Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月5日 3.11震災関連 

http://www.news-kushiro.jp/news/20160305/201603054.html
職員がバッジでアピール/釧路赤十字病院
2016年03月05日 釧路新聞

  東日本大震災から5年│当時、計18回、医師ら56人の職員を派遣し救護活動に取り組んだ釧路赤十字病院(二瓶和喜院長)は「私たちは、忘れない」~未来につなげる復興支援プロジェクト~として、7日から防災意識の醸成と助け合いの大切さを再認識するため全職員がバッジを着用しアピールする。未来につなげる復興支援プロジェクトは病院の全職員720人が18日までの期間、「私たちは、忘れない」と書かれたバッジを着用する。各種外部委託の業者にも協力を求め、ステッカーを配布している。また、大震災が襲った11日は救護服を着た職員が飲料水のボトルとパンフレットを配ることにしている。        



https://medical-tribune.co.jp/news/2016/0305500408/
3.11から5年,被災地の"逞しい"取り組み
第21回日本集団災害医学会

2016.03.05 07:00 Medical Tribune

 東日本大震災発生から5年。東北の被災地は復興に向けて地域再生に取り組むのはもちろん,巨大津波などを教訓に,災害対応の標準モデル案を全国に向けて発信している。第21回日本集団災害医学会総会・学術集会(2月27~29日,会長=山形県立中央病院副院長/救命救急センター副所長・森野一真氏)では,東北の"逞しい"取り組みが報告された。

宮城県から避難所ラピッドアセスメント標準モデル案を提示

 東日本大震災がもたらした課題として,災害時に行政機能や保健所機能などが著しく低下した際の対応が挙げられる。こうした状況に対し,宮城県の石巻医療圏では当時,支援組織全てを一元化した「石巻圏合同救護チーム」を立ち上げ,圏内に300カ所以上ある避難所に対し,健康維持に必要な情報を紙ベースで収集して救護対応を展開した。

 ただし,避難所アセスメントデータは紙ベースで記録することになったが,後に電子化する業務に膨大な時間を要したという。そこで,避難所アセスメントデータの入力・集計・管理業務の効率化を図ったソフトウェアを開発している。将来的には,災害時におけるラピッドアセスメント体制構築の全国標準化を検討するためのモデル案として提案している。

 また,同県の試みとして,産学官民医が密接に連携して,緊急被曝医療も含めた災害対応の体制整備およびコーディネートできる人材育成を目指した東北大学災害対応マネジメントセンターを2015年1月1日に設立した経緯と今後の活動についても報告された。

"オール岩手"で人材育成,学校で子どもや保護者も対象に訓練実施

 岩手県では,地域防災ネットワーク協議会が主体となり,"オール岩手"で防災・危機管理に携わる人材を育成することとしている。岩手医科大学は2011年9月に災害医学講座,2013年には災害地域医療支援教育センターを設立して,研修医や医学生だけではなく小・中・高を含めた教育の機会を創出している。

 また,同県教育委員会事業として「学校・防災対応指針」などを策定し,学校・地域における総合防災訓練を実施している。教職員だけでなく,小児や保護者も参加した学校における訓練を継続していくことで後世にも伝承していく効果も期待できるという。

いわて感染制御支援チームの取り組みが波及

 発災当時は孤立化していた岩手県沿岸部に対し,「いわて感染制御支援チーム(ICAT)」が巡回,サーベイランス,公衆衛生活動や感染拡大防止活動を展開した。現在,常設化されたICATは感染症危機管理体制や第一種感染症指定医療機関の実務マニュアルの整備にも参加するなど,平時にも活発に活動している。また,徳島県では「とくしま災害感染症専門チーム」が活動しており,当時のICATの懸命な取り組みが全国に波及しているといえる。

(金本正章)



https://www.m3.com/news/iryoishin/402088
シリーズ: 東日本大震災から5年
東北大「循環型医師支援システム」、延べ78人参加【宮城編◆Vol.5】
被災地の医師確保と中堅のキャリア形成に貢献

2016年3月5日 (土)配信 橋本佳子(m3.com編集長)

 東北大学の東北メディカル・メガバンク機構の「循環型医師支援システム」。2012年度から2015年度の4年間の派遣実績は、延べ78人に上る。被災地の医療機関にとっては、安定的に医師の支援が受けられる一方、赴任する医師にとっても、研究と臨床の両方を続け、被災地の医療に貢献できるメリットがある。キャリアの選択肢の一つとして、中堅医師に好評だ。

