Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

9月23日 

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140923/wlf14092318000001-n1.htm
30キロ離れた病院へ搬送も…医師不足で平日の夜間救急ストップ、「高野山診療所」が突きつける地域医療の課題 
2014.9.23 18:00  産經新聞

 医師不足から、1年あまりにわたって平日の夜間救急患者の受け入れがストップしたままとなっている、和歌山県高野町の町立高野山総合診療所。町内での夜間の救急患者は約30キロ離れた同県橋本市民病院などに搬送されるが、到着までに1時間近くもかかる。4月の町長選では、医療体制充実を前面に出した平野嘉也氏が現職を破って初当選したが、医師確保は進んでいない。「夜に何かあったら。何とか町内で診てもらえれば…」。住民の不安はつのる。 (成瀬欣央)

 

医師不足で縮小

 同診療所は平成24年、町立高野山病院の診療体系を変更して発足した。救急体制も、当初は高野山病院のころと変わらず、院長、副院長を含め常勤医4人で24時間体制だった。

 しかし、同年末に院長が体調を崩し、昨年4月には県からの派遣医師が2人から1人に減らされたうえ、副院長も体調を崩した。院長は復帰したが当直はできず、夜間に勤務できる常勤医は1人だけに。夜間救急は縮小を余儀なくされた。

 現在の救急体制になったのは昨年5月ごろから。日中は年間を通して受け入れているが、夜間は宿泊客の多い土曜と、月曜が祝日の場合の日曜のみの対応。副院長復帰のめども立っておらず、日中の診療も含めて橋本市民病院や伊都医師会などから応援を呼んでいる状態だ。

 

町長選争点に診療所

 町消防本部によると、昨年の救急出動件数は310件。そのうち町外への搬送は196件に上った。搬送先は橋本市民病院やかつらぎ町の県立医大付属病院紀北分院が中心で、受け入れ困難な場合は約35キロ離れた紀の川市の公立那賀病院へ搬送することもある。

 こうした状況を受け、今年4月の高野町長選では診療所問題が争点に。新人の平野氏は「総合診療所の365日、救急・入院ができる体制を復活できるよう医療スタッフを確保する」との公約を掲げ、初当選した。しかし、町長就任から4カ月あまりたったが、常勤医確保には至らず救急体制は変わっていない。

 

精力的に動くが…

 「公立で給与が安いうえ高度な医療ができない。僻地(へきち)医療を志す人はもっと困っている所へ行ってしまう」。医師確保の難しさについて、前町長時代の幹部職員はこう話す。

 平野町長は5月の就任以降、町内16カ所でタウンミーティングを開いて住民の声に耳を傾けた。7月には医師探しを担当する職員を配置し、情報収集や診療所とのパイプ役となり、町長自身も医療関係者などと接触を重ねている。

 「診療所が機能しないと、お年寄りの方が不安から町外へ転出してしまいかねない。医師確保は必ずやらねばならない」と平野町長。住民の安全と安心へ、猶予はない。




 高野町立高野山総合診療所 内科や外科、小児科などがあり、現在、入院は受け入れていない。町総務課によると、町立高野山病院の診療体系を変更した理由として、経営赤字を町からの補填(ほてん)で埋める財政的な問題▽入院患者の減少▽看護師確保の困難-などが挙げられるという。同課は「入院機能を維持するのは困難と判断し、訪問診療・訪問看護に注力する方向にかじを切った」と説明する。



http://diamond.jp/articles/-/59417
医療・介護 大転換【第10回】
なぜ日本では認知症高齢者の入院が減らないのか
「脱精神科病院」を阻止する医療関係者の反撃

浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]
2014年9月24日 ダイヤモンドオンライン

 日本は「認知症800万人時代」が到来しているにもかかわらず、欧米諸国では否定されつつある認知症高齢者の入院者がまだ多い。それも本来、認知症高齢者の居場所としてはふさわしくない精神科病院に5万3000人もの患者が入院している。多くの病院関係者が一体となって、「認知症ケアに医療が必要」と思い込んでいる。

 認知症ケアには「病院モデル」から「生活モデル」への転換が必要というのが、国際的な流れだ。しかし、その流れに抗うかのような日本の医療関係者。厚労省内にも医療派と生活派が混在し、そこに医療関係者の強引な介入があり、政策も紆余曲折を辿ってきた。

