Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月19日 

http://www.m3.com/news/iryoishin/304588?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD150319&dcf_doctor=true&mc.l=92896511
医療維新
シリーズ: 医学教育を考える
新卒合格率100%は6校、2015年医師国試
入学定員に対する受験者割合、低下傾向

レポート 2015年3月19日(木)配信池田宏之(m3.com編集部)

 厚生労働省は3月18日、第109回医師国家試験の合格者を発表した(資料は、厚労省のホームページに掲載)。全体の合格率は91.2%、新卒に限った合格率は94.5%、ともに前年より0.6ポイント上がった(第108回の結果はこちら)。

 2009年度の医学部の入学定員は2008年と比較し、693人増となり、近年では、最も増加数が多かったが、新卒の合格率は上昇した。一方で、2009年度の入学定員に対する医師国試の受験者数の割合を見ると、9割に満たない大学が、前年の6校から16校と3倍近くなっていた。全体の入学定員に対する受験者数の割合は、前年の99.44%から、2ポイント以上低下し、97.22%で、学力が低い学生が国試を受けるまでに至っていない可能性がある。

 新卒者の大学別の合格率を見ると、合格者が多い順に慶応義塾大学、浜松医科大学、千葉大学、金沢大学、帝京大学、鳥取大学の6校が100%となった。帝京大学は、前年の合格率が67.90%と最も低かったが、117人の国試出願者に対して、受験者数は88人にとどまり、合格率が高くなった。

 前年より10ポイント以上下がったのは、久留米大学のみ。久留米大の新卒合格率は、81.37%で最下位となった。前年は8割を切った大学が2校あったが、今年はいずれの大学も8割を超えた。

 第109回国試験は、既卒も含めて、9057人が受験し、8258人が合格した。合格者は、前年比で、438人増えた。新卒のみをみると、8250人が受験し、7798人が合格した。2009年は、2008年と比較して、医学部の入学定員が693人と大幅に増加した年だったが、受験者と合格者の増加は500人程度にとどまった。 

 2009年度の入学定員に対する受験者の割合が低かったのは、帝京大学と鳥取大学が80.00%、島根大学が80.95%、和歌山県立医科大学が81.05%、熊本大学が83.64%、福岡大学84.55%など。

 新卒の合格率が100%を超えた6大学は、いずれも前年より順位を上げた。一方で新卒の合格率が90%に満たなかったのは、久留米大学(81.37%)、山口大学(86.32%)、近畿大学(88.30%)、川崎医科大学(88.39%)、獨協医科大学(88.43%)の5大学。


表1 第109回医師国家試験の新卒の合格者数一覧
(医学部を持つ大学・医科大学、計80校分を集計。新卒の受験者数に対する合格者の割合が多い順にランキングを作成。同数の場合は、「合格者数」が多い順に掲載)
(表 略)



http://www.m3.com/news/iryoishin/304684
医療維新
「息子の名誉が回復された」、一部は評価
公立八鹿病院の控訴審判決、遺族が会見

レポート 2015年3月19日(木)配信成相通子(m3.com編集部)

 「ここまで認められていて、なぜ(個人の賠償責任は)認められないのか。納得がいかない」。公立八鹿病院(兵庫県養父市)に勤務していた整形外科医が過労自殺し、病院と上司2人に対し損害賠償を求めた裁判の控訴審判決で、約1億円の損害賠償が認められたが、判決後に会見した医師の父親は険しい表情を崩さなかった。広島高裁松江支部は3月18日、過重労働とパワハラを認定し、病院を運営する組合に約1億円の支払いを命じた(『勤務医の過労自殺、上司の個人責任認めず』を参照)。

 両親は、控訴審判決について「息子の名誉が回復された」と高く評価しつつも、頭を叩くなどの暴行まで行った上司個人の賠償責任が、国家賠償法で免責されたことに強い憤りをあらわにした。控訴審判決では、一審が認めた過失相殺を否定し、賠償額が約8000万円から約2000万円増額した一方で、上司の医師2人への請求は一審判決とは異なり棄却した。


 会見した岩城穣弁護士は「今の医療現場の一端を示しており、全体として労働実態に踏み込んだ判決で非常に良かった」としたものの、上司個人の賠償責任が認められなかったことを不服とし、公務員のパワハラ問題として、遺族の意向や一般市民の受け止め方、影響を考えて上告を検討したいとした。

「医師」を理由とした過失相殺は否定
 裁判所の判断として、広島高裁松江支部の塚本伊平裁判長は、医師免許取得から3年目の新人の整形外科医が、過酷な労働実態と「指導や注意の範疇を超えた」パワハラで追い詰められ、うつ病を発症し、自殺に至るまでの労働実態を詳細に認定。さらに、一審では、自殺したのが医師であることなどから過失相殺したが、控訴審判決では認めなかった。病院側は「医師でありながらうつ病の治療を受けていない」「本人の能力不足と真面目な性格」などを理由に過失相殺を主張していたが、「性格は通常想定される範囲を外れるものではなく、これまで問題なく職務に従事しており、格別能力が劣っていたと認められない」として否定した。

 この点について、医師の母親は「それほど劣る人間ではないと、(過失相殺を)否定してもらったことは、最も傷つけられて苦しかった部分を裁判官がくみ取ってくれて、ありがたい」と感極まった様子を見せた。同席した林裕悟弁護士も「胸に迫るような判決文で感動した」とコメント。亡くなった医師の知人の医師も「非常にやさしくて優秀な医師だった。名誉が回復されたのが何よりもうれしい」と喜びを隠さなかった。

上司の個人責任、「公務員」理由に否定

 その一方で、国賠法による上司の個人賠償責任の免責については、遺族からも、厳しい意見が相次いだ。母親は「公務員の業務遂行に暴行が認められるのは違和感を覚える。公務員だったら、暴行があっても罪に問われないのか」と強い口調で訴えた。

 控訴審判決は、パワハラをした上司の医師の1人も2005年に時間外労働の改善を求める嘆願書を出していたことなども踏まえ、病院組合が労働者の安全配慮義務違反があったと認定。しかし、公立病院の職員は公務員で、「病院組合との関係は雇用関係でなく、任用関係」と指摘。「公立病院における任用関係は、特別職を含め全体の奉仕者として民主的な規律に服すべき公務員関係の一環で、民間の雇用関係とは異なる」と判断、上司との関係は「民営病院と異ならない」とした一審判決を覆した。

