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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

7月28日 医療一般

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03037_01
【対談】
“決められない患者たち”を前に,医師ができること

尾藤 誠司氏
 (国立病院機構東京医療センター 臨床研修科医長・臨床疫学研究室長)
堀内 志奈氏
 (丸の内クリニック 消化器内科)
週刊医学界新聞   第3037号 2013年07月29日

 薬を飲むか,飲まないか。手術を受けるか,受けないか――。こうした患者の意思決定がいかになされているかについて,米ハーバード大医学部教授・Jerome Groopman氏がまとめたルポルタージュ『Your Medical Mind――How to decide what is right for you』が,このたび医学書院から『決められない患者たち』として翻訳された。

 本紙では,訳者である堀内志奈氏と,医師-患者間のコミュニケーションについて考察を積み重ねてきた尾藤誠司氏の対談を企画。患者が難しい意思決定を迫られる場面で,医師はどのような役割を果たすべきなのだろうか。本書の内容を足掛かりに,在るべき姿の描出を試みた。

尾藤 『決められない患者たち』は,どのような経緯で翻訳することになったのですか。

堀内 そもそもの出合いは,原著者Jerome Groopman氏の前作に当たる『How Doctors Think』だったんです。留学中に書店で偶然手にとったのですが,医師の視点で意思決定を描いた本書が「面白い,これはいい本だ!」と。そこでなぜか「絶対に日本の人たちにも知らしめなければ」という使命感にも似た気持ちに駆られ,その勢いで日本のいくつかの出版社に掛け合いました。でも,その時点ですでにある出版社からの刊行が予定されており(美沢惠子訳,『医者は現場でどう考えるか』,石風社,2011年10月発行),「自分の言葉で伝えたい」という思いを実現することはできませんでした。

尾藤 その後,今回翻訳した『Your Medical Mind――How to decide what is right for you』に出合ったと。

堀内 ええ。前書と視座が変わって,普段は意識することが難しい患者側の視点から意思決定を考察する本書にも,心惹かれるものがありました。患者にとって最良の医療を提供するにはどのようにかかわるべきか。そのヒントとなる考えが,一人ひとりの患者のエピソードのなかで示されていると感じ,本書もぜひ多くの方々に知ってほしいと思ったのです。
揺らぐことができない医師

尾藤 すごくいい邦題だと思いました。原書のタイトルを生かすとなれば,“How to decide what is right for you”を直訳した「あなたにとってよいことの決め方」になるのでしょうか。でも,私もたぶん「決められない患者たち」というタイトルにしたいと思う気がするんです。

堀内 うれしいです。実は賛否両論あるようなのですが(笑)。

尾藤 逆説的な表現なので,字面を真っ直ぐに受け止めてしまうと抵抗感を抱くのかもしれません。ただ,本書は,「あなたにとってよいことの決め方」自体が,実はあまり描かれていないですよね。

堀内 ええ。「こうしなさい」という唯一絶対の解が提示されるわけではないんです。

尾藤 むしろ患者が意思決定の場面で生じる戸惑いや迷い,悩みという,“もやもや感”“揺らぎ”がとても丁寧に,そしてリアリティをもって描かれています。患者ごとに異なる利益と不利益のとらえ方,周囲との複雑な関係性のなかで決められていく,あるいは決められなくなっていく過程など,意思決定がクールに行われるものではないことが,あえて“混沌”とした形のまま提示されていると感じました。

 こうした書き方ができたのは,著者が“揺らぎ”を無視しがちな医師に対する疑念を持っているからこそではないかと思ったんです。

堀内 「揺らぎを無視しがちな医師に対する疑念」というのは?

