Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

11月2日 

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03099_01
【シリーズ】この先生に会いたい!!
得意で,好きで,人の役に立つこと。
あとはその道を信じて進むだけ!

岡田 正人氏(聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Centerセンター長)
に聞く
<聞き手>吉田 常恭さん(武蔵野赤十字病院 初期研修医)
週刊医学界新聞   第3099号 2014年11月03日

 医学部在学中に米国の臨床研修資格試験(FMGEMS)に合格し,卒後間もなく米国へ研修に行った岡田正人氏。当時日本人研修医がほとんどいなかったという米国に行くことをなぜ決意したのか,不安や迷いはなかったのか――。氏がこれまで医師として歩んできた道を,研修医の吉田常恭さんが聞いた。

吉田 先生は医学部在学中に米国の臨床研修資格試験に合格し,卒後間もなく米国へ研修に行かれたのですよね。医師としての非常に高い志を感じるのですが,いつから医師になろうと思ったのでしょうか。

岡田 それが意外にも,高校2年の終わりにたまたま何かのドラマを見ていて,「医師って人の役に立ててすごいな」と思ったのがきっかけです。そのときまで医師という職業があることにも気付いていなかったんですよ。本当に何も知らなかったので,医学部を受験してから6年制だと知って驚いたぐらいです。でも身内に医師でもいなければ,僕のように偶然めざす人も多いのではないでしょうか。

吉田 では,医学部に入学してからはどのように過ごされていたのですか。

岡田 真面目なほうだったと自分では思っています。バスケットボール部に入部して,スポーツも頑張っていました。でも大学3年のときに,「卒業したら米国で研修を受けよう」と決意したんです。キャプテンを任されていたときは米国留学のために勉強がしたかったので,練習の開始時刻を2時間遅らせて勉強に充てていました。部員たちからしたら迷惑な話ですよね(笑)。

吉田 米国を意識したきっかけはなんだったのでしょうか。

岡田 もともと免疫の勉強が好きだったので,将来はアレルギーや膠原病を専門にしたいと思っていたんです。

 当時は9割以上の人が母校の附属病院で卒後研修をする時代だったのですが,母校にはアレルギー科がなかった。そもそも,そのころ日本の大学で膠原病をきちんと診ている病院は数か所しかなかったと思います。

 そんなとき,米国で研修ができる制度があることを知ったんです。どうせなら一番いいところで研修したいと思い,米国に行くことを決めました。

とにかく勉強するしかなかった

吉田 私も米国留学には漠然とした憧れがあるのですが,なかなか踏み切る勇気がありません。不安はなかったのでしょうか。

岡田 あのころはインターネットなんてなくて,よくも悪くも情報が入ってこなかったぶん,不安もありませんでしたね。

 実はベトナム戦争の後,米国は医師不足に陥って海外から研修医をたくさん受け入れていたのですが,80年代からは逆に医師過剰が言われるようになり,外国人医師の受け入れは減っていきました。僕が5年生のころは,日本人の研修医は米国全土でも数人しかいなかったんじゃないかな。

吉田 情報がない中,米国留学をめざしての勉強はどうしていましたか。

岡田 とりあえず英語の教科書だけを使って勉強していたのですが,『ハリソン内科学』の原書を最初から全部読むというような,かなり非効率的な方法でした。情報がないから,ひたすら勉強するしかなかったんです。それこそ,はげるくらい勉強しました(笑)。

吉田 全部読むというのはなかなか大変ですね。

岡田 教科書を1ページ目から読んでいくことは非常に大変です。むしろ医学は,勉強したことを実際の仕事にすぐに活かせる実学なので,自分が担当した患者さんに関連するところをその日のうちに確認するのがいい勉強になると思います。患者さんに提案できる選択肢を増やすためにも,最新の知見に触れることは欠かせないし,きちんと整理された知識を身につけておくことはとても大切です。

吉田 では,教科書を読む以外にされていたことはありますか。

岡田 僕は大学4年の冬から,『New England Journal of Medicine(NEJM)』誌を欠かさず読んでいました。NEJM誌の存在を偶然知って,面白そうだと思って購読してみたんです。全部読むのはすごく時間がかかって大変でしたが,とても勉強になりました。結局それからニューヨークでの3年間の研修が終わるまで,いつも持ち歩いて読み続けていました。

