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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月28日 震災18日目

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38434
[緊急連載] 震災の現場から(1)呼吸器電源 確保に奔走

 その時、訪問入浴で浴槽につかっていた体が、波打つ湯と共に大きく揺れ、部屋の照明が消えた。ヘルパーに支えられた体がガタガタ震えた。

 「恐怖で熱も出たよ」

 全身の筋力が低下する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、仙台市の自宅で生活を送る庄司精悦さん(52)は、体で唯一動かせる額に付けたセンサーで、巨大地震が襲ったときの思いをパソコンでそう書き出した。

 停電の瞬間、真っ先に恐れたのは人工呼吸器を動かす電源が途絶えることだった。バッテリー切れを示すアラーム音が、地震から1時間もたたずに鳴り始めた。バッテリーは通常、古い型で1時間、新しい型で7、8時間持つ。庄司さんのバッテリーも数時間は持つはずだったが、劣化していたのか、早くに消耗した。

 妹夫婦など家族が、急いで近くの消防署で発電機を借り、近所から燃料のガソリンをかき集めた。しかし、発電機は2日後に故障。救急車で東北大病院に緊急入院し、同病院が満床のため翌日、自衛隊のヘリで山形の病院に搬送された。

 庄司さんはこうして命をつないだ。電気が復旧した17日、自宅に戻れたが、「(緊急時の)電気とガソリンが一番心配だった」と振り返る。

 11日の地震直後、庄司さんら420人の患者を往診する仙台往診クリニックの川島孝一郎院長(56)は、電灯が消えた事務所で天を仰いだ。電話がなかなかつながらず、患者が生きているかどうかも確認できない。

 翌日までに、医師5人で手分けして、人工呼吸器を使う重症患者45人などの安否を確認した。発電機や車から電源を取り、窮地を脱していた患者もいたが、19人は緊急入院となった。

 燃料不足も深刻だった。停電中、発電機や車のシガーソケットにつないで動かす人工呼吸器は、ガソリンが切れれば止まってしまう。

 地震の2日後、往診用の車のガソリンもほぼ尽きた。


 警察などと交渉し、災害用の緊急車両指定を取って、優先的に給油を受けられるようにした。市内の多くの地域で電気が復旧した16日まで、医師の仕事は人工呼吸器を付けた患者へのガソリン配りだった。

 川島院長は教訓として、「災害直後は行政の支援が届きにくい。その時、大切なのは自助や共助。緊急時に発電機や燃料を調達できる仕組みや、地域の医療者、介護者同士のネットワーク整備を進めたい」と話す。

 未曽有の被害をもたらした東日本巨大地震。被災地の現場で患者や医療者はどう対処し、支え合っているのか。緊急リポートする。

(2011年3月23日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38489
[緊急連載] 震災の現場から(2)絶望、自責…心の傷深く

 津波の被害が激しかった宮城県東松島市の保健師、門脇裕美子さん(33)は、避難所巡回の帰り道、国道の真ん中でひとり立ちすくみ、号泣する中年男性に出会った。巨大地震の直撃から1週間後のことだ。

 「日にちもたったから、もう生きてないでしょう。せめて遺体だけでも……」

 男性は、おいと車に乗っていた時に津波に遭い、おいだけが流された。この日まで必死に捜し回ったが、それまで張り詰めていた心がぽっきり折れたようだった。落ち着くまで道路脇で話を聞き、いつでも保健所を訪ねるように伝えた。

 「私だけが生き残ってしまった」「不安で眠れない」「津波を思い出して苦しい」

 避難所でそんな声をよく聞くようになったのも、この頃からだ。家族や家を失ったショック、避難所生活のストレスで、心身の不調を訴える人が増えている。

 「命が助かった興奮や生活の混乱から落ち着き、現実に向き合う時。何もかも失って、今後何を支えに生きればいいのか、絶望を感じ始めている」と門脇さんは語る。

 日本赤十字社は14日、宮城県石巻市の石巻赤十字病院に「こころのケアセンター」を設置。臨床心理士と看護師が、被災者や救護にあたる職員の心のケアを始めた。同市では、門脇さんら避難所を回る保健師が、心のケアが必要だと感じた被災者を精神科医や看護師らが訪問する活動も始まった。

 家族全員が津波で流され、避難所で暮らす40歳代の女性は「私一人が生き残ってしまい、つらい」と保健師に明かし、泣き続けた。保健師や看護師がこまめに訪問することが決まった。

 ストレスに弱い精神病患者も深刻だ。薬が切れ、慣れない環境で不安感が高まり、幻聴や幻覚を訴える人も多い。手洗いなど、同じ動作を繰り返す強迫性障害の男性(32)は「避難所に入ってからトイレが近い。イライラする」と訴え、精神科医に不安を抑える薬を処方された。

 被災者の救護に当たる職員のケアも欠かせない。

 門脇さん自身、被災後4日目まで両親の安否がわからないまま働いた。自宅に一度も帰らず働き続ける職員も多い。強制的に交代で休憩を取ることを検討している。

 同病院のこころのケアセンターは、足湯やマッサージを提供する職員向けの休憩所を用意。心配な症状がある人は、臨床心理士が相談に乗る体制を取る。

 石巻市の避難所を巡回した東大病院の精神科医、桑原斉さん(36)は、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が増えるのはこれから。継続的な支援が必要だ」と訴える。

(2011年3月24日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38578
[緊急連載] 震災の現場から(3)抗がん剤中断 一人悩む
 
 揺れに襲われた時、真っ先に手に取ったのは、尿を取る管と、腹部の人工肛門(ストーマ)に着けて便をためる替えの袋、そして抗がん剤だった。「私の命綱ですから」。財布のことなど考えもしなかった。

 仙台市の佐藤千津子さん(40)は、2007年に見つかった小腸がんの治療を続けている。これまで3回の手術を受け、腹部2か所にストーマを作った。ぼうこうの一部も切ったため、自然に尿を出せなくなり、自分で管を入れて出すようになった。

 腹膜にまで散らばったがんは手術で取りきれず、抗がん剤の飲み薬で大きくなるのを抑えている。最近は、朝晩1錠ずつ2週間飲み、2週間休む治療を続けている。当初、休む期間は1週間だったが、副作用の下痢や粘膜の炎症が激しく、2週間に延ばした。

 地震が起きた日は、服用9日目。水、電気、ガスが止まり、不安が襲った。

 断水中の下痢はつらく、入浴できないと粘膜の炎症がひどくなる。そこから感染症を起こす恐れもある。

 「でも、飲むのをやめたらがんが増えるのでは」

 服用を中断するべきか、続けるべきか――。東北大学病院の主治医にたずねたかったが、電話がつながらない。やっとつながっても「被災の重症患者のみ受け入れています」という自動音声が流れるだけだった。

 一人で悩んだすえ、中断を決めた。

 「相談窓口もなく、自己判断で決めるのは不安。非常時には、がん患者はこれほど顧みられないのかと、がく然としました」と語る。

 病院と連絡が取れたのは24日。もう一つの不安だったストーマ用替え袋は、販売業者と連絡が取れ、入手できることになった。

 地域のがん診療の拠点である宮城県立がんセンターも、地震ですべてのライフラインが断絶し、通信回線がダウン。来院患者の診療はしたが、ホームページでの情報発信もできず、患者への連絡が取れなかった。検査も手術も放射線治療も、まったくできなかった。

 大沼繁幸事務局長は「治療や情報発信をしたくても、どうにもできなかった。どうすれば良かったのか今も考え続けている」と語る。

 治療法が進んで、外来に通院しながら、抗がん剤治療を受ける患者は増えている。非常時に、そうした抗がん剤治療を続ける患者はどうしたらいいのか。

 癌(がん)研有明病院化学療法科部長の畠清彦さんは「がんの種類などにより、中断が可能かどうかは変わる。手術後に補助的に抗がん剤を使っている場合は、多少中断しても問題はない。患者と主治医の緊急連絡手段や、いざと言う時に備えた服薬法指導などの取り組みを今後、進めるべきだ」と話す。

(2011年3月25日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38688
[緊急連載] 震災の現場から(4)休診続出、医師不足に拍車

 避難所の朝は早い。

 午前8時半、岩手県山田町の町立山田南小学校1階の教室前。60人を超す被災者らがイスに座って整然と順番を待っていた。教室内の仮設診療所で診察や薬の処方を受けるためだ。表情には疲労感が漂う。

 三陸沿岸部に位置する同町は、巨大地震と津波に加え、中心部が猛火に包まれた。仮設診療所で患者を診る開業医の近藤晃弘さん(51)も被災者の一人だ。近藤さんの医院は2階部分まで津波が押し寄せ、大事な診療器具がのみ込まれた。水が引くのを待ち、3階の手術室から添え木やはさみなど器具類を運び出した。

