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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月19日 震災9日目

http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031901000613.html
宮城の透析患者80人が北海道へ 気仙沼の被災病院から

 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市立病院の透析患者約80人が19日、北海道の医療機関に避難するため同市を出発した。病院側は「患者数が病院の能力を超え、電気や水の供給が不安定なため」としている。

 病院によると、震災後に近隣の南三陸町や陸前高田市などからも患者を受け入れ、通常の180人を上回る約200人に透析をしていた。うち自力で歩ける患者を避難の対象とした。

 週に3回通院している菊地芳雄さん(75)は「移動は大変だが、ちゃんと透析を受けられるのなら、いい」と話した。
2011/03/19 18:28 【共同通信】



http://mainichi.jp/area/niigata/news/20110319ddlk15040035000c.html
東日本大震災:福島の人工透析患者、県が受け入れ開始 /新潟

 県は、福島県からの緊急要請を受け、人工透析患者の受け入れを始めた。17日夕方に患者161人と医師や看護師、ソーシャルワーカーなど約20人が新潟に到着。当面の間、避難所から県が手配するバスで12の各医療機関に送迎し、透析を受けられるようにする。

 透析機器145台を持ち、透析医療では県内最大規模を誇る新潟市西区の信楽園病院では、17日午後5時過ぎに、いわき市のいわき泌尿器科病院の患者30人が到着、夜間に透析を行った。個々の患者の症状についての情報がまったくなかったため、薬の種類や症状を一人一人聞いてカルテを新たに作るなど職員は対応に追われた。

 信楽園病院の皆川信院長は「向こうで十分な治療を行えていないということだったが、予想していたよりも(患者の状態は)悪くはなかった。こんな状況なので、こちらで対応しなければならない」と話した。【川畑さおり】

毎日新聞 2011年3月19日 地方版


http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20110319ddlk14040357000c.html
東日本大震災:「受け入れ感謝」 人工透析必要な茨城の主婦、横浜の病院に /神奈川

 県は18日、東日本大震災の被災者で人工透析が必要な患者ら計24人の受け入れを始めた。未曽有の被害をもたらした震災から1週間。各地の自治体も避難者の受け入れを進めている。被災者の切実な声が県内にも直接届き、「隣人」として支援する態勢づくりが求められている。

 「透析ができないと生きていけない。受け入れていただいて感謝です」。昭和大横浜市北部病院(横浜市都筑区)に入院する茨城県高萩市の主婦(58)は安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 週3回の透析が欠かせない。11日の震災当日は、北茨城市の病院で午前中に透析を受け、自宅に戻った際に被災した。けがはなかったが、家具は倒れ、冷蔵庫の扉が開いて、食べ物が床に散乱した。

 病院のある北茨城市は津波に襲われ、5人が死亡した。透析には水と電気が必要だが、市内のライフラインは寸断。病院の斡旋(あっせん)で14日は隣接する福島県いわき市の系列の病院で受けることができたが、水を節約するため、透析は通常の半分に制限された。

 その後、同市北部が福島第1原発から半径30キロ圏内の屋内退避エリアになったこともあり、茨城県常陸太田市の病院に移った。自宅から通える場所ではなく、病院へは近くの避難所から通った。「水が無くて、お風呂に入れなかったのがつらかった」と打ち明ける。

 幸い、体調を崩すことはなかった。「大変だったが、同じ(病気の)仲間が一緒だから」。会社員の夫(48)は今も自宅で生活している。いつごろ自宅に帰れるかはまだわからないが、「気分だけでも強く持たないと」と自分に言い聞かせるように語った。【高橋直純】
 ◇茨城と福島の24人、8病院へ

 県内に避難してきた透析患者は福島、茨城両県の50~80代の男女24人。人工透析を受けられないと、1週間で命の危険にさらされる。だが、被災地では十分な透析医療ができないため、現地の医師と、神奈川の病院関係者でつくる「県透析施設連絡協議会」が連携。協議会が昭和大横浜市北部病院など横浜、川崎、相模原3市内の計8病院を手配し、その後、茨城県が神奈川県に正式に受け入れを要請した。

 24人は午前9時45分ごろ、茨城県常陸太田市をバスに乗って出発し、午後1時15分ごろ昭和大横浜市北部病院に到着した。同病院での問診を受けた後、他の7病院にも分かれて、入院などの手続きをした。

毎日新聞 2011年3月19日 地方版



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20110318-OYT8T01036.htm
人工呼吸器が透析が…停電、断水で混乱
断水と計画停電で人工透析の継続に影響が出ている矢板市の「尾形クリニック」(17日)


 東日本巨大地震に伴う停電や断水などの影響で、県内の医療にも混乱が生じている。医療機関は人工透析の時間が短縮され、在宅医療で人工呼吸器を使う難病患者も機器停止の危険にさらされている。福島県からの避難者なども本県で受診しており、受け入れ困難になっている医療機関もある。混乱を緩和するため、県医師会は18日、東京電力に対し、重症者を治療する3次救急病院を計画停電から除外するよう申し入れた。

