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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月27日 震災48日

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110427-OYT1T00030.htm
被災者が病院転々、情報伝達不足でトラブル続出
(2011年4月27日03時05分 読売新聞)

 東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。

 病院や避難所を転々とする被災者が続出し、病院や高齢者施設が患者らの転院先や死亡情報を把握できなかったり、病状が引き継がれないまま患者が死亡したりした。事態を重視した厚生労働省では、患者情報の伝達を徹底するよう自治体に通知。大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。

 宮城県石巻市の石巻赤十字病院では震災直後、南三陸町の公立志津川病院に脳梗塞などで入院していた千葉茂さん(85)を受け入れた。家族によると、約1週間後に問い合わせたが「該当者はいない」と回答。今月中旬、宮城県警から「搬送から4日後に石巻赤十字病院で亡くなった」と聞かされた。病院関係者は「震災後に安否情報センターを設けたが、混乱で患者の情報を十分に管理できなかった」と話す。

 南三陸町の特別養護老人ホーム「慈恵(じけい)園」では震災直後、病院などに搬送された10人以上の入所者の所在が一時つかめなくなった。搬送される入所者の腕に氏名、生年月日を書き込んだ医療用テープを貼っており、家族らと複数の病院などを探し、4月上旬ようやく全員の所在が判明した。

 福島県でも3月中旬、大熊町の双葉病院に入院するなどしていた高齢者ら21人が避難所への搬送中や搬送後に亡くなった。県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20110426-OYT8T01096.htm
震災被害額 医療施設は137億円以上
(2011年4月27日 読売新聞)茨城

今も一部で診療制限

 東日本大震災による県内の医療施設の被害額が137億円以上に上ることが県のまとめでわかった。全体の9割以上の施設で被害が出ており、最終的な被害額は200億円を超える見通し。震災から1か月以上たった今も一部で診療を制限している医療機関もあり、被害の深刻さが改めて浮き彫りとなった。

 20床以上の医療機関の被害状況を調査し、14日までの状況を26日の県議会保健福祉委員会で報告した。

 それによると、県内185の病院うち171病院で天井ボードの崩落や内外壁のひび割れ、配管設備の破損などの建物被害を受けた。被害額はこれまでに判明しているだけで約127億円。調査途中のため「不明」としている医療機関も多く、今後さらに増える見通しだ。また、このうち74病院ではMRI(磁気共鳴画像)や放射線治療装置などの医療機器も被害を受け、建物とは別に約10億4000万円の被害が出ている。

 停電や断水も影響し、震災後は診療を制限する医療機関が相次いだ。震災から3日後の3月14日時点では、93の救急告示病院のうち44病院で入院患者を転院させたり、救急患者の搬送を軽症患者に限ったりするなどの対応に迫られた。

 発生から1か月以上過ぎた4月14日時点でも、17病院で一部制限を続けている。特に被害が深刻な筑西市民病院(筑西市)では全ての建物が使用禁止となり、プレハブで外来診療のみを対応。県北地域の災害拠点病院となる日製日立総合病院(日立市)も入院病棟など複数の建物が損傷したため、稼働病床を561床から200床以上減らしている。

 県医療対策課は「医師や病院間の連携で医療機能をなんとか維持できたが、施設には甚大な被害が出ており課題も見つかった。災害に強い医療施設の整備のため、反省点を検証していきたい」としている。

 一方、橋本知事と原中勝征・日本医師会長は26日、細川厚生労働相を訪ね、高度医療の充実などを目的に国が各都道府県に配分する地域医療再生臨時特例交付金について、上限額120億円を本県分として確保することなどを要望した。



http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13038107140074
筑西市民病院、3階以上撤去へ 秋にも入院棟新設
2011年4月26日(火) 茨城新聞

 東日本大震災で被災し「危険」と判断された筑西市民病院(同市玉戸、石川義典院長)の施設について、市は26日、特に危険な3~5階部分を撤去し、敷地内に軽量鉄骨のユニットを9月末~10月ごろをめどに新設、入院や手術に対応する方針を明らかにした。

 入院約50床を予定し「体制が整えば救急も受け入れたい」(同市)としており、建物撤去と新たな施設などで約4億5千万円を見込んでいる。

 震災後、同病院は入院患者74人を近隣の病院に転院させた。外来患者は現在、玄関前に設けた診療用のプレハブで対応している。3~5階撤去後は、待合室や医療事務室、診察室、検査室などがある1階部分のみ利用する。



http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110427ddlk08040221000c.html
筑西市民病院:3階から上を撤去、入院病棟を新設--9月に復旧見通し /茨城
毎日新聞 2011年4月27日 地方版 茨城

 筑西市は26日、東日本大震災で柱を損傷し使用できなくなった5階建ての筑西市民病院(90床)の復旧について、3階から上部を取り壊して既存の一部を活用し、入院病棟を敷地に建てる方針を明らかにした。9月にも復旧の見通しだ。

 吉沢範夫市長が記者会見で発表した復旧方針によると、鉄筋コンクリート造り5階建ての本館の1、2階を残し3~5階を解体する。1階で従来通り外来患者を診療し、2階は安全対策の緩衝のために使用しない。部分解体によって耐震性は保たれるという。

 一方、敷地内に鉄骨造り平屋の病棟(約50床)を建て、手術室も併設する。解体費と合わせた総工費は概算で約4億5000万円を見込んでいる。病院によると、今月15日に基本設計を外注した。

 同病院は県西地区の2次医療を担っていたが、被災後、駐車場にテントを張って外来患者に処方箋を発行。3月24日からはプレハブの仮設棟で外来患者の診察を再開、今月20日には仮設棟に採血・点滴室も整えたが、本格復旧が課題となっていた。【安味伸一】



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110427k0000m040168000c.html
東日本大震災:多機能携帯端末で感染症対策 岩手で開始
毎日新聞 2011年4月27日 2時30分

 東日本大震災の被災地で、スマートフォン(多機能携帯端末)を使ってインフルエンザなど感染症の蔓延(まんえん)を防ぐ取り組みを岩手県が始めた。沿岸部の避難所から毎日寄せられる症状別の患者数を内陸の中核医療機関で収集、流行の早期発見や封じ込めにつなげる狙い。ファクスやパソコンと比べ通信回線の制約が少なく、既にインフルエンザの早期収束に成功したケースも出ている。

 密閉された空間で多くの人が暮らす避難所は、感染症が発生しやすく、被災者の間で集団発生が懸念される。従来は、医療機関や学校を通じパソコンなどを使って感染症情報を集約していた。しかし、多数の医療機関が被災し、学校も避難所になるなど、把握が困難な状況に陥った。

 県は4月に入り、携帯電話会社の協力を得て、タブレット型と呼ばれる新書判ほどの大きさの端末50台を、200人以上が暮らす避難所を中心に無償で配布。加来浩器・防衛医大准教授が開発したシステムを利用し、インターネットで情報収集を始めた。避難所で治療に当たる医師や保健師が1日1回、避難者数とせきや下痢、発疹などの症状(8項目)がある患者の人数を入力。集約した情報は、関係者間で共有し、動向を監視している。

 岩手医大感染症対策室の桜井滋准教授によると、4月初め、避難所となっている同県山田町の高校で、体温が38度以上ある患者が急増。保健所や避難所の医師らと連携して患者の隔離や濃厚接触者へのインフルエンザ治療薬投与などを支援、感染の拡大を防いだ。

 桜井准教授は「このシステムを利用すれば、離れた場所からでもほぼリアルタイムに全体の動向や避難所ごとの状況を確認でき、早期に必要な支援が可能。さらに多くの避難所に協力を求めていきたい」としている。【林由紀子、清藤天】



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135845/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(支援の動き)
熊本赤十字病院に見る「自己完結型」救護
震災6時間後に「被災地に向けて前進」、陸路1600km、石巻へ

2011年4月27日 橋本佳子(m3.com編集長)