尾藤 医師が“正しい”としていることに対し,「本当に“正しい”のだろうか」と批判的・内省的に考える意識,と換言できるかもしれません。

 医師の世界では「医学的に合理的か否か」が優先すべき考え方となっており,その枠組みから逃れることがなかなかできません。一つの事実に対する認識・解釈の仕方,そこに見いだす価値観などに揺らぎが生じにくいのです。そのため,医学的に合理的なものが「100人中100人の患者にとっても正しいもの」と考えがちで,凝り固まった対応をしてしまう。

堀内 しかし,患者によって考え方や事実のとらえ方は当然異なりますよね。

尾藤 ええ,臨床現場において揺らぎを無視することはできません。後悔のない意思決定を支援するためには,やはり医師も患者一人ひとりとともに考え,ともに困り,ともに揺らぐ過程を歩むことが必要です。

専門家は,意思決定にかかわらずにはいられない

堀内 ともに揺らぐことができないということは,医師は患者を前に「決めたがり」になっているのでしょうか。実は本書のタイトルに「決めたがりの医者たち」という言葉を付け加えようかという案もあったんです。

尾藤 そうだったのですね。でも,私はそのフレーズを入れなくてよかったと感じます。

 というのも,医師って実は決めたがりでもないのです。本来は意思決定が必要な分岐点を認識できず,「医学的にこうすべき」という発想のまま突き進んでしまっている。それが結果的に「決めたがり」の姿に映っているのだと思います。

堀内 なるほど。揺るがない理由には,意思決定の分岐点を自覚できていないこともあるわけですね。

 では,“分岐点”と気づいたとき,医師はどういう行動をとるのでしょう。

尾藤 おそらく多くの医師が決めたがるどころか,「患者の意思決定が必要なことだったの?」と驚き,その意思決定への加担をひるんでしまうのではないでしょうか。その結果として,医学的根拠のある客観的なデータだけを提示し,「患者であるあなた自身が治療手段を決めてください」というスタンスをとってしまう医師が,現実として少なくないのだと思っています。

堀内 以前,「がんの放置もリスクは高いが,高齢のために手術もリスクが高い。どちらでも好きなほうで決めてください」と医師に言われ,困惑したと話す患者さんがいたことを思い出しました。

 よく言えば「自律性の尊重」なのかもしれませんが,決定にかかわるすべての責任を委ねられると,患者も大きな戸惑いを覚えますよね。

尾藤 意思決定は,覚悟をもって挑まなければならないストレスの大きなものです。その決断に対し,医師が加担するそぶりを見せないのは「なし」だろうと思うんです。患者が覚悟をもって行う決断には,医師も“専門家”として覚悟をもって加担すべきでしょう。

 そもそも情報を提供している時点で,そこに医師のバイアスがかかることは避けられません。それが客観的事実と言えども,医療者側で選択され,発言された事柄には必ず意思が込められている。専門家は,意思決定にかかわらずにはいられないのです。

推奨を述べることは医師の責務

堀内 例えば,本邦の医療現場で意思決定支援の難しさに直面しているケースとしては,胃ろう造設をめぐる場面が想定できます。特に本人の意思が確認できない場合,家族,親類の方々の間で意見が割れるなど,意思決定に難渋することも少なくないようです。こうした場面では,医師はどのようなかかわり方をしていくべきでしょうか。

尾藤 医学的なデータをお伝えするのはもちろんのこと,患者さんの状況を踏まえ,医師の立場から「こちらにしたほうが,私はよいと考えます」と推奨まで言うべきでしょう。

堀内 医師の推奨が意思決定に与える影響は大きく,ときとして「推奨を述べることが,パターナリスティックな態度である」という声もありますよね。

尾藤 確かに注意しないといけない部分もあるのですが,私はその見解には反対なのです。

 特に挙げていただいた胃ろう造設をめぐる意思決定の例は,そもそも医師だけではなく,患者家族,訪問看護師,ヘルパー,ケアマネジャーなどの専門家が,個々の立場の意見を述べ,そのなかで形作っていくものなわけですよね。にもかかわらず,そこで医師が専門家としての推奨を述べられないのは,さまざまな意見に揺らぐことができず,「あなた方の意見よりも,私があなたを思って考えた意見のほうが正しい」という医師の態度が垣間見えているように思うんです。そうした態度こそが,私はパターナリズムの正体ではないかと考えています。

専門家として意図を誠実に伝える

堀内 私が気になっている疑問に,医療者として「できること」と「やれること」には少し違いがあるのではないかというものがあります。人的・金銭的・物的コストを無視すれば,さまざまな医療を提供できるのでしょうが,現実には不可能です。患者さんによって提供する/しない医療が生まれる状況がある中で,どのように折り合いをつけ,目の前の患者と向き合っていけばよいのでしょうね。