3か月も経てば,環境には慣れる

吉田 そうした苦労を経て,在学中に無事試験に合格されたのですね。卒後はどうされましたか。

岡田 本当は卒業したらすぐ米国へ行こうかと思っていたのですが,英語ができなかったので横須賀米海軍病院で1年研修をしてから行くことにしました。

吉田 私も英語には不安があって,それもなかなか留学に踏み出せない一因になっています。

岡田 僕は卒後を意識して,学生時代は夏休みなどを利用してロンドンやニューヨークに留学していました。ちょうどNHKの「やさしいビジネス英語(現・ビジネス英会話)」も始まったので,それを全部覚えて,CNNニュースも全て聞き取れるようにしたんです。でも,実際に海軍病院に行ってみたら全然わからなくて,結局1年間いてもあまり英語ができるようになった気はしませんでした。

吉田 それでは,実際に米国に渡ってからはいかがでしたか。

岡田 ニューヨークの人って早口なので,何を言っているのか全然聞き取れないんですよ。でも,米国には外国人の患者さんがたくさんいて,英語が苦手な人やしゃべれない人も多かったので,自分が話せなくてもあまり気にならなかったのは良かったかもしれません(笑)。本当に困ったのは最初の3か月ぐらいかな。3か月も英語の環境で過ごしていると,自然と何とかなっていきました。もちろん,行く前にできることはしておいたほうがいいとは思いますけどね。

海外でしか学べないこともある

吉田 もう少しで後期研修が始まるということもあり,どのタイミングで留学するのがいいのか迷っています。

岡田 いつ行ってもいいんですよ。

吉田 留学へ行くとまた最初から学び始めなければいけないので,行くのが遅くなるほどロスも大きくなってしまうのではないかという不安もあるのですが。

岡田 最初から始めなくてはいけないと言っても,日本と米国で学べることは全く違うので,完全に振り出しに戻るというわけではないです。日本でしか学べないことも当然あるので,日本にいる間は日本でできることを一生懸命学んで,それから海外の違うやり方を学ぶのは非常にいい経験になります。

 「いいとこ取りなんかできない」と言う人もいますが,全てをまねることは無理でも,海外から学べる部分はたくさんありますよ。それを知るには,やはり実際に経験してみないといけない。この先も医師としてやっていくなら無駄になる経験ってないと思うので,早くても遅くても,その経験が回り道になることはありません。

 教育にお金をかけていて,指導医もたくさんいる米国ならではの経験もありますからね。

吉田 米国でしか学べないことはなんでしょうか。

岡田 プレゼンテーションを繰り返すことで,自分が今わかっていること,なぜそう考えたかを明確にすることを米国では大切にしています。この作業を怠ると,「何がわかっていないのか」がわからないままになってしまう。それは自分のためにも,治療を受ける患者さんのためにもよくないでしょう。

吉田 確かに,自分がどこまで理解しているかがわかっていないと,うまく説明することはできませんね。

岡田 はい。日本では最初のうちは外来を担当させてもらえないことも多いですが,米国では学生時代から担当します。全ての外来患者さんの診察をして,自分で方針を決めたところで,なぜそう考えたかを指導医の前で毎回プレゼンするんです。病歴聴取がきちんとできていなかったり,アセスメントが間違っていたりすると,全部修正がかかるわけです。

 入院患者さんに対しても同様で,1年目のインターンは朝早くに来て,自分が担当している患者さんを診察します。その後2-3年目の研修医と指導医の前で自分の考えた方針について計2回プレゼンをして,そのたびに修正が入るので,自分の理解度を測ることができます。

“10秒”を惜しまない

吉田 研修医2年目に入り後輩を指導することも増えてきました。先生が教えるときに心掛けていることはありますか。

岡田 若い先生ができるだけ働きやすい環境を作れればと考えています。自分がこれだけやっているのだから,若い先生にも厳しく指導する,という態度ではありません。

 実は仕事のストレスって量にはよらなくて,「達成感」と,どこまで自分で仕事を決められるかという「融通性」によるんです。自分の立場が上になるほど融通が利くし,達成感も得やすくなるでしょう。だから,若くて融通があまり利かない人にストレスなく仕事をしてもらうには,無理に自分と同じ量の仕事を求めずに,少しでも達成感が得られるよう気に掛け,融通を利かせていい範囲も決めておきます。

