Doctor G 3 のメディカル・ポプリ

地域医療とプライマリケア、総合診療などに関係したネット上のニュースを記録。医学教育、研修、卒後キャリア、一般診療の話題、政策、そしてたまたまG3が関心を持ったものまで。ときどき海外のニュースも。

3月30日 震災20日目

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103290046.html
被災者に医療支援の継続必要

 東日本大震災を受け、仙台市など被災地に派遣された広島市医師会の医師や職員7人が帰着し、28日に市役所で会見した。被災者への継続的な医療支援の必要性を訴えた。

 大都市医師会の災害協定に基づき18~26日に派遣された。市医師会の津谷隆史理事は「避難生活で今後も慢性疾患やストレスの症状が出てくる。長期的な支援体制が必要だ」と強調した。

 亡くなった約20人を検視した眼科医の前谷悟さん(51)は「車の中で抱っこひもを着けたまま亡くなった女性がいた。一瞬で津波にのまれ無念だったと思う」と話した。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/health/CK2011032902000088.html
避難所で体調保つには
2011年3月29日

 東日本大震災の発生から2週間以上がたち、被災者の避難所生活が長期化してきた。食事は炭水化物中心で、タンパク質不足から体の抵抗力が弱る可能性もある。トイレは、回数を減らそうと、水分の摂取を控えがちだ。専門家は「便秘や脱水症状に気をつけて」と呼び掛けている。 (生活部震災取材班)

■食事■ 炭水化物に偏りタンパク質不足 バナナやゆで卵で抵抗力を
 被災後、避難所に真っ先に届けられた食料は、体内ですぐにエネルギーに変わるおにぎりやパンだ。ガスなどが用意できれば、温かいうどんなどが提供されることもあるが、栄養素は炭水化物がほとんど。野菜や果物、新鮮な肉や魚はほとんどない。調理済みのお弁当が配られることも多い。

 「避難所の食事は炭水化物に偏っている。長期になると、タンパク質やビタミン、ミネラル不足で体調が悪くなる可能性がある」。四日市社会保険病院(三重県)の栄養科長で管理栄養士の中東真紀さんは指摘する。

 タンパク質は、筋肉や血液などのもとになる重要な栄養素だ。不足すると、体の抵抗力や免疫力が落ちて病気にかかりやすくなる。避難所では、子どももお年寄りも同じ物を食べることが多いため、育ち盛りの子どもたちが特に心配という。さらにトイレ事情の悪さから水分摂取量が不足し、脱水症状になる可能性もある。調理済み弁当などは、保存できるように塩分が多く含まれており、塩分を控えなければならない透析患者らは注意が必要だ。

 被災者を栄養面で支援する場合、「バナナ、リンゴなどのフルーツ、牛乳、ゆで卵、ナッツ類がお勧め」と中東さん。タンパク質の補給のほか、フルーツは便秘や下痢の軽減にもなる。

 災害は全国どこで起きても不思議ではない。地方防災計画などでは、被災後三日間は自分自身で食料を確保できるように、各家庭で水や保存食の準備を提言している。

 中東さんのお勧めは、必要な栄養素をバランス良く摂取できる濃厚流動食の缶詰。火を使わず、水分もあって食べやすい。缶一本で約二百キロカロリーあり、一日五、六本で一日に最低限必要な千~千二百キロカロリーを摂取できるという。介護ショップなどで販売している。

■排せつ■ トイレ事情悪く遠慮もあり我慢 尿路感染症や腎盂炎の恐れ
 被災地のトイレは、断水で水が流せず、汚れがち。汚れや管理をする人への遠慮から、排せつを我慢する人が必ず出る。

 救護隊員として宮城県石巻市に入った名古屋第二赤十字病院(名古屋市)の看護師は「現地の病院でも、周りに迷惑をかけるからと、排せつを我慢する人がいた。避難所でも我慢していた人はいただろう」と話す。

 小牧市民病院(愛知県小牧市)の泌尿器科医師で、名古屋市のNPO法人愛知排泄(はいせつ)ケア研究会の理事吉川羊子さんは「排尿を我慢しないで」と訴える。

 吉川医師によると、排尿を避けるために水分の摂取を控えると、血栓ができやすくなる。排尿の我慢で、尿路感染症や腎盂(じんう)炎になりやすくなる人もいる。

 膀胱(ぼうこう)に長時間とどまった尿の中では細菌が繁殖しやすく膀胱と腎臓や尿道口を結ぶ尿路に細菌が広がりやすい。感染箇所により、発熱や排尿時の痛みなどの症状が出る。

