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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月23日 震災13日目

http://mainichi.jp/select/science/news/20110323ddm001040012000c.html
東日本大震災:病院・避難所、死亡相次ぐ 岩手・釜石の入院患者、9人肺炎死

 東日本大震災後、被災地の病院や避難所などで患者や高齢者らの死亡が相次いでいる。22日は新たに、岩手県釜石市の病院で入院患者9人が死亡していたことが判明し、死者は少なくとも35人に上る。被災地では医薬品や燃料などの不足に加え、ライフラインも完全には復旧していない。23日以降、冬型の気圧配置で最低気温は氷点下に下がる見込みで、専門家からは「このままではさらに死者が出る可能性がある」と懸念の声が上がっている。【福島祥、金子淳】
 ◇「政府の支援調整、足りぬ」

 地震と津波でボイラーが故障した上、停電にも見舞われた同市大渡町の「釜石のぞみ病院」。寒さにさらされ、19日までに入院患者の男女9人が肺炎で死亡した。いずれも高齢者だった。医師によると、病棟内の温度が0度を下回ることもあったという。

 病院関係者によると、地震発生時の入院患者は151人。停電中も医師らは、たんの吸引などは手動の機器で対応したが、寒さの中で患者の体力が低下し続け、衰弱して死に至ったとみられる。釜石市によると、電気が復旧したのは16日昼過ぎだったという。

 病院は13日から他の病院へ患者の移送を始めており、23日までに入院患者を58人にする計画。一方、ボイラー復旧のめどは立たず、患者は寒さに震えているという。病院関係者は「支援物資に電気ストーブを要望しているが、ほとんど届かない」と話す。

 病院の患者では他にも、原発事故で避難指示圏内にあった福島県大熊町の双葉病院の入院患者21人が、適切な医療処置を受けられないまま避難先で死亡したことが17日に判明している。介護老人保健施設でも同県いわき市の施設で21日、女性入所者2人が県外に避難するバスの中で心肺停止となり死亡した。

 避難所で死亡するケースも続いている。

 宮城県によると、仙台市若林区の小学校の避難所で16日朝、70代の女性が仮設トイレの前で倒れているのが見つかり、病院に運ばれたが死亡した。18日夜には同区の別の小学校でも、避難中の男性(87)がうつぶせに倒れているのが見つかり、翌19日朝に病院で死亡した。

 茨城県大洗町では15日、体育館に避難していた女性(86)が体調を崩して死亡。町によると心肺停止となり、その原因は分かっていないという。

 室崎益輝・関西学院大教授(都市防災)は「重病者は直ちに被災地から移送し、現地で治療を続ける人たちのために医薬品や物資、医療スタッフを多く送らないといけない。避難所で高齢者が人知れず倒れるような惨状を防ぐには、多くのボランティアの力が不可欠だ。これらの支援を政府が積極的にコーディネートする必要があるのに、現段階では決定的に欠けている」と話している。

毎日新聞 2011年3月23日 東京朝刊



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33216.html
被災地外での医薬品の長期処方「自粛を」- 震災受け日医

 日本医師会は3月23日の記者会見で、東日本大震災の被災地への医薬品供給を優先するため、被災地外の医療機関などでは長期処方を自粛するよう改めて求めた。

 会見した中川俊男副会長は、震災の被害を受けた「あすか製薬」の工場(福島県いわき市)で生産されていた甲状腺機能低下症治療薬チラーヂンについて、「全国的に供給不足になるのではないかとの心配がある」と指摘。通常、3-6か月の長期処方がなされていることが多いとして、当面は長期処方を自粛するよう求めた。
 また、チラーヂン以外にも不足が懸念される品目が複数あるとの認識を示し、「長期処方の自粛は、チラーヂンに限定せず、薬品全般に対してのお願いだ」と強調した。

 日医では、被災地外の医療機関や薬局に対し、当面、医薬品の長期処方の自粛や分割調剤を考慮するなど、必要最小限の処方・調剤への協力を要請。卸に対しても、ガソリン消費抑制のための納品回数の削減などを求めている。
 今後、被災地外の患者に理解を求めるため、近くポスターを作成し、全国の医療機関に配布するという。

