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Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月20日 震災10日目

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20110319-OYT8T00854.htm
恐怖と空腹子ら疲れ切る
和歌山生協病院 宮城派遣の職員報告


 東日本巨大地震の被災地・宮城県塩釜市の坂総合病院で医療支援を行ってきた和歌山生協病院(和歌山市有本)の看護師と職員計3人が帰県し、19日に同病院で開かれた活動報告会で、「食べ物も不足し、恐怖と空腹で子どもたちも疲れ切っている」と現地の惨状が他の医師や看護師らに伝えられた。

 第1次支援隊として、森岡佳昭事務次長(46)と、竹山静香(29)、瀧本佳史(26)両看護師が14日から派遣されていた。3人は毛布や米などの物資を運び、坂総合病院では、搬送された患者の治療の優先順位を決める「トリアージ」などを支援。森岡さんは16日、竹山さんと瀧本さんは17日に活動を終えた。

 竹山さんと瀧本さんは体調を崩し、この日の報告会に出席できなかったが、リポートで現地の様子を紹介した。飲食物がなく、水たまりの水を飲んだり、ガソリンがついた食べ物を食べたりして、下痢や嘔吐の症状を訴える患者が多いことなどが報告された。

 瀧本さんは、被災者のことを考えると今も眠れないといい、「被災者に知り合いがいれば、連絡をとって声をかけ、精神的な不安を和らげてほしい」などと呼びかけた。

 また森岡さんは県内でも津波に備え、病院での食糧の備蓄や人工透析の設備について、緊急の対策が必要と訴えた。
(2011年3月20日 読売新聞)



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110320_3
被災地医療、疲労ピーク 災害弱者のケア課題

 東日本大震災で被災した山田町や大槌町で19日、仮設診療所に患者が殺到するなど、医師と物資が不足する被災地の医療現場は限界を迎えている。外部から救護応援チームが入っているものの、不眠不休の医師たちは疲労のピークを迎え、被災地医療は正念場。避難生活の長期化が見込まれる中、高齢者ら災害弱者の心身のケアをどう確保していくかが課題だ。

 仮設診療所が置かれている山田町の山田南小。待合室の廊下は多くの患者でごった返した。負傷者の応急手当ては一段落したが、持病の常備薬を求める患者は後を絶たない。

 診察に当たる地元開業医の近藤晃弘医師は「医薬品がいつ供給されるのか。点眼薬は底を突きそうだ」と焦る。

 津波で壊滅状態となった大槌町の県立大槌病院。黒田継久副院長は看護師ら十数人のスタッフと、約1100人が避難する大槌高で診察活動を行っている。

 応援医師とともに診察する1日の患者数は約140人。黒田副院長は「外部の診療応援はいずれ撤退する。地元医師だけでやっていくのは難しい」と疲労と不安をにじませた。

 県などによると、沿岸部の被災地では県立病院の140人を超える医師が活動。岩手医大など県内外から約40の救護応援チーム(計200人態勢)が被災地入りし、地元医師会も連携して災害医療に携わっている。

 だが、不眠不休で活動してきた医療スタッフは体力の限界。医薬品は全体的に不足するが、被災者がどんな薬を飲んでいたか見極めが難しく、必要な供給量の精査に手間取っている。

 現状は負傷者の応急手当てが一段落し、持病対応など慢性期医療や被災者の心のケアが必要になっている。だが県立の基幹病院などは被災地の患者を受け入れており、これ以上の医師派遣は難しい。

 県や岩手医大、県医師会の関係者らは19日夜、医療救護体制運営会議を開催。「巡回医療と診療所の増設できめ細かい対応をしなければならない」との認識を共有したが、医師確保が最大の課題だ。

 県医療推進課の野原勝総括課長は「災害医療は高度なノウハウが求められる。他地域から継続的に支援が得られるよう、強く要請していかなければならない」と頭を痛める。

(2011/03/20)


http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110320_9
妊婦集中で迫る満床 県内内陸部の病院