吉田 個々の仕事に対する意欲によっても達成感は変わると思うのですが。

岡田 だからこそ意欲を高めるような接し方が大切で,僕は「若い先生たちが気持ちよく仕事や勉強をするには,どんな伝え方をすればいいだろう」と考えるようにしています。例えば,ただ論文を渡して「これ読んでおいて」と言うのではなくて,少しだけ余計に時間をかけて,「この論文にこんなことが書いてあって面白かったけど,先生も読んでみる?」とか一言付け加えるだけでいいんです。

吉田 なるほど。伝え方が少し違うだけで,印象がだいぶ変わりますね。

岡田 下の先生が勉強しやすい環境を作るための,この10秒を惜しんではいけません。あとは,若い先生が知っていること,考えていることを先に言ってもらうことも大切ですね。こちらから全部指示を出してしまうと,向こうは待つようになってしまうし,僕たちも教えるばかりになってしまうので,結局どちらのためにもなりません。若い先生の意見を聞きながら,うまく正解にたどりつけるよう質問していくことが,教える側の役割かなと思っています。

キャリア選択の三つのステップ

吉田 専門を選ぶ際に悩む学生や研修医も多いと思います。先生は免疫が好きだったから今の道に進まれたというお話でしたが,選ぶときには何を大切にすればよいのでしょうか。

岡田 僕は三つのステップを大切にしています。一つめは自分の得意なものを見つけること。僕は大学に入ったときには脳外科医になろうと思っていて,一生懸命脳外科の勉強をしていました。でも残念なことに,手先があまり器用ではなかったんです。それに外科は上の先生に直接教えてもらわなくてはならないので,ある程度自分で勉強できて,なおかつ手技の少ないものが自分には向いているなと考えました。

吉田 何が得意かを知るためには,やはり一通り勉強してみなくてはいけませんね。

岡田 ええ。そして,次のステップは得意なものの中から好きなものを選ぶことです。先に好きなものを選んではいけません。好きだとしても得意でないと上達しないので,いつかつらくなってしまいます。

吉田 三つめのポイントは何でしょう。

岡田 人の役に立つものを選ぶことです。人の役に立つと,人から評価されるでしょう。人って,他人に褒められたり,感謝されたりすることに喜びを感じるんです。

 だから,得意で好きなことをしていても,人から評価されないと,結局幸せになれない。得意なものの中から,好きなものを選んで,さらにそれが人の役に立つかを考えるという順序です。ただ,医師の場合は,どの道に進んでも人から評価されるので,得意で好きなものであれば大丈夫ですね。

吉田 好きとはいえ,就業人口の少ない科に行くことに少し不安があります。

岡田 例えば米国だと,はやりすたりがすごくあるし,どの科に進むかによって給料にも差が出ます。だから,その科に興味があるわけでもないのに,人が集まってくることがあるんです。日本はどの科になっても待遇や生活がそこまで変わるわけでもないので,好きな科を選んで損をすることはあまりありません。そこが日本のいいところですね。

 それに,医療は日々進歩していて,状況は変わっていくので,たとえ今その科の人気がないとしても気にする必要はありませんよ。

吉田 ちなみに,先生が米国に行かれたころは,膠原病科の人気はどうでしたか。

岡田 当時膠原病科は新しい薬もないし,人気もなくて,「なんでこんなことをやるの?」と言われました。僕が一生懸命取り組んでいる疾患の一つが全身性エリテマトーデス(SLE)なのですが,米国ではSLEの患者さんの90%はアフリカ系アメリカ人なんです。経済的に恵まれていない患者さんも多くて,あまり尊敬される科でもなかった。でも僕は,膠原病の患者さんの診療をすることが好きだったので,そんなことは関係ありませんでした。今では新しい薬ができて,治療の選択肢も増え,志望する人も増えているでしょう。そういうふうに,状況は変わっていくものなんですよ。