 影響が大きいのは、人工透析を受ける腎臓病患者。県によると5300人以上おり、2、3日に一度、医療機関で1回4時間程度の治療を受ける。だが、計画停電で透析時間が制限され、夜12時以降に治療を行うケースなども出ている。

 矢板市は11日の地震発生後、停電と断水に陥った。同市末広町の尾形クリニック(尾形直三郎院長)は市内外の患者約130人の人工透析を綱渡り状態で続ける。12日は患者を宇都宮市内の診療所にバス2台で運び、時間外に治療してもらった。同クリニックでは人工透析に1日30トンの水が必要。同市などから給水車の支援を受け、14日に治療再開したが安心はできない。尾形院長は「人命に関わるので非常に困る」と訴える。

 患者団体「栃木県腎臓病患者友の会」会長を務める宇都宮市の竹原正義さん(71)も、1回4時間の人工透析が3時間に短縮された。「透析でカリウムやリンなどの毒素を十分抜かないと呼吸が苦しく、歩くのもつらい。3、4日も透析できないと命が危険な患者もいる」と改善を求める。

 人工呼吸器を使う患者も困っている。県内には筋力低下で手足が不自由な筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)などの難病患者約70人が在宅で人工呼吸器を使う。

 停電時は補助バッテリーを使い、通常はバッテリー1個で3~6時間もつが、充電が不十分だったり、老朽化していると機器が停止する恐れがある。県健康増進課は患者に小型発電機を貸し出しているが、「万が一の事態がないよう、保健師が患者宅を回り、注意を呼び掛けている」という。これらの患者が重篤になった場合、搬送される可能性がある3次救急病院にも計画停電は行われている。18日、東電栃木支店に除外を申し入れた太田照男・県医師会長は「自家発電に切り替えても医療機器などの使用が大幅に制限される」と訴えたが、東電は「(除外は)難しい」と回答したという。
(2011年3月19日 読売新聞)



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/279428.html
救護所厳寒底つく薬 現場で支援 道内の医師ら 医療の窮状訴え
(03/19 06:24)

 東日本大震災の被災地で医療支援に当たってきた、札幌医大高度救命救急センターの沢本圭悟助教(32)ら道内の医師や看護師らが札幌に戻り18日、水や医療物資が不足する現地の厳しい状況を訴えた。

 札医大など道内5医療機関の救急専門医や看護師らの災害派遣医療チーム(DMAT)の25人。震災翌日の12日から16日まで、一時的に救護所が設けられた、岩手県のいわて花巻空港の格納庫で、重症者の応急処置をした。

 沢本助教によると、コンクリートの上に20の簡易ベッドを並べた格納庫には暖房機もなく、未明には氷点下となった。全国各地から駆けつけたDMATの医師ら約250人が、ヘリや救急車でひっきりなしに運ばれてくる患者を治療した。

 「家族は無事なのか」。津波にのみこまれて全身打撲や呼吸不全の患者たちは、自分自身の容体よりも家族の安否を気遣っていた。同空港は大きな被害を逃れて水が確保できたが、被災現地で脱水症状になったり、津波で負った傷を洗うことさえできなかった患者も運び込まれた。

 医薬品や機材は、各地のDMATがそれぞれ100キロ以上を持ち込んだが、人工呼吸器や医薬品が不足したため、融通し合ってしのいだという。沢本助教は「患者が、不安と恐怖で一様にぼうぜんとした表情を浮かべていた」と振り返る。

 砂川市立病院の雨森(あめのもり)英彦医師(46)は派遣当日の12日、道内の病院に入院させるため、男女2人ずつの重傷患者を、同空港から千歳基地まで搬送する自衛隊機に同乗した。複数の肋骨(ろっこつ)などを骨折して、意識がもうろうとするなど重篤な容体で、現地では受け入れ先が見つからなかった。雨森医師は「津波にのみこまれた患者は、全身に骨折や切り傷などがあり、津波の威力を感じた」と話す。

 また、北海道民主医療機関連合会(札幌)は14日から、医師ら16人を宮城県塩釜市周辺の避難所に派遣している。現地で支援活動に当たっている道北勤医協一条通病院(旭川市)の鈴木ひろみ看護師(47)は「避難所によっては防寒具が毛布1枚ずつしかなく、基本的な医薬品が底を突いている所もある。低体温症になる被災者も多い」と語った。



http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/03/20110319s01.htm
東日本大震災 医療支援急ごう/チームが動きやすい環境を

 震災で負傷した人の治療に医師、看護師ら病院のスタッフは不眠不休で対応している。水、食料がまったく不足している状況は、被災地近くの病院も、搬送される仙台市など都市部の医療機関も同じだ。人命を取り留めることを何よりも最優先にスタッフは走り回っている。

