fc2ブログ

Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

2月3日 

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201502/20150203_11014.html
新医学部産みの苦しみ 東北薬科大「四面楚歌」
2015年02月03日火曜日 河北新報

 東日本大震災からの復興特例として1校だけ新設される医学部が、産みの苦しみに直面している。新医学部のグランドデザインを話し合う教育運営協議会にあって、医学部開設を目指す東北薬科大(仙台市青葉区)は「四面楚歌(そか)の状態」(関係者)だ。協議が空転したまま、3月末の設置認可申請期限だけが刻々と迫っている。

<自治体の落胆>

 仙台市内で1月16日にあった第3回運営協で薬科大は、東北6県の自治体や医大、医師会の代表に修学資金制度の枠組みを提示した。
 「宮城県内勤務を条件に30人、それ以外の東北5県勤務を条件に20人に奨学金を貸与する」。薬科大当局が詳細を説明し始めた途端、出席者に落胆の色が浮かんだ。
 福島県の担当職員は「この数字を見た瞬間、新医学部への期待感が半減した」。秋田県医師会の坂本哲也副会長は「宮城の医師が増えるだけ。秋田を救うことにはならない」と反発。同様の批判が相次ぎ、途中退席する出席者まで出始めた。
 薬科大が文部科学省に提出した医学部設置構想では当初、修学資金制度を活用して東北6県に計70人の卒業生を誘導することになっていた。だが、修学資金基金への宮城県の拠出額が想定を下回ったため計画が狂った。
 出席者は、同大が文科省の指摘に沿って下方修正したとする入学定員もやり玉に挙げ、「医学部の設置者に選定された後に設置構想に盛り込んだ内容を勝手に変えていいのか」と責め立てた。
 一貫して医学部新設に反対する日本医師会と全国医学部長病院長会議。「東北のための医学部新設」という理念を共有できない自治体。宮城県内のある医療関係者は「国の医学部新設方針が変わらないのなら、運営協の場で構想をつぶす腹ではないか」といぶかる。
 教員医師の選考基準が議題となった昨年10月の第1回会合でも、医師の引き抜きを懸念する自治体や医療機関と、認可申請までの残り時間を逆算して公募を急ぎたい薬科大が対立。結局決着は11月の第2回会合にずれ込んだ。
 5日の第4回会合では、採用する教員医師の名簿が公表される。公募に応じた医師の2人に1人が東北の医療機関、4人に1人が東北大に所属しており、薬科大にとっては運営協出席者の反応が気になるところだ。

<「期限延長も」>

 運営協の現状を踏まえて文科省は「そもそもが特例で新設する医学部。認可申請の期限を通例より遅らせることもあり得る」と薬科大側に助け舟を出す。
 薬科大は「自分たちの怠惰でスケジュールが遅れているわけではない」と主張。運営協座長の里見進東北大総長は「最終的には(薬科大の案で)文科省の判断を仰ぐしかないだろう」と一向に収束しない協議の着地点を示唆した。

[メモ]文科省は薬科大が設置認可を申請するまでに考慮すべき条件として(1)運営協議会の設置(2)医師偏在解消の枠組み確立(3)東北の医療機関との連携(4)地域医療に支障をきたさない教員採用(5)地域定着を促す修学資金制度の創設(6)定員の適正規模化(7)文科省の構想審査会の意見を踏まえた学部づくり-の七つを提示している。

◎復興への寄与は疑問

 東北への医学部新設になぜ反対するのか? 全国80の医大、医学部でつくる「全国医学部長病院長会議」顧問で東北薬科大教育運営協議会委員でもある小川彰岩手医科大理事長に聞いた。
     ◇
 医学部の定員はこの10年で1500人増えた。これ以上の増加は医学生の学力低下につながる。人口減少時代を見据えれば、これ以上医師の養成に血税を投入できない。
 一人前の医師を育てるのには15年の歳月を要する。これから医学部を新設して本当に震災復興に寄与するのか疑問だ。
 教員医師の採用は地域医療を崩壊させかねない。どこかで医師が1人引き抜かれれば、玉突きで現場の医師が派遣元に引き上げられるなど全国規模で影響がでる。
 われわれは医学部新設に反対するだけではない。これから医師会と連携して医師偏在の対策を検討する委員会をつくり、医療人のグランドデザインを描いていきたい。





http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/m20150129ddlk22040146000c.html
労災認定:浜松医大50代教授、パワハラで−−労基署 /静岡
毎日新聞 2015年01月29日 地方版

 浜松医大(浜松市東区)の50代男性教授が、上司のパワーハラスメントで精神疾患になったとして浜松労基署に労災認定を申請し、認められていたことが28日、関係者への取材で分かった。認定は今月7日付。