やっと認知症ケアに本腰を入れた
厚労省「オレンジプラン」の中身

 実は、医療関係者の中にも、診療所医師を中心に生活ケアを重視する医療者たちもおり、その声が次第に大きくなりつつある。訪問診療など在宅医療に携わっていると、自宅や地域で日常生活を続けることが認知症ケアにとって最良の対応と実感してくるからだ。

 その声に押されるようにして、厚労省内でも生活モデル派が主導権を採りつつある。そんな現場の「生活モデル」派の声を集大成したのが2012年秋に厚労省が打ち出した「認知症施策推進5か年計画」である。認知症に本腰を入れて取り組む姿勢を初めて見せた。いわば、認知症ケアのスターラインにやっとたどり着いたといえよう。遅きに失したが、着手したことは評価されていい。別称「オレンジプラン」と命名し、2013年度から始まった。

 その内容を見ていこう。7つの施策を掲げる。

①認知症ケアパス(状態に応じた適切なサービス提供の流れ)の作成
・2014年度までに市町村が呼び掛け、翌年以降に介護保険に反映させる

②早期診断・早期対応
・かかりつけ医の研修受講者を2017年度までに5万人に
・認知症サポート医の研修受講者を2017年度までに4000人に
・認知症初期集中支援チームを2014年度までにモデル事業として30ヵ所で設置
・早期診断を行う医療機関を2017年度までに約500ヵ所整備
・地域ケア会議を普及させ、2015年度以降に全市町村で実施

③医療サービスの構築
・薬物治療のガイドラインを2012年度に策定し、以降、医師向け研修で活用
・精神科病院に入院が必要な状態像の明確化
・退院支援・地域クリティカルパス(退院に向けての診療計画)の作成

④地域生活を支える介護サービスの構築

⑤日常生活・家族の支援強化
・認知症支援推進員を2017年度末に700人へ
・認知症サポーターを2017年度末までに600万人へ
・市民後見人を育成し、将来的にすべての市町村で整備
・認知症の人や家族支援として「認知症カフェ」の普及

⑥若年性認知症施策の強化
・2017年度までに当時者の意見交換会を全都道府県で開催

⑦人材の育成
・認知症介護実践リーダー研修の受講者を2017年度末までに4万人
・認知症介護指導者養成研修の受講者を2017年度末までに2200人
・一般病院の医療従事者への研修受講者を2017年度末までに8万7000人

 以上のように多岐にわたる豊富な中身だが、従来施策の踏襲も多い。その中で、①のケアパスや②の認知症初期集中支援チーム、早期診断を行う医療機関③の精神科病院に入院が必要な状態像の明確化などが目新しい。

 この新プロジェクト、オレンジプランに至る経緯を振り返ってみると、医療・病院側との攻防戦があり、すんなり決まったわけでないことがわかる。欧米各国とは違う日本の特殊事情が表れている。

厚労省が過去の認知症施策を「反省」
そして精神科病院協会が「反論」へ

 オレンジプランにたどり着く直前の2012年6月18日に厚労省は、「脱病院」路線を高らかに宣言した画期的な報告書「今後の認知症施策の方向性について」(6・18報告書)を発表している。

 冒頭に「これまでの認知症施策を再検証する」として、反省の弁を述べた。

「かつて私たちは認知症を何もわからなくなる病気と考え、徘徊や大声を出すなどの症状だけに目を向け、認知症の人の訴えを理解しようとするどころか、多くの場合、認知症の人を疎んじたり、拘束するなど、不当な扱いをしてきた」

 中央官庁が過去の施策を間違いと認めるのは極めて珍しい。この報告書が政策転換を示すものだとよく分かる。

 そのうえで、「今後目指すべき基本目標」として方向性を打ち出した。

「このプロジェクトは、『認知症の人は、精神科病院や施設を利用せざるを得ない』という考え方を改め、『認知症になっても本人の意志が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる』社会の実現を目指している。

 この実現のため、新たな視点に立脚した施策の導入を積極的に進めることにより、これまでの『自宅→グループホーム→施設あるいは一般病院・精神科病院』というような不適切な『ケアの流れ』を変え、むしろ逆の流れとする標準的な認知症ケアパス(状態に応じた適切なサービス提供の流れ)を構築することを、基本目標とするものである」