得意で好きなことであれば,くじけることはない

吉田 そうしてアレルギー/リウマチ・膠原病の道を選ばれたわけですが,今はいかがですか。

岡田 毎日楽しいですよ。アレルギーや膠原病って患者さんによる個人差が大きくて,治療にさじ加減が必要なんです。だから,担当する医師の技量によって差が出るので,自分のがんばり次第で患者さんや患者さんのご家族の生活が変わることにとても責任とやりがいを感じます。

 アレルギーや膠原病って慢性疾患でしょう。救急医みたいにその場で患者さんの命を救う科ではない。でも,医師がちゃんと治療できないと,その患者さんの生活が台無しになってしまうんですね。膠原病科は患者さんの命ではなく,“生活そのもの”を救う科だと僕は思っています。

吉田 他の専門を選べばよかったとか,やめたいと思ったことは……。

岡田 全然ありませんでした。学生のとき,免疫学者でノーベル生理学・医学賞の受賞者でもある利根川進先生の講演を聞く機会がありました。そのとき「どうしてそんなにがんばれるのか」と質問した人がいたんです。先生は,「好きなことをやっているんだから,がんばれて当然でしょう」と(笑)。僕もそう思います。

 得意で好きなことをやっていれば,絶対にくじけることはないです。もともと得意だから,他の人より上達しやすいはずだし,上達すれば周りからも評価される。好きなことだから,楽しくやっていけます。「この科のほうが,経済的にいいかな」とか,「今はこの科がはやっているかな」とか余計なことを考えて,得意じゃなかったり,好きじゃなかったりするものを選んでしまうと,やっぱり達成感がなくなってしまう。だから,将来について考える学生さんや研修医の先生には,一生の仕事として後悔しないようにこれからの道を選んでほしいです。

吉田 ありがとうございました。

インタビューを終えて
 岡田先生についてはアレルギー/リウマチ・膠原病のビデオ学習教材で学生のころから存じ上げておりましたが,実際にお会いしてみると,その気さくな人柄にたちまち心惹かれました。収録は始終和やかなムードで進み,一般的なことから紙面には載せられない裏話まで,幅広いお話をしていただきました。
 中でも印象に残っていることは留学への勧めです。分野によっては医学的に日米の差がほとんどないと言われていますが,それでも留学を勧める先生の言葉の裏には,医師として忘れてはならない飽くなき探究心があるのだと感じました。
 また医師として自分の仕事を楽しむことの大切さを学びました。医療が好きで自分の仕事をするからこそ,窮地に立たされている患者さんを救うことができるのだと実感しました。岡田先生がなぜ多くの学生や研修医のロールモデルとなっているのかを垣間見ることができたインタビューでした。

(吉田常恭)

(了)

岡田正人氏
横須賀米海軍病院,自治医大にて研修後,1991年より米国Beth Israel Medical Centerにて内科研修。94年Yale大病院にてリウマチ膠原病内科,アレルギー臨床免疫科研修,97年仏国American Hospital of Paris勤務を経て,2006年より現職。日米両国の内科,膠原病科,アレルギー専門医の資格を持つ。著書には『レジデントのためのアレルギー疾患診療マニュアル第2版(医学書院)』など。「医学が進歩して情報量が増えた今,一人の先生をロールモデルとするのではなく,いろいろな先生のいいところを見て学んでいくのがいいと思います」。



http://www.huffingtonpost.jp/sae-ochi/community-healthcare_b_6089002.html?utm_hp_ref=japan
地域医療の原点は専門にあり
越智小枝 (医師、公衆衛生修士、リウマチ専門医)
投稿日: 2014年11月02日 17時42分 JST 更新: 2014年11月02日 18時01分 ハフィントンポスト

私は都内の大病院を中心に10年余り膠原病の専門医療に従事していましたが震災のご縁で、2013年11月より相馬市に常勤医として定住しております。この1年の経験を通じ、自分の持っていた地域医療の認識が大きく変わりました。特に学んだことは、地域医療は総合医ではなくむしろエキスパートの集団によって支えられている、という事実です。

地域における専門医の存在意義には2つあります。1つは、他の医師に出来ない専門技術を提供すること、つまり個人の競争力です。もう1つは、地域医療を眺める視点が定まる事、つまり問題提起・解決能力です。

■ 総合診療医は都会の科?

