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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月26日 震災47日目

http://www.47news.jp/feature/medical/2011/04/post-533.html
体を動かすと、心も楽に
 被災生活に重要なスポーツ
  指導者は早期の実施を

2011.04.26 共同通信 47ニュース

 東日本大震災は発生から1カ月が過ぎ、避難所暮らしや仮住まいの長期化は避けられない見通しだ。不安の種が尽きない上、じっとしているばかりでは、さらに心身の不調を招く。専門家は「被災生活には、食事や睡眠と同じくらい体を動かすことが大切」と訴えている。

 ▽忘れる時間
 「阪神大震災の時には、スポーツの重要性など唱えられていませんでした」。神戸市東灘区の賀来医院院長で神戸大臨床教授の賀来正俊医師(59)=スポーツ内科=は、自身も被災した1995年を振り返る。
 賀来医師は、被災地での運動には①暗い気持ちを明るく積極的にする精神医学的意義/②血行・代謝を活発にし、筋肉関節障害を防ぐ整形外科的意義③高血圧、便秘、不眠症などを防ぐ内科的意義―があると強調。20110423kao.jpg
 特に、強い揺れの恐怖や身近な死などで経験した心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、体を動かすことで少しでも忘れる時間をつくると、記憶が整理され重症化を防ぐことができるという。
 阪神大震災後の2年間に、賀来医師が神戸、芦屋、西宮などの中学、高校27校の生徒を対象に実施した調査では、運動部の活動をより早期に再開した生徒は、不安神経症など震災疾患からの回復が早かった、との結果が得られた。

 ▽熟睡
 今回の被災者について賀来医師は「もともと農家や漁業で体を動かしていた人がじっとしていると筋力が低下し、がたっと体力が落ちるのでは」と懸念。「一日中横になっていたら、いつ寝たか休憩したか分からなくなる。適度に運動すれば、避難所であっても夜熟睡できる。汗ばむほど体温が上がれば、インフルエンザなどの感染症も広がりにくい」と指摘する。
 運動はなるべく早い時期に始める方がよく「被災地に、体育教師やダンスの先生、フィットネスのインストラクターなどがいたら、遠慮なく指導してほしい。体育館や広場で『手をつないで歩きましょう』『お手玉遊びをしましょう』など遊戯でもいいので、とにかくじっとさせないことが重要」と話している。

 ▽足指から全身へ
 「カラダが凝り固まってきたと感じたら行いましょう」
 スポーツや健康な体づくりのための雑誌「ターザン」(マガジンハウス刊)では、東日本大震災の後、トレーナーの斉籐邦秀氏の監修で「血流改善簡単エクササイズ」をA4判2面のリーフレットにまとめ、被災地での無料配布を始めた。
 発案したのは編集部の木村俊介さん(28)。木村さんは神戸市の友人から、阪神大震災で同じ避難所にいた人が、静脈に血栓ができ血管が詰まる「エコノミークラス症候群」で亡くなった、という話を聞かされていた。
 「自分たちにも何かできるのでは」と考えていた時、ちょうど撮影に集まっていた斉籐氏やモデル、カメラマン、デザイナーらが「協力する」と申し出てくれた。
 エクササイズは座るだけのスペースがあればできる内容で、足指をグー、パーとするストレッチから、脚、腰、肩と次第に全身を動かしていく。「順番通りにやることがポイントです」
 被災地での使用に関しては著作権フリーとし、写真入りの詳しい説明はマガジンハウスのホームページ からダウンロードできる。既にツイッターなどでも紹介が進んでいる。「現地に行く人たちに、支援物資と一緒に持っていってもらいたい」と、木村さんは広がりに期待している。(共同通信 楡金小巻、飯田裕美子)



http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110426ddm001040043000c.html
東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人--福島・双葉病院
毎日新聞 2011年4月26日 東京朝刊

 ◇4キロ先の原発、水素爆発 職員に警官「逃げるしか」


 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

 ■バス6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ■3日間絶食


 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

 ■冷え切る体


 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。

 ■みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ■対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。