 東日本大震災で、十分な医療が受けられない被災地の妊婦が内陸の医療機関に移ってきている。県産婦人科医会(小林高会長)は内陸への妊婦集中に対応し、開業医なども含めて受け入れの役割分担を進める。ただ、医師不足の本県の中でも産科医は特に足りず、内陸の各医療機関は普段でも満床に近い。今後も集中が続けば、行き場を失う「お産難民」が生じる懸念もあり、授かった新たな命を守る手だてが求められている。

 沿岸部では県立久慈、宮古、大船渡、釜石の4病院などが妊婦を受け入れているが、帝王切開などの手術はできず、医師もなかなか手が回らない。受診先を内陸の病院に代える妊婦はかなりの数に上るとみられる。

 盛岡市の県立中央病院は震災後、婦人科の病床を空けて産科とし、沿岸部や他県からの妊産婦を受け入れている。産科は25床だが、現在44人が入院。5人の医師が休む間もなく対応に当たっている。

 同市の岩手医大でも母体・胎児集中治療室(MFICU)の9床は満床、産科の一般病床45床もほぼ満床状態だ。県立中央病院の鈴木博副院長は「沿岸部や県外から受け入れの問い合わせは多数来ている」と話す。

 こうした事態を受け、県産婦人科医会は、高リスクの妊婦は総合周産期母子医療センターのある岩手医大病院など内陸の7病院、低リスクの妊婦は開業医も含め26診療所に振り向けるよう役割分担して受け入れを進めている。ただ、今後も内陸への集中が続くと、受け入れ困難となる可能性もある。

 宮古市に里帰りしていた東京都の倉本里美さん(29)は県立中央病院に移り18日、長男孝高ちゃんを帝王切開で出産。出産する予定だった県立宮古病院は断水で手術ができる状態ではなかった。「産後すぐ避難所に行った人もいる。ほっとしている気持ちもあるけど、これから頑張らなきゃという気持ちの方が強い」と心情を語る。 

 お産難民を生じさせないために、同医会の小林会長は「病院だけに妊婦が集中すると病院の機能を失うし、各医療機関も疲れている。通常分娩(ぶんべん)など低リスクの妊婦は一般の診療所で受診してほしい。まだ余力のある開業医が低リスクの妊婦を受け入れ、役割分担していかなければならない」と訴える。 
(2011/03/20)



http://mainichi.jp/area/nagano/news/20110320ddlk20040042000c.html
東日本大震災:「逆に勇気もらった」佐久の医師ら報告 岩手派遣から戻る /長野

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市に派遣された佐久市の医師、看護師、市職員ら10人が18日夜、佐久市役所に戻り、避難所の様子や活動を報告した。

 派遣されたのは市立浅間総合病院の箕輪隆副院長ら医師2人、看護師2人、市の保健師3人と職員3人の第1陣。医療支援が行われていなかった大船渡湾近くの赤崎地区を14日から17日まで担当。「漁村センター」に避難した約600人を中心に診察や治療、健康相談などにあたった。

 停電に加えて断水、灯油も不足する中、風邪や下痢を訴える被災者が多く、箕輪副院長は「薬をなくしたり、避難所で急に具合が悪くなる人もいた。『医者が来てくれて安心した。助かった』と感謝の言葉をもらった」という。また保健師の油井久美子さんは「避難所の人たちは元気で前向き。逆に励まされ勇気をもらった。感染症や精神的なケアがこれからの課題」という。

 佐久市は25トン車1台で支援物資も輸送した。各避難所への分配を手伝った市職員は「一致団結して取り組む姿に感銘した。全国からの物資や気持ちが、復興の力になっていると思う」と振り返った。【藤澤正和】

毎日新聞 2011年3月20日 地方版



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134114/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
「復興に全力を挙げられず、原発への不安も」

浦部真平・白河厚生総合病院放射線科部長が震災状況報告(3月20日時点)
2011年3月20日 浦部真平(白河厚生総合病院放射線科部長)

