FC2ブログ

Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

11月24日 医療一般

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20121124-OYT8T01162.htm
上小阿仁村の診療所長辞職
(2012年11月25日 読売新聞)秋田

 上小阿仁村で唯一の医療機関「村立上小阿仁国保診療所」の所長に先月12日就任し、今月2日、村に辞意を伝えていた男性医師(71)が、健康上の問題を理由に15日付で辞職した。これで公募採用の医師が4人連続で自ら辞めたことになる。診療所の内科は休診となったが、22日、北秋中央病院(現・北秋田市民病院)の元病院長(76)が着任し、診療を再開した。

 村によると、医師は15日から休診し、19日、診療所に「健康に障害を喫し、歩行障害で業務を遂行できない」との15日付の辞表がファクスで送られてきた。その後、郵送で医師住宅の鍵と「長い闘病生活になると思う」とのメモが送られてきた。村は辞職を認めた。

 医師は前任者の辞職に伴い、公募で採用された。今月2日、健康上の問題があるとして村に辞意を伝えたが、後任が見つかるまで診療を続ける予定だった。医師は、既に自宅がある北海道帯広市に戻ったという。

 村は6日からホームページで後任を公募し、近隣の医療機関に医師確保の協力を求めた。応募はなかったが、元北秋田市長でもある岸部陞(すすむ)医師が、臨時の診療所長として就任要請に応じた。

 加賀谷敏明・副村長は「多くの患者に影響が出るので本当に助かった。このまま(正規の)後任になってもらえるとありがたい」と話した。



http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20121124/news20121124723.html
高校生が手術模擬体験 メスで縫合真剣 松 山
2012年11月24日(土) 愛媛新聞

 地方の医師不足が深刻化する中、高校生が外科手術などの医療行為を模擬体験する「ブラック・ジャックセミナー」が23日、愛媛県松山市文京町の松山赤十字病院であり、医師志望者ら22人が参加した。
 医療品大手ジョンソン・エンド・ジョンソン(東京)と同病院が、医療への関心を高めてもらおうと開催。同社は2011年から全国の病院と協力してセミナーを開いており、県内では初めて。
 松山赤十字病院の西崎隆第一外科部長が「近年、がんや心臓血管病で亡くなる人が増加傾向だが、外科医を目指す人が少なくなり困っている」と説明した。
 参加者は腹腔(ふくくう)鏡シミュレーターやエコー検査など6種類を模擬体験。手術室では医師の指導を受けながら、真剣な表情で電気メスを握って豚肉を切り、皮膚の模型を使って縫合した。



http://mytown.asahi.com/okayama/news.php?k_id=34000001211240003
「海の病院」4代目新造へ
2012年11月24日 朝日新聞 岡山

■診療船「済生丸」/エレベーター設置・検査機器も充実

 瀬戸内海の島々を巡る診療船「済生丸」が、2014年にも4代目に生まれ変わる。1990年に就航した3代目の済生丸から島民の健康を守る仕事を引き継ぐ。

 初代の済生丸は62年に運航を始めた。岡山、広島、香川、愛媛の各県にある済生会病院のスタッフらが乗り込み、医師が常駐していない島の検診や診療を担ってきた。

 社会福祉法人済生会の本部(東京都港区)の事業だったが、昨年から4県済生会の共同事業に。3代目は耐用年数の14年を5年以上超えており、新船建造の契約を10月に神戸市の金川造船と結んだ。

 4代目は全長約33メートル、幅約7メートルで、3代目とほぼ同じ大きさ。ただ、3代目では肺がん検診などのために急な階段を下りる必要があったが、高齢者に配慮し、車いす1台と介助者1人が乗れるエレベーターを新設する。通路の幅も1・5メートルから2メートルに広くする。

 総トン数は3代目より少し大きい約190トン。建造費は約4億9千万円という。さらに約1億4千万円をかけ、検診などに使うX線画像をフィルムからデジタルに変更し、マンモグラフィーを導入して乳がん検診を充実させる。血液検査結果がその場で分かる最新の分析機器も導入する。

 60余りの島を巡る運航費には年間約1億2千万円かかっている。約半分は自治体からの補助金で賄うが、医療機材やスタッフらの人件費など約6千万円は病院側の負担だという。

 岡山県済生会によると、瀬戸内で橋の建設などは進んでいるが、島の医療環境はなお厳しい。「島に住むために検診が受けられないということがないよう、このスタイルを続け、島民の健康維持に貢献したい」という。(長崎緑子)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/38632.html
外科医の薬局細腕繁盛記!?(5)- キャリアチェンジは可能な限り円満に
( 2012年11月25日 05:00 )キャリアブレイン
狭間研至(ファルメディコ株式会社代表取締役社長、医師)

 自分の進路を変えるためには、医局人事から外れなくてはなりません。教授とそのことを話し合わなくてはならないことは、実際問題、一番大きな障壁でした。入局して以来いろいろとお世話になり、結婚式の仲人(当時はまだ、そういう形態が一般的でした)をお願いもしたこともあり、なかなか言い出しづらい、というのが正直なところでした。