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 ■双葉病院の避難の経緯■
 <3月11日>
午後2時46分    東日本大震災発生
午後9時23分    原発3キロ圏に避難指示

 <3月12日>
午前5時44分    原発10キロ圏に避難指示
午後2時ごろ     双葉病院の患者ら209人と職員が避難。
           院内に約220人が残る
午後3時36分    1号機で水素爆発
午後6時25分    避難指示が20キロ圏に拡大

 <3月14日>
早朝         自衛隊が双葉病院到着。患者ら約130人を救助。
           院内に約90人が残る
午前11時1分    3号機で水素爆発

 <3月15日>
午前1時ごろ     院長らが避難。
           患者ら約90人は院内に
午前6時       2号機で爆発音。4号機で水素爆発
午前10時~正午ごろ 自衛隊が双葉病院から患者ら約90人を救助

 <4月6日>    県警が病院から患者4人の遺体を収容



http://www.saitama-np.co.jp/news04/26/10.html
「継続的な支援必要」 気仙沼派遣の県立病院看護師
2011年4月26日(火) 埼玉新聞

宮城県の気仙沼市立病院に派遣された県立小児医療センターの立花亜紀子さん=さいたま市岩槻区の小児医療センター

 東日本大震災の被災地で医療支援をするため、県立病院の看護師らが宮城県の気仙沼市立病院に派遣された。現地で救急患者の対応に当たった県立小児医療センター(さいたま市岩槻区)の立花亜紀子さん(42)は「現地の医療スタッフらは不眠不休で対応に当たっている。被災地は衛生面が悪く、それが患者の体調にも影響しているのでは」と振り返った。

 立花さんによると、気仙沼市立病院は市内の高台に位置する。地震や津波による被害はさほどなかったが、被災した職員も多く、十分な診療態勢がとれていない。周辺の医療機関が被災した影響もあり、同病院には救急患者が次々と搬送され、入院患者をほかの病院に転院させるなどの対応に追われていた。

 そんな状況の中、県内から派遣された看護師らが、震災発生から11日経過した3月22日に現地入り。立花さんは約1週間、救急搬送されてくる外来患者の対応に当たった。

 「患者さんの中には、話をしたがっている人も多い。できるだけ話をしてあげてください」。現地の医療スタッフから説明を受け、そうしようと心掛けた立花さん。だが、救急患者はひっきりなしに搬送されてくる。「じっくり話をする余裕はなかった」ほどだった。

 気仙沼市内は地震発生直後に起きた大規模火災の影響で、灰やほこりまみれ。白い靴が真っ黒になるほどで、津波の影響から魚も散乱し、腐臭が漂う。避難所では十分な生活用品がそろわず、「何日も同じ靴を履き、着替えもできない。断水で手も洗えず、決して衛生状態がいいとは言えない」状況。立花さんらは後続の派遣チームに連絡し、下着や靴などの物資を送ってもらうようにもした。

 避難所に避難した人たちは集団生活のため、一人が体調を崩すと、免疫力が弱い子どもや高齢者はすぐ感染してしまう。十分な薬が確保できず、持病を悪化させる人もいた。脱水や便秘、肺炎を訴える人も相次いだ。

 患者を支える病院側のスタッフも、困難を抱えながらの支援が続く。3分の2近くのスタッフは家族や親族を亡くしたり、自宅が倒壊するなどした。「避難所にいると、現実に戻ってしまう。それを忘れるためにも仕事に打ち込まないと」と、病院で寝泊まりを繰り返す女性スタッフも。被災地では、誰もがさまざまな不安を抱えながら、日々を過ごしていた。

 今回の派遣を通し「もっとできることをしたい」と実感した立花さん。被災者には「頑張ろうと言っている人が多いけど、自分を追い詰めてしまう。頑張りすぎずに頑張ってもらいたい」と励ます。今後については「継続した支援がないと、復興は進まない。いろいろな角度から支援していく必要がある」と話していた。

