Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月14日 3.11震災関連

https://www.m3.com/news/iryoishin/406044
シリーズ: 東日本大震災から5年
病医院の経営、岩手県で「悪くなった」が4割◆Vol.9
「ベッドの稼働率が悪い」「患者は来るが職員不足」

医師調査 2016年3月14日 (月)配信高橋直純(m3.com編集部)

Q 震災前と比べて、2016年時点の勤務先の経営状況に変化はありますか。
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 勤務先の経営状況を尋ねると、岩手県で「悪くなった」が40%となり、23%の宮城県、34%の福島県より高かった。「良くなった」と答えた医師も、岩手県は宮城、福島両県の半分以下にとどまった。

■病医院経営についてのコメント
【岩手県】

・行き場のない高齢者が増加し、急性期の患者の対応に苦慮している。

・明らかに悪くなった、と経営陣はデータを出してくるが、忙しさから考えると納得いかない。当科単科だけでは売り上げ状況は悪化してないが、全体的に右肩下がりなので、残っている医師に圧力がかかる。理不尽であると感じる。この4年間(昨年の春の時点で) 給与もまったく上がらない。がんばりに答えるべくニンジンもぶら下がっていないばかりか、学会出張などを制限したり、出張旅費の大幅カットがなされた。有給を取ったら休むなと怒られた。明らかなパワハラ状態である。

・患者数減少が収益低下をもたらした。

・外来人数と入院人数が総体として減少傾向にあり、それが経営の現実を示しているのではと考えています。

・医師不足のため、収支均衡が達成できていない。

・集計を見ると悪くなっています。

【宮城県】
・一人の医師がやる気を出さなくなり、経営も悪くなった。

・入院数の減少による収入減少。

・患者数は増加しているが、診療報酬改定と消費税が経営に悪影響。

・医療需要の増大に対する設備拡充、人員拡充などの投資が増えたが、それに見合うだけの収入が増えているわけではない。
・受診患者が減っているので、相対的に収益も減少。

・一度良くなった後、落ち込んだ。

・患者数が減ったこと、それと診療報酬の問題もあり、どちらがどの程度経営悪化に関与しているかはよく分からないが、悪化していることは確か。

【福島県】
・ベッドの稼働率が悪い。

・患者は来るのに医師も含めた職員がいないのでこなしきれず、医療費の改正もからみ、結局いくら頑張っても赤字。需要は無視して赤字部門を廃止し、黒字になるもののみを続けないと、確実につぶれます。

・自己負担の踏み倒しが激増しています。

・現在県や東京電力からの補助金でとんとんの状態であるが、無くなると経営が悪化する。

・入院患者数が減った。

・復興のために借金がかさみ、公的な支援もあまりなくなり、いよいよ厳しい経営状態である。

・医師数が少なくなっているのが、大きな問題です。2015年までは震災特例で、医師必要数の90%を満たせば、標欠を免れてきました。しかし2016年になると震災特例の有効期限がきれます。定数を満たすことができないと、保険点数の90%しか支払いを受けられません。年間20億円の病院だと、黙っていても2億円の収入減となります。かといって、年俸5000万円で医師を招聘することもできません。八方ふさがりです。

・年間医療費が1兆円ずつ自然に増加するそうで、診療報酬が削られるが経営は良くて横ばいで、毎年若干の減収になっている。増えている分はどこの誰が儲けているのかさっぱり分からん。真偽さえ分からない。

・医師数が減少する中で、より多くの患者数を診療するのは困難であり、病院の自助努力だけでは限界がある。地方の病院は、総じて厳しい状況にあり、どこも厳しい。

・いろいろ補助も出ていろいろ機械も買えました。

・大震災後に黒字化した。

・マンパワーが減っているのに、業務量は変わらずまた増加。給与は減るが、業務は増え、スタッフはやめて行き、悪循環。



http://www.minyu-net.com/news/sinsai/sikisya05/FM20160314-057334.php
震災5年インタビュー・識者に聞く 【震災・原発関連】
【震災5年インタビュー】福島医大理事長・菊地臣一氏 新たな医療モデル構築

