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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月4日 震災25日目

http://www.iwanichi.co.jp/ken/item_23352.html
岩手日々新聞(04/04)
口腔ケア本格始動 歯科医師ら避難所巡回 

 被災地で行われる歯科治療や口腔(こうくう)ケアの活動が、1日から機材を備えた診療車を導入して本格的に始まった。県歯科医師会と県歯科衛生士会、県歯科技工士会、岩手医科大歯科医療センターが連携し、複数の対策チームを編成。地震による津波で歯科医療施設が全滅した地域を重点訪問している。

 活動は、大船渡、陸前高田、釜石、宮古、大槌、山田の各市町で実施。千葉、愛知両県歯科医師会など他県の応援も得て、診療車を活用した歯科治療や、避難所の巡回による口腔衛生指導などに取り組んでいる。

 県歯科医師会では、ケア不足や入れ歯の紛失・不具合による口腔衛生の悪化を懸念。進行すれば肺炎を誘発し「震災関連死」につながることも。だが、誰もが我慢を強いられる避難所生活では、歯の悩みを言い出せずにいる人も多いという。

 同会の西郷慶悦常務理事は「限られた時間の中では難しいこともあるが、地域の歯科医師が診療を再開できるまで何とか支援したい」と話していた。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134800/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
2、3カ月で中小病院の疲弊ピークの見方◆Vol.3
自治医大卒業生ら「6カ月プロジェクト」始動

2011年4月4日 星良孝(m3.com編集部)
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 釜石病院に詰めた宮道亮輔氏(愛知県の新城市民病院、第25期)は、「患者に密着した地域の病院で、外来の中では、医学的適応と被災者の要望を照らし合わせ、家庭医療学で言う、「患者中心の医療の方法(Patient-centered clinical method)」を実践した。同じ主訴で来院された方も、医学的情報や患者の訴えから対応は臨機応変に行っていた」と振り返る。

耐震工事直前の被災

 東磐、登米、釜石と3拠点それぞれで異なる医療ニーズがあり、プロジェクトメンバーは事務局を介して情報共有しながら、派遣場所や業務を決定している。前回は、避難所に回った東磐と登米の医師の声を伝えたが、岩手県釜石地域の宮道氏と浜田俊之氏(4月より横浜市の上白根病院内科、第8期)は、病院を中心とした診療体制を敷いた。

 釜石病院では、転院搬送や避難所巡回といった震災に伴う業務が増えているために人手不足が顕在化、2人の支援医師が病院に詰める意味があると判断できたからだ。

 釜石病院の場合は、もともと4月に耐震工事を予定していたくらい、耐震基準を満たしていない問題があった。246床の旧病棟と26床の新病棟のうち、246床の旧病棟は「余震が続く中で、使えない」と判断されたことは医療に及ぼす影響は大きい。被災者の入院対応は、新病棟で行うが、1室当たり2人ずつを入院しても52床分で、重症患者は内陸の病院などに送らねばならない。そのための振り分け作業が新たに生じており、支援医師の手助けが必須になっていた。さらに、病院の業務として、巡回診療も加わり、病院から避難所10カ所ほどを回る必要もあり、ここでも支援医師の助けが求められていた。

自立型医療とは?
 医師の主体性が問われる。いわばプロジェクトの趣意書(関連記事「自治医大卒業生ら『6カ月プロジェクト』始動◆Vol.1」)で掲げたこの「自立型医療」は、東日本大震災の医療支援においてキーワードになっている面があるかもしれない。現地の情報では、ボランティアとして入った医療従事者が自立的に行動しない場合に、かえって迷惑を掛けているケースがあるとも指摘されている(関連記事「『診療中に涙がこぼれた』、甚大損害の被災地において」)。「やるべき仕事が見付からない」と、なすすべなく帰路に付く医療従事者もいるという。医療従事者自らが、被災地の人々の指示を待つことなく、どんな医療が必要とされているかを汲み取っていくが重要だ。

 静岡県立総合病院総合診療科の牧信行氏は、「震災直後の外傷患者などが中心で必要物資が極端に不足していた時期から、ある程度物資が充足する時期に移行しており、すべての被災者に目を向け、かつ次第に医療の質を上げることを考える時期に移行しつつあり、急激に変化する現場の状況に柔軟に対応する必要があった」と振り返る。

 現場では役割分担への理解も求められるようだ。羽田氏は、「災害時の医療支援と、過疎地域の医療支援とは境界はない。被災者支援医療をしようと意気揚々と現場に入り、後方支援病院の代診や当直をすることになってもモチベーションが低下するようなことがあってはならない」と釘を刺す。

閉院の診療所を復活
 6カ月という長期にわたる支援に乗り出しのも、被災地で必要とされる医療が何かを考えた上での必然の結果と言っていい。

 患者は1週間限りの単発の治療で終わるわけではない。慢性疾患の場合ならば、1週間から2週間で再び薬が切れる。その時に、どうフォローするか、継続的に担える医師が必要になる。石川氏は、「被災地では、『短期間の支援ならば、医療従事者のボランティアを受け付けない』との地域も出ている。継続的に医療提供が求められているから」と指摘する。

 今回のプロジェクトにおいて「単発ではない支援」を象徴するのは、南三陸町の地域で、羽田氏らが診療所の臨時開設も行ったことかもしれない。海岸から10kmほど離れた場所で、閉院したばかりの旧「津山診療所」を復活させたのだ。地域の医療復興も視野に入れる考え方がある。羽田氏は、「津山診療所が閉院したことは、地域医療の崩壊を象徴するもの。医療過疎の問題を持つ地域に、未曾有の災害が発生した。受診した患者が心配することは、いつまで診療所が継続されるかということ。我々は地元に戻れば元の生活が送れるわけだが、被災者はそうはいかない。長期に安定した医療を提供しなければならない。避難所から歩いて行けるところに診療所があるということは安心感につながる。ガソリンが無い状態で遠くの病院まで行かなくて済む。夜間の一時救急なども津山診療所で対応できるよう取り組んでいく必要はある」と話す。

ガソリン不足の解消は転機
 被災地の医療ニーズは刻々と変わってくる。これからは、避難所の外も含めた支援医師の配置が課題になりそうだ。目下、被災地への巡回が重要だが、今後は医療ニーズの軸は避難所から中規模病院に移る可能性が高いという。なぜならば、「ガソリン不足が解消されると、患者が一挙にアクセス可能な中小病院に殺到する。その時に、多くの中小病院の人手不足と疲弊がピークに達すると予測している。地域でどういった医療ニーズがあるかを継続的に把握し、どのような医師の配置、医療提供内容が必要かを見極めていく必要がある」(石川氏)からだ。

 被災地での医療から、中小病院での医療に移行するのは、ここ2週間から1カ月ほどで起こってくるとの見立て。今後、プロジェクトでは避難所だけを見ることなく、どこに医療支援が最も必要とされているかを見極めていくことになる。

 「地域全体」とプロジェクトで掲げるのは、被災地の復興の観点からは重要なことだ。医療機関が壊滅的な打撃を受けているだけに、医療提供体制の地理的な分布が不適切になっている。今後、被災者のアクセスに支障が生じないよう、適切な医療を適切な場所で提供することも必要は必ず出てくる。プロジェクトではまだ始まったばかりではあるが、医療環境の悪化している地域を特定し、必要な医療が不足している場所で優先的に支援を行うようにしている。

 「卒業生のほか、様々な義援金が利用できるようになれば、充実した医療を提供できるようにもなりそうだ」と事務局では説明する。また、交通に支障があったことから、当初はヘリコプターで派遣を行ったが、現地での移動手段が必要になることから、自動車6台を駆使しながらの支援に切り替えていく方針という。

 次回は、現地の診療、人繰り、外部との交渉などの積み重なる業務をどうこなすか、マネジャーとなる医師、支援する医師との関係の作り方について、現場からの声をお届けする。



http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110401/359006/
第21講:災害医療とリスクマネジメント
日経BP 2011/04/04

 東日本大震災は、さまざまな方面へリスクマネジメント、危機管理の課題を突きつけつつある。そのなかでも今回は、災害医療に注目してみよう。「想定外」の出来事が実に多くの教訓を提示している。生活支援、命に直結する災害医療そのものを、今後の地域社会設計に埋め込むことが求められている。

 リスクマネジメントは、事前と事後に大別することができる。事前のリスクマネジメントとは一大事が発生する前の準備のこと。具体的には、リスクの洗い出し、評価、優先順位づけ、リスクマネジメント目標設定、リスクマネジメントプログラムの策定などが含まれる。原発事故の初動では、これらすべてが大津波という「想定外」の事象でひっくり返ってしまった。

 事後、つまり危機発生後のリスクマネジメントが危機管理(クライシスマネジメント)である。危機対応組織の構築と迅速な運用、情報集約・管理、復旧・対応活動などが含まれる。ここでは、これら危機的事象に対する人間の行動が問われる。人と組織の行動が危機をうまく管理できないと、人災の側面が強くなる。

 福島第一原発事故は予断を許さない状況が続いている。今後、危機事象発生後の初動時における東京電力、政府の対応が明らかになるにつけ、人災の側面が浮き彫りとなるだろう。

 今回の地震、特に津波の規模と被害は「想定外」であり、想定外の事態には想定された対応方法が全く効かないということを再確認させられることになった。すでに電力インフラという社会共通資本に甚大な毀損を与えた東京電力福島原発事故の件では、事前の防止策、対応策の不備、不徹底、情報隠蔽体質、事実報告・共有システムなどを指弾する議論が巻き起こりつつある。

 ただし、ここで注意すべきは、この種の議論のほとんどは、いわゆる後知恵によるものということ。「あのとき、~すべきであった」「もし~であれば、事態は悪化しなかったはずだ」という「たられば」系の議論が大勢を占めることになる。この種の議論に虚しさと「距離」を感じるのは筆者だけではないだろう。

危機管理としての震災医療

 さて、ここで忘れてはいけないのは、電力インフラと同様に社会共通資本として重要な健康・医療サービスである。被災地の方々にとって健康・医療サービスは文字通り生死を分けることになる決定的に重要な役割を果たす。そこで今回は、リスクマネジメントと災害医療サービスの在り方に焦点を絞ることにする。

 地震、津波という自然災害と人災が加わった放射線漏れなどによって被災地の健康・医療サービスは、当初壊滅的な被害を被った。被災直後の状況と比べれば改善はしているものの、今後、本格的なコミュニティの再建のためには、健康・医療サービスの立て直しと再創造が問われている。

 阪神・淡路大震災(マグニチュード7.3、死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人)では、震災発生後5日目まで死者・行方不明者の発表数が増え、その後は増加しなかった。死者の80%にあたる約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになったことによる死亡だった。

 しかし、今回の東日本大震災では4月1日午前10時の時点で死者・行方不明者の発表数が合わせて2万8029人となり、横ばいになる気配は薄い。そして約1800カ所の避難所に約26万人もの人々が避難している。詳細は、状況が落ち着いてからの分析を待たねばいけないが、阪神・淡路大震災では倒壊・火災による都市環境のダメージが大きかったのに比べ、東日本大震災では巨大津波によるダメージが大きい。国内の自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてだ。