 県立病院の看護師派遣は3月22日から4月11日まで続けられ、延べ40人の看護師と事務10人が現地で救急外来の患者対応などに当たった。4月12日から5月6日までは、福島県田村市と三春町に精神科医など「心のケアチーム」を派遣。現地で被災者の心のケアに当たっている。



http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1104/26/news095.html
ボランティア情報がない?
ネットを活用した被災地支援に取り組む藤代裕之さんが、「現場」の状況や課題を報告する連載の9回目。都内の窓口では一般ボランティアの募集情報を見つけにくい情報が続いていた。そこには、ボランティアを取り巻く構造的な課題があった

2011年04月26日 20時59分 更新 IT media

大震災の情報源としてインターネットが活用されているが、被災地からネットで発信される情報はあまりに少ない。震災被害はこれまでの経験と想像すら超えており、ネットにおける被災地支援、情報発信も従来のノウハウが通用しにくい状況だ。

ブログ「ガ島通信」などで知られる藤代裕之さんは現在、内閣官房震災ボランティア連携室と連携している民間プロジェクト「助けあいジャパン」に関わっている。ネットを使った被災地支援の「現場」では何が起き、何に直面しているのか。ネットという手段を持つるわたしたちには何が求められているのだろうか。震災とネット、情報を考える、マスメディアには掲載されにくい「現場」からの現在進行形のルポとして、藤代さんに随時報告していただきます。(編集部)

▼その1:「情報の真空状態」が続いている
▼その2:できる範囲でやる──ボランティア情報サイトの立ち上げ
▼その3:「ありがとうと言われたいだけのボランティアは 必要としていない」
▼その4:ターニングポイントになった夜
▼その5:チームを作る 誰がDBを作るか、プロデューサーは誰か
▼その6:有用性と実装スピードの両立 「とにかくこれでやらせてくれ」
▼その7:データベースは5カラムで設計 学生チームが入力を始める
▼その8:Yahoo!チームが訪ねてきた データベース情報の利用が始まる

 ボランティア情報ステーション(VIS)の役割は、各団体のブログに点在するボランティア情報を集約し、ポータルサイトなどにデータ提供して多くの人に利用してもらうことだ。ネットで収集した情報に加えて、紙情報も収集しようと都内のボランティアセンターや社会福祉協議会を調査した。そこで「紹介できるボランティアはない」という事態に遭遇する。
ボランティア情報がない

 ボランティア活動の中心である区民館やコミュニティセンターなど地域の公共施設に行くとチラシが置いてあるが、Web化されている情報はわずかだ。ボランティア情報は紙で、ネットではその一部しか公開されていないのではないかと予想していた。

 VISの活動が軌道に乗ってきたこともあり、都内の公共施設で紙情報がどのくらいあるか調査を行った。これは、VISが一般のボランティア希望者へ情報を提供していることもあり、どのような情報環境に置かれているのか調べておく意味もあった。

 全てを見たわけではないが、スタッフからの報告は「ボランティアはないとのこと」「登録だけは行っています」という状況だった。該当エリアに本部を置くNPOやNGOからの情報もない、東京ボランティア・市民活動センターに問い合わせるように伝えるだけ、という窓口もあり、ボランティア情報の提供窓口としては機能していなかった。

 一方で、説明会や登録会を実施すると満員になるほどで関心は高いとの情報も入ってきた。神奈川では、ボランティア登録には700人以上の参加があり、埼玉県では1次避難所の支援のボランティア受付に早朝から人が並び、時間前に登録が終了していた。

 「何か貢献したい」というボランティア機運の盛り上がりに対して、活動の場を紹介できない状況になっていた。VISにもボランティアを募集すると人が殺到し、掲載をやめてほしいという依頼が届くようになっていた。ボランティアが活動できるところが少なく、ボランティアを募集すると問い合わせが多すぎて対応ができなくなり、情報を出すのをやめるというマイナスのスパイラルが起きそうになっていた。

