Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

4月29日 医療一般記事

http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/04/29/20110429m_07.html
■ 洞爺湖温泉に診療所─2日から、医師不在が解消
【2011年4月29日(金)朝刊】室蘭民報

 医療法人譲仁会(本部洞爺湖町、上原總一郎理事長)は、2000年有珠山噴火以来、医療機関がなかった洞爺湖温泉に「洞爺湖温泉診療所」を開設した。5月2日から診療を始める。

 温泉街には洞爺協会病院があったが、有珠山噴火で休止。同病院は約5キロ離れた高砂町の新施設で再開したが、多くの観光客が訪れる温泉街は医師不在になっていた。地元住民らは急患に対応できる医療機関の設置を求めていた。

 同法人は、こうした要望に応え、温泉街のメーン通り、洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラスの向かいに洞爺湖温泉診療所を開設。取得した旧写真店1階120平方メートルを改修し、内科の外来診療と在宅訪問診療を始める。

 同法人が伊達市大滝区で運営する介護老人保健施設「北湯沢温泉いやしの郷」に勤務する原修一医師(77)が院長として常駐。看護師は3人を配置。薬剤は院内処方でも対応する。

 診療は月~金曜日。診療時間は外来診療が午前9時~正午、午後7~9時。在宅訪問診療が午後1~5時。急患は24時間体制で受け付ける。

 原院長は「地域の病院とも連携し、住民、観光客のさまざまな医療ニーズに応えていきたい」と話している。
(伊藤教雄)



http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176603-storytopic-1.html
職員増へ定数見直し 県立病院改革会議
2011年4月29日 琉球新報

 2011年度の第1回県立病院経営改革会議が28日、県庁で開かれた。県立病院経営再建計画の最終年度に当たる11年度の病院事業局方針では、従来の人材確保や施設整備推進などに加え、7対1看護体制の拡充を含む職員定数の見直しが新たに掲げられた。各病院からは急務となっている医師・看護師の確保、それ以外の診療協力部門(コメディカル)人数の強化などといった課題が挙げられた。
 県病院事業局、県立6病院の院長らが出席。全6病院が求めている職員定数増については、今年の県議会2月定例会で11年度中の条例改正と増員が付帯決議されており、病院事業局は「重く受け止めている」とした。
 各病院長は10年度の経営評価や課題、11年度の運営方針などについて報告。再建支援のために投入されている一般会計からの年85億円の繰入金の算定基準などについて質疑が集中した。



http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20110429ddlk14010294000c.html
小田原市立病院:手当過払い問題 病院長ら3人処分 /神奈川
毎日新聞 2011年4月29日 地方版 神奈川

 小田原市立病院が医師の宿日直手当1500万円を過払いしていた問題で、同市は28日、病院長や支給権限があった経営管理課長ら3人を文書訓告処分にしたと発表した。

 過払いが発生した06年度の病院理事や診療部長ら4人は文書注意、経営管理課職員ら2人は口頭注意とした。

 市職員課は「支給権限がある者や病院長には相応の責任があり、その他の職員も職責に応じた一定の処分が必要」と説明し、過払金額は「市民が納得する補填(ほてん)の方法を検討中」と話している。

 加藤憲一市長と加部裕彦副市長は減給10分の1(1カ月)。前日の農政課職員の汚職による減給と合わせ、市長は同4カ月、副市長が同3カ月になる。【澤晴夫】



http://iryojinzai.net/686.html
医師を対象とした「自身の健康管理」調査結果、「健診程度」が8割  メドピア調査
[ 2011/04/29 ]  医療人材ニュース

 メドピア(東京都港区)は19日、同社が運営する医師コミュニティサイト「MedPeer」を通じて行った、「自身の健康管理」調査の結果を発表した。それによると、「この1年間に受けた健診・検査内容」について、80%の医師が「職場健診程度」と回答した。
(関連記事:医療ツーリズムには保険適応が必要とする医師が過半数.メドピア調査結果)調査は、3月11日から17日にわたって行われ、2,150件の有効回答が得られた。人間ドックについては、この1年間で利用したと回答した医師は9%にとどまった。「受ける時間がない」「年齢的に必要がない」といった回答が多い。「健診そのものを受けていない」と回答した医師も6%にのぼった。自由回答の中には、「患者さんにはドックやがん検診をいつも勧めていますが、自分ではなかなか時間を取れず受けていません。医者の不養生そのものです。」「受けるべきとは思うが、職場健診の結果は持病も含めて電子カルテで同僚にも知られてしまうため受けていない。」といった回答もあり、医師のおかれている困難な状況が伺われる。



http://mainichi.jp/area/nara/news/20110429ddlk29040590000c.html
南和の3病院再編:大淀に救急病院--14年4月 /奈良
毎日新聞 2011年4月29日 地方版 奈良

 県立五條病院(五條市)、町立大淀病院(大淀町)、国保吉野病院(吉野町)の機能再編などを協議する「南和の医療等に関する協議会」の第4回会合が28日、下市町の下市観光文化センターであった。救急病院を新たに14年4月、大淀町内に開くことを決めた。

 3病院はいずれも救急病院で、入院・外来患者の減少などで経営が悪化。このため、県と五條市、吉野郡の11町村で11月に一部事務組合を設立。現在の3病院を再編し、救急病院(250床)を1カ所にし、残る2病院は療養型の地域医療センター(90床)にすることを決めていた。

 この日の会合では、2月の第3回会合で提示されていた救急病院の整備場所を協議。大淀町福神地区に新病院を建設する案と、県立五條病院を建て替える案のうち、協議会会長の荒井正吾知事が交通アクセスやコスト面、開業時期などから大淀案を支持。これに対し、太田好紀・五條市長が「県立五條病院を再利用してもらいたい」と五條案を推したが、「南和全域の医療を考えれば大淀町に設けるほうがいい」とする意見が多数を占め、大淀案に決定した。

 事業費は130億円で、救急病院整備費117億円▽県立五條病院改修費8億5000万円▽国保吉野病院改修費5000万円--など。【阿部亮介】



http://mainichi.jp/area/nara/news/20110429ddlk29040593000c.html
救急搬送:受け入れ改善せず ルール見直しへ--医療連携協第3回会合 /奈良
毎日新聞 2011年4月29日 地方版 奈良

 救急搬送ルールの運用状況などを検証する「県救急搬送及び医療連携協議会」の第3回会合が27日、奈良市で開かれた。重症患者の受け入れ率が運用前に比べて、改善されていないことが分かった。県は搬送ルールの改善などを検討する。

 救急搬送ルールは、09年10月の改正消防法で都道府県に策定が義務づけられた。県は、病気やけがの種類に応じた受け入れ先のリストや、救急隊が患者の状態を把握するための基準などを盛り込み、今年1月末から運用を開始した。県の調査によると、1月31日~2月14日までの救急搬送は1941件。このうち重症以上の患者は170件だった。受け入れ先が最初の照会で決まったのは、62・4%(09年時66・5%)。3回以内は88・2%(同88・2%)で、改善していなかった。

 県は8月以降、搬送する救急車と受け入れる病院側にタッチパネル形式の携帯端末を設置し、情報伝達の迅速化で改善を目指す。【阿部亮介】



http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0EAE2E08B8DE0EAE2E6E0E2E3E39180EAE2E2E2;at=ALL
通信社配信記事巡る損賠訴訟、地方紙の勝訴確定
2011/4/28 21:58 日本経済新聞

 東京女子医大病院で女児が死亡した医療事故を報じた共同通信社の配信記事で名誉を傷つけられたとして、刑事裁判で無罪が確定した医師が、記事を掲載した地方紙3社に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は28日、3社の賠償責任を否定した二審・東京高裁判決を支持、医師側の上告を棄却した。地方紙の勝訴が確定した。

 通信社の配信記事を掲載した新聞社に責任があるかどうかが争点となり、同小法廷は「通信社と新聞社が一体性を有するときは、通信社に記事が真実と信ずる相当の理由があれば、掲載した新聞社も名誉毀損の不法行為責任を負わない」との初判断を示した。

 訴えられた地方紙は静岡新聞社(静岡市)と上毛新聞社(前橋市)、秋田魁新報社(秋田市)。医師側は共同通信も訴えていたが、同社に責任はないとした二審判決が確定している。

 同小法廷は「新聞社が通信社を利用して幅広いニュースを提供するシステムは、国民の知る権利に奉仕する重要な社会的意義を持つ」と指摘。今回のように通信社の責任が認められない場合に、新聞社だけが責任を負うとすると、「報道が萎縮し、知る権利が損なわれる」とした。

 そのうえで、地方紙は共同通信の運営に関与する一方、共同は地方紙に代わって取材して記事を配信するなど、一連の過程で報道主体としての一体性を持つと認定。記事の真実性に疑念を抱きつつ漫然と掲載したなど特段の事情もないことから、地方紙は責任を負わないと結論付けた。

 記事には、通信社の配信記事であるとの表示はなかったが、表示をしていない場合でも判断基準は変わらないとした。

  1. 2011/04/30(土) 05:12:41|
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4月29日 震災50日目

http://www.iwate-np.co.jp/school/school/201104/s201104292.html
403人「被災地の力に」 岩手医大で入学式
(2011.4.29) 岩手日報

 盛岡市の岩手医大(小川彰学長)の入学式は28日、同市内丸の県民会館で行われた。同大付属病院の医師たちは東日本大震災後すぐに被災地の急性期医療に携わり、災害医療の司令塔として多くの命を救った。今も診療支援を中心に被災者を支え続ける。震災の年に医学の門をたたいた入学生403人は、被災地のために尽力する先輩たちのように、将来の地域医療を担う決意を新たにした。

 保護者や関係者ら約600人が出席。式に先立ち、震災の犠牲者に黙とうをささげた。入学生を代表して柳沢基さん(20)=神奈川・桐蔭学園高卒=ら3人が「建学の精神と学則にのっとり、学生の本分を全うすることを誓う」と宣誓した。

 医療人を目指し一歩を踏み出した入学生の思いは被災地へと向く。佐々木航人さん(18)=盛岡一高卒=は「震災で地域医療を崩壊させてはいけないという使命感がより強くなった」と話し、佐藤貴紀さん(18)=花巻北高卒=は「避難生活が長引くと被災者の心身の負担が大きくなるだろう。心を癒やすことのできる医師になりたい」と意気込む。

 杣(そま)理華子さん(18)=盛岡一高卒=は「今すぐ直接的な支援ができないのが歯がゆい。被災地の力になるためにしっかり学びたい」と決意し、下山賢さん(19)=同=は「震災で何もできず、悔しい思いをしたが、きょうようやく医療に携わるスタートラインに立てた」と喜んだ。

 小川学長は「本学は県の災害拠点病院のセンターとして、極めて早く効率的に災害医療態勢を確立し、司令塔としての実務を担った。地域医療の再生には幾多の困難と長い年月を要する。今後とも大学を挙げて最大限の努力をしていく」と述べ、「医療人の基本である人格形成に努めてほしい」と入学生を激励した。

 入学生の内訳は、地域枠(特別推薦試験)15人を含む医学部120人(県内高校出身者27人)、歯学部52人(同17人)、薬学部167人(同93人)など。



http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20110429ddlk40040336000c.html
東日本大震災:「被災地は予想以上に混乱」 北九州の医師や消防士、活動報告 /福岡
毎日新聞 2011年4月29日 地方版〔北九州版〕

 ◇負担かけずに/看護師や薬剤師の支援も

 東日本大震災の被災地で医療支援に当たった医師や消防士の活動報告会が27日夜、小倉北区で開かれた。それぞれ写真や映像を見せながら被災地での活動を説明。「被災地は予想以上に混乱している。被災地に負担をかけない自己完結型の医療支援が必要」「医師だけでなく看護師や薬剤師の支援も必要」などの指摘が出された。

 「北九州災害・救急医療フォーラム」などが主催し、救急医療に携わる医師や看護師などが参加した。

 健和会大手町病院(小倉北区)の西中徳治医師は3月17~20日に宮城県塩釜市の総合病院で行った診療支援活動を報告した。病院は被災を免れ、震災直後は通常の5倍の救急搬送が集中したという。その上で「我々の任務は病院のスタッフを休ませることだった。医師だけでなく、看護師や送られてくる薬剤を管理する薬剤師の支援も必要」と語った。

 北九州市消防局消防航空隊は発生翌日から、岩手県や宮城県の沿岸でヘリを使って孤立者の救助や病人の搬送活動に当たった。椛嶋健二隊長は、津波の恐れがあったため、海岸での行方不明者の捜索を航空隊が担当したことなどを報告した。

 また、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」の一員として3月20~22日に茨城県高萩市と北茨城市に入った市立八幡病院の伊藤重彦副院長は「避難者の診療や薬がなくて困っているなどの相談に当たり、次に医療活動に当たるチームがすぐ分かるように治療の内容を書いて残してきた」などと話した。【佐藤敬一】



http://mainichi.jp/area/okayama/news/20110429ddlk33040534000c.html
東日本大震災:現地医師の支援/長期的な体制を 県医師会、報告会で意見 /岡山
毎日新聞 2011年4月29日 地方版 岡山

 岡山県医師会が東日本大震災の被災地へ派遣している「日本医師会災害医療チーム(JMAT)おかやま」の報告会が27日、中区の岡山衛生会館であった。医師会は先月12日から福島県いわき市などに医療チームを送った。同24日からは宮城県石巻市へ計10チームが継続的して派遣されている。報告会では「現地の開業医への支援が必要」「長期支援の体制整備を」--などと派遣された8チームから意見が相次いだ。

 JMATおかやまは医師と看護師、薬剤師など4人程度で医療支援チームを構成する。石巻市では、石巻日赤病院を拠点に活動し、県医師会のチームは決められた地域支援が割り振られ、引き継ぎがスムーズに行われるようにシステムが整っているという。

 4月11~15日に派遣されたさとう記念病院(勝央町)の稲田洋院長の報告では、災害による外傷の症例は少なく、上気道炎やアレルギー性疾患などが多かったという。稲田院長は報告で「ボランティアの受診も多く、自らの健康管理が必要。今後はリハビリテーションや介護の必要性が増してくるだろう」と話した。

 同医師会では、石巻市へ5月末まで医療支援チームを継続して派遣する予定。【石井尚】



http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20110429/CK2011042902000127.html
被災時、精神障害の子のケアは 福祉避難所の準備が大切
2011年4月29日 中日新聞 三重

 東日本大震災の被災地で、ストレスをためやすい精神障害や情緒障害の子どものケアが課題となっている。震災後、宮城県に派遣された児童精神科専門病院・三重県立小児心療センターあすなろ学園(津市)のスタッフは、障害者らが安心して暮らせる福祉避難所の必要性を訴える。

 同学園の医師と職員ら4人は19~24日、県の「心のケアチーム」の一員として宮城県石巻市で活動した。避難所を巡回し、震災のショックや避難生活の負担で心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しむ被災者の支援に当たった。

 全国から保健師らが集まり態勢は十分だったが、スタッフが気になったのは精神障害の子どものようす。精神保健福祉士の資格を持つ同学園医療部主幹の山下亨さん(51)は見知らぬ人同士が肩を寄せ合う避難所を「ざわざわしていて、適応能力が低い子どもには厳しい環境だった」と振り返る。

 自閉症などの子どもはストレスをうまく伝えることができない。山下さんは「発達障害の男の子が人との接触を避けようと、体育館の隅でずっと音楽を聴いていた。声を掛けたが、逃げられてしまった」と被災地での苦い経験を思い返す。

 一方、石巻市は民間の社会福祉法人などの協力を受け、精神障害者らを対象とした福祉避難所も開設した。視察すると家族が和室などでそれぞれのペースで避難生活を送っていた。「特性を理解してくれる人と過ごすことで本人も両親も心が休まる」と実感した山下さんは「震災時は三重にも福祉避難所が必要になる。日ごろから準備しておくことが大切だ」と話した。
◆県「対応これから」

 三重県内での福祉避難所の指定状況について、県は「各市町の状況を正確に把握していないが、これから手を付けなければならない分野」と対応の遅れを認める。

 県地震対策室によると、精神障害の子どもを含む在宅の災害弱者の受け入れ先をどう確保するかが課題となる。担当者は「障害者や介護が必要な高齢者にとって大切な取り組み。今後は民間の福祉施設との連携も求められる」と話している。 

 (鈴木龍司)



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201104280279.html?ref=reca
被災の地から 人工肛門:上 苦い体験、避難ためらう
2011年4月28日 朝日新聞

 濁った海水がどんどん迫ってくる。ひざ下まで漬かって、ふと思った。

 「このまま、のまれようか」

 あの日、一瞬、死を覚悟した。1年ほど前の苦い体験がそうさせた。

 2010年2月、東北の太平洋沿岸に大津波警報が出た。南米チリ沖の地震の影響だった。

 宮城県亘理町の女性(44)は近くの学校に避難した。腹部に人工肛門(こうもん)(ストーマ)がある。07年に緊急手術で作られた。

 人工肛門は大腸がんなどの手術で作られることが多い。便を受ける袋がついた装具を、数日おきに交換する。人工肛門があることは、外見ではわかりにくい。他人に知られたくないと考える患者は少なくない。

 警報で急いで逃げた女性は、替えの装具を持つのを忘れてしまった。いつまで避難が続くのか。予備の装具はあるか。避難所の町職員に人工肛門の患者への対応を尋ねた。ふだん他人に打ち明けることはまずないが、聞くしかなかった。

 職員は「自分で用意して下さい」と言った。「何のための役人か」と腹が立った。数時間後に帰宅できた。そして、心に決めた。「もう避難はしない。家にいたほうがましだ

 今年3月11日の大地震のとき、女性は自宅にいた。「ゴォーッ」という音をたてながら、木造の家が縦にも横にも揺れた。揺れが収まった後、外出先から両親が帰ってきた

 町の防災無線が大津波警報を伝え、避難を呼びかけていた。

 女性が「先に避難して」と促すと、父(76)は避難所に向かった。母(74)は動こうとせず、「あんたは行かないの?」と聞き返してきた。「いろいろ大変だから」と言葉を濁した。

 避難してつらい思いをするより、危なくても家にいよう。娘のそんな胸中を、去年のことを知る母は悟ったのだろう。そう気づいた女性は、自分を置いて逃げようとしない母を2階に追い立てた。

 女性が1階に携帯電話を取りに戻ろうとしたとき、台所のほうから階段まで一気に津波が押し寄せてきた。

 「このまま……」。すぐに思い直し、階段を駆け上がった。

 「母を助けないと」

 (南宏美)



http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201104290199.html
被災の地から 人工肛門:下 わかってくれる人がいる
2011年4月29日 朝日新聞

 3月11日の大地震の後、人工肛門(こうもん)(ストーマ)を持つ宮城県亘理町の女性(44)は、押し寄せる津波に、一瞬、「このままのまれようか」と思った。思い直して母(74)と一緒に自宅の2階に逃げ、夜を明かした。

 翌日の午後、自衛隊ヘリで救助された。先に避難させた父(76)と再会し、学校の体育館での生活が始まった。

 便を受ける装具の替えを、今回も自宅から持ち出せなかった。避難所の町職員が用意してくれたが、交換に40分はかかることが問題だった。

 他の人が寝静まってから、避難所スタッフに「ストーマがあるのでトイレを長時間使いたいんです」と声をかけた。「ストーマって何?」。口々に尋ね合うスタッフたち。「世の中こんなもんか」と思った。

 人工肛門があると、本人の意思に関係なく便やおならが出る。臭いや音を気にして外出を控える人は多い。女性もそうだった。他人がすぐ隣で寝起きする生活に強いストレスを感じた。もらった装具は使い慣れたものと違い、「便が漏れたら」という不安が募った。

 そんなとき、宮城社会保険病院(仙台市)の看護師、大網(おおあみ)さおりさん(38)が巡回に来た。人工の肛門や膀胱(ぼうこう)を持つ人のケアが専門だ。

 津波にのまれようかと思ったこと、避難所スタッフの対応に傷ついたこと。個室で1時間ほど、2人で話をした。

 臭いのことも、装具に接する皮膚のかぶれのことも、すぐに対処法を教えてくれた。「わかってくれる人がいる」と思うと気持ちが楽になった。装具の交換には、避難所の個室を借りられることになった。

 大網さんは実感した。「排泄(はいせつ)は人間の尊厳にかかわるのに、人工肛門や人工膀胱を持つ人の尊厳は後回しにされている」

 1週間後、再び大網さんが避難所を訪れた。「ここでいいから」。女性は他の避難者がそばにいる自分のスペースで最近の体調を話した。大網さんには前回より穏やかな表情に見えた。

 4月、女性は別の避難所に移った。いつ仮設住宅に入れるかはわからない。また大災害が起きたとき、「自分と同じ思いをする人がいないように」と願っている。(南宏美)
  1. 2011/04/30(土) 05:10:42|
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4月28日 医療一般記事

http://wjn.jp/article/detail/6626766/
深刻な医師不足東北地方に国立大医学部が少ない弊害
掲載日時 2011年04月28日 11時00分|掲載号 2011年5月5日 特大号 週刊実話

 「避難先で死亡する被災者が日増しに増えているのです。最初の数週間は、夜に氷点下が続き、ストーブもコタツもない中での体温低下による老人の凍死がほとんどでした。病院に運ぼうにも車はあってもガソリンがなく、自宅で亡くなった人を含めれば1000人に達するのでは」(被災地に入った医療ボランティア)

 被災地で決定的に足らない一つが、コ・メディカル(医師・歯科医師以外の医療従事者)だ。
 「病人は出ているが、水道、電気、医療品に医療設備もない中、数少ない医師たちは疲労困ぱいで、とても治療が追い付かない。今後、長引く避難所生活で感染症拡大も心配です。老人が重病化しやすいA香港型インフルエンザや幼児に危ない感染性胃腸炎が心配されますが、不衛生で風呂に入れない毎日が続くうえ、医者不足に病院不足が続けば、16年前の阪神淡路大震災以上の大変な事態になります」(同)

 同大震災では、避難所でインフルが大流行し600人以上が亡くなった。慢性的な医師不足に泣いてきた東北地方の避難所生活の健康維持には、心配のタネが尽きない。
 東北地方では、ただでさえ“西高東低”の大学医学部の少なさに加え、'04年に導入された制度変更で、医師の供給源だった大学病院の医局制度が崩壊。医師の都市偏重を招き、人口過疎地域から医師が消えた。
 「東北地方の医師不足は『戊辰戦争』と『日中戦争』の影響を受けてのものです。九州・四国・中国地方のすべての国立大学に医学部はあるが、東北6県のうち岩手、福島大には医学部がありません。旧会津藩には日新館という全国有数の藩校があり、その中には医学校もあった。しかし、日新館は戊辰戦争で焼失し、賊軍であったため、その後再建されませんでした。福島県に医学校ができるのは、1944年設立の福島女子医専(現=福島県立医大)。日中戦争では、中国大陸に大量の軍医供給の必要性から、西日本に医学部が次々に設立され現在の西高東低構造が出来上がった。厚労省はこの戦中体制を是正せず、福島県は人口当たりの医師数が全国平均を大きく下回る38位。原発はあっても、医者はいないのです」(医療ジャーナリスト)

 世界中が被災地の医師不足を見かねて、次々と医療チームを送り込んでくれているのに、厚労省は何をやっているのか。



http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed?term=S%20R%20Moonesinghe%3B%20J%20Lowery%3B%20N%20Shahi%3B%20A%20Millen%3B%20J%20D%20Beard
BMJ. 2011 Mar 22;342:d1580. doi: 10.1136/bmj.d1580.
Impact of reduction in working hours for doctors in training on postgraduate medical education and patients' outcomes: systematic review.
Moonesinghe SR, Lowery J, Shahi N, Millen A, Beard JD.
University College Hospital, London NW1 6BU, UK.

Objectives To determine whether a reduction in working hours of doctors in postgraduate medical training has had an effect on objective measures of medical education and clinical outcome. Design Systematic review.

Data sources Medline, Embase, ISI Web of Science, Google Scholar, ERIC, and SIGLE were searched without language restriction for articles published between 1990 and December 2010. Reference lists and citations of selected articles.

Study selection Studies that assessed the impact of a change in duty hours using any objective measure of outcome related to postgraduate medical training, patient safety, or clinical outcome. Any study design was eligible for inclusion.

Results 72 studies were eligible for inclusion: 38 reporting training outcomes, 31 reporting outcomes in patients, and three reporting both. A reduction in working hours from greater than 80 hours a week (in accordance with US recommendations) does not seem to have adversely affected patient safety and has had limited effect on postgraduate training. Reports on the impact of European legislation limiting working hours to less than 56 or 48 a week are of poor quality and have conflicting results, meaning that firm conclusions cannot be made.

Conclusions Reducing working hours to less than 80 a week has not adversely affected outcomes in patient or postgraduate training in the US. The impact of reducing hours to less than 56 or 48 a week in the UK has not yet been sufficiently evaluated in high quality studies. Further work is required, particularly in the European Union, using large multicentre evaluations of the impact of duty hours' legislation on objective educational and clinical outcomes.
PMID: 21427046 [PubMed - in process]



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/239324
地域医療センター開所 佐賀大学 若手専門医の育成推進
=2011/04/28付 西日本新聞朝刊= 九州 > 佐賀

 県内の医師不足の解消につなげようと、佐賀大学は医学部付属病院(佐賀市鍋島)に「地域医療支援センター」を開所した。産婦人科など専門医が不足する分野での人材育成を進め、地域の医療態勢の充実を図る。

 施設は鉄筋コンクリート3階建て。延べ床面積1069平方メートル。厚労省からの補助金など3億3千万円かけて建設した。

 県内では救急や産婦人科などの分野で医師が不足しており、同大は昨年、学部内に地域医療支援学講座を開設。臨床研修を終えた若手医師を対象に、専門医の育成を進めており、センターはその拠点施設となる。

 センターには、超音波を使って体内を調べる機材や救急医療技術習得のための機器やカンファレンスルームなどが完備され、5人の医師が指導する。2015年度までに、専門医30人の育成を目指す。

 また患者のカルテ情報やレントゲンの画像などをインターネットで共有する設備も整え、地域医療の効率化を目指すほか、救急機材を搭載したドクターカーも配備し、救命率の上昇を図る。

 杉岡隆センター長は「医師不足の解消に加え、地域医療の核となれるような施設を目指していく」としている。



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33923.html
「特定の医行為」203項目の分類案を例示
( 2011年04月27日 22:49 キャリアブレイン )

 厚生労働省は4月27日、チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ(座長=有賀徹・昭和大医学部教授)を開き、特定看護師(仮称)の役割や業務範囲について、これまでの議論を整理し、改めて論点を確認した。この中で事務局が、実際の医療現場で行うことが想定される「特定の医行為」203項目について、初めて分類案を示した。同省の「看護業務実態調査」の結果を基に、現場での必要度や実態に応じて、特定看護師が行うべき行為を1つの区分にくくり、看護師一般でも実施可能な行為を2区分に分類している。

 特定看護師によって実施されるべき行為に分類されたのは、▽抗不整脈剤の投与▽直接動脈穿刺による採血▽IVR時の血管穿刺、カテーテルの挿入や抜去▽胃ろうや腸ろうのチューブ、ボタンの交換▽嚥下内視鏡検査の実施▽褥瘡の壊死組織のデブリードマン―など。
 いずれも、同調査で看護師の実施率が1割未満だった項目。

 看護師一般が実施可能な行為のうち、医療現場などで一定のトレーニングを積んでいることが望まれる行為に分類されたのは、▽尿道留置カテーテルの挿入や抜去、入れ替え▽酸素投与の開始や中止、投与量の調整の判断―など。いずれも同調査で、「看護師が実施すべき」との医師の回答が7割程度に上った項目が分類されている。
 また、現行の看護基礎教育で対応できる行為に分類されたのは、▽低血糖時のブドウ糖投与▽末梢血管静脈ルートの確保と輸液材の投与▽予防接種の実施―など。同調査で、8割以上の医師が「看護師が実施すべき」と回答していることが目安になっている。

 委員の議論では、「具体的な行為の分類は、業務試行事業の結果を見た上で議論すべき」(星北斗・星総合病院理事長)、「看護師以外でも業務を拡大しているところ。特定看護師による業務独占にならないような議論が必要」(川上純一・浜松医科大附属病院教授、薬剤部長)などの慎重論が出た一方、「ニーズのあるところから始めるべき。医療では現場で学ぶことも必要」(前原正明・防衛医科大学校教授)、「教育にもある程度の時間がかかる。(議論と業務試行事業は)同時進行でやっていけばよいのでは」(竹股喜代子・医療法人鉄蕉会医療管理本部看護管理部長)など、特定看護師の創設に向けた看護業務の枠組みづくりに前向きな意見もあった。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135934/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
チーム医療推進会議
「特定看護師」の要件や医行為の案を提示◆Vol.20
厚労省、実務経験5年以上、侵襲性伴う行為も認める方針

2011年4月27日 橋本佳子(m3.com編集長)

 厚生労働省の「チーム医療推進会議」の「チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ(WG)」(座長:有賀徹・昭和大学病院長)の第13回会議で、同省は「特定看護師(仮称)」の要件やその業務範囲の案を提示した(資料は厚労省のホームページに掲載)。

 要件は、(1)看護師の免許を有する、(2)実務経験5年以上、(3)厚労大臣の指定を受けた養成過程を修了、(4)厚労大臣から知識・能力・技術の確認・評価を受ける――など。「養成課程」は、2年課程と8カ月程度の課程の2種類を設けるとし、業務の範囲に差を設けることとしている。2010年度から実施されている「特定看護師(仮称)養成調査試行事業」は、2年課程の大学院における「修士課程調査試行事業」と、日本看護協会などにおける「研修課程調査試行事業」に分かれている点を念頭に置いた対応と言える。

 専門看護師や認定看護師との関係については、「医療現場において担う役割は完全に一致するものではなく、医療サービスの質の向上の観点からはいずれの枠組みも必要」であるとした。「特定の医行為」を「特定看護師(仮称)」のみに認める業務独占、さらには名称独占にするかについては規定せず、メリット、デメリットをそれぞれ挙げるにとどまった。

 具体的な業務・行為例としては、例えば、急性期などでは、抗不整脈剤の投与のほか、経口・経鼻挿管チューブの挿管・抜管、皮下膿瘍の切開・排膿など、慢性期・在宅では褥瘡の壊死組織のデブリードマンなどが挙がり、侵襲を伴う処置なども含まれている。これらの例は、2010年度厚生労働科学特別研究事業「看護業務実態調査」をベースにしたもの(『医師の方が「看護師の業務拡大」に積極的』を参照)。「現在看護師が実施している割合が、約10%以下の行為の中から、今後看護師が実施する可能性や試行事業の状況なども踏まえ、例として挙げた」(厚労省医政局看護課)。

 そのほか、「特定看護師(仮称)」の業務・行為例以外に、(1)医療現場等で一定のトレーニングを重ねた看護師が可能な業務・行為、(2)現行の看護基礎教育で対応可能であり、看護師のさらなる活動が望まれる業務・行為――の例も示された。(1)は、「看護業務実態調査」で調査した医行為のうち、「現在看護師が実施している割合」が70~80%程度、(2)は80%辺りまでを目安に選んでいる。(2)については今後、厚労省が看護師が可能な業務範囲として通知として示す予定。「チーム医療推進会議は2010年5月からスタートした。1年くらいの検討が目安、つまり5月末くらいまでには示したい」(厚労省医政局医事課)。

本ワーキンググループは計13回の議論を重ねても、いかに議論を進めるかという“入り口”論がいまだに繰り返されている。

 「特定看護師」の制度化には法改正が必要、との指摘

 社会医療法人董仙会理事長の神野正博氏は、「特定看護師(仮称)が実施する医行為がようやく出てきた。ただ、現場で優秀な看護師が既にやっている行為もあり、わざわざ大学院を修了する必要があるかなど、要件については議論の余地がある」と述べた上で、「特定看護師(仮称)の行為には、責任が伴う。特定の医行為を実施させるならば、(診療の補助は医師の指示の下で行うと規定した)保助看法37条を変更する必要があるのではないか」と指摘。

 東京大学大学院法学政治学研究科教授の山本隆司氏は、「現在の法律は、看護師をすべて等しく扱い、『診療の補助』の範囲については、通知で拡大されてきた。『この要件を満たした看護師は、○○の行為ができる』という規定は、通知ではできず、法制度そのものを変える必要がある。ただし、変更する際は、現場が動け、現場とのかい離がない形で制度を作る必要があり、議論が必要」との見方を示した。

 「フィジシャン アシスタントを作るのか」

 もっとも、27日の議論の多くは、「特定看護師(仮称)」の要件などではなく、「特定看護師(仮称)」の創設に向けた議論の進め方に終始した。

 議論の進め方に異論を呈したのは、財団法人星総合病院理事長の星北斗氏や東京医科歯科大学大学院教授の井上智子氏など。

 星氏は、従前からの主張を繰り返し、「医療現場の実態を踏まえ、どんな行為であれば、一定のトレーニングを積むことにより、看護師が安心して実施できるか。それを見極め、特定看護師(仮称)の業務として位置づけていくことが必要。しかし、この議論のためにはデータがまだ集まっていない。試行事業のデータを踏まえる必要があるが、なぜこんなに議論を急ぐのかが分からない。また専門看護師と認定看護師が現在、どんな仕事をし、何が問題になっているのか、特定看護師(仮称)とどう違うのか、そうした議論もないままに進められることに、本ワーキンググループへの不信感がある」と強く問題視した。

 井上氏は、「看護師の業務範囲の拡大はありがたいが、2010年3月の厚労省検討会報告書で、特定看護師(仮称)が打ち出された時には、看護界にはむしろ不満が出た」と指摘、星氏と同様に、専門看護師や認定看護師と「特定看護師(仮称)」の役割の違いについて説明を求めた。さらに、「特定看護師(仮称)の役割を、医行為の形で列挙されると、『医行為を行う大卒の看護師を作る』といったイメージが拭えない。このままでは、PA(フィジシャン アシスタント)を作ることになりかねない。その方向に行くのはとんでもないこと」とクギを刺した。

 認定看護師や専門看護師と、「特定看護師(仮称)」との相違について、厚労省医政局看護課長の岩澤和子氏は、「実践内容については、全く違うものでなく、重なっている部分があるが、特定看護師(仮称)は従来よりも幅広い医行為を実施する点で違う」と説明した。

 「1年、2年のうちにやりたい」


 一方で、「特定看護師(仮称)」創設に向けた議論を支持したのが、防衛医科大学校外科教授の前原正明氏、亀田総合病院看護部長の竹股喜代子氏、東京大学大学院医学系研究科教授の真田弘美氏など。

 前原氏は、「特定看護師(仮称)へのニーズがあり、その話を前に進めようとして始まったのが、このワーキンググループ。周術期や在宅など、ニーズがあるところから始めていくべきというのが私の考え。結論は、5年も10年も待てない。1年、2年ののうちにやっていきたい。試行事業で問題があれば、チェックしていけばいい」と指摘。また、「特定看護師(仮称)」は、専門看護師や認定看護師とは、一定の医学教育を課すこと、また実践内容などの点で相違があるとした。

 竹股氏は、「看護師が可能な範囲は徐々に広がってきており、私が看護師になった時代と今とでは相当違う。それが患者に貢献していることは分かる。確かに大変で、教育には時間もかかるが、特定看護師(仮称)の議論を機に、それ以外の看護師の業務範囲を発展させていく機運も高まっている。両者は同時進行でやっていくのがいいのではないか」とコメント。さらに、専門看護師や認定看護師と、「特定看護師(仮称)」は、侵襲性が高い行為が行い得る点などで相違があるとした。「是非はあるが、今回は医行為の拡大が前提であり、そのためにはどんなアプローチが必要かというプロセスで議論していくべき」(竹股氏)。

