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3月4日 3.11震災関連 

https://www.m3.com/news/iryoishin/404408
シリーズ: 東日本大震災から5年
病医院の復興度合い、宮城と福島でペースに差◆Vol.3
「看護師が足りない」「復興予算で以前よりも良くなった」

2016年3月4日 (金)配信 高橋直純(m3.com編集部)

Q 2011年3月の震災前を100とした場合、勤務されている病医院の復興度合いは、時間の変化とともにどのように変化してきたでしょうか。0から100の整数でご記入ください。
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 東日本大震災後の病医院の復興度を数字で表現してもらったところ、3県全体では、直後は42.8、半年後の2011年9月は77.2、1年後の2012年3月は86.7、2013年3月は89.8、2014年3月は91.9、2015年3月は96.3、2016年現在は95.6となった。

 県別に見ると、被害が最も甚大だった宮城県は直後は38.6まで落ち込むも、98.4まで回復している。一方で、福島県は直後は46.0で相対的には被害が少なかったにも関わらず、2016年現在は91.4にとどまっている。福島第一原発事故の影響で、患者および医療従事者が流出しているという声が多く寄せられた。

■個別の数値の変化とその理由。
 数字は、「直後⇒2011年9月⇒2012年3月⇒2013年3月⇒2014年3月⇒2015年3月⇒2016年現在」の復興度。

【岩手県】
30⇒65⇒75⇒85⇒85⇒85⇒85
もともと老朽化していた。新築計画が震災前には却下されていたが、修理するなら新築、という変更があった。修理は計画の承認に時間がかかり、業者の入札が不調でなかなか進展しなかった。

60⇒90⇒99⇒99⇒99⇒99⇒99
ほぼ復旧しましたが、外来のドアのしまりが悪いままです。

10⇒50⇒60⇒80⇒80⇒90⇒95
大学なので復旧にかかることは他よりは速いと思うが、以前のレベルには完全には戻っていないと感じる。

65⇒110⇒110⇒80⇒80⇒80⇒85
患者数でみると、被災後半年は近隣病院の被災による閉鎖などで患者数は一時的に増加したが、以降人口の減少とともに患者数は減少しています。

70⇒100⇒120⇒120⇒120⇒120⇒120
直後は産科を全て断ったり、手術を全て断ったりしていたため、70点。しかし、半年後にはかなり復活し、元通りに戻った。震災翌年には他科の充実もあり、以前よりも常勤医師数が増えたため、より、充実している感がある。

【宮城県】
20⇒80⇒100⇒100⇒100⇒100⇒100
処方せんがあったため、患者の求めに応じて当面の薬を処方できた。停電回復後、電子カルテで業務開始。断水改善まではスタッフ総出で給水所へ。

0⇒50⇒100⇒100⇒100⇒100⇒100
自治体の援助は全くなかったが、民間企業の協力で復興支援を支えられた。関西からの応援も心強かった。

20⇒120⇒130⇒120⇒110⇒110⇒110
沿岸部の隣町から避難してくる人たちが多く流入し、人口が増加。仮設住宅ができて外来患者は震災前より増加した。ただ最近は徐々に戻る人たちもあって、落ち着きを取り戻しつつある。

20⇒30⇒60⇒70⇒70⇒80⇒90
直後は資材不足のため診療所建築作業が滞り、開業予定が遅れたため20とした、その後、開業したが、対象人口の減少、連携の取れる地域病院の減少のため、震災前のプランには狂いが出ているため現状でも90とした。

0⇒0⇒50⇒60⇒60⇒60⇒60
医師を含めて医療従事者不足で、病棟を全て開くことができない。

100⇒80⇒50⇒30⇒20⇒10⇒5
当院は医師の入れ替わり、病棟の異動も多く、当時から一緒に働いて震災を乗り越えた感覚を共有できるスタッフはどんどん減ってきています。

0⇒30⇒50⇒50⇒50⇒50⇒100
震災後は町内に診療所、町外に病院を開設した。翌年の4月から診療所がプレハブから仮設の診療所に変わった。2015年12月に町内に病院が開設され、震災前の医療環境に戻った。

60⇒90⇒100⇒100⇒100⇒100⇒100
災害訓練を日ごろから行っており、比較的スムーズに災害体制に移行できた。が、直後の物資の不足、人員の不足はどうにもならなかった。

50⇒60⇒60⇒70⇒70⇒100⇒100 設備には大した損害は無かったが、職員、患者の心的ストレスは続いた。

10⇒50⇒80⇒80⇒80⇒80⇒80
看護師さんが戻ってきません。

【福島県】
50⇒80⇒90⇒80⇒90⇒80⇒80
建物の被害はほぼないが、とにかく医師も含めた、働き手がいない、来ない、去る。

30⇒120⇒100⇒90⇒80⇒70⇒60
震災直後は避難者多く流入あり。今は除染作業員相手に仕事。移り住めることができたらこの地を離れたい。原発近隣30kmまでしか東電、国の補償なく、生活も苦しくなった。

45⇒65⇒70⇒70⇒70⇒70⇒70
開業以来丹精込めて整備した庭木、芝生、花が全て無くなった。世話する気力が無くなったことに加え、除染で何も無くなった。

0⇒20⇒25⇒40⇒50⇒60⇒65
186床あったベッドが120床までしか使えていない。

40⇒50⇒60⇒70⇒80⇒90⇒100
県外からの助っ人も来て医師の数も戻った。患者の数が減っているのが問題。

50⇒80⇒100⇒120⇒120⇒150⇒200 復興予算により、病院機能が震災以前より良くなった。

200⇒150⇒150⇒150⇒150⇒200⇒200
とにかく、医師の頭数が少ないです。医師は大学病院に囲い込まれ、他の一般病院に勤務する医師は減少の一途です。残った医師は、減少した医師の分の働かなければならないために、大げさに言えば24時間365日拘束されている状態です。先の展望も無く、絶望的な状況です。

0⇒0⇒0⇒0⇒0⇒0⇒0
居住制限区域内にあり廃院となった。

0⇒12⇒30⇒35⇒48⇒55⇒56
震災後、入院病床の復活が政治の側から著しく抑制された(多くの看護師を含むスタッフが県外に避難したので、官民を問わず被災前の病床稼働は不可能であったが)。震災後1カ月ほどで最小限の外来診療業務再開となったが、医療圏・患者人口の大幅縮小見込みから、勤務先そのものを宮城県境近くに移転することとなった(新病院建設の方向に対し、震災前勤務医師の引き抜き(?)+県議会で議決された補助金支出に対する妨害を行う勢力があったことは少なくとも法廷に記録されることで、県政の汚点となろう)。ただし、その後のパーセンテージの伸びの鈍り感はあくまで(医師を含む職員の安定確保が震災前に増して困難と感じている)個人の主観による。

◆回答者の診療科は以下の通り。
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  1. 2016/03/05(土) 05:45:14|
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