Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

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3月3日 3.11震災関連 

https://www.m3.com/news/iryoishin/402087
シリーズ: 東日本大震災から5年
全壊した石巻市立病院、9月に新病院【宮城編◆Vol.4】
地域包括ケアシステムの拠点として再生

2016年3月3日 (木)配信 橋本佳子(m3.com編集長)

 今年9月、震災で甚大な被害を受け、診療不能に陥った石巻市立病院は、再スタートを切る。津波の危険を避け、沿岸部から移転し、機能も一新。以前は急性期病院だったが、一般病床と療養病床とのケアミックスに転換、地域包括ケアシステムの拠点を目指す。2025年に向け、医療機能の分担と連携体制の構築は全国共通の課題だが、石巻市では震災がきっかけとなり、その推進が進む。

 「がんばろう!石巻」

  JR石巻駅に震災直後から掲げられている看板だ。その駅前に、東日本大震災からの復興を象徴するように、石巻市立病院の建築が進められている。オープンは今年9月1日の予定だ。震災当時、沿岸部にあった同病院は津波で甚大な被害を受けた。その被害額は被災医療機関の中でも最大級だ(『現地リポート、震災から3カ月の石巻の今◆Vol.1』を参照)。旧病院の場所は、石巻市の中でも一番被害が大きかった地域。震災後、石巻市の復興計画において「非居住地域」に指定された。

 以前は急性期医療がメーンだったが、新病院は機能を転換、急性期だけでなく、回復期、慢性期の医療までを担う病院に生まれ変わり、在宅医療も担う。震災前から院長を務める院長の伊勢秀雄氏は、「市立病院が、地域包括ケアシステムの拠点となる例は全国的にも珍しく、面白い取り組みになるのではないか」と期待を込めて語る。

 一般病床、約3分の2に減少

 石巻市立病院の震災前の病床は206床、DPC病院で7対1入院基本料を算定、病床稼働率は85%前後。平均在院日数は約13日で、石巻赤十字病院と並ぶ急性期医療を担う拠点だった。震災後は、石巻市内最大の仮設住宅地に開設した「開成仮診療所」で診療を続けている(『超高齢社会における医療の“最先端”』などを参照)。いまだ仮設住宅には約2800人の避難者がいるため、同診療所は、新病院オープン後も継続する。

 石巻市では市立雄勝病院(療養病床40床)も全壊。新たな病院は、これら二つの病院を合併して誕生する。JR石巻駅前の土地は、旧病院の場所から約2km離れている市の所有地だ。

 新病院は180床、うち一般病床140床、療養病床40床。一般病床のうち20床は緩和ケア用として使う予定だ(『全壊の病院、2016年再建を目指す -伊勢秀雄・ 石巻市立病院院長に聞く』を参照)。MRI、CT、マンモグラフィー、心臓カテーテルなど各種機器を揃え、特殊な症例以外は手術も手掛ける。さらに在宅復帰支援や、在宅復帰後の急変時対応なども新たに取り組み、今後、地域包括ケアセンターを併設する予定もある。

 診療科は、内科、外科、整形外科、放射線診断科、リハビリテーション科、麻酔科の6科。「開院当初は内科全般を主体とし、地域のニーズと、我々のキャパシティーを見極め、徐々に診療の範囲を広げていく」(伊勢氏)。

 雄勝病院も合わせて計246床だった病床を、180床に削減。一般病床に限っても206床から140床、つまり約3分の2という大幅な減少になる。

 伊勢氏は、新病院の基本計画について次のように説明する。「震災直後は、原状回復、つまり“復旧”を考えていた。しかし、日本の医療政策は急性期病床を削減する方向にある。人口の高齢化が進む上、石巻市では人口の流出も起きた。長いスパンで見れば、市立病院が地域包括ケアシステムの拠点機能を担い、シームレスな地域の連携体制を構築することが必要だと考えた」。震災後、常に満床状態で稼働していた石巻赤十字病院は、402床だったが、震災後に仮設病棟50床を増やし、増改築を終え464床とした(『50床増床、地域の拠点として基盤強化- 飯沼一宇・石巻赤十字病院院長に聞く』を参照)。一方、療養病床を持つ病院の中には増床したケースもある。地域の他の病院との役割分担と連携を念頭に置きながら検討した結果が、新病院の体制だ。