 真田氏は、「最初に特定看護師(仮称)の話が出た時には驚いたが、看護師がリアルタイムに対応できないのも現実。その解決策として、特定の医行為を認める条件を検討するのが、このワーキンググループの役割ではなかったのか。もともと“ グレーゾン”の問題があり、看護業務実態調査を行った。その結果を踏まえ、特定看護師(仮称)が可能な医行為を議論するプロセス自体には問題ない」との考えを示した上で、「特定看護師(仮称)」に対し、仮に侵襲性の高い医行為を認めるにしても、あくまで医師の包括的指示の下での実施を前提とするが、この包括的指示の定義が曖昧なために、議論が難しくなっていると指摘した。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news/20110427-OYT8T01100.htm
新大・永山副学長 職外れる
(2011年4月28日 読売新聞)

山下氏は辞職 契約問題引責か


 新潟大学の永山庸男(つねお)教授が、副学長職を任期途中の3月末で外れていたことが27日、わかった。また、理事・副学長だった山下威士氏も、3月末で辞職していた。2人の任期はいずれも来年1月末まであった。新大では50歳代の男性教授が、数十億円の医療装置を購入する契約を業者と不正に結んでいた問題が発覚しているが、新大総務課は「(不正契約問題との)関連についてはコメントしない。人事の理由は公表していない」としている。

 新大によると、永山教授は2008年2月、評価・広報担当の副学長に就任、学長室長も兼ねた。大学側は、学長による解任か、自発的な辞任かは、明らかにしていない。永山教授の代理人の弁護士は、取材に対し「大学から『誰に対しても一切何事もしゃべってはならない』旨の業務命令が出されているので、誠に遺憾ながら説明できない」などと答えた。

 一方、山下氏は08年4月、総務担当の理事と副学長に就任。取材に対し、「一身上の理由で辞めた。(不正契約問題のことを)知っているべき立場だったのに知らなかった責任を取った、というのも一因」などと述べた。

 理事と副学長の任免については、国立大学法人法などに準じた学内規定で、学長が単独で行うことができるという。

 男性教授による不正契約問題を巡り、新大は「捜査への影響を避けるため」として、教授の氏名や所属先、医療装置の種類、不正の方法など、具体的な内容を明らかにしていない。



http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-04-28_17147/
周産期医療 過重負担続く
2011年4月28日 09時36分 沖縄タイムス

 県内の総合周産期母子医療センターで、医師不足や恒常的な満床状態、出産までに病院受診をしない未受診分娩(ぶんべん)などのハイリスク妊産婦への対応で、過重負担が続いている。中部病院の産科病床稼働率は2010年で102・3%。産科診療を制限している北部病院からの患者受け入れも増加しており、医師らは人材確保や施設の充実を訴えている。(赤嶺由紀子)

 総合周産期母子医療センターは、リスクの高い妊娠、出産に対する医療や高度な新生児医療を担う医療施設。県内には県立中部病院、南部医療センター・こども医療センターがある。

 中部病院産科によると、出産までに病院を受診しなかった未受診分娩が7件、10代の若年出産が29件あった(10年)。北部地区からの患者受け入れは前年比でほぼ倍増しており、満床時には入院患者を南部地区の病院に搬送する状況という。

 同院の小濱守安医師は「当直明けの休みも取れない状況。数年後には、産科医療体制も困難で崩壊する可能性がある」と危機感を募らせる。

 同院新生児科では、新生児専門医1人の退職に伴い4月から現在の5人から4人体制となり、医師の過重労働も指摘されている。新生児集中治療室(NICU)が恒常的に満床状態にあるほか、施設が狭いためインフルエンザなどの院内感染リスクが高いといった課題も挙がっている。

 出産後の課題では、若年出産や未受診妊婦などに虐待のリスクもあるとして、社会的問題を抱える母子をケアする臨床心理士の不在も指摘している。

 南部医療センターでは昨年、未受診・飛び込み分娩が6例。NICUが恒常的に満床状態で、他院への母体搬送も増えている。

 同センター産婦人科の村尾寛医師は、医師不足解消のため全国で取り組まれる院内保育所の設置や、当直翌日の勤務免除・早退の制度化の取り組みを挙げ、「労働環境や待遇改善がなくては医師確保は厳しい」と訴えている。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/shinsai/201104/519511.html
大震災の現場から Vol.32
活躍の場を狭められたイスラエル医療班
米国NPが見た日本の医師-看護師関係と海外からの被災地支援

エクランド源稚子(Pediatrix Medical Group of Tennessee新生児NP)
日経メディカルオンライン 2011. 4. 23

 2011年3月11日、宮城県北部の三陸沖を震源とする大地震が発生した。気象庁によると、マグニチュードは国内観測史上最大の9.0。津波や火災で多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた医療機関も多数に上った。そうした悲劇的な状況の中でも、大勢の医師が、被災者に対する医療に尽力している。前例のない被害をもたらした大地震にも負けず奮闘する医師の、現場からのリポートを紹介する。

 私は米テネシー州中部の7つの病院の高度NICUや一般新生児を担当する新生児医療チームに所属するNP(ナースプラクティショナー)として、産科ともチームを組んで新生児医療に従事しています。外国生活が長い私に取って、日本は距離的には遠い場所ですが、災害が起こるといても立ってもいられなくなります。今回も、被災された皆さんや被災しながらも継続して地域の医療に当たっておられる多くの医師や看護師、他の医療者の方たちのことを思い、心苦しく思っていました。

 日本の医療関係者とメールでやり取りをする中で、現場に医療ニーズがあることは分かりました。ですが、私は米国では修士号を受け、新生児に対して診断・治療を行う資格や免許を持っているものの、日本では高校しか卒業していませんし、何の資格もありません。貢献する場所がないと半ばあきらめていた時に、徳洲会の災害医療チーム(TMAT)が海外からもメンバーを募っていると知りました。自分が新生児NPであること、NPになる前に米国で移植外科、心臓外科などで成人の看護経験があることなどを説明するメールを送ったところ、3月29日に米国を発つチームに参加できることになりました。TMATの被災地本部のある仙台徳洲会病院に到着すると、宮城県南三陸町に派遣されるチームで活動することが分かりました。

海外の医療者を受け入れることは災害時でなければ無理でした。外部の人間で日本の資格も無いのに受け入れ、信頼して医療活動の機会を与えてくださった厚生労働省と徳洲会のTMATの皆さんには心から感謝しています。また、現地では、徳洲会のみではなく様々なボランティア医療団体の方々と働くことができました。仲間意識をもって活動をさせてくださった方たちにも感謝しています。

 個人的な自己紹介の際にはNPだと名乗りましたが、日本においてはNPは看護師です。今回、一緒に働くチームのリーダーが現地で作った役割の割り振りからも看護師として活動が主に期待されていることは明らかでした。

 海外に対する徳洲会からの募集でも、帰国するチームごとに医師2人看護師2人によってメンバーを構成するのが条件となっていましたし、私が参加したチームには十分な数の医師がいましたから、必要に応じて看護師として働くことに違和感は抱きませんでした。徳洲会のリーダーの方々にとっては米国からのNPや一般的に看護経験がないPA(フィジシャンアシスタント)の資格で参加する人材を参加させるのはかなりの冒険だったことも確かだと思います。正式にはNPが何なのかといった論議は特にチームの公の場では出ませんでした。

 そもそも今回の参加は職種よりも、1人の人間として貢献する場所があればという思いでボランティアを申し出たのですから、配膳など、医療と関係ない仕事に回ることもあり得ると思っていました。一度は海外の医療者に向けて働く許可が出たとはいえ、日本の資格なしでは何もできない状況を強いられる可能性もあると思っていたからです。

 現在日本ではNPを導入すべきかどうか揺れているのは知っていましたし、米国で診療行為を行っていても、日本では「医師に準じる資格です」とは言えません。また、正式にはNPは医師と全く別の資格です。そもそも私のNPの資格範囲はNICUという特殊な現場を取り巻く新生児集中治療で、対象は一般新生児から2歳児までですから、発災後の急性期医療から慢性期医療が求められる場所では、NPとしての経験が現場のニーズに合っているとも思いませんでした。

 ただし、成人急性期看護師時代に行っていた高齢者のルート確保や採血などは手が覚えているとの自負はあり、さらに、様々な外科処置が好きだったこと、現在も老人ホームでボランティアを続けていることなども「看護師として働ける」と考えた背景にあったのかもしれません。ある病院ではルート確保チームとして病院全体の点滴管理をする仕事をしていたこともあります。NPが医師の立場を脅かす存在ではないことを出会う方々に感じていただける機会があるかもしれないと思ったのは事実ですが…。

 ちなみに、米国ではNPは決して看護師としては働きません。私の現場では医師と並んでNPは診療報酬を得る立場であり、私が管理をしても医師が管理をしても同額の診療報酬が得られます。

日本人医療者との初めての現場体験

 私は日本生まれで、日本の医療現場で医師と看護師がやり取りする様子は、家族が入院した際などにも見ており、知識や役割が米国と随分違うことは分かっていました。けれど、それはあくまで外部者としての視点です。自分が医療者の一人として中に身を置くのは今回が初めてでした。被災地という特殊な医療現場での体験を、日本の医療事情として普遍的にとらえるには無理がありますが、それでも、医師と看護師とのやり取りや外来の問診時における看護師の役割、医師への受け渡し方、また、多くの看護師の方々との討論などから、日本と米国の違いを感じることが多々ありました。

 日本での仕事内容は、米国でNPとして仕事をするのとはもちろん、看護師として働くことと比べても大きく違いました。米国では看護師も、医師と提携しながら自分が担当する患者さんたちに対して、医療に関する責任を持つので、「先生お願いします」という感覚はありません。当然薬品の選択や量の計算、調整を絶えず考えながら仕事しています。今回の日本での看護業務にそのような部分がなかったのは慢性期患者が多かったことも一つの理由ですが、フィジカルアセスメントが看護業務にほとんど必要とされていないことも大きな理由だったと思います。そのことは、少し寂しくも感じました。

 「この程度の処置を、なぜ医師がしなければならないのだろう」と思ったことも少なからずありました。例えば、本当に軽微な小さい切り傷の処置です。家であれば、恐らく消毒して様子をみる程度のものでも、処置するのは医師です。医師である方が安心、という意味なのかもしれません。少なくとも米国で整形外科患者や腫瘍外科オペ後の患者も入院する外科ICUで看護師として働いた身には違和感がありました。

 また、小さなことかもしれませんが、今回配られたチームの名簿などで、医師とその他の職種とで、呼び方を変えられていました。私は、米国の現場で、医師もNPも看護師たちも呼吸療法士もみなファーストネームで呼び合う環境で仕事をしています。医師は●●先生、看護師は●●さんとなっているのは日本では当たり前の状況なのかもしれませんが、「さん」と「先生」という呼び方で、立場が暗黙のうちに区別されていたような不思議なものを感じました。

 看護と医師との間の隔たりも感じました。「私だったらこうするかな」と、ついうっかり口から出てしまったことを、治療に取り入れてくださった医師もおられましたが、怪訝な表情をされる方も見受けられました。数人の先生方から、「聞いたことがなかったのので、NPの話は刺激を受けた」とか、「積極的なナースだ」といったコメントもいただきましたが、それは"出しゃばりだ"という意味だったのかもしれないと後から反省したほどです。

 優秀な看護人材が沢山存在する日本では、看護師が今後復興していく地域の医療に幅広く貢献をすることが可能だと何度も感じました。けれど同時に 今回の体験を通じて、日本ではNP導入を考える前に、まずは看護の基礎教育を現状以上に幅を広げて強化し、医師が持つ看護師のイメージを変える必要もあるように感じました。

活躍の場を狭められたイスラエルの医療班
 私たちが展開していた南三陸町で活動していた、イスラエルの医療チームについても触れておきます。今回、厚労省は3月13日付けで、「東日本大震災の被災地では、海外の医師免許による医療行為も認める」と通達を出しました。イスラエルの医療チームもそのスキームで来日していたのですが、彼らが十分な能力を発揮できていたとは思えないのです。

 というのも、彼らは単独で働けるわけではなく、常に日本人医師のバックアップが義務付けられていました。ある患者さんはイスラエルチームの外科医が行った、ほぼ完治した外傷の治療のフォローアップを受けるためだけに、TMATの外来に来られました。その患者さんは英語を話されるため、「自分でイスラエルの先生に言ってもいいんだけれど」というニュアンスのことを口にされていましたが、TMATの日本医師が患者と同伴しなければ、イスラエルチームの診療は受けられません。

 母国語以外での診療ですから、通訳がついても診断するのは難しいという判断はあり得るかもしれません。ただ、既にキレイに治りつつある外傷の最後のフォローアップをイスラエルの医療チームにお願いするためだけに、日本人医師が介入する必要はないのではないかと、私だけでなく、一緒にいた医師も感じていたようです。

 イスラエルのチームは優秀なスタッフばかりのようでしたし、多くの最新の診察機器も持ち込んでいました。TMATの医師が「イスラエルの医師にお願いしたい」と考えても、外務省の腕章を付けた方が、イスラエルチームの行動を把握するように施設内に待機しており、彼らができるだけ介入しないようにと見えない糸を張り巡らさせているように感じてなりませんでした。外務省と厚労省は何か仲間割れをしているのだろうか、と素人ながら何回考えたか分かりません。

 イスラエルチームの数人と親しく懇談する機会もありましたが、懸命に「何か協力したい」と話す彼らを不憫に感じることすらあったほどです。彼らが現地に入ったのは発災17日後のことでしたが、出動準備は発災後48時間から遅くとも72時間後にはできていたそうです。到着が遅れたことについての彼らの説明は、「日本側の許可が下りなかったため」。そのときの会話から、彼らの日本の経験での落胆は尋常なレベルではなかったのではないかと、今も思っています。

米国に伝わらない日本の実情
 もう一点、今回日本の医療支援に向かうに際して、ちょっとしたいざこざがあったことを付記しておきたいと思います。冒頭でも少し触れましたが、私は全米各地で新生児集中治療や一般新生児医療を担うPediatrixという組織に、新生児NPとして所属しています。本部がフロリダに在るこの組織には、全米で 200以上の新生児専門医師/新生児NP医療グループが所属しています。さらに現在は麻酔部門や産科も所属しており、開業医グループとしては最大級です。

 ところが、日本に行くことになった時に、この組織のNPのトップが、福島原発のことなどから被ばく者として戻ってくることへの懸念を示したのです。「あなたが戻って来た場合に、未熟児などの新生児のいる環境にどのような危険があるかを十分考えなければならないし、被爆汚染が同僚にどのような影響があるのかが問題です」という電話を、出発数日前にもらいました。

 日本から帰国したら、1日置いて、またすぐ仕事に戻る予定でした。しかし、かなりの懸念を示され、「日本へ行くなとは言わないが…」と口を濁されました。私には彼女を説得する時間も余裕もなく、「問題であれば辞職しますから」と言い残して日本へ行きました。仕事よりも日本へ活動へ行くことの方が、私にとっては重要だったのです。

 米国のニュースの報道は、私が聞いていても、「日本の国民は東京から逃げなければいけない」という印象を受けるほどです。実際に、東京から出ていく人のインタビューがニュースで報道されていたりするので、日本の地理に詳しくなければ、そう思うのも致し方ないでしょう。仙台と福島、東京の地理的な違いをすべて理解してもらうのは難しいことなのです。そんな環境下では、私の出発前に電話をかけてきた上司の「患者環境への安全性」への意識は理解できます。

 ちなみに、出発前の辞職話は私がいない間に直属の上司である、新生児専門医が介入してくださり、帰国したときには一件落着していました。私は米国に戻った後も以前通りに働き、当直もしています。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/136003/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
レポート 医療維新
横浜市立大医学部長解任で、裁判所が和解勧告
「現時点では、新医学部長の発令はしていない」

2011年4月28日 橋本佳子(m3.com編集長)

 横浜市立大学医学部長の黒岩義之氏が、4月30日付けで医学部長を解任されると通知され、地位保全を求める仮処分を横浜地裁に申し立てていた事件で、4月28日、第1回の審尋期日があった(『横浜市大医学部長解任、「全く身に覚えなし」』を参照)。

 この日は結論が出なかったものの、裁判所から和解勧告があり、双方が持ち帰って検討することになったという。次回の審尋期日は5月12日。

 同じく4月28日、横浜市立大学医学部では、教授会が開催された。新しい医学部長についての議論があるとの見方もあったが、「現時点では、5月1日付けの新しい医学部長の発令はしていない」(同大人事課)。横浜市立大としては、和解勧告を持ち帰った経緯上、現時点での新たな医学部長の発令は見送ったとの見方もできる。

 なお、黒岩氏は、全国医学部長病院長会議の会長を務めている。同会議は4月21日の定例記者会見の際、「執行部の有志一同」の形で、黒岩氏の解任を問題視し、副会長で、東京慈恵会医科大学病院長の森山寛氏は、「仮処分を申し立てており、(5月20日の)全国医学部長病院長会議の総会までは、会長をやっていただくのは当然」とコメントしている(『横浜市大医学部長の解任、「人事裁量権の逸脱」』を参照)。
  1. 2011/04/29(金) 05:13:54|
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4月28日 震災49日目

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33922.html
被災した精神科医療機関、宮城などで94件- 民主PTが厚労省からヒアリング
( 2011年04月27日 23:01 キャリアブレイン )

 民主党政策調査会の「精神保健医療改革プロジェクトチーム(PT)」(座長=石毛●子衆院議員)は4月27日、第6回会合を開き、厚生労働省から東日本大震災への対応についてヒアリングした。厚労省は、岩手、宮城、福島の3県で94か所の精神科医療機関が被災した状況について報告。岩手と宮城では一部の施設で復旧が進んでいるものの、福島の一部地域にある施設では復旧のめどが立っていないことも明らかにした。

 厚労省によると、94か所の内訳は、岩手が21か所、宮城が37か所、福島が36か所。
 このうち、被災後に診療ができなくなったのは10か所(宮城3か所、福島7か所)で、宮城の3か所では既に外来診療を再開している。一方、福島の7か所のうち、いわき地区にある2か所では既に外来診療を再開したが、福島第1原子力発電所から30キロ圏内にある相双地区の5か所では診療再開のめどが立っていない。

 記者団の取材に応じた石毛座長によると、福島の病院の復旧のめどについて厚労省の担当者は、福島第1原発の事故の収束のめどが立たない現状では、復旧できるかどうかも分からないと答えたという。

■仮設住宅で孤独になる人へのケアも
 また石毛座長は、今後PTが取り組む内容について、「被災地では、復旧の第1段階から次のステップに移る。仮設住宅で孤独になる高齢者や青年が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などにならないよう対策をする必要がある」と述べ、PTとして第2次補正予算も視野に必要な対策を検討していく考えを示した。
【編注】 ●は金へんに英



http://wjn.jp/article/detail/6626766/
深刻な医師不足東北地方に国立大医学部が少ない弊害
掲載日時 2011年04月28日 11時00分|掲載号 2011年5月5日 特大号 週刊実話

 「避難先で死亡する被災者が日増しに増えているのです。最初の数週間は、夜に氷点下が続き、ストーブもコタツもない中での体温低下による老人の凍死がほとんどでした。病院に運ぼうにも車はあってもガソリンがなく、自宅で亡くなった人を含めれば1000人に達するのでは」(被災地に入った医療ボランティア)

 被災地で決定的に足らない一つが、コ・メディカル(医師・歯科医師以外の医療従事者)だ。
 「病人は出ているが、水道、電気、医療品に医療設備もない中、数少ない医師たちは疲労困ぱいで、とても治療が追い付かない。今後、長引く避難所生活で感染症拡大も心配です。老人が重病化しやすいA香港型インフルエンザや幼児に危ない感染性胃腸炎が心配されますが、不衛生で風呂に入れない毎日が続くうえ、医者不足に病院不足が続けば、16年前の阪神淡路大震災以上の大変な事態になります」(同)

 同大震災では、避難所でインフルが大流行し600人以上が亡くなった。慢性的な医師不足に泣いてきた東北地方の避難所生活の健康維持には、心配のタネが尽きない。
 東北地方では、ただでさえ“西高東低”の大学医学部の少なさに加え、'04年に導入された制度変更で、医師の供給源だった大学病院の医局制度が崩壊。医師の都市偏重を招き、人口過疎地域から医師が消えた。
 「東北地方の医師不足は『戊辰戦争』と『日中戦争』の影響を受けてのものです。九州・四国・中国地方のすべての国立大学に医学部はあるが、東北6県のうち岩手、福島大には医学部がありません。旧会津藩には日新館という全国有数の藩校があり、その中には医学校もあった。しかし、日新館は戊辰戦争で焼失し、賊軍であったため、その後再建されませんでした。福島県に医学校ができるのは、1944年設立の福島女子医専(現=福島県立医大)。日中戦争では、中国大陸に大量の軍医供給の必要性から、西日本に医学部が次々に設立され現在の西高東低構造が出来上がった。厚労省はこの戦中体制を是正せず、福島県は人口当たりの医師数が全国平均を大きく下回る38位。原発はあっても、医者はいないのです」(医療ジャーナリスト)

 世界中が被災地の医師不足を見かねて、次々と医療チームを送り込んでくれているのに、厚労省は何をやっているのか。



http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws6572
被災した末崎町の滝田医院滝田院長、診療再開
2011年04月28日付 5面 東海新聞 大船渡市

 東日本大震災の大津波で被災した大船渡市末崎町字細浦の滝田医院の滝田有院長(50)は、今月4日から避難所になっている末崎ふるさとセンター2階に仮設診療所を開設した。自身が過労などによるクモ膜下出血から再起を果たしたばかりの3年後に襲った大津波。津波に呑み込まれながらも脱出し、不撓不屈の精神で診療再開にこぎ着けた。
 JR細浦駅前にある滝田医院は、3月11日、2階天井まで津波が押し寄せた。外観は保っているが内部の医療機器は使用不能となり、隣接する自宅も壊滅的な被害を受けた。
 滝田院長はちょうど診療中で、地震発生後、患者はすでに帰り職員5人も避難したが、滝田院長と家族は避難する前に津波に襲われた。医院の2階に逃げ、全身津波に呑み込まれた。
 「もうだめだと思った」。水に浸かっていた時間が長く感じられた。幸い波が引き始めた時に脱出し高台の寺院に避難した。海水を飲み重篤となった家族は今は快方したが、被災の翌日仙台の東北大集中治療室に運ばれた。車も流された。滝田院長は仙台からバスで盛岡に向かい、親戚の車に乗せられて被災から11日目に破壊された医院の前に立った。
 「私のことを待っていてくれる患者さんがいることが分かり、診療できる場所がないかと思った」。各方面の厚意によりふるさとセンターを使用することができ仮設診療所を開設し診療を再開した。
 診療日は、月、火、木、金曜日の週4日正午から午後3時ごろまで。循環器、呼吸器、消化器を中心に内科全領域が専門。最初は盛岡のホテルに寝泊まりし、大船渡間を毎日往復している薬の卸会社の車に同乗して通った。現在は仙台から車で通いながら診療を続けている。
 亡き祖父と父も医者で3代目。末崎小、末崎中、盛岡一高、東北大医学部を卒業後、仙台などで勤務医を経て平成15年に細浦で開業した。末崎町内では唯一の開業医。しかし5年後に自身がクモ膜下出血で倒れた。祖父がクモ膜下出血で倒れた家族歴があり、過労も加わった。一時は再開も危ぶまれた。5カ月後に復帰を果たしたが、今度は津波という試練が襲った。
 泥にまみれた医院の中から電子カルテのハードディスクを探し出し、専門業者に依頼して修復。現在は電子カルテで対応している。紙カルテも回収した。さらに国産のステレオタイプで気に入っていた聴診器を職員が見つけて持ってきてくれた。「聴診器1本さえあれば」と診療再開を目指す心に火がついた。
 被災後に不眠を訴える患者も増えた。末崎地区で医療支援を行う自治医科大の医療チームの支援も当初受けた。医療チームの神田健史助教は「滝田先生を中心にしてつながりコミュニティーの絆がある」と話す。
 滝田院長は検査だけでなく問診も重視する。「診断の精度が上がりぴったり合った薬が出せる」。被災した医院の建物は解体し、ふるさとセンターに間借りしている仮設診療所もいずれしかるべき場所に移設したい考え。「自分自身も大変な目に遭ったが、逃げる訳にはいかない。与えられた使命」と語り地域医療の火を灯し続ける。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135977/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
医療関係団体
「避難所の問題解決が急務」、日医
「被災者健康支援連絡協議会」が4月25日に第1回会議

2011年4月28日 橋本佳子(m3.com編集長)

 日本医師会は4月28日の定例記者会見で、「被災者健康支援連絡協議会」の組織について説明した(『7医療団体による「被災者健康支援連絡協議会」発足』を参照)。

 代表は日医会長の原中勝征氏、副代表には6つの医療関係団体の代表が就き、連絡事務局は、厚生労働省と日医に設置。顧問には、民主党の足立信也・前厚労大臣政務官、梅村聡・参議院議員が就任。日医副会長の横倉義武氏によると、日本精神病院協会、日本医療法人協会から参加希望があり、日本栄養士協会からも協力の申し出があるという。

 原中氏は、「震災直後から日医では対策本部を設置し、各都道府県の情報収集やJMATの派遣などを行ってきた」とした上で、「政府の被災者生活支援特別対策本部から、被災現地の医療ニーズに対応し、医療チームの中長期的な派遣を確保すること、また避難所などの健康確保上のニーズを把握、感染症対策などの取り組みを行うことについて、要請を受けている」と説明。今回参加した医療関係団体が一致団結して、専門的な立場から政府に提言していくと強調した。「地震や津浪に遭っても助かったにもかかわらず、その後の避難所の生活で命を亡くすケースがある。まず避難所の衛生面などを改善するとともに、仮設住宅を夏までに早急に設置することが必要であり、政府に求めていく」(原中氏)。

 さらに、今後、2011年度の第2次、3次補正予算が組まれていくことになるが、原中氏は、「地域の医師会の先生方の要望を聞いて、政府に要求していく」と述べた。

 横倉氏も、4月25日に開催された、被災者健康支援連絡協議会の第1回会議でも、「一番大きな問題とされたのが、避難所の問題だった」とし、「集団非難から個別住居の移行」が重要だとした。さらに、「現場から上がってくる情報は様々であり、それを政府が直接受けたのでは混乱する。そのコーディネーターの役割も果たす」と説明。そのほか、今後、被災地の復興に当たっては、各地域の事情、医療資源に合わせた支援を行っていくとした。

【被災者健康支援連絡協議会】
代表   原中勝征(日本医師会長)
副代表  大久保満男(日本歯科医師会長)
     児玉孝(日本薬剤師会長)
     久常節子(日本看護協会長)
     黒岩義之(全国医学部長病院長会議会長)
     堺常雄(日本病院会長)
     西澤寛俊(全日本病院協会長)
事務局長 横倉義武(日本医師会副会長)
     嘉山孝正(全国医学部長病院長会議会長相談役)
顧問(オブザーバー) 国会議員(足立信也・前厚労大臣政務官、梅村聡・参議院議員)
連絡事務局 厚生労働省(関係省庁)、日本医師会



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201104280042.html
東亜大教員ら岩手に仮診療所
'11/4/28 中国新聞 山口

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町に仮設診療所を設ける計画を、東亜大(下関市)の中田敬司准教授(51)=災害医療=たちが進めている。拠点の県立大槌病院が損壊し、機能が大幅ダウンした地域医療の再生に向け、現地の医療スタッフと最終調整している。

 中田准教授が理事を務める社団法人「日本災害医療ロジスティック協会」(東京)が、震災の支援金を活用しようと、仮設診療所の設置を岩手県に打診。県と町が了承した。

 計画では、複数のコンテナを組み合わせて診療所を造る。診察室や検査室を備え、ベッドや医療機器も提供する。5月中旬の開設を目指している。

 同協会が、津波被害の大きかった同県沿岸部を調べた結果、大槌町が最も深刻だった。現在、同病院の常勤医3人と看護師約20人は、コミュニティー施設に町が設けた仮診療所で医療活動に当たっているが、機器や薬剤の不足する状況が続いているという。



http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20110428ddlk45040540000c.html
つなごう希望:東日本大震災・宮崎から 被災者の心をケア 派遣第1班出発式
毎日新聞 2011年4月28日 地方版 宮崎

 東日本大震災の被災者を精神面で支援する心のケアチームが岩手県に派遣されることになり27日、県庁で出発式があった。

 第1班は、県立宮崎病院や宮崎大学の医師と看護師、精神保健福祉士と事務職員の計5人。県障害福祉課によると、避難生活の長期化で、これまで精神的に耐えてきた被災者に不安や落ち込み、うつの症状が生じる時期という。避難所で被災者の相談に乗ったり、薬を処方したりする精神保健医療活動に従事する。第1班の派遣期間は6日間。

 出発式で河野俊嗣知事は「温かい気持ちでみなさんに寄り添ってほしい」と激励した。県立宮崎病院の橋口浩志精神医療センター長は「被災者の心のケアのお役に立ちたい」と決意を述べた。

 心のケアチームは8月1日まで延べ15班の派遣を予定。県精神保健福祉士会や県看護協会、民間病院などが協力する。【石田宗久】



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110428dde041040036000c.html
東日本大震災:役場職員に心のケアを 厚労省、3県にチームを派遣
毎日新聞 2011年4月28日 東京夕刊

 津波被害が大きかった岩手県宮古市田老地区で、国立病院機構琉球病院(沖縄県)と菊池病院(熊本県)の「こころのケアチーム」が、被災者の支援に当たっている行政職員や避難所運営者らの心のケアを続けている。既に100人以上が受診し、これまでに重症者はいなかったというが、ケアに当たる精神科医の大鶴卓さん(37)は「支援者は『支える』『助ける』といった意識が高い」と分析。私生活とのバランスを取るよう助言することもあるという。【安藤いく子】

 田老地区の避難所になっている保養施設「グリーンピア三陸みやこ」の一室。市の田老診療所で働く看護師、山本ヒデさん(45)はケアチームの精神科医と面談した。

 山本さんは津波で家を流され、消防団員の夫幸雄さん(49)は水門の確認に向かったまま行方不明。震災直後から救護班として活動していたため、家の確認や幸雄さんを捜すこともできなかった。「家族のために仕事をしてきたのに、肝心な時に何もしてあげられない」。自分を責めながら仕事を続け、不眠になった。

 面談で、抱えている不安や悩みを打ち明けた。「被災者でありながら、きちんと看護師の仕事を全うしている」とねぎらいの言葉をかけられ、涙がこぼれた。「仕事と家族、どちらも大切。バランスをとってみては」。アドバイスに「生きるヒントをもらった」と、前向きに考えるようになったという。

 グリーンピアを運営する財団の専務理事、赤沼正清さん(70)も田老診療所の医師、黒田仁さん(42)から「声の調子に元気がない」と受診を勧められ、心理士と面談。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を判断するチェックシートをもとに「ストレス度は高くない」と言われて「心の専門家から合格点をもらえたよ」とホッとした表情を見せた。黒田さんは「支援者は業務で忙しく、希望制ではなかなかケアが進まない。上司が率先して全員受診を目指すべきだ」と話す。

 こころのケアチームは精神科医、看護師、心理療法士、精神保健福祉士らで編成され、各国立病院や都道府県が厚生労働省を通じて派遣している。厚労省によると27日現在、岩手、宮城、福島の3県で29チームが活動。岩手県関係者によると、津波に流されそうになった職員が震災後の激務もあって体調を崩し、フラッシュバックなどPTSDのような症状が見られ登庁できなくなったケースもあるという。



http://www.asahi.com/edu/university/toretate/TKY201104270340.html
東日本大震災で被災した東北大学は
2011年4月28日 朝日新聞

 東日本大震災の影響で、東北大学は、研究室や講義室が入った4棟の建物が深刻な被害を受けて立ち入り禁止になっている。学生の授業の準備は整いつつあるが、被災した研究室や実験室は復旧までに当分、時間がかかりそうだ。世界トップ水準の研究も足踏みし、研究者らは不安を抱える。一方で、大学として、東北地域の復興の中核機関として取り組もうとする動きや新たな研究テーマを模索する人もいる。災いから新たな出発に向かっている。

 世界の先端研究の場が一瞬にして打撃を受けた。

 東北大学片平キャンパス。地震が発生したとき、半導体スピントロニクスの研究で世界的に著名な大野英男教授は、同僚と2010年度の研究成果報告会を開いていた。関係研究分野の関連設備が集中する鉄筋コンクリート5階建ての4階ホール。経験したことがない揺れが収まったあと、1階から被害を確認すると2階の空気を清浄にするクリーンルームの配管、配線が壊れ、3階の測定機器が床ごとめくれ倒れて壊滅的な状態になっていた。

 人的被害はなかったものの、どんなに急いでも復旧に半年以上はかかる。米国らの研究を一歩リードした自負があった。「もちろん直接被災した人への支援を優先してほしい。それでも日本全体の復興に貢献するため早く世界の一線に復帰したい。この研究室は震度5を3回経験したがびくともしなかったのに」と大野教授は語る。

 人的被害は少ないが、研究拠点施設への影響は大きい。

 東北大によると、学生約1万7千人のうち帰省中の学生3人(入学予定者を含む)が亡くなった。教職員は死者・安否不明はなかった。大学病院でも入院患者や職員らに被害はなかった。しかし、学生約1600人が被災地域の出身で経済的支援が必要という。建物被害は、危険判定28棟、要注意判定が48棟で、半数が青葉山キャンパスに集中している。復旧費は約450億円。研究設備の被害額は200億円を超える。

 このうち危険判定で立ち入り禁止の「赤判定」だったのは、青葉山キャンパスの電子・応物系、人間・環境系、マテリアル・開発系の3実験研究棟、川内キャンパスの川北合同研究棟の計4棟(約4万平米)。全体で2千人近い教職員の研究室や実験室、教室がある。水産系の研究・実験設備がある女川のフィールドセンターも津波で壊滅した。いずれも東北大が得意とする理系の研究や教養の要の拠点だ。

 立ち入り禁止の研究棟には時間を区切り厳重な管理のもと安全を確認しながら内部のものを確認し、取り出す作業が進められている。電子・応物系の建物の屋上部は柱と壁ともに崩壊した。2基のエレベーターが1階に落ち、上を見ると空が見えるという。柱の鉄骨もむき出しになっている部分がある。畠山力三教授(電子工学)の説明では、ナノ微細加工装置など億単位の機器が壊れているうえ、東北大学でつくったオリジナルの超音波診断装置などほかにないものも被害を受けた。マテリアル・開発系では貯水槽の配管が破れたため下の階の研究室が水浸しになって資料が使えない。人間・環境系もほぼ同様だ。

 研究や教育の再開をにらんだ動きも進む。

 これら工学系の研究者は研究や教育に必要な資料をいつ取り出せるのかわからない。しかし、5月上旬の授業開始に合わせて準備をしなければならない。研究室や教室の確保は当面、同じキャンパス内にプレハブを建てることや大学の余裕のある部屋を借りる予定にしている。

 研究室に立ち入れない植松康教授(建築学)は復旧に向けた段階として「メールのチェックなど日常に必要な仕事が出来る」「学生に対する講義をする場を確保する(連休明けまでに)」「建物から装置を取り出し研究装置を復旧させる」「建物そのものの改築・補修を考えている」がある。「いまは最初の段階。最終的に復旧するには3年程度かかるのではないか」という。

