FC2ブログ

Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月21日 震災11日目

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110321/dst11032108470024-n1.htm
被災地医療、新たな局面 感染症防止が課題
2011.3.21 08:45

 東日本大震災の被災地での医療活動は、重傷者の救命を中心とした緊急対応から、避難住民の長期的なケアに向け新たな局面に移りつつある。災害発生から48時間以内に活動する災害派遣医療チーム(DMAT)は徐々に撤収し、代わって被災者の健康相談などに当たる保健師が続々と現地入り。今後は避難所での感染症防止などが課題となる。

 厚生労働省によると、災害医療の専門訓練を積んだ医師や看護師で構成されるDMATは193チームが展開した13日をピークに、17日には12チームまで減った。厚労省では「被災地では緊急医療がその役割をほぼ終えつつある」とする。

 一方、全国の自治体からは保健師が派遣され、避難所や高齢者施設を回り、健康相談や感染症予防対策を本格化させ始めた。18日現在、宮城など3県で60チームの120人以上が活動。さらに40チームが被災地に向かっている。

 阪神大震災では避難所の厳しい生活で風邪や肺炎にかかる高齢者が続出、犠牲者も出た。今回も同様の事態が起きており、感染症対策にはきめ細かい対応が求められる。

 また、被災地の医師らを悩ませているのが医薬品不足。厚労省では自治体の要請に応じて医薬品を搬送しているが、集積所に積まれたまま病院などに届いていない例も。政府は自衛隊ヘリなどによる空輸も検討する。



http://japan.techinsight.jp/2011/03/furuse2011031914400.html
【巨大地震・盛岡から】その14 医師が過労で緊急入院も。医療看護現場はもう限界。
2011年3月21日 17:00

震災からすでに1週間が経過、余震は徐々に減っているというのに、医療現場からは不安の声が高まる一方です。医薬品不足も深刻な中、いよいよ診療にあたっている医師や看護師の疲労が限界に達しているのです。

19日の地元紙「岩手日報」は、被災地である県立高田病院の佐藤敏通副院長が、盛岡市の県立中央病院に緊急入院したことを大きく報じました。食事も睡眠もままならない状態で、心と体の疲労を休めることなく5日間も診察にあたって来たそうです。

副院長を支えて来たのは、恐らく医師としての使命感ひとつでしょう。しかしついに力尽きてしまい、自らも “患者” となってしまったのです。残してきた患者への心配に加え、実は妻・淳子さんがこの震災で行方不明となっているため、副院長は抗不安薬の力を借りて眠ったとのこと。肉体は疲れているのに神経が不安、恐怖、苦悶などで高ぶってしまい眠れない。記者の周囲でもそう口にする人が増えています。

被災地の医師、看護師らの中には、自らも被災者あるいは行方不明となっている家族を抱えている人も多いのです。医療ボランティア体制がいまだ確保されていないことが、今回の件でも浮き彫りになりました。ヘルプ要請が続々と被災地から伝えられています。 全国から大勢の医療ボランティアスタッフが集まり、スムーズに配置されることを祈ってやみません。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)



http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20110321/CK2011032102000089.html?ref=rank
「弱者、一番の苦しみ」 岐阜で宮城派遣の医師ら報告
2011年3月21日

 宮城県塩釜市の総合病院に派遣されていた県民主医療機関連合会(岐阜市、岐阜民医連)の支援チームが岐阜市に戻り、20日、市内で報告会を開いた。

 チームは岐阜市北山のみどり病院の医師、看護師、職員の4人で、15日に出発、19日に戻った。報告会には岐阜民医連の関係者約150人が出席した。

 医師日比野将也さん(29)は病院での診療のほか、避難所を回った。昼間の避難所は、多くの人が家の片付けに出掛ける一方で、お年寄りが残り、病院にも行けない状況と説明。「高齢者ら弱者が一番苦しんでいる」と指摘した。

