Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

5月1日 医療一般記事

http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=525702004
出雲で看護師就職セミナー
('11/05/01 山陰中央新報 島根)

 看護学生や看護師免許取得者を対象にした「しまねの看護師就職キャンペーン『ソレイユ』合同セミナー」(山陰中央新報社主催)が30日、出雲市今市町のラピタ本店であり、島根県内27病院などの関係者が来場者に県内就職を呼び掛けた。

 23のブースが並ぶ会場には、スーツ姿の看護学生など約150人が来場。各病院の看護師や採用担当者らが医療現場の様子や奨学金制度、勤務形態などを説明した。

 病院によっては新人看護師や助産師が日ごろの仕事内容を紹介し、来場者は「先輩」の話に熱心に耳を傾け、質問を投げかけた。

 保健師の資格取得を目指す、板垣和佳奈さん(21)=島根県立大学短期大学部・地域看護学専攻1年=は「県内で就職し、地域に貢献したい。いろいろなブースを回り、地域に密着した病院を探したい」と話し、次のブースに向かった。

 同セミナーは、看護師不足に悩む県内病院の人材確保の後押しと県内定着を目指し、2008年度から開催している。

【詳しくは本紙紙面をご覧ください】



http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/local_kiji.php?i=nesp1304216045
事業費189億円を掛け完成した12階建ての旭中央病院本館
2011年05月01日11時14分 千葉日報[県東エリア]

 旭市イの国保旭中央病院の本館が完成し、5月から稼働する。これまで7病棟に分散していた診療機能の大半を本館に集約したため各科の連携が円滑になり、患者は移動負担が減り効率的に検査や入院、手術、救急救命など高度医療を受けられるようになる。

 本館は2008年12月に着工し事業費は189億円。免震構造が施された12階建てで、延べ床面積は約5万6千平方メートル。1~4階の低層階に内科と整形外科の外来、検査室や手術室など診療部門を集約し、5階は産科・婦人科、6~11階が700床の一般病棟になっている。救急救命センターの他、高度ながん治療を行う化学療法センターを新設した。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135696/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
慶應大初の女性臨床教授、「迷いはない」 - 慶應義塾大学呼吸器内科教授・別役智子氏に聞く
「臨床と研究は両輪、優秀な研究者、臨床医を育てたい」

2011年5月1日 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

別役智子氏 1989年北海道大学卒業、1996年から2000年、米国ワシントン大学留学、2001年北大大学院呼吸器内科助手、北大病院第一内科助手、2003年同講師、2008年北大大学院呼吸器内科准教授。2011年4月から現職。

 この4月、慶應義塾大学に二つの意味で異例の臨床系教授が誕生した。この3月まで、北海道大学呼吸器内科准教授を務めていた、別役智子氏だ。慶應大で女性の臨床教授は初めて。また、慶應大出身者の教授が多い中で、北海道大学出身、その後も北大に勤務し、慶應大には今回の教授就任を機に初めて所属する点でも異例と言えよう。
 「慢性の呼吸器疾患の難しさ、そして患者さんの願いを叶えることができないもどかしさを日々感じている」と語る別役氏は、「呼吸器疾患の基礎と臨床の両輪で進め、良き臨床医、研究者を育てていきたい」との抱負を語る(2011年4月19日にインタビュー)。

 ――まず先生のご略歴をお教えください。

 1989年3月に北海道大学を卒業し、第一内科に入局、北大やその関連病院で研修をしています。最初から呼吸器内科を専門にしていました。その後、1996年から2000年までの4年間、米国ミズーリ州セントルイスのワシントン大学に留学しています。帰国後は北大に戻り、第一内科の助手、講師、2008年4月には准教授になりました。


 ――留学先ではどんな仕事をされていたのでしょうか。

 留学前は、仕事のほぼ100%は臨床でしたが、留学先では基礎研究に従事しました。マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)やCOPDの病態などの研究です。4年間の留学期間はやや長い方かもしれませんが、このまま米国で仕事を続けようかとも考えてくらいです。

 ――米国の研究環境が先生に合っていたのでしょうか。

 そうですね。確かに大変ですが、研究に没頭できる環境が合っていたのかもしれません。

 ――その後は、研究と臨床の両輪で。

 多くの先生方もそうだと思いますが、平日の日中は診療し、夜や週末に研究する日々でした。平日でも時間が空けば、論文を書いたりする。いつも患者さんのことを考えている一方で、「あの研究はどのように進めようか」などと常に思案しています。

 ――先生は、呼吸器疾患でも、COPDや肺気腫を専門にしています。これらの患者さんの臨床上、心がけていることは何でしょうか。

 日々の臨床では、慢性疾患の難しさ、そして患者さんの願いを叶えることができないもどかしさを感じています。

 慢性呼吸器疾患の患者さんの場合、10年以上のお付き合いになることも少なくありません。患者さんの中には、「20年以上も前に禁煙したのに、なぜCOPDがよくならないのか」、「間質性肺炎の原因となった薬の服用をやめているのに、進行していくのか」などと嘆く方もおられます。慢性呼吸器疾患の場合、徐々に進行したり、突然何らかのきっかけで急性増悪することがあります。しかし、そのきっかけが分からない。これは私のリサーチのテーマでもあります。