2016年03月14日 福島民友新聞 

 きくち・しんいち 石川町出身。福島医大医学部卒。県立田島病院長、同大整形外科学講座教授、医学部長、副理事長・付属病院長などを歴任。2008年から現職。日本脊椎脊髄病学会理事長も務めた。専門は脊椎・脊髄外科、整形外科学。69歳。


 東日本大震災と原発事故から5年の節目に、福島医大の菊地臣一理事長に県民の健康維持や医大の役割などについて聞いた。菊地氏は、原発事故の避難などに伴い悪化した県民の健康指標の改善を急ぐべきだと強調。また、大勢の作業員が働き、避難先から住民が帰還してくる双葉郡について「少子高齢化社会のモデルとして世界に発信できるような医療システムを構築すべき」と訴えた。(聞き手・編集局長 菅野篤)

 ―県民の現在の健康上の課題は。
 「震災、原発事故直後よりも現在の方が深刻だ。(心筋梗塞や脳梗塞の死亡率などの)健康指標が都道府県で最下位レベルとなっている。県民は原発事故に伴う避難などで事故前と異なる環境に置かれることになった。これにより、体を動かさないことと心に不安を抱えていることが大きな問題となり、健康指標に影響している。放射線による健康影響といった問題よりもはるかに深刻だ。健康指標の悪化は本県自体のイメージ悪化にもつながる。全力で改善に取り組まなければならない」

 ―(リハビリテーション治療や運動療法を担う)理学療法士や作業療法士らを養成する新学部設置が決まった。
 「健康のために最も良いことは体を動かすことだが、県内にその専門家が少ない。急速に悪化した健康指標は短期間なら戻せるが、長く続いてしまえば戻せない。県は5年後の2021(平成33)年4月に設置する方針だが、それだと震災、原発事故から10年経過することになる。遅すぎると思う。一日も早く設置するべきだ」

 ―双葉郡の2次救急医療体制の整備に向け、4月から福島医大に拠点が設けられる。
 「廃炉や除染に当たる大勢の作業員が安心して働けるようにするとともに、避難先から戻った人の健康を守る必要がある。作業現場での事故に対応する救急医療が求められるし、帰還する人は高齢者が多いとみられており、医師が患者を訪ねる在宅医療も必要になる。それなら、救急と在宅医療の両方の機能を備えたハイブリッド型の医療機関をつくればいい。大学に医師を集め、ローテーションで双葉郡に勤務してもらう。こうした医療システムは、少子高齢化社会の新しい医療のモデルとして世界に発信できると考えている」

 「健康影響」適切に発信

 ―放射線の健康影響をめぐっては、この5年でさまざまなデータが蓄積された。しかしデータに基づいた理解が浸透していない面があり、中には全くデータに基づかないデマも流布されている。放射線のリスクコミュニケーションの重要性は高まっている。
 「それは今後の最大の課題だと思っている。福島医大として反省もある。医療は基本的に『個』対『個』で行われるが、放射線の健康影響についての広報は、対『集団』という構図になりがちだった。例えば甲状腺がんと診断された人、家族がどんな思いを抱えるか。われわれ医療者だけで考えていると、そうした相手の状況が見えなくなるケースがあった。われわれは反省しなければならないが、そもそも日本にリスクコミュニケーションの専門家が少なく、育成しなければならない」

 「プロのわな」注意必要

 ―大学としての情報発信の在り方は。
 「『プロのわな』に気を付ける必要がある。大学の研究者は論文を出してはいるのだが、県民や国民に理解してもらえるような論文、つまり新聞に取り上げてもらえるような論文は必ずしも書けていない。専門家として完璧を求めるあまり、相手が見えなくなるという『プロのわな』にはまっている」

 ―岡山大の教授が、本県で見つかっている子どもの甲状腺がんの多くは被ばくで発症したものだと主張する分析結果をまとめて論文として発表している。
 「その論文の誤りを指摘する反論のペーパー資料を出し、学術誌の電子版に掲載された。その論文は専門家から見れば噴飯ものの内容だが、論文は『出したものが勝ち』という面もあり、こちらからも論文を出していかなければならない。以前のような狂騒的な状況はなくなったものの、今でも偏った意見が専門家の中から出てくる。われわれは科学の土俵で闘わなければならない。何もかも分かったように発言する人もいるが、原発事故を受けて実施している甲状腺検査は世界で初めての取り組みなので、甲状腺がんが(他の地域と比べて)多いかどうか誰も判断できず、今ようやく『放射線の影響ではないと思われる』というところまで来ているが、まだ手探りの状態だ。手探りであるということを分かりやすく伝える努力が、われわれに求められている」