 42年前に作家の有吉佐和子がベストセラー小説「恍惚の人」を発表した。認知症になると何もわからなくなり、周囲に迷惑をかけるので精神科病院に入らねばならない、と記す。今では、本人の尊厳を無視する誤った見解とされるが、認知症への偏見は広がってしまった。6・18報告書は、それを払拭しようというもので、国民に認知症の捉え方の転換を求めているとも言えるだろう。

 この6・18報告書に対して翌7月、日本精神科病院協会が「反論」を出した。報告書は「ケア中心の施策であり、医療、特に精神科医療への関与を極力抑えるような文言が目立ち、到底受け入れられない」と全面否定する。中でも、一般病院と精神科病院を最終ゴールとし、それを「不適切なケア」と指摘したことに怒る。

「反論」では「我々は常に病院→地域→自宅という流れを推進した。しかし地域の受け皿や自宅での介護支援の不足が大きな障害となり困難を極めていた。これは国の認知症施策の貧困による」と、入院患者問題の責任は精神科病院にはないと主張する。

 さらに「精神科医療の関与なくして認知症施策は成り立たない」と繰り返し述べる。報告書で「グループホームを認知症ケアの拠点とし、重度化や看取り対応を推進」とあることにも「グループホームは監査体制が不十分であり、法的に人権に配慮していない」と、誤解に基づくような異議を唱える。

画期的な2つの新サービスを提言するも
日本医師会が「身近型認知症ケア」を潰す

 6・18報告書では、画期的な認知症の具体的サービスを2つ提言した。

 認知症ケアには初期対応が重要として看護職や作業療法士などで構成する「認知症初期集中支援チーム」と、既存の病院や施設を医療関係者が訪問する「身近型認知症疾患医療センター」の2つである。

 前者は、英国で「メモリーサービス」として運営されて評価が定まっており、日本版の導入を目指した。後者は、地域で訪問診療を手掛けている診療所医師を前面に押し立てる斬新なアイデアだ。

 精神科を含めた病院ではなく、訪問診療を手掛ける診療所への認知症施策の主役転換となる仕組みである。病院で日常生活を拘束するのではなく、慣れ親しんだ自宅やその近くの集合住宅でケアを受けるのが認知症者には最適な環境である。地域の診療所の医師と臨床心理技術者がチームを作り、一般病院や介護保険施設・事業所に繰り返し訪問することで認知症の悪化をできるだけ防ぐ。一般病院や介護保険施設に認知症の専門医師が訪問するのはこれまでにないこと。転院や入院をできるだけ回避し、在宅生活への復帰を促そうという狙いだ。

 厚労省が介護保険政策で推進する「地域包括ケアシステム」や「病院から地域へ」の考え方に合致する。その2年後の社会保障制度改革国民会議の報告書でも同様の路線を踏襲している。

 この新サービス対して日本医師会が異を唱えた。「日医ニュース2012年10月5日号」で、既存の「認知症サポート医との役割分担が不明確である。屋上屋を架すような施策は現場の混乱を誘発する」と横槍を入れる。6・18報告書が発表された直後から日医はこの「身近型……」の取り下げを厚労省に執拗にアピールし続けた。

 その圧力に押されたのか、厚労省は3ヵ月後の「オレンジプラン」策定にあたり、何と「身近型……」は外してしまう。代わりに「早期診断を行う医療機関」を入れたが、呼称を変えて6・18報告書の斬新な内容を消してしまった。これを後日の日医ニュースでは「日医の指摘を受け……」と勝ち誇ったように記す。

 訪問診療を今でも敬遠しがちな日医にとって、「身近型……」の創設は面白くないのだろう。「難癖をつけて消したかった」と関係者は見る。

 実は、一方で厚労省は「病院モデル」を続けている。認知症疾患医療センターである。6年前に厚労省が作成した報告書「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」に基づいて始まった認知症の拠点病院だ。200ヵ所近い病院が指定されているが、多くの精神科病院が含まれている。同報告書の作成委員には病院系医療関係者が多い。厚労省内でも「病院モデル」を支持するグループが、「緊急プロジェクト」の作成に携わったと見られている。