 夜明けを待って家族や医療スタッフと避難所の山田南小に駆け込んだ。負傷者が続々と運び込まれてきた。知り合いの開業医が走り回り、まるで野戦病院のようだった。

 「何とかしなければ――」。そのまま診療チームに加わった。整形外科が専門だが、骨折や打撲だけでなく、腹痛など内科的な手当てもした。すぐに薬が足りなくなり、避難所のスタッフが医院のがれきから痛み止めや降圧剤を掘り出してくれた。泥をきれいに洗い落として使用した。

 現在、山田南小の仮設診療所には全国から医療支援チームも入り、常時3人前後の医師が診療にあたる。避難所外からも含め、多い時には1日360人の患者があるという。

 厚生労働省の「必要医師数実態調査」(2010年6月実施)によると、岩手県は、医療機関が必要とする医師数が現状の医師数の1・4倍と、都道府県別で最も不足の度合いが大きかった。その県内でも三陸沿岸部は深刻で、人口1万8600人の山田町にある医療機関は県立山田病院と4か所の診療所のみ。そのため、30キロ・メートル離れた宮古市やさらに遠い内陸部の医療機関に通う患者も少なくない。今回の震災で、県立病院と三つの診療所が被災して休診に追い込まれており、「医療崩壊」にさらに追い打ちがかかった形だ。

 近藤さんは現在、避難所を出て、知人宅に仮住まいしながら医院の再建準備を進めている。

 「山田町は震災でこれまで以上に医師不足が深刻化する。われわれ地元の開業医は逃げるわけにはいかない。この町の医療を立て直したい」。近藤さんはこう力を込める。

 被災地に多数入った医療支援チームもやがて引き揚げるときが来る。政府与党は復興に向けて、震災支援策の策定を進めているが、崩壊に瀕(ひん)した地域医療の復興についても「処方せん」が必要だ。

(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011032800204
JOC医療チーム、被災地へ=スポーツ界挙げて支援

 スポーツ界を挙げて、東日本大震災の被災者を支援しようと、日本オリンピック委員会(JOC)の救援医療チームが28日朝、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターをワゴン車で出発した。岩手県大船渡市の寺を拠点とし、医師不足が深刻な避難所への往診などを行う。
 第1陣はJOC情報・医科学専門委員会の増島篤氏(整形外科)、赤間高雄氏(内科)ら医師、スタッフ計6人。出発式では、チームリーダーの増島医師が「五輪やアジア大会で培った医療サポートのノウハウを使い、少しでも役立つため全力を尽くす」と決意表明した。
 6人は同日夜に現地へ到着予定。31日まで医療活動を行い、第2陣と交代する。JOCの市原則之専務理事は「長く継続して行い、行政が手の届かないところをサポートしたい」と語った。(2011/03/28-10:11)



http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110328/oth11032809430001-n1.htm
【東日本大震災】
JOCの救援医療チームが被災地に出発

2011.3.28 09:41

 東日本大震災の被災地の医療不足を補うため、日本オリンピック委員会(JOC)が編成した救援医療チームの第一陣が28日、被災地に向けて出発した。被害の甚大な岩手県大船渡市に赴き、31日までの4日間、現地の病院や避難所を巡回して医療活動を行う。

 JOCが、五輪で日本代表選手団の体調管理をサポートする情報・医・科学専門委員会のメンバーに呼び掛けて編成。第一陣は外科、内科、産婦人科、理学療法士の実務スタッフ4人に、JOC職員2人がサポートメンバーとして帯同する。

 大船渡市は津波により漁港など水産関係の施設が大打撃を受けた。53カ所の避難所では約5千人が避難生活を続けている。救援医療チームは現地の寺を拠点に、病院や避難所を巡回し、往診や医薬品の提供などの医療活動を行う。

 28日朝に東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われた出発式では、チームリーダーの増島篤医師(東芝病院スポーツ整形外科)が「五輪で培った医学サポートのノウハウを生かし、全力を尽くして被災者のお役に立ちたい」とあいさつ。NTCで合宿中のアスリートら約100人に見送られ、ワゴン車で出発した。

 JOCは今後も順次、救援医療チームを派遣し、4月末まで医療支援を継続する。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20110328-OYT8T00085.htm
医師ら 被災者の心ケア

 県内唯一の精神科専門公立病院・県立鶴岡病院の大類真嗣医師(34)らのチームが、28日から福島県内で震災後のストレスなどに悩む被災者への支援活動を始める。震災後、山形県内から心のケアを目的に医師が派遣されるのは初めて。

 同病院では東日本巨大地震の発生後、医師や看護師、精神保健福祉士らで「心のケアチーム」を編成。被災地に派遣する準備を進めてきたところ、厚生労働省と福島県から、同県郡山市や田村市周辺での活動を要請された。福島県内では医療機関が大きな被害を受け、医師や看護師が不足したり、必要な医薬品が手に入らなかったりと、以前の医療環境を維持するのが困難な状況だ。

 大類医師らのチームは27日午後、抗不安薬や風邪薬などの医薬品約10キロ・グラムと、マスクなどの衛生用品を持参して鶴岡市を出発。31日まで、現地の医療機関で滞っている精神科治療の引き継ぎに加え、新たに心身に不調をきたす恐れがある住民らの精神的ケアを行う。

 2007年の新潟県中越沖地震や、08年の岩手・宮城内陸地震で、県職員として被災地医療の後方支援を担当した大類医師は「他県のチームと協力し、数か月間は継続してサポートできる体制を作ることが重要だ」と話している。
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40550/Default.aspx
東日本大震災 医師の現地リポート 小児医療が後回しに メドピア調査
公開日時 2011/03/28 05:00

医師限定コミュニティサイト「MedPeer」を運営するメドピアは、3月11日に発生した東日本大震災で被災した医師や救援活動にあたった医師の現地リポートを募集し、3月25日にその一部を公開した。被害の多くが津波によるものだったことから、被災地には死亡者か軽症・無傷の人が多く、重症の救急患者があまり見られなかった状況が複数の医師から寄せられた。また、小児医療を提供できる医師が少なく、小児が後回しにされ、親を亡くすなどした小児の心のケアや治療に十分対応できていないとの意見も見られた。メドピアの会員医師は約3万5000人。

医薬品関係では、「薬や点滴注射の不足が深刻」(宮城県仙台市郊外の中小病院)や「地震から約10日後に内服切れ」(宮城県のクリニック)といった内容や、「(宮城県気仙沼市で)巡回診療を中心に行ったが、重症患者は皆無で、慢性疾患の通常薬がないとの訴えや、トイレ、水分の問題から便秘が多くみられた。また、コンタクトや皮膚の軟膏などの需要も高かった」とのコメントがあった。

メドピアは3月23日から被災地現地リポートを募集。24日15時現在で約300件のリポートが寄せられたという。現在も現地リポートは募集中で、今後も随時公開するとしている。

◎トリアージでは「黒」か「緑」がほとんど 「DMAT活動見直し図られるかも」

メドピアに寄せられたリポートには救急患者のトリアージに関するものも散見された。その内容は、「黒タグ(死亡)が多く、阪神大震災であった赤タグ(緊急治療が必要な重症患者)の数が少ない」や「トリアージの赤が限りなく黒に近く、黒or緑(軽症患者)といった感じ」というものだった。このような状況からリポートを寄せたある医師は、自身も、震災時などに急性期医療を専門に行う「DMAT(災害時派遣医療チーム)」として被災地に入ったものの、「被災者は生きているか死んでいるかの2択で、生きている人は軽症か無傷がほとんどだった。おそらくDMAT活動の見直しが図られるのではないだろうか」とのコメントを寄せた。

また、ある小児科医からは、大規模災害ということから救急、整形、外科の医師が多く駆り出されたこともあって、「親を亡くして立ち尽くす子にどのように接したらいいかわからない、PTSDに関してアドバイスができない、発達が正常かどうか判別できないなど、成人の治療は可能だが、小児は後回し、小児の対処はわからないということが多かったようだ」とし、「小児に対する『心のケア』『治療』ができるスタッフを同行させた方が良い」との意見を寄せた。

一方、医療提供面では物資不足のほか、「ご家族と会えないので、急変時のインフォームドコンセントなどの説明ができていない」や「医師より薬剤師支援が望まれる」とのコメントがあった。

そのほか、大震災を目の当たりにして、「死体検案書作製の仕事に携わった。涙なしではとてもできる作業ではない。現地の状況はテレビ報道や新聞記事の比ではない。悲惨そのものでとても言葉で言い表せるものではない」(宮城県で活動した医師)、「野戦病院というより生き地獄だった」(岩手県で活動した医師)、「DMATで出動した。空港で中等症患者の診療にあたったが、診療中も地震があったりして、被害にあってない私たちでさえトラウマになりそうな状況だった」――とのコメントもみられた。



http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110327/oth11032718350009-n1.htm
【東日本大震災】 ラグビー関係者も被災地でボランティア
2011.3.27 18:34