 その上で、「パワハラは職務を行うについて行ったもので、公権力の行使に該当する」と指摘。当時、公務員だった2人は個人としての不法行為責任を負わず、遺族側の請求は理由がないとした。

 岩城弁護士は「今回のパワハラでは暴行も認定されている。職務としての暴行の限度があるのか、これがセクハラだったり、袋叩きだったらどうなるのか。一般化した時の問題がある」と指摘。林弁護士は、「医局で差配してたまたま公立病院に行っただけで、(勤務先が)民間病院だから、公立病院だから、というのは関係ない。どうして伝わらないのか残念な思いだ」と上告も検討するべきだとした。

 同席した、全国医師ユニオン代表の植山直人氏は、「これでは、公的機関でパワハラの問題がなくなるのか疑問。個人の責任追及については意見が分かれるが、常識で考えられない暴力はいかがなものかと思う」と話した。

 遺族の母親は、提訴した一番の理由は、医療現場の過酷な労働環境と封建的な部分の改善、再発防止があるとした上で、「暴行、暴言を用いないと業務ができない医療現場であってはならない。業務の遂行に暴力を持ち込むべきではない。再発防止にはそこを譲りたくない」と訴えた。父親は亡くなった息子に、「半分だけ認められたけれど、全部は認められてない、と報告する」と話した。


◆控訴審判決の労働環境に関する判断

 時間外労働は赴任当初の10月に200時間以上、12月10日に自殺する4週間前は167時間以上などの過重労働があった。赴任当初から20人を超えた診察患者数についても、「外来診察の経験の乏しい医師には重い心理的負荷が生じる診察患者数だった」と認定。
 パワハラ行為については、一審で認定されたように、患者の前で頭を叩かれた暴行や、「田舎の病院だと思ってなめとるのか」「その仕事ぶりでは給料分に相当していない。両親に連絡しようか」などの叱責について、「社会通念上、許容される指導または叱責の範囲を明らかに超えるものである」と指摘。
 さらに、自殺した医師の前任の医師ら4人の供述を採用。そのうちの3人の医師が半年で病院を去ったことなどから、「(上司の2人の医師は)通常期待される以上の要求をした上、これに応えることができず、ミスをしたり、知識が不足して質問に答えられないなどした場合に、患者やスタッフの面前で侮辱的な文言で罵倒する」などのパワハラを行い、「質問してきた新人医師を怒鳴ったり、嫌味を言うなどして不必要に委縮させ、新人医師にとって質問のしにくい、孤立した職場環境になっていたことは容易に推認することができる」と指摘。
 自殺した医師は、「このような状況下で、一層委縮し、上司の医師2人に質問もできず1人で仕事を抱え込み、一層負担が増大するといった悪循環に陥っていた」とした。



http://www.huffingtonpost.jp/masanori-miyasaka/doctors-in-tohoku-area_b_6899750.html
東北はやっぱり医者が足りてない。医師のやりがいとキャリア形成
宮坂政紀
仙台厚生病院 心臓血管センター循環器内科
投稿日: 2015年03月19日 15時59分 JST 更新: 4時間前 ハフィントンポスト

東北では医者が足りない。元々そう聞いていたが、東京から仙台に来てあらためてそう思う。

私は東京での初期、後期研修後に2013年4月に仙台厚生病院に就職した。仙台厚生病院は循環器、消化器、呼吸器の専門病院で、心臓カテーテル検査数、心筋梗塞患者数、胃・大腸癌の内視鏡治療数、肺癌手術数はいずれも東北一であり、この地域の基幹病院の一つだ。仙台厚生病院からは宮城県だけでなく、福島県や山形県の一部にも医師が派遣されている。私は宮城県の他、福島県相馬市に派遣されたが、そこは想像以上の医療過疎地域だった。

福島県相馬市の病院には2014年に出向した。相双地域の医療圏はおよそ10〜13万人、人口10万人あたりの医師数は79人(震災前は120人) である。日本全体では237人、東京都313人、宮城県230人、仙台269人、福島県187人である。震災の影響も大きいが、震災前から相双地区の医師数は極端に少ない。福島圏以外の原子力発電所がある医療圏では、北海道後志は187人。新潟県中越医療圏166人、茨城県常陸太田・ひたちなか医療圏は103人。静岡県中東遠医療圏135人、石川県能登中部192人、福井県嶺南医療圏は203人、島根県松江医療圏239人、愛媛県八幡浜・大洲医療圏182人、佐賀県北部医療圏185人、鹿児島県川薩保健医療圏203人であった。原子力発電所のある自治体はいずれも医療過疎かもしれないと思い比較したが、相双医療圏の人口あたりの医師数はこの中でも最低ランクにあった。

特に驚いたのは夜間の当直帯だ。離島でも無いのに「自分の医療レベルが地域の医療レベル」になってしまう。医師が少なく、自分が実質的には「最後の砦」となってしまう可能性があるからだ。

当時、夜間診療を行っていた病院は5つしかなかった。夜間帯は五病院の当直医の専門により診療できる範囲が決まる。例えば、当直医が内科医ならば外科のスキルを要する交通外傷の診療はほとんど不可能だ。私の専門は循環器内科であり、当直帯には内科系全般の診療を行う。地域の内科系当直医が私だけなら、自分の医療レベルが、その夜、その地域の内科系疾患の医療レベルを規定する可能性があるのだ。個人としてはやりがいを感じる反面、少ない医療資源で行う医療に限界があることに不安を覚えた。このような状況は東京や仙台では起こらない。

私が驚きの声を漏らすと、ある医師は「田舎はこんなもんだよ。」と言う。このような発言は東北出身者に多いように思う。医療過疎に慣れてしまっているのかもしれない。

一方で東京や大阪での診療経験を持つ医師は私のように強い驚きを示す。重症患者をヒヤヒヤしながら1時間以上かけて長距離搬送する。目の前で苦しむ患者に提供すべき治療ができない。普段当たり前と思っている医療を実践できないのだから、医療従事者としては辛い。

