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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月29日 震災50日目

http://www.iwate-np.co.jp/school/school/201104/s201104292.html
403人「被災地の力に」 岩手医大で入学式
(2011.4.29) 岩手日報

 盛岡市の岩手医大(小川彰学長)の入学式は28日、同市内丸の県民会館で行われた。同大付属病院の医師たちは東日本大震災後すぐに被災地の急性期医療に携わり、災害医療の司令塔として多くの命を救った。今も診療支援を中心に被災者を支え続ける。震災の年に医学の門をたたいた入学生403人は、被災地のために尽力する先輩たちのように、将来の地域医療を担う決意を新たにした。

 保護者や関係者ら約600人が出席。式に先立ち、震災の犠牲者に黙とうをささげた。入学生を代表して柳沢基さん(20)=神奈川・桐蔭学園高卒=ら3人が「建学の精神と学則にのっとり、学生の本分を全うすることを誓う」と宣誓した。

 医療人を目指し一歩を踏み出した入学生の思いは被災地へと向く。佐々木航人さん(18)=盛岡一高卒=は「震災で地域医療を崩壊させてはいけないという使命感がより強くなった」と話し、佐藤貴紀さん(18)=花巻北高卒=は「避難生活が長引くと被災者の心身の負担が大きくなるだろう。心を癒やすことのできる医師になりたい」と意気込む。

 杣(そま)理華子さん(18)=盛岡一高卒=は「今すぐ直接的な支援ができないのが歯がゆい。被災地の力になるためにしっかり学びたい」と決意し、下山賢さん(19)=同=は「震災で何もできず、悔しい思いをしたが、きょうようやく医療に携わるスタートラインに立てた」と喜んだ。

 小川学長は「本学は県の災害拠点病院のセンターとして、極めて早く効率的に災害医療態勢を確立し、司令塔としての実務を担った。地域医療の再生には幾多の困難と長い年月を要する。今後とも大学を挙げて最大限の努力をしていく」と述べ、「医療人の基本である人格形成に努めてほしい」と入学生を激励した。

 入学生の内訳は、地域枠(特別推薦試験)15人を含む医学部120人(県内高校出身者27人)、歯学部52人(同17人)、薬学部167人(同93人)など。



http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20110429ddlk40040336000c.html
東日本大震災:「被災地は予想以上に混乱」 北九州の医師や消防士、活動報告 /福岡
毎日新聞 2011年4月29日 地方版〔北九州版〕

 ◇負担かけずに/看護師や薬剤師の支援も

 東日本大震災の被災地で医療支援に当たった医師や消防士の活動報告会が27日夜、小倉北区で開かれた。それぞれ写真や映像を見せながら被災地での活動を説明。「被災地は予想以上に混乱している。被災地に負担をかけない自己完結型の医療支援が必要」「医師だけでなく看護師や薬剤師の支援も必要」などの指摘が出された。

 「北九州災害・救急医療フォーラム」などが主催し、救急医療に携わる医師や看護師などが参加した。

 健和会大手町病院(小倉北区)の西中徳治医師は3月17~20日に宮城県塩釜市の総合病院で行った診療支援活動を報告した。病院は被災を免れ、震災直後は通常の5倍の救急搬送が集中したという。その上で「我々の任務は病院のスタッフを休ませることだった。医師だけでなく、看護師や送られてくる薬剤を管理する薬剤師の支援も必要」と語った。

 北九州市消防局消防航空隊は発生翌日から、岩手県や宮城県の沿岸でヘリを使って孤立者の救助や病人の搬送活動に当たった。椛嶋健二隊長は、津波の恐れがあったため、海岸での行方不明者の捜索を航空隊が担当したことなどを報告した。

 また、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」の一員として3月20~22日に茨城県高萩市と北茨城市に入った市立八幡病院の伊藤重彦副院長は「避難者の診療や薬がなくて困っているなどの相談に当たり、次に医療活動に当たるチームがすぐ分かるように治療の内容を書いて残してきた」などと話した。【佐藤敬一】



http://mainichi.jp/area/okayama/news/20110429ddlk33040534000c.html
東日本大震災:現地医師の支援/長期的な体制を 県医師会、報告会で意見 /岡山
毎日新聞 2011年4月29日 地方版 岡山