 東日本大震災で、ラグビー関係者にも被災地でボランティア活動をする動きが広まりつつある。

 青山学院大ラグビー部有志は、東京都が岩手県陸前高田市に派遣する「こころのケアチーム」の活動にボランティアとして参加。医師らを乗せた乗用車の運転手として奮闘している。

 関係者によると、話が持ち込まれたのは16日。経済学部3年の阿部兼利さん(21)は「何か自分にできることはないかと考えていたときだった」と志願した理由を語る。

 23日に医師や保健師らとともに阿部さんら部員2人が東京を出発。26日にも、第2陣が岩手県に向かった。いずれも5日前後の行程。現地では避難所を転々とする医師らの“足”となる。

 阿部さんは「テレビを見て感じていた以上に、被災地の状況はひどい。小さなことでもみんながやれば、大きなことになる」と力を込める。

 日大、リコーでFWとして活躍した整形外科医の龍啓之助さん(37)は22~25日、岩手県北上市と釜石市の病院で治療に当たった。

 ラグビーの試合で何度か足を運んだ岩手が被害を受ける様子をみて、日大OBの医師に手伝いを申し出、勤務先の病院の了承を得て、医師不足の被災地に駆けつけた。

 龍さんは「目の前で家族が津波に流された人、息子さんがいなくなった人…。あまりにもつらい現実があるが、一人一人が力になれることを考えていくことが大事」と訴える。



http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110328ddlk07040112000c.html
東日本大震災:避難中に津波 南相馬の介護老人保健施設、死者・不明33人 /福島
 ◇松林の向こうに海が盛り上がり 車椅子押し高台へ


 南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」。入所者136人のうち30人が死亡し、3人が行方不明だ。津波にのまれた様子を職員が詳細に語った。

 ◇「浸水区域」外、避難中に津波

 東に向かって水田が広がり、2キロ先の海岸に松林が小さく見える。その向こうに海があるが、木の陰になっている。津波後、水田も施設敷地も泥で埋まった。平屋建ての建物のガラスはすべて破れ、室内は天井近くまで汚れた。周囲には入所者の履物や食器が散らばっている。

 施設を運営する医療法人慈誠会の小林敬一事務長(60)は「ここは津波ハザードマップの浸水区域に入っていなかった。こんなことになるなら、入所者を早く逃がしてあげればよかった」と振り返った。

 南相馬市は震度6弱。施設の倒壊や火災の危険があったため、小林事務長ら職員約30人はベッドや車椅子に乗った入所者を玄関前付近の屋外に避難させた。携帯ラジオは大津波警報を伝えていたので、女性職員(49)は高台に逃げることも考えたが、入所者は認知症や体の不自由な人が多くためらいがあった。気付くと、普段は見えない海が松林の向こうに盛り上がって見えた。津波が迫っていた。

 それから4、5分。職員らは慌てて、リフト車3台に入所者を乗せ、約800メートル離れた避難所、県立浜高等技術専門校に連れていこうとしたが、運べるのは1台6人程度。乗れない人は、残りの職員がベッドや車椅子を押して少しでも高い方へと道路を走った。女性職員は「真っ黒な波が水煙を上げながら近づいてきた」と振り返る。

 逃げ切れなかった多くの入所者が流された。職員らは腰まで泥水につかって、おぼれる入所者を助けようとしたが、見つけられなかった人も多い。助かった人の中にも、その後持病が悪化するなどして死亡した人もいる。

 市が09年3月に作った津波ハザードマップでは、浸水想定区域は海岸から約500メートル。施設は昨年秋にマップを入手し、浸水区域に入っていないことを確認して津波の避難訓練はしていなかった。

 県は過去の地震規模を参考に、マグニチュード(M)7程度を想定して浸水地域をシミュレーションし、同市はそれを基にマップを作った。同市防災安全課は「地震と津波は想定外の規模だった」と話した。

 小林事務長は変わり果てた施設を前に「いい所だったんです。これが津波の破壊力なんですね」と肩を落とした。【平川昌範】

毎日新聞 2011年3月28日 地方版



http://mytown.asahi.com/areanews/fukushima/TKY201103270140.html
「動く総合病院」スタート 避難所巡回 専門医が団結
2011年3月28日

 内科や小児科、心身医療科やリハビリテーション科、眼科など、県立医大のさまざまな専門医がスクラムを組んで避難所を巡回する「動く総合病院」が、28日からいわき市で始まる。避難所暮らしが長引く中、避難している人の健康を守ろうとの試みだ。

 併せて、自宅にいて支援から取り残されている高齢者世帯などには、同医大の「家庭医チーム」が訪れ、人々のケアを始める。

 「動く総合病院」は、県立医大小児科学講座の細矢光亮・主任教授が中心。震災後、小児科医がチームを組んで避難所を訪れ、子どもたちを診察する中で、お年寄りなど大人にもケアを広げる必要性を痛感したという。

 「余震があると目がさえて眠れない」という女性や、糖尿病、心臓病など持病が悪化した人々、ずっとじっとしていたため機能が低下して歩けなくなった高齢者……。さまざまなニーズが予想されるという。眼科や耳鼻科、泌尿器科や、理学療法士、看護師なども含めた専門家10人1チームで、地元医師会とも協力しながら「高度な医療」を提供する。3チームがいわき市から活動を始め、いずれは県内すべての避難所に広げたいとしている。

 細矢教授は「病院で患者を待つのではなく、地域に出て行ってこの災害時に対応したい。やり始めればおのずと道は開ける」と話す。

 一方、県立医大の地域・家庭医療学講座の葛西龍樹教授を中心にした「家庭医チーム」は、家庭医だけでチームを組み、南相馬市やいわき市などを回る方針。自宅にいて「支援や治療から取り残された」人々を掘り起こして手当てする。家庭医とは、病気をもつ人を、背景の生活環境や地域、家庭などとのつながりを含めてとらえ、幅広い疾患に総合的に対応する医師。(斎藤智子)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33307.html
再生に向け、動き始めた被災地の医療

 警察庁によると、東日本大震災で最も大きな被害を受けた宮城県の死者数は3月27日午後6時現在、6477人に達し、同県だけで阪神淡路大震災の死者数を超えた。同県沿岸部では、いまも行方不明者の捜索が続き、震災の残した爪あとは依然として大きい。その一方で、電気や水道などの復旧が徐々に進み、県内の医療機関は再生に向けて動き出している。

 津波で壊滅的な被害を受けた同県石巻市―。港からほど近い石巻市立病院の入り口には、津波で流された車が横たわり、ガラスの破片が散乱していた。入院患者は他の医療機関へ搬送され、同病院は既に閉鎖されていた。病院のそばには、完全に水没した調剤薬局があり、被害の大きさを物語っている。

 同病院から車で約5分。同市門脇町にある石巻港湾病院は、津波で5階建ての1階部分がすべて水没した。11日の地震直後、院内には132人の入院患者がいたが、上階に避難させて難をしのいだという。
 その後、同じグループの病院から支援物資が到着して以降、少しずつ回復の兆しが見えてきたが、19日に電力が復旧するまでの間、注射器でたん吸引を行った。「看護師の親指が豆だらけになった」。同病院でマネージングディレクターを務める間山文博さんは振り返る。

 近隣の特別養護老人ホームが一部の患者を引き受けてくれたため、入院患者数は現在90人。まだ水道が復旧しておらず、風呂を沸かすことができないため、毎日、患者の身体をタオルなどで拭いている。26日には患者を通常の病棟に戻したが、160人の職員の約3割が避難所で暮らしているほか、自宅が損壊した 20人は院内での宿泊を余儀なくされている。
 それでも同病院は前向きだ。4月上旬には水道が復旧する見通しで、復旧後には外来を再開する予定だ。「患者さんや地域から必要とされている限り、この場所で医療を続け、地域医療に貢献したい」。間山さんはそう力を込めた。

■29日にも外来再開の病院も


 一方、仙台市宮城野区にある東北厚生年金病院は、間一髪のところで津波の被害から逃れた。田林晄一院長は「本当に、ぎりぎりのところで助かった」と振り返る。同病院の近くを流れる七北田川の水位が急上昇し、堤防を超えそうになったという。
 しかし、強い揺れで病棟の一部や配管が破損。一部のフロアは水浸しになった上、水道や電気などのライフラインはストップした。そんな中、病院には同区内で被災した住民が次々と避難し、一時は約1000人の住民が集まったという。被害の深刻さを考え、患者だけでなく、避難者にも食事を提供した。
 食事が十分に配れない上、暖房も温水もない―。同病院では精神科の患者などを除く323人の入院患者を、他の病院へ一時的に転院することを決め、外来については再来患者の薬の処方のみに応じる方針で臨んだ。一方、1000人いた避難者に対しては、自宅近くの避難所へ移るよう勧めたという。