 被災した教授らは1人1部屋という形ではなく、相部屋で作業を続けている。杉本諭教授(知能デバイス材料学)は被災をマイナスにはしたくないと考える。「学生に教えることを震災で停滞させたくはない。これまでの研究は継続させることが大変なのはわかっている。しかし、厳しい環境でも新たなアイデア、萌芽的な研究テーマを考えることはできる。それから始めたい」。植松教授も「たとえば建築と土木の研究者が実験スペースの共有をきっかけに共同研究を始めることもあるはず」と前向きだ。畠山教授も「研究はいつも前進しないとつらい。同じレベルの研究成果を発表するのは心理的に大変だ。しかし、大震災をきっかけに電気をこれまで以上に消費せずに高性能のデバイスを開発するとかレアメタルや風力発電の研究の緊急性が高まるなど、することはたくさんある」と言う。3人の教授とも「人的被害がなかったことが大きい。春休み中でなく、学生が大勢いたらと思うとどうなっていたか」と話した。

 東北地域の復興の核になる動きも話し合われている。

 地震発生直後の緊急対応が軌道に乗り始めたころ、学長室に学長補佐らの若手数人が集まった。東北地方の復興・地域再生、復興政策と学術政策、災害と復興の社会的貢献について、学内の研究者らを集めて戦略を考えることが話し合われた。

 災害復興新生研究機構(仮称)という枠組みをつくり、安心安全都市構築▽一次産業再生▽地域高次産業再生▽エネルギー政策▽医療政策▽地震津波対策▽被災者復興支援などのプロジェクトを学際的に提言して政府や地域とともに地域貢献することを考えている。これから本格的に論議を始めることにしている。

 すでに発生直後から地域医療や高度医療の拠点として機能してきた東北大学病院も、これまで以上に県内から東北地域を見通した地域医療の支援の中心になる意欲をみせる。里見進病院長は「今後、地域全体の医療の整備を再構築するには県を超えた体制づくりが必要」と話す。

 大学としてのこれからの姿について、井上明久学長は「学生の被災状況を把握して、ケアしていきたい。施設など打撃は受けたが、これをきっかけに復興新生研究機構を柱にさまざまな分野の専門家を結集して知の貢献していきたい。学生も机で学ぶ以外のことを学ぶ機会になるはず。その教育支援体制をつくりたい。いろんなところに教育の芽があるはず。大学として一つの転換期にしたい」と話している。

 大震災の当事者として、東北大学の動きはわかりやすい。しかし、当事者大学以外の大学が研究、学問の領域を超えた力を発揮するのはどんな形でいつになるのだろうか。

     

 地方の拠点大学としての福島大学はどうなっているのか


 東日本大震災で危機的な状況に直面したとき大学は何をすべきか。被災の当事者となった福島大をみると、地方の国立大の責任や目指す方向性が見えてくる。

 福島大は原発から約60キロ圏内にキャンパスがある。地震発生直後から一定の教員がしばらく大学に戻ってこなかったという。被災者でありながら、一方で大学と学生に責任を持たねばならないジレンマ。放射能による見えない不安と、収まる見込みのない原発事故。教員といっても全員が原発や放射線に科学的な知識があるわけではない。しかし、連休明けに始まる授業で学生と向き合うとき、教員が不安を持っていれば学生を安心させることはできない。

 危機感をもった大学側は放射線の知識と被災の現状を教職員で共有し、学生への指導に役立てるため、4月下旬に教職員全員を対象に「放射線リスク」や「阪神大震災と大学」についての講演会を開くことを決めた。

 秋からは福島が置かれた被災の現場そのものを考える総合科目「原子力災害と地域」という授業を設ける。原発の基礎的知識から、福島原発事故の現実、地域と原発の関係、地域再生への道も考える内容。住民や他大学生も出入り自由にする。担当の清水修二教授(地方財政論)は「原子力災害を素通りして授業なんてできない。学生とともに考え発信する」と話す。ほかにも、県内の放射線レベルを地形などに合わせて細かく計測するプロジェクトも進む。

 開かれた大学を目指し、体育館では発生直後から南相馬市からの避難者を受け入れた。最大100人いたが、いまは約50人。受験生も含めた中高生が3人。地域福祉論の鈴木典夫教授が主体になり教職員100人程度が運営にかかわり、学生ら延べ70人が子どもに勉強を教え、支援物資を運ぶ。他の国立大学や各学会に連絡し、日用品以外の本や家電も集まった。被災者の法律相談や行政への連絡も教授が受け持つ。4月中に閉鎖するが、社会貢献の実践場としての意味も大きい。

 しかし、今後、受験生が集まるのか、原発事故の復旧によっては平常に授業ができるのかさえ不透明だ。強いられた難題を前に、入戸野修学長は「学問領域を超え、震災を体験したわれわれ教職員一丸で乗り越えないと福島大は終わり。ひるむわけにはいかない」と話す。

 地域密着と高度知識を危機に役立てることが試される。

プロフィール  山上浩二郎(やまがみ・こうじろう)/朝日新聞専門記者(高等教育)
 愛媛県生まれ。1984年、朝日新聞社入社、横浜、青森支局に勤務。90年から東京社会部。教育班・文部省担当を4年間、2000年から大阪社会部次長、企画報道部次長、論説委員(教育担当)などを経て2005年に東京社会部次長。「子どもを守る」やいじめ問題などのキャンペーンを手がける。



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東日本大震災被災地における調査・研究に関する緊急声明文
社団法人日本精神神経学会
理事長 鹿島 晴雄

2011年4月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 この度の東日本大震災によって被災されました皆様に、お見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々へのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 被災地の皆様は大変な思いを持ちながら、復興に向けて懸命のご努力をされていることと存じます。日本精神神経学会と致しましても、「災害対策本部」を発足させ、被災地の精神医療支援に必要な情報を収集し、精神医療関連諸団体から派遣される「精神医療支援チーム」の後方支援活動を実施しております。
 「精神医療支援チーム」は、被災者の方々が現在、どの様な心身の状態でおられるかを確認し、心身の健康を保つための方策と、心の健康が既に損なわれていると判断された方々には適切な治療方法を、各被災者の方々の実情にあわせて提供するお手伝いをしております。

 一方、「心の状態に関する調査・研究」といった形で、精神的に傷つき、心身ともに疲弊しておられる被災者の方々を対象として、配慮を欠いた面談やアンケートによる「心の状態に関する調査・研究」が行われている実態があります。
 人を対象とした全ての「調査・研究」は、「疫学研究に関する倫理指針」、「臨床研究に関する倫理指針」等の政府省庁が定めた倫理指針に則り、倫理委員会によって、その倫理性や研究としての科学性に関して審議の上で承認を受け、承認内容に則して実施する必要があります。ところが、被災地で行われているこのような調査・研究の中には、この様な倫理的配慮がなされておらず、また、調査対象となった各被災者の方々に援助も提供しないものがあります。
 過酷な状況下におかれている被災者の方々は、「心の状態に関する調査・研究」の対象となった結果、一層の精神的負担を負い、傷ついた心の回復が遅れる、あるいは新たな心の傷を負うことが危惧されます。また、配慮を欠いた「調査・ 研究」が行われたために、被災者の方々が心を閉ざし、本来必要な「精神医療支援チーム」の活動にも支障が生じております。

 日本精神神経学会は、被災者の方々に不適切な精神的負担を強いる、倫理的配慮を欠いた調査・研究は、人道・倫理に反するものであり、強く抗議の意を表明するとともに、即刻の中止を求めます。また、人を対象とした全ての調査・ 研究に関し、政府が策定した倫理指針に則り実施されることを改めて確認させて頂きます。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/shinsai/201104/519511.html
大震災の現場から Vol.32
活躍の場を狭められたイスラエル医療班
米国NPが見た日本の医師-看護師関係と海外からの被災地支援

エクランド源稚子(Pediatrix Medical Group of Tennessee新生児NP)
日経メディカルオンライン 2011. 4. 23

 2011年3月11日、宮城県北部の三陸沖を震源とする大地震が発生した。気象庁によると、マグニチュードは国内観測史上最大の9.0。津波や火災で多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた医療機関も多数に上った。そうした悲劇的な状況の中でも、大勢の医師が、被災者に対する医療に尽力している。前例のない被害をもたらした大地震にも負けず奮闘する医師の、現場からのリポートを紹介する。

 私は米テネシー州中部の7つの病院の高度NICUや一般新生児を担当する新生児医療チームに所属するNP(ナースプラクティショナー)として、産科ともチームを組んで新生児医療に従事しています。外国生活が長い私に取って、日本は距離的には遠い場所ですが、災害が起こるといても立ってもいられなくなります。今回も、被災された皆さんや被災しながらも継続して地域の医療に当たっておられる多くの医師や看護師、他の医療者の方たちのことを思い、心苦しく思っていました。

 日本の医療関係者とメールでやり取りをする中で、現場に医療ニーズがあることは分かりました。ですが、私は米国では修士号を受け、新生児に対して診断・治療を行う資格や免許を持っているものの、日本では高校しか卒業していませんし、何の資格もありません。貢献する場所がないと半ばあきらめていた時に、徳洲会の災害医療チーム(TMAT)が海外からもメンバーを募っていると知りました。自分が新生児NPであること、NPになる前に米国で移植外科、心臓外科などで成人の看護経験があることなどを説明するメールを送ったところ、3月29日に米国を発つチームに参加できることになりました。TMATの被災地本部のある仙台徳洲会病院に到着すると、宮城県南三陸町に派遣されるチームで活動することが分かりました。

 海外の医療者を受け入れることは災害時でなければ無理でした。外部の人間で日本の資格も無いのに受け入れ、信頼して医療活動の機会を与えてくださった厚生労働省と徳洲会のTMATの皆さんには心から感謝しています。また、現地では、徳洲会のみではなく様々なボランティア医療団体の方々と働くことができました。仲間意識をもって活動をさせてくださった方たちにも感謝しています。

 個人的な自己紹介の際にはNPだと名乗りましたが、日本においてはNPは看護師です。今回、一緒に働くチームのリーダーが現地で作った役割の割り振りからも看護師として活動が主に期待されていることは明らかでした。

 海外に対する徳洲会からの募集でも、帰国するチームごとに医師2人看護師2人によってメンバーを構成するのが条件となっていましたし、私が参加したチームには十分な数の医師がいましたから、必要に応じて看護師として働くことに違和感は抱きませんでした。徳洲会のリーダーの方々にとっては米国からのNPや一般的に看護経験がないPA(フィジシャンアシスタント)の資格で参加する人材を参加させるのはかなりの冒険だったことも確かだと思います。正式にはNPが何なのかといった論議は特にチームの公の場では出ませんでした。

 そもそも今回の参加は職種よりも、1人の人間として貢献する場所があればという思いでボランティアを申し出たのですから、配膳など、医療と関係ない仕事に回ることもあり得ると思っていました。一度は海外の医療者に向けて働く許可が出たとはいえ、日本の資格なしでは何もできない状況を強いられる可能性もあると思っていたからです。

 現在日本ではNPを導入すべきかどうか揺れているのは知っていましたし、米国で診療行為を行っていても、日本では「医師に準じる資格です」とは言えません。また、正式にはNPは医師と全く別の資格です。そもそも私のNPの資格範囲はNICUという特殊な現場を取り巻く新生児集中治療で、対象は一般新生児から2歳児までですから、発災後の急性期医療から慢性期医療が求められる場所では、NPとしての経験が現場のニーズに合っているとも思いませんでした。

 ただし、成人急性期看護師時代に行っていた高齢者のルート確保や採血などは手が覚えているとの自負はあり、さらに、様々な外科処置が好きだったこと、現在も老人ホームでボランティアを続けていることなども「看護師として働ける」と考えた背景にあったのかもしれません。ある病院ではルート確保チームとして病院全体の点滴管理をする仕事をしていたこともあります。NPが医師の立場を脅かす存在ではないことを出会う方々に感じていただける機会があるかもしれないと思ったのは事実ですが…。

 ちなみに、米国ではNPは決して看護師としては働きません。私の現場では医師と並んでNPは診療報酬を得る立場であり、私が管理をしても医師が管理をしても同額の診療報酬が得られます。

日本人医療者との初めての現場体験
 私は日本生まれで、日本の医療現場で医師と看護師がやり取りする様子は、家族が入院した際などにも見ており、知識や役割が米国と随分違うことは分かっていました。けれど、それはあくまで外部者としての視点です。自分が医療者の一人として中に身を置くのは今回が初めてでした。被災地という特殊な医療現場での体験を、日本の医療事情として普遍的にとらえるには無理がありますが、それでも、医師と看護師とのやり取りや外来の問診時における看護師の役割、医師への受け渡し方、また、多くの看護師の方々との討論などから、日本と米国の違いを感じることが多々ありました。

 日本での仕事内容は、米国でNPとして仕事をするのとはもちろん、看護師として働くことと比べても大きく違いました。米国では看護師も、医師と提携しながら自分が担当する患者さんたちに対して、医療に関する責任を持つので、「先生お願いします」という感覚はありません。当然薬品の選択や量の計算、調整を絶えず考えながら仕事しています。今回の日本での看護業務にそのような部分がなかったのは慢性期患者が多かったことも一つの理由ですが、フィジカルアセスメントが看護業務にほとんど必要とされていないことも大きな理由だったと思います。そのことは、少し寂しくも感じました。

 「この程度の処置を、なぜ医師がしなければならないのだろう」と思ったことも少なからずありました。例えば、本当に軽微な小さい切り傷の処置です。家であれば、恐らく消毒して様子をみる程度のものでも、処置するのは医師です。医師である方が安心、という意味なのかもしれません。少なくとも米国で整形外科患者や腫瘍外科オペ後の患者も入院する外科ICUで看護師として働いた身には違和感がありました。

 また、小さなことかもしれませんが、今回配られたチームの名簿などで、医師とその他の職種とで、呼び方を変えられていました。私は、米国の現場で、医師もNPも看護師たちも呼吸療法士もみなファーストネームで呼び合う環境で仕事をしています。医師は●●先生、看護師は●●さんとなっているのは日本では当たり前の状況なのかもしれませんが、「さん」と「先生」という呼び方で、立場が暗黙のうちに区別されていたような不思議なものを感じました。

 看護と医師との間の隔たりも感じました。「私だったらこうするかな」と、ついうっかり口から出てしまったことを、治療に取り入れてくださった医師もおられましたが、怪訝な表情をされる方も見受けられました。数人の先生方から、「聞いたことがなかったのので、NPの話は刺激を受けた」とか、「積極的なナースだ」といったコメントもいただきましたが、それは"出しゃばりだ"という意味だったのかもしれないと後から反省したほどです。

 優秀な看護人材が沢山存在する日本では、看護師が今後復興していく地域の医療に幅広く貢献をすることが可能だと何度も感じました。けれど同時に 今回の体験を通じて、日本ではNP導入を考える前に、まずは看護の基礎教育を現状以上に幅を広げて強化し、医師が持つ看護師のイメージを変える必要もあるように感じました。

活躍の場を狭められたイスラエルの医療班
 私たちが展開していた南三陸町で活動していた、イスラエルの医療チームについても触れておきます。今回、厚労省は3月13日付けで、「東日本大震災の被災地では、海外の医師免許による医療行為も認める」と通達を出しました。イスラエルの医療チームもそのスキームで来日していたのですが、彼らが十分な能力を発揮できていたとは思えないのです。

 というのも、彼らは単独で働けるわけではなく、常に日本人医師のバックアップが義務付けられていました。ある患者さんはイスラエルチームの外科医が行った、ほぼ完治した外傷の治療のフォローアップを受けるためだけに、TMATの外来に来られました。その患者さんは英語を話されるため、「自分でイスラエルの先生に言ってもいいんだけれど」というニュアンスのことを口にされていましたが、TMATの日本医師が患者と同伴しなければ、イスラエルチームの診療は受けられません。

 母国語以外での診療ですから、通訳がついても診断するのは難しいという判断はあり得るかもしれません。ただ、既にキレイに治りつつある外傷の最後のフォローアップをイスラエルの医療チームにお願いするためだけに、日本人医師が介入する必要はないのではないかと、私だけでなく、一緒にいた医師も感じていたようです。

 イスラエルのチームは優秀なスタッフばかりのようでしたし、多くの最新の診察機器も持ち込んでいました。TMATの医師が「イスラエルの医師にお願いしたい」と考えても、外務省の腕章を付けた方が、イスラエルチームの行動を把握するように施設内に待機しており、彼らができるだけ介入しないようにと見えない糸を張り巡らさせているように感じてなりませんでした。外務省と厚労省は何か仲間割れをしているのだろうか、と素人ながら何回考えたか分かりません。

 イスラエルチームの数人と親しく懇談する機会もありましたが、懸命に「何か協力したい」と話す彼らを不憫に感じることすらあったほどです。彼らが現地に入ったのは発災17日後のことでしたが、出動準備は発災後48時間から遅くとも72時間後にはできていたそうです。到着が遅れたことについての彼らの説明は、「日本側の許可が下りなかったため」。そのときの会話から、彼らの日本の経験での落胆は尋常なレベルではなかったのではないかと、今も思っています。

米国に伝わらない日本の実情
 もう一点、今回日本の医療支援に向かうに際して、ちょっとしたいざこざがあったことを付記しておきたいと思います。冒頭でも少し触れましたが、私は全米各地で新生児集中治療や一般新生児医療を担うPediatrixという組織に、新生児NPとして所属しています。本部がフロリダに在るこの組織には、全米で 200以上の新生児専門医師/新生児NP医療グループが所属しています。さらに現在は麻酔部門や産科も所属しており、開業医グループとしては最大級です。

 ところが、日本に行くことになった時に、この組織のNPのトップが、福島原発のことなどから被ばく者として戻ってくることへの懸念を示したのです。「あなたが戻って来た場合に、未熟児などの新生児のいる環境にどのような危険があるかを十分考えなければならないし、被爆汚染が同僚にどのような影響があるのかが問題です」という電話を、出発数日前にもらいました。

 日本から帰国したら、1日置いて、またすぐ仕事に戻る予定でした。しかし、かなりの懸念を示され、「日本へ行くなとは言わないが…」と口を濁されました。私には彼女を説得する時間も余裕もなく、「問題であれば辞職しますから」と言い残して日本へ行きました。仕事よりも日本へ活動へ行くことの方が、私にとっては重要だったのです。

 米国のニュースの報道は、私が聞いていても、「日本の国民は東京から逃げなければいけない」という印象を受けるほどです。実際に、東京から出ていく人のインタビューがニュースで報道されていたりするので、日本の地理に詳しくなければ、そう思うのも致し方ないでしょう。仙台と福島、東京の地理的な違いをすべて理解してもらうのは難しいことなのです。そんな環境下では、私の出発前に電話をかけてきた上司の「患者環境への安全性」への意識は理解できます。

 ちなみに、出発前の辞職話は私がいない間に直属の上司である、新生児専門医が介入してくださり、帰国したときには一件落着していました。私は米国に戻った後も以前通りに働き、当直もしています。



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t138/201104/519576.html
日経メディカル緊急特集●ルポ 東日本大震災 奮闘する医療現場 Vol.1
増える慢性期の医療ニーズ
支援の長期化は避けられず

野村和博=日経メディカル

2011. 4. 28 日経メディカルオンライン

*本記事は5/10発行の日経メディカル5月号に掲載予定の記事です

 現地の医療者や支援チームは、物資不足に悩まされながら手探りで診療を行った。医療提供体制の再構築にはまだかなりの時間を要する。各地から派遣される医療支援チームの役割は大きい。

 おびただしい数の遺体が収容される中、早急な治療を要する通称“赤タグ”“黄タグ”の患者は極端に少なかった─。

 今回の大震災では、大津波による溺死が9割以上を占め、重症患者の救援を目的とする初期の医療支援チームの役割は限られた。一方で被災者の亜急性期・慢性期の医療ニーズは予想外に大きく、人手や物資、交通手段の不足により、その対応は困難を極めた。救援に入った医療者も、手探りの状態で支援活動を展開せざるを得なかった。

 今回の地震は、1000年に1度といわれる想定外の大津波を引き起こし、災害医療の専門家たちも手をこまぬいたという点で、医療界にも大きな教訓を残した。

医療ニーズは慢性期中心
 地震による被害を改めて振り返ってみよう。


 震災全体の人的被害は、死者1万4358人、行方不明者1万1889人。負傷者は5314人(警察庁調べ、4月25日時点)。阪神・淡路大震災では死者6434人に対して負傷者が4万3792人だったことを考えると、死者・行方不明者の多さが際立つ。

 震災直後の医療ニーズは、津波から救助された人の手当てや肺炎の治療、水にぬれたまま屋外や避難所で過ごさざるを得なかったことによる低体温症の治療が中心だった。ただ、こうした患者はさほど多く発生せず、震災直後に仙台で救援活動を行った東京医科歯科大・救急災害医学講座准教授の白石淳氏は、「死体ばかり積み上がり、助けられる傷病者はほとんどいなかった」と語る。

 その後、薬を流されて服薬が中断し、症状が悪化する人たちが続出。寒さ、食料不足による栄養状態の悪化、避難生活によるストレスなどで体調を崩す人たちが中心となった。また、衛生状態の悪化によるウイルス性腸炎、粉塵による上気道炎なども発生。現地の医療ニーズは、こうしたコモンディジーズの診療や慢性期疾患の管理がほとんどを占めたというのが、医療面の特徴だった。

被害状況には地域差
 また今回の震災では被災エリアが広範に及んだことが、被災地の医療支援を困難にした。被災者が各所に避難し、支援の手が入らない無数の“孤立地帯”が生まれた。どの地域にどれだけの被災者が集まっているのか行政も把握できず、救援に至るまで日数を要した。

 その後はこうした地域を巡回診療するため、医療支援には非常に多くのマンパワーが必要になった。例えば、本誌記者は宮城県気仙沼市で被災者の訪問診療に同行したが、半日かけて2軒の被災者宅しか訪問できなかった。被災者の多くは車を失い通院手段がなく、病院や診療所といった医療インフラも打撃を受け診療を休止したため、医療支援チームが巡回する以外に医療提供の術がなくなってしまったのである。

 さらに、町の大きさや地形などによって、家屋の被害や医療機能の破壊度合いは異なっていた。

 例えば、宮城県南三陸町。ここは震災前、人口1万7382人、世帯数5363戸の町だった。津波によって3877戸(全世帯の72%)の住居が全壊し、半壊した住居数はいまだ不明。大半の住民が避難所など自宅以外での生活を強いられている。また、医療機関も全て壊滅し、4月25日時点でもわずか2カ所の仮設診療所で診療ができているのみだ。ただ、町全体が狭く、医療の提供は集中して行えている。

 一方、同県石巻市は、基幹病院である石巻赤十字病院が被害を免れ、一部の診療所も早期に診療を再開したが、被災地域が広範にわたり、ライフラインの復旧も遅れている。避難所も散らばっており、避難者も一時11万人に上るなど多数いた。そのため、医療を必要とする人も広範囲に存在し、南三陸町のような集中的な医療の提供ができず、依然手厚い医療支援を必要としている。

 こうした地域によって異なる医療支援の実情が県などにうまく伝わらず、「現地では医療が足りている」などの情報が流布し、県医師会や行政による医療チームの派遣にも少なからぬ混乱が生じた。

DMAT、活躍の場面少なく
 迅速さという意味では、医療は適切に対応できたといえるだろう。災害医療派遣チーム(DMAT)や日本赤十字社など公的な支援制度に基づく医療チームのほか、日本医師会の災害医療派遣チーム(JMAT)、民医連や徳洲会、日本プライマリ・ケア連合学会などからも多数の医療者が現地に駆け付けた。津波の被害がなかった東北大病院や岩手医大病院など内陸の病院は、沿岸部からの重症患者を受け入れるなど、広域搬送による救援体制も機能した。

 ただし、課題も残った。こうした体制は、質的な面で実際に生じた医療ニーズとかけ離れていたからだ。

 特にDMATの動きが象徴的だ。DMATは阪神・淡路大震災を教訓に、災害直後の「防ぎ得る死」を減らすべく整備された。そのため、主に想定されていた活動内容は、建物に体を長時間挟まれたことによるクラッシュ症候群や外傷の治療、および重傷者の広域搬送といった、超急性期の医療だった。しかし、前述したように今回のような津波による被害ではそうした患者は少なく、避難所や病院に集まるのは軽症患者ばかり。せっかく集まった医師たちが“実力”を発揮できる場が限定されてしまった。

 DMATの一員として震災から2日後に気仙沼市に入った、姫野病院(福岡県大川町)救急総合診療科部長の永田高志氏は、「傷病者が少なく、ニーズの多い慢性疾患に対応したが、私自身は救急医で外科系であり処方の選択に迷うことも多かった。現場では、内科に精通したプライマリケア医が必要だと痛感した」と語っている。

 もっとも、地震発生の翌日にはおよそ1300人もの医療者が救援に参集したことは、システムとして一定の対応力を実証したといえる。現地の医療ニーズとのマッチングをいかに迅速に行うかが、DMATを含めた災害医療体制の今後の課題だ。

指揮系統に混乱も
 日医のJMATは、こうした慢性期の医療ニーズに応えるべく、今回新たに組織された。医師1人、看護師2人、事務職員1人の4人で構成されるJMATは、4月21日の時点で642チームが派遣され、145チームが今後の派遣に向けて準備中だ。

 ただ、JMATにも混乱が生じ、3月下旬に日医はJMATの派遣を一時休止した。被災地には県が派遣要請したチーム以外の医療者なども相当数入り、医師会による状況把握が困難になりつつあったからだ。

 宮城県医師会の広報担当者は、「医師会が把握している医療支援チーム以外に、個人のボランティア医師などが多数入り、医療面の支援全体の統制を取るのが難しくなった。避難所などで医療支援チームがバッティングするといった事態も生じたため、派遣の一時休止を日医にお願いした」と語る。現地できめ細かくチームを差配するには、指揮系統の整理が必要となったわけだ。

 こうした問題に対処するため、政府は4月22日、今後の中長期的な支援を統括する「被災者健康支援連絡協議会」を設置した。協議会は、日医など医療・介護団体で構成され、医療支援チームの中長期的な派遣、感染症対策など被災者の健康確保に必要な取り組みなどを一元的に管理するとしている。

 震災から40日以上が経過し、ようやく被災地の医療支援の整理が行われることになるわけだが、“一元化”で更なる指揮系統の混乱が生じる恐れもある。

医療の復旧にも地域差
 医療提供体制の復興に向けては、地域それぞれが独自の課題を抱える。例えば、医療機関が壊滅し診療を停止した南三陸町では、病院の復活を求める地元住民の声が強い。しかし、震災による死亡や他地域への避難などで、4月末時点で町の人口は6000人台と半分以下に減っている。住居が跡形もなくなったこの地域に、今後どれだけの人が戻ってくるかは不明だ。町をどのように復興させるかが決まらなければ、医療再建の青写真も描けない。

 一方、石巻市では、被災を免れた医療機関が比較的多く、震災前の医療提供体制を築く見通しは立つ。しかし、高齢者の長期療養や介護の受け皿が元々十分ではなく、これをどう構築していくかが問題となっている。

 宮古市のように、基幹病院や診療所の被害が小さかった地域では、震災前と同様の医療体制を、改めて構築し直す方向で復旧が進んでいる。県立宮古病院が無傷で残り、流された診療所も少ないため、4月末時点で医療機関はほぼ復旧した。

 岩手県釜石市は震災前から在宅医療の体制が整えられており、急変時の対応を行っていた県立釜石病院などが復活すれば、従来のような体制を敷くことができる。医療の再建に向け、道筋は見えている。

 ただ、被災地では多くの人が避難生活を送っており、そのストレスが心身面の健康を蝕んでいる。長期にわたる精神的なケアや、ADLが低下した人たちのリハビリテーション、在宅医療によるカバーなども必要になってくる。現地にどれだけの医療と介護のニーズが生じるのか、まだ十分に把握しきれていない。

 こうした患者に医療の手を差し伸べるために、医療者は今日まで、どう動いてきたのか。Vol.2以降では、医療提供体制の再構築に向けて奮闘する医療者の姿をリポートする。
  1. 2011/04/29(金) 05:08:12|
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4月27日 医療一般

http://www.medscape.com/viewarticle/741496
From Medscape Medical News
Fewer Medical Students Choosing General Internal Medicine Careers
Emma Hitt, PhD

April 25, 2011 ― Compared with graduating medical students in 1990, students in 2007 were more satisfied with internal medicine (IM) training but were more likely to select a subspecialty rather than chose general practice in IM, a new study has found.

Mark D. Schwartz, MD, from the New York University School of Medicine, New York City, and colleagues reported their findings in the April 25 issue of the Archives of Internal Medicine.

"The United States faces a troubling shortage in its primary care medical workforce," Dr. Schwartz and colleagues note, and add that "the United States is not prepared to meet the health care needs of the growing number of older adults."

According to the researchers, earlier studies indicated that the number of medical students matching into IM residency positions decreased 32% from 1985 to 2008. Furthermore, the number of US students selecting residency training in primary care IM decreased by 54% between1999 (575 US medical students) and 2008 (264 US medical students.) In addition, those choosing to practice general IM after residency training declined from 54% in 1999 to 20% in 2008.

In the current study, the researchers sought to compare responses from a secondary analysis of 2 similar surveys of senior medical students: one conducted in 1990 (1244 students at 16 schools; response rate, 75%), and the other conducted in 2007 (1177 students at 11 schools; response rate, 82%).

A similar proportion of students planning careers in IM, including both general and subspecialty careers, was reported in 1990 (24%) and 2007 (23%); however, plans to practice general IM dropped from 9% to 2% (P < .001). The researchers also found that the appeal of primary care as an influence toward IM declined from 57% to 33% (P < .001) from 1990 to 2007.

They also found that more women surveyed in 2007 than in 1990 (52% vs 37%; P < .001), and that there was greater educational debt (mean, $101,000 vs $63,000; P <.001).

Both cohorts thought that workload and stress were greater in IM than in other fields; however, more students in 2007 reported a high level of satisfaction with the IM clerkship (78% vs 38%; P < .001). In addition, students in 2007 felt that opportunities for meaningful work in IM were greater than did students in 1990 (58% vs 42%; P < .001).

"Persistent unfavorable perceptions of income disparity, workload, and stress appeared to counter the gains from perceptions of meaningful work," Dr. Schwartz and colleagues note.

They also pointed out that the income gap between generalist and subspecialist physicians is now nearly 3-fold what it was, resulting in an income disparity of $3.5 million throughout a 40-year career.

Limitations of the study include its self-report survey design, which can introduce social desirability bias; the possibility that the samples did not accurately represent the demographics of graduating classes from 1990 and from 2007; the inability to assess the influence of becoming a hospitalist on career choices for students, as that specialty was unavailable in 1990; and a lack of appreciation of the differences between general and subspecialty IM by some medical students.

"To rebuild the generalist physician workforce, improving students' experience of IM in medical school is no longer sufficient," the authors conclude. "Bolder payment and practice reform will be required to reduce the remuneration gap between primary care and subspecialty physicians and to address the adverse work conditions in general IM that students identify in clerkships."

The 1990 study was funded by the American College of Physicians and the American Board of Internal Medicine. The 2007 study was supported by the Shadyside Hospital Foundation of Pittsburgh, Pennsylvania, and the American Board of Internal Medicine Foundation. The authors have disclosed no relevant financial relationships.

Arch Intern Med. 2011;171:744-749.



http://blogs.wsj.com/health/2011/04/25/med-students-like-internal-medicine-ok-primary-care-not-so-much/?mod=WSJBlog&mod=WSJ_health
WSJ BLOGS / Health Blog : WSJ's blog on health and the business of health.
Med Students Like Internal Medicine OK. Primary Care? Not So Much.

By Katherine Hobson
APRIL 25, 2011, 5:47 PM ET

Despite some efforts to make primary care more appealing to med students and residents, there’s still a shortage of those doctors looming ― particularly with more people gaining coverage under the health-care overhaul law.

A study just published in the Archives of Internal Medicine compares med students’ attitudes about internal medicine careers in 1990 and 2007. And it finds that while about the same percentage of med students ― 23% in the earlier survey of 1,244 students, and 24% in the later survey of 1,177 students ― plan internal med careers, the proportion planning to go into primary care fell to 2% from 9%.

And the appeal of primary care as a reason to go into internal medicine fell to 33% from 57%.

Med students are “drawn more to what they see from specialties,” Mark Schwartz, a study author and associate professor of medicine at NYU Langone Medical Center, tells the Health Blog.

Med schools have made efforts to improve the quality of the internal-med educational experience, Schwartz says. But there may not be much more room for them to boost the appeal of the career ― not when there’s an estimated $3.5 million lifetime income gap between generalist and sub-specialist doctors, and the average respondent in the 2007 survey reported $101,000 in educational debt.

To significantly shore up the appeal of primary care with more money and improved work-life balance, “bolder payment and practice reform” are necessary, the authors write:

Such policies include expanding scholarships and loan repayment opportunities for those choosing primary care training and practice, addressing physician work-life concerns by carefully designing patient-centered medical home models to reward visits that are not face-to-face and promote a satisfying and sustaining clinician experience and helping primary care physicians slow the productivity treadmill by shifting away from the fee-for-service system driven by volume incentives to one driven by value incentives.

The authors note that many of those measures are part of pilot programs included in the health-care overhaul law.

As the WSJ has reported, however, where the rubber meets the road on incentives ― at least for Medicare, which also drives Medicaid and private reimbursement ― is the Relative Value Scale Update Committee, known as RUC, which is made up of physicians who decide how to divvy up the Medicare pie between types of procedures and visits.

Any tipping of the financial balance from specialties to primary-care doctors would likely have to take root there, and primary-care docs have argued that the makeup of the committee makes that unlikely.



http://archinte.ama-assn.org/cgi/content/abstract/171/8/744
Changes in Medical Students' Views of Internal Medicine Careers From 1990 to 2007
Mark D. Schwartz, MD; Steven Durning, MD; Mark Linzer, MD; Karen E. Hauer, MD
Arch Intern Med. 2011;171(8):744-749. doi:10.1001/archinternmed.2011.139
April 25, 2011

Background The United States faces a shortage of primary care physicians and declining number of medical students choosing primary care careers.

Methods We conducted a secondary analysis of 2 similar national surveys of senior medical students from 1990 and 2007 that addressed student characteristics, specialties chosen, clerkship experiences, perceptions of internal medicine (IM) compared with other specialties, and influential aspects of IM. We compared responses from 1990 and 2007 by analyzing a merged data set of identical items from the 2 surveys (65% of the items).

Results The total sample of 2421 students comprised 1244 at 16 schools in 1990 (response rate, 75%) and 1177 at 11 schools in 2007 (82%). In 2007, there were more women (52% vs 37%, P < .001) and more educational debt (mean, $101 000 vs $63 000, P < .001). Similar proportions of students planned IM careers (23% vs 24%), although plans to practice general IM dropped from 9% to 2% (P < .001). The appeal of primary care as an influence toward IM declined from 57% to 33% (P < .001). More 2007 students reported high satisfaction with the IM clerkship (78% vs 38%, P < .001). Both cohorts thought that workload and stress are greater in IM than in other fields. Students in 2007 felt that opportunities for meaningful work in IM were greater than did students in 1990 (58% vs 42%, P < .001).