地域医療は医師が少ないから総合診療医であることが大事、と考える方は多いと思います。初療で様々な疾患を診るという意味で、それは事実です。しかし病院に「総合診療科」が必要なのは、むしろ都会の病院だと思います。

都会の大病院は専門科による縦割り制度が強く、「うちの専門じゃないから」と患者さんが診療を断られるシーンが少なからずあります。診断のつかない患者さんがたらい回しにされかねない都会では、総合医の付加価値は益々高まっています。

たしかに、例えば村に唯一の診療所のような本当に医師のいないような場所であれば、専門の偏りがない医師が必要です。しかし病院が建つ程度の大きさの街、つまり人口が数万人単位の地域医療では、1人が全てをこなす訳ではありません。むしろ、個々の医師の専門技術が欠かせないのです。

■ 相双地区における専門医の窮乏

たとえば約10万人の人口を抱える相双地区の大きな問題は、開業医も含めて耳鼻科の常勤医師が1名も居ないことです。公立相馬病院に非常勤の医師がいらっしゃいますが、毎日ではありません。耳鼻科の専門医しか診れない疾患として、突発性難聴といって早期に診断を付けて治療を行わなければ失聴してしまう疾患があります。また扁桃周囲膿瘍という命に係わる感染症などもあります。相双地区ではこのような患者さんは車で1時間半以上かかる福島県立医大か仙台市の病院に紹介しなくてはいけません。

循環器科も同様です。相双地区の病院に常勤の循環器医は3名しかいないため、夜間の救急疾患までは手が回りません。このため夜間に発生した心筋梗塞の患者さんは仙台まで搬送されます。途中の山元町まで仙台側の救急車が迎えに来てくれ、患者さんは救急車を乗り継いで転院することになります。

このような疾患を初療に当たるのは、我々のような100床規模の病院の当直医師だったりします。周りに病院が少ないため、たらい回しは万が一しようと思ってもできないからです。つまり地域医療を行う為に総合力は必須条件。しかし医師が少ないだけに、その総合力に加えて、個々の医師が専門技術を持ちよることが重要になってくるのです。

■ 超高齢化社会の通院能力

私の専門である関節リウマチは全人口の0.5-1%くらいが罹る、比較的頻度の高い疾患ですが、同時に専門的治療の必要な疾患でもあります。関節リウマチの問題点は痛いこと。特に朝の痛みが強いため、午前中に車を運転して通院されることは本当に辛いそうです。相双地区では今でも車を運転して山越え受診をするリウマチ患者さんが大勢いらっしゃいますが、このような患者さんの負担を少しでも減らす役に立てれば、というのが私の目標です。

この通院の辛さはリウマチ患者さんにとどまりません。相双地区ではお元気に通院される超高齢患者さんが大勢いらっしゃいます。しかしご家族の運転・移動能力が低下するにつれ、遠くの病院に通院することができなくなっています。

今後全国的に進む超高齢化社会において一番大事なことは、地域で医療が完結する体制づくりです。このためには高齢者のアクセスできる範囲に専門家、それもある程度独立できるくらいの経験を積んだ専門医を備えた病院が存在する必要があります。つまり、今後地域医療における専門医の付加価値は一層高まるのです。

■ 思考の核としての専門性

このように、付加価値としての専門性も重要ですが、同じくらい大切なことが、地域社会を眺め、問題解決法を提示する軸としての専門性です。

私はリウマチとスポーツ医学をやっている、という経験から、自ずと地域の人々の骨や関節に関心があります。その結果見えてきたのが、社会問題としての骨粗鬆症リスクです。原発事故の影響で私が非常に恐れているのは、骨粗鬆症の増加です。理由は主に3つあります。

1つ目は、農業・漁業を禁止されたことや外での運動をしなくなったことにより、住民の方の運動量が減っている事。2つ目は、骨に大切なビタミンDやカルシウムを含む魚、キノコ、牛乳などの摂取が減ってしまうこと。3つ目は、放射線を恐れて外に出る時間が減った結果、日光に当たらなくなってしまうことです。骨の量は20-30代をピークに後は下がる一方ですから、もし子供たちがこれらの条件に晒されれば、将来的にも骨粗鬆症のリスクが上がるのです。