 感染が腎臓にまで広がると、入院治療が必要な腎盂炎になる。悪寒や高熱、背中の痛みなどが主な症状。敗血症を起こして、命が危険になることも。「トイレを清潔に保つことや、連れ立ってトイレに行くなど、トイレに行きやすい雰囲気づくりを」と吉川医師。

 排尿機能が低下し、排尿後にも膀胱内に残尿がある高齢者などは、感染症のリスクが高くなる。膀胱には常に尿がある状態で、感染症の危険性が平常時から高いためだ。

 注意したいのは、一見尿が出ているが実は出きっていない人。中高年の男性に多く、膀胱内の尿の一部が少しずつ出るので気付きにくいという。

 吉川医師は、心当たりのある人には平常時から泌尿器科を受診し、治療することを勧める。被災地に入る医療関係者は、超音波式で手のひらサイズの小型の残尿測定器を携行するなどして、避難者の排尿をきめ細かくチェックするといいという。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20110329-OYT8T00038.htm
歯ブラシとマスクを岩手、宮城県に寄付
伊勢地区歯科医師会

 伊勢市の伊勢地区歯科医師会は、東日本巨大地震で被災した岩手、宮城両県に歯ブラシとマスクを送ることを決め、発送準備を急いでいる。

 藤田導会長らが、避難所で歯ブラシが不足していることから口内の菌が肺に入る誤嚥(ごえん)性肺炎にかかる人が多いことを知り、両県が希望する歯ブラシとマスクの寄付を同歯科医師会の会員112人に呼びかけた。28日までに歯ブラシ約6000本とマスク1万5000枚が集まった。

 藤田会長は「歯ブラシは1本で何回でも使える。被災者を力づけることができれば」と話している。

(2011年3月29日 読売新聞)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33324.html
被災地の公衆衛生「まだ急性期段階」

 東日本大震災発生から3週間目を迎えた被災地では、病状が安定し始めた患者を受け入れる慢性期医療への本格的な支援を求める声が上がり始めた。さらに、避難所での生活を支える公衆衛生については、急性期の段階にとどまっているとの指摘もある。震災発生以来、宮城県災害対策本部で災害医療コーディネーターとして活動している医療関係者に話を聞いた。

■自衛隊やDMATと連携。150人の入院患者を搬送

 大崎市民病院救急センター(宮城県大崎市)の大庭正敏センター長は、3月11日の震災発生以来、患者の搬送の調整などを行う災害医療コーディネーターとして活動している。携帯電話もメールも使えない被災地での活動を支えたのは、災害拠点病院や郡市医師会などに配置されていた無線だった。
 「この無線がなければ、被災地の状況を把握することもできなかったでしょう。津波で破壊され、通信手段が途絶えた石巻市立病院に約150人の入院患者が取り残されていたことを確認できたのも、無線があったからです」
 石巻市立病院に患者が取り残されていることを知った大庭氏らコーディネーターは、宮城県内の病院と交渉し、入院患者の受け入れ先を確保。翌日には、自衛隊と赤十字病院、DMAT(災害派遣医療チーム)と連携し、患者を仙台市内の病院に避難させることに成功した。

■慢性期医療の支援に「国が思い切った対策を」

 震災発生から3週間目の現在では、こうした大規模な患者搬送を手掛けることはほとんどなくなったという。ただ、別の問題が生じている。急性期病院の退院患者の受け皿となる慢性期病院や老健施設などに、新たな患者を受け入れる余裕がない点だ。
 こうした状況を解消するため、大庭氏らは被災地の慢性期医療を手掛ける病院や診療所、老健施設などに、できる限り業務を再開するよう呼び掛けているが、津波で大きな被害を受けた施設も多く、再開は思うように増えないという。
 「被災地以外の老健などに搬送しようにも、多くの入所希望者を抱えている施設ばかりで、なかなか受け入れ先を見つけることができません。例えば、老健における患者1人当たり面積などを定めた基準を一時的に緩和するなど、国が思い切った対策に乗り出す必要があるのではないでしょうか」

■急がれる避難所の現状把握

 一方、公衆衛生の専門家として県にアドバイスする上原鳴夫氏(東北大教授)は、「パブリックヘルスは急性期の段階。まず、現状把握のためのアセスメントが必要です」と強調する。被災地の医療ニーズは、高血圧や糖尿病といった慢性疾患のケアに移りつつあるが、その一方で、避難生活の長期化による感染症などの対策が急がれているからだ。