 訪問診療に熱心な診療所医師たちからは「介護保険でグループホームや認知症デイサービスなどが整い、生活に寄り添う地域密着の認知症ケアが浸透してきた。それをまた病院に戻そうというのは、時計の針を巻き戻すようなこと」と批判を浴びている。

 6・18報告書は「緊急プロジェクト」に代わる認知症ケアの新しい提言であり、オレンジプランとして日の目を見た。ただ、「身近型認知症疾患医療センター」を外したため、画竜点睛を欠くことになったしまった。それほど病院系、医療系の政治的圧力が強いことを改めて浮き彫りにしたと言えるだろう。

“脱精神科病院”は結局進まない?
「認知症サミット」で問われる日本の認知症ケア

 その精神科病院が生き残り策を打ち出した。精神科病院の病床を居住施設に転換させようというものだ。退院した患者の部屋を改装して居住施設とし、既存入院者を移す。さらに空室には認知症高齢者を引き受けようという狙いだ。

「生活するのは普通の場所がいい」「病院は暮らしの場ではない」「看板の掛け替えだ」と、精神障害の当事者や家族、支援団体などが反対運動をしてきたが、厚労省が7月1日に開いた「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会」で承認された。

 反対集会のアピール文には「統合失調症の入院者が激減し、余ったベッドを認知症の人で埋めようという経営戦略の一環として、次なる社会的入院が生まれていくことが危惧されます」とある。認知症高齢者の新たな収容施設となることが危惧されている。

 英国では、2009年2月に政府が「認知症とともに良き生活(人生)を送る(認知症国家戦略)」(Living well with dementia(National Dementia Strategy)を発表した。保健省の下に認知症局を設け、首相のリーダーシップによって政策を推進し、「総合病院での不要な入院を減らす」など17の目標を掲げた。5年間を集中改革期間としている。

 英国のほかフランスや米国でも国のトップが率先して総合的な国家戦略を掲げて取り組んでいる。日本ではまだそのレベルには達していない。

 日本では、「暴力を振るわれる」「夜間にトイレ介助などで毎晩のように起こされる」などで自宅での同居が難しくなった家族が、医師やケアマネジャーに相談に行くと、精神科病院への入院を勧められることが少なくない。そのため「家族から頼まれ仕方なく」と精神科病院側の弁解がまかり通る。

 一方で、日本の認知症ケアのレベルは介護保険施行以来、急速に高まり、北欧を追い越すグループ―ホームや宅老所(お泊りデイサービス)、個室ユニットの特養など居住系介護施設が各地で増えている。だが、同じ認知症症状なのに医師やケアマネの間違った判断で精神科病院に送られる認知症者もいる。そこではミトン型手袋や腹帯の身体拘束、日中もパジャマ姿など想像を絶する人権無視の世界が法に守られて現存する。天地の開きだ。

 国はいまだに「脱精神科病院」に逆行する政策から脱却できていない。認知症施策がふらついているため、脱病院策に腰が引けてしまうようだ。オレンジプランの遂行如何で本気度が試される。

 11月5、6日には日本で国際会議「認知症サミット」が開かれる。昨年12月ロンドンで開いた初の「G8認知症サミット」の関連会合として各国が相次いで開催している。「脱病院」を進める欧州諸国を招いての会議の場で、日本の認知症ケアのあり方が問われるだろう。



http://www.m3.com/open/iryoIshin/article/253772/?category=special
FDAで「得たもの」「築いたこと」◆Vol.5
日医の治験センターの立ち上げも経験

2014年9月23日 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

 FDAで働くためのビザ取得までの間、日本に一時帰国する。2003年8月からPMDAで働き始めた。

 2カ月経った頃のことです。厚生労働省のある幹部に呼ばれて、「日本医師会で治験推進研究事業を立ち上げるので、やってほしい」という依頼でした。年間10億円ぐらいの規模の厚生労働科学研究費補助金による治験推進研究事業をやるのに、それを主導する人がいなかったのです。僕はFDAに行くことが内定していたので、半年程度しかできないという条件でも、「いいからやってくれ」と言われて、実務責任者として2003年10月から、「日本医師会治験促進センター」の立ち上げにかかわったのです。