災害医療の現場もまたクライシス状態
 平常時の健康・医療サービスは下の図のように、健康基盤、プラットフォーム、医療組織、インタラクション、患者という階層によって成り立っている。地方の過疎地域では「医療崩壊」は平常時においても進行してきた。そして今回の震災のダメージによって、健康・医療サービスシステムは激烈な痛打を受けることになってしまったのだ。


図●災害医療サービスの階層構造
 ────────────────────── 
                        
          患  者          
 ─────┬──────────┬───── 
  人工物 │ヒューマン─サービス│ 知 識  
        インタラクション        
 ────────────────────── 
                        
        医 療 組 織         
 ────────────────────── 
                        
        プラットフォーム        
 ────┬──────────┬────── 
 インフラ│ソーシャルキャピタル│社会保障制度 
        健 康 基 盤         
 ────────────────────── 


 筆者が3月25日に入手した被災医療機関一覧表(株式会社ウエルネスと国際医療福祉大学の高橋泰教授が震災直後に作成)によると、被災地に位置する医療機関のうち、1400もの施設が被害甚大または壊滅状態となっている。

 まず、災害医療サービスの階層構造で最も下部に位置する電気、病院建物、道路、港湾、住宅、橋梁、鉄道路線、バス路線などのインフラが棄損した。それと同時に各種医療情報ネットワークなどのプラットフォームが痛手を受け、その上に乗っている医療機関(病院、診療所、保険所、在宅ケア、病棟、個々の医療チーム)が機能不全に陥った。

 医師、看護師、コメディカル(医師の指示に従って業務を行う医療従事者)、事務職員などの人的資源も被災者であり、近親者に死亡者、行方不明者がいるなかで激務が集中することになった。交代制勤務では対応できず、医療資源が圧倒的に不足する状況で不眠不休の対応をしている。

 災害時、医師・医療チームと患者の間では、健康増進、アセスメント、診断、計画、治療・介入、慢性期支援などが整然とは行われない。このインタラクションが崩壊状態になる。まず、医薬品、医療機器、診療材料などモノの病院在庫が底をつき、供給が著しく停滞、あるいはストップする。また、搬送される被災者や患者の病歴を記したカルテは入手不可能なことが圧倒的に多い。

 NHKの報道によると、宮城、岩手、福島の3県にあるベッド数100以上の255病院では、災害で十分な医療を受けられなかった影響で死亡した患者が、これまでに少なくとも宮城県で39人、岩手県で13人、福島県で4人の、合わせて56人に上る。これらの数字は氷山の一角と見るべきだろう。

災害医療の4つの危機管理フェーズ

 次に災害医療の危機管理上の特徴を見てみよう。一言で言うと、医療災害時の危機管理は時の経過に従って、リスク要因が大きく変化する。そのリスク要因の変化に沿って4つのフェーズに分かれる。以下それらのフェーズを概観しよう。

フェーズ1:生存被災者相互による救助
 このようなクライシスのなかで災害医療は、災害が発したその瞬間、その場所から始まる。そのときに力を発揮するのがソーシャルキャピタルだ。簡単にいえば、人々が共有している信頼関係、同胞意識、価値観、そして絆である。この家族、ご近所、職場などの絆が、初動で発揮されて救援・救助されたケースは枚挙にいとまがない。

フェーズ2:急性期
 通常、災害発生後 3日までが急性期とされる。72時間経過すると生存率が著しく低下するので、災害発生後3日間は黄金の72時間と呼ばれる(できれば48時間以内)。この期間は、救出・救助・救急医療に最重点が置かれ、プリベンタブル・デス(回避できる死)への対応が中心となる。まさに時間との戦いである。

 このフェーズでは自衛隊、消防などによる被災者救出が行われた。3月31日時点で、自衛隊は約10万6900人(陸:約7万人、海:約1万5100人、空:約2万1300人、原子力災害派遣部隊:約500人)の人員を派遣して約1万9300人を救助している。

 DMAT(災害派遣医療チーム)で被災地に駆けつけた多くの医師や医療チームが指摘するように、阪神・淡路大震災とは異なり、津波による被害が圧倒的に多く、そのため幸いにも生き残った患者に外傷性の患者は少なかった。大阪府監察医である河野明久医師の調査によれば、死因の8割は水死だった。

 東日本大震災の発生後、3月13日から16日にかけて宮城県塩釜市の坂総合病院(357床)で支援活動を行った、甲府共立病院外科科長の内藤恵一医師は、日経メディカル オンラインのインタビューでこう述べている。「現場ではあらゆる診療科の医師が必要ですが、今特に必要なのは、外科ではなくプライマリケア医です。精神科の医師も必要です。1年目の医師でも構いません。実際、坂総合病院では、1年目の医師がトリアージ(傷病者の重症度と緊急性を判定する作業)で活躍していました。現地で、『われわれはそばにいます』というメッセージを届けるのが重要なのです。1日でも2日でもいい。若い先生方に働いてほしいと思います」。悲痛な叫びだ。

フェーズ3:亜急性期
 概ね1~3週間の期間は亜急性期と呼ばれる。感染症の集団発生や被災者が抱える慢性疾患への対処が中心的な課題となる。この期間では「キュア(cure、治療)」から「ケア(care、看護)」へ重点が移行してくる。キュアは短期勝負で臓器別、疾患別のアプローチが中心だが、ケアはより長期的でホーリスティクなものだ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)への対応、メンタルケアなどが必要な時期へと移行してゆく。

 津波災害が深刻だった地域の病院では、糖尿病、心臓病、脳血管障害など慢性疾患の悪化や、在宅酸素療法を受けていて酸素が底をついた患者などが多いようだ。現地避難所で診療に当たっている医師らによれば、避難所で感冒が流行り始めたという。

フェーズ4:生活支援期
 震災から1カ月経過したら、被災者、患者の生活全般から生じる問題を包括的に看る慢性期となる。一言で言えばこのフェーズのポイントは生活支援だ。

 亜急性期に求められる染症防止や心のケアに加え、更生医療、リハビリテーション、生活の再設計など生活全般をケアすること=生活支援=生きることの手助けが求められるだろう。

 いわき市から糖尿病を罹患している透析患者約500人が20台ほどのバスに乗って東京都庁に移動したように、地域内で完結できない場合は他地域の医療機関と連携することがますます重要になってくる。また、このフェーズでは、被災地の生活で生老病死全般に対するケアが要請される。このように亜急性期とは異なるアプローチが必要となってくる。

 生活支援のための様々な医療・保健・福祉・介護関係者の団体やネットワークで様々な動きがある。ここでは、一般社団法人全国在宅歯科医療・口腔ケア連絡会の活動を紹介させていただく。

このNPOは全国の歯科医師、歯科衛生士、医師、看護師、理学療法士などがネットワークで連携して、被災地を支援している。被災地における避難所などの生活環境は劣悪で、水不足によって口腔の清潔を保てなくなり、義歯を紛失したりして、誤嚥(飲食物や唾液が気管内に入り込んでしまうこと)になることが多い。その結果、肺炎などを発症することが多い。飲食物を提供するという生活支援に加えて、食べること、話すこと、口腔を清潔にして機能を保つことなどのリハビリテーション、復権としての生活支援活動である。

リアルな災害経験から災害医療イノベーションは進化

 災害医療サービスに関する限り、イノベーションが創発される契機は、リアルな災害経験である。医師を中心とする医療チームが、災害の現場に立ち入って経験した医療問題を抽出し、ソリューションを形式知化して、次に備えて今までになかったアプローチをシステム化するというものだ。

 たとえば阪神・淡路大震災を契機として、(1)広域災害・救急医療情報ネットワークの構築、(2)災害拠点病院の指定、(3)広域患者搬送体制の構築、(4)災害医療教育研修やセミナーの開催、(5)トリアージタッグ(重症度と緊急性の識別票)の標準化、(6)緊急消防援助隊の設置、(6)災害医療への自衛隊の参加、などが生まれた。

 阪神・淡路大震災、新潟県中越地震など過去の教訓が生かされることもあれば、今回の東日本大震災の際立った特異性から新たな教訓も生まれている。

 危機に見舞われてからの危機管理(クライシスマネジメント)は、危機が訪れる前のリスクマネジメントに依存する。その意味で、「想定外」の出来事は実に多くの教訓を提示している。

 生活支援、命に直結する災害医療そのものを、今後の地域社会設計に埋め込むことが求められている。


松下 博宣(まつした ひろのぶ)
東京農工大学工学府産業技術専攻教授。技術経営、医療サービス・マネジメント、人的資源開発を専門とし、研究、コンサルティング、執筆活動を行う。東京工業大学非常勤講師、日本工業大学大学院客員教授。さらに日米欧中にわたる情報ルートを駆使してインテリジェンスに関するコンサルティングを提供。早稲田大学商学部卒業、コーネル大学大学院修了。ヘイグループの経営コンサルタントを経て、ケアブレインズ(現・オープンソースCRM)を起業し代表取締役に就任。その後同社を上場企業に売却、現職に。内閣府経済社会総合研究所社会イノベーション研究ワーキンググループ委員(2008~2009)。ブログ『マネジメント徒然草』を更新中。日々のアクションはTwitterに詳しい。.



http://mainichi.jp/area/shiga/news/20110404ddlk25040256000c.html
東日本大震災:多くの被災者にストレス 陸自大津駐屯地の即応予備自衛官帰隊 /滋賀
 ◇医師の小南さん「精神科医らの継続支援を


 「不眠や将来への不安など、多くの被災者が大きなストレスを抱え、薬も病床も足りない」。初めて招集されて東日本大震災の被災地に派遣されていた即応予備自衛官約170人が3日、大津市際川1の陸上自衛隊大津駐屯地に帰隊し、衛生隊員として参加した高知市の精神科医、小南博資さん(44)が現地での活動を振り返った。【加藤明子】

 帰隊したのは即応予備自衛官を含む中部方面混成団第47普通科連隊(連隊長、谷川拓美1等陸佐)の約290人。先月27日に宮城県入りし、石巻市と女川町で6日間、入浴支援や物資配布状況の聞き取りなどに従事した。

 小南さんは95年に退官後、高知医大を卒業し医師に。現地では地元保健師らと避難所や被災者宅を巡回診療したり仮設病院などで診療に当たった。家族が目の前で津波にさらわれ、自分だけ助かった被災者は食事も取れない状況だった。避難所で、精神疾患や認知症が悪化した患者が周囲の不安を増幅させたケースもあったという。

 「元々、医療過疎の地域が破たんの危機に追い込まれた」。病院は満床で患者受け入れ先を探すのも一苦労。小南医師は「もっと多くの精神科医、臨床心理士、カウンセラーの継続支援が必要だ」と訴える。救援にあたる自衛官約50人も診療した。がれき撤去中に太いくぎが刺さったり、遺体収容作業で心のケアが必要になった自衛官もいたという。

毎日新聞 2011年4月4日 地方版



http://mainichi.jp/photo/archive/news/2011/04/04/20110404k0000e040030000c.html
東日本大震災:眠れない避難者 睡眠導入剤の処方も

