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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月27日 震災17日目

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20110326-OYT8T00965.htm
東日本巨大地震 避難所生活「想像絶する」

医師ら大槌町から帰還


 東日本巨大地震で未曽有の被害を受けた岩手県大槌町の避難所で、住民らの健康管理を支援した宮崎市保健所の医師や保健師ら4人が、帰還した。「想像を絶する光景だった」と話し、避難所での生活や住民の様子を振り返った。(饒波あゆみ)

 「私たちには帰る場所があるが、住民はずっとここで生活するんだな」。市保健所副所長で医師の伊東芳郎さん(41)は、避難所である町中央公民館を離れる際、後ろ髪を引かれる思いだった。18日から5日間、伊東さんたち4人は公民館で寝泊まりしながら、住民の衛生管理や健康管理に従事し、23日に帰ってきた。

 公民館は、町内にある13避難所のうち、2番目に多い約500人が生活。食事の配給は1日2回しかなく、朝に少しばかりのサケや卵が入った軟らかいご飯が紙コップ1杯、おにぎりと菓子パンが一つずつで、夜はカップめんなど。伊東さんらは食料を持参していたが、住民と同じように1日2食で過ごした。

 水が通っていない避難所ではバケツのような容器がトイレ代わりになっており、衛生状態は悪く、住民らの生活スペースにも臭いが広がったという。手が洗えないことも問題で、伊東さんは持ち込んだ消毒液でトイレを掃除をしたり、ウエットティッシュや消毒用アルコールで手を清潔にするよう呼びかけたりした。しかし、こうした衛生用品は不足していたという。

 保健師の久枝恵子さん(56)と中森愛さん(35)は住民の血圧を測ったり、爪を切ってあげたり、避難所に来ていた沖縄県の医療チームを受診するよう促したりした。「振り返ると、一緒に逃げていたはずの娘がいなくなっていた」「家の鍵は持っているけど、帰る家がなくなった」。久枝さんらは住民と接し、話をするたびに胸を痛めた。事務職員の日高健一主査は、住民や町職員から「宮崎も口蹄疫(こうていえき)や新燃岳などで大変なのに」と言葉をかけられ、「温かい心遣いに、こちらが元気づけられた」と振り返る。

 「ここを離れたら、家族の安否情報が入らなくなる」「車のガソリンがなくなり、遺体確認に戻れなくなる」。そう言って避難所に残る住民も多い。伊東さんは「よく、内陸に避難した方がいいと言う人がいるが、そんな簡単な話ではない。町を離れられない人もいるという前提で支援しなければならない」と強く語った。
(2011年3月27日 読売新聞)



http://www.sankei-kansai.com/2011/03/27/20110327-051182.php
「避難所の片隅、声出せぬ障害者」 兵庫県医師会訴え

 東日本大震災の被災地で医療活動を行うため、宮城県石巻市に医療救援チームを派遣している兵庫県医師会の先遣隊(第1陣)が帰還し、26日、会見を開き、「身寄りをなくしたり、声をあげられなかったりする障害者らが避難所にいる」などと訴えた。また津波で義足を流された男性を近く神戸に受け入れ、新しい義足の作製とリハビリを支援することも発表した。

 川島龍一会長は、「発生から2週間が経過しても、薬などの物資不足が続いており、阪神大震災とは大きく異なる」と指摘。医師会として「避難所の片隅で、声も出せずにいる方々を見つけていきたい」と訴えた。

 同会がケアする男性は石巻市の避難所にいる斉田道男さん(60)。津波で妻を失い、左足の義足も流されたため、29日に県立総合リハビリテーションセンター(神戸市)に受け入れるという。

(2011年3月27日 05:25)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20110326-OYT8T00782.htm
「被災者、心にも傷」派遣医師語る

 東日本巨大地震の被災地では、県内からも多くの人が支援活動をしている。DMAT(災害派遣医療チーム)の一員として、地震発生直後に被災地へ入った金沢医療センター(金沢市)の太田安彦呼吸器外科部長(50)もその一人だ。太田医師は「被災者は体の傷だけでなく、心にも傷を抱えている」と話す。現地での活動を聞いた。(加藤哲大)

 DMATは、専門の訓練を受け、災害の急性期(発生から約48時間以内)に活動する医療チーム。太田医師は2009年8月に資格を取得、今回が初めての出動となった。不安もよぎったが、高校1年の長女から「1人でも大勢の人を救ってください。パパは私の誇りです」とのメールが届き、背中を押されたという。

 チームは地震当日の11日夕に金沢を出発。12日早朝から13日夜まで、仙台市の仙台医療センターなどで診療した。病院には、ぬれた体で低体温となったり、体を負傷したりした人たちが次々と運ばれてきた。

 太田医師は患者の状態を見極め、施す医療を判断する「トリアージ」作業を担当した。トリアージでは重症者を「赤」、軽症者を「緑」など色で表す。当初は軽症が多かったといい、「助かって無事か、亡くなるか両極端だったのだろう。『赤』の患者が続々と来る通常の現場とは違った」と振り返る。

 同センターも、地震の被害を受けていた。簡単なレントゲン検査しかできず、コンピューター断層撮影法(CT)などの装置は使えない。転送が必要な患者は、止血などの応急処置をして送り出した。

 その一方、治療を拒む患者もいた。「ここから動きたくない」。泥だらけの服に、多数の傷口から出血している中年男性。転送を告げたが、男性は「家族の安否が分からない。自分だけ助けられても仕方がない。動きたくないんです」と断ったという。

 太田医師は「命を救う災害医療に携われて良かった。ただ患者さんは体の傷以外に、心の傷も抱えている。生きる意味を考えさせられた」と語った。
(2011年3月27日 読売新聞)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33305.html
宮城の医療連携、再構築の糸口見えず- 関係者ら「慢性期医療への支援を」

 東日本大震災が発生して2週間余りが経過し、被災した宮城県内の医療機関にも支援物資が行き渡り始めた。ただ、病状が安定し始めた患者を受け入れる慢性期病院は、未だに十分な機能を果たせないまま。周辺の後方病院を丸ごと失ったため、機能不全に陥る中核病院もあり、地域の医療機関は連携再構築の糸口を見出せずにいる。

■届き始めた支援物資

  3月26日午前9時、仙台市太白区にある杜都千愛病院に、日本慢性期医療協会(日慢協)からの支援物資を積んだトラックが到着した。この日届いたのは医薬品や紙おむつ、栄養剤など約8トン。同病院をはじめ、この地域の周辺で慢性期医療を手掛ける6病院に送られた物資だった。

 職員と共に物資の荷降ろしを行った安カ川鈴美事務部長は、「外部から支援物資が届き始めたのは、先週末くらいから」と語る。
  11日の地震発生時、杜都千愛病院や系列の杜都中央病院(仙台市)にはそれぞれ数日分の食糧の備蓄があった。しかし、それから数日間は、停電などの影響で外部との連絡が付かず、新たな食材確保の見通しも立たなかった。そのため、患者の一日当たりの食事の総カロリーを半分以下に減らしてしのぐほかなかったという。