 「日赤本部とやり取りしていては時間を空費する。まず要員の決定と器材の選定、準備を行い、第一班 10人は3月11日21時に出発、第二班13人は3月12日0時に出発した。出発した時点では、『何はともあれ、北に向かう』ことを考え、目的地は定めていなかった。東名高速道路の厚木インターを過ぎた辺りで、石巻に行くことを決めた。熊本と石巻は実に1600kmの距離で、約40時間かかった」

 4月20日に、全国の日赤病院院長が集まり開催された、「日本赤十字社病院長連盟」の臨時総会「3.11 東日本大震災情報交換会」。熊本赤十字病院診療部長の宮田昭氏はこう語り、「『自己完結型』救援のあり方とは?」と題して講演した。総会では被災地の石巻赤十字病院と仙台赤十字病院のほか、支援側の代表として、熊本赤十字病院と名古屋第二赤十字病院が現状を紹介した。

 熊本赤十字病院が4月25日までに派遣したのは、延べ148人の医療者(医師39人、看護師39 人、コメディカル7人、管理要員63人)に上る。これは、職員数約1200人の1割以上に当たる数だ。現地に運んだ支援物資は、約90トン。費用は、すべて同病院の負担だ。日本赤十字社は、東日本大震災で義援金を集めているが、それらはすべて被災者支援に充てられるため、支援する側の医療機関への援助はない。

 目的を決めず北上、「時間を無駄にせず」

 全国の赤十字病院は、日本赤十字法に基づき、非常災害時などに救護に当たる救護員を置くことが求められている。熊本赤十字病院では、1チームは医師2人、看護師3人、管理要員3人を基本とし、計10チームを日ごろから準備。そのほか、特殊救護要員として、大型自動車免許やフォークリフト免許などを持ち、電気技能講習などを受けた「The Blue Guys」というスタッフも備え、年数回訓練している。「当院の救護班の体制は、他の病院よりも手厚い。災害医療では、通常診療とは違う様々なリスクが伴う。トレーニングを受けていない人がいくと、かえって危ないこともある」(宮田氏)。

 3月11日の第一班出発までの動きは早かった。地震発生後、院内にすぐに院長をトップとする対策本部を設置、テレビやインターネットなどで情報収集を始めた。「震災直後は、日赤本部も各日赤の支部も、被害の全体像を把握しておらず、どこに救護班を派遣していいかを指示できる体制になかったはず。指示を待っていたら、時間を空費する。『時間を無駄にしない、被災地に向けて前進する』のが院長の方針だった」と宮田氏は説明する。

 救護員として登録しているメンバーの中から、日常勤務の体制なども踏まえ、第一班の10人、第二班の13人を決定。第一班の救護班班長を務めたのが、38歳の外科医。トレーニングを積んでいるものの、初めての災害現場。国内では阪神・淡路大震災、海外ではスマトラ島沖地震などでの活動経験を持つベテラン医師も同行させた。また支援物資は、手が空いている職員全員を借り出し、医薬品から食料品など様々なものを準備した。

 第一班は、四輪駆動の緊急車両3台。「道が通れるかどうかも分からない。機動力、行動の自由を持つことが重要であり、万が一、何かあっても脱出できる体制にすることが必要」(宮田氏)。第二班は、10トントラック3台をチャーター、そのほか熊本赤十字病院が持つトラック2台(ウイング式とクレーン付き)なども出動。第一班と第二班は、携帯電話だけでなく、無線と衛星電話を持ち、連絡を取る体制にした。

今後も状況を見ながら支援継続


 当初は盛岡もしくは福島に行くことを想定していたが、仙台赤十字病院から、宮城県沿岸部の甚大な被害の状況を聞き、目的地を石巻赤十字病院に決定した。まず実施したのは、ニーズの評価。石巻赤十字病院のスタッフと共同して、避難所を回るなどして医療支援体制の検討をすすめた。

 その後、石巻では、14のエリアに分けて救護活動を行うようになり(『現地リポート、震災から3週間の石巻・女川の今』を参照)、熊本赤十字病院は、その一つのエリア、「東松島市成瀬地区」で定点医療、周辺地区の巡回診療、心のケア支援のほか、石巻赤十字病院の支援に当たっている。

 当初は陸路往復の負担が大きいため、現地滞在時間3日でローテーションしていたが、今は移動時間も含め7泊8日でローテーション。既に被災地に2回向かった職員もいる。「このまま余震が収まっていけば、2週間、1カ月単位でのローテーションに切り変えていくことが考えられる」と宮田氏は語る。

 熊本赤十字病院が担当する成瀬地区には、1病院と2診療所があったが、診療所は2つとも被災。「震災前も、病院の常勤医は実質的には1人で、非常勤医が来ていた。一番いいシナリオは、医療の内容が徐々に通常診療になっていくこと。我々は成瀬地区の医療が再建するまで支援を続ける。しかし、一方で、また大きな余震が起きるという悪いシナリオも考え得る。そうなれば、医療ニーズは増え、余震による精神的なダメージも相当大きいため、また大勢の医療チームを投入する。そのほか、石巻以外で支援を必要としている地域があれば、そこに向かう」(宮田氏)。

 「人、モノ、時間、院長(リーダーシップ)」が重要

 熊本赤十字病院では、国際用のERU(緊急対応ユニット)、ホークリフト、DISASTER  RESCUE車など、どこにでも駆けつけることができ、診療できる体制を備える。これは全国の赤十字病院の中でも、“重装備”だが、それは以前から災害医療に力を入れてきたからだ。かつ前述のように、震災初期の対応が終わっても、継続的にチームを派遣し、「成瀬地区」の医療支援を担当した。「たくさんのチームが入り、頻繁に入れ替わったら、コーディネートする側は非常に大変。引き継ぎもうまくいかない。『この地域はすべて熊本日赤が担当する』とし、責任を持って支援した」(宮田氏)。熊本赤十字病院においても、後方支援のためのミーティングを実施している。

 宮田氏は、「自己完結型」救護の重要性を説く。それは熊本赤十字病院のような装備の問題ではなく、第一は行動様式の問題だ。

 「寝袋、毛布などを背負ってきても、『荷物どこに置きましょうか』、『どこで仕事しましょうか』、『ご飯どこですか』と続き、『帰り道を教えてください』という人がいるが、一番やっても、やらせてもいけない例」(宮田氏)。

 宮田氏が言う「自己完結型」救援とは、「危機発生→経験→問題抽出→企画→開発→訓練→実働→問題抽出」という、サイクルを回せること。それには、「人、モノ、時間、院長(リーダーシップ)」が重要で、例えば「人」を育てるには、医療だけでなく、大型自動車免許や電気技能などの様々な技術の習得に加えて、訓練と経験が必要だという。

 さらに、宮田氏は、「全国数カ所に、日本赤十字社の本社・支部機能を介さず、即応的に救護活動をスタートする仕組みが必要」と指摘する。前述のように災害初期は、情報収集すらままならない中、本社・支部機能の指示を待っていては、対応が遅れるからだ。情報が集まり、地域全体のコーディネートが可能になれば、“司令塔”が必要になるが、それでも状況は日々変わり、臨機応変に対応していくことが求められる。「自己完結型」救援は、災害のどんなフェーズでも求められる姿勢と言える。



http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/04/20110427s01.htm
東日本大震災 医療救護支援/息の長い取り組みを望む 
2011年04月27日水曜日 河北新報 社説