 その後、電気や水道などのインフラが順調に回復。全国社会保険協会連合会(全社連)からの支援物資も届き、薬も1週間分まで処方できるようになったという。一時転院している入院患者を既に呼び戻し始め、29日には外来診療も本格的に再開する予定だ。
 「患者やその家族と同様に、病院の職員も地震と津波で大きなショックを受けています。そうした職員に対する精神的ケアが今後は重要になってくるでしょう」。田林院長は残された課題をそう指摘し、災害医療の長期化に気を引締めている。

( 2011年03月27日 22:25 キャリアブレイン )



http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/448bf772c4029de3df9144f0a1e30749/
犠牲者は10万人規模のおそれ、厳しい状況認識を持ち長期的支援体制を(1)
- 11/03/27 | 18:25

 戦後最悪の災害となった東日本大震災。3月13日から26日まで福島県いわき市や宮城県気仙沼市で医療活動支援にあたった、永田高志医師(日本医師会救急災害医療対策委員会委員、九州大学病院救命救急センター特任助教、姫野病院勤務)に、被災地での医療支援の状況について聞いた。

――現場の医療支援活動の状況はいかがですか。

 いわきでの支援活動のあと、3月24日の朝に気仙沼に入りました。日本医師会災害支援活動(JMAT)としては支援を被災地にランダムに送るのではなく、拠点ごとに集中して支援を投下する必要があると考えています。気仙沼はそのひとつで、私は適正な支援をするための情報収集の役割もありました。
 
 気仙沼には東京医師会をはじめ、関東の大学病院など各地域からの支援チームが入り、気仙沼市民病院を拠点に医療活動を展開しています。東京医師会のチームが中心に、統率力を持って支援活動を円滑に運営していると感じました。
 
 大震災発生から約2週間たって、もっとも厳しい時期は脱しつつあるようです。しかし、10日以上たった24日でも、気仙沼から仙台に向けて患者さんを広域搬送する必要があるなど、これまでの災害時にはこれだけ時間がたって広域搬送を要することはなく、それだけ状況が厳しいといえます。
 
 気仙沼の厳しいところは、市街地が広範囲に被災し、医療活動にあたるべき地元の医師・医療関係者も被災してしまったことです。まずは、地元医師が自らの診療所を立て直さなければ医療活動に携われません。地域医療のことは地元の医師がもっとも知っています。患者さんもかかりつけの医師のほうが安心です。徐々に活動は回復していますが、通常であれば、外部からの緊急支援は、徐々に地元の医療機関に引き継いでいくのですが、こちらでは2~3カ月は外部の支援が必要になると思います。

――これから必要になる医療活動はなんでしょうか。
 
 いま懸念していることのひとつは、医療支援が届いていない場所が多数あるということです。三陸地域は小さな集落が広範囲に点在しています。今の体制ではこうした小さな集落を回りきれていません。これを解消する必要があります。
 
 今回、私は通常の緊急災害支援時の2倍の期間にあたる約2週間活動をさせてもらいましたが、それでも広大な被災地に対して何も出来ていないという「ある種の無力感」を感じています。
 
 もうひとつ、日常の薬を届ける必要があることです。2週間が経過し、日常的に飲んでいる薬が切れてしまった人が増えています。こうした被災者たちを探して薬を届けていかなくてはなりません。
 
 避難所の環境もとても危惧しています。過密、衛生状態により、インフルエンザや胃腸炎を起こすノロウイルスなど感染症が懸念されます。
 
 私が訪ねた避難所のひとつは、公民館でしたがスペースに比べて人数が多すぎました。避難所では1人あたり4平方メートル以上のスペースが必要とされていますが、遥かに不足しています。トイレも大幅に足りません。また手洗いやお風呂など衛生用の水が圧倒的に不足していました。洗う水が不足していますから、アルコールで殺菌していますが、ノロウイルスはアルコールでは死にません。感染者が出ても隔離するスペースがありません。女性の生理用品の不足も問題です。
 
 通常時であればさほど懸念するようなことがないことが問題になります。衛生環境の確保には保健師が努力していますが、医師にもトイレの数や密度など避難所のざっくりとした状態に注意してほしいとお願いしています。これらの感染症問題は普通の生活環境を取り戻せれば自然になくなります。水の供給や仮設住宅の建設などを一刻も早く進めるしかありません。
 
――気仙沼といわきで必要な支援に差はありますか。

 やはり被災地の置かれた状況により差はあります。いわきは沿岸部の津波被害は厳しいですが、市域が広く、被災の程度が低い医療機関もあり、そうしたところでの対応ができました。しかし、水道が不足し、また物資も拠点となる集積所から、各避難所などに届ける末端の物流が混乱するなどの課題がありました。ただ、現時点では状態はよくなっています。一方、気仙沼は電力・通信も途絶し、街全体が被災したため、地域だけでの対応が困難です。
 
 阪神淡路大震災は被災地域が狭かったので、必要とされる支援の内容がある程度似ていました。しかし、今回は被災地が非常に広い地域にわたっているので、地域ごとに必要なことが大きく違います。地域のニーズを把握して支援する必要を強く感じました。
 
 いわきで特徴的だったのは、原発事故による放射線被曝問題です。被爆そのものが問題になる環境ではもちろんないのですが、一時現地には原発の情報がはっきりとは伝わらず、支援スタッフにも動揺がありました。私自身、専門的な教育を受けているにもかかわらず、恐怖を覚えました。医師として、平常心を保ち、正しく情報を得て的確に判断する重要性を改めて感じました。いわきは一時的に非難していた人たちも戻り始め、支援のシステムはできていると思います。
 
 また、目立たない活動ですが、災害時には亡くなった方の死因を特定して死亡を確定する検案もとても大きな仕事になります。気仙沼で検案に当たっていた法医学の先生によれば、震災後3~7日ごろがピークだったそうですが、私が行った24日にも断続的にご遺体が運ばれてきました。
 
 先生によれば、気仙沼では90~95%が溺水、5%が焼死だそうです。家屋の倒壊などいわゆる地震による被害がほどんどなく、津波の被害が圧倒的だったことがわかります。
 
 復旧作業が進むにつれ、まだまだご遺体は見つかると思います。この状況では、私の経験では、10万人規模の方が犠牲になっていると想定するのが妥当だと思います。現地で活動している方に取材してもその程度という認識を持つ方が多かった。

  救急医療にはオーバートリアージという考えがあります。緊急を要する場合には、症状を悪い方に想定し、治療を施すという考え方です。結果的にそんな治療までする必要はなかったとしても、治療が手遅れになるよりはいいということです。震災発生直後から大規模な救援体制を投入していればもっと救えたのではないかと残念です。 

 東京では死者・行方不明者で3万人弱という災害規模の認識があるように感じますが、そうした認識では被災地の支援・復旧活動が不十分になる恐れがあります。今までの災害の経験は通用しないような厳しい状況という認識で対応に当たる必要があります。細く長い支援を継続していかなければなりません。
(聞き手:丸山 尚文 =東洋経済オンライン)



http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/20110328-OYS1T00361.htm
長崎大チーム24時間奮闘、岩手の被災者と寝食共に

 長崎大の医療チームが、東日本巨大地震の被災者が身を寄せる岩手県大槌町の避難所を拠点に、被災者と寝食を共にしながら24時間体制で救護にあたっている。被災地の医療体制が十分に整わない中、避難者だけでなく自宅で暮らす被災者からも頼りにされ「あそこにいけば、お医者がいるから安心だ」と感謝されている。

 「ばあさんの調子がおかしいもんで、先生ちょっと来てくんねえかな」「避難所生活が長いと体がだるくてねえ」。避難所の医療チームのもとには、体調を崩した高齢者がひっきりなしに訪れる。対応するのは、孫のような年齢の同大研修医、原田直樹さん(26)だ。

 近くの民家の往診も、原田さんの仕事の一つ。21日午後、原田さんは、頭痛とだるさを訴えていた臼沢芳子さん(83)を診察した。「低血糖が原因です。ブドウ糖をしっかりとってくださいね」と優しげに言うと、心配そうに様子を見守っていた親類ら約10人から口々に「ありがとうございます」と感謝され、少しはにかんだ。