 患者さんとしては、元の体に戻りたいために、私を信頼して受診してくださるのに、それができない。さらに患者さんが高齢化すると、合併症も生じてくる。この意味で、慢性呼吸器疾患は、「Aging医学」とも言えます。

 最近では長年診ている患者さんが、がんになるケースも増えています。COPDや間質性肺炎などがベースにあると、肺がんのリスクが高まります。せっかくCOPDをコントロールしていたのに、がんが発見される。しかも、これらの疾患があると、手術、放射線療法などが難しく、新薬も使えないことが多いなど、治療上、様々な制約があります。こうした状況は、肺がんを早期発見した場合でも、患者さんにとっては非常にショックなことです。

 私はオンコロジストではありませんが、2010年3月から、またワシントン大学のDepartment of Developmental Biologyに留学したのは、これまで慢性疾患を診ていた立場から、がんについて研究するのが目的でした。肺がんの臨床のほか、臨床研究の手法を学び、肺がんのモデルマウスを使った研究などもしていました。

 ――2010年3月に留学した時点では、北大に戻る予定だったのでしょうか。

 はい。その後、慶應大の教授就任のお話をいただきました。

 ――お話を聞いた時、どう受け止められたのでしょうか。

 正直、驚き、北大の所属医局の教授に相談しました。そうしたら、「ありがたいお話」だと。その後、履歴書を提出し、今後の展望などをプレゼンテーションするために昨年6月に一時帰国しました。その際、質疑応答もしています。

 ――どんな質問を受けたのでしょうか。

 幾つか質問されましたが、例えば、「初の女性の臨床教授になることに、覚悟はありますか」、「不安は」などです。でも私自身、様々なところに行き、友人を作ったり、違う世界に入り、仕事をすることが苦手ではありません。だから迷いはありませんでした。最終的に今年2月末の教授会で決定しました。

 ――先生は長年、北大に所属していたわけですが、慶應大のことをどのように見ておられたのでしょうか。

 私たちは、他施設の先生方と学会などで知り合いになっても、その大学の仕組み、制度、教育方針などについては、意外に知りません。ですから、慶應大のことについても、一般の方と同じくらいのイメージ、知識しかなく、あまり詳しくは知りませんでした。

 ――例えば、どんなイメージでしょうか。

 そうですね。例えば、いい意味でも、またそうでない意味でも、慶應大の教授は、慶應大を出身された方が多い。

 ――それはどのような意味でしょうか。

 北大には、様々な大学の出身者がいました。他大学から来た先生がきっかけとなり、新たな交流が生まれたりしていました。また、北大に来て、新しいことを始める人も多い。だから、今度は、私がこうした役割を慶應大で果たせれば、と考えています。

 また国立大学と私立大学の違いもあります。教授選考過程で感じたのですが、先生方の慶応大に対する愛情、思い入れは非常に強い。自分たちの大学をさらに発展させていこうという姿勢を感じ、非常にすばらしいことだと感じました。

 ――今後の抱負をお聞かせください。

 教室のスタッフには、呼吸器疾患の基礎と臨床、どちらかに偏ることなく、両輪で進めていきたいとお話しました。例えば、一人ひとりの医師の日々の仕事で、あるいはその医師のライフサイクルの中で、さらには当教室の中で、両者をバランスよくやっていきたいということです。こうした姿勢で取り組むのは、私自身がこれまでこのようにやってきたからです。私は、自分がやってきたこと以外は、スタッフに指示することはできない人間です。私自身が身に付けたことを後進に伝えていくのが私の役割。

 また私は、“箱を作りたい”と考えているわけはありません。外から見て立派な箱でも、仕方がありません。そうではなく、人が育つ環境を作り、ここから優秀な研究者、臨床医が育ってほしい。スタッフには、成長し、充実した日々を送ってもらいたいと考えています。

 ――人を育てるのは非常に難しいことだと思います。

 はい、その通りです。甘い姿勢で接すると、人は低きに流れる。一方で、厳しすぎると、ドロップアウトしてしまいます。個々人の能力を見極めながら、それに合う形で進めていく必要があります。

 もっとも、ここに来てまだ約2週間(インタビューは4月19日に実施)。私にとってすべてが新しいことですが、スタッフにとっても同様でしょう。私の前任の教授は、病気療養を経て、約1年半前にご逝去されています。教授不在の期間が続き、いろいろと不安に思っているスタッフもいると思います。お互いに心を開いて話し合い、私は何とかいい形でリーダーシップを発揮し、皆がいい仕事ができる環境を作っていきたいと考えています。

 先ほどもお話しましたが、私は、「背中を見せて」、育てるタイプ。知り合いのドクターは、私は自分自身に厳しいタイプだと思われているようです。でも先ほどもお話しましたが、自分がやらないこと、手を抜いていることを、若いドクターに押し付けることはできません。私が研究しないことを、研究者として強要することもできません。とはいえ、人をいかに育てるかは永遠の課題。私のやり方が正しかったのかどうかは、定年を迎えた時に振り返ってみて評価したいと考えています。
  1. 2011/05/02(月) 05:02:10|
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