 想定を超える地震津波被害に直面した医療従事者は、従来の災害医療の常識を覆されたような思いを抱いたという。宮城、岩手両県沿岸にある中核病院の中には、医師ら多くの職員が死亡、行方不明になったり、建物が使えなくなるなど医療の機能をすべて失った施設もあった。
 全国から100を超す支援班が現地入りして治療、搬送、薬の処方を施し、手薄な態勢を補った。避難所の巡回診療を行い、今のところ、疾患のある人が次々と連鎖的に命を落とすような事態は避けられている。
 病棟に寝泊まりして診察に当たった支援班、地元の医師らスタッフの奮闘をたたえたい。
 ただ、医薬品など物資が途切れたほか、特定の病院に患者が殺到する混乱も起き、行政と医療現場との情報共有や連絡調整の在り方が問われた。
 休診していた病院が診療を再開、支援班の引き揚げも一部で始まった。被災地の医療再生には長い道のりが予想される。継続的な治療と住民の健康に目配りできる息の長い取り組みを望みたい。
 災害発生から72時間以内は「急性期治療」に区分されて人命救助が優先され、各地の災害拠点病院が中心となった。
 拠点病院は緊急通信機を備え、災害派遣医療チーム(DMAT)など支援班の到着が早かったこともあり、初期対応は比較的スムーズだった。一方で必要な医療とミスマッチも起きた。
 チームは住民が倒壊家屋の下敷きになった阪神大震災を想定し、外傷患者への対応を主力としていた。
 現場で求められたのは心臓病など慢性疾患が悪化した患者や、津波で水に漬かって低体温症になったお年寄りなど内科のケア。治療の中心は早い時期から、数多くある避難所での救護、療養など次の段階に移った。
 ところが、組織的な連絡ルートづくりが遅れ、指揮命令系統が定まらなかったことなどから、正確な情報が十分に伝わらない事態が発生したという。
 災害医療の専門家によると、「慢性期治療」では、分散する患者情報を自治体が集約して、関係機関が共有する横断的な管理システムが重要とされる。
 自治体も庁舎や職員が被災しており、一概に責められないが、教訓としてシステム構築を危機管理策に加えるよう検討してもらいたい。
 現地では開業医も被災し、今後は再建を図りながら患者の診察を続けるという新たな段階を迎える。
 注意したいのは、体力が落ちた高齢者や子どもなどが感染症にかかり、集団的に広がることだ。沿岸部では下水道が回復せず、避難所の衛生状態も好転していない。
 ノロウイルス、インフルエンザのほか、がれきから飛び散った粉じんを吸ったことによる肺炎の発生リスクが高くなっているという。医師、保健師ら医療関係者が目を光らせるだけでなく、自治体、学校、コミュニティーが緊密に連携し、避難所の環境衛生対策や予防措置に万全を期してほしい。



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/bdy11042711280002-n1.htm
ニーズ変わる医療支援 避難所長く不眠…慢性疾患、基幹病院復旧も課題
2011.4.27 11:26 産經新聞

 東日本大震災で被害を受けた地域に対し、各地の医師らによる医療支援が続いている。岩手県大槌町では大阪府立病院機構の医師らによる巡回診療が継続されているが、当初は救命活動が中心だった医療支援も、次第に慢性疾患への対応などへと役割を転化。さらに、地元医療機関の再開などを受け、今後は被災地の病院に代わり重症患者を受け入れている基幹病院へのサポートが必要だという指摘も出ている。被災地への医療支援のニーズは刻々と変わっているようだ。(河居貴司)

 「震災後、血圧があがってびっくりしているんです」。今月24日、大槌町赤浜地区。地元にすむ元漁師、岡本正夫さん(89)が、集会場の一室で行われている大阪府立病院機構のメンバーが行っている巡回診療に訪れた。巡回は毎日行われ、地元の高齢者らが足を運んでいる。

 近くの診療所は津波被害で当面診療できず、地元にとっては貴重な受診の機会。岡本さんは「津波で失ったものも多いが、大阪のお医者さんにきていただき、本当に感謝している」と話す。

 大槌町の場合、地域の中核病院だった県立大槌病院が津波被害にあったほか、地域の診療所も壊滅的な打撃を受けていた。大阪府の医療チームは、大槌町の吉里吉里(きりきり)地区と赤浜地区を中心に医療をサポート。3月下旬から医師や看護師で構成されるチーム6~7人が交代で活動してきた。

 担当医によると、最近は長引く避難所暮らしなどで「眠れない」と話す人や高血圧や糖尿、ぜんそくなどの慢性疾患で診察を受ける人が多いという。「今後の生活が不安」「家族が行方不明で…」と打ち明ける人もおり、被災者のダメージの深刻さもうかがえる。

 小学校の保健室につくった簡易診療所には多い日には100人近くが受診したが、次第に1日30人程度に落ち着いたといい、小学校の再開や地域の診療所の再開などとともに、保健室の簡易診療所もいったん終了。診察にあたっていた府立母子保健総合医療センターの豊奈々絵医師も「医療ニーズは刻一刻と変わっている」と話す。

 地元医師らが仮設診療所などを徐々に開設し、地域診療の機能は回復しつつある一方、地域の基幹病院の復元は不十分だ。

 大槌町に隣接する釜石市の県立釜石病院(272床)では、建物の耐震問題で使用できない病室があり受け入れベッド数を52床に限定。重症患者の対応が十分にできず、津波被害のなかった内陸部の病院に転院する措置をとっている。

 県立釜石病院の安保正事務局長は「患者さんやご家族も大変な思いをしているが、転院先の病院にも相当の負担になっている。被災地の病院の自助努力も必要だが、今後は搬送を受け入れてくれている内陸部の中核病院などへの支援も必要になる」と指摘している。



http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110427k0000e030030000c.html
米タイム誌:選出の菅野医師「被災者、日本人の象徴で」
毎日新聞 2011年4月27日 10時45分

 【ニューヨーク山科武司】米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、同誌の招きでニューヨーク訪問中の宮城県の内科医、菅野武さん(31)が26日、毎日新聞などと会見し、「困難な状況に立ち向かう被災者、日本人の象徴として選ばれたのだと思う」と語った。

 宮城県南三陸町の公立志津川病院に勤務していた菅野さんは「津波警報後、患者を上階にすぐに移動させ、最後の患者が救出されるまで病院に滞在した」。この医師としての情熱と冷静沈着な対応がタイム誌に評価された。「(自分の)死は強く意識したが、後悔したくない」と考え、現場での活動を続けたという。現場で津波にのまれて死亡しても身元が判明するよう、普段、診療中は外している結婚指輪をつけたまま医療活動を続けた。

 菅野さんは震災2日後の3月13日朝に最後の患者と共に志津川病院を離れて石巻市に避難。自宅のある仙台に戻り、16日、妻の由紀恵さん(32)の長男出産に立ち会った。

 当初は3月いっぱいで同病院での勤務を終え、東北大医学部に戻る予定だったが、任期を4月半ばまで延長し医療現場や避難所と各地のボランティア医師団との連絡調整を続けた。

 1カ月半が経過した被災地の現状を菅野さんは、「支援チームは引き揚げつつあるが、医療面でまだ自立できない地域もある。支援のアンバランスが起きている」と指摘。「モノは足りてきたが、音楽など心を潤すものは少なく、人間らしい生活はできていない」と話し、多角的な支援の必要性を強調した。

 26日夜の同誌主催の夕食会では「日本人は必ず復興を成し遂げる」とのメッセージを訴えるという。



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110427dde041040047000c.html
東日本大震災:支援、アンバランス起きている 米誌「100人」内科医・菅野さん会見
毎日新聞 2011年4月27日 東京夕刊

 ◇米タイム誌「100人」内科医・菅野さん会見

 【ニューヨーク山科武司】米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、同誌の招きでニューヨーク訪問中の宮城県の内科医、菅野武(かんのたけし)さん(31)が26日、毎日新聞などと会見し、「困難な状況に立ち向かう被災者、日本人の代表として選ばれたのだと思う」と語った。

 宮城県南三陸町の公立志津川病院に勤務していた菅野さんは「津波警報後、患者を上階にすぐに移動させ、最後の患者が救出されるまで病院に滞在した」。この医師としての情熱と冷静沈着な対応がタイム誌に評価された。「(自分の)死は強く意識したが、後悔したくない」と考えたという。死亡しても身元が判明するよう、診療中は外している結婚指輪をつけたまま医療活動を続けた。

 菅野さんは当初3月いっぱいで同病院での勤務を終え、東北大医学部に戻る予定だったが、任期を4月半ばまで延長し、医療現場や避難所、ボランティア医師団との連絡調整を続けた。