 新病院では、震災の教訓も生かす。JR石巻駅前も、治水施設が津波で壊れた影響もあり、1m程度の浸水があった。新病院は7階建てで、1階部分は駐車場にし、1階と2階の間に免震層を入れ、病院機能は2階以上に設置。また震災時、電子カルテのデータは、山形市立病院と相互にバックアップする体制にしていたため、診療情報を保全できた。新病院でも電子カルテを導入、病院とは別の場所にあるサーバーにもデータを保管する予定だ。

 東北薬科大学の「地域医療」の実習受け入れ

 宮城県では、この4月、東北薬科大学が、「東北医科薬科大学」として生まれ変わり、医学部を新設する。地域医療を担う医師の養成が特徴で、東北6県に「地域医療ネットワーク病院」を置き、医学生の地域医療の実習を行う(『「東北医科薬科大学」、来春誕生』を参照)。石巻市立病院も、その一つとして、医学生を受け入れる予定だ。

 「まずは1年生の地域医療実習を担当する。急性期から回復期、リハビリ、在宅復帰という医療の流れ、チーム医療を実践する現場を見てもらうことになるだろう。その後、6年生まで継続的に実習を続けることで、地域に愛着を持ち、地域医療に取り組む医学生が増えることを期待している」(伊勢氏)。

 さらに2017年度から開始予定の新専門医制度では、総合診療専門医の基幹研修施設を目指す。現在、石巻市立病院には、日本プライマリ・ケア連合学会認定のプライマリ・ケア認定医、家庭医療専門医が計4人おり、指導医の体制は整っており、他の病院と連携しながら、研修プログラムを構築する。

 元の土地での「再建」求める制度に矛盾

 震災からの5年間で、伊勢氏が最も苦労したのは、病院を“復旧”ではなく、“復興”のための計画を立てる時だという。「国の復興予算は、元の土地で再建する“復旧”でないと使えないと言われた。しかし、甚大な被害を受けた沿岸部で病院を再建できるはずはない。今回の地震による被害は、従来の法律で想定されていないものであり、法律と現実にギャップがあった」(伊勢氏)。この問題を国や県に訴え、新築移転でも復興予算が下りることになった。

 新病院の当初の予算は、建設費が約70億円、医療機器等の購入費用が約20億円。しかし、復興工事の本格化に伴い建設費は高騰、予算増を認めてもらう際も苦労したという。約137億円の予算を確保できたが、実際にはその範囲内で収まる見通しだ。復興関連の予算で賄う。

 伊勢氏は、石巻医療圏での医療面での復興について、「震災後閉鎖した診療所がある一方、新規開業もある。精神病院の一つが閉鎖したままだが、石巻市立病院が開設すれば、震災前の診療体制にほぼ近づく」と見る。

 ただ、課題は医師不足だという。石巻市立病院には震災前、常勤医だけで29人いた。新病院では約20人体制を目指すが、予定数を確保できるメドは立っていない。伊勢氏は、同病院の地域包括ケアへの新たな取り組みに関心を持つ医師が集まることを期待する。



http://www.sankei.com/affairs/news/160303/afr1603030003-n1.html
【復興の現在地~震災5年】
地域医療担う公立病院、南三陸で再開 「希望の象徴に」

2016.3.3 13:50 産経ニュース

 自然光がたっぷり差し込む新しい病院の待合室で、男性患者(83)がバスを待っていた。「ここで初めて人工透析を受けた。今までは(隣接する宮城県)気仙沼市に行っていたが、ようやく住んでいる町で受けられるようになった」

 昨年12月、同県南三陸町の高台に完成した南三陸病院。前身は東日本大震災の津波で全壊した町唯一の病院、志津川(しづがわ)病院だ。今年1月には、震災前に休止していた人工透析を開始した。