 1年のうち4カ月は地域医療支援、残る8カ月は大学で臨床と研究に従事――。東北大学の東北メディカル・メガバンク機構が地域医療支援の一環として手掛ける「循環型医師支援システム」だ(『オールジャパンの支援・参加を期待 - 山本雅之・東北メディカル・メガバンク機構機構長に聞く◆Vol.3』を参照)。

 本システムに参加する医師は、東北メディカル・メガバンク機構の教員であり、「ToMMo クリニカル・フェロー(TCF)」と呼ぶ。2012年4月から宮城県の事業として循環型の医師支援がスタート。同年10月からは同機構の事業として取り組んでいる。2012年度から2015年度までの4年間で、参加医師は48人、1人で複数回の赴任もあるため、延べ参加医師は計78人に上る。

 支援先は、東日本大震災で津波の被害を受けた、南三陸病院(旧公立志津川病院)、女川地域医療センター(旧女川町立病院)、気仙沼市立本吉病院などだ。3人1組で「1ライン」を形成、1人4カ月ずつ、3人合わせて1年間支援する。スタート時は4ライン、最高は9ライン、今も8ラインが稼働している。

 参加医師のプロフィールを見ると、研究にも従事するため、学位や専門医を取得した、卒後10年前後、もしくはそれ以降の医師が多い。東北大の所属医師が大半を占めるが、他大学、他地域から来た医師もいる。

 東北メディカル・メガバンク機構の地域医療支援部門長を務める清元秀泰氏は、「専門しか知らない自身のキャリアを振り返り、『このままでいいのか』と考える医師、地域医療に貢献したい医師、当機構で遺伝カウンセリングや遺伝子研究のスキルを身に付けたい医師など、TFCを希望する動機はさまざま」と説明する。大学院で学位を取得後、臨床に復帰する際の“リハビリ”として活用したり、もう少し研究を続けたいと考える場合に、研究と臨床に従事するスタイルを希望する医師もいる。30代から40代前半の医師が、今後のキャリアの方向性を検討する際に、TFCを活用するケースもある(『東北大医師2人が語る「TFC」参加のわけ【宮城編◆Vol.6】』を参照)。

 地域医療、個人の犠牲では成り立たず

 震災直後、宮城県沿岸部の病院には、医師が個人レベルで支援に入るケースも多かった。「循環型医師支援システム」をスタートした経緯について、清元氏は「個人の犠牲の上に成り立つような、地域医療であってはならない。いくら強い精神で取り組んでいても、長くは続かない。我々地元の医師が、公的な仕組みとして長期的な視点で支援に取り組まなければいけないと考えた」と語る。

 「大学で臨床に従事していると、コモンディジーズを診る機会は少ない。例えば、いざ開業する時に、風邪の一つも診ることができないのでは困るが、長い期間、地域医療に従事する仕組みでは、躊躇する医師も多いだろう。一方で、臨床はできるが、科学者としての素養を持たない医師も増えており、フィジシャン・サイエンティストの養成は必要」(清元氏)。継続的な地域医療支援と、医師のキャリア形成をめぐる諸問題を解決する仕組みが、「循環型医師支援システム」だ。支援を受ける病院にとっては、4カ月交代になるものの、医師を確保できる。

 TCFの医師にとっては、研究と臨床に従事できる上、東北メディカル・メガバンク機構の持つ、バイオバンク関連事業の人的および各種実験装置などのリソースを活用できる。疾患の病態解明や治療法の開発が、遺伝子レベルで行うのが昨今のトレンドの一つ。そのスキルを学べるメリットは大きい。参加医師からは、「臨床と研究、ともに幅が広がるメリット」を挙げる声が多い。多くは中堅医師のため、指導医クラス。赴任先で若手医師に研究や論文執筆の支援をすることもある。

 「循環型医師支援システム」では、大学の医学系研究科、病院、メガバンク機構が定期的に集まり、支援先の病院のニーズを把握し、TFC参加医師の調整を行っている。「従来の医局制度による医師派遣ではなく、医局・診療科を超えて、大学全体での地域医療支援に取り組んでいる。他の大学でも参考にできる仕組みだ」と清元氏は語る。

