Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

2月28日 医療一般

http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20120228ddlk01040300000c.html
医師不足:拡大傾向 11医療圏で悪化、診療科別でも偏り--道必要数調査 /北海道
毎日新聞 2012年2月28日 地方版 北海道

 道内の医療機関を対象に、道が実施した医師必要数の調査結果がまとまった。必要な医師数が実際の医師数の何倍かを示す「倍率」で比較すると、2次医療圏(21圏域)のうち、11圏域で前年度より上昇した。改善したのは8圏域にとどまり、地方を中心に医師不足が拡大傾向にあることを示した。【片平知宏】

 調査は道内の病院など計627施設の医療機関に郵送で実施。昨年6月1日現在の実際の医師数と必要数を聞き、505施設(回収率80・5%)から回答を得た。

 厚生労働省が10年度に実施した同様の調査と比べると、道内全体の倍率は0・01ポイント増の1・14倍で、必要数は同68人増の1075人とやや悪化した。

 圏域別で倍率が高かったのは▽北渡島・檜山1・65倍(必要な医師数17人)▽留萌1・49倍(同29人)▽中空知1・38倍(同73人)。倍率が低かったのは▽札幌1・07倍(同245人)▽北空知1・13倍(同7人)▽上川中部1・13倍(同108人)。都市部と地方の医療格差を改めて示した。

 北渡島・檜山は倍率の上昇が最も大きく、0・2ポイント増。留萌や南空知、宗谷など10圏域も0・16~0・01ポイント上昇した。札幌と上川北部は前年度と同数で、遠紋(遠軽・紋別)や根室、富良野など8圏域は改善した。

 診療科別では、内科の必要数が最も多く219人(倍率は1・14倍)。次いで▽整形外科87人(1・16倍)▽消化器内科78人(1・18倍)▽循環器内科が69人(1・18倍)となった。

 道地域医師確保推進室は「医師不足による勤務状況の悪化がさらなる医師不足を生み出している。診療科では専門化が進み、偏りが発生している」と分析。医師が足りない地域では診療日を週1回程度に限定したり、医師の勤務日数を増加したりするなどの対応を取っているという。

 道は地域中核病院に対し、10年4月から指導医、昨年9月から専門医の派遣に取り組むなど対策に乗り出しており、同室は「医師の不足は道民の命に関わる。(必要数を)確保できるよう努力していきたい」と話している。【片平知宏】

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 ◆道内2次医療圏別の医師必要数◆

圏域       現状  必要数   倍率  前年度比
南渡島     445  126 1.28  0.05
南檜山      31    5 1.16 ▼0.05
北渡島・檜山   26   17 1.65  0.2
札幌     3716  245 1.07  増減なし
後志      191   36 1.19  0.03
南空知     154   41 1.27  0.07
中空知     190   73 1.38  0.05
北空知      53    7 1.13 ▼0.02
西胆振     287   57 1.20  0.04
東胆振     165   43 1.26  0.02
日高       54   19 1.35 ▼0.07
上川中部    810  108 1.13  0.05
上川北部    113   25 1.22  増減なし
富良野      40   10 1.25 ▼0.07
留萌       59   29 1.49  0.16
宗谷       51   16 1.31  0.06
北網      283   65 1.23 ▼0.04
遠紋       85   20 1.24 ▼0.19
十勝      338   55 1.16 ▼0.02
釧路      309   67 1.22  0.01
根室       65   11 1.17 ▼0.13
全体     7465 1075 1.14  0.01



http://www.iga-younet.co.jp/news1/2012/02/2-8.html
外科と放射線科の医師2人が着任へ 伊賀・上野市民病院
編集部 (2012年2月28日 16:16) 伊賀タウン情報YOU

 伊賀市の内保博仁市長は2月28日、市立上野総合市民病院(同市四十九町)に常勤の外科医と放射線科医が4月に着任予定であることを明らかにした。また、2007年度から5年間休止していた療養型病棟も新年度から段階的に再開すると発表した。

 昨年7月以降、同病院では常勤の内科医が不在だった。今年1月から30代の男性内科医を迎え、内保市長は施政方針演説で「救急外来などの内科系患者の入院を再開し、少しずつ診療体制の充実を図っている。更に内科医を確保するよう努める」と述べた。

 同病院の常勤医数は4月1日には、外科6人、内科1人、整形外科2人、麻酔科2人、小児科1人、婦人科1人、放射線科2人の計15人になる。



http://www.sanin-chuo.co.jp/health/modules/news/article.php?storyid=530642240
地域医療のあす : 第14部 (2)正念場/「現場任せ」から転換
第14部 なぜ、地方の医療行政の役割が増しているのか

('12/02/28) 山陰中央新報

 経営支える覚悟前面に

 大田市の市立病院が、2年前に取り下げた救急告示病院指定の再取得を決断した2月14日、市医療対策本部の月森憲三顧問(60)は、院内に楫野恭久院長(64)を訪ねると、こう切り出した。

 「これからは行政の出番。しっかり汗をかきたい」。言葉の端々に、病院再生を全力で支える「決意」をにじませた。

 大田医療圏の中核医療機関・市立病院は2010年4月、二次救急を支える外科医2人、整形外科医4人の〝一斉退職〟に伴って救急告示の看板を下ろした。

 その影響は、深刻な「患者離れ」を誘発して病院経営を直撃。10年度の赤字は過去最悪の9億円を超し、積もりに積もった累積赤字は26億2900万円に膨らんだ。

 危機的な病院経営に、虎の子の基金の枯渇、さらには自治体病院の破綻という最悪のシナリオさえ現実味を帯びた。

 「これではいけないとやっと気付いた」。森山祐二市民生活部長(55)が振り返る。

   ※   ※

 地域医療の「最後の砦(とりで)」とされる自治体病院の経営危機が叫ばれて久しい。実際、09年度の国のデータで、その6割以上が赤字経営を強いられ、国の地方交付税措置や自治体の財政支援に頼る。

 もちろん、救急など、不採算部門を抱えざるを得ない自治体病院の特殊事情はあるにせよ、経営難の背景には、税金を投入するだけで「現場任せ」に陥りがちな行政の無責任体質が見え隠れする。

 大田市の場合も例外ではなかった。市立病院の前身・国立病院時代から病院依存の意識が強く、医療行政を担う「医療対策課」は、病院が持った。市庁舎に新設の「地域医療政策室」が組織されたのは、救急告示取り下げの10年4月のことだ。

 月森顧問は、島根県職員OBで、病院局長や環境生活部長を歴任。11年4月、市長を本部長、副市長と病院長を副本部長とする「市医療対策本部」発足と同時に、顧問職に就いた。

 行政経験を生かした助言役として課題と向き合った1年目。市職員や病院事務職員を相手に口を酸っぱくして説いたのは、「医療行政を引っ張るのは市」「病院現場を理解し、支える」という覚悟だった。

 対策本部は、意識改革、市と病院の連携、責任の所在など具体的な問題点を洗い出し、年度途中では異例の、病院事務再編に踏み切る。

 病院を中心に市を交えて立ち上げた「あり方検討委員会」(座長・西尾祐二市立病院副院長)では、「救急医療の提供は自治体病院にとって最大の医療サービス」「医療行政の最終責任は行政」などを再確認。共通理解を推進力に、具体的なアクションプラン作りが今年2月から始まった。

   ※   ※

 病院の危機が指摘されながら、これまで「疎遠の仲」だった医療現場と市役所。市総務部長を退職後、対策本部に入った渡辺誠事務局長(59)は「病院任せで、市の基本理念がないから医師、看護師が離れると分かった」と反省する。

 曲折を経て市立病院は4月、2年ぶりに救急医療を再開。院内で「地域総合医」の育成を目指す島根大学医学部のサテライト「大田総合医育センター」も本格始動する。

 県内7医療圏で最も高齢化が進む一方、勤務医の医師充足率(62・8%)が低い大田医療圏。地域医療再生は、一層の地域住民の理解と協力なくしてあり得ない。

 「今年が正念場」。月森顧問は自らに言い聞かせる。


~メ モ~
 大田市立病院 常勤医師数は、2000年度35人から10年度22人まで減少。医師不足などによる医業収益の減少に伴い、単年度収支は06年度以降6年連続(11年度含む)の赤字見込み。交付税措置分除く市の一般会計からの持ち出しは、10年度1億8400万円、11年度1億9600万円に上る。



http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000001202280001
市営で新診療所
2012年02月28日 朝日新聞 青森

 平川市の大川喜代治市長は27日の市議会全員協議会で、財団法人「黎明(れい・めい)郷」碇ケ関診療所が3月末で廃止される問題で、市が6月にも独自に診療所を開設する方針を示した。県内の男性医師1人を確保できる見通しがついたという。

 市によると、市碇ケ関三笠山にある保健センターを改修して「平川市国民健康保険碇ケ関診療所」を6月1日に開設する予定。手続きが早く進めば5月の連休明けにも開設可能という。診療は月~金曜日の午前8時半~午後5時。医師1人、看護師3人、医療事務者1人の態勢で開設する。内定した医師からは、常勤で往診もする意向が示されているという。

 市は総額約3800万円をかけて、保健センターの一部約360平方メートルを診療所用に改修し、内視鏡などの医療器具や往診車も一緒に準備する。市議会全員協議会には、1年間の経営計画について、7千万円前後の収支で約270万円の黒字試算を示した。大川市長は市議会で「診療所設置の道筋が見えた。経営面でも市財政に負荷をかけないよう運営できると思う」と説明。市議からは診療所開設に賛同する意見のほか、看護師の地元雇用を求める意見が出た。

 この日、市議会全員協議会を傍聴していた碇ケ関地区の住民組織「碇ケ関診療所対策委員会」の一戸勝広委員長は「住民要望書を出して無医地区にしないよう求めてきただけに、方針を聞いて安堵(あん・ど)した。地区の住民も『あそこにあればいいのに』と期待していた場所でもあり、よかった」と話した。

 大川市長は全員協議会の後で「碇ケ関地区の医療利用を考えると、指定管理も含めた民間の診療体制では、またいつ経営判断で引き揚げとなるかもしれないし、市営で開設することで住民に安心を届けたい」と話した。大川市長は27日夜、碇ケ関公民館で市政懇談会を開き、診療所の開設方針を住民に説明した。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20120227-OYT8T01137.htm
年270万の黒字見込む
碇ヶ関新診療所 平川市長が概要説明

(2012年2月28日 読売新聞)青森

 平川市の大川喜代治市長は27日の市議会全員協議会で、今年度末で廃止される同市碇ヶ関地区唯一の医療機関「碇ヶ関診療所」の代わりとなる新診療所の概要を説明した。診療施設条例の改正案などを3月5日から開会する定例市議会に提案する。

 診療所は同市碇ヶ関の地域福祉・保健センター「ハッピィハウス」の2階に開設。遅くとも6月1日に開設予定だが、5月中旬頃に開かれる可能性もある。スタッフは医師1人、看護師3人、事務1人。診療時間は平日の午前8時半~午後5時とする計画だ。

 市の現段階の試算によると、医療設備の初期投資費は約3800万円。年間収入は約7100万円、支出は約6800万円で約270万円の黒字を見込む。

 大川市長は「地元の訴えを重く受け止めた。(勤務医の)いい人材とも巡り合えたので、負担をかけない収支で明るい将来展望につなげたい」と説明した。

 議員からは、「高齢者だけでなく子供の命も関わる。ぜひ推進してほしい」と肯定的な発言が続いた。

 碇ヶ関地区の住民団体「碇ヶ関診療所対策委員会」の一戸勝廣委員長(61)は「無医地区にしたくないという地元の声を理解していただいたと感謝している」と話した。



http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120228-910192.html
聖マリ医大で助教が研修医に暴力
 [2012年2月28日13時40分] 日刊スポーツ

 川崎市宮前区の聖マリアンナ医大で、耳鼻咽喉科の男性助教(39)が男性研修医(28)に殴る蹴るなどの暴力を振るったとして諭旨退職の処分を受けていたことが28日、大学への取材で分かった。研修医は全身打撲などで2週間のけがをした。

 助教は「耳鼻咽喉科に入局すると約束していたのに、別の科に入局しようとしたことに腹が立った」と暴行を認めており、27日付で退職した。大学は「社会人としてあるまじき行為で誠に遺憾」としている。

 大学によると、助教は6日正午ごろ、耳鼻咽喉科の医局に研修医を呼び出して約30分間、罵声を浴びせて殴ったり蹴ったりした。助教と研修医は学生時代、空手部の先輩と後輩だった。

 研修医がその日のうちに大学側に相談し発覚。その後、教授会はいったん懲戒解雇処分を決めたが、寛大な処分を求める嘆願書などを考慮し、諭旨退職とした。

 暴行があった時、医局には別の医師2人がいたが制止しなかった。大学は監督が不十分だったとして、耳鼻咽喉科の教授(55)を27日付で戒告処分にした。(共同)



http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000001202280001
県立中央病院・センター長 松田医師退任へ
2012年02月28日 朝日新聞 山梨

 県立中央病院救命救急センター長の松田潔医師(52)が3月いっぱいで辞職し、川崎市内の大学病院に赴任する。だれからも慕われる温和な性格で、昼も夜もない激務に19年余り身を捧げた。救命救急医の第一人者としてドクターヘリの実現に奔走し、全県での運用開始を花道に後進に道を譲る。

   ◇救命救急に尽力 神奈川の大学病院に

 松田さんは神奈川県横須賀市出身。1993年に日本医科大の医局から、県立中央病院救命救急センターに派遣された。当時33歳。「1年で医局に戻るつもりでした」と振り返る。

 瀕死(ひん・し)の重傷、重体患者が担ぎ込まれる県内唯一の救命救急センターで治療の最前線に立ち、若手の育成にも尽力した。手術で汗ばんだ手術服がセンターに詰めている松田さんのトレードマークだった。

 県の救急医療施策や消防など関係機関の連携で中心的な役割も果たした。今年1月からは朝日新聞山梨版で、連載コラム「救命医のカルテ」を担当するなど多彩な才能を発揮してきた。

 古巣からは誘いを受け続けてきたが、「山梨でやり残したことがある」と固辞。県内の救急医療態勢の立て直しに努め、ドクターヘリ全県運用の準備委員として深くかかわってきた。

 4月に川崎市の日本医科大武蔵小杉病院救命救急センター長に就き、教授も兼務する。ドクターヘリ運用開始にめどをつけ、「センター長としていつまでも上に乗っかってふたをするのはよくない。新しい職場で新しい仕事にチャレンジしたい」と迷いを捨てた。

 松田さんを慕う中央病院救命救急センターの医師は6人。岩瀬史明主任医長が後任に内定。松田さんが待望してきた県出身トップが誕生する。

 27日のドクターヘリ訓練に参加した松田さん。「部屋に山梨のポスターを飾るつもりです」。数え切れない県民の命を救った名医は柔和な笑顔で語った。
(床並浩一)

   ◇ドクターヘリ 公開合同訓練 県消防学校で30人参加

 県全域でのドクターヘリ運用が4月に始まるのを控え、消防や病院などによる大規模な公開合同訓練が27日、県消防学校(中央市)であった。甲府消防本部職員ら約30人が参加した。

 医師を乗せたヘリは県立中央病院を基地病院に、県全域を片道15分でカバーする。救命救急医や看護師が現場近くまで急行することで、救命率の向上をめざす。年間に200~250回の出動要請を見込む。年間予算は約2億円。