( 2011年03月23日 22:57 キャリアブレイン )




http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011032300836
被災地へ医薬品供給を加速=「タミフル」6万人分など-製薬業界

 東日本大震災の被災地が医薬品不足となっていることを受け、製薬業界が避難所などへの医薬品供給を加速させている。日本製薬工業協会は23日、感染症や高血圧症の治療薬など約70トン分の追加無償提供を発表。避難所でのインフルエンザ流行の兆しを踏まえ、中外製薬も同日、抗インフルエンザ薬「タミフル」6万人分の無償提供を決めた。
 製薬協は厚生労働省と連携し、医療用医薬品メーカー三十数社から提供を受けた薬を24日に岩手、宮城、福島各県にトラックで輸送する。19日に日本医師会を通じて約10トン分の医薬品を岩手、宮城両県へ空輸したのに次ぐ動きだ。
 また、佐藤製薬、ゼリア新薬工業など約40社は、業界団体の呼び掛けに応じ、大衆医薬品の無償提供に名乗りを上げた。19日から22日にかけて、岩手、宮城、福島各県に、被災地での要望が多い風邪薬や胃腸薬などを輸送。現地のニーズは高いため、さらなる支援を検討している。(2011/03 /23-18:40)



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280376.html
気仙沼の被災地から札幌や千歳へ 透析患者受け入れ
(03/23 07:30)

 東日本大震災で津波被害にあった宮城県気仙沼市立病院の人工透析患者44人が22日、航空自衛隊千歳基地(千歳市)に到着し、道内の医療機関に運ばれた。被災地で透析ができる施設が少なくなり、同病院に患者が殺到したことから道内の医療機関が受け入れた。

 患者は、航空自衛隊松島基地(宮城県)からC130輸送機に乗り、午後1時ごろに千歳基地に到着。自衛隊員に背負われたり、体を支えられながらバス2台に乗り換え、札幌、千歳、恵庭の11医療機関に移動した。

 透析患者は通常、週3回程度の治療を行う。しかし、津波被害にあった気仙沼市では水、電力、薬剤の不足で透析ができない施設が多く、気仙沼市立病院に患者が殺到。患者数が病院の能力を超え、十分な治療ができない状態になった。

 このため、東北大が国を通じ支援を要請。道透析医会、札幌市透析医会、道透析療法学会が受け入れた。

 受け入れ団体の窓口となった札幌北楡病院の古井秀典医師は「治療や食料の不足で、患者はかなり消耗していた。まずは体を落ち着かせてほしい」と話していた。

 道内に避難する透析患者は23日も37人が予定され、2日間で81人になる。被災地の透析施設の機能回復が進むまで道内に滞在する。



http://www.tomamin.co.jp/2011c/c11032301.html
「恐ろしかった」と透析患者 治療のため北海道へ
(2011年 3/23)

 透析治療のため、東日本大震災下の宮城県から81人が来道した。22日に到着した患者のうち4人は千歳市の井川医院(田中智彦院長)に入院した。患者らは、治療を受けられることに安堵(あんど)の表情の一方、「恐ろしかった」と被災の様子を語った。

 千葉勝行さん(70)は、気仙沼市立病院に入院していた。「すごい揺れだった」と振り返り、「高い所にある病院の下の道路まで水が来た。ごみだらけだった。恐ろしかった」と語った。水や電気も不足し、「いつも5時間の透析は、1人2時間ずつに制限されていた。やっと落ち着いた感じです」とも。

 同じく気仙沼市立病院に入院していた阿部輝芳さん(60)は「津波で母親が亡くなった。タンカーから油が漏れ火災になったのが見えた。いくらか落ち着いたが、早く戻って様子を見たい」と語った。

 震災後初めて入浴したという同じ市立病院に通院していた菅原美智江さん(55)は「暖かいところで寝られるだけでうれしい」とほっとした表情。週に3回通院して透析を受けていた。透析の時間制限に、「不安だった」と明かし、地域では「避難してきた老人ホームのお年寄りをみんなでお世話をしていた」と支え合って頑張っている被災地の様子も語った。家は高台にあり無事だった、という。