 ―ふくしま国際医療科学センターの建物が年内に完成するほか、新学部の設置が予定されるなど、福島医大の組織は急速に大きくなっている。
 「医大のそれぞれの事業を監督、運営する人材が足りないのが課題だ。確かに組織も予算も巨大化しており、これを管理する行政のプロがさらに必要だ」

 ―福島医大が長期にわたり県民の健康を守っていくには、国の長期にわたる関与が欠かせない。
 「今は国から予算が来ているが、今後の運営経費をどうするか、めどが立っていない。国を引っ張り込んで、予算を継続してもらわないと駄目だと思っている。国の人材も必要で、すでに財務省や厚生労働省出身者に医大で働いてもらっている。原発事故の責任が国にあるといっても、その国と一緒に取り組んでいかなければどうしようもない。われわれの取り組みは、国のさまざまな政策の中の一つにすぎないのは分かるが、関与を継続してもらいたい」

 人生の扉は他人が開く

 ―福島医大で学ぶ学生、将来医学を学ぼうとする若い世代にメッセージを。
 「『人生の扉は他人が開く』ということを学生にはいつも言っている。努力は必要だが、努力すれば道が開けるほど、世の中は単純でも甘くもない。ただし、その努力をみて『何とかしてやろう』という人がいる。出会いは人生を豊かにし、別れは人を成長させる。人生の扉は他人が開くと信じ、愚直に努力を継続してほしい」



http://www.huffingtonpost.jp/masahiro-kami/fukushima-hospital-training_b_9456368.html
福島県浜通りの医療支援は、若き医師を成長させる
上昌広
東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門 特任教授
投稿日: 2016年03月14日 14時12分 JST ハフィントンポスト

東日本大震災から5年が経過した。私は福島県浜通りの医療支援を続けている。

私どもの研究室からは、これまで20名以上の医師が常勤・非常勤で浜通りの病院に勤務している。

今年も麻酔科医である森田麻里子医師が南相馬市立総合病院、血液内科医の森甚一医師がいわき市のときわ会常磐病院に就職する。

浜通りでの勤務経験は若者を成長させる。本稿では南相馬市立総合病院の初期研修医である山本佳奈さんをご紹介したい。

彼女は昨年4月から同院で初期研修を始めた。滋賀県出身で滋賀医大卒。大学時代から当研究室に出入りしていた。

当初、都立墨東病院での研修を希望していたが、マッチせず、悩んだ末、南相馬での研修を選んだ。

研修を始めた当初、彼女は不安だったようだ。そもそも研修医として社会に出るだけで大変なのに、縁もゆかりもない福島で働くのは相当なストレスだったのだろう。「辛いです。このままで大丈夫でしょうか。」と言うことが多かった。

ところが、彼女は大きく変わった。表情は明るくなり、自信をつけつつある。最近は「皆さんのお陰です。感謝しています。」と言うことが増えた。こうなると、周囲が彼女を応援し始める。仕事もできるようになる。

なぜ、山本さんは成長したのだろう。私は、さまざまな経験を積んだからだと思う。

彼女は産科希望だ。今年1月から4月まで産科を回っている。研修2年目も4ヶ月間、回る予定だ。

あまり報じられないが、南相馬市立総合病院では分娩数が急増している。震災前年間220件あった分娩数は、2011年度はゼロになった。12年度に再開し、12 年度93件、13年度167件、14年度183件と増加している。15年度は年間216件のペースだ。

これを診ているのは、産科常勤医である安部宏医師と山本さん、さらに福島医大から来る非常勤医師だ。山本さんの役割も大きい。外来、検査は勿論、分娩や帝王切開術も安部医師とともに立ち会う。経験数は通常の臨床研修病院より遙かに多い。経験を積めば、自然と実力もつく。