 その直後、日医会長選挙があり、センターの位置付けがやや混乱しましたが、結局、2年くらいかかわっていました。結局、当初は半年程度でビザが下り、FDAに行く予定だったのが、センターを軌道に乗せるためにもう少し時間がかかりそうだったので、FDAに「採用延期願い」を出しました。


 日医の治験促進センターは、ゼロからの立ち上げだった。どんな苦労があったのだろうか。

 一番苦労したのは、日医の役員と厚労省の担当者との間の、意見の調整ですね。日医はやはり医師会員のためになるかという視点で考える一方、厚労省は治験を普及促進のために補助事業を開始しているわけで、それぞれの思惑が違うわけです。

 両者の間に立ちつつ、僕のミッションは、治験のインフラを構築することだったので、治験ができる中核病院を全国何カ所かに設置しようと考えました。今進められている、「臨床研究中核病院」の構想と同じです。しかし、厚労省は、「大規模治験ネットワーク」という形で、全国に治験ができる病院を整備する目的で、予算を確保していた。だから中核病院構想をあきらめざるを得ず、治験に興味があるところに手を挙げてもらい、登録する形になりました。クリニックも含めて、何百という施設が入りました。結局、その後、厚労省は「臨床研究中核病院」という方向に転換したわけですが……。

 ネットワーク作りに加えて、医師主導治験の手順書を作成したり、治験の費用の仕組みを変えるなど、さまざまなことをやりました。ただ、もっと大胆に治験のやり方を変え、医師主導治験を格安でやれる仕組みを作りたかったのですが、「民業圧迫」などとも言われ、できることは限られました。

 いろいろ苦労もありましたが、日医と役所の仕事の進め方も学びましたし、何より、国の予算で事実上、新規事業の立ち上げに近いことをやったわけですから、本当に勉強になりまし、感謝しています。


 ビザが下り、2006年からようやくFDAの勤務が始まる。

 何のトレーニングもなく、行ってすぐに、「これ審査して」です。FDAの医療機器・電磁波製品審査センター(Center for Devices and radiological Health;CDRH)は、非常に大きな組織です。その一部門が、僕が所属していた「医療機器審査室」(Office of Device Evaluation)で、2006年当時は、循環器、産科・消化器科・放射線科、眼科・耳鼻咽喉科、一般・健康増進・神経科、麻酔科・総合診療・感染管理・歯科という5つの審査部に分かれていました。僕が所属していた、「循環器医療機器審査部」だけで82人のメンバーがいたのです。CDRH全体では、審査官は250人以上で、うち医師は49人。

 一方、当時のPMDAは、医療機器の審査部全体で審査官は11人で、うち医師はおらず、歯科医師が1人でしたから、日米には圧倒的な違いがありました。

 FDAでは、ひたすら審査の勉強をさせてもらいましたね。ただ、それだけでなく、FDA内の勉強会のほか、学会にも参加できました。学会には、FDAのセッションや産学連携のセッションなどがあり、心臓病関連の学会では、FDA代表のファカルティー・メンバーとして、パネリストとして出たこともあります。

 米国では、最近はやや変わりつつあるようですが、当時は企業やアカデミアも、FDAに対して尊敬の念を持っていました。治験を開始する前から、FDAが相談に乗り、最初から寄り添うようにして手伝っていくような感じです。最後は一緒にやってきたのだから、もめずに承認が下りるわけです。企業やアカデミアとFDAが共同で医療機器を開発していくという姿勢。体制や人数が違うので、致し方ない面もありますが、審査する側と、審査される側に極端に分かれる日本のPMDAとの違いは感じました。

 しかも、審査官は若い時にFDAに入って、部署の異動はありますが、長年やっているベテランが多い。審査のスペシャリストが支えているので、ビジョンなどもぶれない。だからこそ、大胆な承認ができる。その分野の専門知識がなければ、新しい機器の判断は難しい。分かっているからこそ、「これぐらいだったら、大丈夫」と思える。広い視野を持っているから、リスクなども想定できるのでしょう。そうでなければ、慎重にならざるを得ず、余計な動物実験や臨床試験を課すことになるのです。

 日本の審査はインターンの経験でのごく一部しか見ていませんので、内容についてジャッジできる立場ではありませんが、FDAの審査は、歴史があり、洗練度や完成度は高く、奥深さ感じました。