尾藤 患者にとって最善の利益以外に,限られた資源配分も考慮しなければならないことは,専門家として患者に呈示する義務があるでしょうね。

堀内 具体例として,容態が落ち着いているので近所のかかりつけ医に紹介したい病院医と,その提案を拒み,引き続き病院の外来診療にかかることを希望する患者さんの場面を想定しましょう。このような場では,どういうかかわりが求められますか。

尾藤 その病院医の意図は,「他に優先したい患者がいるから,別の施設に移ってほしい」というものですよね。そうであれば,私は専門家としてその意図に忠実であるべきだと考えます。

堀内 その意図の通りに伝えるべきということですか。

尾藤 ええ。それが専門家としての責任だと思うのです。少なくとも私は,「申し訳ないけれど,私はあなたを診続けることができません。なぜなら,あなたではない患者さんを優先しなければいけない義務が,私にはあるからです」と言うようにしています。まあ,もちろん実際にはもっとマイルドな表現を使用しますが。

堀内 すごい! 多くの医師は「かかりつけ医は予約がとりやすい」「診療所は待ち時間が短い」といった理由を挙げて,“説得”しがちですよね。

 しかし,意図を伝えても拒まれる患者さんはいらっしゃいませんか。

尾藤 もちろん。中には3年ぐらい同じことを言い続けている患者さんもいます(笑)。患者さんの事情も尊重しなければなりませんから,そこは地道に合議し続けています。ただ,もっともらしい理由で言いくるめるのではなく,意図を誠実に伝え続けることこそが専門家の責務だと考えているのです。

無駄な時間を減らす鍵は,「問題の外在化」と「保留」

堀内 そうしたコミュニケーションは,時間がかかり過ぎてしまいませんか。私も一人ひとりの患者さんに時間をかけたい気持ちはあるのですが,そうすると今度は現場が回らなくなるというジレンマを持っています。

尾藤 診療時の工夫として,2つのことを意識するようになってスムーズになったと感じています。

 ひとつが,医師-患者間で問題の焦点を定め,外在化し,「説得」から「交渉」に切り替えたことです。先ほどのケースで言えば,例えば「かかりつけ医が見つからないこと」にフォーカスし,「かかりつけ医が見つからないことに関し,二人でどうすべきかを考えてみましょう」とアプローチするのです。問題の所在が「かかりつけ医のところへ移らない患者さんにある」とするのではなく,互いの問題ととらえて交渉することで,より建設的な議論へと移行できます。

 そしてもうひとつが,「保留」を選択肢として意識するようにしたことでしょうね。

堀内 保留?

尾藤 1回のセッションでわかり合えるところだけわかり合い,それ以外は次の診療に回すということです。「今回で決定まで達しよう」と思って,時間をかけてでも1回のセッションで成果を得ようとしてしまう気持ちはわかります。でも,1回のセッションを短時間にして,「来月の予約も取りますから,もう1回考えてみてください」と繰り返す方法をとるほうが,トータルとしては時間がかからず,スムーズに患者さんと考えを共有できるようになったと実感しています。

堀内 なるほど。確かに時間をかけた話し合いが功を奏するとも限りませんものね。患者さんにとっても,一つひとつ段階的に理解・納得できる効果的なアプローチの仕方かもしれません。

「気持ちがいい」にも思いを馳せて

堀内 過去に,「酒のない人生なんて生きている意味がない!」と,私の節酒の提案に耳を貸してくれないアルコール性肝硬変の患者さんを診ていたことがあります。文字どおり血を吐くまでお酒を飲んでいて,診療のたびに「あれだけ言ったのに!」と思っていたんです。こうした患者さんには,どのように向き合っていくべきだったのかと振り返って思うことがあります。

尾藤 医療者としては当然飲酒を止めたいですから,患者さんにとって飲酒を続けることの不利益を提示しながら,節酒の提案をし続けることが私も大事だと思います。

 ただ,飲酒や喫煙など,医療者にとって好ましくない結果を生む恐れのある「気持ちのいいことをめざす行為」についても,もっと患者の思いを尊重した上で推奨を述べるべきだと,最近は自分でも反省しているところです。

堀内 医療者の私たちには,なかなか目が向かないところですよね。

尾藤 そうなんです。基本的に医療って,ケガや病気など,言うならば人生における「不快」の部分をゼロにすることを目的に介入するものです。気持ちよい,心地よいという「快」の部分に対して,関与できることはほとんどありません。