 同じ日に診察した阿部七郎さん(66)は糖尿病の持病があるが、薬が流されてしまった。「最近、足の裏に土か砂があるような気がして長靴脱ぐんだけど、何もねえんだよなあ」。ピンと来た原田さんは、「神経障害が起きているのかも」とすぐに言い当てた。「痛くねえから何も気にしてなかった。先生に診てもらってよかった」

 原田さんは将来、外科の開業医である父の跡を継ぐ予定だが、避難所での経験で、総合医療を身に着けたいとの思いを強めた。「避難所では、風邪の人、高血圧の人、何でも診た。困っている人みんなの力になりたい。その思いが間違いじゃなかったと分かりました」

 第1陣である原田さんらは22日夕、長崎県へ戻ったが、後発隊が3月いっぱい救護にあたる。
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.komei.or.jp/news/detail/20110328_4842
東日本大震災 ドクターヘリ、懸命の救出
公明新聞:2011年3月28日付

“空飛ぶ救命救急センター”
被災地に16機が集結
重病新生児、患者らの命つなぐ


“空飛ぶ救命救急センター”と呼ばれるドクターヘリ―。東日本大地震の発生後、16道府県の16機が直ちに被災地に派遣され、負傷者や入院患者らの懸命の救出活動に当たった。

ドクターヘリが小さな命を救った―。地震発生の前日に生まれ、仙台市青葉区の病院に入院していた男児が19日、ドクターヘリで静岡市の静岡県立こども病院に搬送された。

この新生児は重い心臓病を抱えており、被災地では万全の治療態勢が取れないでいた。男児は「予断は許さないが容体は安定している」(同病院)という。静岡県(聖隷三方原病院)のドクターヘリが出動した。

「とにかく津波警報が鳴る中での懸命の作業でした」。こう語るのは、災害派遣医療チーム「DMAT」として群馬の前橋赤十字病院から派遣された町田浩志医師だ。宮城県石巻市で、津波で破壊された市立病院からの患者救出に当たった。

100人を超す患者の搬送に8病院29人のDMAT隊員とドクターヘリ7機が参加、後に自衛隊ヘリも加わり救出は深夜に及んだ。

地震発生の翌日、ドクターヘリで被災地入りした山口大学医学部附属病院・高度救命救急センターの笠岡俊志准教授も、石巻市立病院の患者らを搬送した。笠岡准教授は「医療行為を続けながら患者を運べる点が防災ヘリとの違いだ」と、その有効性を強調する。

今年3月、四国で初めて高知県に導入されたドクターヘリの初出動は、東日本大震災の被災地派遣だった。津波被害が甚大な岩手県大船渡市や釜石市からの患者搬送に力を発揮した。

来年度中に38都道府県に配備

現在、ドクターヘリは、(中略)、全国配備が進んでいる。

12年度中には38都道府県にまで拡大する予定だ(東京都は独自方式)。

藤田保健衛生大学医学部 野口宏教授に聞く
公明党が救急医療現場の悩みを改善して全国的な配備が進んだ

ドクターヘリの全国的な配備などを後押ししてきた藤田保健衛生大学医学部の野口宏教授に話を聞いた。

大震災が起きてから、初動段階だけで、少なくとも100人以上の重症患者を搬送したと聞く。ドクターヘリの特徴である「小回りの良さ」が生かされた結果だ。搬送する“道”が空路であれば、がれきで道路がふさがっている陸路よりも、格段の速さで重症患者を安全な場所へ、ピストン輸送できる。

また、ヘリに医師を搭乗させているので、早くから現場あるいは搬送中にも患者に医療行為ができるのも大きい。全国各地のドクターヘリのさらなる活躍を期待したい。

私は約30年にわたって、災害医学、救急医療に携わってきたが、公明党は、現場で悩んでいることをすぐに受け取り、改善してくれる。

ドクターヘリも、こちらが「こういうのがあれば」と思うことを公明党の皆さんが具体化してくれた。国ではドクターヘリの全国配備を促進する特別措置法の制定を、地域では公明党の地方議員が後押ししてくれた。「悩んでいる時、気がつけば公明党」という印象だ。

それだけではない。公明党は、救急救命士の誕生をはじめ、救急現場や搬送中に高度な医療処置を行うことで救命効果を高める「プレホスピタルケア」(病院前救護)にいち早く取り組んできた。常日頃から地域住民と密接につながっている公明党の活動に今後も期待したい。

のぐち・ひろし 1943年生まれ。名古屋市立大学大学院医学研究科修了。愛知医科大学名誉教授、愛知県救急医療情報センター統括センター長、NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」理事。



http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001103280003
被災地派遣の名大チーム報告
2011年03月28日

●感染症予防など国が態勢作りを


 東日本大震災で、被災地へ派遣されていた名古屋大病院(名古屋市昭和区)の医療支援チームがこのほど帰還し、会見を開いた。指令役を務めた松田直之教授(48)=救急・集中治療医学=は「被災地で求められる医療は公衆衛生や予防医学へ移っている。冷え込みが厳しい避難所で命を落とす人が出ないよう、国が関与して早急に態勢をつくるべきだ」と主張している。
 チームは松田教授ら医師4人を含む計8人で18日に名古屋市を出発。宮城県石巻市の石巻赤十字病院を拠点に4日間活動した。
 松田教授らによると、石巻赤十字病院では、ピーク時に自衛隊などのけが人を乗せたヘリコプターが1日で延べ200機飛来していたが、持病で薬が切れてしまった人や、被災後に病気にかかる人がだんだん増えていったという。
 避難所の巡回で4日間で約400人に声をかけ、180人を診療した。うち150人に薬を渡した。避難所では、水道が復旧しておらず、長靴の泥を地面にたまった水で洗い、手洗いができないまま食事をする人もいた。「感染症のリスクが高まっている。飲料水が不十分な状況では、脱水症状を起こすと死亡につながる可能性もある」(松田教授)という。
 松田教授はさらに、分散している避難者を集約することが重要だと説く。また一時的に遠隔地に搬送された高齢者が地元へ戻ってこられるよう、受け入れるための仮設住宅の整備も必要だと指摘している。同行したチームの医師らからは「長期的な支援が必要」「重症化しないよう早期に医療が介入する必要がある」などの声も出た。
 同病院では第二陣の医療支援チームを25日に派遣、現地で4日間の予定で医療活動をしている。4月上旬以降は、南三陸町の避難所を拠点に、東京大、千葉大などと合同で医療活動を続けるという。
 名古屋大病院では、避難所などでの放射線測定のために、放射線技師ら2人を20日にかけて福島県へ派遣したほか、自衛隊の協力で医療資材2トンを東北大病院(仙台市)へ送っている。



http://mytown.asahi.com/areanews/fukui/OSK201103270090.html
被災地で介護経験者不足 県ボランティア連絡会が報告
2011年3月28日

 県内のNPO法人や社会福祉協議会でつくる県災害ボランティアセンター連絡会は27日、代表者を集めた会議を県庁で開き、東日本大震災の支援について情報交換した。介護経験のあるボランティアが不足していることが報告されたほか、連絡会として岩手県陸前高田市を重点的に支援することを決めた。

 会議は震災の発生後2度目。14日から募集を始めたボランティアは27日までに1438人が集まったが、現地で人手が足りない介護士と介護福祉士は32人にとどまっているという。連絡会は、資格がなくても介護の経験のある人の登録を求めている。

 派遣はこれまで医療関係者に限っているが、4月2日に出発予定の第4陣から、一般のボランティアも加わる可能性があるという。会議では、「派遣を待っている人もいるだろうが、町の再建の歩みに合わせれば出番はもう少し遅くなるだろう」(県社会福祉協議会)との意見も出た。

 また、県社会福祉協議会が岩手県陸前高田市の社会福祉協議会を支援していることなどから、連絡会として今後、同市に重点的にボランティアを派遣することを決めた。状況を見て、他の自治体にも派遣が可能か判断するという。(笹川翔平)



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110328/bdy11032807160000-n1.htm
東日本大震災 被災直後に石巻で医療活動 中西加寿也医師
2011.3.28 07:12

 ■診察場所の確保に苦労 病院内は患者であふれる


 東日本大震災で、被災直後に石巻赤十字病院(宮城県石巻市)で医療活動に当たった、成田赤十字病院(千葉県成田市)の中西加寿也医師(52)に、当時の様子を聞いた。

 --現地にいた期間は

 「12日夜から14日昼まで。日赤の救護班の一員および災害派遣医療チーム(DMAT)として派遣された」

 --病院の状況は

 「到着時、1階のフロアはすべて人で埋め尽くされていた。毛布を敷いて横になっている人もいれば、椅子に座っている人もいた。このフロアでは軽症患者と中等症患者に分けて、それぞれ別のブースで治療に当たっていた。椅子や簡易ベッドを使っての診察だったが、それ自体は大きな支障はなかった。しかし、治療が終わり、避難所に戻ることが可能と判断されても、電気、水道、暖房などライフラインが確保されておらず、過酷な環境のため、病院の中に置いてほしいという人が多く、被災者が院内に滞留する結果になった」