 人工透析患者は22~23日に、航空自衛隊松島基地から自衛隊機で輸送された。

 多くは、気仙沼市立病院で透析を受けていた。水、電気、薬などの不足から十分な透析治療ができなくなり、北海道透析医会、札幌市透析医会、北海道透析療法学会の3団体が中心となり受け入れた。

 22日午後1時に、32歳から86歳までの男性28人、女性16人が松島基地からC130輸送機で到着。医師の健康チェックを受けた後、バス2台に分かれ、千歳市や恵庭市、札幌市の11医療機関に向かった。23日も37人を迎えた。

 3団体は「最大で300人の受け入れ可能」としているが、今後は未定という。



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40519/Default.aspx
震災受け、全国での放射線治療、がん薬物療法受け入れ可能病院を公開
公開日時 2011/03/23 05:01

国立がん研究センターと日本放射線腫瘍学会、日本臨床腫瘍学会は22日までに、東日本大震災を受け、東北地方の放射線治療の施行状況と、全国での放射線治療とがん薬物療法について、受け入れ可能な施設一覧を公開した。被災者支援に向け、学会発の取り組みも広がりをみせている。


国立がん研究センターHP(http://www.ncc.go.jp/jp/)では、放射線治療について、東北がんネットワークを活用し、施行状況を随時更新。がん薬物療法については、全国的な受け入れ施設一覧を掲載したほか、被災地でのがん治療薬の不足状況なども明らかにしている。


また、被災地で必要ながん治療を受けることができない患者のために、「被災がん患者ホットライン」を開設。がん治療を実施できず、患者の紹介を考慮している医療従事者や、がん治療を受けていた施設で治療ができず、他院での治療を望む患者に、治療が可能な施設を紹介するとしている。


日本放射線腫瘍学会では、全国レベルでの受け入れ可能な施設を公開した。学会では、コーディネーターを置き、患者の受け入れ施設とのマッチングを手助けする考え。詳細は、学会HP(http://www.jastro.or.jp/news/detail.php?eid=00190)まで。そのほか、日本臨床腫瘍学会は、がん薬物療法について、受け入れ可能な診療範囲、連絡医師のリストをHP(http://jsmo.umin.jp/oshirase/20110315.html)に掲載している。




http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20110323ddlk19040007000c.html
支える・山梨から:東日本大震災 支援プロジェクト設立、古屋聡さんに聞く /山梨
 ◇避難所の衛生改善、急務 積極的に情報収集を--山梨市立牧丘病院長・古屋聡さん

 山梨市立牧丘病院院長の古屋聡さん(48)は東日本大震災の発生直後、全国の自治医大(東京都)同窓生らと「震災支援プロジェクト」をつくり、被災地で医療活動を始めた。大規模病院の医師らが組織する災害派遣医療チーム(DMAT)の手が届かない慢性疾患患者や中小病院のサポートを目指す。16日から5日間活動した古屋さんに聞いた。【聞き手・曹美河】

 --プロジェクトの趣旨は

 災害現場の医療ニーズは時間とともに変化する。発生直後は救急医療、次に負傷者対応、第3段階が避難生活での感染症対策や慢性疾患患者への対応だ。DMATは第1、2段階の支援が中心だが、現状のニーズは第3段階にある。多くの避難所は衛生環境が悪く、インフルエンザや下痢など感染症の拡大が心配される。高齢者が多く、慢性疾患への対応も必要だ。

--5日間、どんなことを

 地震直後、被災地の同窓生らに連絡を試みたがつながらず、現地の状況を把握するため、島根県の同窓生医師と先遣隊として16日未明に車で宮城県に入った。岩手県南部と宮城県北部の病院や避難所などで医療活動をしながら情報を収集した。
 気仙沼市の避難所の80代女性は、体調に問題がなさそうだったが、丁寧に聞き取ると何日も便通がなかった。「トイレに行くと周りに迷惑がかかる」と水も飲んでいなかった。このように、多くの高齢者に便秘や脱水の兆候が見られた。細やかな応診が必要だが、地元の医師らも被災。人手が不足している。

