Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

5月4日 

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0025984.html
刑務所の医師 不足は立ち直りに支障
05/04 08:50 北海道新聞 社説

 刑務所や拘置所、少年院など矯正施設で働く医師(矯正医官)の不足解消のため、政府は矯正医官が民間病院で兼業することなどを認める法案を国会に提出した。

 矯正施設は旧型の医療設備が多く、患者(被収容者)の症例も限定的だ。そのため、医療技術を磨けないなどとして敬遠されることが多かった。

 兼業が解禁されれば、他の医療機関で臨床経験を積めるようになる。医師確保へ追い風になろう。

 だが、これだけでは不十分だ。給与水準の改善や医療設備の充実なども欠かせない。

 被収容者の高齢化や生活習慣病の増加は顕著だ。札幌刑務所でも結核集団感染が相次いだ。国は抜本的な対策を急ぐべきだ。

 矯正施設の常勤医の定員は全国158施設で計327人。だが、今年1月現在の常勤医数は252人と75人の欠員が出ている。

 道内13施設でも定員計18人に対しわずか10人と厳しい状況だ。

 2010年から常勤医不在が続く網走刑務所では、地元の医師が交代で勤務に当たっている。

 同刑務所では一時期受刑者の病死が続いた。因果関係は不明ながら、法務省も「影響が全くないとは言えない」と認めている。

 被収容者の医療を受ける権利が妨げられることは許されない。

 十分な医療が確保できなければ、円滑な社会復帰や再犯防止にも支障が出かねない。

 医師不足の背景には国家公務員法による兼業の制限がある。

 民間病院の医師は他の病院で臨床経験を積むことができる。だが、矯正医官は兼業が禁止されているため、民間施設で働くことが原則できない。

 そのため、最新の医療機器に触れることもできず、スキルアップの機会も限られている。

 新法案は業務に支障のない範囲で外部医療機関で勤務することを認めている。外部の研修などに参加しやすくするため、勤務時間も柔軟に設定できる。

 だが、解決すべき課題はほかにもある。矯正医官の給与は民間医療機関に比べ大幅に低い。急患が出れば夜間や休日の出勤も求められる。こうした対策も必要だ。

 矯正施設の多くは医療過疎地に立地する。兼業解禁を機に、矯正医官も積極的に地域で診療に当たってみてはどうか。

 地域医療と連携することで、矯正医療の現状や意義を国民に知ってもらうことができる。結果的に医師の確保へつながるはずだ。



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/teiron/article/166880
【医療の持続可能性】 丸山 泉さん
丸山 泉(まるやま・いずみ)さん=医師、日本プライマリ・ケア連合学会理事長
2015年05月04日(最終更新 2015年05月04日 13時57分) 西日本新聞