 清元氏は、全国医師にこう呼びかける。「確かに被災地の医療は、インフラが整ってきたが、ソフト面での地域医療はいまだ弱い。循環型医師支援システムは、被災地の医療支援だが、自身のキャリア支援にもなる。東北メディカル・メガバンク機構の最先端のインフラを活用した基礎や臨床研究が可能。“国内留学”のつもりで、ここに来てもいい。学位所得者はもちろん、取得を目指す人に対しては、その指導も行う。どんなパターンにも対応できる。一番重要なのは、やる気だろう」。

東北メディカル・メガバンク機構 住民コホート、目標の8万人達成

 東北メディカル・メガバンク機構は、東日本大震災後、2012年2月に発足した組織(『「東北メディカル・メガバンク機構」、2月1日発足 - 東北大学医学部長・山本雅之氏に聞く◆Vol.1』などを参照)。バイオバンク関連事業、地域医療支援事業、人材育成事業の3つの事業が柱だ。「循環型医師支援システム」は、地域医療支援事業の柱。
 バイオバンク事業では、宮城県と岩手県で、地域住民コホート調査と三世代コホート調査に取り組み、住民の健康管理とともに、コホート調査で得た血液などの生体試料、各種検査結果、調査票による医療情報などを統合し、バイオバンクの構築を進める。地域住民コホート調査の登録目標は8万人で、2015年11月に、宮城県5万人、岩手県3万人の登録を達成した。三世代コホート調査の登録目標7万人に対し、約4万8000人で、今夏頃には達成の見通しだ。
 コホート調査やバイオバンクを活用した事業は、既に幾つかの成果を挙げている。1000人の全ゲノム解析を終え、「全ゲノムリファレンスパネル」を提供している(『1000人の全ゲノム解析、東北メディカル・メガバンク』を参照)。地域住民コホート調査では、震災後の住民の健康問題について分析し、公表(『「被災地住民、年齢上昇で睡眠薬の服薬傾向」、東北大調査』を参照)。最近では、急性リンパ芽球性白血病の早期発見と、ゲノム解析情報を用いた治療効果の判定に成功している(『東北大、コホート調査で急性リンパ芽球性白血病に早期介入』を参照)。



https://www.m3.com/news/iryoishin/402089
シリーズ: 東日本大震災から5年
東北大医師2人が語る「TCF」参加のわけ【宮城編◆Vol.6】
「臨床と研究に従事できる魅力」

スペシャル企画 2016年3月5日 (土)配信橋本佳子(m3.com編集長)

 東北大学の東北メディカル・メガバンク機構が、被災地の医療支援で取り組む「循環型医師支援システム」(『東北大「循環型医師支援システム」、延べ78人参加【宮城編◆Vol.5】』を参照)。卒後10年目の三島英換氏(東北大学病院腎・高血圧・内分泌科)と、卒後13年目の木村智哉氏(東北大学病院消化器内科)に、同システムに参加した経験談を聞いた。

◆「臨床と研究の幅、広がるメリット」
 三島英換氏(東北大学病院腎・高血圧・内分泌科、東北メディカル・メガバンク機構助教)

 三島氏は、2006年3月東北大学卒業、初期研修などを経て、同大で学位を取得。腎臓と高血圧、内分泌の専門医を持つ。

 「循環型医師支援システム」に初めて参加したのは、2013年。6月から9月の4カ月間、公立志津川病院(現南三陸病院)に勤務した。2014年と2015年も同時期に、同病院に赴いた。

 きっかけは、教授の指示だった。「学位を取得して、今後のキャリアを考えていた時期だった。学位取得後は、“お礼奉公”的に、関連病院で臨床に従事するケースが多いが、研究が面白くなってきて、もう少し研究したいという思いがあった」と三島氏。いったん研究から離れると、再開するハードルは高くなる。「4カ月は被災地で地域医療支援に従事、残る8カ月は大学で臨床と研究」であり、4カ月の被災地勤務時も週1日の研究日が取れるシステムは、研究を続けたいと考える三島氏の目的に合致していた。

 公立志津川病院での勤務経験について、三島氏は次のように語る。「大学病院で診ていた患者層とかなり違うが、それを面白いと思うか、自分の専門外であるためにつまらないと思うかは個人次第で、私としては面白いと思った。大学病院で特殊な疾患を診るのも大事だが、患者は高齢化している。志津川病院で高齢患者全般を診ることで、臨床の幅は広がった。在宅医療も初めてで、新鮮な経験だった」。その上、専門とする腎・高血圧・内分泌の患者も多く、自分のスキルや経験が生かすことができ、腎臓が悪い患者の掘り起こしにもつながった。