--課題は

 阪神大震災や中越沖地震に比べ、今回は被害が広範囲。情報収集が困難だ。行政機能が失われた地域もあり、ニーズの把握が遅れている。その結果、現地の医療従事者が不足しているのに、「要請がないので派遣できない」という事態が起こっている。政府や支援する側の自治体は、積極的に現地情報を取りに行くべきだ。
 うれしいこともあった。現地では、通信会社1社の携帯電話だけが辛うじて通話できる状態。インターネット上で短文をやり取りするツイッターに、この会社の携帯が必要だと書き込むと、通信会社の方が病院まで携帯電話20台を届けてくれた。地元の医師や避難所代表者らに配り、活動がスムーズになった。

--今後の支援は

 岩手県の藤沢町民病院にプロジェクトの拠点を置いた。すでに同窓生ら100人以上が被災地入りを希望しており、1週間交代で4~5人ずつ派遣する。
 被災地以外の自治体では、被災者受け入れの必要性がさらに高まる。多くの県民が継続的に被災地を支えていくことが重要だ。

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 ◇27日までの県内の計画停電予定
問い合わせは 専用ダイヤル   電話0120・925・433
       東京電力山梨支店 電話0120・995・882

毎日新聞 2011年3月23日 地方版



http://www.nara-np.co.jp/20110323101854.html
宮城の避難所で診療 - 交代で寝泊り/県医師会
2011年3月23日 奈良新聞

 東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町の避難所で、県医師会(塩見俊次会長、約2000人)の救護活動が始まった。日本医師会災害医療チームの要請を受けて20日に宮城県入りし、歌津中学校に設置された避難所で、医師らが保健室に寝泊りして診療。4日ずつメンバーが交代し、当分の間、活動を継続する。

 県医師会によると、22日現在、同避難所の電気、水道は復旧しておらず、灯油やガソリンが不足。当初約500人いた被災者は少しずつ減っているが、避難所暮らしの長期化が予想される中、体力のない高齢者の多さが心配だとい…

記事の詳細は本紙をご覧下さい



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38434
[緊急連載] 震災の現場から(1)呼吸器電源 確保に奔走

 その時、訪問入浴で浴槽につかっていた体が、波打つ湯と共に大きく揺れ、部屋の照明が消えた。ヘルパーに支えられた体がガタガタ震えた。

 「恐怖で熱も出たよ」

 全身の筋力が低下する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、仙台市の自宅で生活を送る庄司精悦さん(52)は、体で唯一動かせる額に付けたセンサーで、巨大地震が襲ったときの思いをパソコンでそう書き出した。

 停電の瞬間、真っ先に恐れたのは人工呼吸器を動かす電源が途絶えることだった。バッテリー切れを示すアラーム音が、地震から1時間もたたずに鳴り始めた。バッテリーは通常、古い型で1時間、新しい型で7、8時間持つ。庄司さんのバッテリーも数時間は持つはずだったが、劣化していたのか、早くに消耗した。

 妹夫婦など家族が、急いで近くの消防署で発電機を借り、近所から燃料のガソリンをかき集めた。しかし、発電機は2日後に故障。救急車で東北大病院に緊急入院し、同病院が満床のため翌日、自衛隊のヘリで山形の病院に搬送された。

 庄司さんはこうして命をつないだ。電気が復旧した17日、自宅に戻れたが、「(緊急時の)電気とガソリンが一番心配だった」と振り返る。

 11日の地震直後、庄司さんら420人の患者を往診する仙台往診クリニックの川島孝一郎院長(56)は、電灯が消えた事務所で天を仰いだ。電話がなかなかつながらず、患者が生きているかどうかも確認できない。

 翌日までに、医師5人で手分けして、人工呼吸器を使う重症患者45人などの安否を確認した。発電機や車から電源を取り、窮地を脱していた患者もいたが、19人は緊急入院となった。

 燃料不足も深刻だった。停電中、発電機や車のシガーソケットにつないで動かす人工呼吸器は、ガソリンが切れれば止まってしまう。

 地震の2日後、往診用の車のガソリンもほぼ尽きた。

 警察などと交渉し、災害用の緊急車両指定を取って、優先的に給油を受けられるようにした。市内の多くの地域で電気が復旧した16日まで、医師の仕事は人工呼吸器を付けた患者へのガソリン配りだった。