Conclusions More students in 2007 than in 1990 viewed IM as a potentially meaningful career. However, the 2007 students had higher debt, more negative perceptions of workload and stress in IM, and less career interest in general IM. To rebuild the generalist physician workforce, improving students' experience of IM in medical school is no longer sufficient. Bolder reform will be required to improve the educational pipeline, practice, and payment of generalist IM physicians.



http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_130386664902.html
地域医療の現状学ぶ 大分大医学科6年生
[2011年04月27日 10:06] 大分合同新聞

91歳の男性宅を訪問し、診察をする豊後大野市民病院で実習中の石垣さん

 大分大学医学部医学科6年生が県内の8病院・診療所で2週間の実習を積む「地域医療実習」が本年度からスタートした。豊後大野市では、緒方町の市民病院(坪山明寛院長)が対象になっており、7月までに17人の“医師の卵”が地域医療の現状を学ぶ。

 実習は、学生が受け入れ先で医師と一緒に診療にあたる中で、地域医療の現状と課題を学ぶとともにやりがいを感じてもらうのが狙い。都市部の病院に医師が集中することによる地域医療の崩壊が全国的に問題になっており、同大学は「地域住民のために汗をかく医師の姿や、医者と患者の信頼関係をじかに見ることで、地域医療に貢献するモチベーションが生まれれば」としている。
 市民病院で“第1陣”として、19日から実習を行っているのは、稲田浩気さん(24)=熊本県出身、石井悠海さん(23)=大分市出身・石垣俊さん(25)=大阪府出身=の3人。指導医と一緒に風邪や腹痛などの一般的な病気の診察をしたり、患者の自宅への訪問看護などを行っている。
 「地域では、医者と患者の間に強い親密な関係が築かれている。都市部と違って病院が少ないので、より病院が頼りにされているんだと実感した」と3人は口をそろえる。
 医師になったら地元の大阪で働くことを考えていた石垣さんは、訪問看護で緒方町の91歳男性の自宅を訪ねた。看護師と男性が朗らかに交わす会話や診察中の男性がリラックスした様子から、「大学病院の患者よりも心を開いている」と感じたという。帰り際には男性から「(医者になったら)こっちに来てほしいなあ。頑張ってな」と声を掛けられた。「地域で働くという選択肢も生まれた。期待に沿えるよう頑張りたい」と笑顔で答えた。
 坪山院長は「地域には、人と人の触れ合いという医療の原点がある」と強調。「実習を通じて、いずれは地域に残りたいという人材が生まれてほしい」と期待を寄せている。



http://news.e-expo.net/world/2011/04/post-118.html
二日酔いの外科医はミスが多い
2011年4月27日 10:24 [治療]|[医療全般]

 手術前夜に過剰飲酒した外科医は、翌日の午後4時ごろになってもミスを犯す可能性が高く、ミスの発生率はランチタイムのころが最も高いことが、アイルランドの研究で示された。航空機のパイロットには搭乗前の飲酒規制ルールが適用されるが、外科医には施術にあたっての規制は存在しない。

 アイルランド、ユニバーシティ・カレッジ・コーク校医学部ヒューマンファクター(人間工学)教授のTony Gallagher氏らは、外科医に非常に高度な認知力と知覚力を要求する低侵襲の腹腔鏡手術に着目し、2つの研究を実施した。1つ目の研究では、腹腔鏡スキル初心者である科学専攻大学生16人を対象に、模擬手術の前夜に禁酒、あるいは酔った状態になるまで飲酒させた。2つ目の研究では、専門医8人に飲みたいだけ飲むことを許可した。

 飲酒指示の有無にかかわらず、被験者をディナーに集め、同席した1人以上の研究者が酩酊度を調べた。専門医は全員、ベースライン(基準度)を調べるためディナー前日に、バーチャルリアリティを利用した低侵襲手術トレーニングシステム(MIST-VR)を用いて模擬手術を実施した。ディナー翌日の午前9時、午後1時、4時に、両群ともに同システムを用いて模擬手術を実施した。

 研究の結果、学生の飲酒群と禁酒群の指定時刻でのスコアに有意差はなかったが、飲酒者のほうがミスは多かった。専門医でも飲酒に関係する同様の問題がみられたが、差は午後1 時にピークに達し、午後4時までには横ばい状態になった。ミスは1日中みられたが、午後1時時点で統計学的に有意であった。また、過剰飲酒の翌朝はベースラインよりも手技の速度が速かったが、研究者らによればこれは「抑制の喪失」によるものという。禁酒した対照群の学生ではディナー前後のミスの発生率に差がみられなかった。

 Gallagher氏は「外科医やその他の医療従事者は手術前夜に過剰飲酒してはならないことは明白である。過剰の定義は、外科医団体が定義する必要のある問題である」と述べている。研究結果は、医学誌「Archives of Surgery(外科学)」4月号に掲載された。(HealthDay News 4月18日)

http://consumer.healthday.com/Article.asp?AID=652032
Copyright (c) 2011 HealthDay. All rights reserved.

Arch Surg. 2011 Apr;146(4):419-26.
Persistent next-day effects of excessive alcohol consumption on laparoscopic surgical performance.
Gallagher AG, Boyle E, Toner P, Neary PC, Andersen DK, Satava RM, Seymour NE.
MRCS, National Surgical Training Centre, Royal College of Surgeons in Ireland, RCSI House, 121 St Stephen's Green, Dublin 2, Ireland. emboyle@rcsi.ie.

OBJECTIVE: To examine the effect of previous-day excessive alcohol consumption on laparoscopic surgical performance.

DESIGN: Study 1 was a randomized controlled trial. Study 2 was a cohort study.

SETTING: Surgical skills laboratory.

PARTICIPANTS: Sixteen science students (laparoscopic novices) participated in study 1. Eight laparoscopic experts participated in study 2.

INTERVENTIONS: All participants were trained on the Minimally Invasive Surgical Trainer Virtual Reality (MIST-VR). The participants in study 1 were randomized to either abstain from alcohol or consume alcohol until intoxicated. All study 2 subjects freely consumed alcohol until intoxicated. Subjects were assessed the following day at 9 am, 1 pm, and 4 pm on MIST-VR tasks.

MAIN OUTCOME MEASURES: Assessment measures included time, economy of diathermy use, and error scores.

RESULTS: In study 1, both groups performed similarly at baseline, but the alcohol group showed deterioration on all performance measures after alcohol consumption. Overall, although the time score differences between the 2 groups were not statistically significant (P = .29), there was a significant difference between the 2 groups' diathermy (P < .03) and error (P < .003) scores. There was also a significant effect for time of testing (P < .003), diathermy (P < .001), and errors (P < .001). In study 2, experts demonstrated a similar postalcohol performance decrement for time (P < .02), diathermy (P < .001), and error scores (P < .001).

CONCLUSION: Excessive consumption of alcohol appeared to degrade surgical performance the following day even at 4 pm, suggesting the need to define recommendations regarding alcohol consumption the night before assuming clinical surgical responsibilities.

PMID: 21502449 [PubMed - in process]


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/crm11042714330015-n1.htm
新潟大、副学長を解任「医療機器の不正契約に関連」
2011.4.27 14:31 産經新聞

 新潟大(新潟市)が永山庸男副学長(55)を解任していたことが27日、大学関係者への取材で分かった。3月31日付。大学は理由を明かしていないが、関係者は「医療機器の不正契約問題に関連している」と話している。

 大学は4月22日、50代の男性教授が学長の公印が押された偽の公文書を作成し、数十億円の医療機器の購入契約を業者と結んでいたと公表。有印公文書偽造・同行使の疑いで、近く刑事告訴する方針。

 永山氏は平成20年2月から副学長を務めていた。



http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20110427000148
13年4月に開院/統合善通寺病院、29日起工
2011/04/27 09:30 四国新聞

 国立病院機構は26日、善通寺病院(香川県善通寺市仙遊町)の敷地内に同病院と香川小児病院(同市善通寺町)を統合して整備する新病院について、2013年4月1日に診療を開始する方針を明らかにした。29日に新病院の起工式を行う。

 同機構は当初、統合時期を14年度中としていたが、地元の要望などを受けて計画を前倒し。病棟の完成時期を12年12月と1年程度早めたことに伴い、開院予定時期を翌春とした。

 新病院は一般452床、重症心身障害215床を含む全687床、32診療科を持つ同機構の四国での基幹病院。急性期医療や成育医療の中核施設として機能強化を目指す。

 新病棟は鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建ての免震構造で、現在の病棟の西側に整備する。設備棟とレストラン棟を合わせた総建築費は約99億円。新病棟の北側には県教委が県立善通寺養護学校を移転整備する。



http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-27/2011042702_02_1.html
公立病院の役割重い
参院委で山下氏 指針見直し要求

2011年4月27日(水)「しんぶん赤旗」

 参院総務委員会は26日、東日本大震災の被災者向けの支援策を盛り込んだ地方税法改正案を全会一致で可決しました。

 採決に先立つ質疑で日本共産党の山下芳生議員は、震災を踏まえて公立病院の縮小・統廃合を進めてきた総務省の「公立病院改革ガイドライン」を見直すよう求めました。

 山下氏は、全壊した8病院のうち6病院が公立病院だと指摘。「沿岸過疎地で救急を担い、過疎地の医療を支えてきた地域の基幹病院だ」と強調するとともに、多くの病院が地震直後から、(1)入院患者の避難(2)緊急の治療・救命(3)患者・住民に対する救護・医療(4)安全な場所への患者の移送 (5)医療支援チームの取りまとめ―などの役割を果たしてきたと紹介しました。

 これにたいし、大塚耕平厚労副大臣は、「(公立病院は)地域における極めて重要なインフラだ」と表明。片山善博総務相は「指摘の通り。民間の医療機関では採算の取れない医療をカバーしていた」と述べました。

 山下氏が「地方自治体が復興計画を作成する際に、公立病院の位置づけを高める必要がある」と提起したことにたいし、片山氏は「当面の再生を急ぐとともに、災害に強い病院体制をいかに確保するかを念頭において計画を作ってほしい」と答えました。

 山下氏は、総務省が、各自治体に「改革プラン」を作らせ、公立病院の縮小、再編、統合を進めてきたことを批判。ガイドラインを見直すよう求めました。

 片山氏は、「震災の教訓を踏まえ、プランが妥当かどうか点検してほしい」と答えました。
  1. 2011/04/28(木) 05:28:29|
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4月27日 震災48日

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110427-OYT1T00030.htm
被災者が病院転々、情報伝達不足でトラブル続出
(2011年4月27日03時05分 読売新聞)

 東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。

 病院や避難所を転々とする被災者が続出し、病院や高齢者施設が患者らの転院先や死亡情報を把握できなかったり、病状が引き継がれないまま患者が死亡したりした。事態を重視した厚生労働省では、患者情報の伝達を徹底するよう自治体に通知。大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。

 宮城県石巻市の石巻赤十字病院では震災直後、南三陸町の公立志津川病院に脳梗塞などで入院していた千葉茂さん(85)を受け入れた。家族によると、約1週間後に問い合わせたが「該当者はいない」と回答。今月中旬、宮城県警から「搬送から4日後に石巻赤十字病院で亡くなった」と聞かされた。病院関係者は「震災後に安否情報センターを設けたが、混乱で患者の情報を十分に管理できなかった」と話す。

 南三陸町の特別養護老人ホーム「慈恵(じけい)園」では震災直後、病院などに搬送された10人以上の入所者の所在が一時つかめなくなった。搬送される入所者の腕に氏名、生年月日を書き込んだ医療用テープを貼っており、家族らと複数の病院などを探し、4月上旬ようやく全員の所在が判明した。

 福島県でも3月中旬、大熊町の双葉病院に入院するなどしていた高齢者ら21人が避難所への搬送中や搬送後に亡くなった。県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20110426-OYT8T01096.htm
震災被害額 医療施設は137億円以上
(2011年4月27日 読売新聞)茨城

今も一部で診療制限

 東日本大震災による県内の医療施設の被害額が137億円以上に上ることが県のまとめでわかった。全体の9割以上の施設で被害が出ており、最終的な被害額は200億円を超える見通し。震災から1か月以上たった今も一部で診療を制限している医療機関もあり、被害の深刻さが改めて浮き彫りとなった。

 20床以上の医療機関の被害状況を調査し、14日までの状況を26日の県議会保健福祉委員会で報告した。

 それによると、県内185の病院うち171病院で天井ボードの崩落や内外壁のひび割れ、配管設備の破損などの建物被害を受けた。被害額はこれまでに判明しているだけで約127億円。調査途中のため「不明」としている医療機関も多く、今後さらに増える見通しだ。また、このうち74病院ではMRI(磁気共鳴画像)や放射線治療装置などの医療機器も被害を受け、建物とは別に約10億4000万円の被害が出ている。

 停電や断水も影響し、震災後は診療を制限する医療機関が相次いだ。震災から3日後の3月14日時点では、93の救急告示病院のうち44病院で入院患者を転院させたり、救急患者の搬送を軽症患者に限ったりするなどの対応に迫られた。

 発生から1か月以上過ぎた4月14日時点でも、17病院で一部制限を続けている。特に被害が深刻な筑西市民病院(筑西市)では全ての建物が使用禁止となり、プレハブで外来診療のみを対応。県北地域の災害拠点病院となる日製日立総合病院(日立市)も入院病棟など複数の建物が損傷したため、稼働病床を561床から200床以上減らしている。

 県医療対策課は「医師や病院間の連携で医療機能をなんとか維持できたが、施設には甚大な被害が出ており課題も見つかった。災害に強い医療施設の整備のため、反省点を検証していきたい」としている。

 一方、橋本知事と原中勝征・日本医師会長は26日、細川厚生労働相を訪ね、高度医療の充実などを目的に国が各都道府県に配分する地域医療再生臨時特例交付金について、上限額120億円を本県分として確保することなどを要望した。



http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13038107140074
筑西市民病院、3階以上撤去へ 秋にも入院棟新設
2011年4月26日(火) 茨城新聞

 東日本大震災で被災し「危険」と判断された筑西市民病院(同市玉戸、石川義典院長)の施設について、市は26日、特に危険な3~5階部分を撤去し、敷地内に軽量鉄骨のユニットを9月末~10月ごろをめどに新設、入院や手術に対応する方針を明らかにした。

 入院約50床を予定し「体制が整えば救急も受け入れたい」(同市)としており、建物撤去と新たな施設などで約4億5千万円を見込んでいる。

 震災後、同病院は入院患者74人を近隣の病院に転院させた。外来患者は現在、玄関前に設けた診療用のプレハブで対応している。3~5階撤去後は、待合室や医療事務室、診察室、検査室などがある1階部分のみ利用する。



http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110427ddlk08040221000c.html
筑西市民病院:3階から上を撤去、入院病棟を新設--9月に復旧見通し /茨城
毎日新聞 2011年4月27日 地方版 茨城

 筑西市は26日、東日本大震災で柱を損傷し使用できなくなった5階建ての筑西市民病院(90床)の復旧について、3階から上部を取り壊して既存の一部を活用し、入院病棟を敷地に建てる方針を明らかにした。9月にも復旧の見通しだ。

 吉沢範夫市長が記者会見で発表した復旧方針によると、鉄筋コンクリート造り5階建ての本館の1、2階を残し3~5階を解体する。1階で従来通り外来患者を診療し、2階は安全対策の緩衝のために使用しない。部分解体によって耐震性は保たれるという。

 一方、敷地内に鉄骨造り平屋の病棟(約50床)を建て、手術室も併設する。解体費と合わせた総工費は概算で約4億5000万円を見込んでいる。病院によると、今月15日に基本設計を外注した。

 同病院は県西地区の2次医療を担っていたが、被災後、駐車場にテントを張って外来患者に処方箋を発行。3月24日からはプレハブの仮設棟で外来患者の診察を再開、今月20日には仮設棟に採血・点滴室も整えたが、本格復旧が課題となっていた。【安味伸一】



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110427k0000m040168000c.html
東日本大震災:多機能携帯端末で感染症対策 岩手で開始
毎日新聞 2011年4月27日 2時30分

 東日本大震災の被災地で、スマートフォン(多機能携帯端末)を使ってインフルエンザなど感染症の蔓延(まんえん)を防ぐ取り組みを岩手県が始めた。沿岸部の避難所から毎日寄せられる症状別の患者数を内陸の中核医療機関で収集、流行の早期発見や封じ込めにつなげる狙い。ファクスやパソコンと比べ通信回線の制約が少なく、既にインフルエンザの早期収束に成功したケースも出ている。

 密閉された空間で多くの人が暮らす避難所は、感染症が発生しやすく、被災者の間で集団発生が懸念される。従来は、医療機関や学校を通じパソコンなどを使って感染症情報を集約していた。しかし、多数の医療機関が被災し、学校も避難所になるなど、把握が困難な状況に陥った。

 県は4月に入り、携帯電話会社の協力を得て、タブレット型と呼ばれる新書判ほどの大きさの端末50台を、200人以上が暮らす避難所を中心に無償で配布。加来浩器・防衛医大准教授が開発したシステムを利用し、インターネットで情報収集を始めた。避難所で治療に当たる医師や保健師が1日1回、避難者数とせきや下痢、発疹などの症状(8項目)がある患者の人数を入力。集約した情報は、関係者間で共有し、動向を監視している。

 岩手医大感染症対策室の桜井滋准教授によると、4月初め、避難所となっている同県山田町の高校で、体温が38度以上ある患者が急増。保健所や避難所の医師らと連携して患者の隔離や濃厚接触者へのインフルエンザ治療薬投与などを支援、感染の拡大を防いだ。

 桜井准教授は「このシステムを利用すれば、離れた場所からでもほぼリアルタイムに全体の動向や避難所ごとの状況を確認でき、早期に必要な支援が可能。さらに多くの避難所に協力を求めていきたい」としている。【林由紀子、清藤天】



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135845/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(支援の動き)
熊本赤十字病院に見る「自己完結型」救護
震災6時間後に「被災地に向けて前進」、陸路1600km、石巻へ

2011年4月27日 橋本佳子(m3.com編集長)

 「日赤本部とやり取りしていては時間を空費する。まず要員の決定と器材の選定、準備を行い、第一班 10人は3月11日21時に出発、第二班13人は3月12日0時に出発した。出発した時点では、『何はともあれ、北に向かう』ことを考え、目的地は定めていなかった。東名高速道路の厚木インターを過ぎた辺りで、石巻に行くことを決めた。熊本と石巻は実に1600kmの距離で、約40時間かかった」

 4月20日に、全国の日赤病院院長が集まり開催された、「日本赤十字社病院長連盟」の臨時総会「3.11 東日本大震災情報交換会」。熊本赤十字病院診療部長の宮田昭氏はこう語り、「『自己完結型』救援のあり方とは?」と題して講演した。総会では被災地の石巻赤十字病院と仙台赤十字病院のほか、支援側の代表として、熊本赤十字病院と名古屋第二赤十字病院が現状を紹介した。

 熊本赤十字病院が4月25日までに派遣したのは、延べ148人の医療者(医師39人、看護師39 人、コメディカル7人、管理要員63人)に上る。これは、職員数約1200人の1割以上に当たる数だ。現地に運んだ支援物資は、約90トン。費用は、すべて同病院の負担だ。日本赤十字社は、東日本大震災で義援金を集めているが、それらはすべて被災者支援に充てられるため、支援する側の医療機関への援助はない。

 目的を決めず北上、「時間を無駄にせず」

 全国の赤十字病院は、日本赤十字法に基づき、非常災害時などに救護に当たる救護員を置くことが求められている。熊本赤十字病院では、1チームは医師2人、看護師3人、管理要員3人を基本とし、計10チームを日ごろから準備。そのほか、特殊救護要員として、大型自動車免許やフォークリフト免許などを持ち、電気技能講習などを受けた「The Blue Guys」というスタッフも備え、年数回訓練している。「当院の救護班の体制は、他の病院よりも手厚い。災害医療では、通常診療とは違う様々なリスクが伴う。トレーニングを受けていない人がいくと、かえって危ないこともある」(宮田氏)。

 3月11日の第一班出発までの動きは早かった。地震発生後、院内にすぐに院長をトップとする対策本部を設置、テレビやインターネットなどで情報収集を始めた。「震災直後は、日赤本部も各日赤の支部も、被害の全体像を把握しておらず、どこに救護班を派遣していいかを指示できる体制になかったはず。指示を待っていたら、時間を空費する。『時間を無駄にしない、被災地に向けて前進する』のが院長の方針だった」と宮田氏は説明する。

 救護員として登録しているメンバーの中から、日常勤務の体制なども踏まえ、第一班の10人、第二班の13人を決定。第一班の救護班班長を務めたのが、38歳の外科医。トレーニングを積んでいるものの、初めての災害現場。国内では阪神・淡路大震災、海外ではスマトラ島沖地震などでの活動経験を持つベテラン医師も同行させた。また支援物資は、手が空いている職員全員を借り出し、医薬品から食料品など様々なものを準備した。

 第一班は、四輪駆動の緊急車両3台。「道が通れるかどうかも分からない。機動力、行動の自由を持つことが重要であり、万が一、何かあっても脱出できる体制にすることが必要」(宮田氏)。第二班は、10トントラック3台をチャーター、そのほか熊本赤十字病院が持つトラック2台(ウイング式とクレーン付き)なども出動。第一班と第二班は、携帯電話だけでなく、無線と衛星電話を持ち、連絡を取る体制にした。

今後も状況を見ながら支援継続


 当初は盛岡もしくは福島に行くことを想定していたが、仙台赤十字病院から、宮城県沿岸部の甚大な被害の状況を聞き、目的地を石巻赤十字病院に決定した。まず実施したのは、ニーズの評価。石巻赤十字病院のスタッフと共同して、避難所を回るなどして医療支援体制の検討をすすめた。

 その後、石巻では、14のエリアに分けて救護活動を行うようになり(『現地リポート、震災から3週間の石巻・女川の今』を参照)、熊本赤十字病院は、その一つのエリア、「東松島市成瀬地区」で定点医療、周辺地区の巡回診療、心のケア支援のほか、石巻赤十字病院の支援に当たっている。

 当初は陸路往復の負担が大きいため、現地滞在時間3日でローテーションしていたが、今は移動時間も含め7泊8日でローテーション。既に被災地に2回向かった職員もいる。「このまま余震が収まっていけば、2週間、1カ月単位でのローテーションに切り変えていくことが考えられる」と宮田氏は語る。

 熊本赤十字病院が担当する成瀬地区には、1病院と2診療所があったが、診療所は2つとも被災。「震災前も、病院の常勤医は実質的には1人で、非常勤医が来ていた。一番いいシナリオは、医療の内容が徐々に通常診療になっていくこと。我々は成瀬地区の医療が再建するまで支援を続ける。しかし、一方で、また大きな余震が起きるという悪いシナリオも考え得る。そうなれば、医療ニーズは増え、余震による精神的なダメージも相当大きいため、また大勢の医療チームを投入する。そのほか、石巻以外で支援を必要としている地域があれば、そこに向かう」(宮田氏)。

 「人、モノ、時間、院長(リーダーシップ)」が重要

 熊本赤十字病院では、国際用のERU(緊急対応ユニット)、ホークリフト、DISASTER  RESCUE車など、どこにでも駆けつけることができ、診療できる体制を備える。これは全国の赤十字病院の中でも、“重装備”だが、それは以前から災害医療に力を入れてきたからだ。かつ前述のように、震災初期の対応が終わっても、継続的にチームを派遣し、「成瀬地区」の医療支援を担当した。「たくさんのチームが入り、頻繁に入れ替わったら、コーディネートする側は非常に大変。引き継ぎもうまくいかない。『この地域はすべて熊本日赤が担当する』とし、責任を持って支援した」(宮田氏)。熊本赤十字病院においても、後方支援のためのミーティングを実施している。

 宮田氏は、「自己完結型」救護の重要性を説く。それは熊本赤十字病院のような装備の問題ではなく、第一は行動様式の問題だ。

 「寝袋、毛布などを背負ってきても、『荷物どこに置きましょうか』、『どこで仕事しましょうか』、『ご飯どこですか』と続き、『帰り道を教えてください』という人がいるが、一番やっても、やらせてもいけない例」(宮田氏)。

 宮田氏が言う「自己完結型」救援とは、「危機発生→経験→問題抽出→企画→開発→訓練→実働→問題抽出」という、サイクルを回せること。それには、「人、モノ、時間、院長(リーダーシップ)」が重要で、例えば「人」を育てるには、医療だけでなく、大型自動車免許や電気技能などの様々な技術の習得に加えて、訓練と経験が必要だという。

 さらに、宮田氏は、「全国数カ所に、日本赤十字社の本社・支部機能を介さず、即応的に救護活動をスタートする仕組みが必要」と指摘する。前述のように災害初期は、情報収集すらままならない中、本社・支部機能の指示を待っていては、対応が遅れるからだ。情報が集まり、地域全体のコーディネートが可能になれば、“司令塔”が必要になるが、それでも状況は日々変わり、臨機応変に対応していくことが求められる。「自己完結型」救援は、災害のどんなフェーズでも求められる姿勢と言える。



http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/04/20110427s01.htm
東日本大震災 医療救護支援/息の長い取り組みを望む 
2011年04月27日水曜日 河北新報 社説

 想定を超える地震津波被害に直面した医療従事者は、従来の災害医療の常識を覆されたような思いを抱いたという。宮城、岩手両県沿岸にある中核病院の中には、医師ら多くの職員が死亡、行方不明になったり、建物が使えなくなるなど医療の機能をすべて失った施設もあった。
 全国から100を超す支援班が現地入りして治療、搬送、薬の処方を施し、手薄な態勢を補った。避難所の巡回診療を行い、今のところ、疾患のある人が次々と連鎖的に命を落とすような事態は避けられている。
 病棟に寝泊まりして診察に当たった支援班、地元の医師らスタッフの奮闘をたたえたい。
 ただ、医薬品など物資が途切れたほか、特定の病院に患者が殺到する混乱も起き、行政と医療現場との情報共有や連絡調整の在り方が問われた。
 休診していた病院が診療を再開、支援班の引き揚げも一部で始まった。被災地の医療再生には長い道のりが予想される。継続的な治療と住民の健康に目配りできる息の長い取り組みを望みたい。
 災害発生から72時間以内は「急性期治療」に区分されて人命救助が優先され、各地の災害拠点病院が中心となった。
 拠点病院は緊急通信機を備え、災害派遣医療チーム(DMAT)など支援班の到着が早かったこともあり、初期対応は比較的スムーズだった。一方で必要な医療とミスマッチも起きた。
 チームは住民が倒壊家屋の下敷きになった阪神大震災を想定し、外傷患者への対応を主力としていた。
 現場で求められたのは心臓病など慢性疾患が悪化した患者や、津波で水に漬かって低体温症になったお年寄りなど内科のケア。治療の中心は早い時期から、数多くある避難所での救護、療養など次の段階に移った。
 ところが、組織的な連絡ルートづくりが遅れ、指揮命令系統が定まらなかったことなどから、正確な情報が十分に伝わらない事態が発生したという。
 災害医療の専門家によると、「慢性期治療」では、分散する患者情報を自治体が集約して、関係機関が共有する横断的な管理システムが重要とされる。
 自治体も庁舎や職員が被災しており、一概に責められないが、教訓としてシステム構築を危機管理策に加えるよう検討してもらいたい。
 現地では開業医も被災し、今後は再建を図りながら患者の診察を続けるという新たな段階を迎える。
 注意したいのは、体力が落ちた高齢者や子どもなどが感染症にかかり、集団的に広がることだ。沿岸部では下水道が回復せず、避難所の衛生状態も好転していない。
 ノロウイルス、インフルエンザのほか、がれきから飛び散った粉じんを吸ったことによる肺炎の発生リスクが高くなっているという。医師、保健師ら医療関係者が目を光らせるだけでなく、自治体、学校、コミュニティーが緊密に連携し、避難所の環境衛生対策や予防措置に万全を期してほしい。



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/bdy11042711280002-n1.htm
ニーズ変わる医療支援 避難所長く不眠…慢性疾患、基幹病院復旧も課題
2011.4.27 11:26 産經新聞

 東日本大震災で被害を受けた地域に対し、各地の医師らによる医療支援が続いている。岩手県大槌町では大阪府立病院機構の医師らによる巡回診療が継続されているが、当初は救命活動が中心だった医療支援も、次第に慢性疾患への対応などへと役割を転化。さらに、地元医療機関の再開などを受け、今後は被災地の病院に代わり重症患者を受け入れている基幹病院へのサポートが必要だという指摘も出ている。被災地への医療支援のニーズは刻々と変わっているようだ。(河居貴司)

 「震災後、血圧があがってびっくりしているんです」。今月24日、大槌町赤浜地区。地元にすむ元漁師、岡本正夫さん(89)が、集会場の一室で行われている大阪府立病院機構のメンバーが行っている巡回診療に訪れた。巡回は毎日行われ、地元の高齢者らが足を運んでいる。

 近くの診療所は津波被害で当面診療できず、地元にとっては貴重な受診の機会。岡本さんは「津波で失ったものも多いが、大阪のお医者さんにきていただき、本当に感謝している」と話す。

 大槌町の場合、地域の中核病院だった県立大槌病院が津波被害にあったほか、地域の診療所も壊滅的な打撃を受けていた。大阪府の医療チームは、大槌町の吉里吉里(きりきり)地区と赤浜地区を中心に医療をサポート。3月下旬から医師や看護師で構成されるチーム6~7人が交代で活動してきた。

 担当医によると、最近は長引く避難所暮らしなどで「眠れない」と話す人や高血圧や糖尿、ぜんそくなどの慢性疾患で診察を受ける人が多いという。「今後の生活が不安」「家族が行方不明で…」と打ち明ける人もおり、被災者のダメージの深刻さもうかがえる。

 小学校の保健室につくった簡易診療所には多い日には100人近くが受診したが、次第に1日30人程度に落ち着いたといい、小学校の再開や地域の診療所の再開などとともに、保健室の簡易診療所もいったん終了。診察にあたっていた府立母子保健総合医療センターの豊奈々絵医師も「医療ニーズは刻一刻と変わっている」と話す。

 地元医師らが仮設診療所などを徐々に開設し、地域診療の機能は回復しつつある一方、地域の基幹病院の復元は不十分だ。

 大槌町に隣接する釜石市の県立釜石病院(272床)では、建物の耐震問題で使用できない病室があり受け入れベッド数を52床に限定。重症患者の対応が十分にできず、津波被害のなかった内陸部の病院に転院する措置をとっている。

 県立釜石病院の安保正事務局長は「患者さんやご家族も大変な思いをしているが、転院先の病院にも相当の負担になっている。被災地の病院の自助努力も必要だが、今後は搬送を受け入れてくれている内陸部の中核病院などへの支援も必要になる」と指摘している。



http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110427k0000e030030000c.html
米タイム誌:選出の菅野医師「被災者、日本人の象徴で」
毎日新聞 2011年4月27日 10時45分

 【ニューヨーク山科武司】米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、同誌の招きでニューヨーク訪問中の宮城県の内科医、菅野武さん(31)が26日、毎日新聞などと会見し、「困難な状況に立ち向かう被災者、日本人の象徴として選ばれたのだと思う」と語った。

 宮城県南三陸町の公立志津川病院に勤務していた菅野さんは「津波警報後、患者を上階にすぐに移動させ、最後の患者が救出されるまで病院に滞在した」。この医師としての情熱と冷静沈着な対応がタイム誌に評価された。「(自分の)死は強く意識したが、後悔したくない」と考え、現場での活動を続けたという。現場で津波にのまれて死亡しても身元が判明するよう、普段、診療中は外している結婚指輪をつけたまま医療活動を続けた。

 菅野さんは震災2日後の3月13日朝に最後の患者と共に志津川病院を離れて石巻市に避難。自宅のある仙台に戻り、16日、妻の由紀恵さん(32)の長男出産に立ち会った。

 当初は3月いっぱいで同病院での勤務を終え、東北大医学部に戻る予定だったが、任期を4月半ばまで延長し医療現場や避難所と各地のボランティア医師団との連絡調整を続けた。

 1カ月半が経過した被災地の現状を菅野さんは、「支援チームは引き揚げつつあるが、医療面でまだ自立できない地域もある。支援のアンバランスが起きている」と指摘。「モノは足りてきたが、音楽など心を潤すものは少なく、人間らしい生活はできていない」と話し、多角的な支援の必要性を強調した。

 26日夜の同誌主催の夕食会では「日本人は必ず復興を成し遂げる」とのメッセージを訴えるという。



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110427dde041040047000c.html
東日本大震災:支援、アンバランス起きている 米誌「100人」内科医・菅野さん会見
毎日新聞 2011年4月27日 東京夕刊

 ◇米タイム誌「100人」内科医・菅野さん会見

 【ニューヨーク山科武司】米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、同誌の招きでニューヨーク訪問中の宮城県の内科医、菅野武(かんのたけし)さん(31)が26日、毎日新聞などと会見し、「困難な状況に立ち向かう被災者、日本人の代表として選ばれたのだと思う」と語った。

 宮城県南三陸町の公立志津川病院に勤務していた菅野さんは「津波警報後、患者を上階にすぐに移動させ、最後の患者が救出されるまで病院に滞在した」。この医師としての情熱と冷静沈着な対応がタイム誌に評価された。「(自分の)死は強く意識したが、後悔したくない」と考えたという。死亡しても身元が判明するよう、診療中は外している結婚指輪をつけたまま医療活動を続けた。

 菅野さんは当初3月いっぱいで同病院での勤務を終え、東北大医学部に戻る予定だったが、任期を4月半ばまで延長し、医療現場や避難所、ボランティア医師団との連絡調整を続けた。

 被災地の現状を菅野さんは、「支援チームは引き揚げつつあるが、医療面でまだ自立できない地域もある。支援のアンバランスが起きている」と指摘。「モノは足りてきたが、音楽など心を潤すものは少なく、人間らしい生活はできていない」と話し、多角的な支援の必要性を強調した。



http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110427k0000e040005000c.html
東日本大震災:皮膚や目の疾患増加 東北大医師ら巡回診療
毎日新聞 2011年4月27日 9時15分(最終更新 4月27日 11時01分)

 東北大学病院(仙台市)の眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科、皮膚科の3科の医師らによるチームが、津波で大きな被害を受けた宮城県の南三陸、女川両町で無料の巡回診療を続けている。両町内の中核病院に医師を派遣していた経緯もあり「感覚器の病気を診る3科でまとまって被災者を助けたい」と巡回に乗り出した。医師らは口々に「被災者が困っている今こそ、医師の我々にできることをしたい」と話す。巡回チームの1日に同行した。【村松洋】

 「霧がかかったみたいに見えなくなって……」。南三陸町の避難所になっている町総合体育館横にあるプレハブの仮設診療所。東北大医学系研究科の中沢徹・准教授(40)らが診察する眼科の診察室に、左目の視界の下半分がかすむという男性(66)が訪れた。今年2月末、右足の静脈に血栓ができ、同県石巻市内の病院に入院し手術を受けた。目の曇りもそのころ気づいた。退院したら眼科で診てもらう予定だったが、入院中に震災に遭い、診療を受けられなかった。

 診断は「網膜中心動脈分枝閉塞(ぶんしへいそく)症」。目にできた血栓が原因という。血栓を溶かす薬の投与など早期の治療で進行を防げた可能性もあったが、1カ月以上が経過し回復は難しい。診察時には血栓がなくなっていたため経過観察になった。男性は「早く治してもらおうと思ったが、震災で病院にもいけなかった。原因が分かって少しだけ安心した。これ以上悪くならないようにしたい」と話した。

 この仮設診療所は震災後、イスラエルから医療支援に駆け付けた医療チームが建て、残していったものだ。鉄筋コンクリート5階建ての同町の中核病院で、大津波で4階まで浸水した公立志津川病院が仮設診療所としてこのプレハブで診療を再開している。

 東北大病院の巡回診療チームは3科の医師やスタッフ、医学部の学生ら15人前後。余震の影響で診療できなかった8日を除いて4月1日から毎週金曜日、南三陸町と女川町で医療にあたっている。限られた時間で一人でも多くの患者を診察できるよう、両町内で計5台のマイクロバスで送迎し、避難所の住民に集まってもらう。