 この日の訓練は、中央市内で起きた車同士の事故により意識不明の重体になった男性を救う想定で、実際の機材を使った。ヘリには中央病院救命救急センターの医師2人、看護師1人が乗り込んだ。病院屋上のヘリポートから救急現場近くに確保した臨時ヘリポートに到着後、男性を救急車からヘリに乗せ、病院に向けて飛び立つまでの一連の手続きを確認した。

 3月15日まで県内10消防本部ごとに訓練する。

 ■ドクターヘリ出動の基本的な流れ
  事故発生、119番通報
      ↓
  救急隊(救急車)出動、ドクターヘリ要請
      ↓
  県立中央病院からドクターヘリ出動、離陸
      ↓
  臨時離着陸場で救急車とドクターヘリ合流
      ↓
  ヘリが中央病院など医療機関へ傷病者搬送



http://www.m3.com/iryoIshin/article/149073/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
「大病院は紹介外来中心」がメッセージ - 厚労省保険局医療課長・鈴木康裕氏に聞く◆Vol.3
医療クラーク等の充実で勤務医の負担軽減期待

2012年2月29日 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

――外来については、特定機能病院と500床以上の地域医療支援病院のうち、「紹介率40%未満」の初診料の引き下げも行われました。該当する病院はどの程度でしょうか。都市部の病院に多いのでは、と思います。また、大病院の外来制限、つまりは外来の機能分化は従来の改定から打ち出されてきた方針ですが、まだ十分ではないという認識でしょうか。 

 はい、外来の機能分化はなかなか進んでいないということです。また該当する病院数は、届け出てもらう形なので、それを見ないと最終的には分かりませんが、それほど多くはないと思います。我々の今の手元の資料を見ても、相当程度は「紹介率40%以上」を達成している。ただ、都市部では交通の便もいいので、大病院に患者さんが来てしまう面はあります。

 これは先ほどの話とも関連しますが、一定の「メッセージ」だと考えています。特定機能病院、500床以上の地域医療支援病院は、やはり紹介を中心にしてください、あるいは非常に逆紹介を多くしてください、ということ。この紹介率や逆紹介率の切り方の議論は、今後も継続していくものだと思うのです。いきなり半分の病院くらいが対象となる切り方をすると、大騒ぎになるでしょう。やはりまず一定のメッセージを送る。今回該当する病院では、新たに人を雇うのではなく、紹介率を上げ、診療行動を少しシフトしていけばいいので、対応していただくことは可能だと思います。

――特定機能病院などの大半は、紹介のない患者さんからは、保険外併用療養費制度により患者負担を徴収しています。ただ、初診料の減額分を新たに徴収しなければ患者さんの負担はかえって減ります。今改定は医療機関へのメッセージ性はありますが、患者さんの行動変容に対する効果はどの程度あるのでしょうか。

 紹介状なしで飛びこんでこられる患者さんに関する、入院の可能性も含めた平均的な点数は、大病院の視点からすれば低い。大病院は、人を雇い、高度な医療機器を導入するなど、ある意味重装備している。こうしたところで、軽症の患者さんを見る合理性はかなり低い。大病院が経営のことを考えるのであれば、入院にシフトし、外来もできるだけ専門外来を目指すでしょう。

――メッセージという意味では今回は特定機能病院と500床以上の地域医療支援病院ですが、今後対象を変更したり、「紹介率40%未満」という要件を変更される可能性はあるのでしょうか。

 いろいろなオプションがあると思うのです。対象とする病院の規模を変える、地域医療支援病院だけでなく、500床以上の病院すべてとする、「紹介率40%未満」ではなく「紹介率42%未満」とか、数値を変えることもあり得る。ただ、今回の打ち出しに対して、医療機関がどう反応されるか。日本の大規模病院全般の紹介率の状況なども見て、一定程度うまくいけば、そのままでいいわけで、そうでなければ次を考える。

――外来については、外来リハビリテーション診療料、外来放射線照射診療料の新設も特徴です。チームで実施する体制を評価し、毎回の医師の診察は必要としていません。これは新しい考え方だと言えます。 

 具体的に提案されたことは恐らくないと思います。ただし、うちの指導監査(厚労省保険局医療指導監査室)の方では、「毎回、再診しなければいけないというルールがあるにもかかわらず、毎回再診していないのではないか」というケースが幾つかあったのです。再診が形骸化しているところがあったのでしょう。

 また今回の改定に対しては、(リハビリと放射線に関する)両学会からの相当強い要望もありました。毎回診察が必要な患者さんもいますが、必ずしも診察が必要ではない人もいる。しかし、ルール上、全員に毎回診察をしなければいけないことになっており、数があまり多いとは言えない放射線の治療医やリハビリテーション医の有効活用ができていない、ということだと思います。

 両学会とも相談をして、「事前の評価や各回の安全管理をして、何かあったらすぐに対応できる体制にする」などの条件であれば、対応できるだろうとのことでした。また各回診察が必要な患者さんもいるので、患者さんごとの選択制にしています。そこは、医療機関で判断してもらいます。

――見方は二つあると思います。一つは、「リハビリのみ」のような部分の、いわゆる適正化。もう一つは、医師の診察がボトルネックになって、患者さんのニーズに対応しきれない部分への対応という見方。

 私は適正化にはあまりつながらないのでは、と思っています。患者さんごとの選択制なので、今まで通りに毎回再診をやってもいい。むしろ医師の数が少ないためにうまく回らないところが回るようになる意義は大きいでしょう。

――今改定の重点課題の一つ、勤務医等の負担軽減策ですが、特に有効だと考えているのは、医療クラークの新たな評価辺りでしょうか。また勤務医等の負担軽減が要件の点数が8項目から、15項目に増えました。

 医療事務作業補助に加え、急性期の看護補助も看護師の負担を軽減することにより、最終的には医師との役割分担の推進や医師の負担軽減につながると考えています。

 また、チーム医療を推進するための点数も新設し、その際に勤務医等の負担軽減に関する様々な要件を入れましたが、これも大きく寄与するのではないでしょうか。新設点数は、現場におけるニーズと先例から選んだものです。また「病院勤務医の負担軽減及び処遇の改善に資する計画」に盛り込む項目を、「選択項目」と「必須項目」に分けましたが、基本的には「幅広く必須にすることは時期尚早」というものは、「選択項目」として整理。医療機関の経営に当たっては、医師を大幅に増員することは短期間的には難しいことも踏まえ、医師と他職種との役割分担を推進してその負担を軽減し、処遇を改善することを望みたいと思います。



http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1202270006/
譲渡条件など意見聴取、川崎社会保険病院検討委が初会合/川崎
2012年2月27日 神奈川新聞 カナロコ

 厚生労働省が民間譲渡を決めた川崎社会保険病院(川崎市川崎区田町2丁目)の売却条件のあり方について地元自治体関係者の意見を聴くための「川崎社会保険病院譲渡検討委員会」が27日、同市内で開かれた。譲渡決定後の初会合で、同病院を保有する独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)が示した譲渡条件案を承認。RFOは委員会で出された意見を踏まえ、できるだけ早い時期に売却先を決める方針。

 同委員会は市健康福祉局の木村実局長、同市医師会の高橋章会長ら7人で構成。委員長には慶応大学の田中滋教授が選ばれた。

 厚労省は社保病院の譲渡方法めぐり、譲渡対象は地方自治体、公益性のある法人、医療法人として、地域医療に貢献する運営について地元自治体の意見を聴いた上で一般競争入札を実施するよう通知している。同委員会はこうした方針に基づき設置されたもので、入札の公平性を確保するため非公開で開催された。今回、譲渡条件案が承認されたことから、今後、譲渡へ向けた入札を公告。入札参加者決定後、再度、同委員会を開催する。

 同病院の病床利用率は41%と低く、累積損失は約47億8千万円。地域医療を維持する観点から、国の方針に基づき昨年末、全国の社会保険病院の中で、徳島県の健康保険鳴門病院とともに譲渡対象に選定された。

 川崎市は同病院を「かけがえのない地域医療機関」と位置付け、RFOに対し、地域の医療、介護を担う連携拠点、救急医療を支える後方病院といった機能の維持を要望している。市地域医療課は「地域医療に支障を生じさせないよう、地元の意見を踏まえ早期に譲渡先を決めてもらいたい」としている。



http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&id=39528&categoryid=1
大半が市民病院の医療費未納/約4億8000万円の債権が放棄された豊橋市民病院
東日新聞2 012.02.29

 豊橋市は、 回収できなかった市民病院の診療費など、 約5億円の債権を放棄した。 3月1日に開会する市議会3月定例会で報告する。 報告は、 昨年4月に施行された市債権管理条例に基づくもので今回が初めて。

 放棄した債権は、 市営住宅の使用料667万円▽市民病院の診療費など4億7717万円▽水道料金2395万円。

 いずれも料金を納めるべき人が生活に困窮して支払い能力がなかったり、 行方不明になったりして回収できなくなった債権で、 同12月末に放棄したという。

 市は条例制定に合わせ、 債権の徴収などを専門に扱う 「債権管理室」 を創設。 徴収経験が豊富な職員や法律に詳しい法科大学院出身者を配置した。

 各課でバラバラだった対応を統一するため徴収時のマニュアルを作成したほか、 研修を重ねて職員に債権回収のポイントの周知を徹底。 多重債務やお金があってもあえて払わない人など、 難しいケースには専属職員が対応してきた。

 料金が納付されなければ督促状を送る。 それでも債務者が応じない場合はさらに催促し、 支払い能力の有無を確認。 払える人なら預貯金を差し押さえるなどし、 本当にお金がなければ状況を見て待つこともある。

 放棄した債権のほとんどを占めるのは市民病院関連で、 中でも入院にかかった費用が最多の約4億2000万円。 次いで外来での医療費の未納が約5600万円。

 欠損分は企業会計内で穴埋めができると市は説明するが、 それだけもうけが少なくなるのも事実。 市民病院の場合、 その性格上、 けが人や病人が来院すれば診ないわけにもいかず、 債権化の危険を常に抱えることになる。 分納などあらゆる方法を使って粘り強く確実に料金を徴収することが、 回収不能に陥るのを防ぐほとんど唯一の方策といえる。

 債権管理室の泙野善朗室長は 「支払い能力のある人には毅然とした態度で徴収していきたい」 と話している。        (中嶋真吾)



http://mainichi.jp/area/saitama/nikki/20120228ddlk11070160000c.html
記者日記:小児医療問題 /埼玉
毎日新聞 2012年2月28日 地方版 埼玉

 志木市立市民病院の小児科入院医療休止問題が揺れ続けている。長沼明市長は1月に、4月からの入院休止を発表したが、周辺市町が反発。休止は秋まで延期となった。その後の方針について市長は「市議の意見を聞いて考えたい」と態度を保留している。

 「市民病院改革委員会」は志木市に、小児入院医療の継続と病院の公設民営化を勧告した。だがある民間病院幹部は「50床規模で小児救急をやれば年2億の赤字になる」と話す。民営化の引き受け手を探すには、志木市や周辺市町が赤字を補う覚悟が必要だろう。

 小児は診療に手間がかかるし、救急は予定外の患者に備えスタッフを待機させるから、コストがかさむ。小児救急は欠かせないが、不採算を指摘され、民間病院にも自治体にもお荷物扱いされる。小児医療をめぐる診療報酬(料金)体系が間違っているとしか思えない。【高木昭午】



http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13303511921486
医療大の公立大学法人化を 県立4病院の外部監査
2012年2月28日(火) 茨城新聞

県は27日、県立4病院とその所管局・課などの2010年度を対象とした包括外部監査結果を公表した。病院事業の財務事務の執行および事業の管理運営をテーマに監査を実施し、監査人は県の医療に対する前向きな取り組みを評価する一方、経営形態の見直しなどを求めた。

外部監査の対象は、県立中央病院▽県立こころの医療センター(旧県立友部病院)▽県立こども病院▽県立医療大学付属病院-など。監査は、経営改善のための取り組み▽再編・ネットワーク化▽経営形態見直し▽危機管理対策-を要点として実施された。

このうち、県立医療大学付属病院(同大学含む)は、一般・特別会計で運営する経営形態をとっていることから、県民に対する説明責任や外部評価、業績把握が十分にできないとして、早急に公立大学法人化を進めるよう求めた。

さらに、4病院の医業未収金の回収不能見込み額は10年度末の時効(3年)経過分で1億2700万円あり、05年度以降、不納欠損処分が行われていないことから、合理的な基準で不納欠損処分を行うべきとした。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20120227-OYT8T01135.htm
十和田中央病院 産科再開へ
新年度中にも 常勤医確保にメド

(2012年2月28日 読売新聞)青森

 医師不足のため産科を休止している十和田市立中央病院が、新年度中にも分娩(ぶんべん)を含め産科を再開する方向で検討していることが27日、わかった。産婦人科の常勤医の確保にメドが立ったためで、着任する4月以降に本格的に準備を進めたい考え。

 病院内で同日開かれた有識者らでつくる「十和田市病院事業経営評価委員会」で明らかにされた。ただ、再開時期は「4月に再開とはならない」(蘆野吉和院長)と述べるにとどめた。

 病院側の説明によると、医師の着任に伴い、まずは昨年4月から常勤医不在が続く婦人科の診療体制を立て直す。現在は弘前大の医師が非常勤で週1回対応している外来を週5回に拡充。女性向けのガン検診などを再開させた上で、産科の受け入れ体制を整備する方針だ。

 病院側の慎重姿勢の理由は、医師の激務や健康問題を背景に休止に追い込まれた経緯もあるからだ。上十三地域では医師不足による産科医療の縮小が続いており、地域内で分娩可能な施設は3か所。1施設当たりの出生数が県内6医療圏域の中で最も多いとされる。

 同病院が担当医の体調不良により分娩を休止した2010年秋以降、七戸町の民間施設も同じ理由で一時休止。過重労働がさらなる休診を呼ぶ悪循環が懸念された経緯もあり、病院幹部は「地域住民のためにも産科の再開は必要。医師と相談しながら負担緩和や支援体制なども含めて慎重に検討していく」と話した。



  1. 2012/02/29(水) 05:53:25|
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2月28日 震災関連

http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_02/i/120229i-nisseki.html
■仮設病棟50床が完成
石巻赤十字病院
地域医療体制の復旧へ/

2012.02.29 三陸河北新報

 石巻赤十字病院(石巻市蛇田、飯沼一宇院長)が本病棟南側に建設を進めていた仮設病棟の開所式が28日、同病院であった。病床数は50床。現行の402床と合わせて452床となる。東日本大震災で石巻地方や周辺地域の医療機関が被害を受け、入院患者の病棟確保が急務だった。病院自体も高度医療への対応で職員が増加し、手狭になっていた。仮設病棟を含めた医療施設を活用し、弱体化した地域医療体制の復旧を目指していく。

 仮設病棟の名称は「南病棟」で、鉄骨2階、延べ床面積2881平方メートル。2階に50床分の病室、リハビリ室を備えた。1階には会議室、社会課、看護学校図書室などを配置した。昨年10月に着工。総事業費7億1000万円は国際赤十字海外救援金から支援を受けた。

 3月1日から運用を始める。患者は消化器内科を中心に、新規入院や院内移動を受け入れる。仮設のため3年間運用した上で、同病院が新たに計画している別病棟に機能を移す予定だ。