 僕自身のことを言えば、公衆衛生学の修士を取って、その後、リサーチフェローとしてブラッシュアップしてFDAに入ったわけですが、一流の審査官になるには、まだ足りない何かがあると感じながら、仕事をしていました。だから審査官の仕事自体をもっと続けていきたいという気持ちがありましたが、一方で僕が感じたのは、審査という仕事は、それ程クリエーティブではないという思いです。

 「その競合品であれば、他社はこうしている」「この点は、こうすればいいのに」と思っても、そこは教えられない。審査官しか知り得ない競合メーカー情報は、言えないわけです。審査報告書にも良い点を褒めて書くことはしないですよね。どちらかというと「ここはダメ」「ここは直してください」など、否定することが多い。

 僕自身は、どちらかと言えば、新しいことを作ることが好きで、ジャッジメンタルな仕事は性に合わないと次第に思い始めた。それと、FDAにいる時に、日本の医療機器の開発状況に問題意識を持つようになった。この思いが、今の仕事につながっていくわけです。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=105481
急患“たらい回し”防げ…山口
(2014年9月23日 読売新聞)

 山口県の宇部・山陽小野田消防局管内で4月、64歳の男性が四つの病院に受け入れを拒否された後、亡くなった。

 救急患者の“たらい回し”をなくす対策が進む一方、こうした悲劇が起きた背景を探った。

 男性の関係者や小野田消防署によると、4月15日午前6時頃、山陽小野田市で、通勤中に具合が悪くなった男性がコンビニ店の駐車場に車を止めて119番。救急車が約15分後に到着し、現場で約20分間の応急処置を受けた。

 救急隊員らは車内から電話で病院に受け入れを求めたが、宇部市と山陽小野田市の計4病院に拒否された。同7時頃、宇部市の病院に運ばれたが、間もなく急性心不全で亡くなった。

 4病院の受け入れ拒否の理由は「(他の)患者処置中」だった。男性の遺族は「早く搬送されていたら……。患者を受け入れられないのなら救急病院の看板を掲げないで」と憤る。

 県などによると、手術や入院が必要な重症患者を受け入れる「二次救急病院」は、県内12の消防局・消防本部管内で宇部・山陽小野田消防局管内が最多の8。この8病院を含む計9病院には、宇部、美祢、山陽小野田の3市が行う広域救急医療事業運営費の負担金として年計約2900万円が助成されている。

 しかし、2012年に重症患者を搬送した県内4783件のうち、医療機関に4回以上の受け入れ照会を行ったのは、同消防局管内が県全体(62件)の3分の1の20件を占めた。

 山陽小野田市の二次救急病院関係者は「当直医は入院患者の診療に支障のない範囲で、善意で救急患者の対応をしている。24時間、365日の救急患者受け入れは困難」と語る。

 宇部市で5月に開かれた二次救急病院と市との会議では、市内6病院の院長らが救急医療体制の現状と課題について説明。▽非常勤医師が増え、専門外の診療を断るケースが増えた▽医師らが疲弊して辞める「病院崩壊」が怖い――などの現状が報告された。

 日本救急医学会が認定した救急部門で臨床経験豊富な専従医「救急科専門医」は県内に39人(1月現在)しかおらず、救急現場では内科医や外科医が担当している。こうした状況を受け、山口大医学部付属病院は、専門以外の急患にも対応できる「総合内科専門医」養成を始めた。

 呼吸困難などの急患を想定した5月の講習には、内科医6人が受講。先進救急医療センター長の鶴田良介教授は「重症事例にはチーム医療が大事。彼らが救急現場に出た時の役に立てば」と語った。

 全国ではこの他、〈1〉重症患者の救急搬送に支障を来している軽症患者搬送を減らす「大人の救急電話相談」(埼玉県)、〈2〉県や大学病院が救急病院や消防機関と連携し、搬送先を調整(岐阜県)――などの取り組みが進められているという。

 宇部・山陽小野田消防局管内では、年間の軽症患者の搬送数は全体の約4割を占める。重症患者の“たらい回し”を防ぐため、市民への啓発や、国、自治体、消防、医療機関との連携強化が求められている。(古田智夫)



http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20140923/CK2014092302000122.html
【東京】
練馬光が丘病院訴訟 区控訴断念 遅延損害金の負担考慮