例えば、急性心筋梗塞は一刻を争う疾患で、治療の遅れは重症化につながる。治療は早ければ早いほど良いのだが、治療可能な施設までの患者搬送に1時間〜2時間かかる。搬送中に急変することだってある。私は医師不足を数字で表されてもピンと来なかったのだが、これらの経験から医師不足を肌感覚として実感した。医療過疎地の医者は医師不足を「当たり前」と言い、過疎地での勤務経験がない医者は「ピンと来ない」。私は医療過疎の惨状を把握する人は実は想像以上に少ないのではないかと思うようになった。

医療過疎地域で医師として働くことはやりがいがある。東北地方であれば被災地支援にも貢献できる。しかし過疎地勤務にはデメリットもある。そもそもデメリットがなければ過疎地の医師不足は問題とならない。デメリットとしては過重労働、高度医療や学術的研修での遅れ、過疎地に取り残される不安、家族や子育ての問題などがあげられる。できればそのようなデメリットが少ない環境を選択したい。私の場合には期限付きの派遣であったため、過疎地に取り残される不安はなかった。

医師のキャリアを考えた場合、医師はなるべく早期に経験を積んで、知識と技術を磨くことが大切だ。例えば、「手際よく、見落とし無く診察できるようになること」や「手術、内視鏡、カテーテル治療などの技術を身につけること」などだ。その修行の場として医師の数は多すぎても少なすぎてもダメだと思う。なぜなら、医師が多いと医師以外でもできる仕事をさせられる時間が長くなり、担当できる患者数が減り、十分な経験を積むのに時間がかかるからだ。一方で医師が少なすぎる施設では、知識や技術を身につけるのに十分な施設やスタッフが揃っていないことがある。例えば、外科の手術などでは指導医と手術室がなければ手術をすることはできない。

私が所属する仙台厚生病院は、循環器、消化器、呼吸器分野で東北一の症例数を有する病院だが、東京の施設に比べれば患者あたりの医師数はやはり少ない。忙しい反面、多くの症例を経験でき、若手にとってチャンスになる。例えば、内科分野言えば、早期から内視鏡検査や心臓カテーテルなどの技術を経験できる。検査治療数は多く、年間のカテーテル検査は5000例、カテーテル治療は1200例、心筋梗塞の治療は320例にのぼる。また、カテーテルによる大動脈弁治療などの高度医療も学ぶことができる。最近では論文指導を受けることもできるようになっている。

私は東京、宮城、福島での医療を経験した。医師としてのやりがいとキャリアを考えると、東北での仕事は一つの選択肢になると思う。頼りにされ、やりがいがある。若手にとっては人の役に立つ良い機会が得られるかもしれない。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t236/201503/541099.html
特集◎教授はつらいよ(1)絶対的権力者も今は昔
『白い巨塔』とは大違い、失墜する教授の権威

2015/3/16 土田絢子=日経メディカル

「絶対的権力者」「派閥争いの勝者」というイメージが強い医学部の教授。だが実際には、医局員の処遇に頭を悩ませ、学内外の多種多様な管理業務を抱えるなど多忙を極める。給与はその負担に比べると見劣りするが、医師が成長する喜びを胸に奮闘する──。そんな今どきの教授の等身大の姿を追った。

※本特集で取り上げる医学部教授は、臨床系の教授に限定しています。
 「『医学部教授』にどのようなイメージを持っていますか」─。日経メディカル Onlineでこんな調査を行ったところ、たった1日半で約1000人もの医師から回答があった。その結果を示したのが図1だ。

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図1 医学部教授のイメージは?(複数回答、n=1002)
「医学部教授に関するアンケート」の概要
日経メディカル Onlineの医師会員を対象に実施。期間は2015年2月12~13日。1002人の医師の回答を集計した。1002人の所属や役職の内訳は、市中病院勤務医57.1%、診療所院長・理事長14.6%、診療所勤務医10.9%、大学病院勤務医10.4%、病院院長・理事長2.2%、医学部教授1.0%、その他3.8%。

 回答した医師の半数近くが「当てはまる」と答えた教授の2大イメージが、「絶対的な権力を握っている」(46.7%)と、「派閥争いの勝者」(42.4%)というものだった。1965年に発表された山崎豊子著の小説『白い巨塔』(新潮社)の教授を彷彿とさせるイメージだ。同作品は、絶対的権力者である国立浪速大学第一外科教授とその定年退官後のポストを巡るし烈な教授選を描いた。そんな時代を知る年輩の医師からは、「40年前、教授は君主であった」(70歳代、神経内科)、「たとえ理不尽であっても、教授の命令に背いて物事を進めることはあってはならなかった」(60歳代、一般内科)などと、教授の権力の絶大さを表すエピソードが多数寄せられた。

 しかし、そんな教授像は既に過去のものとなっている。教授の権威は大きく低下し、医局員の処遇に心を配り、膨らむ教育・診療・研究の負担、大学や付属病院の管理業務を抱え多忙を極めているのが、平成の教授の等身大の姿だ。そうした教授の姿を見ている医師も少なくないのだろう、教授のイメージ調査の回答には、「研究費の確保に苦労している」(36.2%)、「医局の運営に苦労している」(35.0%)─が続いた。『白い巨塔』の初版発行から既に50年。時は流れ、教授の役割や位置付けは大きく変わった。

宮地良樹氏
みやち よしき●滋賀県立成人病センター院長。1977年京都大学卒。86年京都大皮膚科講師、90年天理よろづ相談所病院皮膚科部長、92年群馬大皮膚科教授、98年京都大皮膚科学教授、2014年から現職。

派遣人事に頭悩ませる教授
 「医局員に関連病院への派遣人事を打診しても、今は簡単に『嫌です』『行きたくありません』と断られてしまう。教授の人事権が低下しているのに関連病院からの要望に応えなくてはならず、とにかく大変だった」─。こう話すのは、滋賀県立成人病センター(滋賀県守山市)院長の宮地良樹氏だ。宮地氏は群馬大学で6年間、京都大学で16年間教授を務め、2014年に退任したばかり。京都大皮膚科教授時代は100~150人の医局員を抱え、毎年20~30人の派遣人事を行っていた。「まさにパズルのよう。どの領域が専門か、専門医資格を持っているか、どの地域で働きたいか─など個々の希望を聞いて、適切な派遣先を考える。医局長とも協力して行っていたが、かなりの精神的・時間的な労力を人事に割いていた」と続ける。