 労基署は認定の詳細を明らかにしていないが、教授の代理人によると、発症の原因として「上司とのトラブル」があったと認められたという。

 教授の労災申請では、2009年の学長選で中村達・現学長の対立候補を応援したため、嫌がらせを受けたと主張していた。同大広報室は「事実関係を確認中」としている。【平塚雄太】



http://news.livedoor.com/article/detail/9734845/
認知症の名門大学で噴出した「学長の苛烈パワハラ」疑惑
2015年1月31日 7時0分 日刊大衆

認知症の権威として知られる「国立大学法人 浜松医科大学」。ここに今、ある疑いが持ち上がっている。

「中村達大学長による"パワハラ疑惑"です。ベテラン教授のA氏に対し、同学長は"研究室を奪い取るよう不当な圧力をかけ、管轄する准教授ポストの返還をも要求"し、さらに、"仕事を強引に取り上げられ、自分の子飼いの教員を斡旋された" と、A氏は主張しています。加えてA氏は、"君の教育は評判が悪い" "学生から(不平の)署名が来ている" "さんざん迷惑をかけられたから謝れ" などと怒鳴りつけられ、"恫喝"をされたと、涙ながらに訴えています」(全国紙社会部記者)

研究室もポストも仕事も失い、研究者人生を踏みにじられたA氏。2005年から10年間に及ぶパワハラで過大な精神的ストレスを受け、不眠症およびPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ってしまったという。

「A氏はしかるべき申請を行い、昨年末に労災認定を正式に受けたといいます。国立大学の教授が学長から受けたパワハラに労災が認められたのは、全国初だと聞いており、その意義は大きいです」(前同)

中村学長の職権乱用の是正を求めるべく、
「A氏は近く、静岡地裁に"提訴"する準備をしています。前代未聞の展開に、注目が集まっています」(同大学関係者)

こうした"学長の暴走"に至った背景とは?

「ここ数年、文部科学省が掲げている"学長のガバナンス(統治)強化"の方針が大きく影響しているのでしょう。この方針に基づいて、昨年、成立した"改正学校教育法"は、学長の権限をさらに強大にするもの。今後、大学でパワハラ事件が頻発しかねません」(前出・社会部記者)

これは氷山の一角なのか。真相解明が待たれる。
日刊大衆



http://www.m3.com/iryoIshin/article/290448/?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD150203&dcf_doctor=true&mc.l=85765550
医療維新
総合診療医の“失われた30年”取り戻せ - 有賀徹・日本専門医機構副理事長に聞く◆Vol.1
今年度末に研修プログラムの作成目指す

2015年2月3日(火) 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

 「家庭医に関する懇談会と、全く同じ議論が繰り返されている」。2017年度からの新専門医制で、基本領域の一つとして新設される総合診療専門医をめぐる議論について、こう指摘するのは、日本専門医機構の副理事長で、同機構の「総合診療専門医に関する委員会」委員長を務める有賀徹氏(昭和大学病院長)だ。「家庭医に関する懇談会」は、旧厚生省が設置したもので、1985年から議論を開始し、1987年に報告書をまとめた。

 有賀氏の委員会は、この3月には総合診療専門医に関する研修プログラムを作成予定だ。改めて総合診療専門医の必要性をお聞きするとともに、同委員会の最新の検討状況を説明してもらった(2015年1月24日にインタビュー。計2回の連載)。

――まず 総合診療専門医の必要性について、どうお考えかをお聞かせください。

 1985年の「家庭医に関する懇談会」(旧厚生省が設置。1987年に報告書作成)の議論が、分厚い報告書になっていますが、今また全く同じ議論が繰り返されています。

――医療の専門分化の弊害が指摘されるなど、議論の背景や問題意識も同じなのでしょうか。

 そうです。全く同じです。

――家庭医、総合診療医については、その後、何度も議論されました。

 今回は、日本医師会や日本医学会、病院関係団体なども、(総合診療専門医の創設を)了承しています。失われた30年です。当時、制度化していれば、今議論する必要はなかったでしょう。

 日本プライマリ・ケア連合学会は、3つの関連学会が統合され誕生しましたが、学会の関係者は、1985年よりも前から、そして今も、世界水準の家庭医、総合診療医を目指し、取り組んでいます。ただし、救急医療と比べれば、その進捗状況が細々としている(編集部注:有賀氏は昭和大学救急医学教授)。