2014年9月23日 東京新聞

 練馬光が丘病院(練馬区光が丘二)の運営から撤退した日本大が預けていた保証金五十億円の全額返還を命じた東京地裁判決について、控訴しないと二十二日発表した練馬区。判決受け入れの背景には、返還の遅れで日ごとに膨らむ「遅延損害金」の存在があった。前川燿男(あきお)区長は記者会見で、「結果として遅延損害金が発生したことは区民に対して申し訳ない」とわびた。 (杉戸祐子)
 十七日の判決は、区に保証金返還に加え、年五分の割合による遅延損害金の支払いを命じた。区試算で一日あたり六十八万五千円。九月末時点で約五億八千万円に上る計算で、控訴して判決を覆せなかった場合、さらなる支出を迫られる。
 保証金と遅延損害金について、区はいずれも「貯金」にあたる財政調整基金から支出する。保証金は、区が一九九一年の病院開設時にいったん一般会計予算に歳入として繰り入れ、病院建物の購入などに充当。その後、長期預かり金として財政調整基金に組み込んでいた。一方の遅延損害金は新規の「臨時支出」。九月時点の財政調整基金は三百十一億円だが、訴訟で争ったことで一部を取り崩す事態となった。
 前川区長は責任の所在について「組織の責任。(日大側の提訴に対する)応訴は前任区長が決断し、組織として判断して従った」と述べた。前川氏は志村豊志郎前区長の急逝を受け、今年四月に就任している。
 前川氏は「やみくもに応訴したのではなく、法的な論点として勝てる可能性があると判断したのだろう。判決結果に批判を受けるのは当然だが、応訴自体はやむを得なかったと考える」と説明した。
 会見に先立つ二十二日午前、区議会の医療・高齢者等特別委員会では区議から「なぜ保証金をすぐに返さなかったのか」「早く決断すれば損害金は加わらなかった」「責任を誰がとるのか」などと批判が相次いだ。
 地裁判決は、日大は開設時に三十年間は運営を続ける意向だったと認定。だが日大の撤退は開設二十一年後の二〇一二年三月だった。区側は「三十年間の運営を前提に多額の資金援助をした」「地域医療の充実に一層取り組むことで責任を果たす」などと答えた。



http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG23010_T20C14A9CR8000/
社会保障、「高齢者の負担増やむなし」 3割に上昇
厚労省調査

2014/9/23 21:33 日本経済新聞

 年金や医療といった社会保障を維持するため「高齢者の負担増はやむを得ない」と30.4%の人が考えていることが厚生労働省による高齢期の社会保障に関する意識調査で分かった。6年前の前回調査から7.8ポイント増えた。

 「高齢者の負担増はやむを得ない」との回答は50代で最も多く34.0%。逆に少なかったのは70歳以上で27.3%だった。「高齢者の負担は現状程度とし、現役世代が負担すべきだ」との回答は全体の27.0%で、前回調査より3.2ポイント低下。「高齢者の負担を減らし、現役世代の負担を大幅に増やすべきだ」は5.2%だった。

 「老後は何歳からか」との質問では「70歳から」が32.0%で、「65歳から」が28.6%、「60歳から」が18.7%で続いた。

 この調査は6年に1度で、今回は厚労省が2012年7月に実施し、全国の20歳以上の男女1万1294人から回答を得た。原発事故の影響で福島県は対象から除いた。〔共同〕



http://biz-journal.jp/2014/09/post_6030.html
ヘルス・ライフ
新薬よりジェネリック医薬品のほうが高くつく 歪んだ薬剤価格は是正されるのか?
文=チーム・ヘルスプレス

2014.09.23 ビジネスジャーナル ⁄ Business Journal

必ずしも安くならないジェネリック医薬品

 一般的にジェネリック医薬品の薬剤価格は、同一成分の新薬の2~8割ですむ。ところが、ジェネリック医薬品を選択したのに窓口で払った薬剤費は新薬にした場合より高かった、という奇異なケースも世の中にはあるのだ。一体どういうことなのか。
 