 同僚医師から多く聞かれるのは、赴任先の働きやすさだ。「コメディカル、患者や地域が、外から来た医師を受け入れてくれるかが重要。志津川病院には、これまでもいろいろな医師が支援に入っているためか、看護師はどんな医師が来ても対応できるスキルを持っており、患者も穏やかで受け入れてくれた」(三島氏)。ただ、日中はそれほど多忙ではないものの、入院部門と外来部門が約35km離れており、両方に当直を置く必要性から、当直回数は1カ月当たり約8回に上った。

 2013年度で終えることもできたが、計3年続けたのは、臨床をやりつつ、研究面でもシームレスに継続できるメリットを感じたからだ。「東北メディカル・メガバンク機構の研究者と人脈ができたことは大きい。遺伝子研究に詳しい人と共同研究ができ、設備も使える。学位取得までは遺伝子研究に取り組んだことはなかったので、研究の幅も広がった」と三島氏は語る。腎疾患や代謝異常症などで、遺伝子解析を組み合わせて研究を進めたりするほか、機構のゲノム関係の勉強会などにも参加しているという。

 地域医療支援の一環で経験した症例について、論文を2本まとめている。一つは、敗血症性肺塞栓の原因の一つとされる歯周炎に関する研究で、口腔内常在菌であるアクチノマイセスが起炎菌となり得ることを証明した研究(BMC Infectious Diseases 2015,15:552)。もう一つは、90歳の寝たきり高齢者の低カルシウム血症に関する論文だ。寝たきりになったため、それまで補充されていたビタミンD投与が打ち切られ、低カルシウム血症が進んだ症例。「高齢者医療では薬を減らすのがトレンドだが、必要な薬については投与が必要」(三島氏)。米国老年医学会誌に近く掲載予定だ(J Am Geriatr Soc.2016,accepted)。

 ただし、「循環型医師支援システム」にも課題はあるという。「結果的に3年(3回)行ったが、『来年予算がなくなるかもしれない』という話は毎年出る」と三島氏は語る。予算がなくなれば打ち切りになる懸念がある。また4カ月間の地域医療支援の時期や場所は、赴任する医師と受け入れ側の調整次第のため、直前にならないと決まらない点もネックだという。三島氏の場合、6月からの赴任について、その年の1月にはメドが立っても、最終的に決まったのは4月頃だった。「ただし、赴任先の病院の方が給与はいい。残る8カ月はアルバイトに多くの時間を費やすことなく、研究に専念できることはメリット」(三島氏)。

 「研究と臨床のどちらも、もう少し続けたい医師にはいいシステムではないか。いったん、どちらかに専念すると、もう一方に戻ることは難しい」と三島氏は語っている。

◆「地域医療の良さを実感」
 木村智哉氏(東北大学病院消化器内科、東北メディカル・メガバンク機構助教)

 木村氏は、2003年3月福島県立医科大学卒業の消化器内科専門医。初期研修後、東北大で学位を取得、岩手県立胆沢病院に4年間勤務し、消化器を中心に内科全般を診ていた。

 「循環型医師支援システム」で、2014年8月から気仙沼市立本吉病院に4カ月間、2015年10月から公立志津川病院(現南三陸病院)に3カ月間勤務した。将来のキャリアを考えていた時期に、タイミングよく話があったという。「きっかけは、教授の勧めがあったこと。胆沢病院はいい病院で臨床を続けていたいと思う一方、私の専門は炎症性腸疾患であり、新しい治療法などの研究もやりたいと考えていた時期だった。この両方の目的が果たせるのが、循環型医師派遣システムだった」と木村氏は語る。

 2011年の震災当時は、胆沢病院に勤務していた。当時は岩手県沿岸部の被害も大きく、搬送されてきた患者の対応があった上、若手医師を指導する立場にあったため、被災地支援には行けなかった。今回、それが実現できる思いもあった。

 1年目の気仙沼市立本吉病院は、木村氏も含め、医師3人体制だった。「内科診療は、胆沢病院で内科全般を診ていたので問題なかったが、小児科や皮膚科の診療は経験がなかった。けれども、患者が来る以上は、『診れません』とは言えない。日々勉強しながら診療に当たっていた」と振り返る。月1回、ボランティアで来る整形外科医に神経ブロック注射などを学んだこともあった。「最初は非常に苦労したが、今まで医師として10年以上やってきた中で経験できなかったことを経験でき、有意義だった」と木村氏は振り返る。