■このままでは「院内で凍死も」


 地震発生から2週間余りが経過した現在では、電気も水道も回復した。外部との連絡も取れるようになった。
 ただ、ガスの供給再開は遅れており、暖房施設も動かすことはできない。このため、杜都千愛病院や杜都中央病院では、臨時の暖房器具としてストーブを用意したほか、ペットボトルにお湯を満たした即席の湯たんぽを利用者に配るなどの対策を講じている。

 しかし、ストーブだけでは広い病棟内を十分に温めることはできない。特に杜都千愛病院では認知症患者が多く、暖房の切れた病棟内を普段着のまま徘徊した結果、肺炎を発症するケースも出た。そのため現在では、ストーブを集中的に配置した区域内に患者の移動範囲を限定している。

 それでも、安カ川事務部長によると「うちはまだ恵まれている方」という。今後は、被災地で慢性期医療を支える病院や、老健施設などへの支援を強化する必要があると安カ川事務部長は訴える。
 「津波で大きな被害を受けた沿岸部の病院や老健の中には、支援物資や燃料がまだ十分に届いていないところもある。このままでは、病院や老健施設にいながら低体温と低栄養で凍死したり、持病が悪化したりする人も出かねない」
 宮城県医師会の佐藤和宏常任理事も、「(現地で必要な医療は)慢性期に移りつつある」と指摘する。

■急性期病院「手術や検査」に対応できず、災害対応が足かせ

 慢性期病院への支援強化を望む声は、津波で甚大な被害を被った沿岸部の急性期病院からも上がっている。
 県内の拠点病院の一つ石巻赤十字病院(石巻市)の担当者は、地震による直接的な被害は少なかったため、外科的な治療が必要な患者は少なかったという。「生か死かで、真ん中がなかった」と振り返る。

 同病院には現在、高齢者を中心におよそ380人が入院しているが、このうち約10分の1を占める急患患者には、誤嚥性肺炎やストレスによる胃潰瘍など、地震後の避難生活による影響が色濃く出ている。ただ、市中心部が津波で壊滅的なダメージを受けたため、本来なら容体が安定した患者を送り出すはずの周辺の慢性期病院や診療所はほとんど機能していないのが現状だ。「超急性期医療をカバーするうちの病院だけが残っても、後方病床がない」と、この担当者は嘆く。

 宮城県医師会の佐藤常任理事は、急性期病院が未だに災害対応を強いられている状況を問題視する。
 「地震前から予定されていた検査や手術が延期されたままになっている。それぞれの役割を仕分けした上で、(各病院が)本来の業務に戻らないと、うまく回らないのではないか」

( 2011年03月27日 00:19 キャリアブレイン )



http://diamond.jp/articles/-/11614
雪降る中の現地入り
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌①


3月11日に発生した東日本大震災。多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた被災地・石巻の赤十字病院へ、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として派遣された30代医師の現場レポートを、可能な限りリアルタイムに更新していく。災害そして医療の現場で、日々何が起こっているのか。

3月24日 深夜の現地入り


 日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として、神奈川県医師会から宮城県の石巻赤十字病院に派遣されることになった。JMATとは、医師や看護職員、事務職員(運転手)等で構成される災害医療チーム。3日~1週間程度、岩手や宮城、福島、茨城の各県に滞在し、現場の医療チームをサポートするのが使命だ。

 医療者として少しでも被災地の方々のお手伝いが出来たらと思い志願した、いわゆる「ボランティア医師」である。

 我々のチームは、医師と放射線技師、事務職員の3人。3月23日(水)の21時ごろに神奈川県厚木市を出発し、24日(木)の午前3時20分ごろに石巻市に到着した。出発時は、雪が降っていたので渋滞になるかと思ったが、予想していたよりは高速道路は空いていた。

 仮眠を取った後、午前6時に石巻赤十字病院に入り、7時から現地の医師とミーティングした。すでに全国の赤十字病院、都道府県医師会、その他医療機関から、約40の医療チームが現地入りしているらしく、東京からもJMATのチームが参加していた。

直接外傷を受けた人は少ないが…


 我々のチームに最初から何か役割が与えられているわけではなかった。現場の医師からは「どういう医療サポートが出来るか?」と尋ねられたので、「避難所の人たちの健康管理を支援したい」と答えた。他には、病院に残って、急性期の患者の治療をサポートする選択肢もあったが、やめた。今回の大震災は通常の地震とは違い、地震や火事で直接外傷を受けた人は少ないと聞いたからだ。

 避難所にいる人たちの健康管理でポイントとなるのが、慢性疾患と心のケアだ。外傷は少ないものの、精神的に大きなダメージを受けているうえ、長期間にわたる避難生活で疲労も蓄積しやすい。比較的日中は、避難所にいる人たちも外出していることが多いと聞いたので、自宅で避難生活を送っている人たちを戸別訪問して、健康に関する悩みを聞いていこうと思う。石巻赤十字病院でも、避難所以外の人たちが健康に関するどのような悩みを抱えているのか、十分には把握できていないのが現状らしい。

今足りないものは、小児用シロップ容器


 石巻市では、石巻赤十字病院以外に機能している基幹病院がないという。この病院のように、電気やガス(一部)、水道が開通しているところもまだ少ないようだ。全国から石巻市宛に送られてくる薬剤の大半はここに集められ、被災者の治療のために使われている。

 薬剤師からは、小児用シロップ容器(30~100ミリリットル)が足りていないという話を聞いた。現場の医師によると、便秘や花粉症などの症状で悩む被災者は多いものの、「症状が軽いから」と自ら治療を願い出る人は少ないという。

 まだ到着間もないため、具体的に何もできていないが、できるだけ被災者の人たちが健康になるよう支援していきたい。



 このようにとりとめのないレポートになってしまうと思うが、できる限り、我々ボランティア医師ならびに医療関係者が被災地の現場で一日何をしているのかを、包み隠さず皆さんにお伝えしたい。自分に与えられた時間は、極力現地での医療活動に充てたいと考えているため、日誌形式になってしまうことをお許し願いたい。

 刻一刻と状況が変化している被災地。私自身、まだ「全体像」はつかめていない。大震災と立ち向かっていくのは、これからである。

 被災地の現場、とりわけ医療の現場で何が行われているのか。被災地の人々の暮らしはどうなっているのか。

 被災地の「今」を知る一つの情報をとして、この「業務日誌」が皆さんのお役に立てれば、またこの記事を読んだ関係者の皆さんが「次の一手」を判断する手がかりとなればと思う。

■3月24日(木)

AM3:20 宮城県・石巻(現地)到着
仮眠
AM6:00 石巻赤十字病院に入る
AM7:00 現地医師とミーティング、活動開始


http://diamond.jp/articles/-/11631
津波前後、犬に噛まれて化膿した被災者たち
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌②