 ◇ 大分から経費支援

 中沢准教授らの発案に、知人を通して活動を知った大分県由布市の有志が支援に動いた。バスのガソリン代など必要経費約100万円のうち半分を目標に募金している。

 女川町総合運動公園にある体育館内の救護所。耳鼻咽喉科の加藤健吾医師(40)と浅田行紀医師(41)の元には、約20人の診察希望者が列を作った。町内に住む岸直勝さん(77)は、津波の後から「ゴー」という海鳴りのような音が消えない。鼓膜に異常はないが原因不明。経過観察となった。

 ◇ 震災後初の診察

 巡回チームによると、診察を受けるのは震災後初めてという人がほとんど。加藤医師は震災のために治療を受けられなかった患者の多さにやりきれない思いだが、一方で患者の変化に明るい兆しもみている。「アレルギー性鼻炎など、以前からかかっていた比較的軽微な疾患の患者も増えている。被災地でも震災前の日常が少しずつ戻り始めている兆候なのかな、とも感じるんです」

 塚田全(あきら)医師(34)は、県外から支援に来た日本皮膚科学会の医師らとともに皮膚科の診察にあたっていた。女川町立女川第一小学校で避難生活を送る阿部忠好さん(53)は頭皮の湿疹で受診した。親戚の家で週1回しか入浴できないうえ、避難生活のストレスも重なる。頭皮を殺菌する塗り薬などを処方してもらった。

 皮膚科では、頭皮がかゆくなる「脂漏性皮膚炎」や、ストレスでアトピー性皮膚炎が悪化したと訴える患者が目立つという。また、夏場になるとダニを介した感染症も懸念されるといい、布団や服を清潔な状態に保つよう、被災者やボランティアに呼びかけている。

 石巻市の親族宅に避難する及川美穂さん(31)と息子麗央(れお)君(9)は、自宅も、通院先の石巻市内の眼科も津波に流された。麗央君は震災前、近視の手前の症状とされる「仮性近視」と診断され、点眼薬で治療をしていたが、津波で夜用の点眼薬を失った。診察を受けた後、美穂さんは「薬がなくて症状が悪化しないかずっと心配だった。本当にほっとしました」と喜んだ。

 中沢准教授によると、被災者の中には津波からの避難時にコンタクトレンズやケア用品を持ち出せず、交換の期限を過ぎてもつけっぱなしにしている人も多いという。中沢准教授は「つけっぱなしだと角膜の感染症のリスクも高まる」と注意を呼びかけている。

 巡回診療は5月末まで続く。



http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110427ddm010040003000c.html
医療 水と緑の地球環境:東日本大震災 被災者の命と健康を守ろう 「空からの支援」弾み
毎日新聞 2011年4月27日 東京朝刊

 ◇ 自家用ヘリコプターも、医療・物資輸送に一役

 「東日本大震災の被災者の命と健康を守ろう」とヘリコプターの民間パイロットらによる「防災医療航空支援の会」が医師や看護師、物資の輸送に一役買っている。今回の震災に伴い、空港以外での離着陸の申請手続きが簡略化され、自家用ヘリコプターでの救援活動が容易になり、「空からの支援」に弾みがついている。【明珍美紀】

 東京都江東区新木場の東京ヘリポート。4月10日夕、赤いヘリコプターが到着し、医師の泰川恵吾さん(47)が降りてきた。

 泰川さんはこの日、防災医療航空支援の会のメンバーが操縦するヘリに乗り、宮城県気仙沼市との間を日帰りで往復した。避難所で被災者の診療に当たる地元の開業医、村岡正朗さん(49)のサポートをするためで、午前8時前に同ヘリポートを飛び立ち、約2時間後、気仙沼小学校の校庭に着陸した。

 すぐに隣接の気仙沼中学校に向かい、村岡さんが詰めている保健室に入った。パナソニックやauから寄付されたノートパソコンや通信カードと、被災地でも使える遠隔地医療用の電子カルテの機器を渡した。

 村岡さんも被災した一人。家族は無事だったものの診療所兼自宅が津波で流され、保管していた患者のカルテも失われた。「このシステムがあれば、診療情報をほかの医療機関と共有でき、災害に遭っても記録を残すことができる。診療報酬請求ができるので、地域医療の再建に役立つ」と泰川さん。村岡さんに操作の説明などをして午後3時、気仙沼を後にした。

 泰川さんは、東京女子医大救命救急センターの元ICU(集中治療室)医長だ。現在は郷里の沖縄県の宮古島を拠点に離島の訪問診療を手がけ、神奈川県鎌倉市にも診療所を開設する。

 震災発生から2週間後の3月25日、泰川さんは訪問看護師らと気仙沼市に車で向かい、10時間余をかけてたどり着いた。市民会館で寝泊まりしながら4日間、被災者を治療した。

 「衛生状態が悪いせいか気管支などの病気が目立ち、お年寄りは体が弱っていた。阪神大震災でも医療ボランティアをしたが、その時より重症だと感じた」

 日常の診療の合間を縫って「今度はいつ行けるか」と案じていたところ、高校の同級生だった土井勉さん(47)から「ヘリコプターを使えば早い。空からの応援をする」との連絡が入った。

 支援の会は、航空サービス会社を経営し、自らもヘリを操縦する土井さんやケミカル開発会社社長の奥間保胤(やすたね)さん(37)らが先月下旬に結成した。国土交通省航空局によると、空港以外の離着陸は航空法に基づき、文書での申請が必要だが、「被災地支援の特別措置として今回は電話での申請も受け付けている」という。

 空からの支援を始めた土井さんらに、「全国自家用ヘリコプター協議会」のメンバー有志も賛同し、約10機の自家用ヘリが手分けして被災地に飛んでいる。陸路での輸送が難しい孤立した地域や避難所などに食料や医療用物資などを運び、今月からは首都圏から応援に行く医師や看護師らの移動にも協力する。

 土井さんは「いまなお余震が続く状態では、陸路の交通機関が一時的にストップする心配がある。私たちパイロットも被災者の役に立ちたい」と言い、燃料の提供や支援金などの協力を呼びかける。

 活動の詳細は同支援の会(03・3521・2401)のホームページ(http://dmasf.whp.bz/)で。



http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1069/20110427_01.htm
支える人々(15)南三陸町の開業医・笹原政美さん
2011年04月27日水曜日 河北新報

◎仮設診療所で内科診療続ける/使命感持てる力注ぐ

 ―東日本大震災2日後の3月13日から、南三陸町の志津川小体育館で診察を始めた。
 
 「開業していた病院で診療中に地震が来た。高台に避難したものの、津波の勢いが強く、水が迫ってきたため、山伝いに小学校まで避難した」
 「小学校には、町中心部のお年寄りが避難していて、公立志津川病院の看護師や町の保健師と診察に当たった。自宅を流され、しばらくは体育館に寝泊まりしながらの診察だった。薬などがない状況をボランティアや警察に訴えたところ、登米市の薬局から運んできてくれた」

 ―イスラエルの医療チームが残した施設や医療器具を使って今月18日から公立志津川病院としての診療が始まった。

<カルテ全て失う>
 「もう1人の内科医と共に、1日約100人を診ている。医療態勢は向上したものの、カルテは全て失われ、患者さんも処方箋や診察券が流された。複数の医療機関にかかっていた人もいるが、まとめて診ざるを得ない。一人一人から既往症を聞き取り、カルテに落としていくゼロからのスタートだった。時間がかかり、いまだに手探りの診察が続いている」
 「町にかかりつけの医師がいる安心感は大きい。町外に避難した人も通院している。仮設でも、志津川病院の存在が町民の支えになっている」

 ―震災から1カ月半がたち、町民を診察した印象はどうか。

<集団生活で憔悴>

 「皆、憔悴(しょうすい)している。慣れない避難所での集団生活や、自宅に身を寄せている親戚の世話をしなければならない責任感などで、疲労やストレスがたまっている。診察では話の聞き役になることも重要だ。今まで十分に頑張ってきたのだから、全てを背負わないで、とアドバイスしている」

 ―医師として、南三陸町にとどまる理由は。

<町民への恩返し>
 「1999年に志津川病院から米山町国民健康保険病院(現登米市立よねやま診療所)に移ったが、その後も多くの町民が診てほしいと通ってきた。町は高齢化が進み、登米市まで来るのは一苦労な人も多かった。30代から50代を志津川で過ごし、医師として、人間として、町と町民に育ててもらったと思っている。恩返しの思いもあり、2005年に志津川に戻って『ささはら総合診療科』を開業した」
 「震災後も町にとどまるのは、恩返しの面もあるが、やはり、医師としてやらなければならない、そこから抜け出すのは許されないという使命感が一番大きい。今後も自分がやれること、持てる力を全力で注ぎ込んでいきたい」(聞き手は渡辺龍)

<ささはら・まさみ>北海道北檜山町(現せたな町)出身。札幌医科大卒。1979年、公立志津川病院勤務。89年から99年まで副院長。2005年に「ささはら総合診療科」開業



http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001104270001
消防関係者らが相馬で特別検診
2011年04月27日 朝日新聞

 ●がれき撤去など従事

 震災のがれき撤去などにあたる消防関係者や働きづめの市職員らの健康を守ろうと相馬市は26日まで、特別健康診断を実施した。全国の医師らがボランティアで協力、健診車を手配して駆け付けた。

 消防署員や消防団員、市職員ら計約400人が受診した。胸部X線や血液、尿などを検査し、問診を受けた。市は行方不明者の捜索やがれき撤去にあたる人の粉じん被害や、市職員らの体調を懸念。一方、被災地に役立ちたいと模索していた医師グループと医師出身の立谷秀清市長がつながり、実現した。診察したJR東京総合病院の小林一彦医師は「せきが続く人もおり、健康管理が大切です。長い目でみた放射線影響の評価も必要だと思う」。



http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110427ddlk08040230000c.html
東日本大震災:医療特例交付金、弾力運用を要望 厚労相に知事ら /茨城
毎日新聞 2011年4月27日 地方版 茨城

 橋本昌知事と日本医師会の原中勝征会長は26日、厚生労働省で細川律夫厚労相と面談し、東日本大震災の災害復旧対策として、国の「地域医療再生臨時特例交付金」を弾力運用するよう求める要望書を提出した。

 同交付金は、各都道府県の医師確保や救急医療体制の充実など地域の医療課題を解決するため、複数の市町村を単位とする2次医療圏を対象に交付される。一方、東日本大震災の影響で、県内の筑西市民病院や日製日立総合病院(日立市)では建物などに大きな被害が発生していることなどから、要望書では、同交付金の交付対象に災害復旧事業を加えるなど弾力的な運用を求めている。県によると、要望書を受け取った細川氏は「できるだけのことはしたい」と回答したという。【大久保陽一】



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110427t73023.htm
全国自治体、総力戦で復旧支援 被災地支える
2011年04月27日水曜日 河北新報

 東日本大震災の被災地に対する支援が、全国1771自治体による総力戦の様相を帯びてきた。広域連合は巨大組織の利点を生かし、小規模町村はきめ細かな配慮で、援助を続ける。自治体の底力が、被災地を支えている。

◎関西広域連合光る存在感/阪神の経験生かす
「長い道のり途切れなく」

 毎日午後6時半に開かれる宮城県南三陸町の災害対策本部会議。自衛隊、警察、消防に続いて関西広域連合の派遣職員が報告に立つ。
 報告内容も被災者の心のケアや栄養管理、仮設住宅の手続きと多岐にわたる。今やその存在感は絶大だ。
 志津川中では18日、関西広域連合が派遣した兵庫県教委スクールカウンセラーの臨床心理士阿部昇さん(51)が集団カウンセリングを行った。
 対象は地元の教師約20人。阿部さんは、自らも体験した阪神大震災を例に、震災後の子どもへの接し方を助言した。
 「阪神大震災では被災した子どもたちが、地震ごっこをして遊んでいたことがあった。最初は驚いたが、子どもなりに現実と向き合う工夫と理解してあげてほしい」
 教師たちには「長い道のりになるから体の力を抜いて」と語り掛け、全身の緊張をほぐす体操を指導。教師一人一人が語る震災体験に、じっと耳を傾けた。
 阿部さんは阪神大震災の後、神戸市などで被災者の心のケアを10年近く続けてきた。石巻市出身ということもあり「生まれ育った地域に息を吹き返してもらいたい」と精いっぱいの支援を誓う。
 避難所や町内全世帯を巡回して住民の健康状態をチェックする保健師チームも、関西広域連合が仕切る。
 全国各地から派遣された保健師に担当地区を割り振り、お年寄りなら介護が必要か、持病が再発していないかなどをチェックする。乳幼児の麻疹流行を防ぐため、予防接種を受けているかどうかを尋ね歩く。
 兵庫県は、宮城県とペアを組んで志津川地区を担当している。保健師大谷真理子さん(50)は「阪神大震災での経験を生かして『途切れない支援』を心掛けている」と説明する。
 さらに「医療態勢を少しずつ本来の形に戻すことが必要なので、主体となる地元の宮城県や南三陸町の保健師が動きやすいようにサポートしていくことが重要」と自らに課せられた使命を強調した。
(柏葉竜、田村賢心)

◎2万人超す人的派遣/岩手・宮城・福島に集中

義援金・救援物資も続々と

 今回の震災では、被災した岩手、宮城、福島、茨城の4県を除く全43都道府県が、人的支援に乗り出している。
 被災市町村が要請した職員派遣は7日現在で計673人。避難所の管理運営、救援物資の管理搬送、罹災(りさい)証明などの発行事務のほか、建築士、保健師などの専門職が不足していた。
 これに対し、実際の派遣人数と受け入れ人数は地図の通り。派遣職員は震災から1カ月半で優に2万人を超え、その9割超が被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県に集中している。栃木と千葉は被災地として支援を受ける一方、3県に職員を送った。
 受け入れ人数は宮城が最も多く、既に1万人を突破。その一方で福島は原発事故の影響もあり、災害規模と派遣人数に差が生じている。
 財政の厳しい小規模自治体も最大限の支援を続ける。宮城県町村会には、全国の町村から義援金や救援物資が続々届いているという。
 全国町村会長(長野県川上村長)の藤原忠彦さん(72)は「大きな被害を受けたのは沿岸部の小規模自治体。支え合い、助け合いが今でも息づく全国の町村の力と心を、東北に結集したい」と話した。
支援

◎鹿児島県4市5町→大船渡/現地本部に9人常駐

 岩手県大船渡市には、1300キロ離れた鹿児島県から市町職員が駆け付け、奮闘している。「鹿児島県大隅半島四市五町復興現地支援本部」。同市の猪川地区公民館に掲げられた、ひときわ大きな看板が、地元住民を元気づける。
 現地本部には大隅半島の4市5町から1人ずつ計9人の職員が常駐。市災害対策本部が毎日開く記者会見に出席し、不足している物資などの情報を鹿児島県の地元に伝える。
 現地本部の設置を周辺市町に呼び掛けたのは鹿児島県肝付町だった。町総務課長の前原尚文さん(55)は「長期間駐在することで、日々変化する現地の状況を的確に把握できる」と語る。
 もともと大船渡市と肝付町は、宇宙航空研究開発機構の施設が立地している縁で交流する「銀河連邦」の一員だった。震災発生から3日後には、職員5人と給水車が大船渡市に到着した。
 前原さんは「周辺市町も全面協力で一致した。東北の皆さんにはなじみが薄いかもしれないが、大隅半島の住民は一丸となって被災地を応援し続ける」と力を込めた。

◎7府県から職員1万1417人・車両49台・簡易トイレ490基…
事実上の初仕事/担当県別に援助


 「事実上の初仕事が本当に大きな仕事になった。組織の存在意義が試されているのだと肝に銘じて臨みたい」
 7府県で2010年末に発足した関西広域連合。広域企画課長の石田勝則さん(47)は、こう語って気を引き締める。16年前の阪神大震災で培ったノウハウは、被災地で遺憾なく発揮されている。
 現地では大阪、和歌山が岩手を、兵庫、徳島、鳥取が宮城を、京都、滋賀が福島をとそれぞれ担当県を決め、マンツーマンの支援を続ける。
 災害時に担当自治体を決めて人や物資の供給、各種の助言をする手法は「対口(たいこう)支援」と呼ばれ、2008年の中国・四川大地震で中国政府が実施した。復興の段階で特に効果が大きいとされる。
 関西広域連合の事務局は「被災地からの情報を知ってから動くのでは、対応が一歩も二歩も出遅れていた。まず、必要と思われる物資を届け、それから各府県が責任を持ってニーズの把握に努めた」という。
 関西広域連合から被災地への派遣は17日現在、職員1万1417人、車両49台。支援物資もアルファ米25万9311食、簡易トイレ490基、飲料水用ポリタンク5万1850個など、桁外れだ。
 「仮設住宅にはできるだけ集落単位で入居すれば、お年寄りの孤独死防止にもなる」「県外避難者を把握に努め、仮設住宅や義援金に関する情報の伝達漏れをなくす」。阪神大震災の経験を踏まえた貴重な助言の多くが、被災地で実践されつつある。



http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001104270005
平常機能は5病院
2011年04月27日 朝日新聞

 災害時に地域で傷病者の治療拠点となる「災害拠点病院」に指定された県内11病院のうち、震災発生直後から平常通り機能したのは5病院にとどまることが、26日の県議会保健福祉委員会で明らかになった。地震で建物や設備が被害を受けたことで、患者の受け入れを制限せざるをえなくなった病院が多い。

 県によると、平常通り機能したのは、なめがた地域総合(行方市)、鹿島労災(神栖市)、土浦協同(土浦市)、取手協同(取手市)、県西総合(桜川市)の5病院。県南、県西地域に集中している。

 他の6病院はいずれも、休止などには至らなかったものの、重症患者の受け入れを制限したり、逆に重症や入院が必要な患者を受け入れるために軽症や検査の患者を制限するケースがあった。

 県立中央病院(笠間市)では、救急センターに本館病棟の入院患者が移動したため、震災直後から14日まで救急患者受け入れは軽症のみに限定された。日立製作所日立総合病院(日立市)では病棟の一部が使えず、検査業務の一部ができなくなった。また、水戸赤十字病院(水戸市)では検査機器のMRIが一時使えない状態になった。

 災害拠点病院は、24時間緊急対応できることや、被災地域の患者の受け入れなどができること、設備が耐震構造であること、患者搬送用ヘリポートや簡易ベッドを備えているといった基準を満たし、県が指定する。

 県医療対策課は「診療機能が完全にストップしてしまった病院はなかったが、拠点病院としての機能を果たすための設備や要員のあり方を考える必要がある」としている。(栗田有宏)



http://www.med.or.jp/nichinews/n230505d.html
日本医師会災害対策本部会議拡大会議
JMATの今後の活動方針等を説明

日医ニュース 第1192号(平成23年5月5日)

日本医師会災害対策本部会議拡大会議/JMATの今後の活動方針等を説明(写真) 震災後三回目となる日本医師会災害対策本部会議拡大会議が四月十二日,日医会館で開催された.当日は,テレビ会議システムを使って,岩手・宮城・福島各県の現状について報告を受けるとともに,JMAT(日本医師会災害医療チーム)の今後の活動方針等について説明を行った.
 会議は横倉義武副会長の司会で開会.冒頭あいさつした原中勝征会長は,現地の意向を踏まえて,被災地の支援活動に全力で取り組んでいく意向を改めて示した.
 各県からの報告では,まず,石川育成岩手県医師会長が,JMAT撤収後の準備を着々と進めていること,四月十一日に立ち上げられた県の復興委員会に医療福祉の代表者として出席したこと等を説明.また,津波の影響もあり,阪神・淡路大震災と比べて,医療機関の復興が遅れているとして,その支援を求めた.
 伊東潤造宮城県医師会長は,JMAT宮城を編成し,どのような支援が出来るか検討を開始したことを報告するとともに,国,県に対して,失われた医療機関(八病院,六十診療所)の再建に向けた特段の配慮を求めた.
 谷雄三福島県医師会長は,強い余震が続いているためライフラインの復旧が進んでいないだけでなく,福島第一原発周辺住民の避難所生活が長期化しているとして,その支援を要請.また,避難所では,ビタミン,ミネラルが不足しているほか,脚気や感染症の集団発生も見られることから,きめ細かなサービスを提供出来る避難所も今後は必要になってくると指摘した.
 引き続き行われた日医からの説明では,石井正三常任理事がJMATの今後の活動方針として,(1)当面五月を目途に現地の要望がある地域に限定して,継続的に派遣体制を続け,その後は被災県医師会と協議すること(2)被災地から要望が強い,精神科,小児の医療チームの派遣は継続していくこと(3)被災県以外の避難所で暮らしている人々の健康管理への対応,余震,原発事故等の影響も考慮していくこと─などを説明.さらに,救急災害医療対策委員会で,JMATの派遣方法やチームのあり方等についての検討を再開する考えを示した.
 医療機関の復興に関しては,まず,羽生田俊副会長がノルウェーから提供を受け,山本保博東京臨海病院長と,災害医療ロジステック協会を通じて日医に寄贈されたプレハブ診療所を岩手県医師会に提供するとしたほか,「診療所として転用可能なプレハブ住宅等についても提供の話があり,どこにどれだけ提供出来るか早急に検討したい」と述べた.
 また,中川俊男副会長は,被災県に提供される地域医療再生基金や復興財源を地域医療の再生にも活用出来るよう,国に要望していることを説明した.
 さらに,今村聡常任理事からは,被災したにもかかわらず,避難所で診療を行っている医師に対する日医からの支援として,行った診療行為の対価を,日医に寄せられた義援金から日当の形で支払うことを決定したとの報告がなされた.
 なお,日医では,今後も,現地の状況も踏まえて本会議を適宜開催していくことにしている.



http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws6537
避難所で診療活動 自治医科大の医療チーム
末崎地区で長期にわたり支援

2011年04月7日付 3面 東海新報 大船渡市

 自治医科大学(栃木県)の医療チームは、大船渡市末崎地区を拠点に医療支援活動に励んでいる。同大学では東日本大震災の医療ボランティアの志願者がこれまで約70人に上り、被災者の心強い味方となって病気の治療と予防に奮闘している。
 医療チームは、先月25日から医療支援を開始し、派遣チームが1週間ずつ交代で診療を行っている。
 現在は第2次隊で、医師は同大学地域医療学センター地域医療学部門・同大附属病院総合診療部の神田健史助教ら3人。医師と看護師2人、薬剤師、事務の計8人のスタッフで編成し、県立大船渡病院の会議室に寝泊まりしながら避難所に通って診療を続けている。
 末崎中学校体育館の一角に設けた診療所では、医療チームが忙しく立ち働く。長引く避難所生活の中でインフルエンザにかかる人も出ており、その場合は別室に移して感染を防止している。
 医療チームは、小・中学校、公民館、寺院などを回り診療を行っており、被災者の中には急性腸炎の症状もみられるという。
 「循環器では血圧が高くなっており、被災者のストレスにも早めに対応していくことが必要」と神田助教。
 同大学には本県から栃木県を通じて支援の依頼があった。「医は仁術」として、医療ボランティアを募ったところ、これまでに70人ほどの志願者があったという。
 避難所の高齢者は「薬をいただくことができました」と笑顔で語り、医療チームの存在は大きな安心感を与えている。同地区で開業する滝田医院も津波で被災したが、同町ふるさとセンター2階で臨時診療を開始した。
 神田助教は、開業医を中心にした住民の絆やコミュニティーのつながりを感じるといい、「被災状況を見て非常に心が痛む。新しいものを描きながら再建していく必要がある。地域の医療施設が再開して順調に軌道に乗れるようにサポートしていきたい」と話す。
 医療チームの支援活動は2カ月ほど続く予定。長期にわたる医療支援は被災地の人々の復興の原動力になっている。



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110427_12
警察官に精神的ケア 本県含む3県警対象
(2011/04/27) 岩手日報

 東日本大震災で捜索活動などに当たっている警察官らが、凄惨(せいさん)な現場で精神的ショック(惨事ストレス)を受けた恐れがあるとして、警察庁が来月から対策に乗り出すことが26日、分かった。同庁による職員への惨事ストレスケアは初めて。また防衛省・自衛隊も、派遣された自衛隊員を対象に、精神面での健康状態について活動終了後から定期的に確認する。

 岩手県警は独自に、今月上旬、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病の可能性を調べるため、精神科医と協力し作成したチェック票を非常勤を含む職員約2600人に配布した。ストレスが強いと判断された職員は臨床心理士の面談を行う予定だ。

 同僚の殉職や、津波発生時の避難誘導などで大きなストレスを抱えていた沿岸各署の延べ31人については、既に臨床心理士の面談を実施している。

 警察庁によると、ケアの対象は岩手、宮城、福島の3県警の全警察官・警察職員の計約1万500人で、問診票を配り震災対応後の心身の状態について調査。惨事ストレスが強い場合、PTSDを発症する恐れもあり、ストレスが強いとみられる職員には来月、委託先の民間機関から臨床心理士らのチームを派遣し、面談を行う。

 3県警では捜索活動や検視、被災者対応に当たった職員などから「眠れない」といった心身の不調を訴える声があり、警察庁に対策の要望が寄せられていた。同庁給与厚生課は「職員自身も被災者というケースもあり、早めに手を打つ必要がある」と説明。被災地へは、他の都道府県警も派遣しており、同庁は対象を広げるかどうかも含め、対策を検討していく。

 一方、過去最大の10万人態勢で災害派遣に臨んでいる自衛隊も、被災地での遺体収容や原発事故対処などで隊員の精神的負担が大きく、PTSDを発症する可能性があると判断。活動を終えてから1カ月後、半年後、1年後をめどに質問項目に記入する形式で心理状態を調査する方針だ。

 調査では任務内容などの事実関係のほか、「きっかけがなくても、被災地での体験を思い出してしまうか」などと現在の心情を尋ねる予定。必要な場合には、臨床心理士や精神科医によるカウンセリング、診察も行う。

 惨事ストレスとは ひどい災害や事件事故などの現場に直面し受けるストレス反応。当事者だけでなく、救助に当たる医療関係者や自衛隊員などにも起こり得る。摂食・睡眠障害、抑うつなどの症状が現れ、PTSDに進行する恐れがある。



http://www.atpress.ne.jp/view/20139
プレスリリース 株式会社ケアネット
被災地医療チームの要望に対応、情報ハブシステム提供ほか後方支援開始
―日本プライマリ・ケア連合学会の医療支援プロジェクト(PCAT)に協力―

2011年04月27日

 医師・医療従事者へ専門情報を提供する株式会社ケアネット(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:大野 元泰、証券コード:2150)は、日本プライマリ・ケア連合学会(事務局:千代田区)による東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の趣旨に賛同し、情報ハブシステムやコンテンツ提供などの後方支援を実施することを発表いたします。

 3月11日の震災発生以降、医師団体・NPO・NGOなど多数の団体より医療チームが派遣されていますが、発生から1ヶ月以上が経過した現在、被災地の医療チームを取り巻く多くの課題が徐々に明らかになってきています。
 その中で、生活環境と共に被災者の方々の状況も変化し、慢性疾患の治療や心のケアを必要とする患者さんが増え、それらを総合的に診療できるプライマリ・ケア医の果たす役割が非常に大きくなっています。

 そこで当社では、これまで行ってきた被災地市民向け医療相談サイトの立ち上げや、医薬品検索アプリの無料提供など一連の取り組みに加え、日本プライマリ・ケア連合学会を情報・コンテンツ面で支援させて頂くことといたしました。既にPCATより派遣された医師の先生方のご要望・ご意見を踏まえて以下の内容でスタートし、今後も随時追加支援を行ってまいります。

【 PCAT支援内容 】
1. 被災地後方支援システム「LOGIO」の開発
2. 災害医療および亜急性期・慢性期に役立つ学習コンテンツ・アプリの無償提供
3. 「派遣支援者のための研修プログラム」eラーニング講義収録
4. 上記1~3をデバイス収載の上で医療チームに提供

■ 1. 被災地後方支援システム「LOGIO」の開発

 不足物資・活動内容について位置情報と共に携帯電話から登録するシステムです。医薬品をはじめとした物資について「必要なモノが全くなく、不要なモノが送付されてくる」、また「本部と連絡が取りづらい」「避難所によって医療スタッフの数に偏りがある」などの声から、要望把握およびコメント機能のみに絞り、使いやすい仕組みとしています。携帯電話(※1)のほかスマートデバイス(※2)からも利用可能で、スタッフの要望の登録場所はGoogle Map上で確認することができます。
 (※1) docomo/au/SoftBank、(※2) iPhone/iPad/Android

■ 2. 災害医療および亜急性期・慢性期に役立つ学習コンテンツ・アプリの無償提供
 停電による在宅医療への影響、長引く避難所生活から褥瘡(床ずれ/皮膚の壊死)ができる患者が増えるなど、災害時の亜急性期~慢性期の状況に必要な医療について、当社が企画制作した動画コンテンツを提供します。また、当社で企画制作した医療用医薬品検索アプリ「DrugOn MD」(ドラゴン・エムディー)も提供し、限られた医薬品の中で治療したり、初めて診療する患者さんの常用薬を調べたりする場合にご活用頂きます。

◆提供コンテンツ
<動画コンテンツ>
『骨太!Dr.仲田のダイナミック整形外科 実戦!整形外科的外傷学』
『平本式 皮膚科虎の巻』
『実践的ラップ療法のコツ』(床ずれの治療解説)ほか多数
<iPhoneアプリ>
『DrugOn MD』 http://itunes.apple.com/jp/app/id414833940?mt=8

■ 3. 「派遣支援者のための研修プログラム」eラーニング講義収録

 感染症・放射線被曝・心のケアなど、被災地で必要とされる知識の事前レクチャーとしてご利用頂けるよう、eラーニング形式で講義を収録します。

■ 4. 上記1~3をデバイス収載の上で医療チームに提供
 上記1~3を収載したiPad50台をPCAT医療チームに提供し、被災地医療において役立てて頂きます。PCATでは3月17日より医療チームとしてのべ76名を派遣していますが、4月下旬出発予定者よりコンテンツ収載済みiPadを現地に持参し、上記コンテンツの閲覧のほか被災者の健康管理・調査などにも利用予定です。


【 一般社団法人 日本プライマリ・ケア連合学会について 】
2010年5月1日、日本プライマリ・ケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会の3学会が合併して設立。前沢政次理事長。
所在地: 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-5 東京都医師会館302号
TEL  : 03-5281-9781
FAX  : 03-5281-9780
URL  : http://www.primary-care.or.jp/

◆ 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)について
詳細URL http://pcat.primary-care.or.jp/htdocs/

【『CareNet.com』(ケアネット・ドットコム)について】
 10万人の医師会員を含む医療従事者向けの臨床医学情報専門サイトです(会員制、無料)。日々の診療に役立つ情報、“臨床力”の向上に役立つ医学・医療コンテンツを提供しています。
 多忙な医師がスピーディーに医薬情報(病態・作用メカニズムなど)を習得できる『eディテーリング(R)』、全国のべ3,256人の臨床医が参加した日本最大級のがん治療実態調査「OncoJ(R)」(オンコ・ジェイ)、抗がん剤の適正投与量や副作用の対処法を解説した「実践!化学療法」、その他医療ニュースや各種学会情報、動画インタビューなど、医師・医療従事者の効率的な情報収集を支援するサービスとなっています。
URL: http://www.carenet.com/index.php

【会社概要】
社名  : 株式会社ケアネット
所在地 : 東京都千代田区九段南1-5-6 りそな九段ビル
代表者 : 代表取締役社長 大野 元泰
公開市場: 東証マザーズ(証券コード:2150)
設立  : 1996年7月
従業員数: 79名
事業内容: 製薬企業向けの医薬営業支援/マーケティング調査サービス
      医師・医療従事者向けの医療コンテンツサービス
URL   : http://www.carenet.co.jp/
【本件に関するお問い合わせ先】
@Press運営事務局までご連絡ください。ご連絡先をお伝えいたします。
お問い合わせの際は記事番号「20139」を担当にお伝えください。
TEL  : 03-5361-8630
E-mail:support@atpress.ne.jp



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20110427-OYT8T00738.htm
ヨルダン医療隊「復興の力に」
(2011年4月27日 読売新聞)福島

エコノミー症候群診察

 ヨルダンの医療支援隊が25日、福島市内の避難所でエコノミークラス症候群の診察を始めた。狭い空間で長時間同じ姿勢を取り続けると血行が悪化して発症しやすくなるとされており、同隊は約3週間、県内各地の避難所を回って健康をチェックする。

 今回の震災では、国の特例で日本の医師免許のない医師による医療行為が認められた。外国人医師でつくる支援隊の受け入れは、宮城県南三陸町で活動したイスラエル軍の緊急医療支援隊に続いて2例目だ。

 本県を訪れているのは、ヨルダンの王立軍事病院の医師2人と超音波技師2人。県立医大の医師らとともに、超音波測定器を利用して避難者の血栓の状況を調べ、健康状態のチェックを行う。

 25日は約120人が避難している福島市飯坂町の「パルセいいざか」で診察を行い、足の血栓の有無などをチェック、適度な運動をすることなどのアドバイスをした。隊長のオマール・ゾウビー医師(51)は「イラクなど戦地での医療活動の経験はあるが、被災地での活動は初めて。日本の復興のために少しでも力になりたい」と真剣なまなざしで診察にあたった。

 南相馬市原町区から避難している自営業井上昌光さん(54)は「避難生活が1か月を過ぎ、健康状態が不安だったけど、問題ないと言われて安心した」と話していた。



http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201104/h1104274.html
【釜石】プレハブ救護所を設置 日本赤十字社
(2011.4.27) 岩手日報

 釜石市内で医療支援活動を行う日本赤十字社は26日、同市鈴子町の鈴子広場にユニットハウス型(プレハブ)の救護所を設置した。

 東京都の建設会社から提供を受け4棟を設置。医師や看護師たちは新しい救護所に荷物を移し、早速患者の診察に当たった。

 日赤は震災後、同広場に設置したテント内で診療活動を行ってきたが、強風でテントが破損したり雨で地面がぬかるんだりして対応に苦慮していた。

 薬をもらいに訪れた同市小佐野の柏舘義信さん(70)は「以前はテントでの診療だったが、建物の中の方が快適で安心だ」と笑顔を見せた。

 藤井ひかり医師(27)は「被災者もだんだんと疲れが出てきている。ゆっくり話を聞くことで、少しでもサポートしたい」と語る。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=40020
被災地医療 重い課題
(2011年4月27日 読売新聞)

患者情報足りず死亡 搬送後、所在つかめず

 東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。

 病院や避難所を転々とする被災者が続出し、病院や高齢者施設が患者らの転院先や死亡情報を把握できなかったり、病状が引き継がれないまま患者が死亡したりした。事態を重視した厚生労働省では、患者情報の伝達を徹底するよう自治体に通知。大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。
厚労省、連携徹底を通知

 宮城県石巻市の石巻赤十字病院では震災直後、南三陸町の公立志津川病院に脳梗塞などで入院していた千葉茂さん(85)を受け入れた。家族によると、約1週間後に問い合わせたが「該当者はいない」と回答。今月中旬、宮城県警から「搬送から4日後に石巻赤十字病院で亡くなった」と聞かされた。病院関係者は「震災後に安否情報センターを設けたが、混乱で患者の情報を十分に管理できなかった」と話す。

 南三陸町の特別養護老人ホーム「慈恵(じけい)園」では震災直後、病院などに搬送された10人以上の入所者の所在が一時つかめなくなった。搬送される入所者の腕に氏名、生年月日を書き込んだ医療用テープを貼っており、家族らと複数の病院などを探し、4月上旬ようやく全員の所在が判明した。