南相馬市立総合病院のもう一つの特徴は、金澤幸夫院長が「何でもチャレンジしてみよう」という方針を打ち出していることだ。

外科医であった根本剛医師は、震災後、在宅治療を専門とする医師に転身した。神経内科医の小鷹昌明医師は、専門分野の診療だけでなく、地域住民を対象として、「エッセイ講座」や「男の料理」教室などを定期的に開催している。

山本さんが力を注いだのは、文章を書き、発信することだ。これは大学時代から、彼女が力を入れてきたことだ。研修開始後も、朝日新聞の読者寄稿欄やハフィントンポストなどに文章が掲載された。

さらに、4月には光文社新書から貧血に関する本が出版される予定だ。約11万字の大作で、研修の合間をぬって文章を書いた。彼女にとって大きな「業績」となる。

若者には「旅」が必要だ。異郷で苦労を重ねることで成長する。東日本大震災から五年、浜通りは若き医師にとって格好の修業の場になりつつある。

*本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。



http://digital.asahi.com/articles/ASJ3F7D4BJ3FUBQU007.html?rm=1172
震災5年 透析施設を求めて
石川雅彦
2016年3月14日07時00分 朝日新聞

■被災10日後、心臓に異変

 2011年3月11日、宮城県南三陸町の三浦(みうら)徳一(とくいち)さん(66)は、海沿いにあった勤務先の建設会社の事務所で仕事をしていた。午後2時46分、大きな揺れに襲われたあと、すぐに我に返った。

 「必ず津波がやってくる……」

 外に出ていた普通トラックや乗用車を大急ぎで近くの高台に避難させ、自分も走って逃げた。

 町唯一の公立病院、志津川病院では、看護師らが入院患者らを次々と建物の上階へと避難させた。だが、津波は東棟(4階建て)と西棟(5階建て)のそれぞれ4階までを襲った。患者や看護師ら70人余りが犠牲になった。

 海の近くにあった三浦さんの自宅も流された。「あっという間に津波で根こそぎ持って行かれた」。最後の様子について、避難してきた近所の人からそう聞いた。

 徳一さんは町の総合体育館などで避難生活をしつつ、震災10日後の3月21日、山沿いにある妻、栄子さん(65)の実家にたどり着いた。その夜、異変が起きた。

 寝ていると、心臓を指でつねられるような痛みを感じる。15年ほど前に心臓発作を起こし、血管を広げるために「ステント」と呼ばれる小さな金属製の筒を埋め込んでいた。「また同じ心筋梗塞(こうそく)の発作だ」と直感した。急いで栄子さんに医師のいる近くの中学校の体育館に連れて行ってもらった。

 診察した医師は、問診だけするとすぐに救急車を手配した。震災直後で、周辺地域にある気仙沼市立病院や石巻赤十字病院はすでに患者であふれていた。医師の判断で、以前にステントを入れる手術を受けた仙台厚生病院(仙台市)に搬送されることになった。

 迎えに来たのは、兵庫県から応援で来ている救急車だった。岩手県の一関インターチェンジで、仙台市から来た救急車に乗り換え、病院に到着したときは、出発から3時間以上がたっていた。

 ただ、このときはまだ「悪いのは心臓。また、ステントでも入れるんだろう」と思っていた。まさか自分が人工透析患者になるとは、思ってもいなかった。

      ◇

 東日本大震災から間もなく5年。今週は、震災直後に人工透析患者となった男性の体験を振り返ります。5回連載します。


■病院転々、故郷離れる

 東日本大震災の発生から10日後、心筋梗塞(こうそく)の発作に襲われた宮城県南三陸町の三浦徳一さん(66)は、搬送先の仙台厚生病院(仙台市)で緊急の心臓手術を受けた。そこで思いがけず指摘された。「腎臓もかなり弱ってます」

 転院先の仙台社会保険病院(現・JCHO仙台病院)で、医師から詳細な説明を受けた。「腎不全が起きています。仮設住宅での不規則な生活やストレスがなければ、時間をかけて食事療法で治療することもできるのですが……もし、家族から腎臓がもらえるようなら、移植を勧めます」

 ログイン前の続きだが、徳一さんは「地震でみんなが生きるのに必死で苦労しているときに移植なんて考えられない」と思い、移植は受けないと決めた。残る選択肢は人工透析だ。