 まず、ジェネリック医薬品とは、新薬の特許が失効後、多くはその新薬メーカーとは別の企業が製造した同一成分の薬剤だ。一般に新薬は開発コストが200億円程度といわれるのに対し、同じ成分のジェネリック医薬品を開発するコストはたかだか数千万円程度。この原価の差が販売価格に反映され、ジェネリック医薬品は安価となるのである。だからジェネリック医薬品を前面に打ち出している製薬会社は、新薬を生み出す力がないため、特許切れで製造コストがかからない薬に特化しているにすぎない。
 
 では、なぜ新薬とジェネリック薬の価格が逆転してしまうのか? たとえば、てんかんや偏頭痛に使用される「デパケン細粒40%」という薬がある。新薬の価格は1g当たり24.8円、ジェネリック医薬品の薬剤価格は1g当たり26.8円で、後者の方が2円高い。実は、ジェネリック医薬品のほうが高い医薬品成分は日本国内で10成分弱、新薬とジェネリック医薬品が同じ価格の成分が10成分強ある。

●日本独自の薬剤価格の決定方式が原因

 この摩訶不思議な現象は、日本での薬剤価格の決定方式に原因がある。日本では医療機関で処方される薬はすべて公定価格。正確には厚生労働大臣の諮問機関である中央社会保険医療協議会の諮問を受けて厚生労働大臣が決定する。これについてはある一定のルールがあり、新薬の場合は基本的に開発・製造に要した原価をもとにするか、すでに使用されている同じ効果の薬の価格との比較するかで決定される。また、ジェネリック医薬品の場合は原則、同一成分の新薬の70%と定められている。このルールに則れば、ジェネリック医薬品は必ず新薬より安くなる。ところが、薬剤価格の決定には、もう1つのルールがある。
 
 基本的に薬剤は公定価格で医療機関に販売されるはずなのだが、実際には企業間競争などから公定価格より安く販売されているケースがほとんど。このことを踏まえて厚生労働省では新薬、ジェネリック医薬品のいずれも実際の販売価格を調査して2年に1回、販売価格に応じた薬剤公定価格の引き下げを行っている。また、この価格引き下げの際には、当初の想定より市場が大幅に拡大して売上が伸びている薬剤なども、その市場規模拡大と引き換えに薬剤価格が引き下げられることもある。
 
 こうすることは薬剤価格の高止まりを防ぎ、国が公費で負担する薬剤費、患者の自己負担薬剤費を減らすことができるというメリットを生んでいる。そして、この薬価引き下げの価格調査の際に、新薬のほうがジェネリック医薬品よりも実際の市場販売価格が低くなってしまったケース、あるいは逆転現象はなかったが、市場拡大分の価格引き下げを実施し、結果としてジェネリック医薬品のほうが高くなってしまったという現象がたまたま起きてしまうのだ。もっとも「逆転ケース」は、ジェネリック医薬品がある新薬全体の1%に満たないため極めてレアケース。ただし、ジェネリック医薬品のほうが安いものの、新薬との価格差が小さく、患者がメリットを感じにくいケースはそこそこある。
 
 そもそも現在、ジェネリック医薬品がかつてない「市民権」を得ているのは、高齢化社会が進展する中で拡大を続ける薬剤費の国庫負担分を減らしたいという国の思惑があり、ジェネリック医薬品使用が推進されている。このため厚生労働省では2年後の薬価引き下げの際に、これまで新薬の70%と設定されていたジェネリック医薬品の薬剤価格を50%に引き下げる提案をすでに始めている。その意味で、ジェネリック医薬品はより安くなる可能性が高く、こうした逆転現象もそう遠くないうちに解消されるとみてよいだろう。
(文=チーム・ヘルスプレス)



http://www.yomiuri.co.jp/national/20140923-OYT1T50005.html
病院待合室のソファに針、2日後にも床に1本
2014年09月23日 11時28分 読売新聞

 北海道釧路市若竹町の東北海道病院は22日、同病院待合室のソファに縫い針1本が刺さっていたと釧路署に通報した。

 けが人はなかった。

 同署は偽計業務妨害容疑で捜査している。同署の発表では、18日午後2時10分頃、同病院1階整形外科外来前の待合室にあるソファのクッション部分に、縫い針の先がほぼ垂直に刺さっているのを患者が見つけ、看護師に知らせた。20日には1階ロビーの床に縫い針1本が落ちているのが見つかっており、同署が関連を調べている。


  1. 2014/09/24(水) 06:29:13|
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