◆国民全体の論議を急げ 

 これからの医療を語るとき、国際競争に耐えうる機器の開発や創薬なども含めた先進技術を必要とする医療の発展と、皆保険の維持を第一義とする国民医療のあり方とのバランスが重要である。
 技術革新はとどまることを知らない。しかしながら、国民に保障されるべき医療の在り方は社会の基盤でもあり、社会保障という枠組みの中にある限り、持続可能性を前提とした別の観点の議論が必要である。
 先月、ワールド・ヘルス・サミット(京都大主催)が京都で開催された。米インディアナ大のトーマス・S・イヌイ教授と私が座長になり、世界家庭医機構(WONCA)のアマンダ・ハウ次期会長など4人の演者により「近未来の医療を支えるプライマリ・ケア」と題したパネルディスカッションを行った。
 上質な医療を保険証一枚で、いつでも、どこでも、誰でも受けられる「国民皆保険」と、自由に医療機関を選択できる「フリーアクセス」の現状評価は、国内外の専門家の間で例外なく高い。しかし、先進諸国の中で突出している日本の高齢化の進行を主とする人口構造の変化や、それに伴う医療財源の問題が浮き彫りとなり、国民皆保険とフリーアクセスの両方ともが、これからも持続可能であると断言することの難しさを痛感した。医療を受ける側の変化がそれを難しくしているのだ。
   ---◆---
 10年後に団塊世代がすべて後期高齢者になる社会の現状と、急な改善が望めない少子化、そして人口の偏在は、有病の高齢者増を招くと同時に、労働人口の不足が医療機関や介護施設での働き手の不足を招き始めている。
 人口の偏在は過疎地域の医療をさらに深刻化させる。小児科や産科について言うならば、高度入院医療までの一連のネットワークを必要とし、単独では存立し得ないことや、小児や出産の少ない地域での診療が経営の見地から敬遠されることから、小児科・産科医不足という悪循環を招いている。生活を守る最後の砦(とりで)としての医療の安定確保が最大の課題になっている。
 高齢者の疾病の特質は多疾病罹患(りかん)である。1人の患者が幾つもの疾患を抱えているので、これまでのように1疾患1医療機関という単純な図式での解決を困難としている。加速度的な認知症の問題も加わる。脳卒中、運動器障害、認知症など、また虚弱のために介護を必要とする人は1人で受診できない。独居老人が急速に増加しており、貧富の格差も増大している。
   ---◆---
 経済的側面も考える必要がある。医療・介護保険への家計負担に加え、交通費などの関連する費用も無視できない。これまで、医療機関は受診した患者、あるいは患者宅への往診や訪問診療が医療のすべてであったが、受診困難者の増加は、地域の医療的課題を医療提供側に見えにくくするだろう。制度的にはフリーアクセスであるが、実態として医療へのアクセス困難者が増加する事態を恐れる。
 日本経済が、これまでのような右肩上がりにはならないと言われている中で、政府財政も、医療・介護保険制度も、国民負担も、極めて困難な局面に立たされている。上質ではあるが、実はかろうじて稼働していた医療システムそのものが、激変する状況の変化に対応しきれなくなっている。
 一方で、あくなき高みの医療への国民の期待にどう応えるのか。30年、50年先を見つめた長期的ビジョンを国民的なレベルで早急に議論する必要がある。それにしても国民の判断に必要な情報が不足している。
【略歴】 1949年、福岡県久留米市生まれ。久留米大医学部卒の内科医。福岡県小郡市で医師会活動の後、NPO法人で地域の健康増進活動に取り組む。2012年6月から日本プライマリ・ケア連合学会理事長。父は医師で詩人の丸山豊。



http://www.m3.com/news/iryoishin/316100
シリーズ: The Voice
医療事故の原因究明できない日本
空疎な医療安全のままで良いか

岩田健太郎(神戸大学大学院医学研究科・微生物感染症学講座感染治療学分野教授)
2015年5月4日(月)配信

 明日で福知山線脱線事故から10年になる。犠牲者の皆様に心から冥福をお祈りする。 JR西日本は事故を受けて体質改善に取り組み、責任追及型から原因究明型に認識を改める、と表明した。しかし、JR西労組が行ったアンケートによると、ヒューマンエラーへの対応について、3割強が未だに「責任追及と感じる」と答えたという。要するに、言っていることとやっていることが違うのである。

 責任追及型にすれば、「悪いやつを懲らしめる」カタルシスは得られるが、問題そのものが隠蔽されて「なかったこと」にされたり(とくにヒヤリハット)、表面的な当事者だけが糾弾される蜥蜴の尻尾切りになる。けれども、一番大切な原因究明は曖昧なままで、同じパターンのエラーが構造的に繰り返されるようになる。

 だから、「罪を憎んで人を憎まず」で徹底的に原因究明=「何が起きたのか、なぜ起きたのか」だけに焦点を絞り「だれが悪かったのか」という観念を捨象する必要がある。けれども、「水戸黄門」に代表されるように我々は「悪い奴らを懲らしめる」的なエートスを刷り込まれている。だから、かなり意図的に、意識的にこうしたエートスを捨象しないと、ついつい「責任追及型」に戻ってしまう。日本でM&Mがうまくいかない、としばしば指摘されるのは、そのためだ。もちろん、日本でだってM&Mカンファを上手にやる方法はあるのだけれど、それにはかなり強固な意識改革と技術的な訓練を必要とする。