樹木も住宅の基礎もない、
かつての絶景スポット


 我々の医療チームは、そもそも厚木市にある「ヘルスケアクリニック厚木」に勤務する医師と放射線技師、事務員で構成されている。今回、神奈川県医師会が、日本医師会による災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)に参加する医療チームを募集していたので、当クリニックがそれに応募。宮城県の石巻赤十字病院に派遣されることになった。

 災害支援初日の今日は、石巻赤十字病院で朝7時にミーティングを開き、午後からの医療支援を前に石巻市内全域を視察することにした。同病院の災害対策本部の医師から教えてもらった石巻市の日和山公園に向かう。

 同公園は、石巻市内を一望できる絶景のスポットとして、宮城県のガイドブックにも載っているという。この時期は、梅や桜が咲き、花見客も集まってくるそうだ。

 そこへ車で向かうと、ガイドブックとは対照的な光景があった。

 境界線で区切られたようにある地点から建物がすべてなぎ倒され、更地のようになっている。樹木はおろか、住宅の基礎すらも流されているのが分かった。

 かつての市内の絶景スポットは、津波の大参事をまざまざと映し出していた。我々神奈川県医師会JMATチームは言葉もなく、ただ手を合わせて祈ることしかできなかった。

多かったのが、
脱水症状からくるめまいや疲労感


 無念な思いを胸に石巻赤十字病院に戻ると、救急外来患者が増えているとのことだったので、急遽そちらのサポートに回ることになった。救急外来といっても、外傷を化膿・悪化させてしまった被災者や、急に立ちくらみや失神を起こした患者など、通常の病院ならば一般外来に回るべき人たちであふれていた。

 患者たちは、救急外来のエリアではなく、待合室に10床ほど用意されたベッドに直接運ばれた。

 通常ならば座っての問診後、ベッドに移動してもらうところだが、そのスペースと時間がないため、ベッドに直接横になってもらい、診察と治療を行った。野外病院のようだ。

 病院を訪れる患者の多くは、70歳以上の高齢者だ。

 中でも多かったのが、脱水症状からくるめまいや疲労感だ。

 避難所での生活では、トイレが簡易式ということもあって飲食を控えたり便を我慢する例は少なくない。寒さの影響もあって、積極的に水分を取りたくないということもあるだろう。

 また、日常ではあまり見られない例として、意外にも「犬噛傷=犬にかまれた」という例があった。詳しい状況を聞いたわけではないが、津波の前後に犬に噛まれ、そこが化膿したため処置をするケースが、数件あった。

 このほかには、津波の中を裸足で歩いたせいで足の裏に傷を負ったという患者や、避難所で肺炎を起こした患者、高血圧・高脂血症・糖尿病といった慢性疾患を悪化させた患者が目立った。

飲んでいた薬が
わからない


 高齢者を取り巻く医療上の問題としては、服用していた薬が分からなくなっているケースがある。

 自宅が被災した場合、薬ごと津波に流されている。高齢の患者が、自分が普段から服用している慢性疾患の薬の名前を憶えているケースは、それほど多くない。そこで薬剤師が、患者から疾患名を聞き、覚えている範囲で薬の特徴を教えてもらいながら、服用していた薬を当てている。

看護師が足りない。
インスタント麺は食べられない


 当チームは、7時~18時の勤務体制で医療ボランティアを行っているが、もともと石巻赤十字病院で働いている医師たちは、病院の敷地内にある駐車場にテントを立てたり、医局や診察室に寝袋を持ち込みながら夜勤をこなしている。

 各地から医師を中心としたボランティアチームが駆けつけているために比較的医師は多いが、看護師の数は通常の病院に比べて少ない印象を受けた。そこで我々のチームでは、同行した放射線技師や事務員などに雑用をお願いし、いわゆる「看護助手」として看護師をサポートしてもらった。

 現在のところ、現場の医療チームの食事や飲料は充足しているように見えた。ただ、ガスがまだ一部しかつながっていないため、レトルトカレーやインスタント麺などが届いても食べることができないようだ。

 今日は我々のチームも昼食の機会を逸してしまったので、明日は少し工夫したいところだ。

※編集部注記:医療の現場でも「火を使う食事はとれない」とあるが、宮城県・石巻市では、1日 1食ないしは2食の食料の配給しかない、深刻な食料不足に直面している避難所もある。パンやおにぎりなど、すぐに食べられるものを支援してほしいとのことだ(2011年3月25日現在)。

■3月24日(木)
午前 宮城県・石巻市の日和山公園を視察
昼食なし
午後 石巻赤十字病院にて診療・治療活動


http://diamond.jp/articles/-/11639
海水の引かない道を進み、
瓦礫の山を登りつつの戸別訪問
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌③


日中の避難所は
人影がまばら


 災害支援2日目の今日(3月25日)は、石巻市内の住宅を戸別訪問することになった。

 朝7時から石巻赤十字病院内の災害対策本部で開かれたミーティングでは、ある避難所に訪問することになっていたが、そこに行くとすでに地元の医師会等で結成されたチームが診療していた。

 いったん石巻赤十字病院に戻って再び指示を仰ぎ、被害の大きい海沿いの石巻市不動町~湊町の各家庭に回ることになったのだ。

 被災地というとイコール「避難所」という印象が強い。避難所となった小学校や公民館を巡回するだけならこれほど多くの医療チームは必要ないだろう。天気が良いと被災者たちは昼の間だけ避難所を離れ、自宅付近で家財道具を探したり行方不明者を訪ね回ったりしているので、日中は避難所も人影がまばらだったりするからだ。

各家庭を回る、
「医療版御用聞き活動」の開始


 現地に来てわかったことがある。

 被災者の中には、住宅の1階部分のみ被災したので2階で生活をしている人もいれば、津波には襲われなかったものの電気や水道といったライフラインが壊滅的な人もいる。そのような被災者たちが積極的に医療支援を求めているかというとそうではない。

 中には、慢性疾患の悪化に悩みながらも「病院の手を煩わせたくない」と我慢している人もいれば、持病のために自宅から出られない患者もいる。石巻赤十字病院でも、これら顕在化していない患者たち(=患者予備軍)がどの程度いるのか把握しきれていないのだ。

 そこで我々のJMATチームは、受け身で患者を待つのではなく、被災地の各住宅を訪問して病気やけがで苦しんでいないのかを訪ね回る「医療版御用聞き」をミッションとして、目的地へ向かうことになった。

いまだ海水の
引かない町


 写真を見ると明らかだが、メインストリートから1本路地を入ると、道はぬかるみ、いまだ津波の海水もひいていない状況だった。昨日の病院勤務で羽織っていた白衣を脱ぎ、神奈川県医師会から貸与された防災服に身を包んで長靴に履き替えて、車を降りた。