 福島県でも3月中旬、大熊町の双葉病院に入院するなどしていた高齢者ら21人が避難所への搬送中や搬送後に亡くなった。県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。

 日本医師会でも、現場の医師同士が患者の情報を共有できるよう、先月下旬から、赤(要治療)、黄(要注意)、白(要観察)の3色に分類した「トリアージカード」を診察した患者に渡すようにした。

 厚労省は、阪神大震災を受け、災害時の医療機関同士の連携をスムーズにすることなどを目的に、病院防災マニュアルの指針を策定し、導入を促した。しかし実効性について、問題を指摘する専門家もいる。

 宮城県の被災地で医療体制作りに取り組む東北大学医学部・上原鳴夫教授は「マニュアルがあっても、具体的な情報伝達方法まで決めていない所が少なくないのではないか。家族に情報提供する職員を決め、情報が集約される仕組みを作っておく必要がある。周辺の医療機関との事前協議も不可欠」とする。石巻赤十字病院でもマニュアルを見直す方向だ。

 厚労省医政局は「震災直後の限られた人員の中でどうやって確実に情報を伝えればいいのか、検討する必要がある」と話している。(小泉朋子、石坂麻子、森田啓文)
  1. 2011/04/28(木) 05:26:39|
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4月26日 医療一般記事

http://www.m3.com/iryoIshin/article/135826/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
医療維新
「初期研修は出身大学の県で」との提案を撤回、日医
関係団体からの批判を受け医師養成制度・改革案を修正

2011年4月26日 村山みのり(m3.com編集部)

 日本医師会は、医師養成制度の改革案について、2011年1月に発表した「初期臨床研修は、原則、出身大学の所在する都道府県で行う」との提案を撤回し、「出身大学に設置された臨床研修センターに軸足を置きつつ、研修希望者の意思を勘案し、地域を定めず研修先を決定する」との方針に転換したと発表した。4月24日の第124回日本医師会定例代議員会で、代議員からの質問への回答として明らかにしたもの(「医師養成についての日本医師会の提案--医学部教育と初期臨床研修制度の見直し(案)」の概要は『日医、医師養成制度の改革案発表、「医学教養」導入など提案』参照)。

 岩砂和雄・副会長は、初期臨床研修を原則、出身大学の所在都道府県で行うとした案に対し、都道府県医師会や関係団体から反対意見が多く上ったと説明。また、一般教養を「医学教養」として見直すとの提案にも、リベラルアーツの重視を求める指摘があり、見直しを行ったとした。

【石川県代議員・紺谷一浩氏の質問(個人質問)】

 医師は、患者・地域住民の健康と命を守る極めて倫理性の高い職業であり、医学教育においては、広くリベラルアーツを学ぶことが極めて重要。日医の医師養成改革案では、一般教養を見直し、医学教養とするとしている。リベラルアーツに充てる時間が全く担保されておらず、深い思索・探求力を陶冶することが事実上困難。

 また、医学部教育6年間、初期臨床研修2年間を出身大学の所在都道府県で行うとのことだが、大学医学部の設置状況と国民の生活区域、住民数はミスマッチしており、さらに高等学校終了時という未成熟な若者に、8年間の行動様式を強要することになる。現在の医師不足・偏在を解消するために、研修医の行動を拘束することはナンセンスである。医師偏在の解消が大きな動機であり、医師の生涯教育の観点が抜け落ちている。

【岩砂和雄・副会長の回答】

 医師養成についての日医案は、1月に提示した段階では、今後、検討を深めることを前提としていた。しかし、その説明が不十分であり、成案として受け止められ、混乱を来たしたとすれば、誠に遺憾であり、お詫びする。都道府県医師会・関係団体から様々な批判を含む意見をいただいた。

 リベラルアーツの重要性について、立花隆氏は、「リベラルアーツはバランスの取れたジェネラルな知識を与えることで、物事をトータルに見ることができる人間を育てようとすること」(1997年『知的亡国論』)と述べている。また、病院団体からも、「面接の際、研修医にリベラルアーツが欠けていることを実感する」との意見があった。そこで、医師がリベラルアーツを学ぶことの重要性に鑑み、「一般教養のあり方を見直し、大学6年間を通じたリベラルアーツ教育により、医師としての資質を涵養する」と変更した。

 出身大学の所在都道府県で医学部・初期研修の8年間を過ごすことについては、医師の地域偏在を解消し、若手医師が地域医療を担ってくれることを期待したものだった。しかし、これには賛成もあったが多くの批判もあった。そこで、「研修希望者は、出身大学に設置された臨床研修センターに登録し、臨床研修センターは研修希望者の意思を勘案し、地域を定めず研修先を決定する」との内容に修正した。研修希望者は、母校に軸足を置きつつも、希望する研修機関で体系的な研修を受けることができる内容の提案とした。

【北海道代議員・畑俊一氏の質問(ブロック代表質問)】

 次の3点について、どのように考えるか。(1)将来の状況変化を踏まえた適正医師数、(2)女性医師の活用、(3)医師の地域偏在・診療科偏在にいかに取り組むか。

 (1)日医は、昨今の医学部定員増、またわが国の人口減により、医療需要に対処できる一定の医師数は確保できると推計している。しかし、高齢化による有病率・重症率の上昇、医療の高度化、在宅医療推進、プライマリケア医・臓器別専門医の割合、女性医師の活動度合いなど、従来の人口1000人当たり医師数という概念を超えた考慮が必要となり、医師養成数のあり方について弾力的な対処が求められる。

 (2)女性の医学部入学者・29歳以下の医師に占める割合が増加しているが、ワーク・ライフ・バランスの確率していないわが国において、女性医師の勤務環境は過酷。現実に、地方で勤務しない、ハードな科を選択しないなど、医師不足・医師偏在の問題に、女性医師の問題が大きく関わっていることは事実。女性医師が希望を持って働く環境を整備しなければ、医師養成数は確保されても、実働医師数は増えない。

 (3)医師養成制度改革案における、「原則として出身大学の所在都道府県で初期臨床研修を行う」との考えは、医師の地域偏在解消の糸口となる、説得力のある案と思われる。しかし、現状では、地方では優秀な学生が中央を目指し、地元医学部受験を避ける可能性が危惧される。また、既に都道府県の枠組みを越えて医療連携が進んでいる地域もあり、時代に逆行しているとの意見もある。

【羽生田俊・常任理事の回答】

 (1)適正な医師数の基準は、総論的には人口1000人当たり医師数であり、現在日本は2.2人(OECD加盟33カ国中30位)。OECD平均の3.1人をまずはクリアしたい。地域における必要医師数は、年齢構成、疾病構造、面積・地形、人口分布、医療機関数・形態、診療科分布、患者ニーズの変化などによって異なる。複数因子を考慮しつつ、必要医師数の見直しを適宜行っていく。必要医師数の実態把握について、日医の「医師確保のための実態調査」(2008年)、厚生労働省「病院等における必要医師数実態調査」(2010年)では、いずれも「現状の1.1倍程度の医師数が必要」との結果だった。しかし、これらはあくまで現状の必要数の調査。勤務医の過重労働を緩和し、あるべき医療を提供するための必要医師数については、今後、継続的に調査・把握し、それに応じた見直し・提言を行っていく。

 (2)今年度の医師国家試験では、女性医師の割合は32.5%。女性医師が妊娠・出産・育児を理由に離職してしまうことがないよう、勤務環境整備・支援策が肝要。女性医師の勤務環境改善は、男性医師の勤務環境改善にも繋がることは周知の事実。確かに、女性医師の診療科別医師数比率では、外科系・救急医療などが低い傾向となっている。しかし、医師不足、勤務医の過重労働、不確定要素の多い医療への国民の過剰な期待、医療事故責任追及への恐れなどから、若い世代の男性医師も、勤務が過酷であり、リスクの高い診療科を回避するようになってきており、仕事よりも自身の生活を優先する傾向がある。そもそも医師偏在は、長年の医療費抑制策が主因。今後も医師の勤務環境改善に全力で取り組む。

 (3)改革案発表後、各都道府県医師会などから意見をいただき、見直しを行った。当初、「原則、出身大学の都道府県で初期臨床研修を行う」としていたが、「出身大学に軸足を置きつつも、研修希望者の意向を勘案し、出身大学の都道府県以外も含めて研修先を決定する」と、弾力性を持った内容に変更した。初期臨床研修を成果あるものにするために、医師会・大学・医療機関・行政・住民の参加による「医師研修機構」の創設、卒業生の軸足となるべき出身大学の臨床研修センターを置くとの方針には変わりはない。また、臨床研修の定数は卒業生と概ね一致させる必要があると考えている。



http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/0004001804.shtml
豊岡病院拠点のドクターヘリ 出動件数は全国最多 
(2011/04/26 11:02) 神戸新聞

 公立豊岡病院は25日、同病院を拠点に昨年4月、兵庫、京都、鳥取の3府県で共同運航を始めたドクターヘリの2010年度出動件数が847件で全国最多となった、と発表した。対象地域に山間部が多く、救急車の搬送に時間がかかる地理的背景もあるが、同病院は「出動要請する消防本部との連携がうまくいった結果」としている。

 10年度、出動件数が2番目に多かった日本医科大学千葉北総病院(千葉県)は753件で、100件近く差が付いた。昨年4月17日の運航開始から丸1年の出動件数は881件だった。

 出動先は、兵庫県が634件(74・8%)、京都府が180件(21・3%)、鳥取県が33件(3・9%)。1日平均2・4件で、月別では8月が最多の103件(1日3・3件)、最少は降雪のため出動できない日が多かった1月の32回(同1件)だった。降雪などで終日運行できなかった日は15日あった。

 会見した小林誠人・同病院但馬救命救急センター長は「1年目としては、非常に大きな数字を残せた」と述べ、「予測生存率が50%以下の重傷外傷患者に限ると、救命率は2~3倍に上がった」と有用性を強調した。ドクターヘリは、医師と看護師が同乗して患者のもとへ急行。治療を施し、病院に搬送する。豊岡病院拠点のヘリは11年度、関西広域連合に移管されたが、これまで通り運航を続ける。
(西井由比子)



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201104260038.html
ドクターヘリ訓練で威力確認
'11/4/26 中国新聞

 島根県は25日、医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)の6月導入を目指し、初の運航訓練を出雲市消防本部と共同実施した。県内9消防本部で計18回実施し、出動要請から患者搬送までを確認。円滑で安全な運用に備える。

 訓練には、市消防本部の隊員と県立中央病院(出雲市)の医師や看護師たち計20人が参加した。交通事故による重傷者1人をヘリで同病院へ搬送するまでの手順をチェックした。

 中央病院から北東約18キロ離れた伊野小(同市)近くの農道で交通事故が発生した―と想定。ヘリは要請から約12分後、同小校庭に到着した。ヘリに同乗した医師と看護師が、負傷者に人工呼吸などの応急処置を施し、ヘリに運び込んだ。

 初期の救命措置までに要したのは約20分で、陸上搬送の約3分の1に短縮した。中央病院の山森祐治救命救急科部長は「ヘリは中山間地が多く東西に長い島根県では特に有効。防災無線を活用した患者の情報収集も徹底していきたい」と話していた。



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110426/shg11042602350002-n1.htm
県と大阪府 ドクターヘリ共同運航 あすにもスタート 滋賀
2011.4.26 02:34 産經新聞 滋賀

 近畿2府4県で唯一ドクターヘリが飛ばない空白地域だった県と、大阪府のドクターヘリの共同運航が27日にも始まる。当初は3月中の開始を目指していたが、東日本大震災の被災地にドクターヘリが派遣されていたため、延期となっていた。25日には県が大津市などで患者の搬送訓練を実施。26日も長浜市で同様の訓練を行い、問題がなければ予定通り27日に運航を開始する。

 共同運航するドクターヘリは大阪府の所有で、大阪大医学部付属病院(大阪府吹田市)を拠点に、30分以内で県内のほぼ全域に到着できる。救急医療機器を装備し、専門医や看護師が同乗して救急治療や病院への緊急搬送などを行う。

 県内でドクターヘリから患者を受け入れる医療機関は、大津赤十字病院(大津市)、長浜赤十字病院(長浜市)、滋賀医大付属病院(大津市)、公立甲賀病院(甲賀市)など10カ所。県は大阪府に対し、1回の出動につき34万2千円を支払う。

 25日の訓練は、朽木スキー場(高島市)からドクターヘリに患者を乗せ、皇子山陸上競技場(大津市)に着陸し、救急車で大津赤十字病院まで搬送した。

 大阪府のドクターヘリは平成20年から運航を始めており、すでに奈良県や和歌山県と共同運航している。24年度以降は県や大阪、兵庫など2府5県でつくる広域地方公共団体「関西広域連合」が運航を引き継ぐため、県との共同運航も広域連合に移管される予定。



http://www.y-mainichi.co.jp/news/18192/
2年ぶりに常駐医 竹富島診療所
2011/04/26 八重山毎日新聞

東京から堀田医師が着任
島を挙げて歓迎


住民のガーリで歓迎を受けた竹富診療所常駐医に就任した堀田洋夫氏と夫人の義子さん=25日午前、竹富港桟橋

 【竹富】常駐医師が不在だった町立竹富診療所に25日、堀田洋夫医師(72)が着任した。同日午前、町役場で委嘱状交付式が行われたあと、堀田氏は石垣港離島ターミナルから竹富島に向かった。竹富港の桟橋では大勢の町民が堀田氏を出迎え、2年ぶり常駐医赴任を喜んだ。堀田氏は「(皆さんの歓迎に)こんなにうれしいことはない。なんとか頑張ってみたい」と住民の歓迎ぶりに驚きながら、顔をほころばせた。

 町立竹富診療所では、医師の退職で2009年4月から常駐医が不在となり、県立八重山病院や黒島診療所の協力で巡回診療が行われてきた。
 東京都青梅市の診療所に勤めていた堀田氏はこれまでに観光で竹富島を訪れており、09年秋ごろ、竹富診療所への常駐医就任を打診され、夫人の義子さん(65)とともに移住してきた。

 委嘱状交付式では川満栄長町長が「先生の存在だけで住民に安心感が広がり、元気になる。無理をなさらずにこれまで培ってきた経験や力を存分に発揮してほしい」と激励した。
 堀田氏は「東京都の診療所の整理があり、時間がかかってしまった。竹富で仕事をすることになり、責任の重さを痛感しているが、頑張れる間は頑張ろうと思っている。島の人々の信頼を得られるか不安もあるが、よろしくお願いしたい」と話した。

 竹富港では、大勢の住民がトンチャーマ(歓迎の踊り)で堀田氏を出迎えた。上瀬頭芳徳公民館長は「東京から竹富まで来ていただき、島を挙げて喜んでいる。2年間待ち続けていた。先生がいてくれるだけで住民の健康状態も変わる。島のお年寄りが長生きできるように手助けしてほしい」と堀田氏の着任に感謝した。
 竹富島出身で堀田氏に同行した富本傳副町長も「2年間にわたる熱意でわれわれの思いがしっかり通じたかと思う。先生の生活環境が一転するので、島の人々も先生の心身を支えてほしい」と住民に協力を求めた。


http://www.y-mainichi.co.jp/news/18187/
堀田医師もびっくり
2011/04/26 八重山毎日新聞

 2年ぶりに常駐医が着任した竹富診療所。堀田洋夫氏を乗せた船が竹富港に着くと、桟橋では大勢の住民が「トンチャーマ」(歓迎の踊り)で出迎えた。同じ船に乗船していた観光客も驚いた様子で見学し、カメラに収めるなど思わぬイベントを満喫。堀田氏も「こんなに歓迎されるとは」と圧倒された様子で「こんなに元気な人たちなら診療の必要もないのでは…」と冗談も。

 島の未来を考える島民会議から東日本大震災の支援策について要請を受けた石垣市。避難者に提供できる宿泊施設の戸数や部屋数の公表など数字を伴う具体的な項目を盛り込んだ前回の要請については「決済中」「あす公表する」と回答した。26日の記者懇談会で市長が発表することになっており、記者が質問しても「あす」とガードは堅かった。



http://www.shimotsuke.co.jp/town/life/medical/news/20110426/505173
栃木の下都賀総合など 「3病院統合」県計画案に 国交付金目指し6月提出
(4月26日 05:00) 下野新聞

 県は国の地域医療再生臨時特例交付金(最高120億円)を受けるための条件となる「地域医療再生計画」案に、栃木市が提案する下都賀総合病院、とちの木病院、下都賀郡市医師100+ 件会病院の経営統合案を盛り込み、6月に提出する方針を固めた。計画案には3病院の新たな運営形態や機能などを盛り込む方向で、現在、市と3病院が県を交えて検討している。

 県はこれ以外に県内の医療機関や関係団体から受けた提案と合わせ、県全体の計画を立案する。県は当初、3月28日に計画案に関する説明会を開く予定だったが、東日本大震災の発生で中止した。

 計画案の提出期限は5月16日だったが、震災対応に追われた都道府県からの要望を受け、厚労省が6月16日まで1カ月延期した。同省は岩手、宮城、福島3県に対し、1県あたりの最高額120億円を交付する方針。

 これ以外の都道府県については、国がそれぞれの計画案を評価・認定し、交付金額を決定する。予算総額は計2100億円。病院の統合再編を含む計画案は、必要だと認められれば80億~120億円が交付される。

 3病院の経営統合協議はこれから詰めの段階を迎えるが、県が策定する地域医療再生計画の中で、事業の必要性や重要度をいかにアピールできるかが交付金獲得への鍵となりそうだ。



http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000002050.html
医療情報は「かかりつけ医・主治医から入手」が6割以上~患者さんは「身近」な「相談できる」場で、病気や薬の情報を入手している~
フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 2011年04月26日 11:00

 フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社(本社:東京都中央区)の医療専門ユニット「FHヘルスケア(代表:永田 正人)」は、通院治療中の患者さん300人を対象とした医療情報入手に関するインターネット調査を実施しました。

 「病気や治療法・薬に関する主な情報入手方法は何ですか」という質問(複数回答可)に対して、もっとも多かった回答は「かかりつけ医・主治医からの情報」の63.3%、次いで「Webサイトの書き込み/コメント・口コミ」の38.7%となりました。一方、「テレビ」「新聞」「雑誌」といったマスメディアからの情報入手は、2.3~17.3%と比較的低い割合に留まりました。
 この結果から、患者さんは主治医の問診やソーシャルメディアのような、身近で直接相談できる場を利用して、医療情報を入手していることが伺えます。

 また、「受診先の病院について、選択する決め手となった情報源は何ですか」という質問に対しては、「かかりつけ医・主治医からの情報」(33.3%)に次いで、「家族・知人からの情報」(30.0%)が他を引き離しており、病院選びの際と、実際に受診してから参考にする情報源は、大きく異なることが明らかになりました。

 今回の調査結果を踏まえ、医師限定のコミュニティサイトを運営するメドピア株式会社代表取締役で、自らも臨床医である石見 陽 氏は次のように述べています。
 「病気や治療法に関する情報源として医師がトップに挙げられていることは、相互の信頼感を現しているものと考えられ、率直に嬉しい。今回2位となっている Webサイトの書き込み・コメントの存在感は、今後ますます増していくものと考えるが、患者はその両者の情報を可能なかぎり収集し、総合的に判断していく時代になるものと思われる。また、ご自身の今後の病状や治療の進め方について悩まれている患者が多いことも再認識できたので、一医師として、遠慮なく相談してもらえる環境づくりに努めたい。」

データ:Q:病気や治療法・薬に関する主な情報入手方法は何ですか(いくつでも)
 かかりつけ医・主治医からの情報     63.3%
 Webサイトの書き込み/コメント・口コミ 38.7
 病院・医院/製薬企業のWebサイト    29.3
 調剤薬局・ドラッグストアからの情報   24.7
 家族・知人からの情報          19.0
 テレビ                 17.3
 新聞                  16.7
 病院・医院内のポスター・冊子      13.7
 雑誌                  8.0
 看護師からの情報            5.1
 患者団体・患者体験記からの情報     5.0
 公開講座・セミナー、イベントなどの集会 2.7
 ラジオ                 2.3
 その他                 4.0



【その他の調査結果】
 「自分の病気について、他人に説明できますか」という質問に対して、「ややできる」「正しくできる」と答えた割合は87.3%と、9割近くの患者さんは自分の病気を理解している。

データ Q:自分の病気について、他人に説明できますか。
 全くできない    0.7%
 あまりできない   12.0
 ややできる     48.0
 正しくできる    39.3

 「自分が飲んでいる薬の名前、効能・効果、用量を知っていますか」という質問に対して、「だいたい知っている」「全て知っている」と答えた割合は90.3%と、9割以上の患者さんが自分の飲んでいる薬についての知識を持っている。

データ Q:自分が飲んでいる薬の名前、効能・効果、用量を知っていますか。
 全く知らない     2.0%
 あまり知らない    7.7
 だいたい知っている  63.0
 すべて知っている   27.3

 病気や治療法・薬に関する悩みとしては、「今後の、自分の病気の状態について」「今後の、治療の進め方について」「食事や運動など日常生活での注意点・工夫点などについて」などが多く挙げられた。

【調査概要】
調査対象 :全国 通院治療中の患者さん(疾患問わず) 
有効回答数 :300サンプル
調査方法 :インターネットリサーチ(楽天リサーチ)
調査日時 :2011年2月24日(木)~ 2月25日(金)
調査内容 :「病院受診に関する意識調査」



http://media.yucasee.jp/posts/index/7420?la=nr3
嫌がらせで辞める医師続出の秋田の山村に新任医師
2011年04月26日 15時05分 YUCASEE Media

 医師の度重なる退職で、無医村になる危機に陥っていた秋田県・上小阿仁(かみこあに)村で唯一の医療機関「村立上小阿仁国保診療所」に、新任医師が6月に赴任することが決定した、と読売新聞が報道した。

 最近5年の間に2人の医師が相次いで退職した同村の診療所。村は相当な危機を持っているようで、読売新聞によると、一部村民による嫌がらせなどが原因で前任者の有沢医師が辞意を表明したことから、 村は「今度起きたら人物を特定して直接抗議する」と強行手段に出ることを辞さない構えだという。

 なぜ、ここまでの事態になったのか。前任者たちは、月休1~2日ほどで働き、年間の休診日は20日ほどだったという。盆明け、正月三が日開けを休診日にすると、心ない声を浴びせられるなどしたようだ。

 一部の村民は、医師は村長よりも給料が高いと思いこんだり、村から家を買ってもらっている、という思い込みもあったと言われている。

 もちろん感謝の声の方が多いとはいうものの、こうした事態は村役場の耳にも入り広報紙で次のような注意を出すほどだった。

 「有澤先生には村民の健康維持のため、献身的にご尽力をいただき、大変ありがたいことであります。しかし、土・日・祝日は原則的に休日であり、医師にも同様に休日が必要であることから、村民の皆さまには、緊急かつ必要な場合以外は、連絡を遠慮するよう配慮していただきたいと考えております」

 そして、有澤さんの前任者の松澤医師は村の広報紙の2008年9月号に「村の診療所を守るために」としたコラムを執筆。「一度は書かなければならないと思っていたことを書いてみます」と決意の表明をした。よほど、溜まっていたことがあるのだと思われる。

 村は、新任医師のために北海道まで面談に行き、長くとどまってもらいたいという考えを話したようだ。しかし、一部の心ない村民の意識がどう変わっているか。村が監視を続けていくしかないのだろうか。



http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110426160234.asp
■ 三村知事が弘大医学生と懇談
2011年4月26日(火) 東奥日報

 三村申吾知事と弘前大学医学部医学科入学生との懇談会が25日、同大医学部で開かれた。三村知事は医師不足に悩む本県の医療事情と、医師確保に向けた県の取り組みを紹介し、「将来は医師として県内で活躍を」と呼び掛けた。

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  1. 2011/04/27(水) 05:24:15|
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4月26日 震災47日目

http://www.47news.jp/feature/medical/2011/04/post-533.html
体を動かすと、心も楽に
 被災生活に重要なスポーツ
  指導者は早期の実施を

2011.04.26 共同通信 47ニュース

 東日本大震災は発生から1カ月が過ぎ、避難所暮らしや仮住まいの長期化は避けられない見通しだ。不安の種が尽きない上、じっとしているばかりでは、さらに心身の不調を招く。専門家は「被災生活には、食事や睡眠と同じくらい体を動かすことが大切」と訴えている。

 ▽忘れる時間
 「阪神大震災の時には、スポーツの重要性など唱えられていませんでした」。神戸市東灘区の賀来医院院長で神戸大臨床教授の賀来正俊医師(59)=スポーツ内科=は、自身も被災した1995年を振り返る。
 賀来医師は、被災地での運動には①暗い気持ちを明るく積極的にする精神医学的意義/②血行・代謝を活発にし、筋肉関節障害を防ぐ整形外科的意義③高血圧、便秘、不眠症などを防ぐ内科的意義―があると強調。20110423kao.jpg
 特に、強い揺れの恐怖や身近な死などで経験した心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、体を動かすことで少しでも忘れる時間をつくると、記憶が整理され重症化を防ぐことができるという。
 阪神大震災後の2年間に、賀来医師が神戸、芦屋、西宮などの中学、高校27校の生徒を対象に実施した調査では、運動部の活動をより早期に再開した生徒は、不安神経症など震災疾患からの回復が早かった、との結果が得られた。

 ▽熟睡
 今回の被災者について賀来医師は「もともと農家や漁業で体を動かしていた人がじっとしていると筋力が低下し、がたっと体力が落ちるのでは」と懸念。「一日中横になっていたら、いつ寝たか休憩したか分からなくなる。適度に運動すれば、避難所であっても夜熟睡できる。汗ばむほど体温が上がれば、インフルエンザなどの感染症も広がりにくい」と指摘する。
 運動はなるべく早い時期に始める方がよく「被災地に、体育教師やダンスの先生、フィットネスのインストラクターなどがいたら、遠慮なく指導してほしい。体育館や広場で『手をつないで歩きましょう』『お手玉遊びをしましょう』など遊戯でもいいので、とにかくじっとさせないことが重要」と話している。

 ▽足指から全身へ
 「カラダが凝り固まってきたと感じたら行いましょう」
 スポーツや健康な体づくりのための雑誌「ターザン」(マガジンハウス刊)では、東日本大震災の後、トレーナーの斉籐邦秀氏の監修で「血流改善簡単エクササイズ」をA4判2面のリーフレットにまとめ、被災地での無料配布を始めた。
 発案したのは編集部の木村俊介さん(28)。木村さんは神戸市の友人から、阪神大震災で同じ避難所にいた人が、静脈に血栓ができ血管が詰まる「エコノミークラス症候群」で亡くなった、という話を聞かされていた。
 「自分たちにも何かできるのでは」と考えていた時、ちょうど撮影に集まっていた斉籐氏やモデル、カメラマン、デザイナーらが「協力する」と申し出てくれた。
 エクササイズは座るだけのスペースがあればできる内容で、足指をグー、パーとするストレッチから、脚、腰、肩と次第に全身を動かしていく。「順番通りにやることがポイントです」
 被災地での使用に関しては著作権フリーとし、写真入りの詳しい説明はマガジンハウスのホームページ からダウンロードできる。既にツイッターなどでも紹介が進んでいる。「現地に行く人たちに、支援物資と一緒に持っていってもらいたい」と、木村さんは広がりに期待している。(共同通信 楡金小巻、飯田裕美子)



http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110426ddm001040043000c.html
東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人--福島・双葉病院
毎日新聞 2011年4月26日 東京朝刊

 ◇4キロ先の原発、水素爆発 職員に警官「逃げるしか」


 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

 ■バス6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ■3日間絶食


 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

 ■冷え切る体


 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。

 ■みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ■対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。

==============

 ■双葉病院の避難の経緯■
 <3月11日>
午後2時46分    東日本大震災発生
午後9時23分    原発3キロ圏に避難指示

 <3月12日>
午前5時44分    原発10キロ圏に避難指示
午後2時ごろ     双葉病院の患者ら209人と職員が避難。
           院内に約220人が残る
午後3時36分    1号機で水素爆発
午後6時25分    避難指示が20キロ圏に拡大

 <3月14日>
早朝         自衛隊が双葉病院到着。患者ら約130人を救助。
           院内に約90人が残る
午前11時1分    3号機で水素爆発

 <3月15日>
午前1時ごろ     院長らが避難。
           患者ら約90人は院内に
午前6時       2号機で爆発音。4号機で水素爆発
午前10時~正午ごろ 自衛隊が双葉病院から患者ら約90人を救助

 <4月6日>    県警が病院から患者4人の遺体を収容



http://www.saitama-np.co.jp/news04/26/10.html
「継続的な支援必要」 気仙沼派遣の県立病院看護師
2011年4月26日(火) 埼玉新聞

宮城県の気仙沼市立病院に派遣された県立小児医療センターの立花亜紀子さん=さいたま市岩槻区の小児医療センター

 東日本大震災の被災地で医療支援をするため、県立病院の看護師らが宮城県の気仙沼市立病院に派遣された。現地で救急患者の対応に当たった県立小児医療センター(さいたま市岩槻区)の立花亜紀子さん(42)は「現地の医療スタッフらは不眠不休で対応に当たっている。被災地は衛生面が悪く、それが患者の体調にも影響しているのでは」と振り返った。

 立花さんによると、気仙沼市立病院は市内の高台に位置する。地震や津波による被害はさほどなかったが、被災した職員も多く、十分な診療態勢がとれていない。周辺の医療機関が被災した影響もあり、同病院には救急患者が次々と搬送され、入院患者をほかの病院に転院させるなどの対応に追われていた。

 そんな状況の中、県内から派遣された看護師らが、震災発生から11日経過した3月22日に現地入り。立花さんは約1週間、救急搬送されてくる外来患者の対応に当たった。

 「患者さんの中には、話をしたがっている人も多い。できるだけ話をしてあげてください」。現地の医療スタッフから説明を受け、そうしようと心掛けた立花さん。だが、救急患者はひっきりなしに搬送されてくる。「じっくり話をする余裕はなかった」ほどだった。

 気仙沼市内は地震発生直後に起きた大規模火災の影響で、灰やほこりまみれ。白い靴が真っ黒になるほどで、津波の影響から魚も散乱し、腐臭が漂う。避難所では十分な生活用品がそろわず、「何日も同じ靴を履き、着替えもできない。断水で手も洗えず、決して衛生状態がいいとは言えない」状況。立花さんらは後続の派遣チームに連絡し、下着や靴などの物資を送ってもらうようにもした。

 避難所に避難した人たちは集団生活のため、一人が体調を崩すと、免疫力が弱い子どもや高齢者はすぐ感染してしまう。十分な薬が確保できず、持病を悪化させる人もいた。脱水や便秘、肺炎を訴える人も相次いだ。

 患者を支える病院側のスタッフも、困難を抱えながらの支援が続く。3分の2近くのスタッフは家族や親族を亡くしたり、自宅が倒壊するなどした。「避難所にいると、現実に戻ってしまう。それを忘れるためにも仕事に打ち込まないと」と、病院で寝泊まりを繰り返す女性スタッフも。被災地では、誰もがさまざまな不安を抱えながら、日々を過ごしていた。

 今回の派遣を通し「もっとできることをしたい」と実感した立花さん。被災者には「頑張ろうと言っている人が多いけど、自分を追い詰めてしまう。頑張りすぎずに頑張ってもらいたい」と励ます。今後については「継続した支援がないと、復興は進まない。いろいろな角度から支援していく必要がある」と話していた。

 県立病院の看護師派遣は3月22日から4月11日まで続けられ、延べ40人の看護師と事務10人が現地で救急外来の患者対応などに当たった。4月12日から5月6日までは、福島県田村市と三春町に精神科医など「心のケアチーム」を派遣。現地で被災者の心のケアに当たっている。



http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1104/26/news095.html
ボランティア情報がない?
ネットを活用した被災地支援に取り組む藤代裕之さんが、「現場」の状況や課題を報告する連載の9回目。都内の窓口では一般ボランティアの募集情報を見つけにくい情報が続いていた。そこには、ボランティアを取り巻く構造的な課題があった

2011年04月26日 20時59分 更新 IT media

大震災の情報源としてインターネットが活用されているが、被災地からネットで発信される情報はあまりに少ない。震災被害はこれまでの経験と想像すら超えており、ネットにおける被災地支援、情報発信も従来のノウハウが通用しにくい状況だ。

ブログ「ガ島通信」などで知られる藤代裕之さんは現在、内閣官房震災ボランティア連携室と連携している民間プロジェクト「助けあいジャパン」に関わっている。ネットを使った被災地支援の「現場」では何が起き、何に直面しているのか。ネットという手段を持つるわたしたちには何が求められているのだろうか。震災とネット、情報を考える、マスメディアには掲載されにくい「現場」からの現在進行形のルポとして、藤代さんに随時報告していただきます。(編集部)

▼その1:「情報の真空状態」が続いている
▼その2:できる範囲でやる──ボランティア情報サイトの立ち上げ
▼その3:「ありがとうと言われたいだけのボランティアは 必要としていない」
▼その4:ターニングポイントになった夜
▼その5:チームを作る 誰がDBを作るか、プロデューサーは誰か
▼その6:有用性と実装スピードの両立 「とにかくこれでやらせてくれ」
▼その7:データベースは5カラムで設計 学生チームが入力を始める
▼その8:Yahoo!チームが訪ねてきた データベース情報の利用が始まる

 ボランティア情報ステーション(VIS)の役割は、各団体のブログに点在するボランティア情報を集約し、ポータルサイトなどにデータ提供して多くの人に利用してもらうことだ。ネットで収集した情報に加えて、紙情報も収集しようと都内のボランティアセンターや社会福祉協議会を調査した。そこで「紹介できるボランティアはない」という事態に遭遇する。
ボランティア情報がない

 ボランティア活動の中心である区民館やコミュニティセンターなど地域の公共施設に行くとチラシが置いてあるが、Web化されている情報はわずかだ。ボランティア情報は紙で、ネットではその一部しか公開されていないのではないかと予想していた。

 VISの活動が軌道に乗ってきたこともあり、都内の公共施設で紙情報がどのくらいあるか調査を行った。これは、VISが一般のボランティア希望者へ情報を提供していることもあり、どのような情報環境に置かれているのか調べておく意味もあった。

 全てを見たわけではないが、スタッフからの報告は「ボランティアはないとのこと」「登録だけは行っています」という状況だった。該当エリアに本部を置くNPOやNGOからの情報もない、東京ボランティア・市民活動センターに問い合わせるように伝えるだけ、という窓口もあり、ボランティア情報の提供窓口としては機能していなかった。

 一方で、説明会や登録会を実施すると満員になるほどで関心は高いとの情報も入ってきた。神奈川では、ボランティア登録には700人以上の参加があり、埼玉県では1次避難所の支援のボランティア受付に早朝から人が並び、時間前に登録が終了していた。

 「何か貢献したい」というボランティア機運の盛り上がりに対して、活動の場を紹介できない状況になっていた。VISにもボランティアを募集すると人が殺到し、掲載をやめてほしいという依頼が届くようになっていた。ボランティアが活動できるところが少なく、ボランティアを募集すると問い合わせが多すぎて対応ができなくなり、情報を出すのをやめるというマイナスのスパイラルが起きそうになっていた。

ボランティア受け入れすら難しい被災規模

 なぜ一般のボランティア情報が少ないのか。

 これまでボランティア団体や社会福祉協議会(社協)、ボランティアセンターなどと縁遠かったために当初は分からなかったが、VISの活動を通じて次第に理由があることが分かってきた。それはボランティアを取り巻く構造的な課題でもあった。