 宮地氏と同様、人事に頭を悩ませる教授は多い。昭和大学小児科教授の板橋家頭夫氏は、多様な働き方のニーズに応える苦労を語る。例えば、増加し続ける女性医師への対応。出産や子育てをサポートする体制の整備は進んだものの、40歳を過ぎて「当直をこなすのが難しくなった」と相談されるケースがある。「付属病院をはじめとする関連病院は急性期ばかり。そうした要望に応えられる派遣先は少ない」と板橋氏はこぼす。

板橋家頭夫氏
いたばし かずお●昭和大学小児科教授。1979年昭和大学卒。88年葛飾赤十字産院小児科部長、2002年昭和大横浜市北部病院こどもセンター教授、03年より現職。昭和大病院の副病院長、総合周産期母子医療センター長を兼務。

 人事の悩みは旧帝大でも変わらない。東京大学腫瘍外科・血管外科教授の渡邉聡明氏は、「外科医がどんどん減っている状況の中、医局運営に必要な人員数を何とか保っている。今は、外科の志願者や入局希望者をいかに集めるかが外科系教授の重要な役割になった」と話す。渡邉氏は、自ら率先して学生や研修医向けのセミナーに出席し、志願者や入局者を増やすよう努力しているとのことだ。


渡邉聡明氏
わたなべ としあき●東京大学腫瘍外科・血管外科教授。1985年東京大学卒。94年東京大病院第一外科助手、99年東京大腫瘍外科助教授、2006年帝京大外科教授、11年同主任教授、12年より現職、13年からは東京大病院副病院長を兼務。

大学医局への帰属意識が希薄に
 その昔、教授の強大な権力の源泉は医局員の人事権を一手に掌握していることにあった。医師は大学医局に所属していなければ、必要なスキルを身に付けたり就職先を見つけることが難しいため、トップである教授の指示に従わざるを得なかった。

 こうした状況を大きく変えたのが、新医師臨床研修制度の導入や専門医制度の整備だ。医師は出身大学の枠にとらわれずに様々な病院で研修を受けたり、専門医資格を取得することが可能に。また、転職市場に出てきた医師をサポートする転職支援会社が数多く出現し、サイトに登録すれば全国の病院の求人情報を手軽に入手できるようになった。大学医局に属さずともキャリアを積む環境が整ってきたのだ。宮地氏は、「昔は大学の医局に所属していなければ医師はサバイバルできなかったが、今はそうではなくなり、医局への帰属意識が希薄になった」と変化を語る。

 医局にとっては、医師が少なくなれば、関連病院への派遣ができなくなり、教育や診療、研究で実績を上げることもままならなくなる。「本人の希望に沿わない人事を強行すれば、医師は医局を去っていく可能性が高い。そうした状況ではお互いに苦しくなるので、教授が人事に心を砕くようになった」と板橋氏は説明する。


地方病院への派遣人事は「お願い」しなくてはならない時代に。

 教授の人事権低下は、医局運営の考え方も変えた。多くの教授が、「教授の仕事は医局員が働きやすい環境を整えること」と口をそろえる。「昔はトップダウンで物事を進めていたように思うが、今は教授のカリスマ性に頼るようなことはできない。みんなと一緒に話し合いを繰り返しながら、より良い医局となるよう運営している」と板橋氏。結果的に教授は、ヒエラルキーのトップというイメージではなくなった。「教授はトップというよりも、一つのポジションにすぎなくなった」と板橋氏は語る。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t236/201503/541140.html
特集◎教授はつらいよ(2)学内外の管理業務に疲弊…
医学生の試験成績が悪いのは教授のせい!?

2015/3/17 土田絢子=日経メディカル

 教授の仕事は、教育・診療・研究が3本柱。現代の世相を反映して、これらの負担も増加する傾向にある。

 まず教育。特に医学生への教育の負担が高まっている。私立大学教授のA氏が指摘するのは、「『医学生への教育』が教授の評価項目になった」ということだ。A氏の大学では、講義を医学生が評価する「授業評価」を導入している。声の大きさ、内容の分かりやすさ、板書の見やすさ─などがチェックポイントで、授業評価が悪ければ大学から教授が改善指示を受けるのだという。

 医学生のテストの成績も、教授の評価項目に加わった。業者が実施する模擬試験でA氏が担当する分野の成績が悪い場合はもちろん、A氏が作成したテストの成績が全体平均で3割を切ると、「テストの問題が良くなかったのでは」と大学側から指摘されるのだ。「そもそも自分が学生の頃は、教授が授業のテーマとは全く関係のない研究の話をしても、試験の成績や国家試験の合格率が悪くても、『医学生が勉強しなかった』と皆考えたし、誰も教授に文句を言わなかったのだが……」とA氏は憤る。

 また、実習の負担増を挙げるのは、別の私大教授B氏。「以前はただ見学させていればよかったが、今は医学生がポートフォリオを作成したり、回診時にプレゼンをしたりする。それらをチェックしコメントしなくてはならないのは負担だ」と話す。


教授にクレームをつける医学生の親は医師が多いという。

 さらに今の時代、医学生の親から教授にクレームがつけられるようにもなった。私大では、年間授業料が700万円近くに上るところもあり、留年したときの親の経済的な負担は大きい。「留年させたことで、下手をすると裁判沙汰にもなりかねない。また、子どもの留年を恐れてか、一つひとつのテストの点数で『うちの子はどうしてこの点数なのか』と説明を求められることもある」と私大教授のC氏は語る。

 診療については、医局員の診療に患者からクレームがつけば教授が対応に出向く必要があるし、病院経営にも配慮することが求められる。私大教授のD氏は、「担当する診療科のベッドで赤字を出さないよう、うるさく言われる」と嘆く。独立行政法人化で自立した経営が求められている国立大学でも、「1ベッド当たりの売り上げ、患者単価、病床稼働率など、担当する診療科の診療報酬データは毎月報告を受ける」と教授のE氏は話す。