 もう1枚の写真を見てほしい。これは住宅の中に信号機が設置されているのではない。

 ともに津波に流されてここにたどり着いたものだ。だが、こんな住宅にさえも、被災者が身を寄せ合うようにして生活している。

 外から見ただけでは、そこに人が住んでいるかどうかわからない。そこで、がれきに気を付けながら住宅付近に行き、「誰かおられますか?」と声をかけるわけだ。

 瓦礫の山を登りつつの戸別往診。錆びた釘が多数出ているので、慎重に歩かねばならない。

 高齢者が毎日踏み分けて歩きながら生活している人のことを考えると、心配になる。

「大丈夫です」と
気丈にふるまうが…


 宮城県の気質のせいか、こちらから声をかけても「お疲れさまです。私たちは(健康ですから)大丈夫です」という。

 だが、具体的に「薬は十分ですか?」「切り傷・擦り傷は大丈夫ですか?」「便秘や風邪で悩んでいませんか?」と聞くと、ようやく「実は、以前から服用していた薬が切れてしまって…」と重い口を開く人が多かった。

 午前中いっぱい戸別訪問した限りでは、発熱や風邪、下痢・便秘といった症状を持った人ほど、「たいした症状ではないから」と受診を遠慮しているケースは多いようだった。だが被災地ほど、軽症のうちに治療することが望ましい。重症化しても救急搬送に時間がかかるうえ、人手不足から十分な治療を施せない可能性があるからだ。

深夜までフル稼働の
薬剤部チーム


 午前中に被災地の住宅を戸別訪問し、慢性疾患の薬が切れていた患者を重点的にチェック。石巻赤十字病院に戻り、薬剤部には各患者に薬を持っていくように伝えた。だが、薬剤部は、各地から送られてくる薬を必要な地域に分配する作業にかかりきりのようだったので、午後からは我々が薬を持って配達することになった。

 ちなみに、薬剤部も戦場のような忙しさだ。

 避難所や戸別往診への薬剤の遅延ない配達は医療の生命線、一刻も速く薬を届けるため、深夜遅くまでフル稼働しているようだ。

 その姿に頭が下がる。我々も、自分たちでできることはしようということで、薬の配達も行うことにした。

病院にいると助かるのは、
ロジスティクスの専門家


 夕方に災害対策本部で開かれたミーティングでは、主に3つの医療活動に重点を置くことが伝えられた。

 1つはエコノミークラス症候群予防だ。

 高齢者は避難所に終日いるケースも珍しくなく、飲食をあまりせず、かつ体を動かさず体育館の固い床の上に座っているため、同症候群になりやすい。

 重点施策のもう1つは、被災者のメンタルケアだ。避難生活が2週間を越え、被災者のストレスも高くなってくる。

 阪神・淡路大震災の時も、地震から2週間後あたりから心の病気に苦しむ被災者が増えたというデータもある。それを未然に防止するためにも、積極的に医療者側から被災者に声掛けをしていくことになった。

 そして3点目が衛生管理。避難所のトイレは、避難所ごとの程度の差はあれ、まだまだ東北地方は寒く、断水のために流水で手洗いやうがいができないので、アルコール消毒等での衛生管理を徹底していくよう被災者に呼びかけるのが重要になる。

 今日の活動を振り返り1つ気が付いたのが、ロジスティクスの専門家が病院にいると助かるということだ。

 災害対策本部には、毎日大量の医薬品が届く。だが、病院には医療の専門家が大半なので、それを各避難所の仮設診療所や患者に素早く届けることが得意ではない。私見ではあるが、在庫管理や物流の専門家がいれば、必要な医療機関に必要な分だけ医薬品を届けることができるのではないだろうか。

 ロジスティクスの専門家は、ぜひ積極的にボランティアを申し出てもらいたいと思う。

■3月25日(金)

AM7:00 病院内災害対策本部でミーティング
午前 被害の大きい海沿いの石巻市不動町~湊町の各家庭を回る
午後 いったん病院に戻り薬を調達。配達するために、再び家庭を訪問
夕方~夜 病院内災害対策本部でミーティング



http://jp.wsj.com/Japan/node_210068
ルールは、避難者の平常心回復のより所
* 2011年 3月 26日 16:26 JST

 【宮城県南三陸町】津波で壊滅的被害を受けたこの漁業中心の町にある志津川小学校避難所の「本部」は、体育館ステージ脇に置かれたテーブルだ。太い赤のマジックで書かれたボール紙製の看板で、そこが本部だと分かる。

 町民500人の消息を詳述したリストの脇には貸出用の老眼鏡(「使用後はご返却ください」)と、共用のつめ切り(「使い終わったらアルコールで拭いてください」)の入った箱がある。テーブルの縁には、自治会長と3名の副会長の氏名を記した手書きの看板がテープで留められている。

 日本は、常日ごろから、どんなに日常的な仕事をやるにも、細かな手続を設け、肩書や委員会をつくりたがる、ルールずくめの国だ。

 現在、数十万人の国民が避難所生活を送るなか、日本人は、3月11日の地震と津波によってずたずたにされた平常心を取り戻すべく、こうした細部へのこだわりに頼っている。

 避難者を仮設住宅に移すのは数カ月先になりそうだと当局者が見込むなか、専門家によると、避難所の秩序正しい運営は、被災者にかかる長期的な精神的・肉体的負担を軽減する上で大きな役割を果たし得るという。

 避難者が体育館と教室で暮らしている志津川小学校では、秩序が行き渡っている。約500人の避難住民は、それぞれ15名ほどの班に分けられている。

 各班は、班を代表して毎日のミーティングに出席する班長を選んでいる。ミーティングでの議題は、断水中におけるトイレの最良の流し方から、コモンスペースへのペットの持ち込みを許可するかどうか(不可と決定)にまでわたる。

 このやり方は、津波後2日目のおにぎり配給の際に、腹をすかし、いら立った避難者たちがステージに殺到して大騒動になった折りに設けられた。ほどなく、避難者一同は、避難所運営のさまざまの側面を監督する自治会長と3名の副会長を選出した。

 班長たちが5人一列で12列をなして板張りのステージに整列して座り込むなか、自治会指導陣がその日の要点を説明する。ステージ右手には壊れた時計がある。その針は、南三陸町の大部分を流し去った高さ15メートルの津波の原因になったマグニチュード9の地震が襲ってから1分後の2時47分を指したままだ。

 こうした自治会は、多数の避難所でますます大きな役割と自治を引き受けつつある。地方自治体は甚大な被害で身動きがとれず、各避難所をつぶさに管理できないためだ。

 例えば南三陸町は、依然電気がなく、水道は一から再建する必要がある。43個所の避難所には、まだ9000人以上の避難者が寝泊まりしている。南三陸町の佐藤仁町長によると、より恒久的な住宅に住民の大部分を移せるまでには数カ月かかる見込みだという。