――先生は以前、「救急医療は、各診療領域にまたがる点で、総合診療と類似している」との趣旨を指摘されていました。

 はい。しかし、その発展の経緯は異なります。救急医療の場合、旧厚生省は、初期、2次、3次救急という仕組みを作るために、1970年代に3次救急の場として、救命救急センターを制度化しました。そのことにより、救急医学に弾みがつき、各大学の医学部に救急医学講座が次々と誕生しました。

――救命救急センターで働く医師の養成が必要になった。

 そうです。一方で、日本プライマリ・ケア連合学会は現在、WONCA(世界家庭医機構)にも参加するなど、アカデミアとしては一定の水準で活動しているものの、これまで総合診療を社会の仕組みの中に、組み込むきっかけとなるものがなかった。

 しかし、今回は1985年当時と違い、高齢者が非常に増えて、医療の需要と供給の関係で言えば、完全に供給の側が負けており、不均衡が生じている。救急医療の分野でも、都内では年間60万件の救急搬送があります。年に1万件増えており、うち75歳以上の搬送が9000件超を占めます。高齢社会の影響を、まさに救急医療が受けています。昨年の医療法改正で、地域包括ケアシステムの構築が打ち出されたように、街の景色が、当時と比べると、非常に変わってきているわけです。

 「需給の不均衡を何とかしなければいけない」ということで、総合診療医の議論が出てきています。厚生労働省は、「社会の仕組みにしたい」と考えているのでしょう。総合診療医がいないと、やっていけないことが、はっきりと分かってきたからです。

――領域別の専門医にとっても、総合診療医と連携した方が、自らの専門性を発揮しやすい。

 それは、チーム医療の考え方と同じ。各職種が混ざり合って、質問したり、されたりすると、それぞれが勉強しなくてはならない。「混ざる」ことにより、各自がパワフルになるわけです。また、(臓器別の)各専門医からすれば、(自分の専門領域の患者を)紹介してもらわないといけない。総合診療医と連携を取りながら、仕事をするという話は極めて合理的。

――30年前と今では、患者の高齢化が進むなど、医療ニーズは異なりますが、総合診療医が果たすべき役割や必要な知識、技術などは変わらないのでしょうか。

 変わりませんね。(「家庭医に関する懇談会」を議論していた当時の)厚生大臣は、「医学は専門分化して、専門医がたくさんできている。だけど、日常生活の中で、相談できるような医師はいない。これはゆゆしき問題なので、家庭医は必要」と言っています。

――日本専門医機構の「総合診療専門医に関する委員会」では、研修カリキュラムや研修プログラムの検討を進めています。

 私たちが救急医療をやり始めた頃は、「救急病院に行って、度胸を養えばいい」「度胸さえ養えば、あとは各診療科の勉強をしておけばいい」と言われた(編集部注:有賀氏は、1976年東京大学医学部卒業、脳神経外科から救急医療に転身)。

 私が救急医療を始めた頃は、「専門は?」と聞かれると、「○○救命救急センターにいます」と答えていた。中毒、脳卒中、多発外傷あり……。その中には肺炎と思っていたら、すぐに敗血症に至る患者もいるわけです。救急医療という言葉は定着しておらず、当時の言葉では説明できなかった。この辺りが、救急科専門医と総合診療専門医の歴史において、よく似ている部分です。

 自治医科大学の卒業生なども、「田舎に行け、地域に出ろ。それが地域医療だ」と言われる。「専門は何か」と聞かれれば、「○○村」と答える。その村にフィットした、地域医療をやっているわけです。私が観察する限り、「総合診療」も同様だと思う。

――総合診療専門医をどう定義される予定でしょうか。

 「内科ではこんな勉強を、小児科についてはこれを、救急については……」と、各診療科から上がってきた要望を、パッチワークのように切り貼りしても、総合診療専門医を定義することはできません。総合診療医をやっていない人たちから見ると、こうしたイメージが強いようですが……。

 既存の診療領域の知識や技術を列挙する形で定義するのではなく、「総合診療専門医に関する委員会」や、そのワーキンググループで我々は、「総合診療をやっている」医師たちを、言葉として表現する、つまり基本的な能力の整理を進めています。



http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0203/mai_150203_8450926251.html
<特定機能>承認取り消し議論始まる 東京女子医大と群馬大
毎日新聞2月3日(火)21時29分

 厚生労働省の社会保障審議会医療分科会は3日、医療事故を起こした東京女子医大病院(東京都新宿区)と、肝臓手術で患者が相次ぎ死亡した群馬大医学部付属病院(前橋市)について、高度な医療を提供する「特定機能病院」の承認を取り消すかどうか議論を始めた。同省の立ち入り検査の結果のほか、今後両病院の院長らから事情を聴き判断する。