 岡山県医師会が東日本大震災の被災地へ派遣している「日本医師会災害医療チーム(JMAT)おかやま」の報告会が27日、中区の岡山衛生会館であった。医師会は先月12日から福島県いわき市などに医療チームを送った。同24日からは宮城県石巻市へ計10チームが継続的して派遣されている。報告会では「現地の開業医への支援が必要」「長期支援の体制整備を」--などと派遣された8チームから意見が相次いだ。

 JMATおかやまは医師と看護師、薬剤師など4人程度で医療支援チームを構成する。石巻市では、石巻日赤病院を拠点に活動し、県医師会のチームは決められた地域支援が割り振られ、引き継ぎがスムーズに行われるようにシステムが整っているという。

 4月11~15日に派遣されたさとう記念病院(勝央町)の稲田洋院長の報告では、災害による外傷の症例は少なく、上気道炎やアレルギー性疾患などが多かったという。稲田院長は報告で「ボランティアの受診も多く、自らの健康管理が必要。今後はリハビリテーションや介護の必要性が増してくるだろう」と話した。

 同医師会では、石巻市へ5月末まで医療支援チームを継続して派遣する予定。【石井尚】



http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20110429/CK2011042902000127.html
被災時、精神障害の子のケアは 福祉避難所の準備が大切
2011年4月29日 中日新聞 三重

 東日本大震災の被災地で、ストレスをためやすい精神障害や情緒障害の子どものケアが課題となっている。震災後、宮城県に派遣された児童精神科専門病院・三重県立小児心療センターあすなろ学園(津市)のスタッフは、障害者らが安心して暮らせる福祉避難所の必要性を訴える。

 同学園の医師と職員ら4人は19~24日、県の「心のケアチーム」の一員として宮城県石巻市で活動した。避難所を巡回し、震災のショックや避難生活の負担で心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しむ被災者の支援に当たった。

 全国から保健師らが集まり態勢は十分だったが、スタッフが気になったのは精神障害の子どものようす。精神保健福祉士の資格を持つ同学園医療部主幹の山下亨さん(51)は見知らぬ人同士が肩を寄せ合う避難所を「ざわざわしていて、適応能力が低い子どもには厳しい環境だった」と振り返る。

 自閉症などの子どもはストレスをうまく伝えることができない。山下さんは「発達障害の男の子が人との接触を避けようと、体育館の隅でずっと音楽を聴いていた。声を掛けたが、逃げられてしまった」と被災地での苦い経験を思い返す。

 一方、石巻市は民間の社会福祉法人などの協力を受け、精神障害者らを対象とした福祉避難所も開設した。視察すると家族が和室などでそれぞれのペースで避難生活を送っていた。「特性を理解してくれる人と過ごすことで本人も両親も心が休まる」と実感した山下さんは「震災時は三重にも福祉避難所が必要になる。日ごろから準備しておくことが大切だ」と話した。
◆県「対応これから」

 三重県内での福祉避難所の指定状況について、県は「各市町の状況を正確に把握していないが、これから手を付けなければならない分野」と対応の遅れを認める。

 県地震対策室によると、精神障害の子どもを含む在宅の災害弱者の受け入れ先をどう確保するかが課題となる。担当者は「障害者や介護が必要な高齢者にとって大切な取り組み。今後は民間の福祉施設との連携も求められる」と話している。 

 (鈴木龍司)



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201104280279.html?ref=reca
被災の地から 人工肛門:上 苦い体験、避難ためらう
2011年4月28日 朝日新聞

 濁った海水がどんどん迫ってくる。ひざ下まで漬かって、ふと思った。

 「このまま、のまれようか」

 あの日、一瞬、死を覚悟した。1年ほど前の苦い体験がそうさせた。

 2010年2月、東北の太平洋沿岸に大津波警報が出た。南米チリ沖の地震の影響だった。

 宮城県亘理町の女性(44)は近くの学校に避難した。腹部に人工肛門(こうもん)(ストーマ)がある。07年に緊急手術で作られた。

 人工肛門は大腸がんなどの手術で作られることが多い。便を受ける袋がついた装具を、数日おきに交換する。人工肛門があることは、外見ではわかりにくい。他人に知られたくないと考える患者は少なくない。