 「現地ではガソリンや灯油などの燃料が不足している。避難所では毛布1枚で夜を過ごしている人も多い」と訴えた。 (寺本康弘)



http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY201103210280.html
被災者悩ます便秘 水分不足や心労、1週間出ない人も
2011年3月22日0時9分

 東日本大震災の被災地で便秘に悩むお年寄りや女性が増えている。大地震があった11日以来1週間以上便が出なかった人も。慣れない避難所暮らしが影響しているようだ。

 「おばあちゃんが、おなかが苦しいというんです。診てやってもらえませんか」

 宮城県石巻市の高台にある避難所を訪れた石巻赤十字病院の医療チームに80歳の女性の家族が訴えた。もともと3日に1回だった大便が1週間以上出ないという。横になったまま起き上がれなかった。

 長野県医師会から派遣されたミサトピア小倉病院看護師の高山順一さん(37)が、女性のおなかを「の」の字にマッサージしながら、ビニール手袋を二重に着け、肛門(こうもん)に指を入れ便をかき出した。栓のようになっていた肛門付近の便が少しずつ動き出し、10~15分後、たまっていた便が出てきたという。

 「スッとしました」と女性の表情が和らいだ。高山さんは「水をたくさん飲んで。できれば軽い運動も」と助言した。女性は震災で生活が乱された心労や、疲れが重なって便秘がひどくなったようだ。

 「言い出しにくく、最後の最後まで我慢してしまう。悩んでいる人は大勢いると思います」と高山さん。同行した工藤猛医師は、お年寄りや女性を中心に、避難所で暮らす人たちの半分が便秘に悩んでいるとみる。

 名古屋大准教授の葛谷雅文医師(老年科学)によると、避難所暮らしになって食事や排便の習慣が変わったり、水分や運動が不足したりすることが便秘の原因と考えられる。ストレスや、避難所での食事に野菜や果物などが不足しがちなことも関係する。3日以上出ないと、腹痛などの症状のほか、便が固く栓のようになって出にくくさせるので早めの手当てが必要だという。

 避難所暮らしの中で改善を図る方法もあるが、難しい場合もある。そのときは医師に診てもらい薬物療法になるが、「お年寄りには、心臓や腎臓の機能が弱っている人や、緑内障や前立腺肥大症のある人が多く、使ってはいけない薬もあるので注意が必要です」と言う。(熊井洋美、寺崎省子)



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110321/fkk11032101360000-n1.htm
東日本大震災 福岡市医師会、検視チームを派遣
2011.3.21 01:35

 ■「医療と並行してサポート」

 東日本大震災で福岡市医師会は、犠牲者の死因などを調べる検視チームを宮城県へ派遣した。宮城県が安置所に用いている総合運動公園「グランディ21」には1日に100体もの遺体が運び込まれ今後もさらに増えるとみられることから、仙台市医師会からの要請に応えた。
                   ◇
 福岡県警の警察医を務める大木実医師ら検視チーム4人は18日午前、福岡空港から出発。山形空港から陸路で宮城県に入った。

 検視チームに先立って現地入りした福岡市医師会の江頭啓介会長によると、グランディ21では医師14人と警察官らが遺体の検視を行っている。

 江頭会長は「津波の被害に遭った沿岸部には入りにくい状況で、まだ搬送できない遺体も多いと聞いた。今後、医療と検視を並行してサポートしていく」と語った。

 また、現地の状況については「医薬品以前に食料、燃料が不足している。食料がないため、入院患者に帰宅してもらっている病院もある。仙台医師会の話では被災者の忍耐、我慢は限界に近い」と述べ、物流網の早期復旧が必要との考えを示した。

 また、福岡県医師会は災害医療チームの第一陣として、20日に北九州市医師会の13人らを茨城県に派遣、日立市などで活動を始めた。

 福岡市も仙台市太白区の避難所で、健康に関して被災者らの相談を受けるなどする保健師らの第2次チーム4人を派遣した。



http://sankei.jp.msn.com/world/news/110321/mds11032122230017-n1.htm
風邪などへの通常医療が必要 イスラエル先遣隊
2011.3.21 22:20