 一人でも多く、手術や治療を受けるためには、医師らが十分に腕を振るえる環境をつくることが重要だ。処方される薬も患者にとって命綱。長持ちさせながら大切に使いたい。

 こうした病院の中には、一般外来の受け入れを続けている所もあるが、病院がフル回転できるように、症状が軽いかかりつけの患者は受診日の間隔を空けるなどして通院を控え、回復しそうな人は家で様子を見るなど、緊急時に見合う対応が必要だろう。

 太平洋沿岸の街にあった多くの中核病院は津波で水没したり、スタッフが流されて行方不明になったりで、医療機能が失われた。
 宮城県内では、東北大病院、石巻赤十字病院など14カ所の災害拠点病院にけが人や病人を搬送し、職員総出で治療に当たっているが、手が足りないのが実情だ。

 搬送指示などを担っているのが、宮城県庁に設けられた災害対策本部。医師8人が「災害医療コーディネーター」として張り付き、電話などで、けが人の症状と病院の空きベッドの状況、受け入れ態勢などを把握して、総合調整を行っている。

 しかし、震災後、通信事情の悪い状態が続き、病院と連絡が取れないなど情報が不足している。実態を正しく把握するまでには時間がかかるとみられるが、情報の正確さが対応を大きく左右する。関係機関を結ぶ連絡網を早急に整えたい。

 手術や治療には大量の水、電気が必要とされる。断水の地域もあり、一刻も早い復旧が待たれる。
 医薬品は在庫が切れた後が心配だ。新たに仕入れるにも車の燃料が足りず、運び入れることができない病院もある。医薬品業界は薬を切らさないようメーカー、卸会社など総力を挙げて用意し、病院に届けてもらいたい。

 各病院には、全国から100を超える災害派遣医療チーム(DMAT)が駆け付け、支援を続行中だ。ただ、医療活動が長引くのは必至で、今後、スタッフが疲弊することが予想される。

 交代要員として、休職中の看護師、高齢で引退した医師らに応援を頼んではどうか。いまは、国難とも言える非常時であることを真っ先に考えたい。
 仙台市では一部の開業医が診療を再開した。被害を受けた宮城野区、若林区は少ないが、青葉区では170を超える医院が診察を始めている。

 開業医が加入する仙台市医師会などは、県の災害対策本部と情報を共有して患者の受け入れ、転院などをスムーズに行えるよう積極的に役割を果たしてほしい。

 それぞれの専門集団が連携、補完し合えば効率的な医療が期待できよう。被災者だけでなく、現場のスタッフもそれを望んでいる。

2011年03月19日土曜日



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38307
「一番弱い人に支援届かない」…石巻の精神科病院

天井まで水没 潜って薬探し

 「一番弱い人たちに支援が届かない」。宮城県・石巻漁港近くの精神科病院「恵愛病院」は11日の津波で患者の24人が流され、今もガスや電気などのライフラインが断たれたまま。

 医師や看護師らはスタッフや医薬品の不足に悩まされ、水に潜って薬を探すなど患者数十人の治療や世話に必死であたっている。

 同病院は120床で、重い統合失調症患者や認知症の高齢者が多い。木村勤院長(61)は18日、「一番被害がひどい地域の一番弱い人たちなのに支援が届かない」と、無精ひげが伸び疲れ切った顔でつぶやいた。

 「波が来た!」

 11日、職員が叫びながら院内に走り込んだと同時に、どす黒い水がごう音をあげて流れ込んできた。地震発生後、高台に避難しようと患者107人を1階大広間に集めた直後だった。

 重油混じりの水が天井近くまで達した。流されまいとカーテンレールにしがみつく人や木村院長が2階から放ったシーツにつかまった人もいたが、1人で動けない患者も多く、全員は救えなかった。患者を引き揚げようとした藤中好子看護部長(63)は、水を大量に飲んで意識を失った。血圧や体温が急激に下がり、一晩中、別の看護師が抱きしめて温め続け蘇生した。

 当初残った患者は83人。職員は治療を継続しようと水につかった薬を潜って探した。最初の2日間は水だけ。被災後3日目に救援物資が届いたが、おかゆとゆで卵だけという日もある。

 医療スタッフの支援はいまもなく、ストレスや薬不足で衰弱したり、自傷行為を繰り返したりする患者が後を絶たない。ヘドロや壊れた機材が散乱した1階病棟や廊下には、シーツに包まれた遺体があちこちに横たわる。唯一無事だった2階病棟は一時患者であふれたが、ようやく40人は別の病院に受け入れてもらうことになった。回復後、帰宅もせず不眠不休で働く藤中看護部長は、「支援を充実してもらい、何とか残った患者さんを守りたい」と訴える。

 精神科病院は、災害時の救援ネットワークが整備されていない。今も被災地の病院に取り残されている患者が少なくない。吉南病院(山口市)の長嶺敬彦内科部長は「精神疾患の薬は、中断すると症状が悪化したり、場合によっては高熱を出すなどして死亡することもある」と早急な救援が必要だと指摘している。(岩永直子)

(2011年3月19日 読売新聞)
  1. 2011/03/25(金) 07:05:45|
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