 被災地の現状を菅野さんは、「支援チームは引き揚げつつあるが、医療面でまだ自立できない地域もある。支援のアンバランスが起きている」と指摘。「モノは足りてきたが、音楽など心を潤すものは少なく、人間らしい生活はできていない」と話し、多角的な支援の必要性を強調した。



http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110427k0000e040005000c.html
東日本大震災:皮膚や目の疾患増加 東北大医師ら巡回診療
毎日新聞 2011年4月27日 9時15分(最終更新 4月27日 11時01分)

 東北大学病院(仙台市)の眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科、皮膚科の3科の医師らによるチームが、津波で大きな被害を受けた宮城県の南三陸、女川両町で無料の巡回診療を続けている。両町内の中核病院に医師を派遣していた経緯もあり「感覚器の病気を診る3科でまとまって被災者を助けたい」と巡回に乗り出した。医師らは口々に「被災者が困っている今こそ、医師の我々にできることをしたい」と話す。巡回チームの1日に同行した。【村松洋】

 「霧がかかったみたいに見えなくなって……」。南三陸町の避難所になっている町総合体育館横にあるプレハブの仮設診療所。東北大医学系研究科の中沢徹・准教授(40)らが診察する眼科の診察室に、左目の視界の下半分がかすむという男性(66)が訪れた。今年2月末、右足の静脈に血栓ができ、同県石巻市内の病院に入院し手術を受けた。目の曇りもそのころ気づいた。退院したら眼科で診てもらう予定だったが、入院中に震災に遭い、診療を受けられなかった。

 診断は「網膜中心動脈分枝閉塞(ぶんしへいそく)症」。目にできた血栓が原因という。血栓を溶かす薬の投与など早期の治療で進行を防げた可能性もあったが、1カ月以上が経過し回復は難しい。診察時には血栓がなくなっていたため経過観察になった。男性は「早く治してもらおうと思ったが、震災で病院にもいけなかった。原因が分かって少しだけ安心した。これ以上悪くならないようにしたい」と話した。

 この仮設診療所は震災後、イスラエルから医療支援に駆け付けた医療チームが建て、残していったものだ。鉄筋コンクリート5階建ての同町の中核病院で、大津波で4階まで浸水した公立志津川病院が仮設診療所としてこのプレハブで診療を再開している。

 東北大病院の巡回診療チームは3科の医師やスタッフ、医学部の学生ら15人前後。余震の影響で診療できなかった8日を除いて4月1日から毎週金曜日、南三陸町と女川町で医療にあたっている。限られた時間で一人でも多くの患者を診察できるよう、両町内で計5台のマイクロバスで送迎し、避難所の住民に集まってもらう。

 ◇ 大分から経費支援

 中沢准教授らの発案に、知人を通して活動を知った大分県由布市の有志が支援に動いた。バスのガソリン代など必要経費約100万円のうち半分を目標に募金している。

 女川町総合運動公園にある体育館内の救護所。耳鼻咽喉科の加藤健吾医師(40)と浅田行紀医師(41)の元には、約20人の診察希望者が列を作った。町内に住む岸直勝さん(77)は、津波の後から「ゴー」という海鳴りのような音が消えない。鼓膜に異常はないが原因不明。経過観察となった。

 ◇ 震災後初の診察

 巡回チームによると、診察を受けるのは震災後初めてという人がほとんど。加藤医師は震災のために治療を受けられなかった患者の多さにやりきれない思いだが、一方で患者の変化に明るい兆しもみている。「アレルギー性鼻炎など、以前からかかっていた比較的軽微な疾患の患者も増えている。被災地でも震災前の日常が少しずつ戻り始めている兆候なのかな、とも感じるんです」

 塚田全(あきら)医師(34)は、県外から支援に来た日本皮膚科学会の医師らとともに皮膚科の診察にあたっていた。女川町立女川第一小学校で避難生活を送る阿部忠好さん(53)は頭皮の湿疹で受診した。親戚の家で週1回しか入浴できないうえ、避難生活のストレスも重なる。頭皮を殺菌する塗り薬などを処方してもらった。

 皮膚科では、頭皮がかゆくなる「脂漏性皮膚炎」や、ストレスでアトピー性皮膚炎が悪化したと訴える患者が目立つという。また、夏場になるとダニを介した感染症も懸念されるといい、布団や服を清潔な状態に保つよう、被災者やボランティアに呼びかけている。

 石巻市の親族宅に避難する及川美穂さん(31)と息子麗央(れお)君(9)は、自宅も、通院先の石巻市内の眼科も津波に流された。麗央君は震災前、近視の手前の症状とされる「仮性近視」と診断され、点眼薬で治療をしていたが、津波で夜用の点眼薬を失った。診察を受けた後、美穂さんは「薬がなくて症状が悪化しないかずっと心配だった。本当にほっとしました」と喜んだ。

 中沢准教授によると、被災者の中には津波からの避難時にコンタクトレンズやケア用品を持ち出せず、交換の期限を過ぎてもつけっぱなしにしている人も多いという。中沢准教授は「つけっぱなしだと角膜の感染症のリスクも高まる」と注意を呼びかけている。

 巡回診療は5月末まで続く。



http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110427ddm010040003000c.html
医療 水と緑の地球環境:東日本大震災 被災者の命と健康を守ろう 「空からの支援」弾み
毎日新聞 2011年4月27日 東京朝刊

 ◇ 自家用ヘリコプターも、医療・物資輸送に一役

 「東日本大震災の被災者の命と健康を守ろう」とヘリコプターの民間パイロットらによる「防災医療航空支援の会」が医師や看護師、物資の輸送に一役買っている。今回の震災に伴い、空港以外での離着陸の申請手続きが簡略化され、自家用ヘリコプターでの救援活動が容易になり、「空からの支援」に弾みがついている。【明珍美紀】

 東京都江東区新木場の東京ヘリポート。4月10日夕、赤いヘリコプターが到着し、医師の泰川恵吾さん(47)が降りてきた。

 泰川さんはこの日、防災医療航空支援の会のメンバーが操縦するヘリに乗り、宮城県気仙沼市との間を日帰りで往復した。避難所で被災者の診療に当たる地元の開業医、村岡正朗さん(49)のサポートをするためで、午前8時前に同ヘリポートを飛び立ち、約2時間後、気仙沼小学校の校庭に着陸した。

 すぐに隣接の気仙沼中学校に向かい、村岡さんが詰めている保健室に入った。パナソニックやauから寄付されたノートパソコンや通信カードと、被災地でも使える遠隔地医療用の電子カルテの機器を渡した。

 村岡さんも被災した一人。家族は無事だったものの診療所兼自宅が津波で流され、保管していた患者のカルテも失われた。「このシステムがあれば、診療情報をほかの医療機関と共有でき、災害に遭っても記録を残すことができる。診療報酬請求ができるので、地域医療の再建に役立つ」と泰川さん。村岡さんに操作の説明などをして午後3時、気仙沼を後にした。

 泰川さんは、東京女子医大救命救急センターの元ICU(集中治療室)医長だ。現在は郷里の沖縄県の宮古島を拠点に離島の訪問診療を手がけ、神奈川県鎌倉市にも診療所を開設する。

 震災発生から2週間後の3月25日、泰川さんは訪問看護師らと気仙沼市に車で向かい、10時間余をかけてたどり着いた。市民会館で寝泊まりしながら4日間、被災者を治療した。

 「衛生状態が悪いせいか気管支などの病気が目立ち、お年寄りは体が弱っていた。阪神大震災でも医療ボランティアをしたが、その時より重症だと感じた」

 日常の診療の合間を縫って「今度はいつ行けるか」と案じていたところ、高校の同級生だった土井勉さん(47)から「ヘリコプターを使えば早い。空からの応援をする」との連絡が入った。

 支援の会は、航空サービス会社を経営し、自らもヘリを操縦する土井さんやケミカル開発会社社長の奥間保胤(やすたね)さん(37)らが先月下旬に結成した。国土交通省航空局によると、空港以外の離着陸は航空法に基づき、文書での申請が必要だが、「被災地支援の特別措置として今回は電話での申請も受け付けている」という。