 東日本大震災で被災した宮城県栗原市に入ったイスラエル緊急医療チーム先遣隊のアリエル・バル医師は21日、現地では「風邪やインフルエンザ、発熱などに対する通常の医療」が必要とされていると報告した。イスラエル放送の電話取材に語った。

 イスラエル政府は先遣隊の調査に基づき、近く本隊を派遣する。バル医師は、震災による重症者は既に病院に搬送されており、必要なのは比較的軽症の患者への治療だと指摘。被災地では医師が足りず、燃料不足も深刻だと述べた。(共同)



http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001103210004
災害弱者どう守る
2011年03月21日

 被災地を逃れて来た人たちの避難所生活はいつまで続くのか。県内各地の避難所では乳幼児や障害者、高齢者といった「災害弱者」へのケアの動きが目立ってきた。県災害対策本部によると、20日午後3時現在、55カ所の避難所に3834人が避難している。

 ▽ 高齢者・子供の体調ケア

 千人以上が寝起きしている山形市総合スポーツセンターの避難所では18日から、山形済生病院の医師らが「エコノミークラス症候群」の検査を始めた。長時間同じ体勢でいたりすると起こる症状で、足の静脈が滞って血栓ができる。新潟県中越沖地震でも避難者に発症者が相次いだ。

 20日までに寝たきりの高齢者や下半身にむくみやだるさを感じている人ら約100人が受診。医師が足の状態を診察し、看護師が「水分をこまめにとり、循環をよくするように」などと助言した。軽度の血栓が確認された人には医療用ストッキングを配る。

 検査を受けた福島県南相馬市の高倉幸さん(89)は「異常がなくてよかった」と一安心していた。統括診療部長の折田博之さんは「血栓が肺静脈に届くと重大な症状になることもある。啓発して予防することが大事」と強調する。

 整体院などを経営する愛楽グループ(山形市)は20日に整体師を派遣し、無料で整体などをしている。

 市は避難所の一角に健康相談室を開設している。保健師や助産師が常駐し、不定期ながら医師の診察もある。「持病の薬が不足している」という高齢者や、子どもの体調不良の相談が多いという。

 食事も20日から、炊きだしで離乳食と高齢者用の食事が別に配られるようになった。南相馬市の会社員藤井慎吾さん(32)の長男陽太君(9カ月)は、離乳食のおかゆをおいしそうに食べた。母の浩子さん(31)は「おにぎりをみそ汁などでやわらかくして食べさせていたが、便の調子がよくないなど心配だった。ありがたい」と笑顔で話した。

 手話通訳のボランティア舟越芳子さん(62)らも活躍している。聴覚障害者で相馬市から家族と避難している管野三博さん(64)は、近隣の入浴施設の場所など生活情報を舟越さんから聞き、役立てている。管野さんは「支援してくれる人とコミュニケーションがとれて大変助かる」。

 約200人が避難する上山市体育文化センターでは、市医師会の医師が2日に1回、健康相談に乗っている。「心配なことがある方は声をかけて下さい」。ボランティアの助手が声をかけると、「クスリが切れそうです」「足が痛い」と訴えが相次いだ。南相馬市の女性(70)は「お医者さんにアドバイスをいただけると安心できます」と話す。

 市医師会の佐藤紀嗣会長によると、今後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状が表れる可能性もあるという。佐藤会長は「精神的な面でもしっかり考えていかなくては」と話した。
  天童市にある県の施設「青年の家」は市と協力し、未就学児のいる家庭専用の避難所になっている。8人部屋に2段ベッドがあり、風呂も使える。市の担当者は「子どもは泣いたり騒いだりするので、周りの入所者もストレスを感じるし、親も気を使う。居場所を分けるのは、互いにとっていい」。青年の家で6歳と9歳の子と暮らす南相馬市の女性(35)は「前にいた公民館では子どもが布団の上を走り回ってしまった。ここは気を使わなくていい」と話す。