 志津川小学校の自治会は、日常生活のさまざまの側面を監督するため、炊き出し、管理、施設・環境、配給、在庫管理、医療という6つの部門を設けている。

 俳優になる夢を断念して東京をあとにし、電気工になるため3カ月前に里帰りした後藤伸太郎さん(32)によると、日本人はルールがたくさんあったほうが安心するタイプ、という。

 後藤さんは、自宅も流されず、家族も無事だが、避難所の衛生・環境問題担当の自治会副会長として近隣の人たちの助けになれると感じる限り、避難所を出ないことにした。

 後藤さんは、毎日午前8時半と午後3時に体育館のロビーに清掃係を集める。清掃係は、各班をA、B、Cのグループに小分けする込み入った輪番制で組織される。

 後藤さんは、ゴミの分別、トイレの掃除、周辺地域の清掃、非飲料用水タンクの清掃といった作業を割り振る。

 混乱を避けるため、自治会は、清掃方法と清掃対象に関する指示書を設けた。これは、ゴミ袋の取り換え方や、リサイクル向けに紙、ペットボトル、ガラス瓶、缶を分別する際の、ペットボトルのつぶし方や、燃えるゴミ、燃えないゴミを分ける方法について事細かに詳述してある。破壊のつめあとが生々しく残るなか、果たしていつどうやってリサイクルできるかは、まだ分からない。

 班長の一人が「使用済みの電池は別にすべきではないか」と、区分の増加を求めた。自治会は電池処分用に別の容器を設けることで合意した。

 清掃とゴミ分別の監督を担当する後藤さんは、意見の相違について判断を下すよう、よく求められる。魚の骨は燃えるゴミとして捨てるべきか、燃えないゴミとして捨てるべきか。断水がまだ続くなか、トイレを流す水を入れておくのにバケツを使うべきか、ペットボトルを使うべきか。

 後者の問題についての後藤さん判断は、大でも小でもペットボトルで流すようにしよう、だった。

 オレンジ色のタオルを頭に巻いた後藤さんは、努めて辛抱強くいるようにしている。自分はかんしゃくを起こすたちだが、大変な目に遭った人たちなのだから冷静さを失わないよう自分に言い聞かせているという後藤さんを、一部の人は「環境大臣」あるいは単に「大臣」と呼ぶ。

 医師や支援関係者によると、災害後できるだけ早期に、たとえどんなに小さな仕事であれ、被災者が何らかの日常業務や責任を見つけることがきわめて大事だという。

 被災地に救援隊員を派遣した人道支援団体「ワールド・ビジョン」の広報担当者クリスティ・アレン=シャーリー氏によると、被災者に仕事を与えることは、「再建と復興のプロセスの一翼を担い、復旧の取り組みに参与しているという意識を被災者に抱かせる助けになる」という。

記者: Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi
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http://www.asahi.com/international/update/0326/TKY201103260448.html
イスラエルが医療部隊派遣、外国から初 南三陸で治療
2011年3月26日23時26分

 東日本大震災を受け、在京のイスラエル大使館は26日、軍の医師らで構成する50人規模の医療部隊を宮城県に派遣すると発表した。各国の支援で、医療部隊の派遣はイスラエルが初めてとなる。

 同大使館によると、26日夜に救援機2機が同国を出発し、27日夜に成田空港に到着する予定。民間防衛軍と軍医療部隊の医師、看護師、薬剤師、通訳ら50人で構成している。宮城県栗原市に活動拠点を置き、同県南三陸町に野外クリニックを設けて負傷者や被災者の治療を行う。救援機には防寒着1万着、毛布6千枚、8千人分の手袋、簡易トイレ150個など約18トンの救援物資も積み込んだ。

 厚生労働省は、東日本大震災の被災地で、日本の医師免許を持たない外国人医師の医療行為を認めると決定。阪神大震災の際も外国人医師の被災地での活動を認めていた。



http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20110326-OYT1T00595.htm
JOC、医療チームを被災地へ派遣

 日本オリンピック委員会(JOC)の市原則之専務理事は26日、JOCの医学サポート部会に登録するスポーツドクターやトレーナーらで作る医療チームの第1陣を、28日に東日本巨大地震の被災地へと派遣することを明らかにした。

 医療チームは4、5人を1組として組織し、3、4組を編成する計画。宮城県や岩手県を中心に各組1週間から10日程度、避難所生活に特有の筋肉や関節の痛みを含む医療サポートに取り組む。
(2011年3月26日18時10分 読売新聞)



http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110326dog00m020036000c.html
ケアネット:被災者支援の医療従事者向けに医薬品検索アプリ提供

 ケアネット(東京都千代田区)は、iPhone対応の医療従事者向け医薬品検索アプリ「DrugOn MD(ドラゴン・エムディー)」を23日から、「Apple Store」で提供している。

 「DrugOn MD」は、同社運営の医療情報専門サイト「CareNet.com」(http://www.carenet.com/)の医師会員限定で提供予定だったが、東日本大震災を受け、5月末までの期間限定で薬剤師や看護師などの医療従事者に無料提供することを決めた。

 同アプリは医師が手軽に素早く薬剤の正しい情報を調べられるツールとして開発されたもので、日常診療に必要十分な1万7000品目の医薬品情報を網羅。部分一致検索のほか、ジェネリック医薬品、薬効分類・同種同効分類などの検索機能もあり、ブックマーク機能や検索履歴閲覧機能なども搭載している。最新情報はアプリのアップデートで対応する。

 アプリの利用は無料だが、「CareNet.com」に登録(無料)し、アンケートに答えることが条件。(毎日新聞デジタル)

2011年3月27日 19時00分



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233989
4月末まで被災地派遣継続 九州・沖縄の日赤救護班
2011年3月27日 19:35 カテゴリー:社会

 日本赤十字社の九州・沖縄8県の支部は、東日本大震災が起きた翌12日から宮城県石巻市へ医療救護班を派遣している。寒くて長い避難生活で体調を崩したり、感染症にかかったり、精神面が不安定になったりと、医療を必要とする人は震災直後よりも増えており、4月末までは派遣を続けるという。

 九州・沖縄ブロックの代表を務める福岡県支部によると、8県からの救護班は石巻赤十字病院での外来診療と、石巻市内の避難所の巡回診療を担当。27日には第8陣となる福岡赤十字病院と宮崎大病院のチームがそれぞれ現地へ出発した。

 この日、活動を終えて帰ってきた第6陣の尾前豪(つよし)医師(49)=福岡市の今津赤十字病院=は「トイレなどの衛生が保てなくなり、各避難所では感染性胃腸炎による下痢が広がっている」。白木潤子看護師(44)=同=は「(精神医療を担う)心のケアチームへの連携も始まったが、本当に必要な人は声を上げられない。十分に目を配り、すくい上げられるようにしなければ」と、より充実した継続的支援の必要性を語った。 