 2年目も手を挙げた動機は、「本吉病院では、医師が貴重な地域だったこともあり、非常に皆さんに感謝された。大学病院勤務もやりがいはあるが、地域医療の良さを実感したため」(木村氏)だ。志津川病院では、小児科や皮膚科の患者は少なく、院長は外科だったので、内科中心の診療だった。ただ、南三陸病院に生まれ変わる前で、外来と入院部門が約35km離れており、入院の必要な患者が受診した際の搬送には苦労を伴った。

 本吉病院と志津川病院での勤務以外は、東北大に戻り、消化器内科下部消化管グループで臨床と研究を続けている。木村氏は「研究は、4年間中断していたので、大学院時代を思い出しながらやっている」と語る。専門とするクローン病と潰瘍性大腸炎をはじめとする炎症性腸疾患は、遺伝性が強い疾患。下部消化管グループでは、東北メディカル・メガバンク機構のバイオバンク情報なども活用した遺伝子レベルの研究と、臨床データを組み合わせつつ、炎症性腸疾患の病態解明や治療法の開発に取り組んでいる。

 「臨床もしくは研究のどちらかに専念する医師もいる。しかし、研究に興味を持ちつつも、医師である以上、臨床もやりたい先生も多いと思う。その際の一つの選択肢が、ToMMo クリニカル・フェロー(TCF)」。こう語る木村氏は、2016年もTCFに手を挙げる予定だ。

 「特に震災後、沿岸部の病院はかなり苦労している。TCFに向いているのは、『人助けをしたい』という志を持っている医師。ただ、臨床経験があれば、地域医療の支援はできるが、大学での研究については、やはり経験がないと難しい。その意味で、学位を取得した後の医師が適しているのではないか」(木村氏)。



https://www.m3.com/news/iryoishin/405122
シリーズ: m3.com意識調査
「職員家族の食料も備蓄」「震度4以上で在宅患者の安否確認」
「東日本大震災から5年、防災対策は進んだ?」自由記述

2016年3月5日 (土)配信 高橋直純(m3.com編集部)

 m3.com意識調査で実施した「東日本大震災から5年、防災対策は進んだ?」において、たくさんのご意見、実践をお寄せいただきました。その一部をご紹介します。たくさんのご回答ありがとうございました。

調査結果はこちら⇒「東日本大震災から5年、防災対策は進んだ?」

【訓練の内容】
・アクションカードを用いての防災(地震)訓練。【看護師】
・夜間の避難対策、救出のトリアージ手順中心の訓練を追加。【勤務医】
・災害対策委員会を立ち上げ、年数回の会合を開き、災害時の対策の検討を行っている。【開業医】
・スタッフ参加型で防災訓練を年に2回実施している【看護師】
・避難訓練、患者搬送訓練を増やした。【勤務医】
・入院患者の被災状況の確認方法と報告方法の流れ。救急時外来対応、常日頃からのトリアージ訓練。幹部、各科、各部署連絡網の策定・周知徹底。出動(出勤)の方法、帰宅の方法。その他・・・。【勤務医】
・震度4以上の地震があった際は、災害伝言板で安否報告をすることに決めてあり、実際行っている。さらに訪問している利用者さんのうち、人工呼吸器を付けている人の家には電話をかけ、安否確認を行うようにしている。定期的に(月1回)緊急連絡先の変更がないことを確認している。【看護師】
・負傷者多数が搬送された場合のシミュレーション2回/年と自施設がダメージを受けた場合の訓練(火再訓練も含む)、非常食の試食会など。【看護師】