 相馬市の漁師、原田陵次さん(21)は両親や兄弟、婚約者の宍戸有美惠さん(21)を連れて17日から鶴岡市が設けた羽黒農村改善センターの避難所に避難している。宍戸さんは妊娠5カ月。原発事故が起き「赤ちゃんのために」と相馬市に残った家族と離れて避難した。

 鶴岡市は市内6カ所の避難場所を、保健師が毎日巡回して健康相談に応じ、市の施設で妊婦検診や希望によっては予防接種なども行っている。
  「温かい畳の上で過ごせ、診断も受けられるのでありがたい。でも本当は家族のいる場所で産みたい。これからどうなるのかな」と宍戸さんは不安そうに語った。



http://jp.wsj.com/Japan/node_205314
高齢避難者への対応を迫られる日本
* 2011年 3月 21日 7:46 JST

 【石巻】タカハシ・カツタロウさん(71)は、11日に東北地方を襲った大震災以降、避難所となっている鹿妻小学校に寝泊まりしている。津波で車3台が乗員ごと自宅の一階に突っ込み、糖尿病の薬と義歯も津波にさらわれた。

 それまで毎日、糖尿病を抑える注射を打ってもらっていたが、薬を失っても、今のところ問題はない。ほとんど食事をとっていないからだ。

 被災地の石巻を見渡しながら、タカハシさんは言う。「今の状況は戦時中よりもっとひどい。戦時中は、われわれ子どもは空襲のある場所から疎開先に逃げることができた」

 高齢者の多さは、大震災と津波襲来以降の救援活動が直面している日本特有の難題の一つとなっている。日本の人口の20%以上は65歳以上であり、国民の平均年齢はほとんどの諸外国よりはるかに高い。日本のへき地では、高齢者が人口の約30%を占めている。多くの避難所では、滞在者の大半が高齢者だ。

 先週の津波で甚大な被害を受けた被災地に到達すべく、救助隊が依然必死の努力を続けるなか、震災に見舞われる前からすでに病弱の身だった何万人もの高齢者にとって、危機が時々刻々迫りつつある。

 国連人道問題調整事務所(OCHA)や地元の報道によると、避難所生活や医療補給物資不足が原因で、すでに15人以上の高齢者が死亡した。OCHAによると、食料、医薬品、暖房が依然不足しているため、多くの避難所では状況が悪化しつつあり、高齢被災者がとりわけ危険にさらされているという。

 国際的医療・人道援助団体、国境なき医師団(MSF)日本のエリック・ウアネス事務局長は「高齢者の慢性疾患治療を再開することが焦眉の急」と語る。震災で薬や処方せんをなくしてしまっているため、高齢者は、けがや心の傷を負ったばかりか、心臓病、糖尿病といった持病の治療に必要なものを持ち合わせていない。

 高齢被災者についての懸念が高まるなか、少なくとも一部の地域ではより多くの救援物資が届き始めている。とはいえ、食料や医薬品の多くの配達便は、悪路や荒天のため、依然、立ち往生したり遅れに見舞われている。OCHAによると、停電世帯数は1日前の約45万世帯から約37万5000世帯に減った。しかし、日本政府は、国際救援機関への支援要請を手控えており、救援物資は被災者の元までなかなか届かない。

 宮城県の三陸沿岸にある人口1万7000人の漁村、南三陸町にある避難所は、何枚も重ねた毛布に身をくるんだ高齢者であふれかえっていた。

 南三陸町の主要避難所である総合体育館「ベイサイドアリーナ」では、トレーニングルームが臨時診療所に模様替えされている。正午過ぎ、高齢者が午後3時の医薬品配布のため、表に並び始めた。行列は数百人にも達した。

 たった一人の医師が、患者を一人あたり約30秒で診て、テーブルに並べられた12種類ほどの中から薬を処方する。医師から薬を処方された患者は、看護師のところへ行って薬を受け取る。列で待っている最中に立っていられなくなった2人の高齢者は診療所に運び込まれた。