 震災で全壊した被災3県の公立6病院の中で、本格的に再開したのは南三陸病院が初めてだ。志津川病院時代と合わせ、この病院で20年以上働いてきた総務課課長補佐の後藤正博さん(53)は「他地域と異なり、町の全医療機関が流出したことで再建への機運が高まった」とみる。

 それを裏付けるのが、平成23年7月に行われた町民意向調査だ。町の復興に望むものとして「保健・医療・福祉の充実」を挙げた人が7割近くで最多だった。「皆が待ちわびていた病院。町民の希望の象徴になってほしい」と後藤さんは期待する。

 事務職員として節電など地道な経費削減を積み重ねてきた。しかし、津波はその歩みどころか患者と職員74人を奪った。同じ病院に勤めていた看護師の妻、弘美さん=当時(46)=の行方は今も分からない。

 震災1カ月後から町内の仮設診療所で外来を再開し、2カ月半後からは隣接する同県登米(とめ)市の医療機関の病棟を借りて入院患者も受け入れた。勤め先がなければ、人材が流出する。入院病棟の確保には、看護師らの雇用を確保する目的もあった。「避難所から通う職員たちと、ちょっとでも良くなるならがんばろうと支え合った。それがなければとっくに折れてしまっていた」

 だが、診療を再開して少したったころのことだ。

 「皆が白衣を着て仕事をするようになると、どうして白衣を着る中に、かみさんがいないのかなと…」

 現場を離れ、町役場に異動した。「小学校の卒業式を数日後に控えて被災した末の娘は、一番難しい時期に母親を失った。娘の下着を買いに行くのも自分には初めての経験だった」。家庭でも妻の不在を実感する日々。病院に戻るには3年の歳月が必要だった。

 「家族や自分の人生をようやく落ち着いて見られるようになった。新しい病院もできるし、前を見ていくしかないと思いました」

 しかし、被災から5年を前に船出した新病院も、順風満帆ではない。診療科は内科や外科など以前と同じ10科だが、医師7人のうち3人は派遣を受ける。震災前に1万8千人いた町民は約4千人減り、ベッド数は36床減の90床に。それでも、看護師不足から一部は稼働できていない。新年度からは雇用維持のための補助金2億5千万円もなくなる。「人口が減り、医療人材の確保も難しい。病院を維持していけるのか」と予算編成に頭を痛める。

 末娘は4月から高校3年生。2人の息子は進学のため地元を離れ、娘も町を出たいと話す。「町の行く末、子供や親のこと、家の修繕…。一人であれこれ考えてしまう。かみさんがいれば相談できるんだけど」

 復興作業に向かうダンプカーが行き交う中、家にこもりがちの80代の両親と暮らす未来図が、若年層が流出し高齢者が残される町の姿と重なった。(道丸摩耶)

 東日本大震災で津波の被害を受けた被災地では、医療機関の多くが破壊された。岩手県沿岸部では240カ所の医療機関(病院・診療所)の過半数に当たる127カ所が被災。再開後に廃止したり新たに開業したりした例もあるが、2月時点の医療機関数は104カ所と8割にとどまっている。宮城県沿岸部でも震災前に309カ所あった医療機関が、昨年10月時点で280カ所と9割に減った。

 地域医療の中核を担う自治体が運営する公立病院の再建も遅れている。津波で全壊した公立病院は岩手県に3カ所、宮城県に3カ所あるが、このうち再建できたのは宮城県南三陸町の南三陸病院だけだ。

 その南三陸町では1病院と6診療所が全て流出、再開したのは南三陸病院と診療所2カ所のみ。震災前に町で唯一、人工透析を行っていた診療所は、震災後に町外で診療を再開した。    

 日常が大きく壊れたあの日から間もなく5年。被災を克服し、新たな日常を獲得するために歩み続ける被災地と被災者の“現在地”を報告する。


  1. 2016/03/04(金) 05:47:11|
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