 「避難所に来てから眠れなくなった」。東日本大震災の被災者が集まる避難所で、不眠を訴える人が後を絶たない。避難生活のストレスや余震の心配などが原因とみられる。放置すると体調を崩したり、持病を悪化させる恐れがあり、医師らは睡眠導入剤などを処方している。避難者は「仮設住宅を早く建設するなど根本的な解決を目指して」と訴える。

 約300人が身を寄せる岩手県大槌町の城山公園体育館。震災後まもなく沖縄県医師会の支援で本格的な診療が始まり、3月23日以降は地元の薬局が薬の処方を始めた。体育館に開設された診療室によると、毎日10人以上に睡眠導入剤を処方しているという。

 「ここに来てからずっと眠れないんです」。震災から3週間がたった1日、避難生活をする小向センさん(71)が医師に打ち明けた。「震災当日に避難して以来、午前1時ごろに寝て3時ごろ目が覚める。行方不明になったり、亡くなった知人が元気なころの夢を見るんです」と訴える。

 別の女性(66)は「他人のせきや、トイレに立つスリッパの音が気になって眠れない」という。避難生活で体調を崩したという男性(69)は毎晩せき込んでなかなか寝つけない。「今後の生活や家のことを考えると、心配事がいくつも出てきて眠れない。せめて家族だけで過ごせる仮設住宅を早くつくってもらえたら、少しは安心できるかもしれない」

 大槌町によると、診療室では毎日平均70~80人が受診している。当初は津波にぬれ低体温症になったり、がれきで外傷を負った患者への手当てに追われた。その後、津波で高血圧や糖尿病の薬を失った患者の相談対応、風邪などの治療が増えた。しかし、不眠を訴える声は震災直後から後を絶たないという。

 沖縄県医師会の比屋根勉医師(62)は「今の生活では睡眠導入剤を服用してもらい、体を休めてもらうしかない」と話す。自身も津波で被災し、別の避難所で診療を続ける植田医院(大槌町)の植田俊郎医師(56)は「不眠が続けば体力を失って風邪を引きやすくなったり、もともと高血圧や糖尿病だった人は悪化する可能性もある。睡眠障害は病気なので、遠慮せずに相談してほしい」と呼びかけている。【福島祥】

毎日新聞 2011年4月4日 10時54分(最終更新 4月4日 12時15分)



http://www.asahi.com/edu/news/TKY201104040132.html
被災した子 ケア急いで 避難所訪問した専門家3人に聞く
2011年4月4日12時20分

 東日本大震災で被害にあった子どもたちをどう支えればいいのか。被災地を訪れた3人が語るのは、子どもの心のケアや学校の情報発信、行政と民間の連携の大切さだ。

◆学校情報 届けて 教育学者 小松郁夫氏

 東日本大震災で被害にあった子どもたちをどう支えればいいのか。被災地を訪れた3人が語るのは、子どもの心のケアや学校の情報発信、行政と民間の連携の大切さだ。

 福島県南相馬市、いわき市などから遠く新潟市、新潟県長岡市の避難所に来た人々の聞き取り調査に、3月20~21日、参加した。

 仕事や住宅と並び、子どもの教育への不安を口にする人が多かった。学校の情報が届いていないことが一因だ。地域ごとに避難していないので、学校や同級生がいまどうなっているのか、学校がいつ再開されるのかがわからない。

 大人の人間関係は地域単位だが、子どもは学校や学級単位。学校情報は欠かせない。自らも被災した学校や教員、教育委員会にとっては大変な作業だが、なるべく早く児童生徒の居場所リストを作り、学校と子ども、子ども同士の連絡がつくようにしてほしい。

 心のケアも急がねばならない。避難所では表情のない子が目立った。親のつらさを気遣い、震災の話を封印している。親や友達を失った子、避難先の学校に当座通う子、新しい土地に移り住む子と、状況はさまざまだ。きめ細かく対応するために、被災地だけでなく全国各地の受け入れ先で数年単位で教員を増やすべきだ。

 中長期的な課題も多い。

 学校の建物を再建するだけでなく、保護者や地域の思いをくんだ学校づくりを進めたい。

 かつての街を復元するか、新しい街づくりに踏み出すのか。その議論には中高生も加えてほしい。これからの街づくりを担う世代だからだ。授業内容も柔軟に見直し、どんな社会をつくるのかを自分の頭で考えられる人間を育てることに力を入れてほしい。

 ◆調査結果はNPO災害・医療・町づくりのホームページ(http://triage.web.fc2.com/index2.htm)で読める。

こまつ・いくお 玉川大学教職大学院教授。専攻は学校経営学。東京都足立区の教育委員も。学校評価、英国の教育政策に詳しい。63歳。拡大こまつ・いくお 玉川大学教職大学院教授。専攻は学校経営学。東京都足立区の教育委員も。学校評価、英国の教育政策に詳しい。63歳。

◆官民 つながろう 教育行政担当 上月(こうづき)正博氏


 文部科学省は、学校再開に向けての情報や支援策を、生涯学習政策局の政策課でまとめている。課長として状況をつかみたいと、3月21日、福島市の高校や県庁、避難所を回った。

 実感したのは、今回の被害が前例のないレベルであることだ。地震、津波、原発事故の三つが重なっただけではない。原発の被害は次々広がり、避難者の流れが止まらない。福島県教委は県庁自体が被災したため小学校の教室に間借りし、教育長を筆頭に子ども用の小さないすで仕事をしている。復興策の前提となる各地の子どもの数をつかむことさえ難航している。

 教員の加配や校舎の復旧、子どもの心のケア、学費や学用品の援助など、課題は山積みだ。しかも被災地、学校、子どもによって全く違う。自治体のニーズを受けとめ、従来の制度にとらわれずに柔軟に考えていく必要があると感じた。

 カギはNPOやボランティア、企業など民との連携だ。「ボランティア元年」といわれた阪神大震災の時は、行政の手が回らないところを民がカバーする構図だったが、今回はパートナーとして復興を進めようとしている。

 例えば、学習支援や学用品の配布を大学生に頼み、子どもの話し相手になってもらうことが考えられる。民間の力を生かすために国がサイトを設け、被災地の人に、求めるサービスを書き込んでもらい、支援者と出会えるようにする仕組みも始めた。

 避難所では、中学生や高校生が率先して物を配る手伝いをする姿を見た。悲惨な被害がもたらされたにもかかわらず、人々のつながりは強まっている。これを新しい教育をつくりだす起点にしなければならない。

こうづき・まさひろ 文部科学省生涯学習政策局政策課長。三重県教育委員会教育次長、文科省特別支援教育課長などを経て現職。誰でも参加できる教育政策の議論サイト「熟議カケアイ」の事務局も担当。51歳。拡大こうづき・まさひろ 文部科学省生涯学習政策局政策課長。三重県教育委員会教育次長、文科省特別支援教育課長などを経て現職。誰でも参加できる教育政策の議論サイト「熟議カケアイ」の事務局も担当。51歳。

◆「仲間と一緒」大切 NGO医師 ウニ・クリシュナン氏


 3月19日から3日間、宮城県多賀城市に入った。学校が再開された際、被災した子どもたちにどのように接したらいいかを小中学校の先生に助言した。

 子どもたちは複雑なショックを受けていた。予想を超える大津波の恐怖。余震による津波の心配。さらに放射能への不安が大きい。先々どんな影響が身に及ぶかわからない怖さがあり、どうしていいかわからず困惑しているようだった。

 被災した子どものケアでは、医者より普段から接している先生やボランティアの役割が重要だ。まずは子どもとじっくり話をし、自分は何ができるのかを考えさせることを勧めたい。次に、歌でも何でもいい、仲間と一緒に何かに取り組ませることだ。そうすることで何か起きてもだれかが助けてくれるという安心感を持たせられる。そして、子どもたちが主体的に復興に取り組めるように誘導すること。仲間と力を合わせて祭りを開くといった経験を通じ、地震で失いかけた自尊心を取り戻せるはずだ。

 学校再開後も被災した子どもを定期的に観察することが必要だ。特別な治療が必要な子が見つかったときに医師の助言を仰げる態勢を行政は整えておきたい。(編集委員・氏岡真弓、増谷文生)

ウニ・クリシュナン 国際NGO「プラン」(本部・英国)に所属する医師。専門は心理ケア。インド洋津波などの被災地で子どものケアに当たった。インド国籍。44歳。拡大ウニ・クリシュナン 国際NGO「プラン」(本部・英国)に所属する医師。専門は心理ケア。インド洋津波などの被災地で子どものケアに当たった。インド国籍。44歳。



http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0404&f=national_0404_160.shtml
被災地に小児の心ケアできるスタッフ必要
サーチナ【社会ニュース】 2011/04/04(月) 17:48  

  医師のコミュニティサイトを運営するメドピアが東日本大震災の被災地現地リポートを実施中で、3月24日午後3時現在で寄せられた371人からのリポートの主なものを発表した。被災地医療班に小児に対しての治療やこころのケアができるスタッフが同行する方が良い事や乳児・内分泌外科医師からは「薬品や医療機材が限定される中での診療は不自由さと恐怖感さえ覚える」。消化器外科医師は「福島県民が地震と津波、原発事故、風評被害の4重苦にあっている」とこころない風評に惑わされないよう被災者への理解を求めるなど、今後の対策に対する貴重な意見が多く寄せられている。

  メドピアに寄せられた被災地リポートによると「救急・整形外科・外科医など小児を診ることのない医者が多くかりだされたが、親を亡くして立ち尽くす子どもにどのように接したら良いのか分からない。PTSDに関してアドバイスができない。発達が正常かどうか判別できないなど、小児への対処が分からないことが多かったようだ。小児に対する心のケア、治療のできるスタッフを同行させた方が良い」(小児科医師)という意見。

  「大惨事の被災地では命にかかわる医療が必要だが、いざという時の(特にカルテや機器の)マニュアルを簡略化しておくことが必要だと感じた」(一般内科医師ら)など、DMATとして被災地で治療に当たった医者らの体験に基づく貴重な意見が寄せられていた。

  気仙沼市で4日間活動した脳神経外科医師は「巡回診療を中心に活動した。慢性疾患の通常薬がないという訴えやトイレや水分の問題から便秘症状の人が多く見られた。コンタクトや軟膏などの需要も高かった。一番の問題は情報統制の問題で、電話が通じず、ガソリンもなく、どこで医療を受けられるのか分からないなどが一番多く聞かれた」と被災者への情報提供手段の確保や常備薬や医療用医薬品の確保などの重要性を提起している。

  また「災害においては医療従事者の派遣はもちろん重要だが、それだけではいかんともしがたく、インフラの復興などの方が重要であり、無力感を感じた」という意見も寄せられていた。

  このほか、外科医師は「テレビで見た惨劇のまま」とリポートするともに、なかなか伝わりにくいものとして「厳しい寒さ、今後に対する悲観など」をあげ、ケアすべきことの多さや長期的な支援の必要をうかがわせている。(編集担当:福角忠夫)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20110403-OYT8T00745.htm
「さらに医療支援必要」

