Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

2月23日 3.11震災関連 

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160223_63007.html
<検証地域医療>看護師実働世代 帰還進まず
2016年02月23日火曜日 河北新報

◎震災5年へ(下)人材確保の壁

 「看護師募集」。待合室の張り紙の前を医療スタッフが慌ただしく行き交う。福島県南相馬市原町区の大町病院。2月になってインフルエンザが流行したこともあり、院内はいつにも増して混雑している。
 「今春の求人15人に対して内定は1人だけ。採用状況は厳しいままですよ」。藤原珠世看護部長(57)が疲れた表情で話す。

<避難先で就職>
 もともと100人いた看護師は東日本大震災とそれに続く東京電力福島第1原発事故で20人程度に激減。今は80人まで復調したものの、関西などから短期での応援組を含めた数字だ。地元に戻る退職者の補充に追われ、現状維持で手いっぱいの状態が続く。
 病院は休日増や託児所開設といった待遇改善も進める。「マンパワーが足りなければ、入院の受け入れを絞らねばならない。地域の医療機関として責務を果たしたいのですが…」。藤原部長は焦りをにじませる。
 南相馬市を中心とした相馬地方で、看護スタッフ不足は恒常化しつつある。福島県によると、ことし1月時点の就労者(病院のみ)は619人。事故直前と比較すると、140人近く落ち込んだままだ。
 相馬地方の減少幅は、原発事故の影響が続く福島県でも突出している。いわきや県中央部など、原発事故時より人数が増えている地方が少なくない。
 南相馬市の担当者は「看護師が市外の避難先に再就職することで、他地域を押し上げる形になった。実働世代の帰還が進まないのが響いている」と話す。

<中高生に焦点>
 求人難を解消しようと、市は昨年2回の合同面接会を開催した。15医療機関の参加に対し、集まった求職者は計7人。資格職確保の難しさを浮き彫りにした。
 相馬郡医師会も関係機関に窮状を訴えているものの、抜本的な解決策は見つからない。市内では、人手不足で診察時間の短縮を強いられている診療所もある。
 同医師会の志賀ゆかり事務局長(55)は「医師なら他地域からの単身赴任という手がある。女性が多い看護スタッフは、地元採用が主体となるだけに対応が難しい」と指摘する。
 看護人材のニーズは、原発事故による欠員補充にとどまらない。
 南相馬市総合病院は来年、新たに脳卒中センターをオープンさせる。2018年度までの増員計画は80人超。病院では看護師が中学校で出前授業をしたり、地元高校の進路ガイダンスに参加するなど、組織を挙げた求人活動を展開する。
 採用担当者は「地域の健康は地域で守るのが原則。たとえ遠回りでも、看護の道を志す子どもを増やし、地元の医療機関全体に人材供給できるよう努めたい」と話す。(斎藤秀之)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=130707
東北大病院100年
第3部 東日本大震災(1)おなかの子 私が守る 家族亡くした妊婦

(2016年2月23日 読売新聞)

 東日本大震災では浸水を免れた沿岸部の病院に患者が殺到した。東北大病院(仙台市青葉区)は沿岸の病院からヘリコプターで搬送されてくる多くの患者を受け入れるなどの「後方支援」にあたった。震災から間もなく5年。医師や看護師、患者らは当時、何を思い、どう行動したのか。得られた教訓とともに紹介する。(敬称略)


 おなかに赤ちゃんがいる大事な時期に、家族の行方がわからない――。震災後、東北大病院には、極限状態に置かれた2人の妊婦がいた。

 ともに切迫早産で入院していた及川ゆかり(38)と小野寺ふみ子(40)。気仙沼市の同じ中学出身で顔見知りだった。約1か月前に同市立病院から転院してきた及川は、夫で南三陸町職員の真まこと(当時33歳)と、震災4日後に来た小野寺は父・和雄(当時55歳)と連絡がつかないでいた。

 周産母子センターの医師、菅原準一(51)(現・東北大東北メディカル・メガバンク機構教授)は2人がずっと気になっていた。ただでさえ安静が求められる切迫早産なのに、ストレスは母体とおなかの子供に悪影響をもたらす。沿岸から次々と搬送されてくる妊婦の対応に菅原ら医師や看護師が追われる中、2人のケアにあたったのは、臨床心理士の奥田弥生(34)だった。