 研究では、国の予算が限られる中、研究費の獲得が教授の重要な役割だ。「教授は教室の顔。製薬企業から講演会の声が掛かれば1時間話してくる。マメにいろいろな所で顔を売ることで、つながりが生まれて産学連携の研究費獲得に結び付くこともある」とA氏。「顔」として講演会やその後の宴会に呼ばれるうちに、メタボリックシンドロームを患ってしまったというのがA氏の言い分だ。

重くのしかかる管理業務
 教授の仕事は医局の運営だけにとどまらない。大学や病院のマネジメント業務も任される。例えば、大学には入学試験、実習プログラム、国家試験などの委員会が、病院には医療安全、治験審査、病院機能評価、臨床研修の外部評価などを担当する委員会が置かれている。これらの委員会の重要ポストは教授が担うことが多い。

 山形大学放射線腫瘍学教授の根本建二氏は、「教授になった当初は役職があまりなく、教育・診療・研究に集中できてとても楽しかった。それがだんだん出席する委員会が増え、委員長を任されるようになり、マネジメント業務が膨らんでいった」とこれまでの経緯を話す。現在、根本氏は教授職に加えて副病院長、副医学部長、がん臨床センター長を兼務する。「決済すべき書類だけでもかなりの量になる。生半可にできる仕事ではなく、勤務時間の半分をマネジメント業務に割かなくてはならなくなった」と続ける。

 教授の中でも、マネジメント業務を任せられる教授には、より仕事が集中する傾向にあるという。「大学や病院全体を動かすにはマネジメント力が必要になるが、全ての教授にマネジメント力が備わっているわけではないからだ」と根本氏は指摘する。

 大学や付属病院の業務に加えて、教授には所属する学会の仕事も割り振られる。学会を運営するには、学術大会を開催したり、ガイドラインを作成するなどの目立つ仕事だけでなく、ウェブサイトを管理する、財務を管理する、啓発活動をする、専門医制度に対応する─など裏方的な仕事もあり、各大学の教授が担っている。関連学会3つ4つに所属するとなると、業務量は増える一方だ。

 教授は、こうした多彩な仕事を器用にこなせなくては務まらなくなった。東京医科大学腎臓内科学分野主任教授の菅野義彦氏は、「一昔前までは研究に専念してきた人が教授に選ばれたが、今はスペシャリストではなく、教育・診療・研究の全てがそこそここなせるジェネラリストが求められているのではないか」と話している。

35年間卒業生の入局なし! 入局者確保へ人事を尽くす


大槻マミ太郎氏
おおつき まみたろう●自治医科大学皮膚科教授。1986年東京大学卒。89年東京大皮膚科助手、94年同講師、98年自治医大皮膚科助教授、2004年から現職。

 自治医科大学は、都道府県が共同で設立した学校法人が運営する。卒業生は基本的に9年間、都道府県の職員として地域医療に従事しなくてはならない。

 こうした大学の宿命により、自治医大皮膚科は35年間、卒業生の入局者がゼロの状態にある。総合診療に10年近く従事した後、皮膚科の専門医を目指すのはハードルが高く、基礎的な研究を始めるにも年齢的なハンディキャップが大きいからだ。

 その自治医大で皮膚科教授を10年間務める大槻マミ太郎氏は、こうした宿命を受け入れつつも、「やはり教授になったからには医師を育てたい。その思いでこの10年間、自分なりに努力してきた」と振り返る。

 医学生を皮膚科に誘うために、授業では実習を交えて興味を引くよう工夫。医局費をつぎ込んで、興味がありそうな学生には皮膚科関連の講演会や学会への参加を呼び掛けている。入局者には、若いうちから手掛けた方がよい研究や皮膚外科に集中的に取り組めるような体制も整えている。

 それでも現実は厳しい。医局に所属するのは他大学出身の医師10人ほどで、「自転車操業で運営している」(大槻氏)のが実情だ。「乾癬の抗体製剤関連で研究資金があっても、それを使う人手がない。地域の病院から常勤医派遣の要望は絶えないが、週1回の派遣でお願いしている」と付け加える。

 来年は、36年ぶりに卒業生の入局者が誕生するかもしれないという。「とにかく人事を尽くして入局者を待っている」。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t236/201503/541103.html
特集◎教授はつらいよ(3)これでいいのか教授の待遇
激務に見合わぬ薄給も副収入で何とか補填

2015/3/18 土田絢子=日経メディカル

 教授は学内外の様々な管理業務を抱える。必然的に教授のライフスタイルは、多数の会議と教育・診療・研究活動、医局運営が混ざり合わさったハードなものとなっている。


根本建二氏
ねもと けんじ●山形大学放射線腫瘍学教授。1982年東北大学卒。88年東北大病院助手、2004年東北大放射線腫瘍学分野助教授、06年より現職。07年からがん臨床センター長、09年から副医学部長、12年から同大病院副病院長を兼務。

 例えば、山形大の根本氏のある1日はこうだ。7時半ごろ大学に出勤後、重粒子線治療装置の施設に関する学長との打ち合わせ、総回診、医学生のプレゼンテーションの評価をして短時間の昼食。午後は病院の戦略策定会議、企業との打ち合わせ、大学院改革に関する会議、がん臨床センターの戦略会議、病院運営会議に出席し、大学外の病院で受け持つ患者の診察をして、2日後に予定されている講演の準備をする。

 とにかく会議が多い。「学会の仕事がある時期は山形にいないことも少なくない」と根本氏は嘆息する。

 1日の勤務時間は、兼務している役職の数や仕事の仕方などによって変わるが、あまりに仕事が多いため睡眠時間を削って対応する教授もいる。

 昭和大の板橋氏は、7時20分ごろ出勤してメールをチェックし、8時半から外来診療に当たる。午後は専門外来の後、複数の委員会に出席し、週1回の医局会に出席したら21時に迫ることも。締め切りが迫った原稿など片付けなくてはならない仕事があるときは、「自室のソファに寝袋を敷き休みながら深夜も仕事する」と苦笑する。