 開所式は本病棟2階会議室であり、飯沼院長が「震災で石巻地方は大きな打撃を受け、特に医療機関は能力が落ちた。当院では病室が常時満杯状態が続き、救急患者の入院に十分対応できない状況だ。仮設病棟も活用し、少しでも地域の皆さんの健康維持に貢献したい」とあいさつした。

 亀山紘石巻市長は「石巻赤十字病院スタッフの不眠不休の活動が計り知れない市民の支えになった。震災の傷跡は依然として深いが、仮設病棟は医療の立て直しに直結する」と祝辞を述べた。

 この後、飯沼院長、亀山市長、舛真一石巻市医師会長ら7人がテープカットをして完成を祝った。



  1. 2012/02/29(水) 05:52:21|
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2月27日 医療一般

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120226t53007.htm
医師不足が深刻な最上地方で「救急医療を考える会」 新庄
2012年02月26日日曜日 河北新報

 山形県最上地方の救急医療を考える会が25日、山形県新庄市内であった。県内でも医師不足が深刻な同地方で、中核病院の当直医の過剰負担を減らそうと患者側も急病時の対応を学び、時間外の安易な救急診療を見直す住民の活動などが紹介された。
 昨年2月に発足した「私たちとお医者さんを守る最上の会」の阿部彰代表(57)は「医療を守ることは地域を守ることにつながる。さまざまな機会に現場の実情を説明する中で、受診する側の理解が広がる手応えを感じている」と話した。
 最上の会は、地域の2次救急を担う県立新庄病院(新庄市)の医師を講師に保育園などで救急医療の講演会を開いたり、子どもの急病時の基礎知識やかかりつけ医の役目を医師が説明するDVDを作ったりしてきた。
 最上地方の医師数は人口10万当たり137.6人(2010年末現在)と、県平均の6割ほど。考える会は新庄市のNPO法人「NPOもがみ」などが主催し、約40人が参加した。



http://www.sanin-chuo.co.jp/health/modules/news/article.php?storyid=530631240
地域医療のあす : 第14部 (1)招へい/欠かせぬ魅力づくり
第14部 なぜ、地方の医療行政の役割が増しているのか

('12/02/27) 山陰新聞

 現場の努力に限界も

 西中国山地の山並みがぐるりと囲む島根県邑南町中野の於保知(おおち)盆地。2月下旬、盆地の一角に立つ公立邑智病院を目指し、県医師確保対策室の木村清志・医療統括監(55)が車を走らせた。

 目的は「赤ひげバンク」(医療人材センター)を通じて昨年春に広島市の大学教授から転身し、内科医として着任した保坂成俊医師(62)に会うためだ。

 「先生、どうですか」。久しぶりの再会に、互いに笑顔で応じた2人の会話はしばらく続いた。

 松江市殿町の本庁にデスクを構え、医師確保の最前線に身を置く木村統括監は、週のほぼ半分を県内外の出張で費やす。

 旧大社町出身で、自治医科大卒の内科医。隠岐病院や島前診療所長、県立中央病院総合診療科部長などを経て2003年から赤ひげバンクに携わる。

 現場の臨床医から医療行政マンへの転身は、少なからず抵抗はあった。だが、医師の肩書を持ち、バンク登録者にI・Uターンを促す使命の重さは年々増している。木村統括監は言う。

 「9年の経験を積み重ね、島根の地域医療の維持、充実に情熱を注ぐことがライフワークのように思えてきた」

   ※   ※

 医師不足を背景に地域医療が崩壊の危機に直面している。その解決策の鍵を握る医師確保だが、今や医療現場だけの自助努力では難しい時代に突入した。いかに行政が汗をかき、てこ入れするのか―。

 実は県の医師確保策は、全国の関係者の耳目を集める。いわば先進地。医師を「呼ぶ、育てる、助ける」を掲げた施策は赤ひげバンクをはじめ、島根大医学部の地域推薦枠入学や女性医師就業支援などメニューは豊富だ。

 とりわけ02年に創設したバンクの効果は高く、これまでに医師86人(今年1月末現在)を確保。うち65人が病院や診療所で地域医療を支える。

 なぜ、定着率が高いか。それを解き明かすヒントは、木村統括監が訪ねた保坂医師の話の中にあった。

 東北大農学部卒後に研究生活に入った後、臨床医を目指して信州大医学部に入ったという経験を持つ。

 その保坂医師を突き動かしたのは、メール返信、面談、県内病院の視察など赤ひげバンク登録後の県担当者の熱意だった。

 「島根県の対応がすごく早かった。島根の医師不足の実情を知るにつれ、行ってみようかと気持ちが傾いた」

 もちろん、医師定着を促す側の苦労は並大抵ではない。過去には、招へいした医師の思いをくみ取れず、短期間の勤務で終わってしまった「苦いケース」もあった。

 「本人にとって、本当にためになるかどうかが鍵」と話す木村統括監は、「のどから手が出るほど医師が欲しい地域もあり、何とかしたいと思うが、無理な誘導はしない」と続けた。

   ※   ※

 赤ひげバンクの取り組みは、依然として医師充足率が低い中山間地や県西部にとって頼みの綱には違いない。ただ、医師確保は各自治体共通の悩み。医師の引っ張り合いは過熱する。

 医師不足問題などに詳しい城西大経営学部の伊関友伸教授(50)は「島根のような条件不利地の病院では、研修プログラムの充実が医師招へいや定着、さらに医療機関の魅力づくりに欠かせない」と指摘した上で、「医療政策における行政の役割は増している」と言い切る。

    ◇

 第14部は、医療行政の役割について考える。

 ~メモ~
 赤ひげバンク 登録者に島根の医療情報などを提供し、医師確保に結びつける事業で、県内勤務を希望する医師と医療機関の調整も担う。2011年度は1月末現在で、18人に出張面談を行い、家族と一緒に島根の医療機関や地域の様子を見てもらう視察ツアーに19組が参加。8人が着任した。



http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120227t43012.htm
秋田大医学部教授旅費二重取り疑惑 古い精算方法継続
2012年02月27日月曜日 河北新報

 秋田大医学部の60代男性教授が旅費を二重に受け取ったとされる問題で、大学本部が、事前に交通費などの出張手続きを完了する電子決済システムを導入した後も、教授が所属する医学科は約5年間、出張後に精算する従来のシステムを続けていたことが26日、分かった。学内には問題を踏まえ「早く切り替えるべきだった」との声もある。
 秋田大によると、電子決済は教職員がパソコンで出張を申請し、大学が委託する旅行代理店から事前に鉄道や飛行機のチケットが届くシステム。宿泊先の予約も可能で、申請から3、4日で完了する。
 以前は経路、宿泊地を書類で申請し、出張後に旅費を受け取る自己申告制だった。2006年4月、透明性の確保や経費節減を目的に、大学本部や各学部の事務部門が導入。医学科を除く全学科が同年度中に採用した。
 医学科が電子決済システムに切り替えたのは11年1月。急な出張や行き先の変更があることなどを理由に、大学本部が導入してから5年近くも遅れた。
 チケットの事前受け渡しが基本の電子決済システムに対し、出張後に旅費を精算する自己申告制は航空券の半券を紛失したと申告すれば、新幹線の運賃が支給された。大学によると、こうした規定に沿って旅費をもらったケースが実際にあったという。
 医学部のある関係者は「電子決済は出張手続きを簡素化できる。反対した教授もいたが、早く導入すれば、疑いを持たれるようなことはなかったのではないか」と指摘する。



  1. 2012/02/28(火) 05:33:10|
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2月27日 震災関連

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/36694.html
福島県の看護職員、南部は減少、北部は増加- 昨年8-12月・県調査
( 2012年02月27日 19:17 キャリアブレイン )

 昨年8月から12月にかけて、福島県南部の病院に在籍する看護職員が85人減少したことが、県の調査で分かった。この地域では、病院の看護職員が4か月間で8.6%減少した計算になる。これに対し、県北部では逆に増加しており、東日本大震災後の状況に地域格差が見られる。県では震災以降、看護職員の確保対策に取り組んでいるが、担当者は「状況は依然として厳しい」と話している。

 県内にある138病院に昨年12月1日現在の看護職員の数を聞き、116病院が回答した。その結果、県内の二次医療圏のうち、白河市や矢吹町などが含まれる「県南」の回答病院に在籍していた看護職員は908人で、8月1日の993人から85人減少していた。この地域では、3-8月には62人増えていたが、3-12月の9か月間で見ると23人の減となった。

 8-12月には、このほか「いわき」(いわき市)と「会津・南会津」(田島町)で18人、10人の共に減。これに対し、福島市や伊達市などの「県北」では逆に40人増えていた。「県中・郡山」(郡山市、須賀川市など)と沿岸部の「相双」(南相馬市、浪江町など)でもそれぞれ3人、1人増え、県全体では69人の減。
 3月から12月までの9か月間で見ると、福島第一原子力発電所がある相双地域で281人減ったのに対し、県北では83人増加し、県全体では170人の減少となった。

 被災病院の医療スタッフの雇用を維持するため、県では「在籍型出向」の活用を呼び掛けている。被災した病院と出向契約を結んだ別の病院で、被災病院のスタッフが勤務する仕組みで、人件費の負担は病院同士が契約に基づいて決める。県が昨年末に決めた補正予算では、被災病院の負担をより少なくするための経費が盛り込まれた。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=55099&from=navlc
震災後アトピー悪化 衛生環境など影響…宮城
(2012年2月27日 読売新聞)宮城

 震災直後、アトピー性皮膚炎のある子供の半数以上で症状が悪化したことが、宮城県立こども病院などが行った調査でわかった。

 電気やガスが止まって入浴ができないなど衛生環境の悪化が影響したとみられる。

 同病院の三浦克志・総合診療科部長(46)が中心となり、昨年4月下旬から1か月の間に、アレルギー専門医のいる県内3医療機関を受診したアレルギー疾患を持つ子ども402人の親にアンケートを行った。

 それによると、アトピー性皮膚炎の子供では、55%が「ひどくなった」という。45%が「変わらない」と答えた。震災直後に困ったことを尋ねたところ、「入浴できず、湿疹が悪化した」が97人と最も多かった。薬の入手困難、掃除ができないなどは10人以下だった。

 食物アレルギーがある子供では、63%の親がアレルギー用の食品入手が困難だったと回答。「支援物資、炊き出し、配給などが食べられない」との声もあった。

 三浦部長は「アレルギー用食品の備蓄は震災後もほとんどない。震災直後は、ガソリン不足で売っていても買いに行けない人も多かった。健康な人も食べられるので、行政主導で拠点ごとに備蓄していくべきだ」と指摘する。



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120227_7
3割超回復できず 被災3県の沿岸部病院
(2012/02/27) 岩手日報

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県沿岸部の中核的な45病院・診療所のうち、3割を超える17病院が医療スタッフ不足で診療科目や入院ベッド数の縮小を余儀なくされるなど震災前の診療水準を回復できていないことが26日、共同通信のアンケートで分かった。

 17病院のうち、東京電力福島第1原発事故の警戒区域内の福島県立大野病院など同県内4病院はなお休診中で再開のめども立っていない。公立志津川病院(宮城)をはじめとする5病院はプレハブなどの仮設施設で診療を続けており、震災1年を前に被災地の医療現場の厳しい現状が明らかになった。

 被災地はもともと医師や看護師が足りない“医療過疎”だったが、地震の影響で医療スタッフが流出、患者減少も深刻で、経営難に陥った病院もあることも判明した。

 アンケートは2月上旬~中旬に51病院を対象に実施、45病院(本県10病院)から回答を得た。

 この結果、14病院で入院患者用のベッドを減らしたと回答。また本県の県立山田病院など9病院が診療科目を少なくしたり、入院や夜間救急の受け入れを中止したりしていた。

 《本県10病院の回答》

 本県から回答があったのは県立大船渡病院(大船渡市)、住田地域診療センター(住田町)、県立釜石病院、せいてつ記念病院(釜石市)、県立大槌病院(大槌町)、県立山田病院(山田町)、県立宮古病院(宮古市)、済生会岩泉病院(岩泉町)、県立久慈病院(久慈市)、国保種市病院(洋野町)の10病院。

 このうち、現在の診療体制について「震災前と同様、それ以上」と答えたのは7病院、「震災前水準回復せず」は2病院、無回答は1病院だった。

 入院受け入れ可能なベッド数は「震災前と同じ」が6病院に対し、「震災前より縮小」が3病院。無回答が1病院だった。

 常勤の医師数は「変わらない」が7病院で「増えた」が3病院。1日当たりの外来患者数は「増えた」が4病院、「減った」が3病院で「変わらない」が3病院だった。




http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120227_01.htm
焦点/あえぐ地域医療(5完)在宅診療/病床減り広がる需要
2012年02月27日月曜日 河北新報

 気仙沼市に住む小野善男さん(61)は1月17日、自宅1階の和室で、寝たきりの母相子さん(86)と医師の到着を待っていた。
 母が昨年9月に病院を退院してから、自宅で介護を続ける。母は腹部に穴を開ける胃ろうという処置を受け、管で流動食を取っている。「家でみるのは大変で、施設に入所させようと思ったが今はやめた。医者が来てくれるから」
 この日は管の交換日。開業医の村岡正朗さん(51)が、白い軽自動車を運転してやってきた。手際よく管を取り換え、問診もした。

<不安薄れた家族>
 村岡さんは10年以上、在宅診療にかかわってきた。震災後「気仙沼では、在宅診療に対する患者家族の意識が大きく変わった」という。きっかけは震災後の患者の孤立と「気仙沼巡回療養支援隊」の活動だった。
 東日本大震災で沿岸部の医療機関や福祉施設が被災。病床が減少し、多くの患者が行き場を失った。道路や鉄道が寸断されて通院できなくなり、在宅で世話せざるを得なくなった。停電で電動ベッドが動かなくなって高齢者の床ずれが多発した。
 そんな窮地を救ったのが支援隊だ。災害派遣医療チーム(DMAT)や地元医師、看護師らが約5カ月間、各家庭を訪れて医療を続けた。
 村岡さんも活動に参加した。「支援隊の活動で在宅診療を知り、自宅で患者の世話をすることの不安が薄れたようだ」。村岡さんの在宅患者は、震災前の倍の約45人にはね上がった。震災後に在宅で最期をみとった患者も、10人を超えたという。

<スタッフが不足>
 津波で被災した陸前高田市の岩手県立高田病院。震災後、在宅診療の回数を週1日から5日に増やした。2月、仮設施設に41床の入院ベッドを設置した後も、5日のまま継続している。
 「住民に少しずつ芽生えた在宅意識を大切に育てたい」。院長の石木幹人さん(64)は、在宅診療に力を入れる理由を説明する。
 在宅ニーズに応えるのは、高齢者が増加し入院を前提とした医療を続けられないという事情もある。在宅が増えて入院が減れば、勤務医の負担も軽くなり、医療費も抑制できるため、国も政策的に誘導する。
 ただし、在宅シフトの動きは鈍い。在宅診療に取り組む医師が足りないからだ。「開業医に在宅診療をしてほしいが、高田では多くの開業医が震災後に廃業してしまった」と石木さん。訪問時は病院医師が減るため、待合室に外来患者があふれるというジレンマも抱える。
 15日午前10時、陸前高田市内の仮設住宅にワゴン車が到着した。乗ってきたのは、石木さんの娘で医師の愛子さん(27)。昨年4月、研修医として勤めていた盛岡市の県立中央病院から、「父を助けたい」と志願して高田病院に移り、在宅診療に取り組み始めた。
 湯たんぽで低温やけどをした高齢者の足を治療した。「病院では病気を診るだけだけど、訪問すると普段の暮らしまで分かる。貴重な経験です」と話す愛子さん。石木さんは「地域医療に何が必要か、感じ取ってほしい」と見守る。
(高橋鉄男、菊池春子、東野滋)