 飲酒や喫煙はまさに「快」の部分に働き掛けるものだと思うのですが,医療に従事する人々にとっては,それらの「気持ちのいいことをめざす行為」が「医学的に望ましくない行為」に位置付けられ,しばしば“人生において価値のないもの”という扱いまでされています。

堀内 私もこと喫煙に関しては,強く反対してしまいますね。

尾藤 しかし,人にとって,快と不快は一体となっているものです。不快を取り除くことだけをめざして躍起になるのでは不十分なのかもしれません。「将来がんになるリスク」の不快とともに,「大好きなお酒や煙草を飲む」という快の両方をイメージしながら患者と対峙できるようになる必要があるのではないでしょうか。具体的にどのように接していくべきか,それは今後も考えていきたいテーマです。

「選好」と「誤解」を切り分け,「アウトカム優先」からの逸脱を

堀内 医療現場には,さまざまな理由で治療を拒む患者もいますよね。私が経験した例では,ある書籍を取り出して,「ここには『胃がんは手術不要』と書かれています」と言って手術を拒否した胃がん患者さんがいらっしゃいました。

尾藤 確かにそういった書籍やインターネットの情報を信じる患者さんは多いですね。

堀内 もう一人,印象的だったのが,「治療を受けるように説得してほしい」と知人から紹介された乳がん患者さんです。手術を拒む理由が,宗教団体幹部であるご主人に「いま,治療に時間を費やしたら私のサポートができない。手術は神に背くことだ」と反対されたから,というものだったのです。

 ともに医学的に見れば治療介入がベストと考えられたにもかかわらず,患者側から拒まれた例ですが,こうした方々にはどのようなアプローチをしていくべきなのでしょうか。

尾藤 医師と患者の意見が合わないときは,3つのパターンがあると考えています。ひとつは単純な誤解,ひとつは医師と患者の認識の違い,そしてもうひとつは選好の相違です。堀内先生の2つの例で言えば,前者を「誤解」「認識の違い」の問題として,後者を「選好」の問題としてとらえることができるのではないでしょうか。

 まず前者は,「手術が不要であること」がどんな状態を指すのかについて患者に語ってもらい,医学的な見地から誤解と考えられる点については専門家としての解釈を述べるべきでしょう。

堀内 後者はいかがですか。

尾藤 後者は,個人の「選好」にかかわるものです。確かに医学的に見れば「不合理な考え」とも「愚かな考え」ともとれますが,患者さんの中では不合理とは違った形で解釈されているわけですよね。とすると,本人の選好を尊重しないのは,「不合理なこと=悪いこと」ととらえ,医療・医学の枠組みに患者をはめ込んでいく「パターナリズム」にほかならないのではないでしょうか。

堀内 それでは,どのような介入の仕方が好ましいのですか。

尾藤 私であれば,そこは患者さんとともに戸惑いたいし,悩みたいと思うんです。「私はあなたを治療し,元気になってもらいたい」と医療者としての立場を述べつつも,その患者さんが持つ「神の使い手としてのミッションを完遂させたい」思いもまた尊重する。そして手術を拒否されても,「また今度一緒に考えさせてくれませんか」とお伝えし,他の持病があればそちらを治療するなど,継続的にアプローチはしていくと思います。

堀内 結果的に患者さんが選好を優先され,「手術は受けない」という結論に至ってしまった場合は……。

尾藤 そこでお互いに「納得」はできないにしても,相互理解が得られたのであれば,医師としてやれることはやったと言えるのではないでしょうか。

 最近私が思うのは,「アウトカムが患者の決断を規定する」という前提を,ある程度“逸脱”する必要性です。確かに患者にとって「良い結果を期待する」ことは大切でしょう。しかし,患者の「今,したいことをする」「今,すべきことをする」よりも,「良い結果を期待する」を優先するのが原則となることには違和感を持っているのです。EBMerとしては失格ですね(笑)。でも,重要な決断をする際には,「何が誰のどれほどの利益を将来的にもたらすか」と「今何をなすべきか」を並列して考えるほうが現実感があると思うのです。