たまった仕事は深夜にファミレスでこなす教授も。

 極め付きは自治医大の大槻氏。「診療や回診、学生実習、カンファレンス、委員会から解放されるのは早くても19時。それから明け方にかけての時間帯が『残業のゴールデンアワー』。教授室だけだと閉塞感があるのでファミリーレストランで残業することも多い」と明かす。医局員の原稿を読んだり、自身の書類関係の仕事は深夜に行い、帰宅するのは明け方の4~5時。出勤時刻は回診があれば8時半、遅くとも9時半から10時だ。出張時に飛行機の中で寝たりしているというが、普段はまとまった睡眠時間を取っていない。「ファミレスで仕事中、つい長時間寝てしまい、店員にとがめられたこともある」と言う。

年間給与は手取り1000万円
 そんな激務の教授たち。だが医師の給与水準から考えると、教授の処遇は驚くほど軽い。

 教授に支払われる給与は国立、私立ともに「手取りで年間1000万円くらい」という大学が多い。教授の給与が低いのは、「教育職」だと見なされているからだ。「教授の給与は、人事院勧告の教育職俸給表がベースになっている。国立大学はどこもそうだろう」(東京大学人事部)。「教育職俸給表(一)」を見ると、最も高い5級で俸給月額は約54万~58万円。東京大学の資料によると、医学部を含めた全学部の教授の平均年間給与は約1100万円だった。

 この額に対しては、少な過ぎるという声が多い。「人事やマネジメントもしている医師の給与が手取りで1000万円を切るか切らないかだと知れば、皆驚くのではないか」と大槻氏。根本氏は、「教授は大学で教えるだけでなく、付属病院の診療科長も兼務する。最新情報をキャッチアップし、体を張って医療職と教育職を兼ねているので2倍給与をもらってもいいくらいだ」と述べる。さらに、仕事量や責任の大きさに比べて給与が低いことが、将来的な問題を招かないかと根本氏は懸念する。「優秀な医師が教授を目指さなくなるのではないか。そうなると、最終的に教育の質が落ちてしまう」。

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図2 医学部教授になりたい?なりたくない?(n=1002、無回答5)

 今回、日経メディカル Onlineが行った「医学部教授に関するアンケート」でも、そんな懸念を裏付けるような結果が得られた。会員医師に「教授になりたいか(なりたかったか)」を聞いたところ、87.9%もの回答者が「なりたくない(なりたくなかった)」と答えた(図2)。「尊敬はされるが収入が見合わない」(40歳代産婦人科)、「教育や研究に力を入れるほど収入は報われないことが多い印象」(50歳代放射線科)などの意見が寄せられた。

副収入は教授によってまちまち
 ただし、教授には副収入を得る道がある。学外の病医院での診療、講演や論文の執筆・監修、製薬企業のアドバイザリーボード業務などを依頼される機会は多い。副収入の額は、「本給を超える副収入がある」という教授がいれば、「多忙なのであまりアルバイトはできない。副収入はとても本給までは届かない」という教授もいる。

 2014年からは日本製薬工業協会の「企業活動と医療機関等の関係の透明性ガイドライン」に基づく情報開示で、製薬企業が医師に支払った講演料や原稿料などの金額が開示されるようになった。それによると、1社から年間1000万円ほど受け取っている教授もいる。「複数の製薬企業からの収入をトータルすると億の大台に乗る教授もいるようだ」と、ある教授は話す。専門とする診療分野に製薬企業が力を入れる新薬が存在するかどうかも副収入には大きく影響するのだろう。

 なお、副収入に関する規定は、制約がない大学もあれば、「本給を超えないこと」という規定のある大学もある。「本給がしっかりしていれば、ただでさえ忙しいので、副業は断るケースが多いはずだ」と話す教授もいる。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t236/201503/541142.html
特集◎教授はつらいよ(4)それでも教授になる理由
意外に多い「周囲に勧められて」教授選に立候補

2015/3/19 土田絢子=日経メディカル

 教授就任までの経緯も昔とは違うようだ。教授のイメージ調査では、「派閥争いの勝者」を挙げる回答が多かった(「『白い巨塔』とは大違い、失墜する教授の権威」図1参照)。『白い巨塔』における、助教授の財前五郎が教授選を勝ち抜くため権謀術数の限りを尽くす様はあまりにもよく知られる。しかし現在は、「派閥争いの勝者」という見方は正しくないようだ。

 宮地氏は、「開業医である親の跡を継ごうと考えていたので、医学部卒業後、大学病院ではなく天理よろづ相談所病院で臨床研修を受けた。その後、ひょんなことから教授になった」話す。宮地氏は、研修後に京都大皮膚科教室に入局。講師に昇進し、天理よろづ相談所病院の部長に就任した。それから周囲に勧められて群馬大の教授選に立候補し、選出された。「研究の業績が一番あったということだったが、若い頃に集中して研究を行い、市中病院で臨床をしていたので、バランスが良いと思われたのかもしれない」と推察する。

 昭和大の板橋氏は、新生児の集中治療を専門に手掛けてきた。「実は本当に教授になりたいと思った時期はなく、『新生児の集中治療ができる環境があればよい』と考えていたのだが、大学の小児科OBに勧められて教授選に立候補した」と語る。

 このように、勧められての立候補が少なくない。「『俺は絶対に教授になるんだ』と目上の人にペコペコ頭を下げていたタイプはあまり教授にはなっていない」と宮地氏は印象を語る。京都大医学部の同期生約100人のうち約20人が全国の大学教授に、5人が京都大教授に就任したが、研究が好き、臨床が好きという人が結果的に業績を評価されたという。


菅野義彦氏
かんの よしひこ●東京医科大学腎臓内科学分野主任教授。1991年慶應義塾大学卒。95年慶應大内科学助手の後、埼玉医大腎臓内科専任講師、医学教育センター専任講師などを経て、2011年慶應大血液浄化・透析センター准教授、13年から現職。

 教授就任までの経緯がユニークなのは、東京医大の菅野氏のケースだ。慶應大を卒業後、同大内科学助手などを経て埼玉医大腎臓内科助手、専任講師に就任。それから同大医学教育センター専任講師を務めた。「5年間、仕事のウエートを圧倒的に教育職に振っていた」と言う。授業のカリキュラム作り、新しい教育方法の実践、試験の質向上などに携わった。

 その後、慶應大血液浄化・透析センター専任講師、准教授を経て現職に。「非常に寄り道をしたキャリア。一昔前のような、研究を重視するのとは随分と外れた基準で選出されたのだろう」と分析している。