 診療所のドアの張り紙にはこう書かれていた。「普段2錠以上服用されている場合でも、1錠しかお出しできませんので、ご了承ください」

 同様の難問はほかの場所でも持ち上がっていた。太平洋岸の福島・宮城両県からの避難者の多くは、被害の少なかった西側の隣県、山形県に避難している。山形市総合スポーツセンターは16日、避難者に門戸を開放し、家を失った避難者や原発の近くから逃れてきた避難者を目下約1000人収容している。

 山形市企画調整課政策推進総括主幹の原田実氏は、「高齢者の健康問題にこれから取り組もうとしているところ」と語った。

 ちょうどそのとき、別の市職員が駆け込んできて、「お取り込み中すみませんが、困ったことになりました。車いすに乗って独り言をつぶやいている、おそらく80代のお年寄りの女性が運び込まれてきました。どうしましょう」と尋ねる。

 原田氏は、「ここには認知症に対応できる設備はない。適切な施設に運んでもらえ」と指示してこちらに向き直り、肩をすくめる。「そうした介護のできる人員も設備もここにはないもので」

 原発の放射能を恐れて福島県太平洋岸の南相馬市から避難してきた避難者たちによると、多くの住民は高齢の親の面倒をみるため、地元に残ることを決断したという。

 「うちの夫は、母を置き去りにできなかった」と語るコハタ・ミチエさん(63)は、避難命令が出た後に自宅にとって返した夫(63)といまだ連絡がとれずにいる。81歳の義母は、急ごしらえの避難所では対応できそうにない医療ニーズを抱えており、家に残ると言い張ったため、そばに付き添うべく、息子である夫は家に戻った。コハタさんは、「二人の無事をただ祈ることしかできない」と話している。

記者: Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi and Eric Bellman



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110321t73010.htm
窮迫する医療現場 原発事故が追い打ち

 東日本大震災が各地の医療現場に深刻な影を落としている。宮城県内ではライフラインの停止や物資の供給難で、水や医薬品、食料が欠乏する中、病院内に患者があふれる。停電、断水の施設で多くの入院患者を抱え、窮地に立つ病院もある。福島県浜通りでは、東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で病院や福祉施設が「陸の孤島」と化し、人、物資ともに不足する。各地の現場で「限界が迫っている」との声が上がる。

◎宮城/水・医薬品・食料・燃料/物資欠乏危機的に

 石巻市の石巻赤十字病院は震災後、食料、水、医薬品が著しく不足した。16日までに40人近い赤ちゃんが生まれたが、断水で、もく浴も満足にできなかった。阿部雅昭企画調整課長は「健康に影響が出かねないが、水不足で体を清める程度しかできない」と話す。

 402床は被災者で埋まった。あふれた患者は、1階の受付前に設置された30床ほどの臨時病床で、治療を受けている。
 医療機関が集中する仙台市内でも、診察に支障が出ている。
 宮城野区の東北厚生年金病院は、断水や停電、変電設備の損傷のため、医療機器が使用できない状態が続く。約380人の入院患者の退院、転院を余儀なくされている。

 エレベーターも使用不能で、病院内の移動にも影響が出ている。順次、患者を救急車に乗せて、電気、水道が通じている青葉区や山形県内などの医療機関に搬送した。

 予約のあった患者への投薬に対応しているが、医薬品の供給が不十分で、3日分しか処方できない。八島信男事務局長は「入院患者の食事も1日2食で、まきで調理している。早く病院機能を復旧させたい」と語る。
 津波被災地から離れた県南の内陸部も、一時孤立状態に陥った。

 柴田町の仙南中央病院は、老朽化した病棟の柱にひびが入るなど倒壊の危険が生じ、入院患者100人が近くの体育館で避難生活を送る。
 鈴木健院長は「体育館の暖房用の灯油や食料、ガソリンが不足し、震災後4日間ほど危機的な状況が続いた」という。19日も職員が、トイレ用の水をくむため、近くの川に通った。