■今,医師が持つべきは,“博打”に加担する覚悟

堀内 今年5月,米国の女優アンジェリーナ・ジョリーが予防的両側乳房切除術を実施していたことを公表し,大きなニュースになりました。彼女は遺伝子検査によってがん抑制遺伝子のひとつに変異が見られた結果を受け,将来の乳がんリスクを減少させるために手術に踏み切ったといいます。

尾藤『決められない患者たち』においても,同様のケースで決断を迷う患者さんのエピソードがありましたね。

堀内 遺伝子検査の是非の議論はともかくとして,医療技術の進歩とともに,不確定ながらも自らの健康に関する予測情報を得ることが可能となり,そのための予防策も選択できるようになりました。こうした技術革新が,新たな迷いをも生んでいるとあらためて感じたのです。

尾藤 われわれは何かを知ることで,その何かに対する新たな決断を迫られることになる。アンジェリーナ・ジョリーのニュースは,それを世に突き付けましたよね。

 彼女の選択に対してはさまざまな意見がありますけど,私が主張したいのは「あの選択が,彼女自身の決断なのだ」ということです。すでになされた決断に対し,外野から「正しい」とか「間違い」とか言うのは簡単ですが,それは大変差し出がましい行為ではないでしょうか。結局のところ,その主体が,結果を受け入れる覚悟をもって下した決断であるか否かが重要ではないかと思うのです。

堀内 『決められない患者たち』の中では,疾患や手術手技,そして予後が好ましい結果でなかった点まで共通していても,流されるままに手術を選択した患者さんが大変悔やまれていた一方で,自分で納得して手術を決断した方は後悔が少ないという違いがありました。

尾藤 後悔のない意思決定をするためには,「合理的か否か」ではなく,「いかにクールに,そして一方で覚悟をもって主体的になされたか」が重要であるとわかりますよね。

 現代は,医療技術の発展により,誰もが情報を手に入れることができ,そして先行きが不透明な決断を迫られる時代です。不謹慎に聞こえるかもしれませんが,現代人は「人生は博打である」という覚悟をもって生きなければならないと,私は半ば本気で思っているんですよ。

堀内 日常生活の中から,極めて予測困難な決断をしていかなければならないという意味では,そう言えるのかもしれません。

 その難しい決断を迫られる患者に対し,医師はどのような役割を果たすことができるのでしょうか。

尾藤 医療の枠組みで行われる博打に対し,予測評価のオッズ(倍率)に加え,「今はこれを治療しておいたほうがいいのでは」と推奨する役目です。われわれ医師には,「予想される結果の合理的な正しさ」にこだわる考え方から,「患者がいかにクールに,そして主体的に選んでいるか」を重視する考え方へシフトチェンジし,患者の決断に積極的に加担する覚悟が問われているんです。

堀内 時代の変化とともに,医師-患者関係の在り方を編み直し,より充実させていかなければなりませんね。本日はとても勉強になりました。

(了)



http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20130728ddlk06040017000c.html
この人に聞く:山形大医学部・村上正泰教授 /山形
毎日新聞 2013年07月28日 地方版 山形

 ◇TPP、医療への影響は 皆保険形骸化も−−村上正泰教授(38)

 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉会合に正式に参加した日本。政府が「聖域」というコメの関税の行方などが注目されるが、医療分野にはどのような影響があるのか。薬価抑制など多くの規制の下に成り立つ国民皆保険制度はどうなるのか。山形大医学部医療政策学講座の村上正泰教授(38)に聞いた。【前田洋平】

 −−TPP交渉参加国の医療分野への対応は。

 製薬会社にとって、医療は確実にもうかる産業です。自動車ならば、よほど高ければ諦められますが、医療は絶対に必要です。日本は高齢化で医療費が増え続けています。各国がこの「市場」にどう入り込むかを考えるのは当然です。

 −−安倍晋三首相は「国民皆保険制度は断固として守る」と言っていますが、TPP参加でどのような影響がありますか。

 医薬品や医療機器の価格決定の仕組みの見直しや、薬の開発にも関係する知的財産権のあり方の見直しを迫られる可能性があります。そうなれば、国民誰もが公的医療保険制度に加入する「皆保険制度」が形骸化し、所得次第で受けられる医療に格差が生じます。