 東日本大震災の被災地、宮城県石巻市と女川町で、3月27日から6日間、被災者の食事や入浴支援、医療活動などを行ってきた中部方面混成団第47普通科連隊(広島県海田町)の即応予備自衛官ら計約290人が3日、陸上自衛隊大津駐屯地(大津市際川)に戻った=写真=。自衛官らは取材に応じ、「さらに多くの医療支援が必要」などと話した。

 即応予備自衛官は、退職後も毎年30日の訓練を積んでいる人たちで、今回は51~23歳の男女約170人が参加。現役自衛官約120人とともに、3月25日に大津駐屯地を出発した。

 駐屯地に戻った後、災害派遣の編成を解く解組式があり、第47普通科連隊の谷川拓美隊長は「隊員それぞれが、自分の技能を生かして、献身的に活動してくれた」と働きをたたえた。

 即応予備自衛官の一人で高知市の精神科医、小南博資さん(44)は、けが人や病人計約100人の治療、メンタルケアにあたった。「道路が悪く、移動に時間がかかったので、診療が思うように進まなかったが、できる限りのことはやった。さらに多くの臨床医の協力が必要だと感じた」と話した。

 岡山県内から参加した女性の即応予備自衛官(39)は「支援や復旧作業の地域差による心のトラブルも出始めている」と指摘した。
(2011年4月4日 読売新聞)



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110404/akt11040402190000-n1.htm
医療派遣を当面継続 秋田県医師会、6月ごろまで想定
2011.4.4 02:18 産經新聞

 県医師会は東日本大震災の被災地支援として、災害医療救護チームの派遣を当面6月ごろまで続け、入院患者の県内移送も積極的に受け入れると発表した。

 チームは医師、看護師、事務員の3、4人が1組となり、最長4日間活動。これまでに岩手県釜石市を中心に延べ130人を派遣している。慢性疾患を抱えてヘリなどで県内に移送された患者は2日までに21人に上る。

 今後、遠方からの医療支援が少なくなることが予想されるため、隣接県として増員や常駐も視野に入れて支援する方向だという。

 チームのコーディネートを担当する鈴木明文常任理事は被災地の状況について「医薬品はおおむね足りているが、避難所のトイレなど衛生状態が悪く、感染症が心配される」と話した。



http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-04-04_16265/
看護師2人を宮城に派遣
2011年4月4日 09時22分 沖縄タイムス

 県看護協会(奥平登美子会長)は3日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県へ看護師2人を派遣した。県内123人が登録する災害支援ナースの第1陣で、全国から集まる看護師と共に医療施設や避難所で活動する。

 同日、那覇空港では出発式が開かれた。おもろまちメディカルセンターの看護部長で、派遣された宮城克子さん(55)は「被災地の様子を見て、居ても立ってもいられなかった。被災者の心に寄り添い、看護の経験を皆さんの役に立てたい」と抱負。筒井清隆さん(39)=北部地区医師会病院=は「非常につらい思いをしている被災者を、心身ともにケアできるよう頑張りたい」とあいさつした。2人は8日に帰還する予定。



http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110404ddlk26040286000c.html
東日本大震災:「医薬品、足りない」 障害者ら2団体、現状訴え /京都

 障害者の意見を反映させた障害者自立支援法の成立を目指す障害者らで作る府内の2団体が3日、東日本大震災の被災者を支援しようと京都市役所前(中京区)で演説を行った。被災地に行った看護師らが高齢者や障害者、子供が置かれている悲惨な状況を説明し、医療や生活の更なる支援の必要性を訴えた。

 看護師の酒井富喜子さん(53)は震災発生の翌日から約1週間、医師らと宮城県塩釜市の病院や避難場所で患者の治療をした。酒井さんは「医薬品が全く足りない。寒い避難場所で持病が悪化して来院するが、ガソリンがなく通院できる手段もない」と報告。「高齢者や障害者、子供など社会的に弱い立場の人を中心に支援しなければ、地震や津波の中で助かった命を失ってしまう」と指摘した。

 団体は演説後、四条河原町で被災者に送る寄付を呼びかけた。【古屋敷尚子】

毎日新聞 2011年4月4日 地方版



http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/04/04/134847/?portalId=mailmag&mm=MD110404_CXX&scd=0000378404
医薬品供給ピンチ、工場被災で緊急輸入も
2011年4月4日 提供:読売新聞

 東日本大震災で東北地方や北関東の多くの製薬工場も被災し、様々な医薬品の生産が止まっている。代替品がない薬は、海外製品を緊急輸入したり、在庫を有効に使うため長期間分の薬の処方を避けたりすることなどが求められる。

 深刻なのが、甲状腺機能低下症などの治療薬レボチロキシンナトリウム。あすか製薬の「チラーヂンS」が市場の98%を占めるが、福島県いわき市の工場が被災し、生産が停止した。国内30万人の患者が服用しており、薬が途絶えれば命にもかかわるため、全国保険医団体連合会などが先月、国に緊急輸入支援を求めた。

 在庫は1か月弱あるものの、薬の偏在もあり、同連合会には「処方が受けられない」との声もあるという。関連学会は、被災地以外では原則1か月以内の短期の処方を求めている。

 同社は3月25日に工場を再開させたが通常体制には戻っておらず、国の要請を受け海外から緊急輸入される製品の販売を今月中旬にも始める方針だ。

 普通の食事ができない患者に、胃や腸にチューブで栄養注入する時に使う「経腸栄養剤」として最も普及しているアボットジャパンの「エンシュア」は、缶容器工場が被災した。再開は5月下旬になる。保険で使える製品は、ほかに大塚製薬の製品しかなく、厚生労働省は別の缶容器工場の早期確保を求めている。

 中外製薬は、抗てんかん薬でパニック障害などにも使う「リボトリール」やパーキンソン病治療薬「マドパー」などの生産が止まった。当面は在庫でまかなうが、リボトリールが体に合っている患者は代替薬への変更が難しい。マドパーの場合は別の薬に代えられるが、代替品増産では間に合わないとの指摘もある。

 東日本大震災で生産停止した薬(一部)
 ■チラーヂンS(甲状腺ホルモン薬) あすか製薬
    一部生産再開。海外製品を輸入予定
 ■エンシュア(経腸栄養剤) アボットジャパン
    5月下旬に生産再開。在庫1か月分
 ■リボトリール(抗てんかん薬) 中外製薬
    当面、在庫でまかなう
 ■マドパー(パーキンソン病治療薬) 中外製薬
    当面、在庫でまかなう
 ■メバロチン(高コレステロール薬) 第一三共
    今月末めどの再開目標。在庫2-3か月



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/283391.html
「心のケア必要」と医師報告 留寿都
北海道新聞 (04/04 12:00)

 【留寿都】留寿都診療所の大泉樹(たつ)所長(45)が、3月19日から11日間、東日本大震災で津波被害を受けた宮城県名取市の病院で、被災者の診療を行った。大泉所長は「医師の人数が足りない。被災者の心のケアも必要」と、支援を訴えている。5日午後6時半から村公民館で報告会を行う。

 3月29日に村に戻り、土屋隆幸村長に活動を報告した。

 大泉医師は、医療支援を行う非政府組織(NGO)団体の依頼を受け、名取市を訪問、他の数人の医師と1日約70人を診察した。現地はがれきに覆われ、インフルエンザやウイルス性胃腸炎が流行。村からの支援物資として持ち込んだ抗生物質などを使い、避難所からの被災者を不眠不休で診察したが、すべての患者に十分対応しきれなかったという。

 患者の多くが家族を津波で亡くしており、点滴を受けながら涙を流す女性や、持病の薬を管理していた妻に先立たれ、1人で診察に訪れる男性らと接し、「精神的なケアの必要性を痛感した」と話す。食料品やガソリン不足も深刻だった。

 大泉医師は4月12~18日にも宮城県気仙沼市で、在宅患者の訪問看護に当たる。5日夜の報告会は、参加無料。問い合わせは村役場保健医療課(電)0136・46・3131へ。(鈴木孝典)



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134834/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(その他)
現地リポート、震災から3週間の石巻・女川の今◆Vol.1
「石巻圏合同救護チーム」で長期的・大規模の救護活動展開

2011年4月4日 橋本佳子(m3.com編集長)

 4月2、3日、宮城県石巻市と女川町を取材した。津波の甚大な被害の跡はいまだ残るものの、徐々にスーパーなども再開、復興への着実な足音が伺えた。地域の基幹となる石巻赤十字病院では、震災後、被災者や患者であふれかえった外来ロビーの様子が何度もテレビで報道されたが、今は通常の診療に徐々に戻りつつある。とはいえ、復興への道のりは遠い。今も多数の被災者が避難所生活を送り、全国から支援に訪れた医療者が救護活動を展開する。3月11日の東日本大震災から3週間経った石巻市と女川町の現状、そして被災地での医療支援で浮かび上がった課題などを連載する。

 「避難所、あるいは在宅にいる寝たきりの方をいかにフォローするかが課題。こうした方に対応するためのチームを立ち上げる。どこかに収容していく必要があるかもしれない。寝たきりなどの方がいたら、リストアップして情報を提出してほしい」

 「アセスメントシートを改訂した。これは日々の活動を記録するのに大切なもの。避難所のニーズを把握し、どのくらいの医療チームが必要か、医師、看護師などが何人必要かを考えてもらいたい」

 4月2日午後6時、石巻赤十字病院の外来ロビーで開かれた定例のミーティング。「石巻圏合同救護チーム」のジェネラルマネジャーの石井正氏の声が響き渡る。聞き入るのは全国から被災地に駆けつけた、医師、看護師、薬剤師、事務員ら。1日の救護活動を終えた疲れも見せず、高揚した熱気が外来ロビーを包む。日赤や国立病院機構、日本医師会JMATのチームなど、派遣元は様々。地域も、熊本、高知、愛媛、岡山などの西日本、愛知、石川などの中部、東京や神奈川などの関東と、多岐にわたる。

 災害拠点病院である石巻赤十字病院は、石巻市や女川町、牡鹿半島まで及ぶエリアをカバーする、「石巻圏合同救護チーム」を組織する。地域を14エリアに分け、各エリアの避難所を回るほか、院内の診療を支援する。約50チームのうち、5チーム前後が院内支援、残りが避難所への救護活動と医療・救護ニーズの把握に当たっている。日々の活動で浮かび上がった問題点などを整理し、情報共有するために開催しているのが、午前7時と午後6時の1日2回開催するミーティングだ。

 もっとも、3月11日の震災直後からこうした組織だった救護活動を展開していたわけではない。また現時点でも解決すべき点は多々ある。

 最初は散発的に救護班が巡回活動を開始


 「石巻圏合同救護チーム」の「司令塔」がジェネラルマネジャーの石井氏。本来の肩書きは、石巻赤十字病院の第一外科部長。石巻圏では、2010年1月に同院が幹事役となり、市のほか、地元の保健福祉事務所、医師会、警察署、消防本部、医療機関のほか、航空自衛隊松島基地、陸上自衛隊東北本部衛生隊なども参加する、「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」を発足。また宮城県では2008年の岩手・宮城内陸地震を機に、県内をブロックに分け、ブロックごとに災害時に災害医療の調整役などを担う「宮城県災害医療コーディネーター」を置く体制を構築、石井氏は2011年2月に石巻圏の6人目のコーディネーターを県から委嘱されていた。その直後に起きたのが今回の震災で、石井氏がジェネラルマネジャーの任に就いたのは自然な流れだった。