 川島院長は教訓として、「災害直後は行政の支援が届きにくい。その時、大切なのは自助や共助。緊急時に発電機や燃料を調達できる仕組みや、地域の医療者、介護者同士のネットワーク整備を進めたい」と話す。

 未曽有の被害をもたらした東日本巨大地震。被災地の現場で患者や医療者はどう対処し、支え合っているのか。緊急リポートする。

(2011年3月23日 読売新聞)



http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110323-751881.html
73歳女医が診療所守る すぐに再開/ルポ

 親子2代で震災に立ち向かう医師一家が被災地にいる。宮城県七ケ浜町で震災後、すぐに再開した「新仙台湾鈴木診療所」の医師で所長の鈴木ヒトミさんは73歳。「いても立ってもいられず避難所を回った後、診療所を再開しました」。22日は午前8時半から午前中だけで90人を診察した。主にガソリンなどの燃料不足で移動できない被災者の患者の診察をしている。

 73歳という高齢が心配されるが「そんなことは言っていられない。私は幸いにも命もあるし家もある。医師にしかできないことがある」と言い切った。

 ヒトミさんは東北大医学部在学中に夫の寛さんと学生結婚し、4人の子供を授かった。4人の子供のうち3人は寛さんが多賀城市で開業した仙塩総合病院で働いている。同病院も津波の影響で地下と1階部分が現在も土砂と水で埋まっており通常業務はできないままだ。

 ヒトミさんの長男で理事長の寛寿さん(48)は「入院患者さん、医師スタッフは全員無事です。入院していた200人の患者さんは転院や退院してもらって現在50名を医師6人とスタッフで何とかやっています」と話す。次女の石垣五月医師、次男で事務長の崇寛さんは「何とか場所を確保して被災された地域の方の役に立ちたい」と話し、診察環境の整備に奔走している。

 この仙塩総合病院は1986年(昭61)に大洪水で被害にあっており今回が2度目の被害だが、ヒトミさんは「子供たちは1度経験しているから大丈夫。心配ごとは、そうねえ、次男がまだ結婚しないことかしら」と笑って答えた。【蔦林史峰】

 [2011年3月23日8時33分 紙面から]



http://mytown.asahi.com/areanews/yamanashi/TKY201103220497.html
劣悪な避難所環境・医師不足深刻 医療支援の古屋さん
2011年3月23日

 山梨市立牧丘病院の古屋聡院長(48)が、東日本大震災で孤立状態になった被災地で支援活動にあたった。目の当たりにしたのは劣悪な避難所の環境と深刻な人手不足。緊急で医師を募ったところ、自治医大の卒業生を中心に約150人が賛同し、22日までに一部が現地入りした。古屋さんに活動への思いを聞いた。

 食糧と寝袋を車に詰め込み、当直明けの13日、ひとり山梨を発った古屋さん。

 途中で合流した自治医大の後輩で島根県の隠岐島前病院の白石吉彦院長(44)と、大学や大学同窓会などに掛け合い、14日に医療支援チームを立ち上げた。「僕たち2人の任務は先遣隊。通信が途絶えていた岩手、宮城両県に入り、必要な医療支援は何か情報を集める仕事を始めた」

 被災地で見たのは、行政の対応が後手に回る情景。宮城県気仙沼市の避難所は感染症などの病気がはやる寸前の状態だった。仮設住宅を建てるなどして人口密度を低くしないと大変なことになる。それなのに「現地から要請がなくて動けない」と、周辺自治体や国の担当者は繰り返した。

 海岸から20~30キロ内陸の被災地はでこぼこ道が続いていた。古屋さんは16日から5日間、岩手と宮城を避難所から避難所へと要望を聞いて回った。走行距離は1500キロにのぼった。

 「東北の人は我慢強い。窮屈な避難所でも静かにしていた。声を掛けると『ありがとう、大丈夫です』と答える。重ねて聞くと、ようやくぽつりぽつりと話してくれた」

 ひざが不自由な85歳の女性はひとりでトイレに行くことができず、「迷惑をかけたくない」と水を飲むのを我慢していた。寝る姿勢を変えてあげないといけない高齢者も大勢いた。過疎化と医師不足という地域が抱えていた問題が避難所では顕在化していた。