【体制整備】
・自家発電での診療ができる体制。【開業医】
・地域の医療機関と連携して、医療救護所にDrが駆けつけ、72時間初動の備蓄薬剤を行政の予算で用意し、足りない分を持ち込み、稼動できる薬局への処方箋発行の対応で連携している。【薬剤師】
・震災を契機に、備蓄用品やヘルメットなどの防災用具を整えました。【開業医】
・地域のシェルターとしての機能を検討。【勤務医】
・自分が災害対策運営委員会の委員長をしていて、防災マニュアル作成、所在地の市との合同防災訓練参加、更にはより大きい県の地区の防災体制作りにも着手している。【勤務医】
・耐震基準を満たした診療所に建て替えた。【開業医】
・震度5強で職員召集。【勤務医】
・避難場所確認、災害時救急医療に関して医薬品の管理等意識して業務に取り組んでいる。【薬剤師】
・お薬の備蓄とマスク等の管理。1カ月はしのげるように。【開業医】
・ケアパッケージの導入。患者搬送時の切断lineの確認。備蓄食の確保。【看護師】
・地域住民の方々と災害時の相互扶助に関して「協定」(まあ「約束」ですが)を結んでいます。【勤務医】
・自家発電設備を用意し。車はPHEVで外出先でも100V電源が使えるようにしている。【薬剤師】
・井戸水浄化プラントの設置。【勤務医】
・地域災害拠点病院。細胞外液組成点滴とアルブミン製剤、非常食、毛布については400人分、緊急手術用に100人分を通常と異なる備蓄としています。ロビーなどには配管がありませんが このたび隣接する看護学校に非常用配管を設置いたしました。【勤務医】
・今、内科のクリニックを開いています。職員は当然、その家族の分も考えて、1週間分の食料と水の備蓄、ガソリン、ガスボンベ、電カルとプリンター駆動用の電源(ポータブル発電機とインバーター、バッテリーなど)、大型扇風機、暖房用の小型ストーブと大型ストーブ、灯油、土嚢、その他の備蓄をし、1週間、籠城して検査以外の診療継続が可能な状態になっています。【勤務医】

【心構え・心がけ】
・勤務地から5分以内の3階以上のビルディングの位置の確認。【薬剤師】
・個人で水やインスタントラーメンを備蓄している。着替えを3-4日分ロッカーに入れてある。【勤務医】
・勤務先では、常勤・非常勤を問わず、緊急時一斉通知として、メールが届く。年に数回、防災訓練を消防署の方を招いて実施している。自分自身では、自分の2カ所のロッカーに、着替え、飲料水、保存菓子等を置いてある。【看護師】
・2週間以上は籠城できるだけの水、食料を備蓄。緊急避難時に備え、2~3日分の水・食料・医薬品・衣料を入れたバッグを家族分用意している。【勤務医】
・いつでも泊まれる用意。家族との連絡方法を決める。地域への解放。トリアージのシミュレーション。など。【勤務医】
・津波対策で駐車場は高台に確保。通勤かばんに懐中電灯、車内に手袋、ラジオは常備。【薬剤師】
・外来の片隅に災害時用の、食料、水、燃料、寝袋、防寒具、安全靴、着替え、ヘルメット、ゴ-グル、LEDライト、薬物等を備蓄しています。本当はアルコ-ルも以前の経験からは時には良いのですが、人目もあり控えています。【勤務医】
・津波が来たら、裏山へ登る、ということだけを心に決めています。【勤務医】
・海が比較的近い職場なので、津波等の避難場所を自主的に職員同士が決めている。【薬剤師】
・常に保温シートを持ち歩いています。【開業医】
・車のガソリンは満タンにこころがけ、寝袋や食料、飲料水を積み込んでいます。【勤務医】
・コンタクトレンズを使用しているので、メガネを持ち歩いている。【薬剤師】
・非常食を用意していますが、1日分程度。年に1回試食会をしていますが、味についての不満ばかり。【勤務医】

【東日本大大震災の経験】
・防災マニアと家族に言われ、20余年。できる対策はできるだけやっていた。やらなかったのは津波保険の加入だけ。自治体のハザードマップの浸水予想地域からは1キロ以上離れていた。でも津波保険入ろうかと話をしていた2日後に「3.11」。自宅、診療所とも浸水。5年経ても、自分自身のPTSDも治っていないが、防災グッズを買っても買っても何も言われなくなった。2月になってから、また、怖くなりいろいろ新たなサバイバルグッズを買いだした。患者さんと話していても精神的にはまだまだ。でも周りは頑張っているから、大人だからと我慢しているだけ。外からポッと来たメディアの連中に心のつらさを言うわけがない。これからも、ゆっくり、気長に、心が落ち着くのを待っている。勝てるとは思わない。でも負けたくない。せめて引き分けにしたい。【開業医】