 ぼくは亀田にいた時からM&Mを効果的に活用していた。日本的に「KAIZENカンファ」と名づけ、問題のあったケースを徹底的に掘り下げ、問題の根っこを探り出し、二度と同じことが起きないよう、皆で知恵をシェアするというやり方だ(root cause analysis, RCA)。現在でも神戸大感染症内科でこのような取り組みは定期的に行っている。一昨日も循環器の先生とケースを徹底的に洗い直し、さらなる診療の質を高める工夫を行ったばかりだ。もちろん、個々の医者が「悪いやつ」として責められることは絶対にない(そういう場では)。うちのスタッフも後期研修医もこのような「原因究明型」の問題発掘、問題解決の方法論を毎日の回診で習得させられる。つまるところ、感染症診療そのものが「問題発掘」「原因究明」「問題解決」の繰り返しなのだ。

 しかし、JR西日本のエピソードが象徴するように、このような原因究明型のプラクティスは医療の現場では稀有と言ってよい。先日の群馬大の医療事故でも事故調査委員会の報告書は原因究明と責任追及がごちゃごちゃになり、その結果原因究明そのものは不十分になってしまった。これは氷山の一角に過ぎず、医療界の医療安全/事故調査のほとんどは、井上清成氏が指摘する「旧来型」、原因究明と責任追及がごちゃごちゃになって、結局原因究明はなおざりにされてしまう、、、、したがって、同じようなエラーが構造的に繰り返される、、、ものなのである(MMJ2015年4月号)。責任追及型なので、組織は隠蔽体質になる。群馬大学での術後死事例だってすぐにインシデントとしてあげていれば別の対応だってとれたはずだ。

 それでなくても医師のインシデント報告数は日本では絶対的に少ない。というか、日本ではインシデント報告は「悪いやつ」が反省しながら出す事実上の始末書と化している。これは公益財団法人日本医療機能評価機構の責任も大きい。ここが作っているインシデント報告システムのひな形が、報告者がどのような人物でどのような資格があってなどを詳細にわたってinterrogateし、改善策まで提示させているのだから。よって、「おれが悪い」という自覚とカミングアウトする勇気がない場合は、絶対に報告は上がらない。群馬大での事故がそうだったように。煩瑣な報告システムそのものがまず報告意欲を減衰させるし、「改善策」など提示させるのは要するに「反省しろ」と言っているのに等しい。骨の髄まで「責任追及型」の人間が作ったシステムなのである。まあ、そういう評価機構という一種の「権威」に無批判に乗っかっちゃう権威主義、形式主義の医療機関も悪いんだけど。 インシデントレポートは傍観者であっても「何月何日にどこそこでこういうことがあった」と報告すれば、それでよい。悪いという自覚もカミング・アウトする勇気も関係ない。報告者の身分や立場も関係ない。

 ある外来改善系の会議で、カルテを書いてくれているクラークが改善策を提案しようとしたとき、そこにいた看護師は「あなたは口を出すことではない」と言った。ぼくは「会議に出ているメンバーはだれでもどんなことでも提案する権利が十全にある。ここにいる人で口を出してはいけない人はひとりもいない」と言った。事程左様に、日本では「なに」よりも「だれがどの立場で」を重要視するのである。丸山真男が「「である」ことと「すること」」を「日本の思想」で論じたのは1961年だが、それから立場主義、形式主義的思想は全然進化していない。