 空からの支援を始めた土井さんらに、「全国自家用ヘリコプター協議会」のメンバー有志も賛同し、約10機の自家用ヘリが手分けして被災地に飛んでいる。陸路での輸送が難しい孤立した地域や避難所などに食料や医療用物資などを運び、今月からは首都圏から応援に行く医師や看護師らの移動にも協力する。

 土井さんは「いまなお余震が続く状態では、陸路の交通機関が一時的にストップする心配がある。私たちパイロットも被災者の役に立ちたい」と言い、燃料の提供や支援金などの協力を呼びかける。

 活動の詳細は同支援の会(03・3521・2401)のホームページ(http://dmasf.whp.bz/)で。



http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1069/20110427_01.htm
支える人々(15)南三陸町の開業医・笹原政美さん
2011年04月27日水曜日 河北新報

◎仮設診療所で内科診療続ける/使命感持てる力注ぐ

 ―東日本大震災2日後の3月13日から、南三陸町の志津川小体育館で診察を始めた。
 
 「開業していた病院で診療中に地震が来た。高台に避難したものの、津波の勢いが強く、水が迫ってきたため、山伝いに小学校まで避難した」
 「小学校には、町中心部のお年寄りが避難していて、公立志津川病院の看護師や町の保健師と診察に当たった。自宅を流され、しばらくは体育館に寝泊まりしながらの診察だった。薬などがない状況をボランティアや警察に訴えたところ、登米市の薬局から運んできてくれた」

 ―イスラエルの医療チームが残した施設や医療器具を使って今月18日から公立志津川病院としての診療が始まった。

<カルテ全て失う>
 「もう1人の内科医と共に、1日約100人を診ている。医療態勢は向上したものの、カルテは全て失われ、患者さんも処方箋や診察券が流された。複数の医療機関にかかっていた人もいるが、まとめて診ざるを得ない。一人一人から既往症を聞き取り、カルテに落としていくゼロからのスタートだった。時間がかかり、いまだに手探りの診察が続いている」
 「町にかかりつけの医師がいる安心感は大きい。町外に避難した人も通院している。仮設でも、志津川病院の存在が町民の支えになっている」

 ―震災から1カ月半がたち、町民を診察した印象はどうか。

<集団生活で憔悴>

 「皆、憔悴(しょうすい)している。慣れない避難所での集団生活や、自宅に身を寄せている親戚の世話をしなければならない責任感などで、疲労やストレスがたまっている。診察では話の聞き役になることも重要だ。今まで十分に頑張ってきたのだから、全てを背負わないで、とアドバイスしている」

 ―医師として、南三陸町にとどまる理由は。

<町民への恩返し>
 「1999年に志津川病院から米山町国民健康保険病院(現登米市立よねやま診療所)に移ったが、その後も多くの町民が診てほしいと通ってきた。町は高齢化が進み、登米市まで来るのは一苦労な人も多かった。30代から50代を志津川で過ごし、医師として、人間として、町と町民に育ててもらったと思っている。恩返しの思いもあり、2005年に志津川に戻って『ささはら総合診療科』を開業した」
 「震災後も町にとどまるのは、恩返しの面もあるが、やはり、医師としてやらなければならない、そこから抜け出すのは許されないという使命感が一番大きい。今後も自分がやれること、持てる力を全力で注ぎ込んでいきたい」(聞き手は渡辺龍)

<ささはら・まさみ>北海道北檜山町(現せたな町)出身。札幌医科大卒。1979年、公立志津川病院勤務。89年から99年まで副院長。2005年に「ささはら総合診療科」開業



http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001104270001
消防関係者らが相馬で特別検診
2011年04月27日 朝日新聞

 ●がれき撤去など従事

 震災のがれき撤去などにあたる消防関係者や働きづめの市職員らの健康を守ろうと相馬市は26日まで、特別健康診断を実施した。全国の医師らがボランティアで協力、健診車を手配して駆け付けた。

 消防署員や消防団員、市職員ら計約400人が受診した。胸部X線や血液、尿などを検査し、問診を受けた。市は行方不明者の捜索やがれき撤去にあたる人の粉じん被害や、市職員らの体調を懸念。一方、被災地に役立ちたいと模索していた医師グループと医師出身の立谷秀清市長がつながり、実現した。診察したJR東京総合病院の小林一彦医師は「せきが続く人もおり、健康管理が大切です。長い目でみた放射線影響の評価も必要だと思う」。



http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110427ddlk08040230000c.html
東日本大震災:医療特例交付金、弾力運用を要望 厚労相に知事ら /茨城
毎日新聞 2011年4月27日 地方版 茨城

 橋本昌知事と日本医師会の原中勝征会長は26日、厚生労働省で細川律夫厚労相と面談し、東日本大震災の災害復旧対策として、国の「地域医療再生臨時特例交付金」を弾力運用するよう求める要望書を提出した。

 同交付金は、各都道府県の医師確保や救急医療体制の充実など地域の医療課題を解決するため、複数の市町村を単位とする2次医療圏を対象に交付される。一方、東日本大震災の影響で、県内の筑西市民病院や日製日立総合病院(日立市)では建物などに大きな被害が発生していることなどから、要望書では、同交付金の交付対象に災害復旧事業を加えるなど弾力的な運用を求めている。県によると、要望書を受け取った細川氏は「できるだけのことはしたい」と回答したという。【大久保陽一】



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110427t73023.htm
全国自治体、総力戦で復旧支援 被災地支える
2011年04月27日水曜日 河北新報

 東日本大震災の被災地に対する支援が、全国1771自治体による総力戦の様相を帯びてきた。広域連合は巨大組織の利点を生かし、小規模町村はきめ細かな配慮で、援助を続ける。自治体の底力が、被災地を支えている。

◎関西広域連合光る存在感/阪神の経験生かす
「長い道のり途切れなく」

 毎日午後6時半に開かれる宮城県南三陸町の災害対策本部会議。自衛隊、警察、消防に続いて関西広域連合の派遣職員が報告に立つ。
 報告内容も被災者の心のケアや栄養管理、仮設住宅の手続きと多岐にわたる。今やその存在感は絶大だ。
 志津川中では18日、関西広域連合が派遣した兵庫県教委スクールカウンセラーの臨床心理士阿部昇さん(51)が集団カウンセリングを行った。
 対象は地元の教師約20人。阿部さんは、自らも体験した阪神大震災を例に、震災後の子どもへの接し方を助言した。
 「阪神大震災では被災した子どもたちが、地震ごっこをして遊んでいたことがあった。最初は驚いたが、子どもなりに現実と向き合う工夫と理解してあげてほしい」
 教師たちには「長い道のりになるから体の力を抜いて」と語り掛け、全身の緊張をほぐす体操を指導。教師一人一人が語る震災体験に、じっと耳を傾けた。
 阿部さんは阪神大震災の後、神戸市などで被災者の心のケアを10年近く続けてきた。石巻市出身ということもあり「生まれ育った地域に息を吹き返してもらいたい」と精いっぱいの支援を誓う。
 避難所や町内全世帯を巡回して住民の健康状態をチェックする保健師チームも、関西広域連合が仕切る。
 全国各地から派遣された保健師に担当地区を割り振り、お年寄りなら介護が必要か、持病が再発していないかなどをチェックする。乳幼児の麻疹流行を防ぐため、予防接種を受けているかどうかを尋ね歩く。
 兵庫県は、宮城県とペアを組んで志津川地区を担当している。保健師大谷真理子さん(50)は「阪神大震災での経験を生かして『途切れない支援』を心掛けている」と説明する。
 さらに「医療態勢を少しずつ本来の形に戻すことが必要なので、主体となる地元の宮城県や南三陸町の保健師が動きやすいようにサポートしていくことが重要」と自らに課せられた使命を強調した。
(柏葉竜、田村賢心)