 警報で急いで逃げた女性は、替えの装具を持つのを忘れてしまった。いつまで避難が続くのか。予備の装具はあるか。避難所の町職員に人工肛門の患者への対応を尋ねた。ふだん他人に打ち明けることはまずないが、聞くしかなかった。

 職員は「自分で用意して下さい」と言った。「何のための役人か」と腹が立った。数時間後に帰宅できた。そして、心に決めた。「もう避難はしない。家にいたほうがましだ

 今年3月11日の大地震のとき、女性は自宅にいた。「ゴォーッ」という音をたてながら、木造の家が縦にも横にも揺れた。揺れが収まった後、外出先から両親が帰ってきた

 町の防災無線が大津波警報を伝え、避難を呼びかけていた。

 女性が「先に避難して」と促すと、父(76)は避難所に向かった。母(74)は動こうとせず、「あんたは行かないの?」と聞き返してきた。「いろいろ大変だから」と言葉を濁した。

 避難してつらい思いをするより、危なくても家にいよう。娘のそんな胸中を、去年のことを知る母は悟ったのだろう。そう気づいた女性は、自分を置いて逃げようとしない母を2階に追い立てた。

 女性が1階に携帯電話を取りに戻ろうとしたとき、台所のほうから階段まで一気に津波が押し寄せてきた。

 「このまま……」。すぐに思い直し、階段を駆け上がった。

 「母を助けないと」

 (南宏美)



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201104290199.html
被災の地から 人工肛門:下 わかってくれる人がいる
2011年4月29日 朝日新聞

 3月11日の大地震の後、人工肛門(こうもん)(ストーマ)を持つ宮城県亘理町の女性(44)は、押し寄せる津波に、一瞬、「このままのまれようか」と思った。思い直して母(74)と一緒に自宅の2階に逃げ、夜を明かした。

 翌日の午後、自衛隊ヘリで救助された。先に避難させた父(76)と再会し、学校の体育館での生活が始まった。

 便を受ける装具の替えを、今回も自宅から持ち出せなかった。避難所の町職員が用意してくれたが、交換に40分はかかることが問題だった。

 他の人が寝静まってから、避難所スタッフに「ストーマがあるのでトイレを長時間使いたいんです」と声をかけた。「ストーマって何?」。口々に尋ね合うスタッフたち。「世の中こんなもんか」と思った。

 人工肛門があると、本人の意思に関係なく便やおならが出る。臭いや音を気にして外出を控える人は多い。女性もそうだった。他人がすぐ隣で寝起きする生活に強いストレスを感じた。もらった装具は使い慣れたものと違い、「便が漏れたら」という不安が募った。

 そんなとき、宮城社会保険病院(仙台市)の看護師、大網(おおあみ)さおりさん(38)が巡回に来た。人工の肛門や膀胱(ぼうこう)を持つ人のケアが専門だ。

 津波にのまれようかと思ったこと、避難所スタッフの対応に傷ついたこと。個室で1時間ほど、2人で話をした。

 臭いのことも、装具に接する皮膚のかぶれのことも、すぐに対処法を教えてくれた。「わかってくれる人がいる」と思うと気持ちが楽になった。装具の交換には、避難所の個室を借りられることになった。

 大網さんは実感した。「排泄(はいせつ)は人間の尊厳にかかわるのに、人工肛門や人工膀胱を持つ人の尊厳は後回しにされている」

 1週間後、再び大網さんが避難所を訪れた。「ここでいいから」。女性は他の避難者がそばにいる自分のスペースで最近の体調を話した。大網さんには前回より穏やかな表情に見えた。

 4月、女性は別の避難所に移った。いつ仮設住宅に入れるかはわからない。また大災害が起きたとき、「自分と同じ思いをする人がいないように」と願っている。(南宏美)
  1. 2011/04/30(土) 05:10:42|
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