 石巻赤十字病院では3月11日の震災後、直ちに災害医療対策本部を発足、「12日には、全国各地からいち早く集まった日赤の救護班による避難所巡回を開始した」(石井氏)。この時点では、地域の電気、水道、ガスなどのライフラインは完全に途絶え、固定電話も、携帯電話も通じなかった。その上、石巻市役所も津波で被災、行政機能も全く麻痺した状態だった。

 その後、DMATをはじめ、全国各地から救護チームが集まるものの、「避難所が300以上あり、市も状況を把握していないため、アセスメントシートを作成し、3月17日から本格的な避難所ローラー作戦を開始した」(石井氏)。アセスメントシートとは、避難所ごとに、(1)常駐/巡回チームの構成人数、(2)受診者総数(そのうち、発熱、咳、嘔吐、下痢、インフルエンザ、呼吸器疾患、呼吸困難の患者数)、(3)ライフラインの状況、衛生状態(水、食事、電気、毛布、暖房、トイレについて)、(4)医療ニーズ(小児科、精神科、産婦人科、妊婦情報、歯科)――などを記載するもの。市役所の行政機能が失われた状況下、医療面だけでなく、避難所自体の環境を把握するのが、救護チームの役割になっている。

 3月20日、「石巻圏合同救護チーム」が発足

 3月19日にはアセスメントシートを用いた避難所の第1回評価を終了。並行して、「いろいろな組織から派遣された医療チームが個別に活動するのは非効率だと考え」(石井氏)、関係機関への協議も実施。3月18日には桃生郡医師会、19日には東松島市、石巻市、石巻市医師会、自衛隊、20日には宮城県、宮城県医師会、東北大学、女川町、21日には東京大学精神科とそれぞれ協働についての合意を得、20日の時点で災害医療コーディネーターが一元的に統括する、「石巻圏合同救護チーム」がスタートしている。

 「石巻圏合同救護チーム」は現在、(1)医師会関係の医療チーム、(2)東北大学医療チーム、(3)東北大学との取り決めで派遣された大学医療チーム、(4)都道府県同士の取り決めで派遣された病院医療チーム、(5)日赤救護班、(6)精神科医師団、(7)自衛隊医療班――で構成。各チームは、数日から1週間前後、医師・看護師・事務員などから成るメンバーを交代制で、石巻に派遣している。

3月28日、「エリア・ライン制」を導入

 石井氏は当初は震災から10日から2週間もすれば、「撤退モード」に入れると思っていたというが、現在も、「石巻圏合同救護チーム」は続いている。石巻赤十字病院は、通常の外来診療は再開しておらず、予定入院も受け入れていない(2011年4月3日現在)。被災者への医療に限っているが、石井氏は、「3月11日から27日までの来院患者数は6947人で、うち『赤タグ』の人は557人だった。『慢性期』になっても急患は減らなかった。今回の震災は未曾有の大災害であり、当チームが把握しただけでも、石巻市内には、約300の避難所があり、そこにいる被災者は約4万人に上る」と説明する。

 「長期的かつ大規模な救護活動を展開するには、中央集権ではなく、地方自治的な運営が必要」という観点から、3月28日から導入したのが現在の「エリア・ライン制」だ。これは前述のように、石巻圏を14のエリアに分け、それぞれに「エリア幹事」を置き、石巻赤十字病院の本部で統括、ジェネラルマネジャーである石井氏がその指揮を執る方法だ。

 「エリア幹事」は、1カ月程度継続してもらえるチーム、例えば「○○県」、「○○大学」、「○○病院」という形で固定、実際に救護活動に当たるメンバーは交代しても、継続的に活動できる形にしている。また「ライン」とは継続して動くチーム数。例えば、「エリア1」の幹事は、「日赤3B」班で、日赤3B、東海大学、石巻市立病院、日赤5Bという「ライン」が、メンバーを交代しながら、継続して救護活動に従事する形になっている。「ライン」のほかに、「スポット」として短期間だけ救護に入るチームもある。

 今回の東日本大震災では、被災地が数多く、救護活動の仕方も様々。中には、受入側のコーディネート不足で、一つの避難所に二つの救護チームが入り、バッティングするケースがある一方、行政指定ではなく、自発的に発足した避難所では、その存在を把握できず、救護チームが入らないという問題が生じている。

 「石巻圏合同救護チーム」の場合、できるだけ「ライン」として救護活動に当たる方が、受け入れる側としてもコーディネートしやすいのは事実だが、「スポットとして入ることも可能。ただし、その場合でも、必ず災害対策本部に問い合わせ、受け付けしてほしい」と石井氏は語っている。



http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110404ddlk03040003000c.html
東日本大震災:宮古の精神科医・高橋さん、「阪神」派遣経験生かし避難所巡回 /岩手
 ◇被災者の心をケア


 宮古市の「たかはしメンタルクリニック」の高橋幸成院長(59)は東日本大震災後の3月14日から8日間、市内と山田町の避難所27カ所を巡回した。県内から唯一の精神科の応援医師として16年前、神戸市に派遣され、避難所で阪神大震災の被災者の声に耳を傾けた。ベテランの域に達していた勤務医だったが、被災者の心のケアがどれだけ大切なのかを教えられた。阪神の経験を生かし、精神的に追い込まれている被災者のそばにいようと思った。【安藤いく子】

 高橋院長は宮古市で30年以上、精神科医療に携わり、05年に開業した。一日の外来患者は約70人。大きな揺れを感じた3月11日も診察中だった。すぐに患者と事務職員を帰宅させ、3日間は人工透析が必要な職員の家族の面倒を見た。とにかく避難所へ行こうと14日午後、看護師や事務職員を伴って県の宮古地区合同庁舎に入った。「避難所を全部回ってほしい」。旧知の保健所職員の依頼を快諾した。

 阪神大震災では発生2カ月後の3月17日から1週間、神戸市兵庫区の市立兵庫大開(だいかい)小学校の避難所を担当した。派遣を打診された際、将来の発生が予想される宮城県沖地震で宮古が被害を受けるかもしれないと意識して引き受けたという。

 被災した中国人が山積みのカップめんに手を伸ばし、それを見とがめた別の被災者とケンカが始まる。大開小の体育館で目にしたささいなトラブルが被災者のケアの重要性を認識するきっかけになった。同じ被災者なのに、食べ飽きて見向きもされなくなったカップめん一つでなぜだと思った。「平常時と違う心理状態にある被災者のそばで話を聞くことが大事だと分かった」と当時を振り返る。

 16年前の危惧が現実となり、3月19日には高橋院長はクリニックの看護師と事務職員、隣接の薬局の薬剤師ら計9人で山田町内の避難所を巡回した。

 体育館の床に座り、「大丈夫、大丈夫」。津波の恐怖を訴える高齢の女性に目線を合わせて両手で女性の手を握り、さらに強く抱きしめた。そばにいるという姿勢をあえて大げさに表現したという。不眠を訴えたり、常用の精神安定剤を津波で流されたりした被災者には薬を処方した。慣れない避難所暮らしで便秘を訴える人が増え、白湯(さゆ)やスポーツドリンクを与えた。健康管理も心のケアにつながるからだ。「また来てください」と拍手で送られ、「自分たちの方が救われた」と感じた。

 県外の精神科医のチームが避難所回りを始めると、外来診療に戻った。連絡のつかない患者が数人いる一方で、新規の患者も来るようになり、一日に70人前後を診るのは変わらない。地元の開業医として保健所の依頼があれば、また避難所に駆け付けるつもりだ。

毎日新聞 2011年4月4日 地方版



http://www.med.or.jp/nichinews/n230405b.html
日医ニュース 第1190号(平成23年4月5日)
会員の皆様へ
日本医師会長 原中 勝征


 去る三月十一日に東北地方を中心に発生した国内史上最大の「東北地方太平洋沖地震」は,各地に甚大な被害をもたらしました.非常に多くの尊い命が失われ,行方不明の方々もおびただしい数に上っており,断腸の思いであります.亡くなられた皆様方のご冥福を衷心よりお祈りいたします.また,けがを負われた多くの方々,被災された大勢の方々は,きわめて不自由な避難生活を強いられており,心からお見舞いを申し上げますとともに,一刻も早い復興を願ってやみません.

 現地の医療機関の多くは,甚大な被害を受けながらも,被災者の医療に懸命に取り組んでおられますが,診療不能な医療機関も相当数に上っていると窺い知れます.

 被災各県医師会は,被災直後に災害対策本部を設置し,直ちに医療救援活動を始めただけでなく,比較的被害の小さかった周辺医師会の医療機関からの支援体制をつくり,壊滅状態となった地域の医療提供体制の再建に着手し,全力を挙げて被災地住民の医療確保に努めておられます.

 日本医師会におきましては,三月十一日,日本医師会災害対策本部を設置し,被災各県医師会災害対策本部と連携をとるとともに,全国の医師会のご協力を仰ぎながら,現地へのJMAT(日本医師会災害医療チーム)の派遣やご遺体の確認作業に協力するための医師団の編成など,支援体制の整備を図っております.

 何より大切なことは,現地のライフラインの確保であり,また,医薬品等の物資の供給であります.これに関しましても,関係省庁の大臣をはじめ政府との連絡を密にして,実効ある行動をとっております.

 この救援活動は,当然長期化することが予想され,かつ被災地住民の健康状態の悪化も伝えられている現状から,現地の先生方のご苦労は想像を絶するものがあると思います.

 全国の日本医師会会員は,総力を結集して,この国難に立ち向かい,現地の先生方および住民の皆様を支援すべきであると考えます.

 何とぞ,格段のご理解とご協力をお願い申し上げます.



http://www.med.or.jp/nichinews/n230405a.html
日医ニュース 第1190号(平成23年4月5日)
日本医師会の東北地方太平洋沖地震対策について緊急記者会見
岩手・宮城・福島・茨城に日本医師会災害医療チーム「JMAT」を派遣


 日本医師会は,三月十一日午後二時四十六分頃に発生したマグニチュード九・〇の東北地方太平洋沖地震を受け,即日,災害対策本部を設置したが,三月十五日に日医会館で緊急記者会見を開き,具体的対策として,未曾有の大地震で甚大な被害を被った岩手・宮城・福島・茨城の四県に対し,「日本医師会災害医療チーム」〔JMAT(ジェイマット)=Japan Medical Association Team〕を派遣するため,早急に体制を整えることを公表した.

 冒頭,原中勝征会長が,「このたびの史上まれなる大規模地震で,二次,三次の自然災害や原子力発電所の事故が引き起こされた.被災された皆様に,心よりお見舞い申し上げる.日医としては,被災者救済の医療支援のために,全力を挙げて取り組んでいる.現在,被災された県医師会,郡市区医師会に,日本医師会災害医療チーム『JMAT』を派遣すべく,至急,手配をしているところである.また,日医内部に対策本部をつくり,全員一致協力している.被災者の方々に,少しでも寄与したい」と述べた.