やりがいは「医師が育つこと」
 ことほど左様に変貌を遂げた医学部の教授だが、今の教授は、どのようなやりがいを胸に日々奮闘しているのだろうか。

 菅野氏は、「教授に値するという評価を頂いて単純にうれしいという気持ちはある。選んでいただいたからには、自分の持っているスキルをフルに使って皆さんのお役に立ちたい」と話す。「仕事そのものはいろいろあって飽きない。中には注目を集めるような仕事もある」と話すのは大槻氏。根本氏は、「学会の方針を決めたり、大学や病院の方針を決めることに参画できる」ことをやりがいに挙げる。

 宮地氏は、「一番の喜びは人が育つこと。私はマネジメントや雑務を引き受け、医局員には存分に好きな仕事をしてもらった。研究や臨床で一流の仕事をする医師が育ち、大変満足して退任できた」と語る。京都大教授時代には教室から8人の教授が誕生した。

 菅野氏は、「大学医局で関わった人の面倒は一生見ていくつもり。キャリアの中で、うまくこの医局を利用してもらえれば」と話す。若い医師にとって今や、教授ほど有り難い存在はないのかもしれない。

教授職の任期満了で更新せず 民間病院で先進医療に取り組む


手取屋岳夫氏 てどりや たけお●上尾中央総合病院心臓血管センター長。1987年金沢大学卒。93年独ベルリン心臓センター、2000年豪St.Vincent Sydney病院心肺移植センター、04年昭和大心臓血管外科教授、12年から現職。

 「この先10年を見通し、大学教授を続けていたら自分の味を出せなくなると考えた」―。こう語るのは、上尾中央総合病院(埼玉県上尾市)心臓血管センター長の手取屋岳夫氏だ。昭和大の心臓血管外科教授だったが、5年の任期制だった教授職の任期満了時に、あえて更新しなかった。教授は教育・臨床・研究だけでなく、様々な管理業務を担わなくてはならない。「一つひとつの会議は重要だが、かなりの時間を取られる。それより臨床や臨床研究に邁進したかった」と振り返る。

 とはいえ、昭和大や付属病院での10年間は外科医を育て、ライブ手術を開催するなど充実していた。「ライブ手術は、教授というネームバリューがあったからこそ人やお金が集まり開催できた」と話す。

 現在、手取屋氏は上尾中央総合病院で新しいハートセンターを作るプロジェクトに携わる。埼玉県北部の中心的なセンターにする計画だ。「院長の積極的なバックアップがある。da Vinci手術、低侵襲心臓手術などの先進医療にも取り組む」と意気込んでいる。



http://wjn.jp/article/detail/6583144/
自己診断による悪循環を防ぐ医者との上手なコミュニケーション(1)
掲載日時 2015年03月18日 14時00分|掲載号 2015年3月26日 特大号 週刊実話

 昔から「病は気から」という言葉があるが、病人自身が深く心配するあまり、症状を大きくしてしまうことがある。とくに心配性の人は、ちょっとした異変にも敏感に反応し、悪い方へ悪い方へと考えようとする。結果として、体のあちこちに“重病の疑い”を抱え込んでしまう。
 しかし、こうした要因の裏に、受診した医者の言葉によって「落胆と不信に追いやられる」こともある。悩み苦しむ患者が優しい言葉を求めているのに、それに応え切れない医者のコミュニケーション力のなさも問題だと指摘する専門家もいる。
 「患者さんや家族にとって、医師とのコミュニケーションがうまくとれるかどうかは、治療法の選択や決定の際にはもちろん、治療後の精神状態やQOL(=生活の質)にまで関わる問題です」
 と、専医の一人は言う。

 ある医療機関が実施したアンケート調査でも、通院先を変えた一般の患者742人の半数以上が「医師とのコミュニケーションが取れないこと」を理由に挙げている。その主な中身を見ると--。
(1)診療時間が短くてゆっくり会話ができない。
(2)対等な立場で話ができる雰囲気がない。
(3)話し声が筒抜けで落ち着いて話せない。
(4)何を質問してよいかわからない。
 などの四つが多く見られる。このように、一般の患者でも医師とのコミュニケーションギャップを感じていることがわかる。

 中でも、深刻ながん体験者の場合は、どのような場面で医師とのコミュニケーションが取れないと感じているのか。
 1991年に発足した乳がん体験者の会の田中伸子事務局長はこう語る。
 「診察時間が短いこともあるでしょうが、医師がカルテやパソコンの画面から顔を上げず患者の顔も見ずに話をするので、医師に聞きたくても聞けない、取りつく島が無い、という訴えが非常に多いのです。似たような悩みとして『医師がそっけない』、『フランクに話せる雰囲気がない』、『緊張して質問できない』、『医師が冷ややかなので、その場で固まってしまい、言われるまま何も聞かずに帰ってきた』などの声も多いですね」

 短時間に多くの患者に対応しようとする医師の見えないバリアの前で、何も言えない患者が多いことが明らかにされている。
 「医師から納得のいく説明を受けられないということを聞きますが、患者さんが術後の血液検査やCTなどの結果を聞きに行くと、『大丈夫』の一言で片づけられてしまい、何が大丈夫なのかよくわからない。わかりやすい説明をしてもらえれば、安心感が得られ医師といい関係が保てるのに、と感じている患者さんは少なくありません」

 乳がんの手術を受けた主婦・B子さん(48)も、そんな体験をしている。
 「手術後1、2年は、どこかが痛いと再発では? と心配になります。術後の外来でここが痛い、あそこが痛いと訴えました。すると『またか』という顔で『中年女性はよくそういう反応をするね。更年期じゃないの?』と言われショックでした。それ以来、聞かれたことしか答えないようになりました」



http://npn.co.jp/article/detail/19163779/
自己診断による悪循環を防ぐ医者との上手なコミュニケーション(2)
2015年03月19日 14時01分 [エンタメ] 2015年03月バックナンバー 週刊実話 提供:週刊実話