 精神科専門の同院の入院患者は、精神疾患や重度の認知症を抱え、手厚いケアの必要な患者が少なくない。鈴木院長は「現在もガソリンスタンド周辺で渋滞が起き、物資調達や職員の出勤に支障が出ている。最低限の物流、搬送ルートを確保してほしい」と訴える。

◎多賀城・仙塩病院の入院患者死亡12人に/停電・断水、転院進まず

 多賀城市の仙塩総合病院は東日本大震災で津波の被害に遭い、一時孤立状態となった。現在も停電、断水が続く中、転院も思うように進まず、震災後、20日午前までに12人の入院患者が亡くなった。病院を運営する医療法人宝樹会の鈴木寛寿理事長は「寒い中で家族の面会も少なく、患者のストレスは大きい。亡くなった方々には気の毒なことをした」と苦悩する。

 津波で建物は1階部分まで浸水し、地下の電源や自家発電設備が使えなくなった。当時、病院には200人の入院患者がいたが、水が引いた12日午後まで外部との行き来ができなかった。
 病院の窮状が報道されてから仙台市や利府町の病院、介護老人保健施設などが患者の受け入れを開始。18日ごろから転院が本格化したが、現在も52人の患者が入院している。発電設備など施設の復旧は進んでおらず、患者をケアする上で不安定な状況が続く。

 市内全域で断水が続く中、医療に使える水が市から提供されたり、食料などの救援物資が届くようになったりしたが、暖を取る手段は湯たんぽや毛布などに限られる。

 鈴木理事長によると、震災後に亡くなったのはいずれも80代以上の重篤患者で、停電が続く院内の寒さや震災のショックなどが死期を早めた可能性もあるという。

 病院は来春、利府町に一部機能を移転する予定だった。鈴木理事長は「もっと早く移転できていれば」と悔やむ一方、「転院させたくても家族と連絡が取れない患者もいる。そういう方は引き続き病院でケアするしかない」と厳しい表情で語った。

◎福島/人手不足、看護綱渡り 

 福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域に含まれる南相馬市原町区の「大町病院」には、19日朝まで約150人の患者がいた。医師5人、医療スタッフ十数人で対応してきたが、人員不足によって限界になり、19日と20日、前橋市などに患者79人を搬送した。

 病院付近にはヘリコプターの発着地がなく、搬送には救急車を使う。
 県内では、原発事故を受け、避難する人が増えている。事務職の男性は「看護師はへとへと。いま一番必要なのは交代スタッフだ」と語る。
 原発の南、いわき市では物資難に陥っている。同市で屋内退避地域(原発から20~30キロ)に入るのは北部のごく一部だが「いわき市は危ない」との噂が立ち、物資が調達しにくいという。

 松村総合病院は、津波で調理室が使えなくなった系列病院にも食事を提供する。医療スタッフの分までおにぎりが回らず、カップラーメンを分け合って食べている。阿部真弓事務局長は「行政には、患者とともに医療スタッフへの支援もお願いしたい」と言う。

 いわき市立総合磐城共立病院は、ガソリン不足で通勤できないスタッフが日に日に増え、働いているのは全体の半分の約350人だけになった。うち100人は自宅に帰れず泊まり込んでいる。
 退院や転院で入院患者を半分以下の約260人に減らし、外来は重症者に限定して負担を軽減している。上遠野裕美総務課長は「いる人で何とか踏ん張っているが、今がぎりぎりだ」と訴える。

 南相馬市原町区の特別養護老人ホーム「福寿園」も、食料不足で危機に陥っていた。横浜市の医療法人社団「愛優会」が窮状を知り、受け入れを申し出たため、入所者約220人と職員ら約40人が20日までに横浜市に避難した。

 「1日2食でしのぎ、20日にも食料がなくなる状況だった。ぎりぎりで避難できた」と福寿園の男性職員(34)。愛優会の担当者は「厳しい状況を知り、横浜市や神奈川県に相談したが動いてくれなかった。居ても立ってもいられず、独自の判断で迎えに行った」と話した。