 学位論文が採用され、主査・副査の先生も決まった2003年の秋ごろ、次年度以後の活動について、話しあう時期がやってきました。
 通常の「次年度以後の活動」というのは、「関連病院に出張して臨床活動に戻る」「大学で助手(現在の助教)のポストを待ちながら研究と臨床を続ける」「留学する」のいずれかだと思います。
 わたしは3年ほど、ブタからヒトへの異種移植の臨床応用を念頭に置いたテーマを研究しており、教授は研究テーマに関連する留学先も、少し当たりを付けていてくださいました。
 また当時、外科と呼吸器外科の専門医資格を取得しており、マンパワー不足に悩む関連病院の部長から、声を掛けていただきました。
 大学に残るという選択肢も含め、教授はそのあたりの相談ではないかと、考えていたのではないでしょうか。
 そして、実家の薬局を継ぐ考えを伝えた時には、かなり驚かれました。もちろん、1回で「はい、そうですか」とはなりませんでしたが、最終的には了解をいただきました。

堂々巡りを断ち切る

 ここに至るまでには、「堂々巡り」という言葉通り、何度も同じことを考えていました。医局や外科の道を離れることは、「志半ば」のような感じがしましたし、「大学病院の外科医から、薬局のオヤジになるのか」といった、何とも言えない思いもありました。
 アトピー性皮膚炎で、ぼろぼろになった皮膚を見て限界を感じ、「自分がワクワクする分野は果たしてどこなのか」といったことを考えると、やはり進路を変更するしかないと思い直す。翌朝、大学に行き、実験をしたり、手術やカンファレンスに出ていると、「いや、やっぱりこのまま頑張れるのではないか」とまた悩む。そして、堂々巡りに決着をつけるには、自分で決断するしかないと思いました。
 その頃読んでいた本には、「過去への扉を閉めることが大切」といったことが書いてありましたが、最後は自分で思い切ったように記憶しています。

狭い世間をどう生きるか

 どこで何をして生きるかは人それぞれの自由であり、医局制度そのものについても、いろいろな議論がある中で、「あまり気にする必要もないのではないか」という考え方もあるかもしれません。
 しかし、自分自身も何らかの形で医師は続けていくであろうと思っていましたし、薬局も地域医療に関わる仕事です。
 そして、ここまで教育してもらった医局や教授にきちんと筋を通し、一定のご理解を得た上で、進路を変更したいと思いました。
 また、周囲の先生に虚心坦懐(きょしんたんかい)に相談したことも、今から考えると良かったと思います。
 わたしの体調や気持ちをくんでいただき、医局にも配慮しながら、「このタイミングで、こんな感じで言った方が良いのではないか」といったアドバイスをいただきました。
 当時の講師で、呼吸器外科グループのトップの先生には、最後の教授面談に同席してもらい、助言もいただきました。
 その結果でしょうか、今でも大学に出入りしており、大学に関わる幾つかの仕事も担当しております。
 世間は狭いと言いますが、特に医療の業界はそれを実感します。キャリアチェンジに際しては、可能な限り円満に進めるのが良いのではないかと感じています。



http://mainichi.jp/select/news/20121124ddm004070024000c.html
悼む:医師・岡部健さん=9月27日死去・62歳
毎日新聞 2012年11月24日 東京朝刊

 ◇在宅終末ケアに情熱注ぎ−−岡部健(おかべ・たけし)さん=胃がんのため、9月27日死去・62歳

 「お迎えは来たのですか? 訃報を聞いて真っ先にそう考え、先生にお尋ねしたかった」

 10日に開かれたお別れの会で、医師の山崎章郎(ふみお)さんがこう語りかけたのが印象的だった。

 宮城県名取市の在宅緩和ケア医だった岡部さんは、2000人以上のがん患者らを自宅でみとってきた。その中で「死んだ母ちゃんが来た」などと患者が口にする「お迎え体験」に関心を寄せ、02年から遺族調査を始めた。約4割の患者が体験していたことを明らかにし、注目された。「在宅だから口にできる。穏やかな死を迎えるための作法だ」と語っていた。

 死生学の研究会を一緒につくった静岡大教授の竹之内裕文さんは「物事に先入観を持たず、現象から学ぶ人だった」と話したが、本当にそうだと思う。みとりの現場でも「患者や家族が何を求めているのか」を冷静に見つめ、医師にできることは少ないと判断すると、介護と一体のチームづくりに突き進んだ。

 私が最初に会った13年前は外科医から転身し、1人で在宅の患者を診る多忙さだったが、診療に同行させてくれた。その後も次々と新しいことに取り組み、患者や家族の楽しみの場として、仙台市郊外の山の中に広大な「岡部村」まで作ってしまった。約3年前に進行した胃がんが見つかってからも、医療と宗教の連携を模索した。

 宮城県石巻市で、岡部さんの最期の日々をそばで見守った僧侶、高橋悦堂(えつどう)さん(33)に出会った。岡部さんは「悦堂、俺の最期をみとれ。そして、人の死にゆく過程を観察しろ」と言ったそうだ。自分の死の瞬間までも、誰かに学ばせようとする。人を育てることに力を注いできた岡部さんらしい最期だと思うと、涙が出た。【下桐実雅子】



  1. 2012/11/25(日) 07:08:33|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
<<11月25日 震災関連 | ホーム | 11月24日 震災関連>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する