ボランティア受け入れすら難しい被災規模

 なぜ一般のボランティア情報が少ないのか。

 これまでボランティア団体や社会福祉協議会(社協)、ボランティアセンターなどと縁遠かったために当初は分からなかったが、VISの活動を通じて次第に理由があることが分かってきた。それはボランティアを取り巻く構造的な課題でもあった。

 まず、被害が甚大でこれまで対応してきた範囲や規模を大幅に超えていたことによる機能不全があった。

 ボランティア活動は、ボランティア団体だけで行っているわけではなく、自治体や社協の職員が不可欠だが、今回は職員や庁舎・事務所が被災していた。その上に、物資や人の受け入れや情報把握といった作業によって「現場化」し、コーディネーションの機能が失われてしまっていた。スタッフが訪ねたある都内社協では、一度目は「ボランティアはない」といわれ、二度目は「被災者受け入れで忙しい」と対応してもらえなかった。

 活動するための条件が厳しいということもある。

 被災地では津波被害で、街自体が壊滅状態の地域もある上、車が利用不能になり、ガソリンも不足気味で、一般ボランティアが現地に入っても移動手段の制約や宿泊場所、食事確保が難しい状態が長く続いていた。阪神淡路大震災では西宮市まで鉄道があって大阪からアクセスできたし、新潟県中越地震でも新潟市が機能していたが、東日本大震災では被災地が青森県から福島県、千葉県、茨城県にも広がっており、面として広範囲の上、鉄道・空港・道路が寸断され、拠点となりえた仙台ですらアクセスが厳しかった。

 そんな中で、医師や保健師などの専門的スキルを持ったボランティアか、自己完結型と呼ばれる、宿泊場所や移動手段を自分で確保できるボランティアでなければ活動できないといった情報が広がっていった。後者は、普段は海外援助などを行っているNPO・NGOが担っていた。社協やボランティア団体の中には一般ボランティアなど必要ないとあからさまな受け入れ拒否を行うところまで出ていた。

 また、インターネットでの情報発信やデータベースの登録によるポータルサイトへの情報提供の必要性もあまり理解されなかった。震災によってボランティア熱が高まっているが、普段はボランティアに参加する人はそう多くない。社会福祉協議会は、地域内の団体とのやりとりで、その団体は支援者らとの情報のやり取りをしていれば十分だった。

現地から「ボランティア足りない」との情報が

 一般ボランティアは必要とされていないのではないか……落ち込むスタッフを力づけたのは現地から入手した情報だった。

 宮城県石巻市の地域紙・石巻日々新聞の4月5日付1面は「災害ボランティアセンター 人手まだまだ足りず」の見出しでボランティアが不足していると報じていた。

 石巻はボランティア受け入れが大規模に行われている地域として知られている。石巻専修大学と隣接する陸上競技場にボランティア拠点が設けられ、市内各地でのボランティア活動に出かけていく。鉄道は不通になっていたが、高速があり、仙台市までの路線バスも出ていた。記事によれば4月4日までに 1500人以上が全国から訪れて活動したという。それでも足りないと記されていた。

 一般ボランティアをバスに乗せ、被災地で片付けや泥除去を行うボランティアバスが各地の社協や団体によってボランティアバスが活発になるのは4月中旬以降になっていた。



https://www.cabrain.net/news/article.do;jsessionid=4CDC116BE30796910C8A279C60D13344?newsId=33886
原発事故への対応で米国医師らが講演
( 2011年04月26日 21:49 キャリアブレイン )

 福島第1原子力発電所の事故による健康や心理への影響などをテーマにした緊急国際シンポジウムが4月26日、徳洲会病院グループでつくるNPO法人「TMAT」主催で開催された。シンポジウムでは、米国の医師ら3人が放射線の医学的作用や安全対策などについて講演。認証保健物理博士であるアンディ・カラム氏は、被ばくした患者を治療した医療従事者が被害を受けた例はないと強調し、患者の健康状態に応じて適切な対応を取るよう、会場に集まった医療従事者らに呼び掛けた。