=2011/03/27 西日本新聞=



http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110327ddlk28040203000c.html
東日本大震災:「カルテの整備必要」末永い支援を 県医師会、被災地救護報告 /兵庫

 東日本大震災の被災者を支援するため宮城県石巻市に医療チームを派遣している県医師会は26日、神戸市内で被災地の状況を報告した。現地で活動した県医師会の川島龍一会長は避難所には多くの高齢者や障害者も生活しているほか、被災者が生活基盤を失い、医療機関も大きな被害が出ているとし、「カルテを整備し、医師が代わっても対応できる末永い支援が必要だ」と訴えた。

 川島会長らは21日から宮城県に入り、避難所となっている石巻市立石巻中学校に診療所を設けた。

 避難所について川島会長は「比較的清潔が保たれている」としたが、「糖尿病や高血圧などの慢性疾患を抱えている人の薬が不足している」。さらに阪神大震災との違いについて「ガソリンや軽油が不足し、食料などの物資が入ってこない」と説明した。

 また避難所で生活する、津波で妻が行方不明になり、義足も流された男性に今後、義足を医師会として支援する意向を示した。

 川島会長は「避難所の片隅に高齢者や障害者が声を上げられずにいる。今後もそういう人たちを捜し出し支援しないといけない」と語った。

 一方、神戸市医師会は仙台市に医師を派遣し、遺体の検視作業を続けており、同医師会の中神一人副会長は、亡くなった人のほとんどが津波による水死だったとし、「行方不明者はまだまだおり、遺体への対応も大事だ」と話した。【内田幸一】

〔神戸版〕
毎日新聞 2011年3月27日 地方版



http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032700100
「大丈夫」の一言が特効薬=前向きな被災者に感銘-「陸の孤島」で診察・NGO医師

 東日本震災で孤立した石巻市の雄勝半島。医師がいない状態が続いたこの地域に、国際医療支援に取り組むNGO「ジャパンハート」(東京都台東区)の医師石田健太郎さん(28)が入り、避難所で診察に当たった。「大丈夫の一言が何よりの薬」。こう振り返る石田さんは、前向きに生きようとする被災者の姿に感銘を受けたという。
 雄勝半島は津波により通じる道路が崩れ、インフラも途絶した「陸の孤島」となった。ヘリコプターなどで医療物資は届いたが、人が出入りできるのは干潮時のみ。長時間診療する医師はおらず、医師が来る前に避難所で亡くなった高齢者もいたという。
 石田さんが駐在した大須小学校の避難者は約600人。みな不安な表情で、診察が始まるなり100人以上が殺到した。石田さんは安心させようと、診断を告げる前にまず「大丈夫だよ」と声を掛けた。症状はさまざまだったが、その一言で、みんな生き返ったように表情が和らいだという。
 声をかけ続けた結果、翌日以降は混乱も収束。石田さんは「薬よりも安心できる一言が大事なんです」と強調した。
 服薬記録や検査器具が全て失われた中での診療は困難の連続。患者との会話だけで必要な薬や体調を推し量る手探りの診療で、神経はすり減った。それでも、「こんな若い医師でも必要としてくれると実感できてうれしかった」と振り返る。
 避難所で過ごす中で感銘を受けたのは、悲しみに下を向かず、役割分担しながら復興について話し合う被災者の姿だった。石田さんは「支えられるだけではなく、強く前向きに生きようとする人ばかりだった」と感慨深げに話し、「これからも人のために頑張りたい」と、目を輝かせた。(2011/03 /27-14:25)



http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20110327ddlk14040139000c.html
東日本大震災:平塚の医療チーム、市に活動報告 「今は心のケア必要」 /神奈川

 県の要請で被災地を訪れていた平塚市民病院の外科医、金井歳雄さん(55)ら災害派遣医療チーム4人が25日、平塚市役所を訪れて活動報告をした。金井さんは「外科医の必要な災害発生直後の急性期から、被災者の心のケアや内科医、慢性病治療の医師らが必要な時期に入った」と説明した。

 チームは医師2人、看護師3人、検査技師1人。12日から羽田空港で、搬送されてきた患者の手当てなどをした後、岩手県釜石市の県立釜石病院などで活動した。主に地元医師会や日赤医師らの活動の調整や夜間診療などを行ったという。急性期の医療が一段落していたため、「医療職よりガソリンの必要性を感じた」と金井さん。平塚市には「これから中長期的な支援をお願いしたい」と要望した。【渡辺明博】

毎日新聞 2011年3月27日 地方版



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110327/dst11032719250052-n1.htm
【東日本大震災】
「母国・日本の力になりたい」 「アイク生原」の息子 医療チームで来日

2011.3.27 19:23

 「父のように母国、日本の力になりたい」。各国から国際医療チームが派遣される中、東日本大震災で米国から来日し、被災地で奮闘する医師、生原睦夫さん(49)。父親は日米間の野球交流の発展に尽力し、「アイク生原」の愛称で親しまれた大リーグ・LAドジャース元オーナー補佐、生原昭宏氏(故人)。父の背中を見続けた記憶が、日本への熱い思いを後押しする。

 父と同じ野球関係の仕事を選ぶこともできたが、命を救う仕事に意義を感じてノースウエスタン大学医学部(米イリノイ州)に進学した。「高い目標だったが、米国は実力さえあれば認めてくれる社会だったからこそ、勉強を続けられた」と振り返る。

 シカゴで内科医として診察にあたるかたわら、医師や看護師らで構成されるNGO団体の活動に参加。今回の震災では、緊急災害医療支援を行うために来日。宮城県南三陸町や岩手県陸前高田市の避難所などをめぐり、被災者や行政に対する救援活動を行っている。

 ハイチ沖地震など海外での医療活動経験はあるが、今回の震災はこれまでの被災地の光景とも違っていた。海岸から遠く離れたところに流された漁船や、外壁だけが残った病院。被災地を歩き、「収入の源であり、家族とも思っていた海が数分で変貌した恐怖はどれほどだっただろう」と足がすくんだ。

 昼夜を問わず骨折など大けがを負った被災者の手当てに奔走したハイチ大地震を思い返すと、津波の被害は「残酷なほどに、生きるか死ぬかのどちからしかない」と実感する。宮城県東松島市では、子供たちが小学校の校庭で津波にのみ込まれたと聞き、並んだ小さなひつぎに涙があふれた。

 避難所を回ると、高齢の被災者が「話を聞いてほしい」と引き留める。医師の立場から「被災者は頑張ろう、頑張ろうと我慢強く耐えているが、これから先が心配」と指摘する。

 震災発生から約2週間がたち、支援物資や医療班の数は充実してきたが、心の傷が回復するには時間がかかる。「心の支えになれるよう、日本人として、医者として頑張りたい」と力強く語った。(石井那納子)



http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032700144
エコノミー症候群防げ=避難所で体操指導-宮城