2011年03月21日月曜日



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110321/bdy11032107370000-n1.htm
【東日本大震災】
国が災害医療チームと連携 自衛隊輸送機で首都圏や北海道に

2011.3.21 07:35

 未曽有の大災害となった東日本大震災では「災害派遣医療チーム(DMAT)」と関係省庁が連携し、負傷者を自衛隊の輸送機で被災地外に運ぶ「広域医療搬送」が初めて実施された。阪神大震災などを教訓に訓練を続けた官民一体の取り組み。懸命の救助作業を続けた。

■ 特殊部隊

 発生翌日の12日。既に暗くなった北海道・新千歳空港の滑走路に、岩手県の花巻空港をたった自衛隊機が降り立つ。重症患者4人にDMATの医師や看護師が付き添い、道内の災害拠点病院へと向かった。

 DMATは医師や看護師、事務調整者を含む5人程度でチームを編成。概ね災害発生後48時間以内に、ライフラインが途絶した劣悪な環境下で、挫滅(ざめつ)症候群(クラッシュシンドローム)など特有の外傷に対応するための訓練を受けた「特殊部隊」だ。

 地震などの大規模災害の場合、被災地では病院自体が被害を受けるなどして医療態勢を確保できないことが想定されてきた。厚生労働省によると、6千人超が犠牲になった阪神大震災では「被災地外の医療機関で迅速に治療をしていれば、約500人の負傷者は救命できた」との研究報告もあるという。

 こうした状況を踏まえ、国が準備を進めてきたのが広域医療搬送だ。DMATを軸に厚労省と防衛省などの関係省庁が連携。厚労省は「自衛隊の輸送機を使って、多くの患者をまとめて被災地外に迅速に運べるのが特徴」と説明する。

 今回の震災では、これまでに北海道と東京に計約15人を搬送。「ミッションを実際に運用できた意義は大きい」と同省の担当者。

■ 出動200班

 DMATが本格的にスタートしたのは平成17年。新潟県中越地震を受けて各地に設置され、災害現場などで活動してきた。

 「病院のライフラインの機能が下がっている。携帯電話など情報手段もズタズタ。どこに行っても連絡が取りづらいと考えてください」

 14日午後、宮城県内のDMATの活動拠点となっている仙台医療センター。秋田から派遣された平鹿総合病院の岩間直・小児科診療科長が、被災現場に向かう隊員の医師らに指示を出した。

 内閣府などによると、今回は、茨城、福島、宮城、岩手の4県からの要請で全国から200超のチームが出動し、主に各県の災害拠点病院で活動。中には消防隊とともに壊滅状態の被災地に入り、救出者の初期治療に当たる医師もいた。

■ 課題

 岩間医師は「大災害時には被災地の状況に関する情報に影響を受け、隊員ごとに重症度の見方が異なることがある。複数の隊員の見解を確認し、症状を慎重に見極めることが必要だ」と話す。

 厚労省によると、DMATはあくまで初期対応が目的で、順次撤収していく方向。だが、岩間医師は「一人でも多くの人を救出したい。それが隊員のみんなの願いです」。

 病院防災が専門の摂南大の池内淳子准教授は、DMAT参加による広域医療搬送を「画期的。多くの医療従事者を被災地に入れ、負傷者を外に出すことで被災地は助かる」と評価。そのうえで、「今は医療従事者のモチベーションに頼りすぎ。もっと行政や自衛隊が音頭を取るべきだ」とした。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110321-OYT1T00373.htm
署内に怒声、医療関係者に緊急通行許可下りず

 岩手県内陸部の警察署。交通課の窓口で、「被災者の命を見捨てるんだな」という鋭い声が響いた。

 声を荒らげたのは緊急通行車両の申請に訪れた医療関係者。被災地で必要な薬を届けたいという。

 結局、許可は下りなかった。

 この警察署では、地震後、緊急通行の許可を求め、医療、行政関係者の申請が殺到、1週間余で数百枚が発行された。

 「緊急」の文字が記された「標章」があれば、通行規制区間への進入が可能だ。同時にガソリンスタンドでの給油を優先的に受けられるため、被災地への支援や連絡に往復するためのガソリン確保をと、申請する人が後を絶たない。