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120227_1
医療再建、遺影に誓う 陸前高田・高田病院で追悼式
(2012/02/27) 岩手日報

 東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市の県立高田病院(石木幹人院長)の合同追悼式は26日、同市米崎町の仮設診療所で営まれた。津波は病室のあった4階までのみ込み、患者を助けようと使命を全うした職員も帰らぬ人に。「助けてあげられなかった」。生き残った職員は無念さにうちひしがれながらもこの1年、被災地医療を懸命に支えてきた。約300人の参列者は犠牲になった患者、職員に思いをはせ、復興の礎となる地域医療の再建を誓った。

 高田病院と職員、OBでつくる同病院同窓会が主催。犠牲となった患者16人、職員12人、同窓会員18人の一人一人の名前が読み上げられた。石木院長は「亡くなられた方々、一人一人に愛する家族がおり、無念さはいかばかりかと思う。尊い犠牲を忘れることなく、市民と共に病院の復興を進めたい」と式辞を述べた。

 本田満恵主任看護師(47)が震災当日を振り返り、追悼の言葉を述べた。

 あの日。4階の病室で体を支えられないほどの揺れに襲われた。高田松原から煙が上がり、波は一気に4階まで押し寄せた。手すりに必死でつかまった。

 波が引いた後、院内には冷たい患者らの遺体があった。「ぬれたままのシーツしか掛けてあげられず、ただただ、手を合わせることしかできなかった」と無念さを口にした。

 助けられなかった悔しさ、同僚を亡くした寂しさ。駆け巡る思いの中で被災地の「命の現場」を担い続け「コミュニティーを守り、安心して陸前高田で暮らすには医療の確保が欠かせない」と医療再生への決意を語った。

 県立高田病院は今月、入院病棟が完成し、一歩ずつ機能回復を進めている。



http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120227t35011.htm
46人の命忘れない 県立病院で合同追悼式 陸前高田
2012年02月27日月曜日 河北新報

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の県立高田病院で26日、病院内外で犠牲になった患者と職員、元職員ら46人の合同追悼式が開かれた。
 仮設診療所に祭壇が設けられ、遺族と職員ら300人以上が犠牲者に花を手向けた。主任看護師の本田満恵さん(47)は「あのとき命を守るべき立場の者が、命を救えず無念だった。これから経験と支援を糧に、地域医療に尽力したい」と追悼の言葉を述べた。
 遺族を代表し、元看護師の母堺好子さんを市内の避難所で亡くした伸也さん(51)があいさつ。「母の笑顔、声は決して忘れることができない。生かされた者が一日一日を大切にし、復興に努力することを誓う」と語った。
 高田病院は津波で建物が4階まで冠水し、院内では患者と職員ら24人が亡くなった。屋上に避難した患者や職員はヘリで救助された。



http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120227ddm013040068000c.html
東日本大震災:暮らしどうなる? 訪問看護「医療過疎地」支え
 ◇心身細やかにケア 人員確保へ、開業基準緩和求める声

毎日新聞 2012年2月27日 東京朝刊

 東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸地方は、もともと高齢化率が高く、医療や介護サービスの充実が求められる地域だ。震災で多くの医療機関や介護事業所が閉鎖や休止に追い込まれ、状況は厳しさを増している。市立病院など3病院が全壊した宮城県石巻市で、在宅の高齢者を支える看護の取り組みをみた。【山崎友記子】

 厳しい冷え込みが続いた2月初旬。ボランティアの看護師、佐々木あかねさん(27)は乗用車のハンドルを握り、急カーブの続く山道を抜けていった。石巻市中心部から1時間ほどかけて、牡鹿半島にある仮設住宅を訪ねた。

 佐々木さんを心待ちにしていたのは、大壁良樹さん(72)、郁子さん(68)夫妻。近くにあった自宅は、津波で跡形もなくなった。郁子さんは震災の3カ月前、がんのため、膵臓(すいぞう)の全摘出手術を受けた。余命宣告も受けたが、今は服薬だけで在宅療養している。

 訪問は5回目で、3人でこたつに入り、すっかり打ち解けた様子。佐々木さんはおしゃべりしながら、夫妻の健康状態や生活の様子、飲んでいる薬などについて聞き取っていく。

 「おかあさん、足のむくみはどうですか。見せてもらっていいですか」。郁子さんの足をさすりながら、「中心に向かってマッサージするといいですよ」とアドバイス。「看護師さんが来てくれるのは心強い」と夫妻は口をそろえる。

 郁子さんは月1回、良樹さんに付き添われ、市街地にある病院に通う。バスを乗り継ぎ、片道2時間。郁子さんは「動けるうちは自分で通院したい」と言うが、佐々木さんは「通院は体への負担が大きくて心配。入院せずに少しでも長く自宅で過ごすためにも、病院にかかるだけでなく、定期的な訪問看護を利用してもらえれば」と話した。

     □

 牡鹿地区の高齢化率は約4割(10年)で、市全体より1割以上も高く、日本の50年後の人口構成比に近い。しかし、病院は一つだけで、特別養護老人ホームやデイサービス事業所も各1カ所しかない。その事業所も、震災の影響で職員を確保できなくなり、2月末で閉鎖の予定だ。

 佐々木さんが所属する「全国訪問ボランティアナースの会・キャンナス」は震災後、全国から集まった看護師、作業療法士らで、主に宮城県気仙沼市、石巻市の避難所で支援活動を続けてきた。避難所が閉鎖に向かったころ、石巻市から、市内中心部より医療や介護サービスが乏しい牡鹿半島で支援してほしいと要請された。

 昨年10月から半島での活動を始め、現在は、高齢者や難病患者ら100世帯以上を定期的に訪問する。血圧を測ったり、話し相手をしながら、療養上のアドバイスをし、心のケアにも努める。地域を回るほど、支援が必要な人が次々と見つかるという。孤立する高齢者だけでなく、家族を亡くし、うつ状態で外に出られない人もいる。

 一方、ボランティアに頼った活動は不安定で、限界もある。数カ月以上滞在する看護師や作業療法士は、仙台市出身の佐々木さんを含め3人。他は、3日間~1週間程度の短期ボランティアだ。「数年単位で支援を続けるには、医療保険や介護保険制度に基づいた訪問看護の拠点が必要です」と佐々木さんは力を込める。

     □

 訪問看護の担い手は、全国的にも不足している。休止や廃止に追い込まれた訪問看護ステーションの半数は、人員不足によるものだ(09年度の厚生労働省調べ)。

 訪問看護サービス事業は、常勤換算で2・5人の看護師などの配置が必要。被災地では特に人材確保が難しいため、厚労省は昨年4月、市町村の指定を得れば、1人でも開業できる特例を設けた。

 この被災地特例を利用し、福島市内で今月1日、看護師1人の訪問看護ステーションが誕生した。事業申請したNPO法人まごころサービス福島センターの須田弘子代表は「市内には震災、原発事故で約5万5000人が避難してきている。被災者の方々を支えていきたい」と話す。

 ただし、特例措置は今月末で期限を迎える。28日に開かれる社会保障審議会の分科会で、延長の可否が決まる予定だ。須田さんは「目の前に必要な人がいるのだから、何とか継続させたい」と期待を寄せる。

 キャンナスの佐々木さんも昨夏、石巻市に1人開業を申請したが、認められなかった。「期間限定では安定的なサービスが望めない」が主な理由だった。市介護保険課の担当者は「訪問看護の事業申請は従来、県で受けているので、今回だけ市で判断を、といわれても難しい」と明かす。

 牡鹿半島のように「医療過疎」「介護過疎」が進む地域は全国各地にある。キャンナスの菅原由美代表は「1人開業の看護師は小回りが利き、柔軟に対応できる。ニーズが点在し、大きな事業所では採算が取れない地域でも、住民の生活を支えていきたい」と話す。

 超高齢化社会を目前に、病院や施設型ケアから、在宅医療や介護に重点を置く方針を、国も明確にしている。福祉ジャーナリストの浅川澄一さんは「在宅ケアを推進するのに訪問看護の拡充は欠かせないが、人材不足でなかなか広がらない。一方、出産・育児で病院を退職した看護師がたくさんいる。地域で1人でも開業でき、近くのお年寄りをみるようになれば、入院が減り、経済効率性も高いはずだ」と話し、震災をきっかけにした1人開業の広がりに期待を寄せる。被災地での取り組みの成否は、国全体の行方を占うといえるだろう。

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 ◇訪問看護ステーション
 医師の指示に基づき、看護師や作業療法士らが、自宅療養の人に介護や医療のサービスを提供する。床ずれの手当てや服薬管理、食事や入浴など日々の生活をサポートする。91年の老人保健法(現・高齢者医療確保法)改正で制度化された。病状や年齢などに応じ、医療保険と介護保険を使い分けて利用する。11年7月現在の全国の事業所数は5815。同年の利用者数は介護保険が約29万人、医療保険が約10万人。



  1. 2012/02/28(火) 05:31:38|
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2月26日 医療一般

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120226t53007.htm
医師不足が深刻な最上地方で「救急医療を考える会」 新庄
2012年02月26日日曜日

 山形県最上地方の救急医療を考える会が25日、山形県新庄市内であった。県内でも医師不足が深刻な同地方で、中核病院の当直医の過剰負担を減らそうと患者側も急病時の対応を学び、時間外の安易な救急診療を見直す住民の活動などが紹介された。
 昨年2月に発足した「私たちとお医者さんを守る最上の会」の阿部彰代表(57)は「医療を守ることは地域を守ることにつながる。さまざまな機会に現場の実情を説明する中で、受診する側の理解が広がる手応えを感じている」と話した。
 最上の会は、地域の2次救急を担う県立新庄病院(新庄市)の医師を講師に保育園などで救急医療の講演会を開いたり、子どもの急病時の基礎知識やかかりつけ医の役目を医師が説明するDVDを作ったりしてきた。
 最上地方の医師数は人口10万当たり137.6人(2010年末現在)と、県平均の6割ほど。考える会は新庄市のNPO法人「NPOもがみ」などが主催し、約40人が参加した。



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201202260122.html
総合医療目指し若手が議論
'12/2/26 中国新聞

 広島市内の若手医師と研修医が、年齢や疾患などを問わず幅広く診療をする「総合医」について議論する「中四国総合医セミナー」を設ける。中四国地方の医師や学生たち計60人を集め、3月10、11の2日間、廿日市市で初めて開催する。

 広島市民病院(広島市中区)救急診療部の市場稔久医師(35)が代表を務め、医師仲間や市内の各病院の研修医有志に声を掛けて準備を進めている。

 市場代表によると、多様な疾患に対応できる総合医を志す若者は少なくない。だが、大学や病院では専門分野に比べて総合医について学ぶ機会が少ないため、自分たちで取り組むことにした。会場設営から人集め、運営まで全て自前でこなす。

 初回は、国立国際医療研究センター(東京)や静岡がんセンター(静岡県長泉町)から講師を招き、感染症や救急治療時の迅速な判断、症例などについて意見を交わす。今後も定期的に開く予定。

 広島県内では中山間地域を中心に、総合医の不足が懸念されている。一方で、厚生労働省が総合医の育成制度の検討を始めるなど関心は高まっている。市場代表は「総合医を志す若者同士が交流し、互いに高め合う場として、環境整備を進めていきたい」としている。



http://mainichi.jp/area/ehime/news/20120226ddlk38040374000c.html
セミナー:未来のブラックジャック!? 愛媛大付属病院で高校生ら、最新機器使い縫合体験--東温 /愛媛
毎日新聞 2012年2月26日 地方版 愛媛

 高校生らに外科医師の仕事を知ってもらおうと東温市志津川の愛媛大医学部付属病院で25日、「第1回愛媛大学外科手術体験セミナー~ブラックジャックを目指して~」が開かれた。【村田拓也】

 同病院副院長の渡部祐司教授によると、セミナーは最近の外科手術機器や基礎的な縫合技術などを体験することで高校生に医療への興味を持ってもらう事が目的。

 この日は、人の体内をイメージした内視鏡トレーニングボックスを使い、目の前のモニターを見ながら手術や治療の時に用いる金属製の医療器具、鉗子(かんし)を操作し、膜状のゴムに針を通す縫合の体験をした。

 また、立体的な映像を見ながら遠隔操作で手術できる最新の内視鏡手術支援システム「da Vinci」を用い、遠隔でアームの先についた鉗子を操作し輪ゴムを突起物にかけていた。高校生らは慣れない操作にも同大の医師の指導を受けながら、真剣な表情で取り組んでいた。

 セミナーに参加した済美平成1年の村上華蓮さん(15)は「医学部に興味があって参加した。楽しく、ゲーム感覚で体験できた。今後は医学部に入れるように頑張りたい」と話していた。



http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120226t11022.htm
大崎市民病院岩出山分院来月2日開院 災害に備え充実
2012年02月26日日曜日 河北新報

 移転新築工事が進んでいた宮城県大崎市の大崎市民病院岩出山分院が完成し、竣工(しゅんこう)式が25日、現地で行われた。3月2日に開院する。
 市や県、医療福祉の関係者や地元住民ら約60人が出席。テープカットで完成を祝った伊藤康志市長は「待望の完成。東日本大震災で工期が延びたが、尽力に感謝する。医療や心の新たな拠点として健康増進の一翼を担う」と述べた。
 新岩出山分院は、老朽化した現分院の約300メートル北の「あったか村」内の市有地に建設された。敷地面積は約8100平方メートル、建築面積は約2200平方メートル。
 鉄筋コンクリート2階で、1階に外来診察室や手術室など、2階に病室や夜間救急室がある。現在と同じ40床で診療科目は内科、外科、眼科、精神科の4科。
 災害対策として、非常用発電設備、太陽光発電設備のほか、待合ホールなど3カ所の負傷者収容スペースに酸素ガス設備を置いた。建設費約12億4000万円。
 岩出山分院の新築は、旧1市6町の合併協議で合意した「新市建設計画」に2007年着工と明記されたが、財政難で遅れ10年12月に着工した。震災の影響で11年11月の完成予定がずれ込んだ。



http://mainichi.jp/area/mie/news/20120226ddlk24040121000c.html
有床診療所:南伊勢に完成 公設民営、来月開院 /三重
毎日新聞 2012年2月26日 地方版 三重

 JA三重厚生連が運営する老人保健施設併設の有床診療所「南島メディカルセンター」が南伊勢町慥柄浦の旧南島中学校の敷地に新築され、完成式が25日行われた。公設民営として3月1日に開院する。

 同町では、「南島病院」が08年に老人保健施設併設の有床診療所へと転換し、地域医療を担ってきた。しかし、過疎地で採算が合わず、08年度には累積赤字が13億円まで拡大していた。老朽化で耐震化も必要だったが自力での建設は難しく、旧南島町時代から町に協力を要請していた。町は合併特例債を活用して建設費約9億円を投じ、同中学校敷地への移転を決めた。