 2人の心は揺れていた。及川は自宅が流され、義父母や5歳だった長男らは避難所にいた。小野寺は自宅は無事だったものの、母や14歳だった長男は不自由な生活を余儀なくされていた。「生きていてほしい」「自分だけ安全で快適な場所にいていいのだろうか」。希望や罪悪感、不安がごちゃ混ぜだった。

 そんな思いを抱える2人を、奥田は毎朝訪ね、ただ耳を傾け続けた。入院している他の妊婦には家族が見舞いに訪れていた。それを見ながら、同じ境遇の及川と小野寺は「がんばろう」と励まし合った。

     ◎
 真が遺体となって見つかったのは4月下旬。南三陸町の防災対策庁舎の屋上で津波にのまれた可能性が高かった。「責任感の強い人だった。最後まで町の人のために職務にあたったのだろう」と及川は思った。

 「帰らせてほしい」。及川は数日後の夜、目に涙を浮かべて菅原に懇願した。せめて火葬には立ち会いたかったからだ。

 「あなたとおなかの赤ちゃんにとって大事な時期。帰すわけにはいかない」。菅原の言葉に、及川は我に返った。「残された私が赤ちゃんを守らないといけない」

 小野寺も犠牲になった父の葬儀に出たいと願ったが、認められなかった。「家族思いだった父に最後のお別れもできないことは何よりもつらかった」と語る。

 2人の気持ちが和らいだのは、生まれ来る我が子を思う時だった。看護師らは周囲に呼びかけて、お古のベビー服を集めてくれた。「赤ちゃんの顔を思い浮かべながら選んでいると心が楽になった」と口をそろえる。

     ◎
 及川は5月に女の子を出産。「せめて名前だけでも父親の愛情をたっぷりと受けてほしい」と、真乃愛と名付けた。小野寺も同月、皇成を出産した。

 菅原や奥田は震災から1年以上過ぎた後も、何度も気仙沼を訪ねた。震災を経験した母子の健康状態が気がかりだったからだ。菅原は「2人の子供が順調に成長していることが何よりもうれしかった」と振り返る。真乃愛は花屋に、皇成は新幹線の運転士になるのが夢。若葉の頃、ともに5歳を迎える。



http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160223_73009.html
<検証地域医療>被災し看護師退職の施設4割
2016年02月23日火曜日 河北新報

02231_20160224054647979.jpg

 公益社団法人日本看護協会(東京)が昨年公表した「被災地域における看護職員実態調査」(2014年6~7月実施)によると、岩手、宮城、福島3県で東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で退職した看護職員がいる施設は40.1%に達した。震災直後の11年度中の退職者総数は468人に上った。
 退職者がいた施設は回答した252施設のうち101施設。県別で福島は53.8%(57施設)と県内施設の半数を超え、原発事故による避難の影響が大きいとみられる。宮城は30.6%(33施設)、岩手は28.9%(11施設)だった。
 14年の調査時点では、震災前に比べ看護職員は3県全体で2.5%(349人)増えたものの、回答施設の29.6%に当たる74施設は依然として職員数が元に戻らない。原発事故による避難区域を抱える福島県相双地方は、看護職員不足の施設は41.7%と突出している。
 厚生労働省がまとめた3県の看護師・准看護師の常勤換算従事者数を震災前の10年と比較すると、14年時点で、岩手、宮城は大きく増えているものの、福島は500人以上少ない。
 日本看護協会の中板育美常任理事(災害担当)は「岩手、宮城両県も盛岡市や仙台市など都市部の職員数が増加要因で、沿岸部では足りていない。福島は原発事故直後の退職者を穴埋めできていない」と指摘する。
 被災地には地域外から応援看護師も派遣されているが、長期派遣は難しく、短期派遣では受け入れ病院側の負担増にもなる。
 中板理事は「人材を移動させるより、地元で働いてもらう『地産地消』が最善。地域偏在を解消し、若い人が地元で働きたいと思ってもらえる環境整備が重要になる」と強調。人材育成に向け、看護学校生への修学資金支援制度の充実や被災地域の住環境のインフラ整備、看護職を進路選択してもらう高校生らへの働き掛けといった複合的な取り組みが必要と訴える。



http://www.asahi.com/articles/ASJ2R5S4HJ2RUBQU016.html
被災者への医療費免除、8市町が継続 宮城
小宮山亮磨
2016年2月23日17時32分 朝日新聞 宮城