◎2万人超す人的派遣/岩手・宮城・福島に集中

義援金・救援物資も続々と

 今回の震災では、被災した岩手、宮城、福島、茨城の4県を除く全43都道府県が、人的支援に乗り出している。
 被災市町村が要請した職員派遣は7日現在で計673人。避難所の管理運営、救援物資の管理搬送、罹災(りさい)証明などの発行事務のほか、建築士、保健師などの専門職が不足していた。
 これに対し、実際の派遣人数と受け入れ人数は地図の通り。派遣職員は震災から1カ月半で優に2万人を超え、その9割超が被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県に集中している。栃木と千葉は被災地として支援を受ける一方、3県に職員を送った。
 受け入れ人数は宮城が最も多く、既に1万人を突破。その一方で福島は原発事故の影響もあり、災害規模と派遣人数に差が生じている。
 財政の厳しい小規模自治体も最大限の支援を続ける。宮城県町村会には、全国の町村から義援金や救援物資が続々届いているという。
 全国町村会長(長野県川上村長)の藤原忠彦さん(72)は「大きな被害を受けたのは沿岸部の小規模自治体。支え合い、助け合いが今でも息づく全国の町村の力と心を、東北に結集したい」と話した。
支援

◎鹿児島県4市5町→大船渡/現地本部に9人常駐

 岩手県大船渡市には、1300キロ離れた鹿児島県から市町職員が駆け付け、奮闘している。「鹿児島県大隅半島四市五町復興現地支援本部」。同市の猪川地区公民館に掲げられた、ひときわ大きな看板が、地元住民を元気づける。
 現地本部には大隅半島の4市5町から1人ずつ計9人の職員が常駐。市災害対策本部が毎日開く記者会見に出席し、不足している物資などの情報を鹿児島県の地元に伝える。
 現地本部の設置を周辺市町に呼び掛けたのは鹿児島県肝付町だった。町総務課長の前原尚文さん(55)は「長期間駐在することで、日々変化する現地の状況を的確に把握できる」と語る。
 もともと大船渡市と肝付町は、宇宙航空研究開発機構の施設が立地している縁で交流する「銀河連邦」の一員だった。震災発生から3日後には、職員5人と給水車が大船渡市に到着した。
 前原さんは「周辺市町も全面協力で一致した。東北の皆さんにはなじみが薄いかもしれないが、大隅半島の住民は一丸となって被災地を応援し続ける」と力を込めた。

◎7府県から職員1万1417人・車両49台・簡易トイレ490基…
事実上の初仕事/担当県別に援助


 「事実上の初仕事が本当に大きな仕事になった。組織の存在意義が試されているのだと肝に銘じて臨みたい」
 7府県で2010年末に発足した関西広域連合。広域企画課長の石田勝則さん(47)は、こう語って気を引き締める。16年前の阪神大震災で培ったノウハウは、被災地で遺憾なく発揮されている。
 現地では大阪、和歌山が岩手を、兵庫、徳島、鳥取が宮城を、京都、滋賀が福島をとそれぞれ担当県を決め、マンツーマンの支援を続ける。
 災害時に担当自治体を決めて人や物資の供給、各種の助言をする手法は「対口(たいこう)支援」と呼ばれ、2008年の中国・四川大地震で中国政府が実施した。復興の段階で特に効果が大きいとされる。
 関西広域連合の事務局は「被災地からの情報を知ってから動くのでは、対応が一歩も二歩も出遅れていた。まず、必要と思われる物資を届け、それから各府県が責任を持ってニーズの把握に努めた」という。
 関西広域連合から被災地への派遣は17日現在、職員1万1417人、車両49台。支援物資もアルファ米25万9311食、簡易トイレ490基、飲料水用ポリタンク5万1850個など、桁外れだ。
 「仮設住宅にはできるだけ集落単位で入居すれば、お年寄りの孤独死防止にもなる」「県外避難者を把握に努め、仮設住宅や義援金に関する情報の伝達漏れをなくす」。阪神大震災の経験を踏まえた貴重な助言の多くが、被災地で実践されつつある。



http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001104270005
平常機能は5病院
2011年04月27日 朝日新聞

 災害時に地域で傷病者の治療拠点となる「災害拠点病院」に指定された県内11病院のうち、震災発生直後から平常通り機能したのは5病院にとどまることが、26日の県議会保健福祉委員会で明らかになった。地震で建物や設備が被害を受けたことで、患者の受け入れを制限せざるをえなくなった病院が多い。

 県によると、平常通り機能したのは、なめがた地域総合(行方市)、鹿島労災(神栖市)、土浦協同(土浦市)、取手協同(取手市)、県西総合(桜川市)の5病院。県南、県西地域に集中している。

 他の6病院はいずれも、休止などには至らなかったものの、重症患者の受け入れを制限したり、逆に重症や入院が必要な患者を受け入れるために軽症や検査の患者を制限するケースがあった。

 県立中央病院(笠間市)では、救急センターに本館病棟の入院患者が移動したため、震災直後から14日まで救急患者受け入れは軽症のみに限定された。日立製作所日立総合病院(日立市)では病棟の一部が使えず、検査業務の一部ができなくなった。また、水戸赤十字病院(水戸市)では検査機器のMRIが一時使えない状態になった。

 災害拠点病院は、24時間緊急対応できることや、被災地域の患者の受け入れなどができること、設備が耐震構造であること、患者搬送用ヘリポートや簡易ベッドを備えているといった基準を満たし、県が指定する。

 県医療対策課は「診療機能が完全にストップしてしまった病院はなかったが、拠点病院としての機能を果たすための設備や要員のあり方を考える必要がある」としている。(栗田有宏)



http://www.med.or.jp/nichinews/n230505d.html
日本医師会災害対策本部会議拡大会議
JMATの今後の活動方針等を説明

日医ニュース 第1192号(平成23年5月5日)

日本医師会災害対策本部会議拡大会議/JMATの今後の活動方針等を説明(写真) 震災後三回目となる日本医師会災害対策本部会議拡大会議が四月十二日,日医会館で開催された.当日は,テレビ会議システムを使って,岩手・宮城・福島各県の現状について報告を受けるとともに,JMAT(日本医師会災害医療チーム)の今後の活動方針等について説明を行った.
 会議は横倉義武副会長の司会で開会.冒頭あいさつした原中勝征会長は,現地の意向を踏まえて,被災地の支援活動に全力で取り組んでいく意向を改めて示した.
 各県からの報告では,まず,石川育成岩手県医師会長が,JMAT撤収後の準備を着々と進めていること,四月十一日に立ち上げられた県の復興委員会に医療福祉の代表者として出席したこと等を説明.また,津波の影響もあり,阪神・淡路大震災と比べて,医療機関の復興が遅れているとして,その支援を求めた.
 伊東潤造宮城県医師会長は,JMAT宮城を編成し,どのような支援が出来るか検討を開始したことを報告するとともに,国,県に対して,失われた医療機関(八病院,六十診療所)の再建に向けた特段の配慮を求めた.
 谷雄三福島県医師会長は,強い余震が続いているためライフラインの復旧が進んでいないだけでなく,福島第一原発周辺住民の避難所生活が長期化しているとして,その支援を要請.また,避難所では,ビタミン,ミネラルが不足しているほか,脚気や感染症の集団発生も見られることから,きめ細かなサービスを提供出来る避難所も今後は必要になってくると指摘した.
 引き続き行われた日医からの説明では,石井正三常任理事がJMATの今後の活動方針として,(1)当面五月を目途に現地の要望がある地域に限定して,継続的に派遣体制を続け,その後は被災県医師会と協議すること(2)被災地から要望が強い,精神科,小児の医療チームの派遣は継続していくこと(3)被災県以外の避難所で暮らしている人々の健康管理への対応,余震,原発事故等の影響も考慮していくこと─などを説明.さらに,救急災害医療対策委員会で,JMATの派遣方法やチームのあり方等についての検討を再開する考えを示した.
 医療機関の復興に関しては,まず,羽生田俊副会長がノルウェーから提供を受け,山本保博東京臨海病院長と,災害医療ロジステック協会を通じて日医に寄贈されたプレハブ診療所を岩手県医師会に提供するとしたほか,「診療所として転用可能なプレハブ住宅等についても提供の話があり,どこにどれだけ提供出来るか早急に検討したい」と述べた.
 また,中川俊男副会長は,被災県に提供される地域医療再生基金や復興財源を地域医療の再生にも活用出来るよう,国に要望していることを説明した.
 さらに,今村聡常任理事からは,被災したにもかかわらず,避難所で診療を行っている医師に対する日医からの支援として,行った診療行為の対価を,日医に寄せられた義援金から日当の形で支払うことを決定したとの報告がなされた.
 なお,日医では,今後も,現地の状況も踏まえて本会議を適宜開催していくことにしている.



