿蘇へ向かった。道はそんなに渋滞はしていなかったが、途中途中、がけ崩れなどで通行止めがあり、すんなりと行かなかった。(後から聞くと、渋滞は結構していたとのこと。寝てしまった僕が気づかなかっただけらしい)

「ここを右に」。森良孝は、地図が読める内科医だ。
 代謝内科が専門だが、臨床でも何でも器用にこなす。長崎大学の関係者全員が閲覧できるWeb上の行動記録(なぜか名前がWebノロ)に森は詳細に入力してゆく。
「森先生は何でもできるね~」
「先生から、先生と呼ばれると変な感じですね」
 もう10年以上前のことだが、森が研修医の時に長崎医療センターの総合診療科で教えたことがある。優秀だった。どちらかというと体育会系のガンガン働くタイプだったように記憶しているが、繊細さも身に着けたようだ。今回はこのチームの責任者は僕だが、実質上は森君が仕切っていた。
<ほんとに成長したなあ~。もうオレの出番はないな>
 ほくそ笑みながら、うつらうつらしていると、ゴツンと車が浮き上がる。

「お尻が重いですね~」
 長身で、いま風の好青年、運転手の出来(でき)隆博が爽やかに言う。
 チームには、必ず事務方が入る。運転に長崎本部との連絡、阿蘇での宿泊の手配、物品の手配や搬入、記録にお金の支払い……。いわば裏方業務だが、この裏方業務が「表業務」となるのが災害医療支援だと、僕は今回つくづく思った。
 DMATが人命救助をする場面は災害の超急性期であり、劇的でニュースやドラマになるのだが、その後の支援は、被災された方々の日常に対するケアやサポートという、地味で地道なものだ。その地道な支援では、膨大な事務量が発生する。
「出来君、さすが、できるね~!」
 この支援の旅で、何度もメンバーからそう言われるほど(半分、いじられている?)、出来はテキパキと仕事をさばいてくれた。運転、パソコン入力、電話連絡、荷物運び……。今回、このチームで最も働いたメンバーは僕ら医療者でなく、間違いなく事務方の彼だ。
「おっと、また、揺れますよ」
 出来はハンドルを何度も何度も切り、揺れながら山道を行く。支援チームというものは基本的に自己完結が求められる。自分たちの安全を確保し、食料や水や寝る場所も自分で確保しなければならない。3日分の食料、水、食器、ヘルメット、ライト、薬、ごみ袋……と荷物が多く、車のお尻が重くなる。

第1班からの引き継ぎで初日は暮れる

 車は阿蘇に入った。
 阿蘇大橋が崩壊しているため、外輪山沿いに大きく迂回する。長崎の小学生の修学旅行の定番は、熊本市内と阿蘇である。僕らメンバーはそれぞれ、修学旅行や医局旅行、恋人と、家族と、何度も阿蘇に来たことがある。毎回感動だった広い草原と山々の大パノラマに、今日は雲が垂れこめ、小雨で濡れている。今までの美しい風景と違って見えるのはなぜだろう。暗くなってきた。何度か、第1班から連絡があり、僕たちの位置を知らせる。急がなければ。

 ようやく到着した阿蘇医療センター。
 幸いにも、昨年6月に新しく建て替えられていたようで、最小限の被害で済んだようだ。1階の正面玄関の右側の広いスペースが阿蘇の医療支援の本拠地、事務局となっているようだ。

 第1班はセンターの入り口で待っていてくれた。
 3日間、寝袋で寝て、食事は非常食。熊本市内を飛び回り、最終的には阿蘇へ拠点を置くように道筋をつけてくれた精鋭部隊である。災害急性期から亜急性期、現地への支援チームが2~3日単位で入るのは当然なのだろう。過酷な状況や緊張感で張り詰めた環境で、集中力はそれくらいしか続かない。彼らの顔を見てそう思った。疲労感と達成感のいりまじった表情だった。
 事務連絡、荷物の引き渡し、カルテの使い方などを教わると、日は暮れていた。

「写真を撮ろうよ」
 躊躇する彼らを促すのは、最年長の僕の役目だ。きっと、いつかは役に立つと思う。後に続く人のために、記録は必要だ。集合写真を撮るときはいつも、ガッツポーズや笑顔を求めるのだが、さすがに言える雰囲気ではなかった。
 第1班を見送った後、僕らは何か手伝おうとしたが、事務局は忙しそうでばたばたしており、話しかけることも憚られた。とりあえず、実質のリーダーの森君が事務局へ登録に行った。既に20チーム以上が登録されていたようだ。上下のかっこいい災害スーツに身を包んだチーム、「DMAT」と光るベストを身に着けたチームが、それぞれの病院や団体の名前を背負って忙しく行き来していた。精鋭の第1班から引き継ぎを受けた僕ら「ゆるゆる」の第2班は、気後れして部屋の隅に固まっていた。

「大丈夫ですかね、わたしたち」
 久志が不安そうにつぶやくと、水田が明るく答える。
「まっ、下々の者は言われたことをやるだけさ」
 森が受付から帰ってきた。
「今日はもう遅いから、仕事はないみたいです。撤収。明日、7時半集合」
 やる気満々で来た、若いメンバーはがっかりしたようだが、僕は正直、ほっとしていた。この事務局の熱気についてゆく自信が、この時はなかった。一度クールダウンした方がいい。

「宿へ向かおう」
 僕は若いメンバーにこう告げた。
「えっ、宿ですか? ここで、寝袋で寝るんじゃないですか」
「そんなことしたら、この病院の人に迷惑だろう。それに、近くの施設は避難所になっている。第1班が、小国に見つけてくれた宿がある」
「なんか、後ろめたい気持ちもあります」
「そうだろうけど、宿でお金を使うのも復興支援になると思うよ。普通のお客さんはすべてキャンセルだから、支援の人が泊まってやらないと」
 今、観光客のキャンセルは熊本だけでなく、九州各地で起こっている。長崎と熊本は修学旅行のパックになっているが、今週だけで長崎県内のキャンセル数は数万人に及ぶと言われている。熊本はその比ではないだろう。
 僕たちは第1班から引き継いだ荷物を積み、さらに重くなったセレナで、中阿蘇の山道を闇の中、北上した。


  1. 2016/04/29(金) 06:06:17|
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