 準備として腕に、血液を円滑に体外循環させるための「シャント」と呼ばれる血管にバイパスを作る手術を受けた。心臓手術の直後ということもあり、入院しながら透析治療を受ける日々が始まった。だが、被災地では地震で透析施設が崩壊、透析に必要な清潔な水の確保も難しく、施設がどこも絶対的に不足していた。

 病院をさらに一度転院したが、症状が安定してくると転院を求められた。これから先、どこで透析を受けたらいいのか――。途方に暮れていたときに千葉市内に住む長男(37)が病院を手配してくれた。千葉市内にある千葉社会保険病院(現・JCHO千葉病院)だった。生まれ育った南三陸町から離れたくはないが、「震災を生き延びた命、大事にしないと」と思い直し、千葉へ向かった。

 千葉でも入院しながら透析治療を受けた。妻の栄子さん(65)は、長男の住む市内のアパートに寝泊まりしながら病院に通い、徳一さんの身の回りの世話をした。しかし、話し相手もいない慣れない都会生活は、栄子さんにとっては精神的にもつらいものだった。

 「地震で不自由な生活で、また地震が来るかもしれないけども、やっぱり海と山があるふるさとに帰りたい」。栄子さんの言葉を聴いた徳一さんも、もちろん、同じ気持ちだった。

 「苦労するとしても、故郷の南三陸町に戻って治療を受けよう」


■全壊病院、やっと「復活」

 東日本大震災後に人工透析患者となった宮城県南三陸町の三浦徳一さん(66)は2011年5月、千葉県の病院に転院した。しかし、「ふるさとで暮らしたい」という妻の栄子さん(65)の願いをかなえるため、地元周辺の透析施設を探すことにした。

 以前、治療を受けた仙台市内の病院を通して、病院を調べてもらったが、予想通り、なかなか見つからない。「病床が満杯」「新患は無理」。次々と断られ続けた。

 「千葉にいるしかないのか」と、あきらめかけたころ、故郷の南三陸町に近い、登米市立よねやま診療所から連絡があった。1床空きができたという。6月から通いで透析を受けることになった。

 受け入れが決まった直後、何度も入居申し込みに落選していた南三陸町の中学校グラウンドにある仮設住宅に当選した。心臓のほうも落ち着いてきて、震災3カ月目になってやっと、夫婦ふたりの生活に戻ることができた。

 透析は月・水・金曜日の週3回で1回4時間。仮設住宅を朝7時に出て、往復2時間以上の道のりを自らの運転で診療所に通った。

 「地元に帰れて、夫婦で住みながら、透析が受けられるだけでも、ありがたいと思わないとね」

 震災から3カ月たち、体調も戻ってきた。体重は80キロから60キロに減った。栄子さんも透析患者用の塩分控えめの食事づくりに慣れ、「震災以前より健康かな」と感じる日も出てきた。

 登米市に通って透析を受けて約4年半、15年12月に地元の町立病院、南三陸病院が開院した。震災時に津波で全壊した旧公立志津川病院の「復活」だった。

 新病院は鉄筋コンクリート造り3階建てで、町役場などが移設された高台の造成地に建った。宮城、岩手両県で全壊した六つの公立病院のなかで初の本格復旧だった。震災で人口が2割減った南三陸町にとって、新病院は町外に出て行った町民の「呼び戻し」に向けての悲願でもあった。

 南三陸病院で人工透析がスタートしたのは16年1月中旬。徳一さんを始め、それまで町外の病院に車で片道1時間から1時間半ほどかけて通っていた地元の人工透析患者たちが、次々と戻ってきた。


■「生きよう、友の分まで」

 宮城県南三陸町の三浦徳一さん(66)は、新しく完成した南三陸病院で人工透析を受け始めた。透析の日は朝8時すぎに車で自宅を出発、10分ほどで着く。

 「毎週月水金の3日間、計12時間。やらないと死んじゃうから、しょうがない。でも、透析を受けると『がんばって生きよう』とやる気が出るから、不思議だよ」

 最も気を使うのが体重管理だ。腎臓が機能を失い尿が出ないため、透析を受けた金曜日から次に受ける月曜日まで、普通に飲み食いすると5、6キロも増えかねない。食事や飲み物を注意深くコントロールする必要がある。