ですから地元の方に放射線のお話しをする時、私は常に放射線と一緒に骨のリスクをお話しすることにしています。

「XXX mSVの被ばくにより癌になるリスクがXXX倍になります。癌はもちろん怖いですが、治る可能性もあります。一方、骨粗鬆症で身長が3㎝縮むと、『死亡する』率が1.8倍になります。ですから、くれぐれも放射線を避けすぎて運動・ビタミン・日光が足りなくならないようにしてください」

骨粗鬆症は日本中で最も頻度の高い骨の疾患であり、寝たきりの原因の第3位を占める重要な疾患ですが、全国的にも2割くらい方しか治療を受けていないそうです。地域の健康を推進するため私に貢献できることには、この骨の健康の関心を高め、早期発見・予防・治療を行っていく事だと思っています。

■ 社会を診るレンズ

上記の例は私の専門性から見えてくる問題であって、他の専門医の先生方には他の視点があります。たとえば脳外科医の先生は「寝たきりの死亡原因1位である脳血管疾患が相双地区で高い事は食生活の塩分摂取の多さだ」と、住民の方の塩分摂取量を測定、フィードバックされています。精神科の先生は原発事故による家族構成や社会構成の変化により、これまで見えていなかった精神疾患が明るみにでた、と考察しています。

地域医療と都会の医療の一番の違いは、医師の方々の地域社会への関心の高さだと思います。患者さんも自分も同じ地域で長年暮らしているため、患者さんを診ることで地域社会が自然に見えてくる。自ずと、医師として地域社会へ貢献する意識も高まります。

しかし地域社会を漫然と眺めていても問題解決にはつながりません。どの分野でも同じだとは思うのですが、思考の軸としての専門性は非常に大切です。つまり専門性は、地域医療を眺めるレンズの絞りの役割を果たしているのです。

■ 総合医を目指す研修医へ

相双地区で最も大きい南相馬市立総合病院では、初期研修を希望する若い医師が増えています。今年は4名の研修医を受け入れる予定です。研修医の出身地は関東圏に留まらず、何と滋賀県からの研修医もいらっしゃるとのことです。

遠方からはるばるこの病院に研修に来る医師には特徴があります。1つは、社会への問題意識が高いこと。もう1つは、自分にしかできない医療を求めていることです。彼らの目標は地域での総合診療ができる医師。しかし私は彼らに、まず何か専門を決めてみては、とアドバイスしています。

医局制度が崩壊し、スーパーローテート制が導入された後から、「総合医」「何でも診れる医者」を目指す研修医が増えていると感じます。専門医という単語に付随したいわゆる専門馬鹿や、医局のヒエラルキー社会のような狭量なイメージが付いて回るせいかもしれません。また、専門医として一人前になるためには長い年月がかかりますから、どうせ地域で総合的な医療をやることになるのだからその期間がもったいない、と感じるのかもしれません。

しかし専門性と総合力というものは、併存可能であり、かつ全く別のものです。相馬中央病院の常勤医はわずか7名ですが、全ての先生が手術や内視鏡、糖尿病治療など高度な専門技術を持たれながら毎日一般診療をこなされます。面白いことは、研修医が見学に来ると全ての先生方が異口同音に、「まずは専門をきめなさい」と言われます。少し遠回りに見えるかもしれませんが、研修医の先生には「一本筋の入った」医師になるための専門修行も経験してほしいな、と思っています。



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141102/k10015894051000.html
刑務所などの医師不足 過去最悪に
11月2日 20時40分 NHKニュース

刑務所などの医師不足 過去最悪に

 刑務所などの矯正施設で常勤の医師の辞職が相次ぎ、欠員の数は定員のおよそ4分の1と過去最悪になっていることが法務省への取材で分かりました。
 実刑判決が確定しているにもかかわらず、全国で100人以上を刑務所に収容できないなど深刻な影響が出ています。