 --日中の病院の様子は

 「早朝から、ヘリコプターや救急車などが、ひっきりなしに救出した患者を搬送してきたので、院内の滞留は続いた。13日は、中等症患者の診療を担当したが、寝かせて診察する場所をつくり出すのに苦労した」

 --医薬品は足りたか

 「医薬品や検査試薬は、一部で残量が少なくなってきて、さらに補給のめどが立っていないため、使用するかどうか判断が難しかった。手術は、器具の洗浄などのための水が不足していることから、原則行われていなかった」

 --病院のライフラインは

 「通常使用の水は屋上のタンクにある貯蔵分だけで、電気も自家発電だったが、その燃料も14日まで、食料は入院患者用の備蓄が14日の昼でなくなってしまうという話だった。幸い電気は13日午後、優先的に供給が始まり、停電という事態は避けられた。食料も14日早朝、救援物資を積んだトラックが到着、何とか間に合ったと思う」

 --一番困ったことは

 「現地で何が起きているのか、情報を発信する手段が不十分だったことだ。インターネットも携帯電話も駄目、衛星携帯電話もなかなか使えない。薬が足りない、赤ちゃんのミルクが足りない、重症患者を別の病院に搬送したいなど、必要なことを伝えたいのに十分できない。病院の会議では、情報発信ができる地域に出た人は、とにかく石巻の惨状をアピールして、広めてくれと、みんなで話し合った」
                   ◇
【プロフィル】中西加寿也
 なかにし・かずや 昭和33年和歌山県生まれ。平成16年から成田赤十字病院救命救急センター長。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news/20110328-OYT8T00126.htm
「つらい現場だった」国境なき医師団一員宮城で活動

 東日本巨大地震の被災地、宮城県南三陸町で医療支援を行った長崎大熱帯医学研究所助教の鈴木基医師(39)が、同大で活動を報告した。人口の約半数が「安否不明」の状態で、避難所を回った経験を振り返り「支援者にとっても、つらい現場だった」と語った。

 NPO法人「国境なき医師団日本」の一員として16~19日、同町の戸倉地区で活動。公民館など8か所に約600人が避難しており、薬を入れたリュックを背負って訪ね歩いた。地元の医院は津波に流され、医師は行方不明。高血圧や心臓病などを患う被災者は薬を失い、多くが血圧200を超えていた。

 自分でも病名があやふやなお年寄りを前に、1日100人以上から症状を聞き出した。「じいちゃん、流されたんだぁ」。ぼそりと打ち明けるおばあちゃんの話をじっくり聞ける時間はなく、「次の診療を優先せざるを得ない罪の意識を感じた」という。

 避難所ではインフルエンザやウイルス性腸炎などの流行が懸念され、近く仙台市で母校の東北大と感染症調査や予防対策に取り組む。「高齢者が密集する環境で流行すると、多くの命に関わる。次は感染症研究者としての役割を果たしたい」
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.47news.jp/news/2011/03/post_20110328174524.html
感染症に注意、南三陸の避難所 医師「消毒を」

 人口約1万8千人の半数が津波で家を失うなどし、避難生活を送る宮城県南三陸町。約1500人が身を寄せ、町最大の避難所になっている総合体育館で医療ボランティアとして活動した大阪大の浜口重人医師(34)=呼吸器内科=は、現地の衛生状況悪化を懸念、感染症への警戒を呼び掛けている。

 浜口医師は避難所の現状について「1人が結核になったら大量感染が出てもおかしくない。それぐらい危機的な状況」と指摘。「正直できることは限られるが、マスク着用と小まめなアルコール消毒は、避難所に出入りする全員が徹底してほしい」と訴えた。
2011/03/28 17:44 【共同通信】



http://diamond.jp/articles/-/11648
咳ひとつで広がる感染、眼の病気に悩む人たち…
今起こっている「心配なこと」
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌⑤


3月11日に発生した東日本大震災。多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた被災地・石巻の赤十字病院へ、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として派遣された30代医師の現場レポートを、可能な限りリアルタイムに更新していく。災害そして医療の現場で、日々何が起こっているのか。
小学校の救護室に設けた
簡易診療所

 3月26日、昨晩から降り続いた雪が積もり、朝から肌寒かった。

 だが、市内は津波で流された住宅の残骸と泥が多く、美しい銀世界とは程遠い。

 石巻日赤病院で開かれた朝7時のミーティングに出席した後、前日のチームからの引き継ぎ事項を掲示板で確認し、診療のため避難所に向かった。今回は、日赤病院2チームと合同での診療だ。

 避難所は、沿岸部近くの小学校だ。避難所本部のリーダーに話を聞いた後、どのような医療ニーズがあるかを調査。1チームは低学年教室を避難所としているエリアを巡回、もう1チームは高学年教室を巡回することになった。我々のチームは、校内の救護室で簡易診療所を開き、救護室まで自力で来られる被災者を診療した。

現住所の代わりに
「音楽室」「図工室」と記載された処方箋


 この避難所では、被災者は「音楽室の〇〇さん」「図工室の△△さん」と呼ばれていた。もちろん処方箋にも、そのように記入する。ここでは現住所がなく個人を特定することが難しい。

 とはいえ、患者に間違った薬を処方することは是が非でも避けなければならない。

 通常の病院のように今すぐ薬を処方できる体制なら問題ないだろうが、我々医療支援チームは限られた薬剤しか持参していない。現在のところ石巻赤十字病院の薬剤師が手配した薬を、後から運ぶ方法を取っているが、身分証も流されて避難所に来ている被災者をきちんと特定できないと、非常に危険だ。

 そこで、被災者に誤った薬が届かないよう、名前や生年月日、いつもいる教室の場所などをなるべく細かく処方箋に書くよう気をつけた。

患者の半数以上が
嘔吐や吐き気


 本日診察した患者の半数以上は、嘔吐や吐き気の症状があった。

 この状況が、避難所全体を巻き込み感染が拡大しないか非常に心配だ。

 そう心配する理由の1つが寒さだ。

 この避難所では暖房も電気もなかった。私は診察中、カイロを背中に貼り、ズボンを2枚とひざ下までの長靴を履き、ネックウォーマーを巻いていたが、それでも底冷えする寒さだった。気温が低いとそれだけ体力の消耗も激しく風邪などの危険性高くなる。

 心配する理由の2点目が避難所の環境だ。

 ここでは約500人の被災者がいるためどの教室も人が多く、お互いが最大でも1メートル程度離れた状態で生活している。この状況では、誰か1人が咳をするだけで、感染が拡大する可能性が高くなるのだ。実際ある教室では、ほぼ全員が咳が出たりお腹をこわしたりしていた。

 また、お世辞にも避難所内の衛生環境がいいとは言えない。避難所は原則土足で、校内の廊下の大半は泥まみれだった。泥が乾燥し埃が舞い上がると、さらに感染が広がる可能性がある。マスクを着用するよう周知されているようだが、数日間同じ使い捨てマスクを使用しているなど、使い方を誤っている例もある。水道が使えないので、当然こまめに手洗いすることは不可能だ。災害対策本部の目下の重点事項の1つである「公衆衛生の徹底」を痛感した。

目の病気に悩む
被災者が多い


 一方、避難所で診療して気づいたのが、眼の病気に悩む被災者が多いことだ。避難所の通路は乾いた泥が舞い上がり、目に異物が入ることも多くなっている。不潔な手で埃の入った眼をこするため、眼の感染症が増えているのだろう。

 また、避難所には高齢者が多く、白内障の薬も必要だ。

 巡回診療中に「眼科の先生はいつ来るのか?」と問われることがあった。

 我々も神奈川県からたくさんの薬を持参したが、目薬は盲点だった。

 被災地では市販の目薬でも重宝されるので、今後は眼科系疾患にも十分に備えたい。

十人力の働き
「チーム・ヘルスケアクリニック厚木」


 この避難所の救護室にはすでに看護協会から派遣されている看護師が2名いた。

 そこで、私以外のJMATチーム2人は、避難所内のアセスメント(衛生環境や電気・ガス・水道等のインフラ状況のチェック、要介護の高齢者の有無、産科・小児科ニーズの調査)を担当した。

 我々のチームは、医師である私のほか、放射線技師の遠藤と、事務員の成澤から構成される。遠藤は通常、レントゲンの撮影などの業務を行っているが、被災地では、レントゲンフィルムの読影サポートと患者の運搬等を担当し、医師が見落としかけた救急患者の中手骨骨折を指摘するなどしてくれた。