 引き続き,石井正三常任理事が,自身も福島県いわき市の自院で被災したことを報告するとともに,JMATについて,以下のとおり説明した.

 JMATは一チームにつき,医師一人,看護職員二人,事務職員(運転手)一人を基本に,都道府県医師会が協力して構成し,支援内容は「被災地病院,診療所の日常診療への支援(災害発生前からの医療の継続)」と「避難所,救護所における医療」とする.派遣するのは,岩手,宮城,福島,茨城の四県で,派遣期間は一チーム三日~一週間をめどに,一カ月の間,切れ目なく対応出来るシステムを構築する.チームの速やかな引き継ぎのため,事務職員が支援内容を記録する.
 四県に対する支援医師会の分担は,(1)岩手県:北海道ブロック,東北ブロック(青森・秋田),東京ブロック,関東甲信越ブロック,近畿ブロック(大阪・和歌山)(2)宮城県:東北ブロック(山形),東京ブロック,関東甲信越ブロック,近畿ブロック(兵庫・奈良),中国四国ブロック(3)福島県:東京ブロック,中部ブロック,近畿ブロック(京都・滋賀)(4)茨城県:九州ブロック―となっている.

 JMATの活動は,避難所における被災者への医療支援を中心に,支援先のニーズに応じて展開する.特に,四十万人もの被災者に加えて,避難所外の要医療・要介護の被災者への対応が求められることから,常時百チームの派遣を,一カ月間維持することを目標としている.

 経費の負担については,日医と都道府県医師会で負担し,日医では,当面,本活動を支援する各都道府県医師会に百万円ずつ支出する.災害救助法による対応が期待されるほか,二次災害については日医として独自に民間保険を含め検討中である(その後対応済).

 石井常任理事は,すでにJMATの一部が現地入りしていることを報告したうえで,志望する医師については,会員の有無を問わずJMATの傘のもとで支援する方針を表明.本事業については,被災県の知事,また,県医師会長と日医が連携して進め,派遣期間や受け入れのための諸準備については,受け入れ医師会と派遣医師会間での協議に委ねるとした.


http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39082
被災地医療 妻亡くしても患者のために奔走…陸前高田の医師
(2011年4月4日 読売新聞)

妻の亡きがらと対面した直後、応援の医師らと打ち合わせをする岩手県立高田病院の石木幹人院長(中央)(3月31日、岩手県陸前高田市で)=小林武仁撮影

 津波で病院が壊滅し、自宅が流され、最愛の家族を失う――。東日本大震災では、医療者たちも多大な被害を受けた。診療を休止した医療機関も多いが、地元に踏みとどまって患者のために奔走する医師や看護師らは少なくない。その原動力は、住民の健康を守る責任感と地域の復興への熱い思いだ。(渡辺理雄、高梨ゆき子、野村昌玄)


 「この惨状では、生きている可能性は限りなく低いでしょう。せめて、苦しまないでいてくれたら」

 岩手県立高田病院(陸前高田市)の石木幹人院長(63)は、行方が分からない妻のことをそう話していた。先月下旬のことだ。

 3月11日、高田病院は最上階の4階まで津波にのみ込まれた。入院患者や市民ら約100人と一緒に屋上に逃れ、夜を明かした。翌12日夕に救出されたが、妻とは連絡がとれないままだった。

 住んでいた官舎も被災した。避難所で寝泊まりしながら、15日に市内の集会所に仮設診療所を開設。支援に来た医師らを陣頭指揮し、県や市に対し、必要な薬剤や器材の手配を求めるなど精力的に動き回る。

 妻の行方は気がかりだった。家庭も仕事も一生懸命支えてくれた、かけがえのない人だった。空いた時間に、官舎周辺や遺体安置所に足を運んだ。

 震災から21日目の31日午後。遺体安置所に、妻は静かに横たわっていた。

 「もう見つからないのではないか、と半分諦めていたので、ほっとした気持ちもある。でも、これからどうしたらいいのか……。正直、動揺しています」

 妻の死を受け入れられるのか、自分にはまだ分からない。でも、今は休むわけにはいかない。応援の医師にいつまでも頼ることはできず、病院再建の道筋をつける必要があるからだ。

 「今回の地震では、多くの人が家や家族を失った。それでも、みんな生きていかなければなりません」

 自分は医師。妻が支え続けてくれたこの仕事を全うし、生き続けよう――。そう思っている。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39074
被災地医療 自主避難地域も「見捨てない」…原発周辺の開業医ら
(2011年4月4日 読売新聞)

 福島第一原発の事故の影響で、政府から自主避難を求められた地域を抱える福島県南相馬市。その地域内で開業していた医師たちは、地震や津波とは異なる「被害」を受けた。

 多くの市民と同様、診療所のスタッフも避難し、休業状態に追い込まれたのだ。それでも、市内に残った患者はたくさんいる。

 「患者を見捨てることはできない」

 市内の開業医約10人が立ち上がった。自主避難地域の外側に位置する同市北部の鹿島区に、交代で診療する臨時診療所を開いた。

 高血圧や糖尿病など慢性疾患の年配者を中心に、1日平均100人が訪れる。避難生活で腰を痛めた患者も増えてきている。

 樋口利行医師(61)は「当面は臨時診療所が必要。患者さんがいる限り頑張る」と話す。看護師や薬剤師らの確保には苦労しているが、来週からは精神科医も参加し、心の診療も本格的に始める予定だ。

 自主避難地域内で、今も診療を続ける開業医もいる。同市原町区にあるマルイ眼科は、院長含め20人いたスタッフが5人になったが、診療を継続中だ。自前の車で患者を送迎したり薬を運んだり、食料品の買い出しをしてあげたことも。

 佐柄英人院長(43)は言う。「県内には遠いところから応援の医者が来てくれているというのに、地元の医者が逃げてはいられない」



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39077
被災地医療 クリニックの2階、臨時避難所に…石巻
(2011年4月4日 読売新聞)

 先月27日に診療を再開した宮城県石巻市の宮城クリニック。2階にある60畳ほどのデイケアルームは、震災から3日間、“臨時避難所”となって住民ら20人を守り抜いた。

 3月11日、精神科医の宮城秀晃院長(57)は20~30歳代の患者らとデイケアルームにいた。大きな揺れで天井から次々と非常灯が落ちた。津波の直撃は免れたが、クリニックの前の道路は冠水、腰の高さまで増水した。

 窓から下を見ると、幼い女の子3人を連れた若い母親が水につかって歩いている。声をかけて招き入れた。夜は雪になった。真っ暗な2階は懐中電灯が頼り。窓越しのその光に気づいた住民らが、1人、また1人と救いを求めてきた。ずぶぬれの服を着替えさせ、震える体を毛布で包んだ。

 「ここで頑張っていれば必ず家に帰れる」。そう言ってみんなを励ました。

 水が引いたのは14日。

 避難所の小学校には体調を崩した多くの住民が待っていた。医療機器が倒れて書類が散乱する1階を探し、使える錠剤や点滴薬を見つけた。袋に詰めて小学校に向かい、住民を診察した。

 市内では、被災して休診中の病院や診療所が多い。「石巻には助けを必要とする多くの人々がいる。心のケアも行っていきたい」



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39071
被災地医療 在宅療養、こんな時こそ支えたい…仙台の看護師
(2011年4月4日 読売新聞)

 「調子はいかがですか」 仙台市若林区の「あおい訪問看護ステーション」の看護師、小池晴美さん(42)は、ベッドの男性(77)に顔を寄せて話しかけた。

 男性は神経の難病で、昨年秋から自宅ベッドで療養生活を送る。胃に入れた管から水と栄養を補給し、膀胱(ぼうこう)に入れた管から尿を出す。次男(45)による介護と、週2回の訪問看護が頼りだ。

 3月11日の夜、排尿の管が詰まった。訪問看護ステーションへの電話はつながらない。次男は停電で暗闇の町を車で走った。ステーションに着くと、数人の看護師が真っ暗な事務所に待機してくれていた。「訪問看護は私たちにとって命綱です」と次男は話す。

 津波では、利用者1人が行方不明になり、約30人が家屋に被害を受けた。事務員1人は家を流され、利用者4人と看護師1人が避難所に身を寄せている。

 「体調を崩して入院が必要な人が出るのではないかと心配です。こんな時こそ、利用者の元にこまめに足を運び、在宅の療養生活を支えたい」。社長で看護師の小野久恵さん(59)は話す。

 ガソリン不足のなか、移動手段に自転車3台を新たに購入した。血圧計などを詰め込んだ訪問バッグを背に、看護師たちは今日もペダルをこいで町を走る。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39068
被災地医療 医療機関の被害、全容把握なお時間
(2011年4月4日 読売新聞)

 被災地では、建物の損壊をはじめ、電気、水道などが打撃を受けて、診療不可能な状態に陥った医療機関が少なくない。

 岩手県では、県立病院3か所を含めて少なくとも31か所の医療機関が診療できない状態。宮城県では、石巻や岩沼市内などで病院5か所が診療不可能となり、8か所が診療態勢を縮小している。福島県では郡山、いわき市内で、診療をやめている病院が5か所ある。

 ただ、宮城、福島両県は病院のみの報告で、診療所を含めると実際の被害は大幅に増える見通し。各県では、今も連絡がつかない医療機関があるなど情報収集が難航しており、被害の全容把握には時間がかかりそうだ。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134857/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
宮城県石巻・女川からの現地リポート◆Vol.2
病院チーム、開業医チームなど様々な形態で医療支援

2011年4月4日 橋本佳子(m3.com編集長)

 4月3日、「石巻圏合同救護チーム」の「エリア7」の「エリア幹事」を務めたのは、高知県の近森病院呼吸器外科部長の山本彰氏(「石巻圏合同救護チーム」の概要は、『「石巻圏合同救護チーム」で長期的・大規模の救護活動展開』を参照)。神奈川県の藤沢湘南台病院の担当者が「エリア幹事」だが、3日は不在だったため、そのピンチヒッターだ。毎朝7時から行う全体ミーティング後、「エリア7」のメンバーを集め、その日の救護活動の担当などを確認した。石巻市には、行政指定ではなく、自主的に被災者が集まった避難所も多い。「手付かずのところ、エアポケットのところがないかも、見てもらいたい」と念を押すことも忘れなかった。

 「石巻圏合同救護チーム」は、石巻圏を14のエリアに分け、エリア内で1カ月程度活動を継続できるチームに依頼し、「エリア幹事」を置いている。その役割は、(1)参集場所の設定、(2)巡回避難所の調整、(3)チームローテーションの管理、(4)巡回予定の調整、(5)石巻赤十字病院におけるミーティングの出席、(6)避難所の医療ニーズのアセスメント、(7)アセスメント報告の「石巻圏合同救護チーム」本部への提出――など、幅広い。

 「エリア7」の参集場所は、避難所の一つ、湊小学校。近森病院では、震災初期にDMATを福島県に派遣、その後、JMAT(日本医師会災害医療チーム)として、これまで3チームを約6、7日間交代で石巻市に派遣している。4月3日の時点で活動していたのは、医師1人、看護師2人、事務員2人の5人の体制。最初のチームが、高知から陸路で同病院の救急車を運んで活動している。そのほか、日赤のチーム、岡山県医師会、多摩地区医師会、調布市医師会が継続して活動しているほか、東京都中央区の小坂こども元気クリニック院長の小坂和輝氏が、東京、埼玉、神奈川から有志を募り、医師7人、事務員2人のチームが前日夜、石巻入りし、1日活動していた。