http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws6537
避難所で診療活動 自治医科大の医療チーム
末崎地区で長期にわたり支援

2011年04月7日付 3面 東海新報 大船渡市

 自治医科大学(栃木県)の医療チームは、大船渡市末崎地区を拠点に医療支援活動に励んでいる。同大学では東日本大震災の医療ボランティアの志願者がこれまで約70人に上り、被災者の心強い味方となって病気の治療と予防に奮闘している。
 医療チームは、先月25日から医療支援を開始し、派遣チームが1週間ずつ交代で診療を行っている。
 現在は第2次隊で、医師は同大学地域医療学センター地域医療学部門・同大附属病院総合診療部の神田健史助教ら3人。医師と看護師2人、薬剤師、事務の計8人のスタッフで編成し、県立大船渡病院の会議室に寝泊まりしながら避難所に通って診療を続けている。
 末崎中学校体育館の一角に設けた診療所では、医療チームが忙しく立ち働く。長引く避難所生活の中でインフルエンザにかかる人も出ており、その場合は別室に移して感染を防止している。
 医療チームは、小・中学校、公民館、寺院などを回り診療を行っており、被災者の中には急性腸炎の症状もみられるという。
 「循環器では血圧が高くなっており、被災者のストレスにも早めに対応していくことが必要」と神田助教。
 同大学には本県から栃木県を通じて支援の依頼があった。「医は仁術」として、医療ボランティアを募ったところ、これまでに70人ほどの志願者があったという。
 避難所の高齢者は「薬をいただくことができました」と笑顔で語り、医療チームの存在は大きな安心感を与えている。同地区で開業する滝田医院も津波で被災したが、同町ふるさとセンター2階で臨時診療を開始した。
 神田助教は、開業医を中心にした住民の絆やコミュニティーのつながりを感じるといい、「被災状況を見て非常に心が痛む。新しいものを描きながら再建していく必要がある。地域の医療施設が再開して順調に軌道に乗れるようにサポートしていきたい」と話す。
 医療チームの支援活動は2カ月ほど続く予定。長期にわたる医療支援は被災地の人々の復興の原動力になっている。



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110427_12
警察官に精神的ケア 本県含む3県警対象
(2011/04/27) 岩手日報

 東日本大震災で捜索活動などに当たっている警察官らが、凄惨(せいさん)な現場で精神的ショック(惨事ストレス)を受けた恐れがあるとして、警察庁が来月から対策に乗り出すことが26日、分かった。同庁による職員への惨事ストレスケアは初めて。また防衛省・自衛隊も、派遣された自衛隊員を対象に、精神面での健康状態について活動終了後から定期的に確認する。

 岩手県警は独自に、今月上旬、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病の可能性を調べるため、精神科医と協力し作成したチェック票を非常勤を含む職員約2600人に配布した。ストレスが強いと判断された職員は臨床心理士の面談を行う予定だ。

 同僚の殉職や、津波発生時の避難誘導などで大きなストレスを抱えていた沿岸各署の延べ31人については、既に臨床心理士の面談を実施している。

 警察庁によると、ケアの対象は岩手、宮城、福島の3県警の全警察官・警察職員の計約1万500人で、問診票を配り震災対応後の心身の状態について調査。惨事ストレスが強い場合、PTSDを発症する恐れもあり、ストレスが強いとみられる職員には来月、委託先の民間機関から臨床心理士らのチームを派遣し、面談を行う。

 3県警では捜索活動や検視、被災者対応に当たった職員などから「眠れない」といった心身の不調を訴える声があり、警察庁に対策の要望が寄せられていた。同庁給与厚生課は「職員自身も被災者というケースもあり、早めに手を打つ必要がある」と説明。被災地へは、他の都道府県警も派遣しており、同庁は対象を広げるかどうかも含め、対策を検討していく。

 一方、過去最大の10万人態勢で災害派遣に臨んでいる自衛隊も、被災地での遺体収容や原発事故対処などで隊員の精神的負担が大きく、PTSDを発症する可能性があると判断。活動を終えてから1カ月後、半年後、1年後をめどに質問項目に記入する形式で心理状態を調査する方針だ。

 調査では任務内容などの事実関係のほか、「きっかけがなくても、被災地での体験を思い出してしまうか」などと現在の心情を尋ねる予定。必要な場合には、臨床心理士や精神科医によるカウンセリング、診察も行う。

 惨事ストレスとは ひどい災害や事件事故などの現場に直面し受けるストレス反応。当事者だけでなく、救助に当たる医療関係者や自衛隊員などにも起こり得る。摂食・睡眠障害、抑うつなどの症状が現れ、PTSDに進行する恐れがある。



http://www.atpress.ne.jp/view/20139
プレスリリース 株式会社ケアネット
被災地医療チームの要望に対応、情報ハブシステム提供ほか後方支援開始
―日本プライマリ・ケア連合学会の医療支援プロジェクト(PCAT)に協力―

2011年04月27日

 医師・医療従事者へ専門情報を提供する株式会社ケアネット(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:大野 元泰、証券コード:2150)は、日本プライマリ・ケア連合学会(事務局:千代田区)による東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の趣旨に賛同し、情報ハブシステムやコンテンツ提供などの後方支援を実施することを発表いたします。

 3月11日の震災発生以降、医師団体・NPO・NGOなど多数の団体より医療チームが派遣されていますが、発生から1ヶ月以上が経過した現在、被災地の医療チームを取り巻く多くの課題が徐々に明らかになってきています。
 その中で、生活環境と共に被災者の方々の状況も変化し、慢性疾患の治療や心のケアを必要とする患者さんが増え、それらを総合的に診療できるプライマリ・ケア医の果たす役割が非常に大きくなっています。

 そこで当社では、これまで行ってきた被災地市民向け医療相談サイトの立ち上げや、医薬品検索アプリの無料提供など一連の取り組みに加え、日本プライマリ・ケア連合学会を情報・コンテンツ面で支援させて頂くことといたしました。既にPCATより派遣された医師の先生方のご要望・ご意見を踏まえて以下の内容でスタートし、今後も随時追加支援を行ってまいります。

【 PCAT支援内容 】
1. 被災地後方支援システム「LOGIO」の開発
2. 災害医療および亜急性期・慢性期に役立つ学習コンテンツ・アプリの無償提供
3. 「派遣支援者のための研修プログラム」eラーニング講義収録
4. 上記1~3をデバイス収載の上で医療チームに提供

■ 1. 被災地後方支援システム「LOGIO」の開発

 不足物資・活動内容について位置情報と共に携帯電話から登録するシステムです。医薬品をはじめとした物資について「必要なモノが全くなく、不要なモノが送付されてくる」、また「本部と連絡が取りづらい」「避難所によって医療スタッフの数に偏りがある」などの声から、要望把握およびコメント機能のみに絞り、使いやすい仕組みとしています。携帯電話(※1)のほかスマートデバイス(※2)からも利用可能で、スタッフの要望の登録場所はGoogle Map上で確認することができます。
 (※1) docomo/au/SoftBank、(※2) iPhone/iPad/Android