 まず、被害が甚大でこれまで対応してきた範囲や規模を大幅に超えていたことによる機能不全があった。

 ボランティア活動は、ボランティア団体だけで行っているわけではなく、自治体や社協の職員が不可欠だが、今回は職員や庁舎・事務所が被災していた。その上に、物資や人の受け入れや情報把握といった作業によって「現場化」し、コーディネーションの機能が失われてしまっていた。スタッフが訪ねたある都内社協では、一度目は「ボランティアはない」といわれ、二度目は「被災者受け入れで忙しい」と対応してもらえなかった。

 活動するための条件が厳しいということもある。

 被災地では津波被害で、街自体が壊滅状態の地域もある上、車が利用不能になり、ガソリンも不足気味で、一般ボランティアが現地に入っても移動手段の制約や宿泊場所、食事確保が難しい状態が長く続いていた。阪神淡路大震災では西宮市まで鉄道があって大阪からアクセスできたし、新潟県中越地震でも新潟市が機能していたが、東日本大震災では被災地が青森県から福島県、千葉県、茨城県にも広がっており、面として広範囲の上、鉄道・空港・道路が寸断され、拠点となりえた仙台ですらアクセスが厳しかった。

 そんな中で、医師や保健師などの専門的スキルを持ったボランティアか、自己完結型と呼ばれる、宿泊場所や移動手段を自分で確保できるボランティアでなければ活動できないといった情報が広がっていった。後者は、普段は海外援助などを行っているNPO・NGOが担っていた。社協やボランティア団体の中には一般ボランティアなど必要ないとあからさまな受け入れ拒否を行うところまで出ていた。

 また、インターネットでの情報発信やデータベースの登録によるポータルサイトへの情報提供の必要性もあまり理解されなかった。震災によってボランティア熱が高まっているが、普段はボランティアに参加する人はそう多くない。社会福祉協議会は、地域内の団体とのやりとりで、その団体は支援者らとの情報のやり取りをしていれば十分だった。

現地から「ボランティア足りない」との情報が

 一般ボランティアは必要とされていないのではないか……落ち込むスタッフを力づけたのは現地から入手した情報だった。

 宮城県石巻市の地域紙・石巻日々新聞の4月5日付1面は「災害ボランティアセンター 人手まだまだ足りず」の見出しでボランティアが不足していると報じていた。

 石巻はボランティア受け入れが大規模に行われている地域として知られている。石巻専修大学と隣接する陸上競技場にボランティア拠点が設けられ、市内各地でのボランティア活動に出かけていく。鉄道は不通になっていたが、高速があり、仙台市までの路線バスも出ていた。記事によれば4月4日までに 1500人以上が全国から訪れて活動したという。それでも足りないと記されていた。

 一般ボランティアをバスに乗せ、被災地で片付けや泥除去を行うボランティアバスが各地の社協や団体によってボランティアバスが活発になるのは4月中旬以降になっていた。



https://www.cabrain.net/news/article.do;jsessionid=4CDC116BE30796910C8A279C60D13344?newsId=33886
原発事故への対応で米国医師らが講演
( 2011年04月26日 21:49 キャリアブレイン )

 福島第1原子力発電所の事故による健康や心理への影響などをテーマにした緊急国際シンポジウムが4月26日、徳洲会病院グループでつくるNPO法人「TMAT」主催で開催された。シンポジウムでは、米国の医師ら3人が放射線の医学的作用や安全対策などについて講演。認証保健物理博士であるアンディ・カラム氏は、被ばくした患者を治療した医療従事者が被害を受けた例はないと強調し、患者の健康状態に応じて適切な対応を取るよう、会場に集まった医療従事者らに呼び掛けた。

 カラム氏は、安全対策の一つに「汚染のコントロール」を挙げ、▽被ばく患者の汚染を除去する▽被ばく患者からの汚染の広がりを防ぐ―ことなどを紹介。重度に汚染された患者でも、医療従事者に与える危険はほぼ皆無だと強調した上で、必要な場合には汚染除去を待たずに救急救命処置を実施するなど、患者の健康状態を考慮して対応すべきとした。ただ、可能な限り汚染の機会を少なくするため、被ばく者に接する場合は、感染症への対応と同様に、標準的な予防措置を用いる必要性も指摘した。

 ニューヨーク市保健局緊急対策室顧問のキャスリン・ウラネック医師は、放射線の健康への影響には、数日から数か月以内に見られる「確定的影響」と、年単位の時間がかかる「確率的影響」があると説明。確定的影響は、急性放射線症や皮膚障害などだが、ウラネック氏は、今回の原発事故で一般市民にこれらの影響が出ることはまずないとの認識を示した。一方、発がんなどが想定される確率的影響については、線量が低いため、発がん率が有意に上昇するとの推測は困難とする一方、経年変化を注視すべきとした。

 最後に講演したアラバマ大准教授のスティーブン・ベッカー博士は、放射線被ばくの問題では国民の関心が健康への不安に集中することから、医療従事者に情報を求めるケースが多いと説明。災害時に効果的なコミュニケーションを図るには、行政機関だけでなく、医療従事者が重要な役割を果たすと強調した。具体的には、▽放射線被ばくスクリーニング後も情報提供ができるように連絡先を伝える▽医療機関では患者だけでなく、スタッフとその家族にも情報提供する-などを例示。このほか、妊婦や小さな子どもを持つ母親などに医学・科学的な情報を基に助言したり、個別のニーズに対応したりする必要性も指摘した。



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110426/ibr11042620040008-n1.htm
医療再生基金の弾力的運用を 茨城知事が厚労相に要望書 
2011.4.26 20:04 産經新聞

 茨城県の橋本昌知事は26日、厚生労働省を訪れ、医師確保対策のために創設された「地域医療再生基金」の臨時特例交付金について、災害復旧対策に使用できることなどを求める要望書を細川律夫厚労相に提出した。細川厚労相は「できるだけのことはしたい」と答えた。

 要望書で橋本知事は「茨城県内の医療施設の被害総額は200億円を超えると想定される。阪神大震災以上の手厚い財政支援措置が不可欠」とし、「被災県として特例のご配慮を」と訴えている。



http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2066367_2066369_2066313,00.html
The 2011 TIME 100

Meet the most influential people in the world. They are artists and activists, reformers and researchers, heads of state and captains of industry. Their ideas spark dialogue and dissent and sometimes even revolution. Welcome to this year's TIME 100

Takeshi Kanno
Doctor

By Krista Mahr Thursday, Apr. 21, 2011

Takeshi Kanno always knew he would save lives in his line of work ― but never as many at one time as he did on March 11. The 31-year-old doctor was on duty at the Shizugawa public hospital in the Japanese town of Minami Sanriku when he heard the tsunami alert. He immediately began moving patients to the highest floor, helping dozens of people in the short window between the 9.0-magnitude quake and the deadly wave. When the wall of water arrived, Kanno watched it swallow the street in three minutes, taking the patients he couldn't move with it. "We went downstairs, and everyone was gone," he says.

Over the next two days, Kanno refused to leave those he'd helped survive. When evacuation helicopters arrived, he waited until the last of his patients had gone before he too left. Three days after the quake, he at last made it back to his wife, just hours before the birth of their second child, a boy they named Rei. The name evokes two meanings: in English, a beam of light; in Chinese and Japanese, the wisdom to overcome hardship.

  1. 2011/04/27(水) 05:19:37|
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4月25日 医療一般記事

http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2011042509215251
ミャンマー医療人育成を支援 NPO法人が福山支部開設
(4/25 9:21)山陽新聞

 ミャンマーの医療技術向上に取り組むNPO法人「日本・ミャンマー医療人育成支援協会」(岡山市)の福山支部の開設式が24日、福山市御幸町下岩成の事務所であった。

 式には会員ら約30人が出席。岡山大名誉教授の岡田茂理事長(71)が「会員約450人のうち、備後地域が約3分の1を占める。新たな活動の拠点にしていきたい」とあいさつ。ミャンマーに赴き、事故で口などに大けがをした女性に顔面の手術を行った岡山大病院の木股敬裕教授(51)が現地の状況を報告した。

 同協会はミャンマーへの医療協力を続けてきた岡田理事長らが2006年に設立。同大医学部にミャンマー人医師100+ 件らを招き、C型肝炎や子宮頸(けい)がんの予防や診断に関する研修を実施。また、形成外科医らを現地に派遣し、先天的な異常や事故による大きな傷を治す手術を行っている。

 事務所にはボランティアが常駐、ミャンマーの医療に関する情報を会員らに提供する。西山央子支部長は「支部を情報交換の場とし、支援の輪を広げていきたい」と話した。



http://medg.jp
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医局撤退
獨協医科大学神経内科 小鷹昌明

2011年4月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 
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 大学病院勤務を18年間続ける中で、私はこれまで送別の機会に幾度となく立ち会ってきた。それぞれの医師がそれぞれの事情で、それぞれの転地に移動していく姿を眺めてきた。円満な笑顔の一方で、憤懣やる方ない表情や歪んだ笑みを浮かべる方もおられたような気がする。同じ医局に属し、同じ研修を受け、同じ診療に従事し、質の高い教育と研究とを行ってきたはずである。
紛れもなく自分を急成長させた現場であり、他の医局員たちの激励と優しさとに触れ、夢と希望との中で賞賛の美をもって人生の転換期を迎えるはずであった。
 しかし、昨今の医師不足と不況とにおける潜在的戦時下では、一般的な常識は通じなくなった。折しも、国内観測史上最大のマグニチュードを有する震災が東日本を襲い、世の中は混乱を極めた。

 これからの時代において強調すべきは、まず“生き残る”ことである。生き残れてこそ、人生や仕事や恋や友情といったものの甘美を味わうことができる。“サバイバル”のための戦略を練る必要がある。人生の再スタートを考える優駿な医療者たちのために、本稿では「医局の正しい撤退の仕方」のススメを説く。医局に属する先生方の将来に暗い影を落とさぬようアドバイスをしたい。

 私は、これまでの職歴において、半年間ほど関連の市中病院に出向し、2年半にわたって英国に留学した経験を持つが、それ以外の期間のほとんどを大学病院で過ごしてきた。在籍していられたのは、大学病院の環境が真綿のように心地良かったからではない。私が優秀で成功者だったということではさらにない。大学病院を馴染ませ、ほどよく使いこなし、共依存を繰り返してきたからである。言い換えるならば、上手く利用してきたからである。
 大学病院の変遷をずっと見続けてきた私だからこそ、伝えられる知見がきっとあると思っている。

 転職、あるいは医局を辞めるための初期動作は、まず“自身の自己固め”である。
 「なぜ、自分は医局を辞めるのか?」、このことを徹底的に内観し、自らに語りかけることである。「医局を辞めてまでも実現したい自分の夢や希望が、本当にその形でしか実現し得ないものなのか」ということを奥底まで考える必要がある。己の今後の人生のすべての源であるからして、努々この自己省察の過程を怠ってはいけない。
 抽象的な言い方かもしれないが、願望や欲望といったものは大脳で考えるにしても、最終的な決行に関しては、「魂の声が聞こえるか」というところで判断する。

 たとえば、私に寄せられる周囲の期待に、無謀とも思える“作家と議員”とがある。「小鷹先生、いつもつまらないエッセイばかり書いていないで、今度は小説でも書いてみてくださいよ」とか、「医療のことを勉強して持論を振りまいているなら、県会議員にでもなって仕組みを変えてくださいよ」などと言われることが、ままある。
 それは、周囲が面白可笑しく囃したてているだけかもしれないが、こうしてインターネット・メディアに論文を投稿したり、県の医療協議会に出席したりしていることを考えれば、私が思想家や映画監督や花屋や黒魔術師やひよこ鑑定士になるよりは、現実味があるのではないかと思う。なぜそうしないかといえば、能力もさることながら、心の叫びとして聞こえてこないからである。
重要なことは、“真摯な思索”と“魂の納得”である。

 さらに、“自己固め”と並行して練り上げる作業は、“タイミングの見極め”についてである。そのためには、“医局の変遷”を理解しておかなければならない。

 医局とは、“主任教授の交代を契機に新陳代謝を繰り返す人体器官”のようなものである。脳や脊髄に教授や准教授が君臨し、重要臓器は講師が陣取り、手足には助教がひしめき合い、皮膚だの髪だの爪だのという代謝回転の速い最前線にいるのが研修医である。
 だから、医局には栄枯盛衰がある。諸行無常の響きの中で常に流動的に変化している。その時々の流行りと廃りとの中で、医局というものは発展と衰退とを繰り返している。

 まず、医局の勢力がもっともボトム化する時期は、紛れもなく主任教授の交代時期である。教授の退官時期が近づくと(たとえば残り2年を切ったあたりから)、医局の人事は一気にざわめき立つ。次期教授候補の噂はもちろんのこと、現教授の退官前の記念学会の幹事を任されたり、業績集なるものを作成したりするなどの引き継ぎのための雑務が増えてくる。
 方針の定まらぬうちに入局する新人医師も少なく、ここは現医局員の正念場ともいえる。現在の教授に仕えていた医局員たちも身の振りを考えるようになるが、この時期に辞めることは得策ではない。しばらくは、静観することである。

 ここでは論点が惚けるので教授選に関する話題には触れないが、辞めることを考えている医師は、新教授の誕生した後の数年間をよく観察することである。
 就任直後の教授は意欲がある。理想とする医局の姿についての青写真を描いている。その結果、ガッツある教授の基には人も集まる。魅力的に映る医局は、確かに何かしらの“ウリ”がある。「教授の世界的権威」、「充実した研修システム」、「ブランド病院へのコネ」などである。
 そうした雰囲気に流されて、「何となくこの医局ならやる気を引き出してくれるのではないか」という幻想を抱いて入局する医師も、「これだけ人気があるのだから、働きやすいだろう」という期待を胸に入局する女医も、中にはいる。さまざまな人種の入り混じった医局は、一気に活気の高騰をみせる。
 積極果敢な教授、それに惹かれた野心的だが個性的な中堅医師、流れに感化された真面目だが少し軟弱な若手医師・研修医といった見事なまでのグラデーションに彩られた時代に、医局はもっとも栄耀栄華を極める。

 次に待っている作業は、医局の統制である。さまざまな思惑や利害や見通しの調整に入る。“優秀”-“凡庸”、“スペシャリスト”-“ジェネラリスト”、“男性医師”-“女医”、“平等主義”-“能力主義”、“上昇志向”-“安定志向”などの観念性を持つ人たちを、上手く棲み分ける必要がある。それが巧妙に行われないと、医局は斜陽に傾く。もともと豊富な人材を抱え、多様な価値観を有する医師の多い医局ほど、その調整には膨大な労力が支払われる。
 医局は、何年かに1度登場する、(教授以外の)“秀逸した人望を有する人間”の発揮する、“卓越したマネージメント力による多数の賛同”によって支えられている。そういう人材を確保できなかったり、その人物に手厚い擁護を与えなかったりした医局は、どんなに規模が大きかろうが、やがて瓦解する運命にある。

 直ぐにご理解いただけたことと思うが、この中でいつ辞めればよいかといえば、当然、最盛期である。「そんな良い時期に」と思うかもしれないが、引き際の美学を考えるべきである。雰囲気のもっとも良い時期の退職は引き留めも少なく、本気度が伝わりやすい。また、何よりも医局への迷惑が最小限で済む。

 辞めるための意志決定と時期とについては、コンセンサスが得られたことと思う。
 ここまで到達した結論というのは、感情だけではないので揺らぎようがないし、理屈だけでもないので崩しようもない。ここに至れば“医局撤退”は、8割がた完遂したようなものである。後は実行あるのみである。が、ここでさらに、実践のために必要な“コツ”について、若干の補足を加える。

 辞める動機については、実際のところ「実家の両親の体調不良」か「開業準備」であることが多い。いずれの理由にせよ、周囲の同情と共感とを集める工夫をしておくことが、円満退職を得るための大切な要因となる。
 一方、仮にそうであったとしても、「仕事がきついから辞める」、「子供の教育のために転居する」、「結婚したから休職する」、「屋久島で1年くらい暮らしたい」、「北アルプスをテントを持って縦走したい、一度でいいからオーロラを見て犬ゾリを体験したい、それが叶わぬなら、知床の流氷くらいは見たい、それもだめなら、せめて...(失礼)」というような、遠回しにしてもそういう理由を悟られるような言動は避けるべきである。同期が居れば尚更のこと、逃げの態度や個人の我欲は快く思われない。

 また重要なことは、「現職場を否定的でも肯定的でもなく、ニュートラルな立場で捉えて、態度に示す」ということである。仕事の手を抜いたり、周囲に不満を漏らしたりする行為は、厳に慎むべきである。残される者の共感を生むことにはけっしてつながらないし、評価が落ちてから辞めたのでは後難を残すこととなる。
 徐々に居場所がなくなっていくような喪失感に襲われ、塩漬けのような立場を甘受する前に、ここは8割、いや9割、下手したらこれまで以上の余録を残し、惜しまれつつ辞めるということである。

 つまり交渉時に成すべきことは、人事の統括者に対して、「ありのままの熱意を真摯に示す」ということと「作法を遵守する」ということである。「この申し出を承諾しないと、この者の人生は大きく常軌を逸してしまうであろう」ということを、「己の魂において選択せざるを得なかったという丁寧な態度」で理解してもらうというところにある。すなわち、今回の決断が、冒頭で示した「“サバイバル”のために不可避なこと」であるということに帰結していれば、事を起こすのはそう難しいことではあるまい。
 最後に、こうした交渉においては、折衷案として「時期を待ってくれ」とか、「その前にお礼奉公を済ませてからにしてくれ」という代替案を提示される向きもあるが、その落としどころについては各人の判断に任せることとする。

 と、ここまで散々述べてきてから言うのも何だが、私の本題は“医局撤退”に関するハウツーを説くものではない。“医局を辞めたくなる動機”を考察する前振りとして論じてみただけである。人のために働きたいという情熱に溢れた高校生が医学の門を叩き、決して安くはない授業料を負担してもらい、さまざまな難関を突破して医師免許証を手に入れたとする。
 2年間の研修を受けたうえで、どこかの診療科に入局する。出身大学の医局か自分の興味に近い医局を選ぶことが多いが、中には、まったく知らないブランド病院に飛び込むものもいる。入局すると年功序列の“医局人事”が待っている。まず、大学病院での後期研修が1~2年あり、続いて、一般的には関連病院へと出向し、2、3年ずつ病院と大学とを往復する。

 そんな中で医師になって理解することは、世の中の“理不尽さ”と“不条理さ”とである。突然襲いかかる病気に対して耳慣れない病名を告げ、これからどういう事態が起こるか想像できない中で診療を継続する。それに対して、あまりに無力な人間と医療との限界を痛感する。
「人間として許されることをしているのか」という自問は、普通の暮らしの中ではあまりないことであろう。「自分は正しい」と感じるよりも、「自分は間違っていないか」という検証のために多くの時間を割いて生活することになる。
 もちろん、それは医師であれば誰でも考えることであるし、そもそも、毎日毎日何十人もの病人や怪我人と付き合い、月に1度くらいは自分の受け持ち患者が死ぬ世界においては、「凍てつくツンドラの大地にひまわりの種を撒き続けるような不毛を繰り返すだけ」と言われても仕方がない。

 30代半ばともなれば、結婚や家庭、ライフ・スタイルなど、自分自身の将来を考える時間が頻繁におとずれる。勉強と試験とを繰り返し、医師人生を駆け抜け、落ち着いてきた頃に、「どんなに頑張ってみたところで、皆が教授や大病院の院長になれるわけではない。多くの医師は親の後を継いで開業医になるか、一般市中病院で勤務医として働くか、そのどちらかである」ということに気付く。
 そんなこともわからず大きなリスクを背負って、いつ破滅してしまうかわからない状態で、自分の可能性の限界までかけて働いていくのか? あるいは、医療を生業として、自分の手の届く範囲の患者に対してのみ誠実な医療を心がける程度で満足して、ひとりの人間として愉しい人生を求めていくのか? 現実的には、この2つの選択の狭間で、教授や大病院の院長になれない多くの医師らの心は揺れ動いていくのである。
 だから、医局が厭になる原因は「やりたいことができずに働かされている」という憤懣感と、「いくら仕事をしても浮かばれない」という虚無感である。ここを上手く切り抜けないことには、将来の医局撤退の意向を払拭することはできない。

 それにしても、大学病院はなぜ斯くも医局員をあるがままの状態にしておかないのか? それにはいくつかの要因が考えられるが、ひとつは歪んだ制度のため、もうひとつは潜在的な階層のためである。

 大学病院というところは、文科省や厚労省から委託を受けた社会労働の出先機関であるからして、それを批判したり、離奪を促したりするような情報や論拠が、そう易々と手に入るはずがない。特に支配民を、常に社会的使命感を建前に骨抜きにしながら操作することにかけては半世紀以上にわたりGHQ(General Headquarters)生え抜きの技術を持つ我が国であるからして、“GHQ(Go Home Quickly)“などと自由裁量に振る舞うことを容認するはずがないのである。
 勝手に決められた新臨床研修医制度や包括医療制度などは、平たく言えば、医師のみならず病院を市場原理の波に放り込むことであった。病院を弱肉強食の淘汰競争の中に陥れ、その一方で、厚労省の思惑を常に伺わなければ生きていけない存在として規定する。

 誰にも保護されずに生存競争を強いられる弱者ほど、官僚からみてコントロールしやすい組織はない。さらに大学は、職務と人員とにおいて、ピラミッド型の上下関係に整序された組織的構造を有する。狭義にはカトリック教会の教階制を、広義には中世ヨーロッパの封建社会の身分構成より模倣されたヒエラルキーが潜在的に存在する。
 医療現場が心地良くならない理由は、やはり医師のどこかに「オレたちは苦労したのだから、お前たちも苦労するのが当たり前だ」と思っていることである。これは、もう確実に言えることである。なぜか私たちは、自分が経験させられた苦痛を他人にも経験させようとする。「自分がつらい思いをしたから、他人には同じ痛みを味わって欲しくない」と口では言うかもしれないが、実行する人は驚くほど少なく、自分がされて厭だったことは、見事に世代間継承されていくのである。
 それは、きっと他人に苦労を強いることでしか、自分の価値を認めてもらえる方法を見出せないからではないのか。「このような苦痛に耐えてきたオレはすごいだろう」ということでしか尊敬を得る方法を知らなくなってきているからではないのか。
 こういう文章を書いている私だって、うわべは「後輩には苦労をかけたくない」と言っているが、自分の仕事がキャパを超えると、「何でいつまでも自分が頑張らなければならないのだ」と、正直思っている。

 大震災の後で考察したことだが、「私たちが生きている社会は一過性のものであって、始まりがあった以上、いずれ終わりがある」という考えを持っていると、「今あるこの社会が、いずれ、どのような形にせよ、今とは違う社会になるかもしれない」ということに、関心を寄せるようになる。
 そういうことを何かにつけて想い出している人の方が、今ある社会がこれからもずっと続くと思っている人よりも、社会が大きな変革期に入ったときに慌てない可能性が高い。「なるほど、こう変わっていくわけね」と傍観できる人は、「このような変化をきたすなんて」と動揺している人よりも、変革期を生き延びられる確率が高い。
 “生き残る”ということの根源的な意味は、そういう発想なのかもしれない。

 映画「Public Enemies」で、伝説のギャング役のジョニー・ディップが殺されずに仕事を続けられる理由として、「オレたちは一流だ」と思っていることと、「今日が愉しければ明日のことは考えない」と考えていることであった。生き残って仕事を続けるためのひとつの思い込みかもしれないが、刹那的な現代の医療現場と共通するような気がする。

 話しの最後は、生きることに対する尊大的で妄想的な内容になってしまった。
 「こんな“撤退のススメ”を語って、小鷹先生は医局を辞めたいのですか?」という質問が当然聞こえてきそうである。ここまで手の内を明かしておいて、辞めるも何もないであろう。「私のようなボンクラで組織不適格者が、結構愉しんで大学病院に勤務している」という現実に一番驚いているのが、何を隠そう当の本人である。
 「(個人にしても医局にしても)最終的に生き残るためには、医局を自由に円滑に辞められる」という体制であった方が、わだかまりも少なく、医療の現場を良くするためには必要なことなのかもしれない。



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201104260038.html
ドクターヘリ訓練で威力確認
'11/4/26 中国新聞

 島根県は25日、医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)の6月導入を目指し、初の運航訓練を出雲市消防本部と共同実施した。県内9消防本部で計18回実施し、出動要請から患者搬送までを確認。円滑で安全な運用に備える。

 訓練には、市消防本部の隊員と県立中央病院(出雲市)の医師や看護師たち計20人が参加した。交通事故による重傷者1人をヘリで同病院へ搬送するまでの手順をチェックした。

 中央病院から北東約18キロ離れた伊野小(同市)近くの農道で交通事故が発生した―と想定。ヘリは要請から約12分後、同小校庭に到着した。ヘリに同乗した医師と看護師が、負傷者に人工呼吸などの応急処置を施し、ヘリに運び込んだ。

 初期の救命措置までに要したのは約20分で、陸上搬送の約3分の1に短縮した。中央病院の山森祐治救命救急科部長は「ヘリは中山間地が多く東西に長い島根県では特に有効。防災無線を活用した患者の情報収集も徹底していきたい」と話していた。

  1. 2011/04/26(火) 05:58:05|
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4月25日 震災46日目

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110422/219559/?rt=nocnt
復興への道  企業の支援「ロジとマッチング」が足りない
なくならない「避難所格差」、支援情報の一元化を急げ

谷口徹也(日経ビジネスオンライン副編集長)
2011年4月25日(月)


 東日本大震災の被災地域では復興に向けての動きが始まっているが、依然として10万人以上が避難所で暮らすなど、厳しい生活を強いられている被災者もまだ多い。被災地の支援活動を続けているユニセフ・ソマリア事務所の國井修氏に、避難所の状況や企業からの支援で求められているものなどを聞いた。

 國井氏は3月21日掲載のインタビュー『お母さんと子供に「安息の空間」を』に登場後、被災地入りし、現在は宮城県災害保険医療支援室のコアスタッフを務めている。

(聞き手は谷口徹也=日経ビジネスオンライン副編集長)

―― 前回のインタビュー後、被災地入りされました。

國井修氏 宮城県の主要な町の避難所を回ってきました。私は内科医ですが、今回、医療活動には直接従事せず、今後の支援活動につなげるコーディネートに徹してきました。

 想像していた以上に、被災者が身を寄せている避難所の状況は厳しい。ある学校の体育館では、入口を入ってすぐのところにあるホールに毛布を敷いて寝ていたり、飲みかけの缶コーヒーも置くテーブルがなく、下駄箱に置いていたりしました。衛生面での手当てがまだ不十分でした。

―― 全国から支援の手が差し伸べられています。それでもまだ、不足が大きいということですか。

 支援物資は続々と届いています。徐々に行き渡りつつあるようですが、新たな問題も出てきました。1つは、必要とされる物と、届いている物にギャップがあること。そして、もう1つは、避難所がある地域によって、物資の充足度合いに格差があることです。

 例えば、ミネラルウオーターは全体の必要量に対する充足率はかなり高いと思います。ただし、いくつかの避難所では現在の需要に対して届いた量が多すぎ、入口の回りに積み上がって人通りを妨げていました。その一方で、まだ飲料水が足りない避難所もある。カップラーメンなどでも同じような現象が見られました。

 時間が経つにつれて、被災者の方々が置かれた状況や環境、心境は変わっていきます。とにかく空腹を満たすために食料が必要だという段階を過ぎれば、心理的な充足につながる暖かい食べ物などが欲しくなるわけです。非常食的なものではなく、家庭の料理に近いものをいかに提供するかが課題になってきます。

支援マップで「Who、Where、What」
 別の言い方をすれば、命をつなぐための炭水化物から、生活の質を上げるためのタンパク質やミネラルの補給を意識した食料への移行ということになります。避難所暮らしが長くなって疲労がたまってきたことや、寝床の具合が良くないことなどが原因となって、口内炎や皮膚炎、床ずれなどで苦しむ被災者が増えてきています。食事の改善は重要な課題です。

 震災当日から今も変わらず不足気味なのは、紙おむつや、洗濯ができないため事実上使い捨てになっている下着類、片付けなどの活動を始めた人や通学を始めた子供たちの長靴などです。

―― そう考えると、ライフラインが復旧してきても、支援物資を的確に行き渡らせるのはなかなか難しいということですね。

 支援物資があふれている避難所と、いまだに足りない避難所が混在する背景には、被災地が広すぎ、ロジスティクスが間に合っていない面が大きい。何しろ避難所だけで2000カ所以上ありますし、山間いで交通が不便な所も多い。暮らしている被災者が1000人単位の大きな所から、10人、20人の小さな所までさまざまです。これらのニーズをまんべんなく充足させるのは、大変困難なことだと思いました。

 正直に言うと、ある程度、小規模な避難所にいる被災者の方にはどこかに集まってもらって、1カ所の規模を大きくした方が支援活動は充実させやすい。しかし、被災者の方は地元に愛着を持っていて、なかなか離れたがりません。高齢や寝たきりで、動こうにも動けない方もいらっしゃいます。

 また、壊滅的な被害を受けた病院や保健所が多いですから、地域で医療活動を充足させることも難しい。だから、できるだけ早く巡回診療が行き渡るよう仕組みを整える必要があります。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39874
被災地 問診におもちゃ活躍
(2011年4月25日 読売新聞)

子どもに笑顔 / じっくり診療
 東日本大震災で、避難生活が長引くなか、避難所などで暮らす子どもや認知症高齢者の心のケアが課題になっている。(安田武晴)

 心のケアにおもちゃを生かす研究をしている「玩具福祉学会」(本部・東京)では、先月半ばから、被災地におもちゃを送り、医師たちの診療活動に役立てている。

 福島県いわき市では今月3日から10日まで、長崎県大村市の出口貴美子医師(47)ら同学会の理事を務める医師2人が、被災地医療チームの一員として避難所を巡回した。

 10日に福島県いわき市の小学校を訪問した出口医師は、花粉症の症状がある鈴木修人君(8)を診察。鳴き声を出すヒヨコのぬいぐるみや、仮面ライダーのシールなどを取り出して手渡しながら、30分かけてじっくり問診した。

 「避難所にはおもちゃがないので、うれしい」と笑顔を見せる修人君に、母親の花恵さん(40)も「子どもの笑顔を見ると、私たちも元気になる」と目を細める。出口医師は「おもちゃは、子どものストレスを和らげるだけでなく、周りの人たちもホッとさせる効果がある」と強調した。

 同学会には、玩具メーカーなどからおもちゃの寄付が相次ぎ、出口医師らは今後も、いわき市で診療を行う予定。宮城県でも、会員の医師がおもちゃを携え、認知症高齢者らの自宅へ訪問診療を行っている。



http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_227567
【日本版コラム】東北の復興プランは日本の「新たなインフラ輸出」構築のチャンス
尾崎弘之・東京工科大学教授

2011年 4月 25日 10:05 JST  ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

 4月23日、東日本大震災の被災地復興のグランドデザインを検討する政府の「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の第2回会合が開かれた。会議メンバーの村井嘉浩宮城県知事、達増拓也岩手県知事は、土地利用などの再生ビジョン、特区創設なとの推進体制、復興財源について考えを述べた。二人の知事に対し、佐藤雄平福島県知事は「福島では原子力災害が進行中で、具体的な復興ビジョンを提案できる段階ではない」と忸怩(じくじ)たる思いを述べ、岩手、宮城との温度差が明らかとなった。

「復旧」と「復興」の複雑な関係


 佐藤知事の発言は、復興ビジョン作成の難しさを物語っている。

 東日本大震災のような甚大かつ広範な災害の場合、どうしても復旧に時間がかかる。ただ、復旧の完了を待っていては、復興の青写真を描くことが遅れるので、どうしても見切り発車になってしまう。福島では、原発事故収束のメドが立って初めて復旧と言える。岩手、宮城も実は同様で、未だに行方不明者数が合計1万4000人に迫り、がれきの山が多数残されている。「復旧が終わらなければ復興どころではない」と感じる被災地と、復興を急ぎたい政府との温度差が、復興計画を難しくする。

 復興プランを作る上での二番目の問題点は、「被災者の生活」と「公益」のバランスを取ることの難しさである。被災地を医療や介護のモデルタウンにするのは良いが、元の仕事を続けたい農業・漁業従事者はどうなるのか。また、住民の移動を減らすため、高層ビルを作って職・住・公共を近接させる「コンパクトタウン」を作ると言っても、過疎地のお年寄りは高層ビルに住みたがるだろうか。さらに、海岸近くの土地に戻りたいという住民の希望を優先すれば、高さ25mの堤防が必要となる。その資金は誰が負担するのか。

 住民の利益と公益のバランスは常にある問題だが、復興構想担当者側と被災地との細心かつ粘り強い交渉が必要である。そう考えると、復興構想会議のような「アドバルーン」を上げることは弊害が大きいのかもしれない。

バランスが取れ、成長戦略にも貢献する「災害に強いエネルギーインフラ」

 被災地や住民の利益を害さず、かつ、日本の成長戦略という「公益」に貢献するプランも存在する。例えば、「農業の生産性の向上」と「災害に強いエネルギーインフラの構築」である。前者については、復興構想会議で村井知事が発言した「農地・漁港の一部国有化」が手段になるだろう。このようなプランの必要性は長年言われてきたが、農業もエネルギーも利権が大きいことと、プラン実現の予算不足が原因で、実現されなかった。ところが、今は復興資金が潤沢にあり、ゼロからモノを作ることができる。プラン実現のチャンスである。

 災害に強いエネルギーインフラとは何か。早稲田大学の横山隆一教授は、「電力会社が作った巨大ネットワークに依存しない『地産地消』の電力ネットワーク」を提唱している。

 電力会社が構築している既存ネットワークは、過密な都会を避けながら、過疎地に巨大な原子力、火力発電所を建設して、高圧送電線で都会に電気を送る「中央集中型ネットワーク」である。このメリットは、巨額の設備投資によって単位あたり発電コストが下がることである。中央集中型といっても、主力発電所が一基ダメになった程度では、全体の電力供給に影響が出ないよう設計されている。しかし、今回のように発電能力の40%がダメージを被る大災害が起きると、被災地の長時間の停電や、大都市の計画停電が起きてしまう。

 これに対して、電力消費地の近くに、太陽光発電、風力発電、バイオマス発電、小型水力発電、ディーゼル発電などの中小型発電所が分散設置されていれば、大災害時でも停電の被害を大幅に緩和できる。これが、エネルギーの地産地消を行う「分散型ネットワーク」である。

分散型ネットワークのメリット

 分散型ネットワークの欠点はコストが高いことと、出力が不安定なことである。例えば、太陽光発電のコストは原子力発電の7.4倍~9.5倍もするが、クリーンエネルギーの本格的な補助金制度法案が国会に提出されている。また、そもそもこのコスト差は原子力廃棄物の処理コストを含まないで計算されている。原子力の廃棄コストがいかに高いかは、我々は思い知っている最中である。また、分散型ネットワークは、中央集中型ネットワークと異なり、送電線設置に巨額のコストを必要としない。さらに、出力が不安定な欠点は電池などの技術でカバーできる。

 横山研究室は、分散型ネットワークによって、災害時の電力供給先に優先順位をつけることが可能なことも指摘している。首都圏の計画停電では、複雑で巨大な送配電網があるため、公共施設、病院、学校、信号などに優先的に電気を送ることができない。また、高い電気代を払ってでも電気が欲しいというハイテク工場のニーズに応えられない。ところが、分散型であれば、非常時に優先度が高い対象のみに配電する設計が可能になる。