 一方の成澤は普段、事務部長として勤務しているが、被災地では神奈川県医師会との折衝やワゴン車の運転や宿泊先の手配、現地でのガソリンや食料調達など医療チームの生活支援を担当した。

 神奈川県医師会を通じて派遣された「チーム・ヘルスケアクリニック厚木」では、そもそも自分たちの専門領域を超えて十人力の活動をしてくれたことが、今回の災害医療支援活動の大きな成果につながったと思う。

医師や看護師でなくても
できる支援活動がある


 たとえば積極的に被災者に声掛けをして被災地のニーズ調査をしたり、避難所で妊娠中や病気の人がいないか探したりすることは、医師や看護師でなくてもできることだ。

 医師の指示の元でこういった業務外のことに積極的に取り組んでくれるメンバーを集めることが、JMATなどのチーム編成で、重要なポイントだろう。

 我々の災害医療支援活動は、これでいったん終了し、神奈川県に戻ることになった。

 次回はこれまでを振り返り、これからの災害医療支援活動について何点か提言できればと思う。



http://www.rbbtoday.com/article/2011/03/28/75567.html
【地震】医師の42%、今後震災の影響で患者にPTSDと予想……QLife調べ
2011年3月28日(月) 16時15分

 QLife(キューライフ)は28日、東北地方太平洋沖地震の発生を受け、「大震災の医療現場への影響実態調査」の結果を発表した。対象者は、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の医師252名(診療所開業医82人、病院勤務医 170人)調査期間は24日~25日。

 まず「大震災に関連すると思われる“心因的な病状悪化”が見られる患者さんはいますか」という質問には、55%が「見られた」と回答。東京でも57%が「見られた」と回答しており、直接の被災地ではない地域においても精神面へのダメージが見られる患者が多いという結果となった。

 また「心因的な病状悪化」があるとする患者の属性/類型を、「小児」と「大人」のそれぞれについて尋ねたところ、「小児」では「喘息」や「発達障がい」の患者に多いという結果に。男女や年代での傾向は見られなかった。また「大人」では、女性が圧倒的に多く、年代別では高齢者が多いという結果になった。印象的であった症例として、「不眠」「めまい・浮遊感」「血圧の上昇」の順で多くあげられた。

 患者の不安を軽減するために、トランキライザーなどの向精神薬を新たに処方または増量したという医師は34%だった。患者の不安の原因としては、「余震が続く」(19.8%)、「悲惨な映像が繰り返される」(13.5%)、「震災に関して漠然と」(9.1%)、「被災地域に肉親や知人がいる」(7.9%)などとなった。

 また主な被災地域でないにも関わらず、自分の患者に「今後PTSD(心的外傷後ストレス障害)が見られる可能性」については、13.1%が「ほぼ確実」、29.0%が「可能性は高い」、42.9%が「可能性は低い」、15.1%が「おそらくゼロ」と回答した。
《RBB TODAY》



http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138576&servcode=A00
「自衛隊・警察・消防指揮する危機管理指令塔が必要」(1)

3月11日に発生した東日本大地震と津波による日本の被害規模は、死者・行方不明者が2万7000人以上、被災者は50余万人にのぼる。 大地震発生直後、日本政府の危機管理システムはどう作用したのか。 22日、日本の代表的な軍事アナリスト、小川和久・国際変動研究所理事長(65)に会い、自然災害に対応して日本が構築すべき危機管理体制の方向を尋ねた。

--東日本大地震発生直後、菅直人首相は真っ先に「自衛隊5万人の兵力を動員する」と明らかにした。 これまで動員された自衛隊兵力は計10万人を超える。 菅首相の緊急対策をどう評価するか。

「消防と警察は陸上競技に例えると短距離選手だ。 全国どこにでも配置されている。 これに対して軍事組織、軍隊はマラソン選手のようだ。 どこにでも駐屯する存在ではない。 駐屯地から被災地域が遠ければ遠いほど到着するのに時間がかかる。 中央政府の指示があってこそ動ける組織でもある。 菅首相が最初に5万人と述べたのは相当な決断であり、評価に値する。 しかし自衛隊だけでなく現地の人的資源、例えば消防・警察・地方自治体をどう活用すべきか、また必要な救援物資を的確にどこにどの程度投入すべきかを判断する指令塔が存在しなかった」

--中央で一括して指揮するシステムがなかったということか。

「私は安倍晋三(06年9月-07年9月在任)首相当時、首相官邸の国家安保に関する機能を強化するための‘官邸機能強化会議’の委員として活動し、国家安保会議(NSC)と危機管理庁(FEMA)の必要性を主張した。 しかし官僚の90%以上は現システムでも災害や戦争に対応できると政治家らに話した。 いくら専門家といっても、災害や戦争現場にいれば何も考えられない。 しかしさまざまな分野にわたり知識を備えた人が災害地域から離れたところで客観的に判断できる状況なら、さまざまなアイディアを提示できる。 今回も各分野の専門家10人ほどの指令塔を構成したとすれば、より効率的に対応できただろう」

--10人はどんな人たちか。

「リーダーは警察・消防・地方自治体などに関する情報を持っている危機管理通でなければならない。 陸海空自衛隊と警察・消防・海上保安庁・総務省・農林水産省・国土交通性・厚生労働省などで課長級エリートを選抜するのがよい」


http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138577&servcode=A00§code=A00
「自衛隊・警察・消防指揮する危機管理指令塔が必要」(2)

--菅内閣が初期対応で失敗した部分があれば。

 「人材をきちんと動員できず遊ばせたという点だ。 大抵の被害地域は人工衛星や偵察機で把握が可能だ。 首相官邸の司令チームは地震発生直後、陸上自衛隊のOH-6小型ヘリコプター20機ほどを被災地域に飛ばし、情報を収集しなければならなかった。 これを通じて被災住民の規模を把握し、被災者を助ける陸上自衛隊員と医療陣、医薬品、救護物資がどれほど必要かを具体的に判断し、すぐに指示を与えなければならなかった。 次は陸上自衛隊の6機の大型ヘリコプターCH-47を被災地域に往復させれば、日本のどの地域でも2-3時間で兵力を投入できる。 CH-47には55座席があるが、非常時にはこれを除去して全員立って出動するため、1機で125人を運べる」

--地震発生から1週間が過ぎても被災地域に救護物資が行き届いていなかった。

「近代国家ではありえないことだ。 全般的な現況把握さえできていないからだ。 自衛隊も、民間(企業・救援物資提供)も能力があったが、フル稼働できなかった。 陸上自衛隊の場合、250機のヘリコプターがあるが、半分も動けなかった。 原発の大量放水作業も同じだ。 すでに地震発生翌日の12日、最精鋭消防部隊である東京消防庁のハイパーレスキュー隊が現地に入ろうとしたが、放射能対応装備がそろわず保留となった。 結局、18日に現場に入った。 政府は(核対応能力がある)自衛隊に支援を指示し、ヘリコプターで現地に投入するべきだった。 東京消防庁はヘリコプターが6機しかない。 政府は情報が上がってくるのを待ってはならない。 事態が発生すればすぐに自衛隊をはじめとする専門家を集め、情報を収集し、これをもとに即時に対応策を指示できなければならない」

--菅首相は今後どのように危機局面を収拾するべきか。

「首相は柔軟な姿勢で政策をとる必要がある。 専門家が予想する‘大地震’に対応できる危機管理指令塔を構築しなければならない。 復元とともに今後の被災に対応する、そして日本の国家づくりの下絵を描かなければならない」



http://jp.wsj.com/Economy/Global-Economy/node_211294
【コラム】先進国、次の新たな危機には対応できない可能性
* 2011年 3月 28日 16:07 JST

 日本と欧州の危機によって生じた財政の緊張は、深刻化する問題を浮き彫りにしている。つまり、先進国は、新たな惨事が起きた場合、そのコストに対応できなくなりつつある、ということだ。

 日本と欧州は、まったく異なる危機に直面している――ひとつは自然がもたらした危機、もうひとつは人為的な危機だ。しかし、財政上の観点からすると、「災害」を抑えるコストがすでに逼迫状況にある政府の財政を拡張するという点で、それらは非常によく似ている。先進国の中で最も高い水準の債務を抱える日本で、それがどんな結果を招くのかはまだ不透明だ。欧州では、近くポルトガルが救済を求める最新の国となる可能性がある。

 日本とポルトガルの問題は、より大きな意味を持つ。先進国が国民と投資家、銀行、企業を「災害」の痛みから守る責任を果たそうとすると、財源を極限近くまで使ってしまう。もしそうなれば、次に大きな危機に見舞われた時、対応手段がなくなる可能性がある、と一部のエコノミストは指摘する。