 「エリア7」では、湊小学校内に常駐して午前と午後に診療を行うチームと、地域の避難所を分け、巡回するチームに分けて活動。同小学校には約300人が避難しているが、この日は午前中だけで約40人が「受診」した。発熱、咳などを主訴し、風邪の患者は多いが、インフルエンザと診断された患者は少ない。

 午前の診療が終わる頃、「まだやっていますか」と来た患者を見て、「ここに『診療所がある』と認知してもらった証拠」と語る山本氏は、巡回型の救護活動では、いつ救護チームが来るかが分からず、被災者の利便性が悪い上、不安にもつながる。「今は再建時期に入っている」とする山本氏は、ある程度、「定点化」「定期化」して救護活動を行う必要性を説く。とはいえ、ガソリン不足が徐々に解消されれば、被災者は医療機関を受診したり、さらには他の地域に移動していくことも想定される。状況、そしてニーズが日々変わる中で、どう救護活動を行っていくか、模索は続く。 

 JMATで2回目の女川入り

 埼玉県和光市の天野医院院長の天野教之氏が4月2日と3日の2日間、救護活動したのは、女川町。JMATとして2回目の活動で、天野氏も含め医師2人、薬剤師、保健師、看護師の5人で現地に赴いた(前回の活動は、『診療所看護師と家族でチーム編成、避難所で救援活動』を参照)。

 もっとも、「石巻圏合同救護チーム」の存在を知らずに、戸惑う場面も。天野氏は、事前に女川町に速達を出し、電話で連絡を取った。電話では「来てください」との返事だったので出発した。しかし、実際に赴いてみると、既に女川町の当日の担当チームは決まっていた。現地の保健師などと急きょその場で調整し、同行取材した4月2日は、数日前、別の救護チームが巡回していた際、風邪が流行していた2カ所の避難所を回ることになった。

 熱を測り、症状を聞き、手持ちの薬を見せてもらい、聴診する。必要であれば処方する。日常の診察とさほど変わるところはない。ただ、薬を見ても、後発医薬品などの場合、分からないこともある。同行した薬剤師が持参した、医薬品の錠剤の写真を添付した薬効群別のリストが役に立った。避難所は十分に暖が取れているとはいえず、環境は良好とは必ずしも言えず、やはり咳や痰を訴える、風邪の患者が多かった。喘息の吸入薬の残りがなくなりつつある患者もいて、慢性疾患患者への継続治療が課題に。

 そのほか、「眠れない」「便が出ない」など、それまでとは違う集団生活という生活環境そのものの改善が必要な患者も少なくなかった。「波がそこまで追ってきて…」と震災当日の様子を涙ながらに語る老人、「船を失ったら、何をすればいいのか。丘に上がっても、何もできない…」と命は助かったものの、今後を不安視する猟師。避難所にも食料が行き渡り、震災直後の混乱は収まりつつある今、長引く避難所生活、そして生活の建て直しに向け、精神的ケアなどでの医療の重要性が高まっている。

被災した女川町保健センター。町役場も被災し、行政の医療・保健・福祉関係の部門は、各種台帳作りを一から始めている。



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110404_11
一元管理で機能充実 大船渡市保健福祉課
(2011/04/04) 岩手日報

 県内の被災地に全国から多くの医療・保健の支援チームが集まる中、大船渡市では県立大船渡病院の医師のアドバイスを受けながら市が「司令塔」となって支援チームを一元管理し、効果を挙げている。過去の災害ではボランティア的な医療チームが独自判断で避難所を選び、現場が混乱するケースもあった。各チームの機能を十分に発揮させる被災地医療のシステムは他地域のモデルにもなりそうだ。

 大船渡市内では全国の医療・保健支援チームが活動。医師は大学病院や日本オリンピック委員会(JOC)など幅広い分野、保健師も北海道から沖縄県までさまざまな地域から駆け付ける。

 この医療チームを一元管理するのが市保健福祉課。市内を8地区に分け、地元の医師を含めて各チームに担当エリアを割り振る。遠方からの派遣チームはメンバー交代もあるため、円滑な引き継ぎも必要となる。

 チームの管理や引き継ぎで重要な役割を果たしているのが、全チームによる毎日の打ち合わせ。夕方に市役所に集まり、意見交換する。改善点や避難所で気付いたこと、注意点などを連絡する。

 運営に当たる市保健指導係の佐藤かおり係長は「円滑に進むよう『1人1カルテ』の基本で、各チームの拠点を決めて活動してもらっている。最近は県や保健所、心のケアチームも入って充実してきた」と説明する。

 盛地区で訪問活動を行った北海道小樽市保健所の宇田川ゆかり保健師は「このような情報共有の場が必要。感染症の情報や他地域の様子が分かる」と運営を評価する。

 このシステムは震災から数日後、県立大船渡病院の山野目辰味医師の助言を受けて立ち上げ、組織化した慢性期医療活動を展開するようになった。

 山野目医師は過去の災害現場で、多数の同じような医療チームが自己判断で避難所を選び、重複することがあったと指摘。県内でも司令塔不在のため、同様の混乱が起きている地域もあるという。

 山野目医師は「地域の実情に応じたコントロールが必要。単純だが、モデル化できるケースだと思う」としている。



http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1104/04/news096.html
現場ルポ・被災地支援とインターネット:
「ありがとうと言われたいだけのボランティアは 必要としていない」
Twitterやブログの告知に応じた学生ボランティアに対し、ここにも現場はあり、「東北に行くのではなくPCの前でやれることをやろう」と呼びかけた。ただ、「ありがとうと言われたいだけのボランティア」は必要ないことも伝えた。

2011年04月04日 18時35分 更新 ITメディアニュース

大震災の情報源としてインターネットが活用されているが、被災地からネットで発信される情報はあまりに少ない。震災被害はこれまでの経験と想像すら超えており、ネットにおける被災地支援、情報発信も従来のノウハウが通用しにくい状況だ。

ブログ「ガ島通信」などで知られる藤代裕之さんは現在、内閣官房震災ボランティア連携室と連携している民間プロジェクト「助けあいジャパン」に関わっている。ネットを使った被災地支援の「現場」では何が起き、何に直面しているのか。ネットという手段を持つるわたしたちには何が求められているのだろうか。震災とネット、情報を考える、マスメディアには掲載されにくい「現場」からの現在進行形のルポとして、藤代さんに随時報告していただきます。(編集部)

▼その1:「情報の真空状態」が続いている

▼その2:できる範囲でやる──ボランティア情報サイトの立ち上げ

 「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)『災害ボランティア情報』まとめサイト」(現在は助けあいジャパンボランティア情報ステーションとなっている)は、開設3日目で1日1万ページビューに達した。入力する情報の増加に対応するために、ソーシャルメディアでボランティア学生を募集することにした。現地に行かず、PCの前での作業が続く情報ボランティアは地道な作業となる。説明会では「ありがとうと言われたいだけのボランティアはプロジェクトに必要としていない」と伝えることにした。

学生ボランティアを募集

 まとめサイトは、ボランティア情報の提供に特化したこともあり、開始直後から震災関連サイトとの連携の動きが始まった。まず「東北関東大震災(東北地方太平洋沖地震)@ウィキ」という総合的に情報提供しているチームからの打診で、ボランティア情報はまとめサイトに集約し、相互リンクを行うことになった。知人であるドワンゴ社員の仲介によってニコニコ動画にバナーが掲載されたこともあり、アクセスも増えたため、まとめサイトのユーザーインタフェースを見やすくする必要に迫られていた。

 立ち上げ時に集まった有志は、Webページ制作経験者がいたこともあり、まとめサイトのインタフェースの改善に集中。情報を都道府県別に表示したり、検索窓を設置したり、といった改善が順次進んでいった。その一方で、情報の収集と入力が手薄になってきたため、学生ボランティアを募集することにした。

 ブログやTwitterで告知し、都内の公共施設で19日に説明会を行った。サイト開設から数日しか経っておらず、告知も十分とは言えなかったが、ボランティアを希望する都内の大学生など約20人が集まった。春休み期間中だったこと、就職活動が震災や停電の影響でストップしてしまい、予定が空いてしまったという3年生もいた。共通しているのは、未曾有の大災害を前に「自分たちも何かやりたい」という気持ちを持っていることだった。

被災地はボランティア受け入れ困難

 説明会に備えて、今後のスケジュールや取り組みを把握するために、被災地に入った知人のジャーナリストやボランティア関係者から現地の状況を収集していた。

 災害の復興フェーズは、救命・救急、避難所などが設置される避難生活、生活の再建、復興や街づくりというプロセスをたどると言われている。復興は長い時間が必要だが、一般のボランティアが活動するのは、避難生活から生活再建の前半部分が中心となる。これまでの常識で考えれば、1週間経過していれば、避難生活に入り、ボランティアが活躍できる段階が始まるはずだったが、現地から入る情報は「とうていボランティアを受け入れている状況ではない」という話ばかりだった。

 被災地が広域にまたがり、津波で町そのものが壊滅的な被害を受け、行政や都市機能が機能不全に陥っていた。被災地を支援しているボランティアや政府関係者は「これまでの3倍の時間がかかるのではないか」と話すようになっていた。これまでは72時間程度とされた第1段階の救命・救急の段階が続いていると考えられ、ボランティアへの関心が高まっている東京の温度感とはかなりのズレがあった。
「PCの前でやれることをやろう」

 説明会でも、現地に行って何かやりたいという気持ちを持つ学生もいたが、この段階で必要とされるボランティアは、医師や看護師、介護、ボランティアコーディネーターなど専門的な技能や知識を持つ人材に限られ、特別な技能を持たない学生の出番はないこと、不足する食料やガソリンは持ち込むこと、トイレも含めて自前で準備していくことが最低限であり、面積が広く(岩手県は北海道についで二番目に広い)、町が点在する東北エリアを移動するという厳しい状況を乗り越えられるタフな人材や団体であることも条件となっていることも説明し、「東北に行くのではなくPCの前でやれることをやろう」と呼びかけた。

 このような説明を学生にしながらも、「真空状態」の現地情報も3連休を開けたら発信されはじめ、ボランティア情報も増えていくと予想していた。被災地にも被害の濃淡がある。一律に復興に向けたフェーズをたどるわけではなく、ある地点では救命・救急状態だが、被害が小さい地域では生活の再建となっているということがある。まとめサイト開設後、ネットで情報を見ていると、関東近辺では少しずつであるが災害ボランティアの募集が始まっていたのも情報が増えるとの見通しを補強していた(振り返ってみればこれも甘い見通しだったが……)。

「ありがとうボランティア」は必要ない


 マスメディアでは、震災に加えて、東京電力の原子力発電所事故、東京の大規模停電に報道が集中して、浦安のような近郊の被災地には当初あまり目が向けられていなかった。テレビの映像で流れる被害の大きな被災地ばかり見て「現地の手助けになりたい」という気持ちを持つ人に対して、近くでボランティアを必要としているという状況を知らせて、近くにも「現地」があることを伝えればミスマッチが減る。