 新施設は、木造と鉄筋コンクリート造り一部2階で、延べ約3610平方メートル。内科と整形外科、眼科、リハビリテーション科、訪問介護ステーション、居宅介護支援事業所を設け、診療所15床、介護老人保健施設29床がある。

 完成式には、関係者約120人が出席。小山巧町長が「温かみのある地域医療サービスを充実し、安心して医療が受けられる町にするために、今後も官民が力を合わせ最善の努力をしていく」とあいさつした。【木村文彦】

〔三重版〕



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20120225-OYT8T00892.htm
碇ヶ関に新診療所
平川市、新年度に開設方針

(2012年2月26日 読売新聞)

 平川市の大川喜代治市長は25日、同市碇ヶ関地区唯一の医療機関で民間の「碇ヶ関診療所」が閉鎖される問題で読売新聞の取材に対し、代わりとなる診療所を新たに設置する方針を明らかにした。県内の医師と着任に向けた交渉を進めているという。

 新しい診療所は、平川市碇ヶ関の地域福祉・保健センター「ハッピィハウス」を改修し、ここに4~5月頃に開設する予定で、勤務医1人が赴任する計画だ。

 大川市長は「碇ヶ関地域の市民や議員の要望を受け、地域医療を守る必要を感じた」と診療所を新設する理由を説明。現在の碇ヶ関診療所は赤字経営を理由に3月末で閉鎖になるが、「空白期間をおかずに何とか新設にこぎつけたい。その思いで議会に臨む」と話した。

 市側もすでに議会側に診療所を新設する方針を説明しているが、議会には新しい診療所の経営を心配する声もある。市側が方針を説明した際、ある議員が「どうやって黒字経営にするのか」と質問すると、市側は「一番費用がかかるのは人件費。スタッフ数を現在より減らして対応する」と答えたという。

 市議会の最大会派「平新会」の山田尚人幹事長は「責任のある医療を望んでいる。赤字にならないように経営プランを練ってほしい」と話した。



  1. 2012/02/27(月) 23:20:38|
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2月26日 震災関連

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201202270054.html
震災3県の中核医療機関、3割超が診療水準回復できず
'12/2/27 中国新聞

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県沿岸部の中核的な45病院・診療所のうち、3割を超える17病院が医療スタッフ不足で診療科目や入院ベッド数の縮小を余儀なくされるなど震災前の診療水準を回復できていないことが26日、共同通信のアンケートで分かった。

 17病院のうち、東京電力福島第1原発事故の警戒区域内の福島県立大野病院など同県内4病院はなお休診中で再開のめども立っていない。公立志津川病院(宮城)をはじめとする5病院はプレハブなどの仮設施設で診療を続けており、震災1年を前に被災地の医療現場の厳しい現状が明らかになった。

 被災地はもともと医師や看護師が足りない“医療過疎”だったが、地震の影響で医療スタッフが流出、患者減少も深刻で、経営難に陥った病院もあることも判明した。

 アンケートは2月上旬~中旬に51病院を対象に実施、45病院から回答を得た。

 診療水準について、6割弱の26病院が「震災前と同水準かそれ以上」と回答、個別には医師不足、患者減少などの悩みがあった。

 医療スタッフ不足では、院長を除く常勤医すべてが退職する石巻市立病院(宮城)など12病院で医師数、7病院で看護師数が減ったとした。

 この結果、14病院で入院患者用のベッドを減らしたと回答。また岩手県立山田病院など9病院が診療科目を少なくしたり、入院や夜間救急の受け入れを中止したりしていた。

 被災地からの人口流出を受け、患者の受け入れ状況の変化も目立った。「経済事情悪化による受診控え」(宮城・気仙沼市立病院)などを理由に17病院は外来患者が減ったとしたが、福島県いわき市などの13病院は近隣の診療機関の閉鎖や避難者の流入で逆に増加。専門家は長引く避難生活で被災者に疾病が増え、外来患者の増加につながっていると指摘している。



http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120226-909335.html
避難生活長引き疾患リスク高まる
 [2012年2月26日18時0分]日刊スポーツ

 胃潰瘍、高血圧、不眠…。東日本大震災の被災地では急激な環境の変化や長引く避難生活のストレスなどにより、さまざまな疾患が起きるリスクが高まっている。

 東北大大学院の菅野武医師が宮城県内の7つの基幹病院で行った調査では昨年3月11日から3カ月間で、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の発生数が前年同期比1・5倍に。中でも出血性の潰瘍が倍増していた。潰瘍の原因とされるピロリ菌や非ステロイド性消炎鎮痛薬と無関係の潰瘍の割合が増えており、ストレスが引き金になっている可能性が高いという。また、被災者に高血圧が増えているとの研究結果もある。

 地域での活動や仕事など、体を動かす機会が減ったことによる悪影響も出ている。石巻赤十字病院などが昨年8月からことし1月に石巻市内の仮設住宅で暮らす高齢者を中心に行った調査では、498人のうち42人(8・4%)に静脈血栓塞栓(そくせん)症(いわゆるエコノミークラス症候群)を引き起こす血栓が見つかった。

 同病院の植田信策健診部長(呼吸器外科)は「過去の調査結果と比較して高い割合」と話す。血栓があると、肺の動脈に詰まり死に至ることもあるほか、脳梗塞や心筋梗塞につながることも。

 長引く避難生活で眠れない人も増加。仙台市と東北大が昨年9~10月に仙台市若林区の仮設住宅で実施した調査では約700人のうち、約半数に睡眠障害が疑われるという結果が出た。(共同)



http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120226_01.htm
焦点/あえぐ地域医療(4)将来像/ニーズ激変 どう対応
2012年02月26日日曜日 河北新報

 石巻赤十字病院(402床)は、東日本大震災で津波被害を免れ、石巻地域の医療を支え続けた。敷地の一角で、プレハブの仮設病棟の整備が慌ただしく進む。
 当初は80床を予定したが、50床に絞った。長期的な需要の見極めが難しいからだ。

<人口推移読めず>
 石巻市の人口は、昨年3月1日に比べて約6%減少した。住民票を動かさずに、他の土地に移り住んだ人を加えると、1割近く減ったとする見方もある。
 「水産業や加工業が復興した時に、どれぐらいの人が戻ってくるのか全く読めない。人口が減ったままだと、50床すら必要かどうか」。過剰な投資になることを金田巌副院長(64)は危惧する。
 石巻地域では、赤十字病院とともに、急性期の地域医療の中核を担ってきた石巻市立病院(206床)が被災、入院機能を停止した状態だ。
 JR石巻駅近くの中心市街地に移転・再建する予定で、2015年度の完成を目指している。だが、病床や機能をどこまで確保すべきか。答えは簡単には見つからない。
 「震災で人口は10~20年前倒しで減少したが、地域の高齢化が進み、医療を必要とする人口は変わらないとも考えられる」と伊勢秀雄院長(62)。「今後は急性期の専門性を追求するのではなく、療養患者も受け入れる病院を目指したい」。門戸を広げることで安定的な運営を目指す。

<訪問診療に重点>
 震災で地域の姿が変わり、被災地の医療体制も変化を迫られている。
 人口の2割近くが減少した宮城県女川町。町地域医療センターの斎藤充センター長(47)は「患者の生活の場やニーズが変わった。町民が安心して生活できるような医療サービスの形を、新たに作らなければならない」と語る。センターは昨年10月に始動した。
 女川町は震災前、少子高齢化と医師不足が深刻な町の医療の存続策として、町立病院(98床)などを、19床の診療所と介護老人保健施設に再編し、訪問診療に重点を移す方針を決定した。2012年4月に移行予定だったが、震災により、診療所化を半年前倒しした。
 「病院に来ることが困難な住民が増えた。病院機能を維持したままでは、出向く医療が行いにくい」(斎藤医師)
 仮設住宅の多くは、交通の便の悪い場所や、石巻市内などの離れた場所に点在。一方で、離島の江島、出島の診療所は閉鎖された。斎藤医師らは外来診療の傍ら、仮設住宅や離島への定期的な訪問診療に奔走する。
 「常勤医が不足するなどぎりぎりの体制の中でも、将来を見据え、被災地域に合った医療の形を柔軟に築かなければ、患者のニーズに応えられない」。斎藤医師は強調する。



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120226ddm010040059000c.html
検証・大震災:医療現場、想定外の連続
毎日新聞 2012年2月26日 東京朝刊

 未曽有の災害で、地域の拠点病院では何が起きたのか。直後に被災地に駆けつけ救命医療を担う医療チーム「DMAT」との連携はどう図られたのか。岩手、福島の二つの病院から教訓を探った。

 ◇静寂、津波、そして--爆発

 福島県内に8カ所ある災害拠点病院の一つ、南相馬市立総合病院。金澤幸夫院長(58)は地震発生直後から207人の入院患者や病棟に異常がないことを確認すると、患者の救急搬送が続くと予想し、玄関脇の救急外来で待ち構えた。ところが、救急車のサイレンは全く聞こえてこない。不思議なほど静かだった。通信インフラが崩壊し、119番が通じないのだ。「当然だ」と気づくには、かなりの時間がかかった。

 静寂を破ったのは「津波だ」と階段を駆け下りてくる病院スタッフの叫び声だった。市内で最も高い病院の7階に上ると、まるで水面がじわりと広がるように海岸一帯が水につかっていくのが見える。防災無線を抱えた消防署員が駆け込んできた。「電話が通じず、連絡できないが、患者は全部引き受けてほしい」

 海岸から2キロの老人福祉施設が倒壊して津波にのまれ、真っ黒になった患者が次々に運ばれてきた。着衣を脱がし、泥をタオルでぬぐっても、圧迫による皮下出血のため、黒ずんだままの人も少なくない。

 外来の待合室のいすを撤去し、マットレスを15枚ほど敷いて急ごしらえの集中治療室(ICU)を設けた。搬送された患者を治療の優先度に応じて4段階に振り分けるトリアージ訓練も年1回行ってはいたが、重症患者の続出で、タッグを付ける余裕すらない。泥水を飲んだ重症者に挿管を施し、低体温症の患者にはお湯を直接胃に注いだ。「心肺停止でも普段なら1時間はマッサージして蘇生を続けるが、あの状態では無理だった」。死亡を表す黒のタッグ。金澤院長も数人に付けたというが、はっきりとした記憶はない。それほどまでに混乱していた。

 病院全体が落ち着きを取り戻したのは11日の深夜。金澤院長は院内を巡回し、症状が重い順に8番まで患者に番号を振った。DMATも翌12日未明には2チームが到着して、より大きな病院へと8人を搬送する。早朝にはドクターヘリも来た。「確かに混乱はした。だがここまでは病院はちゃんと機能していたんだ」

 12日午後3時36分。東京電力福島第1原発が水素爆発を起こす。政府の避難指示の範囲は拡大し、病院は次第に孤立を深めていく。
 ◇ここは難破船になったんだ

 震災当日、学会のため東京・秋葉原にいた及川友好副院長(52)は、タクシーで12日午後8時過ぎにようやく病院に到着した。防災本部の設置を指示し、情報共有のため2階のエレベーター前にホワイトボードを置き、決まった方針を張り出すことにした。政府の避難指示の範囲は20キロに広がっていた。「原発事故でこの病院は死んだ。もう逃げるしかない」。パニックを起こしかけた医師もいた。

 「ここは原発から23キロ地点です」と張り紙をし、患者に少しでも安心してもらえるよう努めた。13日には20キロ圏内に位置する同じ市立の小高病院の患者・スタッフ68人を受け入れた。国や県、市からは何の連絡も指示もない。「行き場がない人を放っておけない」。災害拠点病院としての役割や、医師としての使命もある。負担がさらに増すことにスタッフから反発もあったが、断ることはできなかった。

 13日午後、エックス線技師から患者のレントゲン写真に黒いしみのような点が多数映り込んでいるとの報告を受けた。放射性物質が院内に入り込み、感光したのだ。窓を閉じ、換気扇を止め、隙間(すきま)を目張りした。線量計で放射線測定を始め、院内放送で2時間ごとに知らせた。院内に入る人は全員、体に付着した放射性物質の量を測定したが、14日までに10人が10万CPM(通常の2000倍、CPMは1分間に検出した放射線の数)を超えた。

 震災関連の情報は震災から3日経過してもなおテレビから得るしかない。14日午前11時過ぎ、3号機が爆発した映像に及川副院長は慄然(りつぜん)とした。「科学立国の日本で、2回目の爆発が起こるとは」。自身の死も覚悟した。金澤院長と相談し、直後に医師や看護師、事務員ら約250人全員を集めた。自主避難を認める決断を伝えるためだ。生死がかかった極限状態で「残ってくれ」とは言えない。

 会議室が静まりかえる中、金澤院長が口を開く。「これからはボランティアです。自分と一緒に残ってもいい。避難したいと思う人は避難してください」。あちこちですすり泣く声が響いた。残ったスタッフで患者を守り、助けを待つ予定だったが、非常勤を含め270人いた職員は、翌朝には3分の1まで減った。

 14日夜からは給食を作る職員もいなくなった。看護師らでおにぎり1個とスープを配膳し、清掃も分担。病院に残ったのは重症患者だけだ。

 「ここは難破船になったんだ」。及川副院長は思った。

 ◇30キロ圏内に行けず、撤収余儀なくされ

 11日から15日までに全国から福島県に集まったDMATは49チーム約200人。実質的に仕切ったのは救命救急が専門の福島医大の島田二郎医師(50)だ。及川副院長とは福島医大の同期で、統括DMATの資格も持つ。震災の4カ月前には東北ブロックのDMATを集める訓練を行ったばかりだった。「訓練と同じことをやればいい」と自分に言い聞かせたが、原発事故への対応は活動要領にもなく、訓練もしていない。不安だった。

 「患者が運ばれる病院に入って支え、立て直す」。福島に集まったDMATチームは研修での教え通り、各病院に向かった。南相馬市立総合病院にも3チームが12日までに到着した。しかし、1号機の爆発でこの方針が揺らいだ。12日夕、DMAT事務局が「放射能漏れの恐れがある。十分気をつけた活動を」とインターネット上のEMIS(広域災害・救急医療情報システム)に注意喚起の知らせを掲載した。

 これは命令なのか、アドバイスなのか。現場は迷った。「DMATは避難区域には入るな、と受け取った。命令だと思った」。島田医師が後に事務局に確認すると「行くな、とまでは言っていない」と説明を受けた。だが、原発事故を想定した訓練を受けていない以上、防護服などの装備もない。避難区域内で活動することは選択肢から消えた。

 1号機に続く14日の3号機の爆発は、DMATの活動拠点だった福島市内の福島医大にも不安を広げる。「ここもだめかもしれない」。政府が原発から20~30キロ圏内に屋内退避指示を出した15日には「圏内に急性期の患者はいない。活動の場は残されていない」と福島県の統括DMATが事務局と相談したうえで撤収を決めた。被災から72時間以上が経過していた。災害発生から48時間をめどに救助に当たる自己完結型の活動が原則だ。撤収は当然の流れだったが「原発の影響がなかったといえばうそになる。やばいぞ、という気持ちはあった」と島田医師は明かす。