 「新たな危機に耐えられるか、と聞かれれば、答えはノーだ。多くの国で、システムを再度救済することのできる政府は、単に存在しない」と2003年から 07年まで国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストを務めたシカゴ大学のエコノミスト、ラグラム・ラジャン氏は言う。

 ピーターソン・インスティテュート・フォー・インターナショナル・エコノミクスのカーメン・ラインハルト氏とハーバード大学のケネス・ロゴフ氏によると、2010年時点で、先進国の中央政府が抱える債務の年間経済生産に対する比率の平均は74%と、1970年の3倍以上となっている。これは第2次世界大戦後以来の高い水準だ。

 先進国の政府が危機の際に果たす役割が様変わりするなかで、債務は増加した。政府は、海辺の町の再建から銀行や民間企業の債務保証まで、すべてのコストを引き受け、「最後の保証人」としての介入を強めてきた。米政府が連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディ・マック)を実質管理下に置いた後、政府債務が急増したことが示すように、とりわけ金融危機の際に政府債務は著しく増加する、とラインハルト氏は指摘する。

 一方、先進国の支払い能力は低下している。成熟経済の成長率は新興国のそれを下回り、高齢化では、増え続ける医療・年金を支える収入もままならない。税金で手当てしようとしても強固な政治的反対に直面する。

 ロゴフ氏は、「政府が常に救いの手を差し伸べてくれるという期待がある。その一方で、税金は常に低いままだと思われている。これは矛盾している」と指摘した。

 各国政府がどの程度債務を増やせるかについて具体的な数値を知るのは困難だが、IMFのエコノミストはそれを試みた。IMFは最近、先進23カ国の政府が過去にデフォルト(債務不履行)に陥ることなく対応した債務の最高水準を調べた。そのうえで、IMFの金利予測や実際の債務水準を使って、各国政府が極限に達するまでにあとどの程度の債務に耐えられるかを試算した。

 その結果、日本、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、アイスランドの5カ国は、すでに極限に達している。つまり、これらの国は、債務を抑制するためにはこれまでにない厳しい手段を取る必要がある。他の国も、安心できるということではない。たとえば米国は、国内総生産(GDP)の51%に相当する債務を増やすことがまだ可能だ。しかしそれは、是正措置を講じなければ、埋めるのに約15年かかる赤字だ。

 IMFの試算は、日本が震災に見舞われる以前、欧州の指導者が新たな救済基金で合意する以前に行われたものだ。現段階の予想では、復興コストは、現在約 226%となっている日本の政府債務の対GDP比率をさらに数%ポイント押し上げる可能性がある。また、欧州の救済基金により、現在約84%のユーロ圏の政府債務の対GDP比を6%ポイント程度押し上げる公算だ。

 これがもたらす結果は安堵できるものでは到底ない。最悪のシナリオは、債務水準に対する投資家の懸念が金融危機を誘発しても、政府が対応手段を持たないという事態だ。

 一方、政府には、貸し手に犠牲を払わせて債務負担を軽減する方法も数多くある。米国や英国など、独自の通貨を持つ国は、インフレを通じて債務を減らすことができる。政府が銀行や年金基金、その他の金融機関に、比較的低利の国債の引き受けを強制または説得することも可能だ――これはアイルランドですでに見られた事象だ。(アイルランドは特別な長期債を年金基金に購入させる計画を発表した)

 しかしながら、政府が収支をバランスさせようとしないかぎり、苛酷な措置は長期間維持できるものではない。それには、何をすべきか、いかに返済するかに関する広範な再考が必要になる。たとえば、銀行や個人が抱えることのできる債務を制限することは、最もコストのかかる種類の危機、つまり金融危機の可能性を低くし、起きたとしても危機の程度を抑えることに大いに役立つ、とのエコノミストらは指摘する。

 とはいえ、先進国は、「増税」か「寛容ではない救済」――もしくはその両方を受け入れる以外に、道はもう残されていないのかもしれない。

記者: Mark Whitehouse



http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=276831&lindID=1
キューライフ、「大震災の医療現場への影響」の実態調査結果を発表

「大震災の医療現場への影響」実態調査


 東北地方太平洋沖地震は、今もなお(2011年3月28日現在)災害拡大が続いています。歴史に例を見ない大災害は、被災者以外の生活・心理面にも大きな影響を与えています。
 そこでQLifeは、茨城県を除く関東地方の医療現場に、「大震災に起因する患者の病状悪化」状況を確認しました。

 その結果によると、直接大きな被害を受けていない地域でも、半分以上の医療現場で「震災で心因的な病状悪化」した患者さんが見られました。大震災による「心因的病状悪化」は、「女性」「高齢者」の患者に多く、小児では「喘息」「発達障害」の悪化、大人では「高血圧」「うつ」「不眠症」の悪化が多く見られました。また、3分の1の医療現場で「向精神薬の処方」が増えた患者さんがいます。その原因不安は、「余震が続く」が1位、「悲惨な映像」が2位でした。実体験でなくとも映像によって精神的影響を受けた患者さんも少なくないという結果でした。
 さらに、42%の医師が、今後、自分の患者さんのなかでPTSD(※)を生じる人がいると予想しています。過去にPTSDの症例経験がない医師も多いと思われるため、(そもそもPTSDとは何かを含めて)医療者間での診療ノウハウの早期共有が望まれます。

※「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」とは…危うく死亡・重症に至るような出来事を経験した後に、不安・不眠やパニックなどの症状が、一か月以上継続する、精神的な病気。(症状が1か月未満の場合は、PTSDではなく、ASD=急性ストレス障害に分類)

1.「東北地方太平洋沖地震」の発生以来、【過去10日間】で、大震災に関連すると思われる「心因的な病状悪化」が見られる患者さんはいますか。

 茨城を除く関東地方(1都5県)全体で、55%の医療現場において、「心因的な病状悪化」の患者さんが見られた。東京でも、57%の医師が、大震災影響での病状悪化症例を診ている。

 病状悪化は、「子供」だけに限らない。むしろ「大人」に認められるとする医師の方が多い。また、「病院」よりも「診療所」の患者さんに、影響を受けている患者さんが多い。

2.大震災関連の「心因的な病状悪化」が多い患者さんの、「属性/類型」傾向を教えてください。

 どんな患者に「心因的な病状悪化」が多いのか、その属性/類型を聞いたところ、【小児】では、喘息や発達障害の患者に多いようだ。あまり性・年齢による傾向は強くない。

 一方、【大人】では、「女性」「高齢者」に多いとの傾向が顕著であった。また、「高血圧症」や「うつ」を患っている患者に多い。「独り暮らし」で、再び大地震が来たらどうしたらよいのか、と不安が強まって持病を悪化させている患者も多い。

◆「心因的な病状悪化」が多い【小児】患者の属性
 性別:男女による多寡報告はほとんどない
 年齢:年代による多寡報告はほとんどない
 持病:「喘息」、「発達障害」の患者に多い
 ※“【小児】に心因的病状悪化が見られる”とした医師45人の回答から読み取り集計

◆「心因的な病状悪化」が多い【大人】患者の属性
 性別:「女性」が圧倒的に多い
 年齢:「高齢者」が多い
 持病:「高血圧」「うつ」「不眠症」が多い他、精神疾患名を挙げる医師が多い
 その他:「独り暮らし」「もともと心配性・神経質」が多い
 ※“【大人】に心因的病状悪化が見られる”とした医師134人の回答から読み取り集計

*以下、調査の詳細は、添付の関連資料を参照
● 関連リンク
* (株)QLife ホームページ http://www.qlife.co.jp/

● 関連資料
* グラフ
* 調査の詳細



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38724
夜の避難所診療体制が手薄…開業医に重い負担

当直交代など支援必要

 避難所の夜間の診療は被災者でもある開業医任せの例が多く、昼間よりも手薄なことから、日本プライマリ・ケア連合学会などは、夜間の診療支援を手厚くし、地元開業医の負担を軽くする必要性を訴えている。

 宮城県気仙沼市で整形外科医院を開業していた志田章さん(51)は、医院が津波で被災し、スタッフと同市総合体育館に避難した。白衣姿だったため、支援に来たと思われ、そのまま診療を開始した。

 日中は多くの医療チームが来てくれるが、夕方には宿舎に戻るため、18日までは避難所の当直医師は志田さんだけだった。見かねた同学会や自治医科大のグループが当直を交代した。

 志田さんは「おかげで安眠でき、体を休ませられた」と話す。同市内の他の避難所でも同様の例があったため、同学会などが当直を交代した。

 同学会から現地派遣された順天堂大の内藤俊夫准教授は「被災した開業医の負担を減らさないと、自分の診療所を再建できない。地域医療の再生を念頭に置いた支援が大切」と話す。

(2011年3月28日 読売新聞)
  1. 2011/03/29(火) 06:10:21|
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