 震災被災者への医療費負担免除を、石巻市など沿岸8市町が来年度も続ける一方、仙台市など26市町村は打ち切ることがわかった。宮城県が22日、明らかにした。女川町は「未定」と答えている。

 県国保医療課によると、継続の意向を示しているのは石巻、気仙沼、東松島、塩釜、多賀城、名取の6市と七ケ浜、松島の2町。8市町の免除対象者は合計1万3843人(昨年4月時点)で、県全体の51%にあたる。一方、女川町を除いた26市町村の1万2920人(47%)が、自己負担を求められるようになる。

 医療費の窓口負担免除は、国民健康保険の加入者のうち所得が低く、震災で家や稼ぎ手を失った人が対象。今は国が財政支援をしていて市町村の負担は実質ゼロだが、来年度から打ち切られるため、対応が注目されていた。8市町が免除を続けることによる負担は、国保医療課の試算では年間約3億800万円。

 村井嘉浩知事は22日の定例会見で、国保の運営が財政的に厳しい自治体には今後、支援を検討すると語った。ただ同課によると、市町村が免除を継続するかどうかの判断は、県の支援とは関係ないという



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/48158.html
災害医療支援、DMAT後の派遣体制提示- 病院薬剤師会が手引き公開
2016年02月23日 11時00分 キャリアブレイン

部や現地調整班などの業務に加え、DMAT(災害派遣医療チーム)の活動後に被災地に派遣する登録派遣薬剤師を派遣する際の実施方法も提示している。【新井哉】

 手引きには、災害が発生した場合、同会内に災害医療支援本部を設置し、派遣薬剤師に関する一連の業務などを担う「支援班」、被災地での医療機関・関係機関との連携を担う「現地調整班」、会員への周知や広報活動、災害の関連情報の収集を担う「情報班」が分担して活動を行うことを記載している。

 災害時に支援本部は、現地調整班の活動拠点の選定や交代要員の選出、交代の日時調整を行うとともに、厚生労働省や日本薬剤師会と薬剤師の派遣先を協議。現地調整班は避難所や医療機関などを巡回し、薬剤師数や医薬品の種類・在庫などを把握して本部に報告する。

 被災地に派遣する登録薬剤師については、病院や診療所、介護保険施設の薬剤師として5年以上の実務経験があることや、一定期間の活動ができることなどの条件を提示。普通自動車免許も「取得していることが望ましい」としている。

 また、災害中期から後期にかけて被災地の医療施設のニーズに合った薬剤師を派遣する「ボランティア派遣薬剤師」についても記載。ホームページで募集を行い、支援本部が派遣先を決める。食料や飲料水、寝袋などを持参し、自己完結型派遣を目指すという。



http://mainichi.jp/articles/20160224/ddm/013/070/033000c
さあこれからだ
/124 復興につながる地域包括ケア=鎌田實

毎日新聞2016年2月24日 東京朝刊

陸前高田の災害公営住宅の1階にできた市民交流プラザ。この住宅に移った人も、仮設住宅にいる人も、孤立を防ぐために集まってお茶会をしている=2016年2月

 今月上旬、岩手県陸前高田市の災害公営住宅(復興住宅)の集会室で楽しい演劇が上演された。「劇団ばばば☆」による減塩を呼びかけるお話だ。

 劇団員は、医師や看護師、歯科医、栄養士、介護施設の職員ら。この日の演目は、塩分摂取量日本一で、脳卒中死亡率のワースト1位という岩手県の現状を改善しようと、減塩の大切さや取り組み方について、わかりやすく伝えるのが狙いだ。お芝居は素人だが、演劇を通して、自分の健康や命の守り方を知ってもらいたいという熱い気持ちが伝わってくる。