 DMAT事務局次長の近藤久禎医師(41)は13日まで岩手で沿岸部に医師を送り込む調整業務に没頭していたが、福島の混乱を知り、14日にヘリで福島医大へ向かう。3号機爆発は、その直後。救急車で福島県災害対策本部のある自治会館へ行くと、ほとんどの職員が立ったまま電話対応に追われていた。

 「住民に安心してもらうことがまず必要。DMATの仕事じゃないが、おれの仕事だ」。危険なレベルの被ばくをしていないか、線量測定の差配を引き受けた。20日までに142カ所で約7万3000人が測定を受けた。その間も新たな問題が次々に起こった。福島市内の大規模避難所が「被ばくの可能性がある以上、受け入れられない」と避難民を拒否する場面もあった。
 ◇規制が地域をめちゃくちゃに

 混乱のなか、福島県災害対策本部では20~30キロ圏内の病院から患者を徐々に退避させる準備も16日から同時並行で進められた。医師が搬送に関われず患者が多数死亡した双葉病院(大熊町)の前例から、島田医師、近藤医師ともに「医療がタッチしなければ、1割の患者が死んでしまう」と危機感を募らせた。

 搬送する6病院の患者は1000人規模。では誰が搬送にあたるのか。30キロ圏内にはDMATは送り込めず、15日に撤収したばかりだった。17日の夕方までにDMATを再び招集し、搬送に関わってもらうことになった時は、議論を始めてから30時間以上が経過していた。「枠組みを決めるのにそこまでかかったのは空費以外の何ものでもなかった」と近藤医師は言う。

 搬送先を事前に決めるかどうかの議論も紛糾した。国や県の担当者は、双葉病院の教訓もあり「患者の搬送先を決めるマッチングを待ってから」と強く主張したが、時間がかかりすぎるのがネックだった。18日午後、県や厚労省など関係者が集まった会議では、内閣官房の担当者が「上の判断なんていらない。今ここで決めるべきだ」と声を張り上げた。近藤医師も机をたたいて決断を促した。

 30キロ圏外に設ける患者の搬送拠点にDMATが待機。病院から拠点までの搬送を担当する自衛隊・消防から引き継ぎを受け、全国から集まった救急車や県警のバス、海上保安庁のヘリで、新潟など11都県に運ぶ仕組みが整った。患者の受け入れ先となる各県にもDMATを配置し、搬送のペースは上がっていったが、連絡ミスで緊急度の高い患者がいることが伝わらないケースもあり、混乱も生じた。3月22日までに6医療機関約700人の6県への搬送が終了した。

 南相馬市立総合病院では医薬品や食事、燃料が届かなくなり、16日から物資の供給を自衛隊に頼るしかなくなった。

 南相馬市原町区の川崎フミさん(81)は津波に遭い、市立総合病院で治療を受けた後、市内の大町病院へ転院。18日の避難指示で群馬県内へ転送され、さらに2カ所の病院へ移された後、体調を崩して9月27日に亡くなった。次男の博祐さん(55)は「県外に避難していなければ絶対にもっと長生きしたと思う」と悔やむ。群馬の病院で口数がめっきり減ったフミさんは天井を見つめたまま「原町に帰りたい」とつぶやいたという。

 及川副院長は「搬送のリスクを考えれば重症患者は残すべきだったのではないか」と今も思う。国への怒りは収まらない。「屋内退避を指示して何が起こるのか誰も考えていなかった。ここに住んでもいいが、入ってはいけない、という行政をやった。規制が地域をめちゃくちゃにした。そして国は何一つとして責任を負わなかった」

 ◇災害医療態勢発動。DMAT招集

 3月11日午後2時46分。秋田県湯沢市にある雄勝中央病院の外科医、奥山学さん(41)は手術中だった。一瞬停電し、自家発電に切り替わった。急いで手術を終わらせ、携帯電話を見ると厚生労働省のDMAT事務局から「待機せよ」とメールが入っていた。

 奥山さんはDMATの一員だ。DMATは医師や看護師、事務職員ら計5人程度でチームを作り、被災地に入る。病院のDMATメンバーである女性看護師3人らを急いで招集した。

 岩手県立大船渡病院の脳神経外科外来で診察していた山野目辰味さん(53)は震度6弱の揺れが収まると同じ1階にある院長室へ走った。「発動します」。中にいた八島良幸院長(65)に大声で伝えた。発動とは、病院全体が救急搬送患者の受け入れに専念することだ。災害医療科長の山野目さんが指揮官になる。

 午後2時49分、院内放送が流れた。「災害医療態勢を発動します。これは訓練ではなく本番です」。山野目さんはロッカーに常備していたDMATのワッペン付きベストに袖を通し、ブーツに足を突っ込んだ。

 岩手県宮古市で生まれ育ち、救急医になってからは常に津波被害を想定して訓練を重ねてきた。「必ず津波は来る」と直感した。

 大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町で構成し約7万人を抱える「気仙医療圏」の災害拠点病院だ。午後3時5分、患者を優先度に応じて振り分ける「トリアージ・ゾーン」を1階に設置した。

 固定電話、携帯電話、インターネットは途絶えた。頼りは衛星電話と県の防災無線電話各1台。「情報を出せないほど混乱していると察知して、明日には必ず応援が来る」。腹をくくった。

 午後4時20分ごろ、岩手県への派遣が決まった雄勝中央病院の奥山さんは厚労省の広域災害・救急医療情報システム「EMIS」のホームページを開き、現地の医療機関が入力しているはずの被災状況を確認しようとしたが、情報はほとんど入っていない。「相当混乱しているな」。午後6時、担架や血圧計など340種類以上の機材を2台のワゴン車に分けて積み、雪が舞う中、スタッフとともに出発した。

 ◇患者搬送止まるが…残留を決め避難所へ

 11日、大船渡病院に運ばれた救急患者は通常の5倍以上の109人に上った。うち、重篤は20人。すでに亡くなっている人も9人いた。ところが、午後10時を回ると患者がぴたりと止まる。日没後、停電で街が闇に包まれると救出作業が難航する。津波から逃げた人も道路が寸断されて病院に来られないのではないか。「なんだか気持ち悪い静かさだ」。医師らはいぶかしんだ。

 翌12日午前6時、奥山さんのDMATチームは大船渡病院に到着した。「あれ?」。患者でごった返す待合室を想像していたが、違った。他にも3チームいた。奥山さんは、海水や土を飲み込んで炎症を起こす津波肺患者のヘリコプター搬送を要請された。ヘリの高度が上がると患者の血圧が下がり、昇圧剤を投与した。盛岡市近郊のヘリポートに着陸後、別のDMATに患者を引き渡し、救急車で再び大船渡病院へ戻った。

 午後8時の全体会議で、治療しなければならない患者がほとんどいないことが報告された。大船渡病院災害医療科長の山野目さんはDMATチームに「撤収しても構わない」と伝えた。10年にDMATの資格を取った奥山さんにとって初の任務だったが、「もう終わりか」と無力感を覚えた。

 だが、山野目さんは内心迷っていた。病院や都道府県ごとに医師や看護師、薬剤師などで編成され、慢性期の治療を担う医療救護班が岩手県の要請を受けて到着するという情報も届いていない。DMAT撤退後にもし患者が殺到したらどうするのか。市がまとめたデータを見つめた。避難所52カ所、避難者7545人。市民の約2割が避難している異常事態だ。

 翌13日午前7時、山野目さんはひげをそって全体会議に臨んだ。「方針を転換したい。避難所の状況を手分けして調査してほしい」。奥山さんは残る決断をした。

 午前8時半、首相官邸はDMAT事務局に活動を縮小してもよいが、各拠点での機能は残すよう伝えた。事務局も現地での活動継続を決めた。大船渡病院には新たに加わったDMATを含め5チームが残った。

 ◇遅れた救護班派遣要請

 奥山さんは13日午前9時に病院を出発し、市中心部に近い避難所を回った。「足を動かして」と血栓予防を指導していると、地元の保健師と出くわした。「道路が寸断された末崎(まっさき)地区に医療が届いていません」。直ちに病院へ引き返し、薬を車に積んで末崎地区の避難所へ向かった。

 「具合悪い人、いませんか」。飲んでいる薬と血圧が書かれたメモを持った高齢者から次々と手が挙がった。メモは先に避難所を回った保健師が、医師が到着した時に備えて被災者から体調を聞き取り、持たせていた。血圧や糖尿病、風邪の薬が流された被災者が多い。メモのおかげで、持参した薬ではとても足りないとすぐに分かり、奥山さんは病院との間を往復した。

 心臓に人工弁がついた男性がいた。血栓ができないように1日1回飲まなければならない薬が流され、3日間飲んでいない。すぐに抗凝固剤を処方した。この日、末崎地区の避難所2カ所で計約50人を診察した。

 14日、大船渡病院は災害医療態勢を解除し、トリアージ・ゾーンを解消する。一方、待合ホールは薬を求める患者でごった返し、建物の外にまであふれた。病院にカルテがなくて薬の種類が分からない人のために、薬の見本を並べて患者に指さしてもらった。被災地の医療ニーズは、骨折や外傷を負った人を救命するDMAT本来の任務とは明らかに異なっていた。県内に駆けつけたDMATの中には、装備が診療に合わず、いったん引き揚げたケースもある。

 夕方、奥山さんが病院に戻ると撤収準備をしていた1チームしかいない。「誰もいなくなるのか」。DMATの活動は災害発生から最長で72時間としており、14日午後3時が限度だった。奥山さんのチームも疲労が激しく、15日に病院を後にした。だが、岩手県が各都道府県に医療救護班の派遣を求めたのは15日になってからだ。県医療推進課は「沿岸地域との通信状態が悪く、災害現場に慣れたDMATの活動継続を先に要望していたため、医療救護班の派遣要請が後になった」と説明する。

 医療救護班が15日に入るまで診察を待たなければならない被災者は少なくなかった。避難所に着いた保健師が容体の悪い高齢者に気付き、救急車を呼んで大船渡病院に搬送する事態も相次いだ。山野目さんは「慢性期の医療に関わる救護班が来るまでの間、どう手を打つか。今回の大きな教訓だ」と振り返る。

 ◇地域診療待ち望む声

 DMATが撤収して以降、避難所などに出向いて医療を担う医療救護班が全国から集まってきた。

 「あとは滝田先生に診てもらいますから、先生はいいですよ」。大船渡病院を拠点にしていた医療救護班の一つで、自治医大病院(栃木県下野市)から派遣された医師、神田健史さん(38)は4月2日、末崎地区の避難所に入り、患者の声に驚いた。患者のほとんどが、この地区で開業していた唯一の医師、滝田有さん(51)の診療を求めていた。

 滝田さんは3月11日、診療中に医院の2階で津波に襲われた。一緒にいた妻が水を大量に飲み、東北大病院(仙台市)に搬送された。4月3日、末崎地区へ戻ってきた滝田さんに神田さんは避難所で向き合った。診療所もカルテも失い、見るからに打ちのめされた様子だ。

 「保険診療をやるべきです」。神田さんは切り出した。前日に診た患者たちを思い出した。まるで自分の親戚のことを話すような口ぶりで、滝田さんの診療再開を心待ちにしている。過疎地で医療に携わった経験がある神田さんでさえ、「コミュニティーの一員としての医師とはこういう人のことなのか」と感じ、地域医療のお手本を見たような気がしていた。

 滝田さんは悩んでいた。大船渡市ではすでに多数の医療救護班が活動し、被災者が無料で診療や投薬を受けることができた。そんな中、自分だけお金を取って診療していいのか。だが神田さんは、この地域の医療システムを再生させるために診療所の維持がどうしても必要だと考えていた。「先生を手伝えることは何でもやりますから」

 4月4日、滝田さんの仮設診療は、避難所があった「ふるさとセンター」の2階で始まった。自治医大の医療救護班は、末崎地区に10カ所ほどある避難所を巡回する班と、滝田さんのサポートをする班との二つに分かれて活動した。神田さんは滝田さんの後ろに控えて処方箋を手書きした。このおかげで滝田さんが患者と話す時間が削られずにすんだ。「支援に入ってくれた医師たちに心を打たれ、『やらなきゃ』と思った。震災前と同じ土地で、同じ患者さんを診させてもらえるありがたさを感じた」

 大船渡病院を拠点にした自治医大の医療救護班の活動は、7月1日まで続いた。
 ◇入院患者、震災前の半分

 南相馬市立総合病院がある20~30キロ圏内は昨年4月22日、入院患者の受け入れが認められない緊急時避難準備区域に指定された。区域は9月末に解除されたものの、放射線への不安から医師や看護師がなかなか戻らず、入院患者を震災前の半分程度しか受け入れられない状況が続く。

 金澤院長は「入院医療を十分にできないと経営的に持たない。病院がつぶれれば、地域社会が崩壊する」と危機感を隠さない。2月に入り、全国から医師の公募を始めた。

 福島県によると、南相馬市を含む相双地方16病院の医師数は昨年12月現在で61人。同3月1日時点の半分にとどまる。

 ◇8開業医、診療とりやめ

 大船渡病院では5月の連休明けから一般診療を再開。だが陸前高田市の県立高田病院が津波にのまれて入院施設がなくなり、震災後は大船渡市と陸前高田市で計8カ所の開業医が診療をとりやめた。気仙医療圏で震災前に築かれていた、かかりつけ医と急性期、慢性期の役割分担が崩れてしまった。

 今年2月、高田病院は仮設診療所を増築し、被災前と比べて29床少ない41床の入院設備を再開させた。「気仙医療圏を立て直す第一歩だ」。震災からまもなく1年。山野目さんには一段落ついたという実感はまだない。

 ◇活動拡大へ見直し必至

 東日本大震災はDMATのあり方に多くの課題を突きつけた。直後の救命医療が重要だった阪神大震災とは異なり、今回は津波や原発事故、慢性疾患への対応など想定外の事態に直面。より広い活動ができるよう国は見直しを始めている。

 厚労省の検討会は昨年10月、今回の対応を踏まえた災害医療の検証報告書を作成。DMATが幅広い疾患に対処できるよう研修内容を見直し、活動が長期に及ぶ場合は今回のように2次隊や3次隊を派遣することなどを提言した。

 だが、原発事故への対応は「文部科学省や経済産業省の所管」として触れられず、DMATの活動要領の見直し作業は道半ばだ。

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 石川隆宣、久野華代、神保圭作、尾中香尚里、永山悦子、中島和哉が担当しました。(グラフィック、日比野英志/編集・レイアウト、野村房代)
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 ■ことば
 ◇DMAT(ディーマット)
 災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team)の略。大規模な災害や事故が発生すると、隊員は事務局のある厚生労働省の派遣指示を受け、おおむね48時間以内で活動する。阪神大震災で緊急医療体制が整っていればより多くの人が救えたと指摘され、05年4月に発足した。医師や看護師、事務職員ら1チーム5人程度で構成する。隊員になるには研修を受講しなければならない。今回は47都道府県の約380チーム(1800人)が被災地に入った。
 ◇トリアージ

 「選別」という意味のフランス語が語源で、災害時などに病気やけがをした人の重症度を判定し、治療や搬送の優先順位を決めること。優先順位が高い順に、赤=一刻も早い処置が必要▽黄=早期治療が必要▽緑=軽症で搬送必要なし▽黒=死亡もしくは救命不可能--に4分類し、トリアージ・タッグを付ける。日本では阪神大震災(95年)を機に普及した。



http://mainichi.jp/select/science/news/20120226ddm001040089000c.html
検証・大震災:病院孤立、患者犠牲に 原発20~30キロ圏、官邸「屋内なら安全」
毎日新聞 2012年2月26日 東京朝刊