■ 2. 災害医療および亜急性期・慢性期に役立つ学習コンテンツ・アプリの無償提供
 停電による在宅医療への影響、長引く避難所生活から褥瘡(床ずれ/皮膚の壊死)ができる患者が増えるなど、災害時の亜急性期~慢性期の状況に必要な医療について、当社が企画制作した動画コンテンツを提供します。また、当社で企画制作した医療用医薬品検索アプリ「DrugOn MD」(ドラゴン・エムディー)も提供し、限られた医薬品の中で治療したり、初めて診療する患者さんの常用薬を調べたりする場合にご活用頂きます。

◆提供コンテンツ
<動画コンテンツ>
『骨太!Dr.仲田のダイナミック整形外科 実戦!整形外科的外傷学』
『平本式 皮膚科虎の巻』
『実践的ラップ療法のコツ』(床ずれの治療解説)ほか多数
<iPhoneアプリ>
『DrugOn MD』 http://itunes.apple.com/jp/app/id414833940?mt=8

■ 3. 「派遣支援者のための研修プログラム」eラーニング講義収録

 感染症・放射線被曝・心のケアなど、被災地で必要とされる知識の事前レクチャーとしてご利用頂けるよう、eラーニング形式で講義を収録します。

■ 4. 上記1~3をデバイス収載の上で医療チームに提供
 上記1~3を収載したiPad50台をPCAT医療チームに提供し、被災地医療において役立てて頂きます。PCATでは3月17日より医療チームとしてのべ76名を派遣していますが、4月下旬出発予定者よりコンテンツ収載済みiPadを現地に持参し、上記コンテンツの閲覧のほか被災者の健康管理・調査などにも利用予定です。


【 一般社団法人 日本プライマリ・ケア連合学会について 】
2010年5月1日、日本プライマリ・ケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会の3学会が合併して設立。前沢政次理事長。
所在地: 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-5 東京都医師会館302号
TEL  : 03-5281-9781
FAX  : 03-5281-9780
URL  : http://www.primary-care.or.jp/

◆ 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)について
詳細URL http://pcat.primary-care.or.jp/htdocs/

【『CareNet.com』(ケアネット・ドットコム)について】
 10万人の医師会員を含む医療従事者向けの臨床医学情報専門サイトです(会員制、無料)。日々の診療に役立つ情報、“臨床力”の向上に役立つ医学・医療コンテンツを提供しています。
 多忙な医師がスピーディーに医薬情報(病態・作用メカニズムなど)を習得できる『eディテーリング(R)』、全国のべ3,256人の臨床医が参加した日本最大級のがん治療実態調査「OncoJ(R)」(オンコ・ジェイ)、抗がん剤の適正投与量や副作用の対処法を解説した「実践!化学療法」、その他医療ニュースや各種学会情報、動画インタビューなど、医師・医療従事者の効率的な情報収集を支援するサービスとなっています。
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【会社概要】
社名  : 株式会社ケアネット
所在地 : 東京都千代田区九段南1-5-6 りそな九段ビル
代表者 : 代表取締役社長 大野 元泰
公開市場: 東証マザーズ(証券コード:2150)
設立  : 1996年7月
従業員数: 79名
事業内容: 製薬企業向けの医薬営業支援/マーケティング調査サービス
      医師・医療従事者向けの医療コンテンツサービス
URL   : http://www.carenet.co.jp/
【本件に関するお問い合わせ先】
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http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20110427-OYT8T00738.htm
ヨルダン医療隊「復興の力に」
(2011年4月27日 読売新聞)福島

エコノミー症候群診察

 ヨルダンの医療支援隊が25日、福島市内の避難所でエコノミークラス症候群の診察を始めた。狭い空間で長時間同じ姿勢を取り続けると血行が悪化して発症しやすくなるとされており、同隊は約3週間、県内各地の避難所を回って健康をチェックする。

 今回の震災では、国の特例で日本の医師免許のない医師による医療行為が認められた。外国人医師でつくる支援隊の受け入れは、宮城県南三陸町で活動したイスラエル軍の緊急医療支援隊に続いて2例目だ。

 本県を訪れているのは、ヨルダンの王立軍事病院の医師2人と超音波技師2人。県立医大の医師らとともに、超音波測定器を利用して避難者の血栓の状況を調べ、健康状態のチェックを行う。

 25日は約120人が避難している福島市飯坂町の「パルセいいざか」で診察を行い、足の血栓の有無などをチェック、適度な運動をすることなどのアドバイスをした。隊長のオマール・ゾウビー医師(51)は「イラクなど戦地での医療活動の経験はあるが、被災地での活動は初めて。日本の復興のために少しでも力になりたい」と真剣なまなざしで診察にあたった。

 南相馬市原町区から避難している自営業井上昌光さん(54)は「避難生活が1か月を過ぎ、健康状態が不安だったけど、問題ないと言われて安心した」と話していた。



http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201104/h1104274.html
【釜石】プレハブ救護所を設置 日本赤十字社
(2011.4.27) 岩手日報

 釜石市内で医療支援活動を行う日本赤十字社は26日、同市鈴子町の鈴子広場にユニットハウス型(プレハブ)の救護所を設置した。

 東京都の建設会社から提供を受け4棟を設置。医師や看護師たちは新しい救護所に荷物を移し、早速患者の診察に当たった。

 日赤は震災後、同広場に設置したテント内で診療活動を行ってきたが、強風でテントが破損したり雨で地面がぬかるんだりして対応に苦慮していた。

 薬をもらいに訪れた同市小佐野の柏舘義信さん(70)は「以前はテントでの診療だったが、建物の中の方が快適で安心だ」と笑顔を見せた。

 藤井ひかり医師(27)は「被災者もだんだんと疲れが出てきている。ゆっくり話を聞くことで、少しでもサポートしたい」と語る。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=40020
被災地医療 重い課題
(2011年4月27日 読売新聞)

患者情報足りず死亡 搬送後、所在つかめず

 東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。

 病院や避難所を転々とする被災者が続出し、病院や高齢者施設が患者らの転院先や死亡情報を把握できなかったり、病状が引き継がれないまま患者が死亡したりした。事態を重視した厚生労働省では、患者情報の伝達を徹底するよう自治体に通知。大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。
厚労省、連携徹底を通知

 宮城県石巻市の石巻赤十字病院では震災直後、南三陸町の公立志津川病院に脳梗塞などで入院していた千葉茂さん(85)を受け入れた。家族によると、約1週間後に問い合わせたが「該当者はいない」と回答。今月中旬、宮城県警から「搬送から4日後に石巻赤十字病院で亡くなった」と聞かされた。病院関係者は「震災後に安否情報センターを設けたが、混乱で患者の情報を十分に管理できなかった」と話す。

 南三陸町の特別養護老人ホーム「慈恵(じけい)園」では震災直後、病院などに搬送された10人以上の入所者の所在が一時つかめなくなった。搬送される入所者の腕に氏名、生年月日を書き込んだ医療用テープを貼っており、家族らと複数の病院などを探し、4月上旬ようやく全員の所在が判明した。

 福島県でも3月中旬、大熊町の双葉病院に入院するなどしていた高齢者ら21人が避難所への搬送中や搬送後に亡くなった。県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。

 日本医師会でも、現場の医師同士が患者の情報を共有できるよう、先月下旬から、赤(要治療)、黄(要注意)、白(要観察)の3色に分類した「トリアージカード」を診察した患者に渡すようにした。

 厚労省は、阪神大震災を受け、災害時の医療機関同士の連携をスムーズにすることなどを目的に、病院防災マニュアルの指針を策定し、導入を促した。しかし実効性について、問題を指摘する専門家もいる。

 宮城県の被災地で医療体制作りに取り組む東北大学医学部・上原鳴夫教授は「マニュアルがあっても、具体的な情報伝達方法まで決めていない所が少なくないのではないか。家族に情報提供する職員を決め、情報が集約される仕組みを作っておく必要がある。周辺の医療機関との事前協議も不可欠」とする。石巻赤十字病院でもマニュアルを見直す方向だ。

 厚労省医政局は「震災直後の限られた人員の中でどうやって確実に情報を伝えればいいのか、検討する必要がある」と話している。(小泉朋子、石坂麻子、森田啓文)
  1. 2011/04/28(木) 05:26:39|
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