 劇団名の「ばばば」とは、朝ドラで有名になった「じぇじぇじぇ」と同じように、驚きを表現するこの地方の方言。その名の通り会場は大ウケ。あふれるほど人が集まり大きな笑いと拍手で盛り上がった。

 この劇団のメンバーは「陸前高田在宅療養を支える会」のメンバーでもある。ぼくがこの支える会とご縁ができたのは2012年7月のこと。広島で開かれた日本ケアマネジメント学会でのぼくの記念講演の後、陸前高田の2人の看護師が楽屋を訪ねてきた。

 1人は、住んでいる家と、新築したばかりの家を津波で流された。もう1人は、夫と家を失い、失意のなかで交通事故を起こし、右腕を失った。つらい状況のなかで必死に生きていることがわかった。ぼくは、いつか応援に行くと約束した。

 その年の11月、陸前高田に講演に行った。長野県で行ってきた地域の健康づくりや在宅ケア、みとりの医療の話をした。会場には陸前高田の市民や多くの地域包括ケアの担い手たちが集まった。陸前高田在宅療養を支える会はこの日を契機に発足した。

 東北の沿岸部は、震災前から医師や看護師が足りないため、在宅ケアがあまり進んでいなかった。地域の有志たちは危機感を持っていた。

 そんなときにあの大震災が発生。医療機関や介護施設がダメージを受けるなかで、ケアが必要な住民を孤立させないようにすることが急務となった。「ピンチをチャンスに変える」というが、陸前高田は震災という大ピンチのなかで、在宅ケアのネットワークを組織した。

 支える会には医師、訪問看護師、ケアマネジャー、歯科医、歯科衛生士、管理栄養士、在宅リハビリテーションの専門家たち、市内79事業所が参加。ネットワークを結び、健康や命を守る取り組みを始めた。冒頭の劇団の活動は、健康づくり運動の一つなのだ。

 支える会は在宅訪問も熱心に行っている。その様子を見せてもらおうと、ぼくが陸前高田にかかわるきっかけをくれた看護師さんと、在宅酸素療法を受けている男性の家を訪ねた。彼は、学校の元教師。肺に重い病気を抱えていた。

 前回訪ねたとき、ぼくと同じ名前だったことから、「實会をつくろう」と意気投合した。一時は落ち込みがちだったが、それを機に、趣味の絵を描き始めるなど気力がわいてきたという。

 その後、病状が悪化し、以前より元気がないと聞いていた。しかし、訪ねると、彼は「もう一度、元気になる」と力強く手を握ってくれた。

 また、市民交流プラザもオープン。昼食会や健康講話、お茶会などが催され、元気な人でも病気や障害がある人でも、だれでも参加できる。仮設住宅や公営住宅に入った人たちが昔のように庭づくりや畑作業ができるよう、各地に農園もできた。これらの取り組みは、市民の孤立を防ぎ、生きがいづくりにつながる。

 超高齢社会の日本では、団塊の世代が後期高齢者となる25年、深刻な介護問題を抱える。その対策として中学校区に一つ、地域包括ケアを普及させようと、本格的な取り組みが始まっている。しかし、復興という大きな課題を抱える東北では、地域包括ケアの充実は難しい現実がある。

 人口流出も深刻だ。岩手、宮城、福島の3県では10年前に比べ15万6000人が減少、陸前高田も3500人以上減った。高齢化率は35%と高い。そのなかで、どのように持続可能な町をつくっていくか。その難題に立ち向かうとき、着々と地域包括ケアの準備を進めている陸前高田の取り組みは、復興や地方再生のカギを握っているように思える。

 もうすぐ震災から5年。大規模なかさ上げ工事のため、まだ建物はまばらな陸前高田だが、目には見えない大事なもの−−人と人との関係づくりができつつある。これからも陸前高田の復興を応援していきたいと思う。(医師・作家、題字も)=次回は3月9日に掲載します。


  1. 2016/02/24(水) 05:48:37|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
<<2月24日  | ホーム | 2月23日 >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する