 震災から4日後の昨年3月15日、政府は前日の東京電力福島第1原発3号機の爆発を受け、原発から20~30キロ圏内の住民に屋内退避を求めた。

 既に避難指示が出ていた原発周辺の双葉病院(大熊町)では患者を搬送する医療機関が決まらない中、避難中や避難後の死亡が相次ぎ、首相官邸は緊迫していた。枝野幸男官房長官らは「30キロ圏内の患者は病院内にいれば安全」として入院患者の搬送は当面行わず、原発のさらなる爆発に備えて受け入れ先の病院確保だけを指示した。

 一方、厚生労働省の唐沢剛官房審議官は「30キロ圏内の病院はきっと維持できなくなる」と予想していた。屋内退避が続けば人も物も入ってこないだろう。病院は医師やスタッフも減って機能せず、取り残された入院患者を搬送しなければならなくなる。だが、地域の病院の患者や施設の入所者を全員県外に搬送した例はない。「誰が何をやればいいのか、移送手段も分からない」

 唐沢審議官は15日、省内から若手の医系技官ら3人を選び福島に派遣するよう指示する。その一人は厚生科学課の伯野春彦医師。「今から福島に行ってくれ」「ミッションは?」「とにかく行ってくれ」。16日に福島県に到着するまで具体的な任務さえ分からない。午前9時半の電話で初めて、20~30キロ圏内の医療機関・患者数のリストを作ることが当面の仕事だと知った。

 福島県災害対策本部は16日も混乱が続いていた。伯野医師の携帯電話も厚労省や官邸からの無数の着信でバッテリーが切れた。

 20~30キロ圏内にある医療機関は六つ。福祉施設もある。患者や病院の状況を電話で問い合わせた。物流の停止による物不足も深刻だった。「このままでは餓死者が出てしまいます」。電話がつながった病院の担当者は訴えた。一方で、動かせば危険な患者もいる。

 本格的な搬送に向け、初めて県災対本部、県警、自衛隊、消防と合同の打ち合わせができたのは17日正午過ぎ。しかし「患者の除染を済ませないと県境を越えさせない」という県もあった。その間にも、南相馬市の病院では医薬品が不足して重症患者2人が死亡した。

 18日、30キロ圏内の患者全員の搬送が動き出す。だが、厚労省から官邸の危機管理センターに詰めていた矢島鉄也技術総括審議官は取材に「患者の避難は官邸からの指示ではなかった」と言う。「当初は官邸と県庁の災害対策本部がばらばらで動いていた」と反省を口にした。

 原発事故が起きた際、病院の患者をどう守るのか。誰も想定せず、判断は混乱の現場に任された。【震災検証取材班】=肩書は当時<14・15面に特集>




http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120227/t10013303721000.html
“避難区域外にも病院指定を”
2月27日 4時8分 NHK


東京電力福島第一原子力発電所の事故で、被ばくした人たちの診療に当たることになっていた病院が、実際には機能しなかったことから、国の原子力安全委員会は、初期対応に当たる病院を避難対象となる区域の外にも複数指定することが望ましいなどとする提言をまとめました。

国の原子力安全委員会の被ばく医療分科会は、福島第一原発の事故で被ばくした人たちの診療に当たることになっていた5つの病院が、避難区域の中にあるなどして実際には機能しなかったことから、緊急時の被ばく医療の在り方について検討を進め、提言をまとめました。
提言では、被ばくした人の初期対応に当たる病院を原子力施設の周辺だけでなく、避難対象となる区域の外にも複数指定することが望ましいとしています。
また、福島第一原発の事故では、福島県内で被ばく医療の中心的な役割を担う福島県立医科大学附属病院が地震や津波でけがをした人の対応に追われ、負担が過剰になったことから、隣り合う県の中核的な医療機関と連携できる態勢を整えることが有効だとしています。
この提言は見直しが予定されている原子力施設の防災指針に盛り込まれ、緊急被ばく医療の態勢整備に反映されることになっています。



  1. 2012/02/27(月) 23:19:20|
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2月25日 医療一般

http://mainichi.jp/area/saitama/news/20120225ddlk11040227000c.html
志木市立市民病院:「小児救急崩壊回避を」 改革委が最終報告書 /埼玉
毎日新聞 2012年2月25日 地方版 埼玉

 志木市立市民病院(同市上宗岡)の小児科入院医療休止問題で「市民病院改革委員会」(長隆委員長)は24日、長沼明市長に最終の報告書を提出した。報告書は「小児救急を崩壊させないため適切な診療体制(病床数)が必要」と指摘し、「医師を派遣できる大学病院に、重点関連病院としての指定などを要請すべきだ」とした。また市民病院の公設民営化を提案し「大学医学部の付属病院化などが可能ならそれが第一」と記した。

 委員会は21日の中間報告で▽小児入院救急医療の維持▽5月までの日本大医学部(東京都板橋区)などの付属病院化--を提言していた。しかし長委員長によると、委員から「小児医療を円満に継続するため表現を簡素化すべきだ」「市と日大が交渉で傷つかないよう日大の名を削除すべきだ」などの意見が出て、最終の報告書では文章を修正したという。

 記者会見した長沼市長は「報告書を市議にも見せて意見を聞き地域医療の役割を担いたい。入院医療も含め小児救急の継続に取り組みたい」と話した。【高木昭午】



http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20120225/CK2012022502000067.html
志木市民病院「大学付属」化を提言 改革委が最終報告 市長は「内容を尊重」
2012年2月25日 東京新聞

 経営難になった志木市立市民病院の再建策を検討する病院改革委員会(委員長・長(おさ)隆東日本税理士法人代表社員)は二十四日、最終報告書を取りまとめ、同市の長沼明市長に提出した。経営形態を変更して公設民営化し、指定管理者制度を導入するよう提言、大学付属病院とすることを第一目標にするよう求めた。

 二十一日に示した中間報告案にあった「日大医学部付属病院とするよう求める」とした文面は「大学サイドと慎重に交渉すべきだ」とする委員の指摘で削除したが、大学付属病院化要望を強くにじませた。困難な場合は、地方独立行政法人制度を導入するよう求めた。

 市民病院で担ってきた小児科入院・救急は、地域の診療体制を守るため、小児科医派遣を実施可能な大学病院に要請すべきだとした。赤字運営を強いられることが多い小児科医療の費用負担を志木市だけでするのは難しいとして、県や周辺自治体で協議すべきだと明記した。

 経営形態変更の時期は明記しなかったが、長委員長は、市民病院が三年連続で実質赤字となる見通しで、総務省の公立病院の経営監督ルールに抵触するとして「少なくとも新年度中には経営形態を見直さなければならない」とした。

 長沼市長は「報告書の内容を尊重する。議会に報告し意見を聞きながら、病院改革に取り組む」と述べた。 (上田融)



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/288930
地域医療、住民の目線で 「考える会」がフォーラム
=2012/02/26付 西日本新聞朝刊=九州 > 宮崎

 医師不足などの地域医療問題を住民の目線で考えようと、宮崎県日向市で25日、市民グループ「日向市の医療を考える会」の発足フォーラムが開かれ、約80人が参加した。

 県北部では医師不足が慢性化し、同市でも民間3病院が設けていた救急医療の輪番制が医師不足のために崩壊。09年4月には、市内で心肺停止状態になった男性=当時(65)=が7医療機関に受け入れを断られ、間もなく死亡が確認される問題も起きた。

 フォーラムでは、北浦診療所(同県延岡市)所長の日高利昭医師(47)が講演。医療の専門化に伴って幅広い病気を診療できる総合医が不足している現状や、治療方針を医師に任せきりにする患者側の問題を指摘。「地域の事情によって最高の医療が提供できるとは限らない。これからは『求める医療』ではなく、医師と十分話し合って『納得できる医療』を受けることが大切」と述べた。

 「考える会」は4月の設立総会を経て正式に発足し、講演会や市民への啓発活動を展開する。代表世話人の那須久司さん(41)は「市民は自分の健康を自分で守る意識が必要。活動に多くの人が参加してほしい」と述べた。



http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120224/CK2012022302000190.html
重症患者に対応できる医師を 浜松医科大が実践講座開講へ
2012年2月24日 中日新聞 静岡

 浜松医科大(浜松市東区)は25日から、急患や容体が急変した重症患者に対応できる医師や研修医の育成プログラムを開始する。付属病院の増改築に併せて新設したシミュレーションセンターを活用し、日本医学シミュレーション学会の講師らを迎えて、診断や治療をトレーニングしてもらう。医師のレベルアップを図るとともに、優秀な医師の静岡県内への定着を目指す。 (赤野嘉春)

 セミナーは3年間にわたって月1回のペースで開講。指導的立場にある中堅クラスや、これから指導者を志す医師も対象としているのが特徴で、県の地域医療再生事業に伴う「シミュレーション研修指導者育成プログラム」に選定された。

 皮切りとなる25日は、中心静脈カテーテル挿入術を学ぶ。研修医と臨床経験5年以上の医師の2つのグループで行う。カテーテルの入れ方に公式なガイドラインはなく、五十嵐寛・臨床医学教育学講座特任准教授(48)は「全国的に医療事故も多く、指導者を養成することも大事」と指摘する。

 重篤な病態をシミュレーターで再現し診断治療するセミナーをはじめ、気道確保のシミュレーションなども予定されている。

 シミュレーションセンターを新設したことで、実践的なトレーニングが可能になった。これまでは各診療科が研究室などを利用していたが、外来棟4階(広さ180平方メートル)に再整備。コンピューター制御で重症患者の病態を再現するシミュレーターから、採血や静脈注射などの単純なトレーニング機器まで備えた。

 五十嵐特任准教授は「医師1人に対して重症患者数は増え続けている。地域医療を支えるためにも効果的なトレーニングを行って、治療法の底上げにつなげたい」と話している。



  1. 2012/02/26(日) 05:56:44|
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2月25日 震災関連

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120225_01.htm
焦点/あえぐ地域医療(3)流出/原発影響、人手戻らず
2012年02月25日土曜日 河北新報

 「福島の名前を出すだけでうまくいかない」。いわき市の精神科病院「四倉病院」の大谷勇事務長(63)は、難航する医師の採用活動にため息をつく。

<常勤医 応募ゼロ>
 原発事故が起きた福島第1原発から南に約36キロ。放射性物質汚染への懸念から常勤医6人のうち3人が退職するなどして減った。夜間の当直体制が取れなくなり、福島県内に数少ない重度認知症患者の専門病棟は閉鎖を余儀なくされた。
 早く医師を確保し、入院機能を回復しようと、昨年4月に求人を出したが応募はなかった。5月には、いわき市医師会を通じて、地元の開業医を対象に精神科医と当直の内科医の応援を要請した。6人が手を挙げてくれたおかげで当座の人のやりくりにめどが立ち、専門病棟を再開できた。
 応援医師の1人、内科医の長瀬慶一郎さん(49)は毎週火曜日、副院長を務める診療所で勤務してから当直に入る。「何もなければ仮眠できるので、そんなに大変じゃない」と言うものの、気を張って夜勤を務めた後、朝から診療所で診察に当たるのは心身の疲労が大きい。
 四倉病院は常勤医の募集を続けているが、なり手は今も見つからない。大谷事務長は長瀬さんらの善意に感謝しつつも「いつまでも応援に頼れない。医師を探すしかない」と焦りを募らせる。
 原発事故は、福島県浜通り地方の医療従事者の流出を招いた。相双、いわき両2次医療圏にある警戒区域内7病院を除く全36病院のうち、常勤医が減ったのは河北新報社の調べで14病院に上る。

<事故理由に辞退>
 医師不足で切迫した地域医療に、看護師の減少が追い打ちを掛ける。
 原発事故の対応拠点となったJヴィレッジに近い福島県広野町の「高野病院」。約30人いた看護師は半数近くが警戒区域に住んでいたため、避難し、そのまま離職した。
 公共職業安定所などを通じて新しい看護師を募集しているが、なかなか応募はない。高野己保事務長(44)は「1月に2人の准看護師が来るはずだったが、直前に辞退した。原発事故を理由に家族に反対されたらしい」と嘆く。
 人手不足で精神科病棟(53床)は閉鎖に追い込まれた。内科病棟と外来診療だけの運営となった病院の収入は激減。昨年9月の決算は1980年の開院以来、初めて赤字となった。
 それでも、昨年12月の賞与はきちんと支給した。原発事故直後の混乱の中、動かせない重症患者37人を不眠不休で守り続けた職員の熱意に報いるとともに、何とか病院にとどまってほしいという思いからだ。
 昨年9月に緊急時避難準備区域が解除された後も、高台にある病院から見える町はひっそりとしている。原発事故の収束には、長い時間が必要だ。
 「もうすぐ1年がたつけれど、福島では何も変わっていない。自分たちの努力では前の状態に戻せないことが悔しい」。高野事務長が、浜通り地方の病院関係者のもどかしさを代弁した。



http://archive.mag2.com/0000096393/index.html
●相馬市の子どもたちを放射能から守るために
◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2012/02/23号 No.264 ━━━◆
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みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。
今回は、私の書き下ろしエッセー「相馬市の子どもたちを放射能から守るために」をお届けします。

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●相馬市の子どもたちを放射能から守るために

 震災、原発事故からもうすぐ一年になろうとしているが、ハードの上での復興は果たせても、長期に亘って徹底した対策が必要な課題は子どもたちへの放射能問題である。

 まず、放射性物質拡散直後の放射性ヨードの問題。これは半減期8日ときわめて足が速いので、今の段階ではどのくらい被ばくしていたかを調査することは不可能である。チェルノブイリとはちがって、海洋国家の日本では栄養的にヨード不足は考えにくいという学者もいるが、こればかりは甲状腺がんの検査体制を整えて、発症していないということを毎年実証して行かなければ解決しない。常識的には3~4年後あたりから毎年、子どもたち全員に超音波検査を実行する必要がある。気の遠くなるような話だが、検査体制づくりには今年から着手したいと考えている。

 次に内部被ばく問題。南相馬市のホールボディカウンターの多くの検査結果および相馬市のサンプル検査から、震災直後の内部被ばくは量的には小さかったということが分かった。セシウム137の生物学的な半減期により算出される預託実効線量からは、少なくても不安神経症に駆られるような数値ではないと考えられる。この点は放射性物質を浴びた牛乳や野菜果物に、いち早く出荷制限(スーパーなど流通過程)をかけた県の対応が効奏した。

 しかし、学校での給食調達食材が、どのようなチェックを受けてきたのか不安だというご父兄もいるので、先月より給食の食材をまとめて市役所のシンチレーションカウンターで調べ始めた。さいわい全ての給食が検出限界値以下だったが、今月からは市内の全小中学校に導入し、給食を作る前に食材の全例を検査している。また、公民館にも配備して地区住民が摂食する食材を、それぞれのご希望により計測している。この問題については、震災直後からしばらくたって、気持ちが緩んだ時にこそチェックが必要なので(現在は住民の方々の不安対策の意味もあるが)市としては5年とか10年とかの長いスパンで調査と注意喚起をしていきたいと思っている。