 東日本大震災で、家を失った住民らの避難所生活も2週間を超え、運動不足によるエコノミークラス症候群などが心配されている。宮城県南三陸町の避難所となっている総合体育館では27日、脳梗塞や肺血栓などを予防するため、医療ボランティアが避難者に呼び掛けて体操を指導した。
 14日に同町に駆け付けた東京都千代田区麹町の医療ボランティアリーダー鑓水弘樹さんは「避難された方はトイレや食事の時ぐらいしか動かず、筋力低下や血栓ができることが心配される」と指摘。「医学的観点から体操を行って予防したい」とし、ボランティアのメンバーが体操を指導した。
 食事が終わった昼すぎ、呼び掛けに応じて約20人が参加。約5分間、つま先立ちや屈伸など下半身に重点を置いたストレッチを行った。参加した女性(80)は「腰が悪いが、少しでも動けて良かった」と話し、別の女性(67)も「体が軽くなったようだ」と笑顔を見せた。(2011/03/27-17:43)



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103270168.html
'11/3/27
福島派遣医師らが帰着報告

 福島第1原発事故を受け、福島県入りしていた広島大の緊急被ばく医療派遣チームの第4陣が26日、広島市南区の広島大病院に戻った。現地では原発復旧作業中に被曝(ひばく)した3人にも対応。チームリーダーの谷川攻一教授(54)は「防護服で防ぎ得た事故」と、現場の安全管理に警鐘を鳴らした。

 チームは、医師と看護師たち計6人で22日に現地入りした。被曝事故後、福島県立医大(福島市)で3人と対面。被曝線量の測定結果や、歩ける状態であったことなどから、搬送先や移送ルートを決めた。

 谷川教授は事故について「水が(靴の中に)漏れてくるのは予想できたこと。もう少し防護が必要だった」と述べ、現場の管理体制に課題があったとの認識を示した。



http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011032790095150.html
終末期患者置いて避難できない 福島の病院
2011年3月27日 09時51分

 福島第1原発から半径20~30キロ圏内にある福島県広野町の高野病院では今も、お年寄り36人が終末期医療を受けている。政府は自主避難を呼び掛けたが、搬送するのは不可能に近い。病院の遠藤行信常務理事(56)は26日、本紙の電話取材に「誰かのケアがなければ安楽死するしかない。この人たちを置いて避難はできない」と語った。

 原発から25キロほどの距離にある病院周辺の放射線量は、この2日間で197マイクロシーベルトに達する。政府は今までの「屋内退避」から25日、「自主避難」を呼び掛け始めた。避難指示への切り替えも検討している。

 遠藤さんはこれまでに、自衛隊の医療チームの協力を得て、入院患者70人を茨城県などへ避難させた。今も残る70代~100歳超の36人は、みな寝たきり。多くが口から食事をとることはできず、大静脈にカテーテルをつなぎ、栄養補給をしている。

 カテーテルは外せず、被災地の悪路を運ぶのは危険性が高い。危険性を少しでも減らすため近くの病院に移そうにも、周辺の病院はどこも震災後の大混乱で、受け入れは相当困難な状態だ。

 震災前は80人いた医師や看護師、介護士らスタッフも多くは避難させた。今は高野英男院長を先頭に15人が、自らの身を危険にさらしながらお年寄りのケアを続けている。人手が足らず、疲労もたまっている。

 厚生労働省の担当者は「患者の状態が安定したら、すぐに搬送できるよう全面支援する。そうとしか言いようがない」と繰り返す。だが、終末期のお年寄りの体調が、搬送できるほど好転するとは限らない。

 放射線量がさらに増え続けたら、どうなるのか。もしスタッフが全員、去ってしまえば、36人が命を保つことはできない。「医師や看護師らも私が採用した人たち。彼らの命も守る責任が私にはある。スタッフは全員退避させ、私は院長と共に残る」。遠藤さんは、そう決めている。

(中日新聞 中崎裕)



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110327_12
不安募らす要介護者 県内、ヘルパーや物資が不足

 自宅で避難生活を続ける要介護者の中には、専用介護食や必要なケアが十分に受けられず、不安を募らせている人が少なくない。物流が滞りがちな中、医療福祉系物資の入手が難しく、福祉施設やヘルパーらも被災したためだ。在宅の災害弱者への対応が急がれる。

 陸前高田市高田町の佐藤啓太郎さん(70)は脳梗塞、筋肉の委縮症のため寝たきりの母みとりさん(92)、妻雪子さん(65)2人を世話している。自宅は津波の直撃を免れたが、啓太郎さんは「避難命令が出ても家でじっとしているしかなかった。2人を連れて逃げるなんて、とても無理だった」と振り返る。

 インフラや物流、医療福祉などが完全に回復しない中での避難生活は、要介護者世帯にも自活を余儀なくさせる。

 啓太郎さんによると、停電で電動エア・マットレスが動かず、2人は床ずれが悪化。マッサージなどは、福祉施設の多くが被災したため通常の訪問ケアが十分に受けられずにいる。

 体外から胃に直接流し込む専用の介護食も残りわずかだが、市外の病院に買いに行くにもガソリンが心配で、ヨーグルトを湯で溶いて代用しようかと思案している。

 被災後しばらくヘルパーの訪問が途絶えた。市と福祉関係者は20日、安否確認に訪れたが、胃カテーテルの交換時期が来たらどうするか、など不安は拭えないままだという。

 被災地には佐藤さんのような例が無数にあると思われるが、ヘルパーらが被災、福祉施設も損壊し介護者情報の一部が散逸するなどして迅速に対応しきれないのが実情だ。

 同市広田町で避難生活を送る介護ヘルパー畠山のぶこさん(62)は「担当していた方の安否が心配でならない。生き抜くのに精いっぱいだが、無事を祈っている」と要介護者を気遣う。同市米崎町の仮診療所で事務を担当する千葉徳次・市健康推進課長補佐は「調剤やケアマネジャーを含む福祉分野の人員不足は課題だ。長期ボランティアが増えるとありがたい」と話す。

(2011/03/27)



http://www.mbs.jp/news/jnn_4685070_zen.shtml
被災の石巻市立病院など、採用取り消し

 被災地の宮城県石巻市では、津波の被害を受け、診療ができなくなった市立病院などの新規職員全員の採用を取り消すことを決めました。

 「大変遺憾なんですが、採用を取り消させていただく」(石巻市 亀山絋市長)

 石巻市が採用取り消しを決めたのは、石巻市立病院と、併設する夜間急患センターの新規職員18人です。この2つの医療機関では、津波で施設が被害を受け、診療ができない状態が続いていて、石巻市では施設は使用不可能で診療再開も当面困難と判断し、採用取り消しを決めました。

 「(病院は)再建します。あそこには医師が『行きたくない』と(言っている)」(石巻市 亀山絋市長)