【阪神大震災の経験】
・阪神大震災を経験しています 非常用持ち出し品は常に置いています。【勤務医】 ・阪神淡路大震災の経験から家に食料を備蓄している。【開業医】 ・阪神大震災の被災の経験があるので、家具の配置や、備蓄品には、ある程度気をつけています。【薬剤師】

【不安】
・東北震災後に病院を新築したにも関わらず、避難時の脱出方法が階段しかない。重症患者を搬送するには1人に対し4~6人以上のスタッフが必要。もし自院が現在震災にあったら、重症患者は置き去りにするしかない状態。他の施設ではどう対応しているのか、どういう方針かぜひ教えてほしい。【看護師】
・マニュアルやルールを策定していても、実際に想定した訓練等を行っているわけではないため、絵に描いた餅にすぎないように感じます。【薬剤師】
・火災マニュアルはあるが、津波は検討中。なかなか意見がまとまらない。【開業医】
・対策マニュアルは作っているようだが、職員への周知徹底はなされていない。【勤務医】
・マニュアルは作っていると思いますが、認知されていない。拠点病院なのに。【勤務医】
・2011-2年にかけては薬の備蓄はされていたが今は不明。【勤務医】
・机上の空論で作った実用性の全くないマニュアルは存在しています。ただそれだけです。【勤務医】

【何もしていない】
・自然災害は起こらない地域なので、何もしていない。【勤務医】
・燧灘(ひうちなだ:瀬戸内海)沿岸地方は、非常に安全とされていますよ。【勤務医】



http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20160305-OYT1T50060.html
特集 大震災
震災時、非常通信7割「使えず」…被災地の病院

2016年03月05日 読売新聞

 2011年3月の東日本大震災で携帯電話などの通信が途絶した際、岩手、宮城両県の医療機関の約7割が、衛星携帯電話などの非常用通信手段の利用に問題があり、患者の受け入れなどに支障を来していたことが、総務省の調べで分かった。
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 「機器の設定や操作方法の問題で通信できなかった」という病院も1割に上った。

 調査は、総務省が昨年12月から今年1月末まで、通信網の被害が多かった岩手、宮城両県の病院や診療所計172機関を対象に実施。震災直後から1週間程度の通信状況や、非常用通信手段の使用状況などを尋ね、約6割に当たる計103機関から回答を得た。医療機関の非常用通信手段について詳細な調査を行ったのは初めて。

 ほぼ全ての医療機関で、何らかの通信障害が発生したが、衛星携帯電話や無線など非常用通信手段を保有していたのは36機関で、残る67機関は保有していなかったり、他の機関の通信手段を借用したりしていた。36機関のうち、「問題なく利用できた」と回答したのは28機関で、75機関(73%)は「通信手段を持っていなかった」、「持っていたが何らかの原因で使えなかった」などと回答した。



http://www.asahi.com/articles/ASJ335DJQJ33UBQU013.html
心のケア、健康管理……「災害医療体制」チーム作り進む
編集委員・服部尚
2016年3月5日07時00分 朝日新聞

 地震や津波などの災害時は、多くの人が被災して、治療が必要になる一方で、医療機関が被災して、ふだんの医療体制が壊れてしまう。阪神大震災以降、緊急時の医療チームの派遣体制の整備が進み成熟期を迎えている。さらに、東日本大震災などで、被災者や家族の心のケアや健康管理など、さまざまな分野のチームづくりが進みつつある。


■DMATは「成熟期」

 1995年の阪神大震災では、発生した直後から通常の医療が被災者に提供できていたら、500人の命が救えたとされる。その教訓から、2005年に、厚生労働省が、災害発生から48時間以内に現場に入って救急医や看護師が治療活動を行う災害派遣医療チーム(DMAT)の整備を始めた。

 「各病院から推薦を受け、選ばれた人がここにいます」

 神戸市中央区の兵庫県災害医療センターで1月に開かれたDMAT隊員を養成する研修会。あいさつに立った中山伸一センター長は士気を高めるように参加者にこう呼びかけた。研修では災害医療の基本知識から、応急処置や通信の実技などを4日間かけて学ぶ。

 DMATは各都道府県の災害拠点病院を中心に整備が進められ、国立病院機構災害医療センター(東京都)、兵庫県災害医療センターなどが研修会を開いて隊員の養成や技能維持を実施している。隊員は昨年末時点で1488チーム、1万107人にのぼる。実際の災害現場での実績も積み重ねてきた。東日本大震災時には発生から12日間で、約380チーム、約1800人が岩手、宮城、福島、茨城の4県で活動した。昨年9月の関東・東北豪雨でも派遣された。中山さんは「この10年で隊員数も整い、災害時の超急性期の救急医療対応ははるかに改善された。DMATはより成熟していく時期に入ったといえる」と質の向上を目指す。