 −−米国はTPPの交渉参加国に医療分野での価格決定について要求を出しています。

 日本は、皆保険制度を維持するために政府主導で薬や医療機器の価格を抑える規制をかけています。抑制しないと財政が圧迫されるからです。

 一方、米国は薬などをできるだけ高額で販売したいと考えています。米国にとって、政府主導で価格を抑制している日本の政策は「不透明で不公平」なものでしょう。実際、米通商代表部(USTR)が2011年に公表した「医薬品へのアクセス拡大のためのTPP貿易目標」では「透明性と手続きの公平性の強化」が明記され、規制緩和を強く求めています。

 −−TPPを機に、医療制度について改めて考え直す必要がありますね。

 TPP参加で規制がなくなり、薬の価格が高くなれば、製薬会社はもうかります。新薬開発への弾みにもなるかもしれません。

 しかし、今まで通りの割合を公的保険で賄うことは難しくなってきます。政府が力を注ぐ「医療費抑制」と反対の現象が生じるわけです。

 −−医療費が更に増えると何が起きますか。

 公的保険の給付範囲を狭めようという議論に拍車がかかります。保険診療と自由診療の医療を併用する混合診療の全面解禁も、この考え方に基づくものです。公的保険の縮小は、TPPで日本の市場に参入を狙っている海外の民間保険会社からすれば、売り上げを拡大できるチャンスです。私たちにとっては、皆保険制度がほとんど意味をなさないのと同じことになります。

 −−TPPの医療分野での交渉の難しさは。

 例えば、薬価に関して「公平性を担保して……」などと書かれていても、後々どのような効果、弊害を生み出すか判断するのは難しいでしょう。限られた時間の中で、膨大な資料を前に見落とすかもしれません。知的財産権の制度のあり方については、分かりづらく、締結した後でじわじわと効いてくるかもしれません。

 細かい文言や日本の医療政策の大きな道筋についての議論を深めることが大切ですが、残念ながら、その時間はなさそうです。

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 ■人物略歴
 ◇むらかみ・まさやす

 1974年広島県生まれ。山形大医療政策学講座教授。97年大蔵省(現財務省)入省。06年に退官し、10年より現職。厚生労働省に出向中、医療制度改革に携わった。著書に「医療崩壊の真犯人」「高齢者医療難民」(ともにPHP新書)など。「TPP黒い条約」(中野剛志編、集英社新書)では医療分野を担当した。



http://www.news-kushiro.jp/news/20130728/201307284.html
高校生が医療体験セミナー
2013年07月28日  釧路新聞

  道と道移植医療推進協議会釧根支部、釧路労災病院の3者が共催する高校生のための医療福祉体験セミナーが27日、釧路労災病院で行われた。地域の医療福祉の分野で活躍する若い人材を創出するのが狙いで、釧根管内から60人の高校生が参加。パネルディスカッションや医療現場の模擬体験を通じて、将来の仕事について理解を深めた。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38329
医薬品業界の巨大企業を相手取る中国政府
JBpress-(2013年7月25日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

「鶏を殺して猿を驚かす」というのは、大物を怖がらせて方針に従わせるために小物を厳しく取り締まる戦術を表す中国の有名な慣用句だ。中国当局はグローバルな医薬品業界の巨大企業グラクソ・スミスクライン(GSK)を相手取って戦うことにし、真っ直ぐ猿に向かって行った。

 中国で約5000人を雇用するこの英国医薬品大手は、自社の医薬品を処方する見返りに、医師に賄賂を渡したとされるスキャンダルに巻き込まれた。

法律違反を認めたGSK

 当局側の申し立てによると、多くの場合薄給の医師や病院、政府の役人たちに対する賄賂は、架空の、あるいは水増し請求された旅行や会議サービス費の名目で旅行代理店を介して流れたという。

 中国当局は、GSKの4人の幹部を拘束し、同社の経理部長の出国を禁じた。

 今回の不祥事に対処するために中国に派遣されたGSKの国際事業担当責任者のアッバス・フセイン氏は、自社の上級幹部が中国の法律に違反したようだと認める声明を出した。GSKは、ビジネスのやり方を変え、その結果削減されたコストを医薬品価格の値下げという形で転嫁するとフセイン氏は述べた。