 地元の医師たちは避難所で深夜まで診療してくたくたになっていた。災害派遣医療チーム(DMAT)の人命救助活動が一段落した後、日々の診療は地元の医師たちに委ねられる。白石さんは岩手県藤沢町にある国保藤沢町民病院につめて、必要な物資や人の手配に奔走していた。

 14日に同窓会のメーリングリストなどで現地で活動する医師を募り、約150人が手を挙げた。「現地入りした医師を迎えに行った時は、仲間の頼もしさに胸が熱くなった。今後半年間、交代で活動し、地元の医師が少しでも休めるように日々の診療を手助けしていく」

 今回の震災で、「情報化時代の長所ともろさの両方を痛感した」と古屋さんは言う。現地の通信手段が足りなくてツイッターでつぶやくと、翌日、仙台市のauの支店から携帯20台が届けられた。一方で、電話が通じないため、病院まで歩いて救急車を要請する住民の姿も目にした。

 「僕自身、現地で感情的になることも何度かあった。避難所近くのがれきの上を、子どもたちが泣きわめきもせず歩いていくのを見たとき、胸が痛くなった。災害はひとごとではない。皆で長期的な支援をしてほしい」(福山亜希)



http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-03-23_15758/
沖縄派遣医師団、長期支援訴える
2011年3月23日 09時47分

 東日本大震災の被災地支援のため、現地で活動していた県内の医師や看護師らが22日までに沖縄に戻った。避難所では、廃虚と化した町で行き場を失い、寒さと空腹に耐える被災者の姿。現場を見た医師らは「現場は想像以上だった。被災者の心のケアなど長期的な支援が必要だ」と訴えた。

 日本赤十字社沖縄支部の第1次医療救護班7人は16~20日まで、宮城県の石巻赤十字病院を拠点に活動。同救護班は、雪が積もり、がれきで埋もれた道路を迂(う)回(かい)しながら現地入りし、ガソリンが不足する中で市内8カ所の避難所で100人余りの被災者を診療した。

 22日に県庁内で会見した班長の佐々木秀章医師(48)は「現地では高血圧や糖尿病など慢性疾患のある高齢者を診療した。避難所では衛生状態が悪化し、インフルエンザや下痢がまん延していたため衛生指導を行った」などと報告。

 今後については「先が見えない中で生きる被災者にとって、心のケアが必要になる。今から現場に向かう医師らに経験を引き継ぎ、長期的な支援を続けたい」と訴えた。

 津波で町民の半数に当たる8千人が行方不明になった岩手県大槌町では、県医師会(宮城信雄会長)の災害救助医療班第1班とAMDA県支部の大城七子看護師(53)=天久台病院=が支援に当たった。それぞれ22日までに戻った。

 大城看護師は「避難所は肉親や親類の安否を気遣う重苦しい雰囲気。土ほこりが舞い、みんなせきが止まらない状況だった」と説明。「衛生用品などが不足している。現地に必要な物資を送ってほしい」と呼びかけた。

 県医師会は6人のチームで被災者約430人を診察。山間部に点在する避難所では、津波による骨折患者の処置に奮闘した。名桜大学の出口宝医師は「今後は眼科や歯科など緊急ではない医療ニーズも高まってくる。長い支援が必要だ」と訴えた。

「映像以上に悲惨」
消防援助沖縄隊が帰還報告

 緊急消防援助隊沖縄県隊として、被災地で活動していた県内11消防本部の56人が22日夜、沖縄に帰還した。危険な任務を終えた隊員は、那覇空港で出迎えた家族や同僚を前にほっとした表情を見せ、活動の意義をかみしめていた。

 緊急消防援助隊は17日に被災地へ出発。岩手県野田村で20日まで不明者の捜索に当たった。余震が続き津波の不安もある現場では、家屋や車がいくつも重なる危険な状況。隊員の安全確保を第一に捜索を続けた。

 空港内で取材に応じた隊長の照屋雅浩さん(47)=那覇市消防本部=は「現場まで向かう約700キロの道のりは険しく、テレビ映像以上に悲惨な状況だった。行方不明者の発見には至らず、たくさんの涙を流し、悔しさを募らせながら帰ってきた」と報告。