 厚労省DMAT事務局の梶野健太郎次長は「各災害拠点病院にほぼ2チームぐらい配置できた計算になる。ただ即時派遣や1チームの活動期間の問題、南海トラフ巨大地震などの発生を考えると、さらに隊員を増やしておく必要があるのではないか」と訴える。

 DMATの重要な業務の一つは治療の優先順位を判断する「トリアージ」だ。現場では患者の重症度に応じて、四つの色分けをするための「トリアージ・タッグ」と呼ばれる標識を使う。

 「赤」はすぐに治療が必要な患者だ。緊急性が最も高く、ヘリコプターなどを使った広域搬送の対象になる。次いで搬送が必要になる「黄」は、意識はあり、すぐに命にかかわることはないと見られる状態で、「緑」は擦り傷や骨折はあるが歩けるような患者だ。「黒」は心肺停止などで、応急処置をしても救命できそうにないと判断された場合だ。

 ただ、災害後、次第に、外傷の悪化、慢性疾患や感染症対策、精神保健医療分野での対応も重要になっていく。さまざまなニーズに対応するための調整役が必要になる。

 厚労省は14年度から、DMATや、災害時に救護班を派遣する日本赤十字社、災害医療チーム(JMAT)体制を持つ日本医師会、そして自治体の4者を対象に、各都道府県に対して災害コーディネーターの養成を始めた。

 早くから災害医療コーディネーターの取り組みを進めてきた兵庫県では、昨年末に医師会推薦の人も委嘱できるようになった。同県医師会の田中良樹常任理事は「慢性期の医療支援も充実させて、地域の医療を回復させていかなければならない」と話す。

 

■心のケア・栄養管理も

 災害医療チームづくりはさまざまな組織で広がっている。

 東日本大震災では被災者の心のケアの大切さも認識された。厚労省は被災した精神科病院の患者や、被災者の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防などを支援する「災害派遣精神医療チーム」(DPAT)の整備も進めている。13年に活動要領も制定した。

 DPATの活動に関わる兵庫県こころのケアセンター(神戸市)の加藤寛センター長は「心のケアは、医療が担う部分は限られる。今後の生活の不安や、災害への正しい情報提供など、医療というより予防的な保健活動が大切だ。地域の保健師さんを支える黒衣の役割」と位置づける。

 亡くなった被災者の家族の心のケアの取り組みも始まっている。

 神戸赤十字病院の村上典子心療内科部長らは05年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故を機に、06年に「災害死亡者家族支援チーム」(DMORT)設置に向けた研究会を立ち上げた。

 このときの事故では、トリアージで黒タッグと判断された患者が搬送されなかったことをめぐり、遺族の心のケアが課題になったという。村上さんは「多くの遺族の方々が納得を得るために亡くなったときの情報を求めていることがわかった」と振り返る。本格稼働はまだだが、隊員養成に向けた研修会や、自治体や警察の防災訓練に参加するなど準備を進めている。

 日本栄養士会は東日本大震災を受け、日本栄養士会災害支援チーム(JDA―DAT)を立ち上げた。特に避難所での要配慮者(乳幼児や高齢者、慢性疾患の患者など)の食料調達や、健康管理の相談などに応じる。

 原子力規制委員会が再構築を始めた被曝(ひばく)医療体制も課題になる。原発から半径30キロ圏内などの24道府県を対象に地域の中核病院として「原子力災害拠点病院」を設置、事故時に被曝した人の診断や治療に当たる「原子力災害医療派遣チーム」を配置することを促す考えを昨年、示した。しかし、既存の災害医療チームとのすみ分けや自然災害と原発事故の同時発生時の議論はこれからだ。

 国立病院機構災害医療センターの近藤久禎副災害医療部長は「様々な種類の医療チームが設立されている。これらのチームが個々にバラバラに活動するとかえって被災地を混乱させる恐れがある。情報を共有化し、現場で各チームを調整する仕組みづくりが今後の課題だろう」と話している。

(編集委員・服部尚)


  1. 2016/03/06(日) 05:41:06|
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