 刑務所や少年院など全国の矯正施設の多くは、医師が常駐し、施設の中で受刑者などの診察や治療を行っていますが、法務省によりますと、平成16年ごろから一般の病院との待遇の差や、医師としての経験を十分に積めないという不満などから辞職する医師が相次いでいるということです。
 NHKが全国の法務省の機関に取材したところ、先月1日の時点で、矯正施設の常勤医師の定員327人のうち欠員が76人と過去最悪になっていることが分かりました。
 こうしたなか、人工透析が必要な腎臓病の受刑者を受け入れる態勢が整わず、先月1日の時点で全国で112人を刑務所に収容できなくなり、実刑判決が確定しているにもかかわらず、自宅や病院で待機させざるをえない状況になっています。
 また刑務所などから外部の病院へ連れて行く件数が増える傾向にあり、こうした場合は費用がかさむこともあります。
 刑務所などの医療費は高齢化の影響で増加していますが、さらに増える要因の1つになっています。
法務省は、「受刑者の高齢化が進むなかで医師が不足しているのは危機的な状況で、待遇の改善などを検討していきたい」としています。



http://dot.asahi.com/life/lifestyle/2014103000082.html
薬の「食べログ」? 医師の4人に1人が使うSNS
(更新 2014/11/ 2 16:00) dot.asahi

 副作用はないか、本当に効果はあるか…。新しく薬を患者に処方するときなどは、医師も悩む。そんなとき、薬の口コミサイトが決断を助ける。

 眉間に刻まれた深いしわが、病の深刻さを表していた。診察室で、精神科医の根本安人(やすんど)さん(40)の前に座る40代の女性は、「死にたい」と何度も繰り返した。重度のうつ病と診断され、ほぼ1年が経っていた。

 根本さんは、この女性にさまざまな種類の抗うつ薬を処方したが、症状は上向かなかった。そんなとき、医師専用のソーシャルメディア「MedPeer(メドピア)」で紹介されていた事例が目に留まった。

 抗うつ薬に加え、少量の非定型抗精神病薬を処方する――抗精神病薬とは、統合失調症の患者のための薬だ。「まったくベクトルが違う」(根本さん)という二つの薬だが、組み合わせることで、うつ病患者の症状が改善する場合があるという。

 約2週間後、根本さんの問診に、笑顔で応える女性がいた。

「薬の効果に驚いた。初めて処方する薬は副作用が気になり、慎重にならざるをえない。しかし、メドピアで医師の評価を直接聞けたことで、判断の後押しになりました」(根本さん)

 こうした医師向け情報提供サイトを運営するメドピアの設立は2004年12月(当時の名称はメディカル・オブリージュ)。

「臨床医は目の前の患者さんを救うことができる。一方、ITの力で数万人の医師を支援し、その先にいる多くの患者さんを救う、そんな道も医者の一つの在り方だと思ったんです」

 そう語るのは、創業者の石見陽(いわみよう)社長(40)。循環器内科医でもあり、今も週に1度は臨床に立ちながら、メドピアを売り上げ5億7千万円(12年度)の企業に成長させた。現在の会員は7万人を超え、国内の医師の4人に1人が利用する。

 医師限定の掲示板やマーケティングにも使えるアンケート、勤務医による病院評価など、さまざまなサービスを展開しているメドピア。中でも医薬品業界の注目を集めたのが、「薬の食べログ」にも例えられる「薬剤評価掲示板」のサービスだ。

 医師が新しい薬を使う際、参考にするのは、薬の添付文書、製薬会社のMR(医薬情報担当者)や学会から提供される情報など。一方、日々患者と向き合う医師たちは、こんな思いを抱く。

「たとえ同じ病名の患者さんでも、個人差があってまったく違う。同じ薬でも効果のある人とない人がいる。効果が出る処方量も違う。そうした『使い勝手』はマニュアルには書いてなく、手探りで見つけるしかないんです」(前出の根本さん)

 メドピアの薬剤評価掲示板は、約7万人の会員による各薬の評価を集約。独自の統計処理で、効果やコストパフォーマンス、患者にとっての使いやすさ(錠剤の飲みやすさ、内服する頻度など)、副作用など6項目を数値で評価している。評価者のコメントもすべて読め、“処方実感”を共有できる。

※AERA  2014年10月27日号より抜粋


  1. 2014/11/03(月) 08:16:27|
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