 カラム氏は、安全対策の一つに「汚染のコントロール」を挙げ、▽被ばく患者の汚染を除去する▽被ばく患者からの汚染の広がりを防ぐ―ことなどを紹介。重度に汚染された患者でも、医療従事者に与える危険はほぼ皆無だと強調した上で、必要な場合には汚染除去を待たずに救急救命処置を実施するなど、患者の健康状態を考慮して対応すべきとした。ただ、可能な限り汚染の機会を少なくするため、被ばく者に接する場合は、感染症への対応と同様に、標準的な予防措置を用いる必要性も指摘した。

 ニューヨーク市保健局緊急対策室顧問のキャスリン・ウラネック医師は、放射線の健康への影響には、数日から数か月以内に見られる「確定的影響」と、年単位の時間がかかる「確率的影響」があると説明。確定的影響は、急性放射線症や皮膚障害などだが、ウラネック氏は、今回の原発事故で一般市民にこれらの影響が出ることはまずないとの認識を示した。一方、発がんなどが想定される確率的影響については、線量が低いため、発がん率が有意に上昇するとの推測は困難とする一方、経年変化を注視すべきとした。

 最後に講演したアラバマ大准教授のスティーブン・ベッカー博士は、放射線被ばくの問題では国民の関心が健康への不安に集中することから、医療従事者に情報を求めるケースが多いと説明。災害時に効果的なコミュニケーションを図るには、行政機関だけでなく、医療従事者が重要な役割を果たすと強調した。具体的には、▽放射線被ばくスクリーニング後も情報提供ができるように連絡先を伝える▽医療機関では患者だけでなく、スタッフとその家族にも情報提供する-などを例示。このほか、妊婦や小さな子どもを持つ母親などに医学・科学的な情報を基に助言したり、個別のニーズに対応したりする必要性も指摘した。



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110426/ibr11042620040008-n1.htm
医療再生基金の弾力的運用を 茨城知事が厚労相に要望書 
2011.4.26 20:04 産經新聞

 茨城県の橋本昌知事は26日、厚生労働省を訪れ、医師確保対策のために創設された「地域医療再生基金」の臨時特例交付金について、災害復旧対策に使用できることなどを求める要望書を細川律夫厚労相に提出した。細川厚労相は「できるだけのことはしたい」と答えた。

 要望書で橋本知事は「茨城県内の医療施設の被害総額は200億円を超えると想定される。阪神大震災以上の手厚い財政支援措置が不可欠」とし、「被災県として特例のご配慮を」と訴えている。



http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2066367_2066369_2066313,00.html
The 2011 TIME 100

Meet the most influential people in the world. They are artists and activists, reformers and researchers, heads of state and captains of industry. Their ideas spark dialogue and dissent and sometimes even revolution. Welcome to this year's TIME 100

Takeshi Kanno
Doctor

By Krista Mahr Thursday, Apr. 21, 2011

Takeshi Kanno always knew he would save lives in his line of work ― but never as many at one time as he did on March 11. The 31-year-old doctor was on duty at the Shizugawa public hospital in the Japanese town of Minami Sanriku when he heard the tsunami alert. He immediately began moving patients to the highest floor, helping dozens of people in the short window between the 9.0-magnitude quake and the deadly wave. When the wall of water arrived, Kanno watched it swallow the street in three minutes, taking the patients he couldn't move with it. "We went downstairs, and everyone was gone," he says.

Over the next two days, Kanno refused to leave those he'd helped survive. When evacuation helicopters arrived, he waited until the last of his patients had gone before he too left. Three days after the quake, he at last made it back to his wife, just hours before the birth of their second child, a boy they named Rei. The name evokes two meanings: in English, a beam of light; in Chinese and Japanese, the wisdom to overcome hardship.

  1. 2011/04/27(水) 05:19:37|
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