 一方で、岩手県内では徐々に通行規制が解除され、主な道路では東北道のみになった今、緊急通行許可は、高速道を使った長距離移動を除いて下りなくなった。

 しかし、ガソリン不足は深刻で、盛岡市や近郊では、ガソリンスタンドの行列が数キロの長さになることもある。奥州市内では、ガソリンを節約するために車内で眠るのに石油ストーブで暖を取っていた男性が一酸化炭素中毒死する事故も起きた。

 許可証へのニーズは高まるばかりだ。ある警察署幹部は「助けたい気持ちは痛いほどわかる。でも、今の制度のままでは車の給油を目的に許可は出せない」と苦しい胸の内を明かした。
(2011年3月21日14時35分 読売新聞)


http://mainichi.jp/select/science/news/20110321ddm012040150000c.html
東日本大震災:避難所「ストレス極限」 「情報も足りない」--責任者アンケート
 ◇インフル、下痢 トイレの衛生も劣悪

 「嘔吐(おうと)する人が目立つ」「ストレスが極限に来ている」。宮城、岩手、福島の避難所運営責任者アンケートからは、被災者の心身の状態が日々悪化していることが浮かんだ。医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い。着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で衛生面にも課題がある。先行きが見えないこともストレスの原因となっている。

 岩手県大船渡市の綾里中学校(避難者120人)では、風邪をひいている人が若い世代も含め10人程いるという。同県釜石市の甲子小学校(同283人)では、十数人が感染性胃腸炎を発症し、下痢や嘔吐などの症状が出ている。ともに医薬品は「ある程度ある」状態だが、患者全てが最適の薬を使えるわけではないという。

 宮城県石巻市の湊小学校(同650人)は暖房が十分でなく、温かい食事も何日かに1度。医薬品もあまりないと回答している。胃腸を壊す人が出始め、「建物1階が泥だらけで食中毒やノロウイルスが心配」という。

 長引く避難生活で体調を崩す人が目立ち、各地の避難所では、インフルエンザ患者も出始めている。

 断水で水が流せず、トイレが不潔な状態になっている避難所も。宮城県東松島市の避難所では、足の悪いお年寄りは廊下の簡易トイレで用を足さざるを得ない状況だ。

 岩手県大槌町の安渡小学校(同約800人)でも「和式の簡易トイレが来たが、洋式便座がないとお年寄りが使えない」。温かい食事も何日かに1食しか食べられず、高齢者によりつらい状況となっている。

 プライバシーが保てず、窮屈な避難所ではストレスも大きな課題だ。岩手県宮古市の愛宕小学校(同180人)は満員で、「寝る場所が狭く、避難者同士のけんかもある」。

 物資ではガソリン不足を挙げる声が圧倒的で、移動も困難な状況だ。下着や衣類が足りず、着替えのできない避難者が多い。津波で多くの行方不明者が出た岩手県では安否情報を求める声が上がり、原発事故が起きた福島県では「放射線量の測定値などの情報が足りない」という声が聞かれた。

 福島県川俣町の南小学校(同150人)に避難した人の多くは、原発事故で避難指示が出された浪江町の住民。「着の身着のまま来ているので、お金もなく、自宅に一度帰りたいという人も出てきている」という。

 避難者たちの不安は募る。宮城県南三陸町の避難所に入る無職、菅原みちゑさん(79)は持病の緑内障の目薬が手に入らず「このまま失明するんじゃないか」と語る。同県気仙沼市の飲食店経営、佐々木美佐子さん(64)は「周りで風邪をひいている人が多いので心配。早くお風呂に入りたい」と話した。

毎日新聞 2011年3月21日 東京朝刊
  1. 2011/03/25(金) 22:00:07|
  2. 未分類