 「活動を通して、被災者を勇気付けることはできたと思う。私たちも被災者が前を向いて生活している姿を見て、強い気持ちになった」と力を込めた。

 空港内では帰還した隊員らが疲れた表情をみせず、出迎えた同僚と握手を交わしたり、家族と抱き合ったりする姿があった。

 空港で夫の宮平晃さん(32)=同=を待っていた泰子さん(28)は「夫とはメールで連絡を取りながら応援していた。任務は過酷だったと思う。無事に帰ってきてくれて、本当にほっとした」と笑顔を浮かべていた。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110323/dst11032303040002-n1.htm
日本財団会長・笹川陽平 「民」も総力を挙げて協力しよう
2011.3.23 03:04

 ◆寒冷地で救援待つ被災者

 唖然(あぜん)とするばかりの惨状である。東日本を襲った巨大地震。日本は総力を挙げて、この未曾有の国難に臨まなければならない。われわれ「民」も、可能な限りの協力をする必要がある。

 これに対し政府はボランティアなど「民」の現地入りを控えるよう求め、内閣府に震災ボランティア連携室を設け全体の調整を行うという。被害が東日本の太平洋側全域に広がり、大津波が家屋から車まで根こそぎ奪い去った今回の災害は、特定地域に被害が集中した過去の災害と明らかに違う。

 1995年の阪神淡路大震災の後、全国の災害ボランティア団体が日本財団の支援を受けて結成した、「震災がつなぐ全国ネットワーク」は過去28回、被災地に出動しているが、蓄積した知恵と教訓がどこまで通じるか、予測不能の感じさえある。

 大震災から1週間以上経て、仙台市など拠点には既に多くの支援物資が集積されている。しかし肝心の被災地は食糧や飲料水、薬など生活物資が大幅に不足し、家や家族を失った被災者が救援を待つ約2500カ所の避難所には、物資がほとんど届いていない。

 道路や電気、水道など大動脈の復旧を自衛隊、警察、消防団やそれぞれの専門家が担うのは当然として、広く点々と散在する避難所に物資を届けるには、ボランティアの力が欠かせない。政府が一刻も早くその活用に道を開くよう求める。高速道路の通行許可証すら得られないのでは誰も動けず、寒冷の地でひたすら救援を待つ被災者の窮状は救えない。

 ◆有償ボランティアも検討

 阪神淡路大震災でわれわれは百万円未満の救済事業を書類審査だけで受け付けた。慎重と公平を期すあまり支援が間に合わない事態を恐れたためだ。被災地にストーブもガソリンもないのなら、使い切りカイロをヘリコプターで大量投下し、少しでも暖を取ってもらうような柔軟な発想があっていいのではないか。「民」の力には限界があるが、経験を生かし、直近の対策から長期の支援策までできるだけ用意したいと考える。

 まず急ぐべきは被災地の老人、障害者、さらに肉親を失った災害遺児や外国人労働者への対策だ。これらの被災者をサポートするには、医師や看護師、心理療法士、介護士、手話通訳や外国語に堪能な人材が欠かせない。WHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局長も務めた尾身茂・自治医科大教授にお願いし、同大OB医師の協力をいただく予定で、医薬品は当財団で用意する。

 その他に関しても、長年の支援活動で培ったネットワークを通じて有為な人材に協力を呼び掛けている。当然、長期の活動となり善意だけに頼るのは無理がある。有償ボランティアとすることも検討している。

 被災地の宮城県名取市では地元NPOが2年前、予想される大地震に備え重度身体障害者の支援施設を立ち上げた。アドバイザーとして参加する日本財団OBによると、突然の惨事に茫然(ぼうぜん)と座り込む高齢者を足湯で暖め目線を合わせて励ますと、ようやく生気を取り戻すという。きめ細かいケアこそ「民」の重要な役割と考える。

 不幸にして肉親を失った災害遺児もかなりの数に達すると予想する。遺児たちの将来にわたる生活と教育を保証する必要があり、各地の里親の方々にも受け入れ準備を進めてもらっている。奨学金制度のような長期の支援策の検討も進めている。