 なので、医療安全を担当するものも「教員でなければならない」などと、あり得ない妄言が飛び出す。助教、講師、准教授、教授になる要件と医療安全を扱うエクスパティースは全く別物なのに、である。助教になるために医療安全の訓練を受けた、などという話は聞いたことがない。「いやいや、毎年医療安全に関する講習を受けてますよ」などと賢しらに反論する者もいるが、「ほう、あなたの領域の専門性は年一回のレクチャーで担保されるような専門性なのですか」と反論しておこう。例えば、うち(感染症内科)のスタッフや研修医はそこらの講師や教授たちよりもずっと医療安全についての専門的な知識や技術を身につけている。責任追及型にならず、Facts(What happened?)とOpinion(What do you think?)を分ける訓練も厳しく受けている。この2つも、医療安全関係の会合でゴチャゴチャに議論されている(というか、そもそも事実確認事態が甘々なのが通例だ)。「結局、この先生がもうちょっとちゃんとやっとけばよかったんちゃう?」とスカスカのデータから分かりやすい結論を作って、そして個人をそこはかとなく糾弾し続けている。

 日本でも名古屋大学のように医療安全にラディカルに前進しているところもある。ラディカルに、ということは前提や慣習やその場の空気や立場/身分がモノを決めるのではなく、徹底的に「なぜ対策を取るのか」を考えぬくような態度にある。事実と意見、能力と立場、形式と実質、「なに」と「だれ」を厳しく区別し続ける態度にある。この厳しい態度がない限り、日本の医療安全は「ルートコーズ」「ヒヤリハット」「ゼロベース」といった舶来物のキーワードだけが飛び交う、誠に空疎なものであり続けるに違いない。そして同じ誤謬は同じ理由で繰り返される。


※本記事は、2015年4月24日のブログ『楽園はこちら側』で発表した内容を、編集部でタイトルとレイアウトのみ変更したものです。



http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0505/ym_150505_8791072466.html
医薬分業 「かかりつけ」の機能強化図れ
読売新聞5月5日(火)1時16分

 医師が薬の処方箋を出し、外部の薬局が調剤して患者に提供する。病院と薬局で業務を分担する「医薬分業」について、政府の規制改革会議が制度の見直しを議論している。
 医薬分業には、医師が処方した薬の安全性や効果を薬剤師が点検し、医療の質を高める狙いがある。患者がメリットを十分享受できる仕組みにすることが重要だ。
 かつては病院が調剤も担う院内処方が一般的だった。薬の仕入れ値と売値の差益が病院の大きな収入源となり、必要以上に処方する「薬漬け医療」を招いた。
 厚生労働省は1974年以降、院外処方の診療報酬を手厚くし、分業を誘導してきた。院外処方は今では7割に上る。
 薬の適正使用が促され、薬剤費の節約に一定の効果があった点は評価できよう。
 課題も顕在化している。
 高齢化の進展に伴い、複数の医療機関に通いながら、在宅療養する患者は増加する一方だ。
 身近な地域の「かかりつけ薬局」が、服薬情報を一括管理し、薬の重複や飲み残しの確認、患者宅での服薬指導や健康チェックを行う体制作りが求められている。
 だが、十分に機能を果たしている薬局は少ないのが現状だ。
 患者の服用履歴や体質を踏まえたアドバイスなど、基本的な業務をきちんと行わず、処方箋通りに調剤するだけの薬局が目立つ。
 大手薬局チェーンが服用情報の記録を怠り、診療報酬の不正請求が疑われる事例も発覚した。
 薬局のきめ細かなサービスを前提に、院外処方の診療報酬は院内処方より高く設定されている。風邪の治療薬7日分の処方・調剤で1000円以上の差があり、患者負担も通常300円余り高い。
 内閣府の調査では、院外処方の価格が「高すぎる」と答えた人が6割に上っている。規制改革会議でも、診療報酬の見直しを求める声が大勢を占める。サービスの内容や質に応じ、診療報酬にメリハリをつけるべきだ。
 規制改革会議では、病院敷地内での薬局開設を禁じた規制の撤廃も論点となっている。敷地内にある方が便利だとの発想からだ。
 規制の目的は、薬局が病院の意向に左右されないよう、独立性を確保することにある。病院に間借りした場合、処方箋に異論を唱えにくくなり、過剰投与などにつながる恐れはないのか。
 病院中心の医療から在宅ケア重視への流れにも逆行する。慎重な検討を求めたい。


  1. 2015/05/05(火) 05:59:40|
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