 今回の出来事はGSKに限られたことではないかもしれない。かつてサノフィやロシュ、ノバルティスといった欧州の医薬品メーカーはすべて、仲介役になったとされている旅行代理店の1つ、上海臨江国際旅行社を利用していた。もっとも、これらの企業はこの旅行社との関係は停止していると話している。

 警察は、アストラゼネカの従業員1人も短期間拘束し、同社の営業幹部2人に尋問した。それとは別に、国家発展改革委員会(NDRC)は、GSKを含む医薬品会社の価格設定のあり方に関する調査を開始している。

厳しい取り締まりの背景にある4つの理由

 GSKの場合、内部告発が引き金になった可能性がある、今回の突然の厳しい取り締まりには相互に関係するいくつかの理由がある。

 第1に、規制当局は、医薬品業界の枠を越えて力を誇示してきた。独占禁止当局は最近、グレンコアによる鉱業大手エスクトラータの買収(650億ドル)に厳しい条件を付けた。NDRCは1月、サムスンを含むアジアの液晶ディスプレーメーカー6社に対し、価格操作を行ったとして5700万ドルの制裁金を科した。今年は、規制当局が調査を開始した後でネスレ―も粉ミルクの価格を20%引き下げた。

 第2に、中国の政策立案者が輸出から国内消費に焦点を移しているため、彼らが、これから経済を牽引することになる消費者の保護に、より多くの注意を払うのは当然だ。汚染された牛乳から豚の死骸で流れが止まった川に至るまで、繰り返し起きる不祥事が証明しているように、消費者はひどい仕打ちを受けてきた。

 医薬品の場合、消費者に気を配るということは、価格を抑制することや汚職を撲滅することを意味する。習近平国家主席が始めた広範な汚職撲滅キャンペーンに相応しい取り組みだ。

 中国は既に年間600億ドル以上を処方薬に支出しており、米国、日本に次ぐ世界第3位の市場になっている(医薬品コンサルティング会社LEKの試算では、800億ドルに上る可能性もある)。さらに、この市場は年間約17%のペースで成長しており、医療予算に大きな負担をかけている。同時に、より多くの人にきちんとした医療を提供するつもりなら、コストを抑制すること――そしてブランド品でないジェネリック医薬品の利用を促すこと――が当局の義務になっている。

 最後に、厳しい取り締まりには、大衆を喜ばせる、排外的な色合いもあるかもしれない。消費者に対する犯罪の多くには国内企業がかかわっている。だが、反感の矢面に立ってきたのは、中国の消費者に対する「尊大な」扱いとされるものを最近謝罪せざるを得なくなったアップルのような企業だ。

 多くの場合、規制当局は新たな法律を求めることはなく、単に法令集に昔から載っている法律を執行しているだけだ。中国の医薬品業界での経験を持つある弁護士は「医薬品業界の文化は、医薬品会社が既に境界線に近いところで活動していることを意味している。だが、今その境界線が引き直されている」と言う。

西側でさえ、「創造性に富む」売り込み

 急成長し、これまできちんと規制されてこなかった中国の医療市場では、長い間怪しい慣行が、必須とは言わないまでも当たり前だった。比較的規制の厳しい西側の市場でさえ、医薬品会社は、自社の医薬品の利用を勧めることに関しては、果てしなく創造性に富むことが証明されてきた。

 例えば、医師や学者たちは日常的に、熱帯のビーチリゾートや面白いほど一流ゴルフ場に近い場所で開催される無味乾燥に聞こえるテーマ――「炎症性疾患における脂質の利用」のようなテーマ――に関するシンポジウムに招待される。昨年はほかでもないGSKが、認可された用途以外で医薬品を積極的に売り込んだ容疑について米国で罪を認め、過去最高の30億ドルの罰金を支払った。

 中国で活動するすべての多国籍企業は今後、規制への対処が難しくなったことに気付くだろう。それが長期的に透明性の高い、ルールに基づく体制につながるのなら、このような変化が結果的に利益になる可能性はある。だが、短期的には、新たに力を与えられた規制当局の注意を引くだけの不運な企業にとっては、状況が非常に居心地の悪いものになるだろう。これは誰よりも医薬品会社について言えることだ。

By David Pilling
The Financial Times Limited 2013.


  1. 2013/07/29(月) 05:45:37|
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