 現在いる職員については、震災後、ほかの病院や避難所に派遣されていて、亀山市長は「当面、そのまま市の職員として診療にあたってもらう」としています。(27日17:35)



http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110327000010
保健師、避難所で活動 私が見た被災地 京滋から

 東日本大震災の被災地で、避難者の健康管理を担っているのが保健師だ。寒さやストレスで体調を崩す高齢者らが相次ぐ中、京滋の保健師も被災者に寄り添いながら活動を続けている。

■健康相談次々 何度も一緒に泣いた

 気温が急激に下がり、雪が降り始めたころだった。京都市保健医療課の木村好美さん(56)は16日から4日間、仙台市の避難所に入った。100人を超える被災者の健康相談や高齢者のケアにあたった。小学校の体育館は古く、冷たい隙間風が吹き込んだ。

 震災で鎖骨を骨折した87歳の女性がいた。1人で歩けないためにトイレに行きたがらず、食事も水分もほとんど取らない。「水を飲んで」「トイレに行きましょう」。懸命に説得を続けた。女性は朝から微熱が下がらず、夕方に救急車を呼んだ。肺炎だった。

 下痢や嘔吐(おうと)を訴える被災者が相次いだ。疲労のため、高血圧の人が急増した。地元の医師や保健師との連絡に追われた。

 「命が助かっただけでも良かった」。家を失い、厳しい避難所生活を強いられている被災者から何度も聞いた。前向きな意志に胸を打たれ、「大変だったね」と言うのが精いっぱい。何度も一緒に泣いた。

 同年代の女性は自らも被災し、炊き出しを手伝っていた。「まちを元気にして、また京都に行きたい」。逆境の中でのあふれんばかりの笑顔に、思わずカメラを向けた。

■「無理せず休みましょう」声掛ける


 滋賀県の健康支援チームに加わった宇野千賀子さん(46)が16日から活動した仙台市の小学校。ストーブが少なく、体育館や教室は暖まらない。被災者は肩を寄せ合うように過ごしていた。

 風邪や、間仕切りがない暮らしのストレスで、健康相談は1日50~60件に及んだ。津波の話に泣きだす人。反対に急に明るくなる人も。心の傷の深さは、計り知れなかった。

 狭心症にもかかわらず、物資搬送を懸命に手伝う男性がいた。時折、苦しそうな表情を見せる。でも、みんなの役に立ちたいとの強い思いも感じた。「無理せず少し休みましょう」。声を掛けるのがやっとだった。

 津波で家を流され、財産をすべて失った人もいた。宇野さんは「大きな病院も被害を受けていた。今後どのような医療を提供していくのか。先の見通しが立たないことがつらかった」と明かした。

【 2011年03月27日 08時59分 】



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110327-OYT1T00280.htm
「ふるさとに恩返し」研修医、飛び入り診療

 ふるさとの被災者に何か役立ちたい――。

 東京の研修医が、出身地の宮城県気仙沼市の避難所で診療ボランティアを行った。「生まれ故郷に恩返しを」と始めた活動は、新米医師にとってかけがえのない経験となった。

 被災者1800人が避難していた市総合体育館でボランティアをしたのは、東京の慈恵医大病院で1年目の研修医として働く高橋紘(ひろし)さん(25)。同市に住む祖母(68)の安否を確認するため、22日に現地入りした。

 祖母は無事だったが、近所の人が津波に流され、町並みが変わり果てた姿となったことに胸が痛んだ。「何か自分にできることはないか」。翌日から近くの体育館の避難所の医療チームに飛び入りで参加。医師が手薄な夜間の宿直も担当した。

 避難所での診療は、東京の大病院とは何もかも違った。血液検査もレントゲン撮影もできず、頼れるのは、問診や触診、聴診という医師の基本技術だけだ。

 夕食後、腹痛を訴え、うずくまっていた60代の男性からは、「地震から2週間近く便が出ていない」と聞き出し、腹部を触診。腹部の硬さも腸の音も問題なく、かん腸をすると、翌朝、「先生、楽になったよ」と笑顔で声をかけられた。
(2011年3月27日13時19分 読売新聞)



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233930
ボランティア 受け入れ態勢を急ぎたい 東日本大震災
2011年3月27日 10:41 カテゴリー:コラム > 社説

 東日本大震災は未曽有の災害であり、被災者への支援は一刻を争うはずだ。発生から2週間以上が過ぎた。九州各地のNPO・ボランティアセンターには、被災地に入りたいと言う市民の申し込みや問い合わせが相次いでいるという。

 なのに、出発できない足踏み状態が続いている。なぜか。現地の受け入れ態勢が十分に整っていないというのだ。

 理由は、いくつかある。

 被災地が岩手、宮城、福島の東北3県を中心に広範囲であり、被災者の避難所だけでも約2千カ所に上ることが一番大きいようだ。さらに、被害の程度も深刻で、加えて東京電力福島第1原子力発電所の事故もあって、一般市民のボランティア活動は制約されているという。

 だから「いまは我慢の時だ」と言う人もいる。やむを得ないのだろう。

 しかし、避難所暮らしは過酷だ。食事や物資、医療支援だけでなく、心のケアも必要だろう。お年寄りや病気の人、妊婦など災害弱者を支えるには、人手が多いに越したことはない。実際、現地では社会福祉協議会などが災害ボランティアセンターを順次開設しており、受け入れ態勢は徐々に整備されつつある。

 現在は避難所で暮らしている中高校生や近くに住む人たちか、支援に精通したボランティア団体が活動の中心だが、人が足りないという声が各地から上がっている。マンパワーが必要なのだ。

 政府が「震災ボランティア連携室」を設けて1週間余りたつ。室長は「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠内閣府参与だ。何をするか、何がやれるのかではなく、どこで何が求められているのか、何をすべきなのかという情報が大事で、その収集にまず全力を挙げる時期だろう。連携室は、情報提供と連絡調整の司令塔的役割を果たすことが期待される。

 困難ななか、善意のパワーを最大限生かす支援態勢づくりを急ぎたい。

 現地では、仮設住宅建設にも一部着手した。復興期に向けて今後、市民ボランティアの出番は必ず来る-。関係者は異口同音に、そう訴える。その際、宿泊先のほか、水、食料など必要な物は自分で確保し、安全には自ら責任を持たねばならない。準備を怠ってはなるまい。

 支援には長期的取り組みが不可欠だ。「ボランティア元年」といわれた1995年の阪神大震災での教訓でもある。そのためには官民連携も必要だろう。

 例えば、福岡県は今後、(1)疲弊している被災自治体の行政機能を支援する(2)新学期以降、子どもの心のケアなどに当たる-ことを目的に、職員や養護教諭の派遣を検討中だが、こういった支援に現職の市町村職員のほか、職員や教員のOBも活用できないか。能力と経験がある人なら一般人でも構わないだろう。

 そうした柔軟さも求めたい。

=2011/03/27付 西日本新聞朝刊=
  1. 2011/03/28(月) 06:04:22|
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