 福島県白河市は、3月11日の大地震では震度6強の揺れでした。市内では損壊した建物もあり、当院近くの葉ノ木平では住宅や店舗の裏山が崩れ、10数人が生き埋めになったことは報道されている通りです。この方たちの多くは当院に搬送されましたが、生存者は一人もおらず、それは酷い有様でした。最初の二人は姉妹で、手をつないだ状態で発見されています。最後の一人が掘り出されたかどうかの情報が、未確認です。重機の燃料がなくなり、作業が難航しているようです。

 当院は3年ほど前に新築した建物で、免震構造となっておりました。かなりの揺れを感じましたが、棚の物が落ちたわけでもなく、平積みにしていた書籍がわずかに崩れた程度でした。外を見ると、車がゆさゆさと揺れる様子が見えておりました。

 職員は全員無事、診療機器もすべてが無事でした。瞬間停電の影響は受けましたが、問題なく復帰しています。ガスも問題ありませんでした。唯一、放射線治療装置のみが手間取りましたが、やはり復旧させることができました。なお、3月18日現在では、福島県中通りで放射線治療が可能だったのは当院のみでした。3月22日以降は各施設が可能だと聞いています。病院全体としては、断水が数日続いたため、貯蔵タンクの水を使い果たさないように、節水に努めていましたが、現在は復旧し、診療機能は概ね保たれています。

 さて、原発の問題ですが、当地(原発から80Km強)の空間線量率は3月15日の昼頃に上昇が見られました。その後は概ね緩やかな右肩下がりで経過しています。3月20日現在で、空中で2μSv/h程度です。福島市で高いのはなぜかということですが、放射性物質は均等に同心円状に広がった訳ではなく、heterogeneousに広がり、天候の関係もあり、地震当日、福島市付近に多く落ちた可能性、福島市は盆地のため一度落ちた放射性物質が外へ拡散しない可能性などが考えられます。

 いずれにせよ現時点では人体の健康に被害の出るレベルではないのですが、「福島県」というだけで、高速道路以外の道路のインフラが中通りでは保たれているにも関わらず、物資がなかなか入ってこない、という問題があります。「いわき市」では、30Km圏に一部が入っているだけで、50Km圏の病院にも薬品が届けられず(業者が怖がって配送しないそうです)、医療が崩壊しています。研修医は全員フリーにし、若い医師は病院を離れ、概ね50才以上の医師だけで診療を行う、などといったことも起きています。

 白河市ですが、当院では医師の逃散は起こっていません。ただ、全国的な問題とはいえガソリンが全く入ってこない。食料品を始めとした日常物資の物流が極めて乏しいという問題があります。田舎では首都圏のような鉄道インフラがありませんから、買い物も通院もすべて車です。病院が働いていても患者が病院に来られない場合もあります。放射線治療は毎日行わなければなりませんから、命に関わります。職員はガソリン不足のため通勤に支障を来し始めています。白河市は、栃木県のすぐ隣で道路は通じているのですが。当地では物流が回復すれば、復興に全力を挙げられるのですが、それがままならないのが現状です。

 病院でのエピソードですが、原発近くの双葉厚生病院から移送された患者さん、関東に居る親戚が、「そんな所(福島県)にはおいておけない」と言って、わざわざタクシーで迎えに来て埼玉スーパーアリーナに連れて行った、という話もありました。

 避難所に避難している人が減ってきました。白河市内、市外いずれからも来ているそうですが、自宅が復旧したから、ではなく、高速道路の通行許可を取って新潟などに避難しているとのことです。那須塩原駅前に置かれている福島や宮城ナンバーの車が非常に多いです(見てきた同僚の話)。関東以南へ移動しているのではないでしょうか。

 以上が3月20日時点の現状報告です。と言っている間に原発の3号機でまた問題が発生しているようです(編集部注;3月20日、経済産業省原子力安全・保安院は、3号機の格納容器の圧力が上昇し、放射性物質を含む内部の蒸気を放出すると発表)。このような不安に日夜、さらされているストレスも、あります。
  1. 2011/03/25(金) 07:15:53|
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