 ◆必要なものを必要な場所に

 災害復旧には膨大な資金が必要となる。既に内外で広範な募金活動が始まっており、日本財団もウエブサイトCANPAN上に「東北地方太平洋沖地震支援基金」を立ち上げ、事業を通じ交流のあった外国の団体、個人にも広く協力を呼び掛けている。NHKや各紙で紹介いただき浄財が集まり始めた。あらかじめ使用目的を明示して一層の理解を得るとともに、使途に関する説明責任を徹底することで、助け合い精神旺盛なこの国の寄付文化の育成に一役買いたいと考えている。

 次いで災害現場で混乱も見られた支援物資の有効活用。CANPAN上に東証1部上場会社を中心に提供可能な支援物資や責任者名の一覧を掲載する準備を進めている。3月16日付の産経新聞朝刊には被災した各自治体の連絡先やガス、水道、医療機関など生活情報をまとめた「支援掲示板」が掲載された。これらを照合することで支援物資の有効活用が進むと期待する。「必要なものを必要な場所に必要な時に届ける」のが有効活用のポイントである。

 災害は、福島第1原発の炉心損傷事故を含め現在も進行中で、計画停電も続く。この国には各国が驚きを込めて絶賛する国民の冷静さと規則正しさがある。全国民が支援に参加することで絆は一層強まる。とりわけ内向き志向が指摘される若者には、ツイッターやフェイスブックを利用して大きく立ち上がってほしいと思う。それがこの国の底力となる。(ささかわ ようへい)



http://www.asahi.com/paper/editorial20110323.html
社説 2011年3月23日(水)
医療支援―分かち合いの精神こそ

 「医師も看護師も被災者です。家族の安否が確認できないまま勤務を続けている人もいます。勤務の合間に、携帯電話に家族からの着信がないか確認しているのです」

 重傷患者がヘリで次々と搬送されてくる宮城県石巻市の病院で、入院患者が目にした光景である。

 自らの家族より、患者への対応を優先する。被災地で働く医療従事者のプロ意識に敬意を表したい。

 地震発生直後から、200近い災害派遣医療チーム(DMAT)が全国の病院から送り込まれた。阪神大震災での救急医療の遅れという教訓からできたシステムが稼働したのだ。

 日がたつにつれ、慢性疾患を抱える患者への対応など日常的な医療の提供が課題となっている。多数の遺体の検案といった仕事も膨大だ。

 まずは開業医中心の医師会が力を発揮する場面だ。すでに日本医師会は災害医療チーム(JMAT)への参加を募り、会員たちが被災地で活動を始めている。高速道路の通行許可や燃料の優先的な提供で支えたい。

 それでも避難所の数が多いため、まだ医療が十分に届いていない。低体温症などによって避難所で亡くなる人をこれ以上、出してはならない。

 医薬品はもちろん、燃料や電力も含めて支援の拡大が必要だ。自治体や厚生労働省、医師会には、情報収集の徹底と効率的な連携を期待する。

 関東圏では、計画停電の医療への影響が大きい。たとえば人工透析のスケジュール変更が調整できなければ、患者の健康悪化に直結しかねない。在宅で療養しながら人工呼吸器などの医療機器を使う患者への影響も心配だ。

 厚労省は停電の正式決定まで本格的に動かず、対象地域内に計2600カ所近くある在宅療養支援診療所や訪問看護ステーションへの準備の呼びかけが出遅れた感は否めない。

 政府は停電が命や健康に及ぼす深刻な状況を直視し、国民ぐるみの「計画節電」を実施すべきだ。そうすれば停電を回避できるのではないか。

 大震災の被害で、医薬品の供給も滞るようになっている。数十万人が使う甲状腺機能低下の治療薬の場合、98%を生産する製薬会社の工場が福島県にあり、震災で生産が止まっている。

 厚労省は在庫を患者に行き渡らせるため、なるべく分割して処方するよう病院や薬局に呼びかけている。

 だが、生産再開までこのやり方で乗り切れる保証はない。緊急輸入などの措置をとって、患者や医師の不安を一刻も早く解消しなくてはいけない。

 私たち国民の側も、不安にかられて自分だけ多く薬をもらおうなどとすることがないように努めよう。

 苦難の時こそ、分かち合いの精神が大きな力を発揮する。
  1. 2011/03/25(金) 22:17:09|
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