 何故、今までこのようなことができなかったのか。4月18日のコラム「『東京電力処理』で忘れてならない視点: 日本の電力供給の構造的問題の解決」に書いたとおり、電力の安定供給が責務となっている電力会社が、中央集中型ネットワークを不安定にするという理由で、分散型ネットワークとクリーンエネルギーの導入に消極的であったからに他ならない。

分散型ネットワークと日本の「インフラ輸出」

 分散型ネットワークの導入には、他にもメリットがある。それは、日本の成長戦略に貢献できることである。

 分散型はあくまで中央集中型の補完ネットワークとして存在する。今の技術水準やコストでは、分散型ネットワークによって大都市の電力需要を賄うことができないからである。太陽光発電が原子力発電や火力発電の代替になることは理論的に可能でも、当分無理である。これを理解しないと、単純にクリーンエネルギーを増やせという非現実的な主張になる。

 今後、分散型ネットワーク構築と運営の実績を積めば、まだ確立されていないクリーンエネルギー安定運営技術において、日本が世界で抜き出る可能性がある。欧州はクリーンエネルギー先進地域だが、風力発電の比率が高くなり過ぎたために、近年は出力の不安定化に悩まされている。「2020年までにクリーンエネルギー比率を20%にする」という欧州の目標実現には、依然課題が多い。

 このプランが実現して国内で波及すれば、日本は近い将来、クリーンエネルギーの「インフラ輸出大国」になるかもしれない。日本のインフラ輸出を原発技術に頼ることは困難となった。日本にとって「バラ色のシナリオ」の実現には、東北三県の復興計画の内容にかかっている。



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39888
被災地、深刻な栄養不足
(2011年4月25日 読売新聞)

避難長期化 衛生環境改善せず


 東日本大震災の被災地では、停電や断水などによる衛生状態の悪化や長引く避難所生活に伴う栄養不足などから、住民の健康をどう守るかが課題となっている。(医療情報部 利根川昌紀)

 「背中の床ずれの具合を見せてくださいね」

 宮城県気仙沼市で23日午後、脳梗塞で寝たきりの女性(67)宅を往診した京都市の勤務医、脇元洋果(ひろか)医師は、そう声をかけ、床ずれした部分を水道水できれいに洗い、塗り薬を塗った。

 女性の家では、停電が2週間ほど続き、床ずれ防止用のエアマットが動かなくなってしまった。電話は通じず、病院に相談することもできなかったという。

 地元で多くの開業医も被災するなか、脇元医師ら日本プライマリ・ケア連合学会では全国から交代で被災地に入り、現在は7人の派遣医師が高齢者宅の往診などを行っている。

 同学会で調整役を務める林健太郎医師によると、かかりつけ医に通院できなくなり、高血圧などの持病が悪化したり、相次ぐ余震の恐怖から不眠になったりし、体の不調を訴える高齢者も多い。

 断水で歯磨きや入れ歯の手入れがおろそかになり、細菌が口の中で増殖したり、のみ込む力が低下したりして、誤嚥(ごえん)性肺炎を起こす高齢者もみられる。

 林医師は「地元の医師が通常の診療を行えるようになるまで、長期的な支援活動が必要だ」と話す。

 栄養不足も深刻だ。NPO団体などが4月11~17日に宮城県内の避難所230か所を調査したところ、野菜や肉、魚などを調理した副食が1日平均1回以下のところが55%あり、12・5%はゼロだった。

 岡山大病院臨床栄養部の坂本八千代副部長は「ビタミンやミネラル、たんぱく質が不足している。サプリメントなどの栄養を補う食品を活用することも必要だ」と指摘する。

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尾崎弘之 東京工科大学大学院ビジネススクール教授

 昨年6月からWSJ日本版に連載開始。著書「環境ビジネス5つの誤解」(日本経済新聞出版社)が1月13日に出版。クリーンエネルギー、電気自動車、水などの5分野に関して誤解を指摘し、問題の解決方法を分析する。
 東京大学法学部卒、ニューヨーク大学MBA、早稲田大学博士。野村證券NY現地法人、モルガン・スタンレー証券バイス・プレジデント、ゴールドマン・ サックス投信執行役員を歴任後、ベンチャービジネスに転身。2005年から現職。専門分野は環境ビジネス、金融市場論、ベンチャー企業経営論など。主な著書は「出世力」(集英社インターナショナル)、「次世代環境ビジネス」「投資銀行は本当に死んだのか」(いずれも日本経済新聞出版)。http://hiroyukiozaki.jp/



http://iryojinzai.net/678.html
遠隔システムによる被災地医療支援ボランティア「継続ケア・キュアネットワークプロジェクト(C3NP)」が始動
[ 2011/04/25 ]医療人材.net

 遠隔システムを利用して東日本大震災の被災者の医療やケアの相談を受けるボランティアプロジェクト「継続ケア・キュアネットワークプロジェクト(C3NP:Continuous Care & Cure Network Project)」が12日、その趣意書を公表した。テレビ電話による無料の遠隔医療相談により、岩手県や宮城県など、甚大な被害を受けた地域の被災者、医療者をバックアップしていく。(参考:東北大、宮古島で携帯端末を使った遠隔医療システム実験)

 同プロジェクトの代表は、細田瑳一氏(自治医科大学名誉教授)、代表補佐は金子郁容氏(慶應義塾大学政策・メディア研究科教授)、事務局長は、澁谷恭子氏(エンサイクロメディカ代表取締役)。

 榊原記念病院などの医療機関が協力し、特別協賛のNTT 東日本がテレビ電話回線などを無償提供するという。大災害に見舞われた被災者の心と体の健康は、災害直後の直接的なショックを切り抜けた後、むしろ不安や喪失感などに襲われることもあり、中長期的な支援が必要と言われている。同プロジェクトは、遠隔システムにより首都圏のボランティア医師や保健師が、避難所などで暮らす被災者の医療関係の相談を継続的に続けていくことで、被災者に地元での生活を続けたまま安心を取り戻せること。また、それにより現地の医療機関の負担を少しでも減らすことなどを狙いとしている。



http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/0003999047.shtml
兵庫のチームが診察継続 地元医療への移行課題 
(2011/04/25 10:26) 神戸新聞

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市の避難所で、兵庫県医師会と県看護協会、県薬剤師会の合同チームによる臨時診療所が、震災発生から1カ月以上たった今も、近隣住民の診療を続けている。ライフライン復旧の見通しさえ立たない地域では外部からの医療支援がなお必要とされる一方、被災した開業医らに徐々に再開の動きも出始め、地元の医療に患者を戻す取り組みも求められている。(本紙取材班・岩崎昂志)

 合同チームは計12人程度で、医師と看護師、薬剤師、事務職員らを交代で派遣。同市立石巻中学校の1教室を借り、臨時診療所を開いている。黒板の前に移動式カーテンで仕切られた即席の“診察室”やパイプ椅子を並べた“待合室”があり、段ボール箱で作られた薬棚や医薬品の入った箱が所狭しと並ぶ。

 今月14日、風邪気味という70代女性は、診察中に泣き始めた。震災発生のわずか9日前に夫を亡くし、津波で自宅も失ったという。「私も、流されたら良かった」。震える女性に対し「うん、まずは風邪をしっかり治そな」。神戸市兵庫区の産婦人科医院長、野々垣真佐史さん(57)が関西弁で返し、隣の看護師が女性の体を支えながら話に耳を傾けた。

慢性期医療へ 時間の経過とともに、患者の訴えも変化している。3月21日の開設直後には、衛生環境の悪化や寒さから感染症にかかるなどした患者100人以上が列をつくったが、現在の受診は1日20~30人程度で、高血圧や糖尿病などの慢性疾患がほとんど。一方で今も多くのがれきがまちに残るため、ほこりによる目の痛み、不眠や不安感を訴える人が絶えない。このため、眼科医、精神科医らも交代で参加している。

 「避難所では、救急医療が必要な患者は少なくなった。慢性疾患の診療は本来、地域に根差したかかりつけ医らに委ねるべきだ」。支援に入った神戸市須磨区の眼科医院長、村上眞さん(55)は、そう強調する。阪神・淡路大震災の経験から、外部からの医療支援が長期化し過ぎると、再開した地元開業医らの元に患者が戻るのが遅れるなどの懸念があるためだ。

 石巻市医師会によると、会員の病院や診療所84施設のうち、21日現在で診療しているのは50施設。このうち半数程度は、診療時間を短縮するなどして再開にこぎつけたという。合同チームの臨時診療所では、開業医らの再開状況を連日チェックし、訪れた患者にそれらを紹介している。

 一方、医師らが津波で命を落としたり、施設が流されたりして既に閉院に至ったケースもある。兵庫県医師会の川島龍一会長は「阪神・淡路の時とは異なり、特に被害の大きかった地域は十分な復旧までに長い時間がかかるとみられる上、そもそも東北地方は医師が少ない地域が多い。今後、息の長い支援と、地元医療に円滑につなぐことを考えたバランスが重要になる」と話す。

仮設診療所 診療所が被災したため、仮設の施設で再開した開業医らもいる。宮城県気仙沼市の猪(い)苗(なわ)代(しろ)医院は3月28日、同市内の空き店舗を転用して整形外科などの診療を始めた。

 漁港近くの同医院は約千人の患者を抱えていたが、震災で燃えたがれきが津波と共に押し寄せ、院長の猪苗代勇さん(68)やスタッフは孤立。しかし、自衛隊にヘリコプターで救出された同13日から、再開に向けて動き始めた。使える空き店舗を探し出してカルテや薬を運び込み、連絡先の分かる患者らに知らせた。

 膝の痛みで10日ごとに同医院で注射を受けていた市内の女性(90)は「いつ注射してもらえるか、心配だった。生きているうちは元気でいたい」と喜ぶ。

 猪苗代さんは「今は全国から医療チームが来ているが、最終的に地域医療を守るのは私たち。まちの復旧と歩みを合わせて、医院の機能回復を目指す」と決意している。



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T00084.htm
栄養不足・床ずれ・肺炎・高血圧…被災地深刻
(2011年4月25日12時38分 読売新聞)

 東日本大震災の被災地では、停電や断水などによる衛生状態の悪化や長引く避難所生活に伴う栄養不足などから、住民の健康をどう守るかが課題となっている。

 「背中の床ずれの具合を見せてくださいね」

 宮城県気仙沼市で23日午後、脳梗塞で寝たきりの女性(67)宅を往診した京都市の勤務医、脇元洋果(ひろか)医師は、そう声をかけ、床ずれした部分を水道水できれいに洗い、塗り薬を塗った。

 女性の家では、停電が2週間ほど続き、床ずれ防止用のエアマットが動かなくなってしまった。電話は通じず、病院に相談することもできなかったという。

 地元で多くの開業医も被災するなか、脇元医師ら日本プライマリ・ケア連合学会では全国から交代で被災地に入り、現在は7人の派遣医師が高齢者宅の往診などを行っている。

 同学会で調整役を務める林健太郎医師によると、かかりつけ医に通院できなくなり、高血圧などの持病が悪化したり、相次ぐ余震の恐怖から不眠になったりし、体の不調を訴える高齢者も多い。

 断水で歯磨きや入れ歯の手入れがおろそかになり、細菌が口の中で増殖したり、のみ込む力が低下したりして、誤嚥(ごえん)性肺炎を起こす高齢者もみられる。

 林医師は「地元の医師が通常の診療を行えるようになるまで、長期的な支援活動が必要だ」と話す。

 栄養不足も深刻だ。NPO団体などが4月11~17日に宮城県内の避難所230か所を調査したところ、野菜や肉、魚などを調理した副食が1日平均1回以下のところが55%あり、12・5%はゼロだった。

 データ:宮城県内230カ所の避難所で出された副食の回数(4月11日~17日)
 1日あたり 0回  12.5%
      1回  42.5%
      2回  36.3%
      3回  8.8%
 *「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」調べ



http://jp.wsj.com/Japan/node_227856
高齢被災者に肺炎などの疾病がまん延
* 2011年 4月 25日 17:38 JST ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

 【石巻(宮城県)】先月の大地震と津波に被災した東北地方で、高齢者が死に至る恐れもある肺炎などの疾病の危険に脅かされていると公衆衛生関係者は 憂慮している。人口密度の高い避難所で生活しているため、ホコリを介したインフルエンザの流行や呼吸器疾患、またあまり動かないため足に血栓ができるエコ ノミー症候群なども懸念されている。

 石巻赤十字病院呼吸器内科の矢内勝科長によると、3月11日の震災以来、津波の影響で通常の約5倍の150人前後の肺炎の患者が同病院を受診したという。80%が高齢者で3分の2が学校の体育館のような避難所で暮らしている人々だった。

 避難所には医療従事者がおり医療物資もあるが、「多くの人は暖房も水もないところに大人数で暮らしている」ため、こうした疾病を防ぎ切れない、と矢内医師は言う。高齢者は免疫機能が弱っている上、ストレスや栄養不良によってさらに健康を害しやすくなっているという。

 フジタキヨシさん(76歳)夫婦は震災の後、車に飛び乗って対向車線を突っ走り、高台に避難して津波の難を免れた。だが家を失い中学校の体育館に避難している。夫婦は他の大勢の避難者と一緒に床に寝ていたが、2週間前にフジタさんが風邪をこじらせ、高熱を出し息が苦しくなった。避難所の医師が診察し救急車を呼んで石巻赤十字病院に入院、抗生物質の点滴を受けて回復した。だが、今も鼻から酸素を吸入している。「(避難所は)人が多すぎる上に、いつも寒かった」とフジタさん。夫婦のいる避難所には今も500人以上が生活している。

 避難所ではインスタント・ラーメンなど塩分が多い食事が多いため高血圧を悪化させる高齢者も多いという。

 石巻市では4月第1週に137戸の仮設住宅が完成した。高齢者の入居が優先されているが、とても建築が追いつかない状態だ。

 ゴトウエイコさん(74歳)は下痢による脱水と低血糖で、意識がもうろうとなって病院に運び込まれた。ゴトウさんは「避難所の生活にはひどいストレスを感じる。夜眠れない」というが、退院したら避難所に戻るしかない。「仮設住宅に移りたいが、難しい」と語った。

記者: Gordon Fairclough



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135798/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(行政)
仮設診療所14億円、医療機関の早期復興目指す
2011年度第一次補正予算案を閣議決定

2011年4月25日 橋本佳子(m3.com編集長)

 政府は4月22日、東日本大震災に係る復旧支援として、2011年度第一次補正予算案を閣議決定した。厚生労働省関係は総額1兆8407億円。

 厚労省医政局指導課は、「今回の補正予算案は、医療機関の早期復旧に軸足を置いたもの」と説明する。仮設診療所と、一部被災した医療機関への復旧がメーンであり、例えば街の大半が被災した地域、全壊した医療機関の復旧支援は今回は含まれていない。

 仮設診療所等の予算は、14億円を要求。「地域の仮設住宅や避難所、既存の医療機関の状況、地域の高齢者数などを踏まえた医療ニーズを総合的に県が判断して、必要なところに設置してもらいたい」と説明。無床診療所(歯科診療所も含む)を想定しているが、その規模や数などは今後検討する。また設置主体は県または民間、運営は民間に委ねることも想定している。1995年の阪神・淡路大震災の際は、「県内に9カ所の仮設診療所を設置。医師会が運営を担当した」(厚労省医政局指導課)。

 また一部被災した医療機関等への災害復旧等の予算は、70億円。(1)医療施設等災害復旧費補助金、(2)岩手県、宮城県、福島県の3県における2010年度補正予算の地域医療再生基金の引き上げ、(3)医療施設等施設整備費交付金による国庫補助 ――の3本立てで行う。(1)は、公的医療機関については、補助率を2分の1から3分の1に引き上げる(民間医療機関は2分の1)。(2)は、2010年度補正予算で、47県で総額2100億円が計上されたが、1地域当たり15億円から120億円と幅がある。3県については、上限の120億円まで確保する。(3)は、(1)が復旧、つまり「現状への回復」を念頭に置いた補助なので、さらに近代化を図る分についての補助。いずれも県の補助は必要とせず、被災医療機関は、(1)から(3)のすべてを活用することが可能。

 各補助金の補助要綱は、このゴールデンウイーク明けをメドに公表される予定。「今回の災害は、激甚災害なので、補助の上限は決めていない。各医療機関から県を通じて上がってきた申請に対し、実際に現地に出向いて調査するなどして補助額を決定する」(厚労省医政局指導課)。



http://www.nikkei.com/life/news/article/g=96958A9C889DE0E5E1E5E2E6EAE2E0E7E2E6E0E2E3E39180E2E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E3EAEAE7E6E2E0E3E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2
津波被害の岩手県立大槌病院、仮設診療所開設 院長決意新た
2011/4/25 14:10 日本経済新聞

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町で、地域医療の中心的な役割を果たしてきた県立大槌病院が25日、仮設診療所を開設した。被災しながらも同町にとどまった医師らが診療に当たる。津波で大半のカルテや医療設備を失い、多難な前途が予想されるが、岩田千尋院長(64)は「地域医療の灯を消さぬよう全力を尽くしたい」と決意を新たにしている。

 「どうも久しぶり。元気そうでよかったね、今日はどうしました」。25日午前、大槌町内の神社に設置された仮設診療所の一室で岩田院長が、風邪の症状を訴えた浜田ちえさん(86)=岩手県大槌町=に明るく声をかける。

 浜田さんは大槌病院で震災前から岩田院長の診療を受けていた。現在、地震で自宅を失い町内の別の地区に住む弟の所に身を寄せている。「最近は疲れがたまっていたが、今日は薬ももらえた上、岩田先生の顔を見られてほっとした」と安堵の笑みをこぼした。

 仮設診療所は同町の神社内にある集会所の建物を利用。他の自治体から派遣された応援医師のサポートを受けながら医療活動に当たる。当面の診療科目は内科のみ。医療設備はレントゲンや血圧計など基本的なものに限られるが、岩田院長は「何とか医療体制を整えられただけでも大きな前進」と満足げだ。

 3月11日の大津波で同病院は壊滅的な被害を受けた。院内にいた医師や患者ら約150人は何とか難を逃れたが、建物は2階まで浸水。カルテや大半の医療機器は海の藻くずとなって消えた。

 「もうだめだ……」。岩田院長は絶望感に襲われた。だが流されずに残っていた医師免許を病院内で発見し「今、自分にできることをやるしかない」と決意。自宅が流されたため避難先の高校で診療を続けながら、診療所再開に向け町側と相談を重ねた。

 大槌病院は救急医療にも対応できる総合病院として、半世紀以上にわたり同町の地域医療を支えてきた。近年は医師不足が進み、一番多いときに約10人いた常勤医は3人まで減少。121あった病床数を半減するなどしながらも、地域医療の担い手として踏ん張ってきた。岩田院長もその一員として大学卒業後、30年以上同病院で内科医として勤務してきた。

 今後、避難所生活の長期化で感染症拡大の恐れも増しており、同病院が対処すべき課題は山積する。だが岩田院長は「町の復興は長い道のりになる。この地にとどまり住民の力になりたい」と決意は固い。地域医療の担い手としてどう使命を果たすか。大槌病院の長い闘いが始まった。



https://www.cabrain.net/news/article.do;jsessionid=28AE8C3D3C3DF2DE61EB7761949F448F?newsId=33840
日医会員、被災2県で11人死亡、4人不明
( 2011年04月25日 13:23 キャリアブレイン )

 日本医師会の原中勝征会長は4月24日、定例代議員会であいさつし、東日本大震災で被災した岩手、宮城両県で会員11人が死亡し、4人が行方不明であることを明らかにした。また、震災への政府の対応について、「国民をどう思っているのかと心から憤りを感じている」などと批判した上で、被災地の視察後に政府に厳重な抗議をしたことも明らかにした。

 原中会長は視察を振り返り、「宮城の浜辺では、道路の端のがれきから手と足がのぞいていた。政府は一体何をしているのか」「医師会の現場の声はおろか、県の声すら政府に届いていない」などと述べた。
 また、あいさつでは、「(津波で大きな被害を受けた福島県の)浪江町はわたしが生まれた所。視察して再興はないと思った。わたしは古里を失った」と、声を詰まらせる場面もあった。

 一方、22日に自らが代表を務める「被災者健康支援連絡協議会」が設置されたことに触れ、「すべての医療関係者が国の中央機関に意見を述べるという組織ができた」と強調。被災地の医療体制の再構築に向け、政府に対して積極的に提言する考えを示した。



http://www.afpbb.com/article/pressrelease/contribution/2796939/7131021
ハワイで義援金募集イベント「With Aloha」開催
* 2011年04月25日 12:32 発信地:オアフ島/米国
(c)With Aloha

 ハワイ・オアフ島のパゴダホテルで9日、東日本大震災で被災した仙台の東北大学病院への義援金を募るイベント「With Aloha」が行われました。

 イベントには24の飲食店、2300人を超える人たちが、会場に赴いたりウェブを通じたりして参加し、歌手・かの香織さんのライブパフォーマンスも行われました。企業や飲食店から15万ドル(約1275万円)が集まり、その全額が東北大学病院に寄付されます。

 東北地方最大の病院である東北大学病院は、大震災で被災しながらも、仙台市内のみならず、数多くの避難所で避難生活を送る数千人の被災者に緊急処置などを行っています。被災者に救いの手を差し伸べている病院スタッフや医師、看護師たち自身も大震災や津波の被災者であり、震災後は食料・燃料不足の影響を受けています。

 ハワイと日本には特別のつながりがあります。ハワイは19世紀後半に日本からの移民が始まり、現在ではハワイの全人口の約17%が日系人となっています。

(c)With Aloha



http://www.m3.com/iryoIshin/article/135797/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
医療関係団体
「災害対策の指揮命令系統に問題あり」
日医代議員会で指摘、「政府よりも日医が進んでいた」と原中会長

2011年4月25日 橋本佳子(m3.com編集長)

 「今回の想定外の大地震、津波の被害は相当なもの。こうした際には、情報の収集と伝達が必要であり、そのためには指揮命令系統が確立されていないとダメだが、今回は全くなっていなかった」

 4月24日に開催された第124回日本医師会定例代議員会で、こう指摘したのは愛知県代議員の大野和美氏。東日本大震災後の開催のため、震災への対応、JMAT(日医災害医療チーム)、来年4月に迫る次期診療報酬改定への対応(『「同時改定の見送り」、日医代議員会で“迷走”』を参照)に関連する質問が相次いだ。

ブロック代表質問のほか、個人質問でも震災関連、JMAT関連の質問が相次いだ。

 ブロック代表質問に立った、福島県代議員の高谷雄三氏も、「“想定内”の防災対策、災害医療計画がほとんど役に立たなかった。政府、県の災害対策本部も迷走していた。これまでの危機管理の反省と今後のあり方について、大都会で大災害が起きた時の日医の心づもりをお聞きしたい」と質問。

 これに対し、原中勝征会長は、「今回の日医と政府の情報の伝達の違いだが、日医の方がすごく進んでいた。日医からの情報を政府に伝えたという経緯がある。政府には、防災会議があり、担当大臣がいるが、県とのパイプがなかった。政府は、『県から情報が上がってこなかった』というが、それは政府に責任があると申し上げた。今後は、これを機会にきちんとしたものを政府が作るだろう」と回答した。

 さらに、原中会長は次のように述べ、今後は4月22日に発足した、「被災者健康支援連絡協議会」で、「間違いのない指令が出せるようにしていきたい」と強調した(『7医療団体による「被災者健康支援連絡協議会」発足』を参照)。「日医として非常に現場の声を聞きたいと思ったが、携帯電話が全然通じなかった。郡市医師会会長が死亡したところもあるなど、現場の荒廃した地域からの情報が入りにくかった。しかし、各県医師会が非常に情報を把握するよう努力し、それが毎日、日医の災害対策本部に入ってきた。我々はこれらの情報を把握して対応してきた。一部、問題があったのは、JMATが2チーム、3チーム、最初の頃は同じ地域に重複していたこと。批判を受けたりもしたが、これは混乱期であり、仕方がなかった。様々な団体が錯綜して行っているが、今後は日医が指示を出せるようにしていきたい」(原中会長)。

 「原子力災害に対する医師のマニュアルを」

 また高谷氏の福島第一原発事故についての質問に、原中会長は、「政府が発表している原発関係のデータが正しいかをチェックしている。御用学者の発表だけでは満足できない。常任理事会で講師を呼んで勉強会をした。日医として政府に対してきちんとした声明を出す予定」と説明。

 関連して、「原子力災害に対する医師のマニュアルを発行してもらいたい。それを基に医師が被災者に対応し、風評被害に回答するためにも必要」(岡山県代議員の森藤忠夫医氏)との要請に、石井正三・常任理事は、「放射線医学総合研究所や原子力安全研究協会などの情報もあるが、事後の検証も踏まえながら、早急にこうした議論はぜひとも実現したい」と回答した。

 なお、高谷氏の質問では、「(福島第一原発に近い)双葉病院が、『患者を捨てて職員が逃げた』とされているが、警官に『戻ってはいけない』と言われ、病院に入れなかった経緯がある。院長の名誉を回復するために、日医で記者会見を開いてはどうか」との意見を述べる場面もあった。

 被災地県からは医療機関の再建支援の要望

 東日本大震災関連では、被災地である岩手県の岩動孝氏、宮城県の嘉数研二氏、福島県の木田光一氏の各代議員も個人質問。

 異口同音に指摘したのは、被災した医療機関の再建に向け、建築資金や職員雇用の支援などの必要性だ。

 建築資金等については、4月22日に閣議決定した2011年度第1次補正予算案で、地域医療再生基金の活用などが想定されているが(『仮設診療所14億円、医療機関の早期復興目指す』を参照)、葉梨之紀・常任理事は、「それだけでなく、中長期的な支援のために、また公私の区別なく支援できるよう、政府に要求していきたい」などと回答。保坂シゲリ・常任理事は、「医療機関の事業休止に対する休業補償は、漁業や農業と同様、あるいはそれ以上に当然対象とすべき」とコメント。三上裕司・常任理事は、雇用調整助成金の活用を促すほか、福祉医療機構から、できるだけ「無利子、無担保、無保証」の融資を受けられるよう、現在交渉していると説明した。そのほか、医師をはじめとする医療者の就職支援などにも対応していくとした。

 「現地への強いメッセージを」

 今回の大震災の場合、医療機関だけでなく、街自体が甚大な被害を受けた地域では、そもそも街をどう再建するかという問題があり、医療機関の再建単独では議論できない難しさもある。ただ、この点を差し引いても、決め手となる医療機関支援策に欠けるためか、福島県代議員の星北斗氏からは、次のような質問も上がった。

 「私どもの同僚が震災により病院が崩壊し、診療が全くできない状況になり、全員解雇をした医療機関がある。私自身も類似の状況にある。事業を継続していくための資金、あるいはメドが早く立つことが重要だった。これらがあれば、即時解雇をしなくても済んだのではないか。今後のために、日医の対応として、多くの人が安心して医療を担えるよう、例えば、互助システムを作るなどの枠組みを考えてはどうか」

 これに対し、今村聡・常任理事は、「2005年の保険業法の改正で、共済事業がやりにくくなった。医師会そのものが実施するのは難しいかもしれないが、民間が行っている共済事業に、医師会が有利な条件で入ることができるかどうかを検討していきたい」と説明。

 さらに、星氏は、「私の願いというか、知っておいてもらいたいことがある。ただでさえ医師不足、医療機関不足にある県で、原発の問題をきっかけとして、医師たちが流出している。これを止めるためにどうすればいいのか。失われつつある医療の復興、再興に向けて、何か具体的な動きを日医にお願いしたい。現地にエネルギー、やる気を起させる強いメッセージをもう一度、お願いしたい」と要望した。

 横倉義武副会長は、原中会長と同様に「被災者健康支援連絡協議会」が発足したことを説明、「医療界が一体となって活動するための協議会が発足した。今指摘があったような事項について、十分に意見交換しながら、対応していく。元気を出して、がんばってほしい」と回答した。

 JMATでの活動医師、日医会員は6割

 そのほか、JMATに関する質問も相次いだ。中でも多かったのが、原中会長の発言にもあったが、被災地のニーズを把握し、いかに効果的にJMATを派遣するかという点だ。

 星氏は、「JMATに支援してもらったが、被害状況の把握が非常に難しかった。県医師会の能力は限られている。日医総研などにそうした調査の機能を持ち、JMATとは別の次元で調査をしてもらうと、全体の状況がもっと早く分かったのではないか。こうした準備のほか、被災地からの意見を聞く委員会の設置も検討してもらいたい」と求めた。

 これに対し、石井常任理事は、「JMATをどう出動させるか、どうマッチングさせるかだが、災害医療では予測ができない1回限りの事象にどう対応するかが問われる。現場とJMATが協力してやっていくもの。現地で全く何もないところから一度、オーバーフローしたところまで行き、それから修正するのが災害医療。多少のミスマッチはある程度、想定しなければならない」と対応の難しさを強調。さらに「今回の問題は政府の中央防災会議に日医が参加していなかったことが問題。今回のJMATの実績を基に、参加を働きかけていく。JMAT自体の問題については、日医の救急災害医療対策委員会で今回の対応を検証し、研修プログラムも含め、今後の対応を検討していきたい」とした。

 なお、今回JMATでは損害賠償保険を準備、日医会員か否かを問わず、チーム構成員全員を補償対象としている。石川正巳・常任理事は、「JMATの約6割が会員だった。1244人の医師のうち、会員は737人、非会員は507人。非会員は会員である病院長の要請で派遣された勤務医が中心。保険料は1人約3000円で、全額日医で負担している。これまで、看護師や事務職員を含め3545人をこれまで派遣した」と説明した。



http://mainichi.jp/select/science/news/20110426k0000m040099000c.html
東日本大震災:保健師不足 医療支援に支障の恐れ
毎日新聞 2011年4月25日 21時26分

 東日本大震災の被災地で、住民の健康相談などにあたる保健師が不足し、中長期的な医療・福祉支援に支障を来す恐れが出ている。被災地が広大な上、保健師自身も被災し、どこに支援が必要な被災者がいるかの把握が追いついていないのが実情だ。全国から保健師が派遣されているが、1週間程度で交代するケースが多く、被災地からは継続的なケアへ向け、同じ保健師の長期派遣を求める声も上がっている。【福永方人、長野宏美】

 「お体どうですか」「ご家族で調子の悪い方はいらっしゃいませんか」

 岩手県陸前高田市の米崎町地区。神戸市から派遣された保健師の豊留(とよどめ)則子さん(50)らが住宅地図を見ながら、2人1組で民家を一軒一軒回る。住人に健康状態を聞き、血圧や脈拍を測ってシートに記入していく。姉の家に身を寄せる阿部希子(まれこ)さん(65)は「水が出ないからお風呂に入れず、洗濯もできない。高血圧が心配です」と漏らした。

 ◇保健師9人中6人死亡

 陸前高田市では今月6日から、県内外の自治体から応援に来た保健師らが全市民を対象に聞き取り調査を実施。95年の阪神大震災でも被災地で巡回活動をした豊留さんは「東北の人の気質なのか、我慢しているように感じる。悩みをため込むと、うつ症状につながる恐れもあり、阪神大震災の経験談も交えて話しかけ、打ち明けてもらえるよう努めている」と話した。

 同市では、津波で約3300棟の住宅が倒壊。死者・行方不明者数は県内最多の約2200人で、人口約2万3000人の1割近くに上る。市の保健師も9人中6人が死亡。市民の健康診断の結果や介護・福祉サービスの受給状況などを記録した書類も流失した。避難者は約1万5000人に上り、避難所から親類宅などに移る人も少なくない。

 聞き取り調査は地区ごとに担当チームを決めて避難所や住宅を巡回。市民の所在や健康状態などを把握し、医療や福祉につなげる。各地の自治体から派遣された保健師ら30~40人が担当し、調査を統括する県大船渡保健所の花崎洋子・上席保健師は「住民の健康チェックは本来市の仕事だが、市役所が流されて職員も被災し、とてもできる状態ではない。調査結果は今後の保健医療の重要な基礎データになる」と話す。大船渡市や大槌町なども同様の取り組みを進めている。

 ◇数日~1週間程度で交代 

 各地から交代で派遣される保健師でしのぐ現状には課題もある。厚生労働省によると、岩手、宮城、福島の3県には24日現在、保健師ら保健医療の担当者が全国から134チーム計441人派遣されているが、地元での通常業務もあり、数日~1週間程度で交代するケースが多いためだ。

 陸前高田市内の避難所で父(84)を介護する金野英子さん(54)は巡回に訪れた保健師に、「来てくれるのはありがたいが、状況をしっかり把握してもらうためには同じ人に長期的に来てほしい」と要望した。花崎さんも「同じ人が継続的に見ないと、被災者の状態の変化を見落とす恐れもある。国などが主導し、保健師を年単位で派遣してもらえるような支援体制を整備してほしい」と訴える。

 厚労省は13日、保健師の派遣の継続と増員を全国の自治体に要請した。だが、「地方公務員の派遣は本来、自治体同士で交渉するもの。今は災害救助法に基づき緊急的に国が代行しているが、長期的に派遣を要請するのは難しい」(同省健康局総務課保健指導室)という。

 被災地の避難所などを視察した前田潤・室蘭工業大環境科学・防災研究センター准教授は「震災発生から6週間が過ぎ、避難者は心身ともに疲弊して栄養状態も良くない。中長期的な課題である心のケアでは、被災者と継続的にかかわって信頼関係を築き、微妙な変化を察知することが重要だ。県が被災市町村に代わって保健師を雇用し、長期派遣する体制をつくった方がいい」と指摘する。
 ◇ことば 保健師

 保健所や市町村の保健センターに所属する看護職で、住民の健康相談や健康診断を受け持ち、医療・福祉の支援につなげる。地域社会に関する知識も必要で、資格を得るには看護師の国家試験を含む2度の国家試験への合格が必要。厚生労働省によると10年5月現在、常勤の保健師数は3万1769人。



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T00735.htm
盛り土道路で堤防・海岸に避難ビル…宮城復興案
(2011年4月25日14時42分 読売新聞)

 宮城県が東日本大震災で被災した沿岸14市町に提案した街づくり復興案の概要が25日、明らかになった。

 被災地の地形や市街地の状況から、「平野型」「リアス式海岸型」「都市型」に3分類。堤防の役割を果たす盛り土した道路や、高層の避難ビルを設ける。水田や漁港、工場のある海岸部と住宅部とを景観を損なわないように道路や防災公園で分ける「未来想定図」となっている。

 復興案は、仙台市を除く被害が大きく復興計画作りに手が回らない市町に示された。

 それによると、「平野型」は名取市、岩沼市など水田が広がる県南部が対象となる。高さ約5~10メートルの盛り土の上を走る仙台東部道路が津波を食い止めた点に注目。こうした道路を海岸線と平行に数本走らせる。仙台平野の景観を残すため、道路間に水田を配し、住宅はその内陸に置く。海岸線の堤防も厚くする。

 南三陸町など入り組んだ海岸線が続く県北部は「リアス式海岸型」。漁業が盛んで漁港や観光施設が集中し防潮堤を造るのが難しい地域に、鉄筋コンクリートの高層避難ビルを配置し、さらに低地部に防災公園を建設する。住宅は高台に移す。

 津波に耐えた鉄筋コンクリートの建物が多かったことを踏まえたもので、「高台に住み、海岸近くに通勤する街」を想定している。

 三陸沿岸は、これまでも津波に見舞われると高台に移住する動きが出たが、しばらくすると住宅地が海岸近くに戻った所もあり、防災公園はこうした動きを防ぐ狙いもある。

 「都市型」は石巻市や気仙沼市などが対象。工場や魚市場などの産業集積地を海沿いに置き、盛り土した道路で内陸部の住宅を守る。
kousou0425

  1. 2011/04/26(火) 05:56:50|
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