 今のいちばんの楽しみは、風呂上がりに飲むノンアルコール・ビール。体重管理のため350ミリリットルの缶を、妻の栄子さん(65)と半分ずつに分ける。お茶も1回に湯飲みに5分の1しか入れない。のどが渇くと、小さな氷の塊を口に入れる。食事は「極力の薄味」を心がけている。

 徳一さんについて、南三陸病院で透析を担当する櫻田(さくらだ)正寿(まさとし)院長(59)は「塩分を徹底的に管理して、体重を維持している。優等生の患者さんです」と話す。

 震災のときに勤務していた建設会社は、入院生活が続き、定年退職という形で辞めた。流された自宅の保険金や貯金などを活用して2014年11月、海が見える標高200メートルの高台に自宅を新築し、仮設住宅から引っ越した。

 15年11月、2人の子ども、4人の孫らが福島県のホテルに集まり、「結婚45周年パーティー」を開いてくれた。「ごちそうばかりで、ちょっと食べ過ぎたよ」。徳一さん21歳、栄子さん20歳で結婚して半世紀近くたった。

 「生きていると、時々いいことがあるんだ。ただ、生きていないとだめなんだな」

 震災直後、心筋梗塞(こうそく)の発作を起こし、思いがけず透析患者になり病院を転々とした。そして5年目で、腰を落ち着けて治療を受けられる地元病院にたどり着いた。

 1万7千人が住んでいた南三陸町では、620人が亡くなり、いまも212人が行方不明だ(2月末現在)。三浦さん一家の友人や知人らもたくさん死んだ。

 「つくづく、命はもらいものだと感じます。これからも死んでいった仲間の分まで生きますよ」 

■《情報編》 停電・断水、移送にも備え

 腎臓は血液中の老廃物を濾過(ろか)して尿を作る。腎臓の機能がおおよそ10%以下になると血液を人工的に浄化させる透析が必要になる。

 透析には、血液を体外循環させる「血液透析」と、自分のおなかにある腹膜を利用する「腹膜透析」があり、患者の9割以上が血液透析を選択している。

 血液透析は通常、昼間に1回4時間の治療を週3回受ける。東京医科大学腎臓内科学の菅野義彦主任教授(49)によると、高齢者は回数を減らしたり、昼に仕事のある会社員は夜に透析を受けたりするなど「個別化」も進んでいる。

 東日本大震災で改めて浮かび上がったのは、自然災害に対する透析施設のもろさだ。日本透析医学会などによると、被害の大きかった宮城・岩手・福島の3県には震災当時、1万人以上の患者がいたが、多くが一時的に透析を受けられなくなった。例えば、宮城県内にある53の透析施設のうち、震災翌日に利用可能な施設は9施設しかなかった。

 大きな原因は断水と停電だった。透析治療では、電気に加え、1回100リットル以上の水が必要になる。水道が止まり、清潔な水が確保できない場合、透析はできない。宮城県内では震災当日午後9時の段階で、53施設の100%が停電、91%が断水となった。

 宮城県の気仙沼市立病院などでは、震災直後、より多くの患者に透析を行うため、1回の透析を半分の2時間にして治療を進めた。また、震災11日後の3月22日には、北海道の病院で透析を受けてもらうため、自分で歩ける44人の患者を自衛隊機で運んだ。

 今回のシリーズで紹介した宮城県南三陸町の三浦徳一さん(66)のように災害直後に透析に入る患者もいる。南三陸病院で透析を担当する櫻田(さくらだ)正寿(まさとし)院長(59)は「災害直後には、避難所の暮らしからくる精神的なストレス、制限された食事、運動不足などから、腎臓機能をはじめ、心身機能に問題が出てくる人が増える」と話す。

 首都直下地震や南海トラフ巨大地震では、多数の透析患者を遠方に移送させる事態も予想される。日本透析医学会や日本透析医会などでは、施設のネットワーク作りや患者情報を全国で共有できる仕組みづくりに取り組んでいる。


  1. 2016/03/15(火) 06:02:13|
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