 こうした声を、医師側はどう受け止めているのか。
 医学教育、医師のコミュニケーションスキル向上について研究する医学博士・内浦尚之氏はこう語る。
 「患者さん側のQOLを高めたい、心情を理解して欲しいという思いと、生命を救うことを最優先し、問題を論理的・合理的に解決しようとする医療の文化のずれを感じます。患者と医師の会話は、価値感や文化の違う“異文化コミュニケーション”のようなものと考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。医師も患者さんの心情を理解し、患者さんにも医師の現実を理解していただき、お互いに折り合いをつけて、歩み寄ることが大切だと思います」
 しかし、果たして患者側にそんな余裕があるのだろうか。一般人には理解しがたい部分もあるが、お互いコミュニケーションをいかに大切にするか、やはりそこが問われているように思える。

 一方、がん患者に限らず病を抱える多くの受診者に対し「医療者へ痛みや辛さを上手に伝える」ことの重要性を説き、「病状と困っていることを結び付けて上手に伝える」必要性を説くのが、医療ジャーナリストの深見純一氏だ。
 「私もいろいろ医療機関を取材で回るのですが、患者さんも、医師に全部“お任せ”では、治療中や治療後の体の異変を的確にとらえにくい。病んでいる自分を上手に表現できないでいるうちに、自己診断で悪い方へ悪い方へと自分を追い込んでしまう事があるんです。治療を受ける場合も、症状をできるだけ詳細に医師に伝えることが大切です。医療者側も、むしろ教えて欲しいと思っているのです」

 また別の専門家は、医師の時間に限りがある中で、自らの病状を上手に伝える法として「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」「どのように」の、いわゆる“5W1H”を考えておく必要があるという。
 「痛みも、単に“痛い”ではなく、いつからか、どんなふうになど。そして治療がスタートした後は、治療前の変化です。例えば薬を服用したとき痛みはどうなったか、など。医師を前にすると、緊張してきちんと伝えられなかったこともあるかもしれないので、メモやノートに前もって書いておき、その通りに話すといいでしょう」

 さらに「○○○(の症状)で、×××できない」と、症状と困っていることを結び付けて話すとよい。「痛くてトイレにも行けない。眠れない」などだ。
 「生活上で困っていることが具体的に伝われば、どの程度のダメージなのかわかりやすい。患者、家族、医療従事者が、同じ目的を持ち、今後の生活を考えた最善の治療を行っていけるはずです」(同)

 “言葉の処方箋”ではないが、信頼すべき医師の、たった一言で気が楽になり、病状も落ち着く場合もある。重大病を疑い不安だったが、検査をして“異常なし”が証明されれば症状も収まる。
 医者と患者のコミュニケーションが上手くいけば治療もスムーズ。患者も“医者任せ”でなく、自らの病状を上手に表現しよう。



http://www.m3.com/news/kisokoza/303594
卒後15年から1500万-2000万円、医師給与のトレンド ◆Vol.2
スキル重視で待遇アップも

2015年3月20日(金)配信高橋渓介(エムスリーキャリア・コンサルタント)

 エムスリーキャリアのコンサルタント、高橋渓介氏が分析する「2015年の医師の働き方」。第2回となる今回は医師の給与事情について解説する。医局を通さない転職が活発になることで、目に見える資格やスキルを重視される傾向が強まっているという。

給与水準は横ばい

 転職可能な年齢は20~70歳代 まで、つまり何歳になっても年代に応じた働き口がある。急性期病院からの求人では、経験10年目前後が一番人気だ。50歳代での転職は、慢性期病院の求人が多くなる。介護老人保健施設ではベテラン、70歳以上の方が良いこともある。ただ、一般的には各部門のトップが40歳代後半から50歳代なので、それより年下の年代が好まれる。トップに従ってくれる40歳代が一番理想的と言われ、30歳代後半は自立していて一番稼げるという感覚を持つ医療機関は多い。

 一般的に、医師の給与水準は経験年数に従って上昇する。診療科目やエリア、病院種別によりバラつきはあるものの、卒後しばらくは一定程度の幅で上昇し、10年目当たりで1000万~1500 万円。15年目当たりからは役職を持ち始めることで 1500万~1800万円に至る、というのが一つの目安だ。

 ただ、大学病院の場合、教授で1000万円代前半、助教では数百万円という場合もある。国立大学病院では経験20年の助教で、当直をしたとしても800万円台半ば(アルバイトでの収入を除く)。子どもを医学部や私立学校に入れようと思ったときに成り立たないという医師も多い。

 2015年の医師の給与水準は、ばらつきがありつつも、例年と横ばいに推移している印象だ。しかし、診療科によっては診療報酬改定に左右されるものもある。2012年度の診療報酬改定では在宅医療の診療報酬が増額されたが、2014年度の改定では患者紹介で報酬を受け取る事業者が現れたとの指摘があり、大幅に削減された。特に施設向けの在宅医療に注力していた医療機関では影響が大きく、給与水準も連動して下がっている。眼科でも、以前であれば平均在院日数削減効果が期待され、高額な給与を払って眼科医 を集めるということがあったが、2014年度の診療報酬改定で平均在院日数の計算式が変わり、そういった動きは下火になった。

スキル重視の傾向強まる

 民間病院では実績やスキルによって給与を払う傾向が強まっている。経験12年目でも内視鏡手術で実績があれば15年目相当の給与を払うが、経験20年目でも実績に不安を覚えたら昇給額が抑えられることもある。

 民間病院では集患計画の中で売りになる診療科を作ろうという動きが強まっており、そこで力を発揮できる医師への評価は高い。例えば消化器分野で力を入れていくと決めた病院では、内視鏡技術認定医、かつ国際学会で発表していれば法人規定プラス500万円というケースもあった。

 地方では総じて人手が足りておらず、年収2000万~2500万円という高待遇になるケースもある。ただ、子育てや生活環境の点から都市部を希望する医師は依然として多い。

※本稿の内容はエムスリーキャリア、およびエムスリーの会社としての見解を示すものではありません。


高橋渓介(たかはし・けいすけ)
大学卒業後、教育産業を経て2011年にエムスリーキャリア株式会社入社、常勤職のキャリアコンサルタント業務に従事。現在は、採用ソリューションサービスを兼務し、全国の医療機関情報の収集や地域特性の分析、招聘条件に関する助言等、医療機関の採用活動を支援。


  1. 2015/03/20(金) 05:38:47|
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