 分科会は非公開。厚労省によると、東京女子医大病院で人工呼吸中の小児への使用が原則禁止される鎮静剤を投与して男児が死亡したことや、群馬大医学部付属病院が再発防止のための死亡症例検討会を開いていなかったことについて、委員から「安全管理体制が十分機能していたのか」と厳しい意見が出た。

 東京女子医大病院は2002年に特定機能病院の承認を取り消され、07年に再承認されている。

 特定機能病院は病床が400床以上あり、集中治療室や無菌病室を備えていることなどを要件に厚労相が承認する。現在、全国で86病院あり、診療報酬が優遇される。【桐野耕一】



http://www.yomiuri.co.jp/national/20150203-OYT1T50173.html
群馬大など「特定機能病院」取り消しを議論
2015年02月03日 21時46分 読売新聞

 群馬大病院(前橋市)と東京女子医大病院(東京都新宿区)の患者死亡問題で、厚生労働省の社会保障審議会医療分科会(厚労相の諮問機関)は3日、特定機能病院の承認取り消しについて議論を始めた。


 今後、病院長らのヒアリングなどを行い、処分を決める。

 群馬大病院では肝臓の開腹手術と腹腔ふくくう鏡手術で術後約3か月以内に計18人が死亡。東京女子医大病院では鎮静剤の投与後に男児が死亡する事故があり、その後、同様に投与を受けた小児患者11人も死亡していたことが明らかになった。

 この日の分科会では、両病院から提出された事故報告や改善報告が示され、厚労省が行った立ち入り検査の結果が報告された。その上で、病院側から直接ヒアリングする必要があるとの意見で一致した。



http://mainichi.jp/area/nagano/news/20150203ddlk20040062000c.html
大町総合病院:市長、産科医派遣を要請 3月以降不在 信州大「対応は困難」 /長野
毎日新聞 2015年02月03日 地方版

 大町市の市立大町総合病院で3月以降、産科医が不在となり大北地方に出産が可能な医療機関がなくなる問題で、牛越徹市長らが2日、松本市の信州大医学部付属病院を訪れ、常勤産科医の派遣を要請した。これに対し大学側は、対応は困難との見解を示した。

 大町総合病院は信州大から産科医2人の派遣を受けていた。しかし1月下旬から1人が病気療養中で、もう1人は3月末で退職する。この事態を受けて大町市や同病院は同日、信州大病院に「分娩(ぶんべん)体制を維持するため、引き続き常勤医2人を派遣してほしい」と申し入れた。

 会合は非公開で、信州大病院によると「これ(療養中の1人)以上の増員は今の状況では極めて難しい」と回答。「全国的に産科医不足となっており、医育機関として今後も産科医の育成に力を入れていく」としている。【古川修司】



http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20150204/CK2015020402000023.html
長野
医師確保に協力を、市長らが知事に要望 大町病院産科休止

2015年2月4日 中日新聞

 大町市立大町総合病院産婦人科が医師不足で三月末に休止する問題で、同市の牛越徹市長らが三日、県庁で阿部守一知事に、産婦人科継続のための医師確保に協力を求める要望書を提出した。阿部知事は「問題意識はみなさんと全く同じ。できることは何でもやりたい」と応じたが、産科医確保は難航しそうだ。

 同行した市民も大北地域の五市町村で集めた六千五百八十人分の署名を提出した。牛越市長は「少子化の中、若い世代の子育て支援は極めて重要。安全に出産できる環境づくりのため協力をお願いしたい」と述べた。

 年間の出産が約二百件ある同病院産婦人科は二人いる産科医の一人が一月に長期療養に入ったため、分娩(ぶんべん)と産科診療の休止が決まった。

 休止により、人口約六万人の大北地域で出産できる病院はなくなるため、現在通っている妊婦で三月末以降に出産予定の二十一人には松本や安曇野市などの医療機関を紹介する。

 要望書では、県に信州大医学部付属病院や県立病院機構に医師派遣を働き掛けたり、県の医師紹介制度を利用して医師を探したりするよう求めている。

 ただ、信州大病院は取材に「産科医のこれ以上の増員は難しい」と回答。県によると、県立病院機構は医師不足を抱え、新たな派遣は難しい。県の医師紹介制度に産科医の登録はなく、県内に常勤医を派遣する自治医科大(栃木県下野市)も産科医の派遣は予定していないという。

 県の担当者は「現状では県出身の産科医らに接触して、大町総合病院への勤務のお願いをするしかない」と苦しい現実を語る。取材に牛越市長は「なんとか年内の再開を目指して医師を探したいが、容易ではないと再認識した」と語った。

 (武藤周吉)


  1. 2015/02/04(水) 05:40:02|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
<<2月6日  | ホーム | 2月2日 >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する