 ただ、情報を集め、入力し、チェックするという作業は淡々としたもので、ボランティアという言葉で一般的に考えられる高揚感とは縁遠い。炊き出しのように被災者から直接「ありがとう」と感謝されることもない。阪神・淡路経験者の友人は、感謝の言葉を得ることが目的化したボランティアを「ありがとうボランティア」と呼んでいた。このプロジェクトには、ありがとうボランティアは必要ないことを学生に伝えておく必要があった。

 ボランティアを募集しておいて、善意で集まっている人になぜ厳しいことを言うのかという意見もあるだろうが、ボランティアはメディアで伝えられるイメージのように美しいものではない。端的に言えばただ働きだ。地道な作業もあり、やりたいことばかりができるわけでもない。説明会を聞いて合わないと感じたり、就職活動などで時間がとれなくなったりした場合は気にせず静かに抜けてもいいことも話しておく必要があった。ボランティアはどれが正しく、どれが悪いというのではないが、善意であり、美しい言葉のイメージがあるだけに、条件を示さないと「こんなはずではなかった」という不満や不信も生まれやすくなる。

 重苦しいムードのまま休憩に入り、約20人いた参加者は6~7割に減った。それでも参加を希望するという人にまとめサイトの作業について日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の学生運営委員から説明を行った。ひとまずの終了目処を3月末と設定したものの、現地の状況が予想以上に厳しいこと、助けあいジャパンとの関係もあり先の状況は分からないという不安の中で学生たちは作業に入っていった。



http://www.nikkei.com/life/simple/article/g=96958A96889DE0E4E3E3EBEAEAE2E2E6E2E6E0E2E3E39191E2E2E2E3;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE1E3
外出に不安、眠れない…首都圏住民にも心の不調 震災で精神的な影響
[日本経済新聞夕刊2011年4月4日付]

 東日本大震災に関連して、被害が比較的小さかった首都圏の住民が「眠れなくなった」「一人で外出できなくなった」と不安を訴える事例が相次いでいる。うつ病などの患者の症状が悪化する傾向も見られ、医師らは「地震の情報に過度に触れず、日常生活を取り戻すことが大事」と話す。

 「電車に乗ると息苦しい」「いつも揺れている気がする」「一人で外出できない」。震災後、メンタルクリニックいたばし(東京・板橋)には、この種の不安を訴える患者が来院している。震災直後は1日の来院患者約60人の9割が同種の不安を訴えた。大半は以前から患っていた精神的な病気が悪化したケース。

 同クリニックの高橋彰久医師は「地震を体験し、その後の食料品不足、原発問題などで精神的に追い詰められたことが要因」と指摘する。最近は落ち着きつつあるが、今回の地震をきっかけに、新たにパニック障害を発症する人もいる。

 高橋さんは「日常の習慣を取り戻すことが大切」と話す。

 被災地からの相談を無料化している医師への健康相談サイト「アスクドクターズ」。運営するエムスリー(東京・港)が質問内容を分析したところ、震災直後は放射性物質の影響や、けがや病気に関する質問が半数以上を占めたが、2週間後には精神的な不調を訴えるものが増えた。地域も東京、神奈川、埼玉の首都圏からの相談数が被災地とほぼ同じ割合になった。

 会員制交流サイト「ミクシィ」のコミュニティー「東北地震・医師による健康相談室」でも同様の傾向。「頭痛がする」「下痢が止まらない」など体の不調を訴えていても、医師が細かく質問していくとストレスが原因だった例もあった。

 コミュニティーを開設した内海診療所(愛媛県愛南町)の内科医、山内美奈さんは、「関東の人は『東北の被災地はもっと大変なのに』と我慢してしまう」と指摘。「心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病予防には周りに助けられている感覚が重要。サイトが不安や悩みを受け止める場になれば」と話し、長期に運営する予定だ。



http://www.med.or.jp/nichinews/n230405c.html
日医ニュース 第1190号(平成23年4月5日)
日本製薬工業協会等の協力のもと,医薬品を被災地に搬送

 日医は三月十九日,日本製薬工業協会,米軍,自衛隊等の協力を得て,全国の医薬品メーカーから無償で提供された医薬品を,岩手,宮城,福島の三県に搬送した.
 今回の医薬品の搬送は,被災地からの医薬品不足を訴える声に応えるために実施したもので,日医は十六日に日本製薬工業協会に対して医薬品の提供を要請.その後,厚生労働省からも日本製薬工業協会に日医への協力要請が出されたことから,今回搬送された医薬品(薬価換算で六億円強相当)は,この要請に応じる形で,日本製薬工業協会が全国の医薬品メーカーに呼び掛け,集められたものである.
 当日は,宮城県分(五・八トン)と岩手県分(二・七トン)計八・五トンが日医会館にいったん集められ(写真),米軍横田基地までトラックで輸送.横田基地からは米軍機で,仙台空港,花巻空港にそれぞれ輸送された.
 一方,福島県分(一・六トン)は,十九日愛知・小牧空港から三菱重工のジェット機で,福島空港に輸送.さらに追加で二十二日に陸路でも輸送した.医薬品は,愛知県医師会により手配されたものである.被災地では,三県の医師会が,自衛隊,民間の運送会社等の協力を得て,県内各所に搬送した. 
 横田基地へのトラック出発に当たって,原中勝征会長は,「関係者の協力により,これほどスムーズに医薬品を集めることが出来,深く感謝している.いち早くこの温かい支援を被災地に届けたい」と述べた.



http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/04/04/134826/?portalId=mailmag&mm=MD110404_CXX&scd=0000378404
応援医師は長期滞在を 腰据えてお年寄り治療
2011年4月4日 提供:共同通信社

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県で、災害医療に携わるために被災地外から応援で訪れる医師の一定期間以上の滞在を求める声が高まっている。診療所が津波にさらわれるなど、地域医療の復興まで長期化が懸念されることに加え、糖尿病や高血圧など慢性疾患を抱えたお年寄りが多く、腰を据えて患者と向き合う必要があるためだ。

 静岡徳洲会病院(静岡市)の村山弘之(むらやま・ひろゆき)医師(38)は3月16日から1週間にわたり、宮城県南三陸町の避難所などで診療に当たった。2004年のインドネシアスマトラ沖地震や06年のジャワ島中部地震など、災害医療に携わってきた村山医師。今回の震災では、日常的な医療の継続を念頭に活動したという。

 こうした地域では、震災で、患者のカルテはほぼすべて失われた。糖尿病や高血圧の患者は、数種類の薬を併用していることが多いが、津波で服用していた薬もさらわれ、品名も分からなくなっている。村山医師を含む医師のほとんどは、訪れた避難所での診察で、今まで飲んでいた薬の形や包装のラベルの色などを聞き取り、服用していた薬を推測して飲み合わせを決め、症状の変化も経過観察しなければならなかったという。

 村山医師は「津波の被害で多くの人がショックを受けており、できるだけ腰を据えて、患者さんの気持ちに寄り添うことが大切だと感じた」と話す。

 岩手県では、応援の医師に少しでも長く現地にとどまってもらうため、滞在期間は最低でも1週間程度とすることをルール化。宮城県もチームで活動する場合は1カ月単位を原則とし、被災地入りする前に活動期間の予定を尋ね、長く滞在できる医師を優先的に受け入れるようにしている。

 岩手県の担当者は「陸前高田市や大槌町などは、地域医療が再開するまで、数カ月以上かかる」と災害医療の長期化を指摘。原発事故の余波が続く福島県の担当者も「復興のスタートに立てたという実感がない。細く、長い支援をお願いしたい」と話している。



http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/4/4/134840/
込み上げる思い抑えられず 法医学者が手記、宮城 身元確認なお難航
2011年4月4日 提供:共同通信社

 体育館に横たわる女の子。胸に着いていた名札から小学3年生だと分かった。パンパンに詰め込んだ緊急持ち出し袋を抱えている。法医学者は遺体確認のプロだ。法医学者にとって遺体は隣人だ。いくらそう言い聞かせても、泥と枯れ草の付着した小さな遺体を前に、込み上げてくる思いを抑えられなかった-。

 宮城県で警察に協力して遺体の検案に当たっている法医学者の男性。「何が起きているか、事実を伝えたい」。共同通信に手記を寄せた。

  ×   ×  ×

 その日は被災地の小学校の体育館だった。天井からつるされたブルーシートで仕切られ、玄関側で警察官や法医学者が遺体の検視、検案を行う。ステージには身元の特定された遺体がひつぎに入れられ、家族との面会を待っていた。

 教室から持ってきた机を並べて作った即席の検視台に遺体が乗せられる。泥や枯れ草は、警察官がわずかな真水を使ってぬぐってくれた。東北の寒さが、今はまだ遺体をきれいに保っていた。

 法医学者が行う「検案」は、個人識別に有用な医学的情報を集める作業だ。手術の痕跡を探して年齢を推定、最後に、針の長い注射器を使いDNA鑑定に必要な血液を採取する。

 体育館に並ぶ遺体は100体。遺体を見慣れた法医学者の自分でさえ、感覚がまひする被害の大きさだった。

 ステージから常に遺族の泣き声やおえつが漏れていた。必死でこらえる声、運命を呪う声、ぶつける先のない怒りの声を聞きながら「冷静な科学者でいなければ」と必死に自制した。

 しかし、自分の娘によく似た小さな遺体を目にしたとき、涙をこらえられなかった。大切そうに抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品が詰め込まれていた。持って走るには、きっと重過ぎただろう。

 遺体の中には、長い避難生活を見越したのか、ものすごい厚着をしたり、大量の荷物を抱えたまま亡くなっている人が少なくない。倒壊した家屋からは、セーターを5枚重ね着している高齢者や、通帳や印鑑など貴重品を入れたリュックを背負った遺体が見つかっていた。地震や津波に慣れていることが裏目に出たのかもしれない。着の身着のまま逃げていれば...。そう思わずにはいられなかった。

 遺体を確認すると検案書を書く。死因は「溺死の疑い」、原因は「地震による津波」、死亡時刻は午後3時ごろ。ほとんど同じ書類になってしまう。せめて家族の手掛かりになればと、発見状況などを書き込むようにしている。

 宮城だけで毎日100人以上の遺体が見つかっていたが、身元確認は遅れている。

 骨の形状を読み取るレントゲン(エックス線撮影)やCTはもちろん、歯型の写真さえ撮れていない。震災から3週間がたった。少しずつ損傷の激しい遺体が見つかり始めている。身元確認はどんどん難しくなるが、それに必要な情報収集ができていないのが現状だ。

 何もかも急ぎ過ぎている。今日発見された遺体は今日中に検視、検案しようという雰囲気がある。時間が限られているため、どうしても午後からの検案は拙速になる。

 これだけの規模の災害であれば、いずれも仕方ないことなのかもしれない。ただ、本来はやればできるのに、急ぐあまりにできないとか、機材がないがために分かるはずだった身元が分からないということがないような仕組みが必要だ。

  1. 2011/04/05(火) 05:47:20|
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