 外部被ばくについては何処をどのように除染するかを決め、また効果をその都度検証して方法論を改善しながら進めなければならない。一般生活領域の空間線量検査は1キロ、場所によっては10メートルのメッシュ検査を行った上で、我々は子どもたちの通う小中学校については一校当たり50か所の詳細調査を月2回ずつ行ってきた。その都度対策を講じてきたが、問題はセシウム汚染土の仮置き場だった。一般ごみの焼却灰の処理も含めて、仮置き場確保は重大問題だったが、相馬共同火力発電所の協力を頂いて、石炭灰の産業廃棄物処分場の一部を仮置き場に使わせてもらうことが出来るので、除染計画を躊躇することなく進められる。現在、搬入に向けて工事中である。

 外部被ばく回避のためには、高線量地区の空間線量の低減が基本方針だが、肝心なことは、その結果子どもたちがどの程度被ばくしているかを検出し、適切な対応を速やかにとっていくことである。当該家庭には丁寧に説明しながら、除染も実測値に基づいて優先順位をつけて、実効性のある作業をして行かなければならない。またここで言う適切には、過剰に心配して副次的な健康障害をもたらさないことも含まれる。

 相馬市の中学生以下の子どもたち4000人を対象に、10月から12月まで測定したガラスバッチの結果(年間換算)が出たので、個人個人に通知し、相対的に高い子どもたちの家庭や生活環境に対しては優先的に除染を行うことにした。さいわい5ミリシーベルト(以下シーベルトを略)を超えるケースはなかったので、今すぐに健康に被害をもたらすレベルの子どもはいない。しかし、子どもの場合政府が決めた一般的な数値、すなわち年間20ミリ以下なら安全とはとても思えないので、さらに安全値を下げて対策を講じなくてはならない。文部科学省では学校での外部被ばく総量を年間1ミリ以下にするという目安を発表したが、これはあくまで学校の滞在時間での被ばくの議論であり、ガラスバッジのような子どもたちの全生活についての基準ではない。また地域全体の除染は年間線量1ミリ以下を目指すとしているが、子どもたちが実際にどのくらい被ばくしているのかが問題なのだから、除染と対策を進める上では、実際の子どもたちの被ばく線量を示すガラスバッジの数値は非常に説得力がある。相馬市では被験者数4010人のうち、年間2ミリ以上が33人いた。学校生活での被ばくの限界線量が1ミリであるということを踏まえると、全生活では2ミリを一つの目安にすれば安全に近づくと考えたが、ぎりぎり危険値を大きくとって1.6ミリ以上は経過観察対象としたいと考えている。このグループに属するご家族の生活領域全般が、除染の最優先実行先である。線量の高い場所を遊び場にしているとしたら、行動範囲も含めた生活指導も必要となるが、線量値の説明も含めて、これらは個別面談説明形式で行いたい。除染などの対策を行った上で、再調査をしながらメンタルなケアを含めて徹底的なフォロー体制をとりたいと思っている。

 当然ホールボディカウンターでの調査も併せて施行していく必要がある。ホールボディカウンターは5月に一台入荷してくるが、公立相馬病院が外来棟建て替えを前にして手が回らないというので、相馬中央病院の医師たちに依頼した。35平米のスペースを提供してくれるので、東大物理学教室、医科学研究所の両教授を含めた放射線対策専門部会と連携のうえ進めたい。

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■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115



  1. 2012/02/26(日) 05:56:12|
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2月24日 医療一般

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=54944
医療を良くするためのチームワーク
2012年2月24日 読売新聞

医師の業務負担軽減へ…医療秘書の役割、ますます重要に

 日本は1961年からドイツの制度を倣って国民皆保険制度が採用され、日本人の健康問題は政府の重要課題とされて来た。一方医師、看護師の不足への対策も重点的に取り上げられてきた。

 よい医療を国民に提供するには質の高い医師の診断治療を効率良くするためのコメディカルと呼ばれる業務の専門職の養成の必要性が強調されている。現在の医師は多忙で過剰労働のため、患者にゆっくりとタッチできない現状である。そこで医師の業務の負担を少しでも軽くさせるために、医療補助者または秘書が必要となっている。

 ところで去る2月19日には、東京の虎ノ門の消防会館のホールで約900名あまりの医療秘書が集まって、日本医療秘書学会第9回学術集会が催された。

 私はこの学会の会長をしていることから「変わってくる医療と医療秘書の新しい使命」と題して基調講演をした。

 全国には医療秘書養成校(大学、短期大学、専門学校)数が263校ある。これらの学校の学生の教育のためには、日本秘書教育全国協議会がその事業として1級、2級、3級試験を行い、この資格を学生にとらせた上で就職活動を助けている。この協議会は1987年(昭和62年)に発足し、その翌年から私はその会長に任ぜられた。

 ところが、これらの業務を扱う医療秘書の養成機関が急増したので、私はこの学術団体「日本医療秘書学会」と日本医療秘書教育全国協議会との共催で学術大会を毎年催す案を提唱し、2004年(平成16年)に第1回学術大会を催した。以後、東京と大阪とで交互に毎年2月に催すこととなり、今年は第9回学術集会が催されたのである。この学術集会への応募論文は18題。その中3題に「日野原賞」が授与された。

養成校で、医学も履修

 昔は病院の庶務課で保健所提出書類や保険請求書の作成をしていたのが、今はこの医療秘書がこの業務を行っている。これができた上で、医師の診察室で電子チャートに記録する業務をも医療秘書は行っている。医師の診察業務の補助ができるように、医療秘書養成校では、解剖生理、病理学、薬理学、臨床検査学などの医学を修得させることになったのである。また病院で働く多くのコメディカルの業務内容の大要をもカリキュラムにいれている。

 最近は医師の記録もコンピュータ化されるにつき、診療録の電子カルテ化は医療秘書の大切な業務になっているのである。

 私は今から50年も前から米国の診療録管理学会の制度があることを知り、この制度の日本への導入に務め、日本病院会内に、委員会を設けた。担当医の記載する診療録(日本ではドイツ語でカルテと呼んでいた)に大切な事項の記載漏れはないか、手術所見や入院中の病状や処方などの記載が正しく綴られているか、患者の退院後1週間以内に診療録にきちんとサマリーが記入されているかなどをチェックするのがこの診療録管理士(現・診療情報管理士)の業務である。

 社団法人日本病院会がこの診療録管理士の育成教育を始めたのは、1972年であるが、私はその時以来、この新しい専門職養成にかかわってきた。

 一般の人には、医療は主に、医師、看護師、助産師、臨床検査技師、放射線技師、理学療法士、作業療法士、栄養士により行われるものと考えられているが、医療遂行上、この医療秘書の業務が近代医療の円滑化、能率化がまっとうされ、受診者へのサービス向上のためには極めて大切な役割を演じることを私は、今回のこのコラムで解説した次第である。



http://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/0004836039.shtml
柏原病院への医師派遣を増員・継続 神戸大
(2012/02/24 09:15) 神戸新聞

 兵庫県立柏原病院(丹波市柏原町柏原)に神戸大学が医師を派遣する「地域医療循環型人材育成プログラム」について、県と丹波市、同大学は2012年度から3年間、継続することで合意した。派遣医師は現行の5人から10人に増やす。新年度予算案に県と市合わせて1億8900万円の委託費を計上しており、議会の議決を経て3者で協定を結ぶ。(桑野博彰)

 同プログラムは、同病院の医師不足を受け、08年10月に始まった。交代しながら常時5人が勤務し、地域医療を学ぶとともに診療に当たる。現在、常勤医25人のうち5人が派遣医師で、委託費は県と市で負担している。

 今回の合意を受け、新年度からは派遣医師が倍増。医師の出入りがあるため常勤医の総数は未定だが、県は「増加するのは確実」としている。

 同病院には、同大学が特命教授クラスの非常勤指導医を年2人以上派遣する制度もあり、現在は計6人が診療と人材育成に当たっている。新年度からはこの制度を同プログラムに統合し、派遣する最低人数を3人以上に増やすことも決めた。

 委託費は県一般会計、県病院事業会計、市一般会計からそれぞれ6300万円を出す。プログラム拡充に伴い市の負担分は1050万円増える。

 同病院の足立確郎院長(61)は「県、市、神戸大の支援をありがたく思う。病院のさらなる機能回復に取り組みたい」と話している。



  1. 2012/02/25(土) 05:12:42|
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2月24日 震災関連

http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20120224ddlk07040186000c.html
東日本大震災:県が医療特区創設へ 今年度中に国に申請 医師不足の病院支援 /福島
毎日新聞 2012年2月24日 地方版 福島

 県は23日の県議会本会議で、震災や原発事故の影響で医師不足に悩む医療機関などを支援する医療・福祉関連の復興特区創設を目指す方針を明らかにした。本田朋県議(ふくしま未来ネット)の代表質問に野崎洋一企画調整部長が答えた。今年度中に国に申請する。

 県内138病院では、昨年12月時点で震災前に比べ常勤医師が71人減少、2000人を割り込んだ。ところが、医療機関については入院患者数などを基に、必要な医師や看護師など医療従事者数の配置基準が定められ、基準を一定割合下回ると診療報酬が減額されるなど不利になる。

 特区は、県全域を対象に設置基準を引き下げ、医療機関の人員配置の自由度を高めて経営を支援する。老人介護やリハビリなどの福祉施設への医師配置基準も緩和し、設置しやすくする。特区の設置期間は3年を見込む。

 県はほかに小水力発電など再生可能エネルギー推進にも特区の活用を検討している。【乾達】



http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120224t71023.htm
医学部新設、国に要望 石巻など沿岸15市長が連名
2012年02月24日金曜日 河北新報

 文部科学省が検討している大学医学部の新設をめぐり、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の沿岸計15市長が連名で23日、平野博文文科相と平野達男復興相に、被災地の医師不足解消に向けて医学部新設を求める要望書を提出した。
 15市長を代表し、亀山紘石巻市長が、文科省と復興庁を訪れ、要望書を手渡した。平野文科相は「今後検討してきたい」と述べたという。
 要望書は(1)被災地で医師不足が深刻化している(2)東京電力福島第1原発事故の影響で専門的な医療の必要性が高まっている-などとして、医学部を新設して医師を増やすよう求めている。
 医師不足に対し、国は既存医学部の定員増で対応している。文科省は2010年12月、有識者会議を設けて医学部新設を検討しているが、結論は出ていない。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20120223-OYT8T01224.htm
県に災害医療調整者
宮城の制度手本に導入 情報集約迅速支援受け入れ 来月末めど医師任命へ

(2012年2月24日 読売新聞)和歌山

 県は、県外からDMAT(災害派遣医療チーム)などの支援の受け入れが必要となる大規模な災害に備えて、迅速で適切に医療チームを被災地に派遣するための調整を行う「災害医療コーディネーター」を新設する方針を決めた。東日本大震災の際、同様の制度のあった宮城県では、県外からの支援の受け入れが比較的スムーズだったといい、3月末をめどに、災害時の医療に詳しい医師を、あらかじめコーディネーターに任命することで、情報を集約する体制を整え、有事に備える。(平井宏一郎)

 県医務課によると、現状では、県庁や各保健所の職員が随時、医師のアドバイスを受けながらDMATの派遣に向けた情報収集や調整を行うことになっている。しかしコーディネーターのいなかった東日本大震災の被災地の中には、医療チームの派遣された地域に偏りが出るなど、調整がうまくいかなかったケースもあったという。

 また、昨年9月の台風12号による豪雨水害時、新宮市熊野川町内での情報収集が一時、順調に進まず、現地での医療ニーズが災害対策本部に届くまで時間がかかった場面もあったという。

 こうした経験も踏まえ、県は今後、災害対策本部内に県や和歌山市、県立医大や県医師会などでつくる「災害医療本部会議」を設置、常駐するコーディネーターに現地からの情報を一元化し、DMATの派遣先や医薬品や医療器具などの供給、患者の収容先などを調整していく方針。

 各保健所単位にも、災害拠点病院や自治体などが参加する「災害医療調整組織」を新設。それぞれの保健所単位にもコーディネーターを配置し、医療施設の被災状況や避難所での被災者の状況などの情報の収集に当たる。

 コーディネーター任命後、研修や関係機関と共に訓練も実施する予定。同課は「混乱時でもより効率的に対応できるように、情報を集約する体制を築いていきたい」としている。



http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120224_01.htm
焦点/あえぐ地域医療(2)負担/夜間、入院 拠点消える
2012年02月24日金曜日 河北新報

 「夜に急に体調を崩した時、近くで診てもらえる場所がない。本当に困る」。岩手県大槌町の仮設住宅に住む主婦伊藤睦子さん(44)は不安を隠せない。
 昨年10月、夜10時ごろに子どもが突然じんましんを発症した。仮設住宅は国道から内陸へ6キロほどの山間部。暗く、曲がりくねった山道を運転し、25キロほど先の県立釜石病院へと急いだ。

<片道約1時間も>
 移動には片道1時間ほどかかり、治療後、帰宅は午前1時を回っていた。「病人を抱えて心細い中で、運転しないといけない。また同じようなことがあったらと思うだけで、気が気でない」
 大槌町は、東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた。町中心部にあった県立大槌病院は2階まで水没し、ほぼ全壊した。仮設診療所で日中の診療は続いているが、60床あったベッドは休止。夜間の常駐医師がいなくなった。
 夜間に体調を崩したり、入院が必要となったりした町民の多くは、県立釜石病院など釜石市内の病院に向かう。
 大槌町の仮設住宅の高齢者支援に取り組む町社協スタッフは「高齢者に限らず車を持っていない人も多い。タクシーで通うと、経済的な負担が大きい」と話す。大槌から釜石までのタクシー代は片道5000円以上。釜石の病院に入院した家族をなかなか見舞いに行けず、預けっぱなしになっている例もあるという。
 現状に大槌病院側も歯がゆい思いをしている。震災前は主に、肺炎や脱水症状など経過観察が必要な高齢者や、急性期を過ぎた患者の入転院の受け皿になってきた。
 「患者の負担は少なくない。療養のための病床は、町内にもある程度必要だと思うが、医師不足の中で前と同じような体制が取れるだろうか」。岩田千尋院長(65)は複雑な表情を浮かべる。
 岩手県内では、津波被害で大槌を含む県立3病院が入院機能を失った。県医療局は大槌病院を再建する方針だが、具体的な機能や役割はまだ決まっていない。

<高齢者入所待ち>
 医療機関と同様に療養ベッドを設けている特別養護老人ホーム(特養)や、介護老人保健施設(老健)などの施設も、震災でベッド数が減少した。療養が必要な高齢者は頼るあてが減る一方、施設は入所希望の待機者を抱え、定員超過で運営するケースも目立つ。
 気仙沼市の老健「リバーサイド春圃」は100床あった施設が津波で被災。現在、同じ法人が運営する病院を間借りし、20床を確保している。
 「震災前と比べれば、半分のスペース。狭いところで申し訳ない」。ひしめくベッドを前に、スタッフの猪苗代昭裕さん(31)は苦渋の表情を見せる。現在、30人以上が入所待ちで、病院敷地には仮設施設も建設中だ。
 高齢者を在宅で介護する家族は、働きに出たくても出られない。心身の負担だけでなく、収入面でもしわ寄せが及ぶ。「少しでも早く、高齢者の環境を整え、待機者の解消につなげなければ」。猪苗代さんの切迫感は募る。



  1. 2012/02/25(土) 05:12:00|
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