 しかし、地域の公衆衛生を支える保健所の一部は倒壊し、保健師の数も不足している。被災者が密集する避難生活では、インフルエンザなどが流行しやすいが、予防策を立てる以前に、現状把握もままならない状態だという。また、ガソリンの供給不足がこれに拍車を掛けている。「避難所の状況が分からないと、次の手が打てない」。上原氏は危機感を募らせる。
 県の災害対策本部では、他の自治体から応援に駆け付けた保健師のほか、学生ボランティアなどの助けも借りながら、衛生状態など避難所の実態把握を急いでいる。31日までに基本的な情報を集めた上で、今後の対策の優先順位を決める方針だ。上原氏は、「特に、在宅など介護の現状が分からない。何か情報があれば提供してほしい」と呼び掛けている。

( 2011年03月28日 22:40 キャリアブレイン )



http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0003902998.shtml
被災者支援したい インドネシア人女性が看護師に 

 日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日し、姫路赤十字病院(姫路市下手野)で看護助手として働くインドネシアの女性スワルティさん(32)が、2月に実施された看護師国家試験に合格した。母国でも看護師として活動し、2004年に発生したスマトラ沖地震では、発生直後、被災地で医療活動に従事した。「経験を生かし、東日本大震災で被災した人たちの支援に行きたい」と話す。

 外国人候補者は全国で16人が合格。県内では、スワルティさんと、神戸で働く同郷の男性の2人が初めての快挙だ。

 スワルティさんは父親の勧めもあって子どものころから看護師を目指し、首都ジャカルタ市近くの病院の集中治療室(ICU)で約6年間、看護師として働いた。

 スマトラ沖地震の発生時は、病院や学校などの公共施設に運び込まれた負傷者に、点滴を打つなどの対応を1週間続けた。「遺体が散乱し、水も食べ物もなく、みんな大変なストレスだった」と振り返る。イスラム教徒のスワルティさんは「頑張ろう。神様がいる」と声を掛け回り、励まし続けたという。

 スワルティさんは08年に来日。姫路市内で暮らしながら、姫路赤十字病院で2年間助手として実習と勉強を積み重ね、3度目の挑戦で合格をつかんだ。4月1日からは看護師として同病院の小児科系の部署で働くことが決まった。

 「東日本大震災は、津波が発生したインドネシアの地震と似ているが、日本は技術力が高い。早い復興を信じています」と話した。

(青山真由美)



http://mytown.asahi.com/areanews/shimane/OSK201103280121.html
石巻へ救援、浜田の医師が活動報告「長期的視点を」
2011年3月29日

 津波で壊滅的な被害に遭った宮城県石巻市で医療支援をした、浜田市医療専門監で国民健康保険あさひ診療所長の斉藤稔哲さん(43)が28日、市役所で宇津徹男市長に活動を報告した。

 島根県医師会の要請を受け、医師2人と看護師1人、事務員2人で19~25日、避難所の渡波(わたのは)中学校で活動した。津波は校舎2階にまで達し、3階教室に約80人が避難していた。臨時の診察室はカーテンで間仕切りした吹奏楽部の物置。自主的な避難者もいる近くの寺と神社なども回って、延べ約200人を診た。

 生活習慣病を患っている高齢者が多く、大量に持っていった血圧降下薬が途中でなくなったほか、頻発する余震で不安を訴える人が相次ぎ、睡眠薬も底をついたという。

 斉藤さんは「医療支援も大切だが、生きていくための水や食料、衣服が必要な状況だった。すべてを失った人が多く、長期的な視点で継続的な支援が求められる」と訴えた。(菱山出)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20110329-OYT8T00026.htm
松本のNPOが医療支援

福島・南相馬で 医師、看護師も現地入り
 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故被災地の支援などを続けてきた松本市のNPO法人や県内の医師、僧侶らが、福島第一原発から20~30キロ圏内にある福島県南相馬市の病院や避難所の医療支援に乗り出している。

 支援を始めたのは、NPO法人「日本チェルノブイリ連帯基金」(JCF、鎌田實理事長)と、鎌田理事長が名誉院長を務める諏訪中央病院(茅野市)の医師や看護師、JCFの前事務局長で松本市の神宮寺住職、高橋卓志さんら。

 東日本巨大地震に伴う放射能漏れ事故で、同原発の20~30キロ圏内には政府から「屋内退避」指示に加え、25日には自主避難を促す方針が示された。しかし、様々な事情で避難できない住民も多く、南相馬市内では同圏内に約1万人が残っているとみられている。

 同圏内では物流がほとんど途絶えたため、地震発生の数日後、鎌田理事長が同市内の知人の病院関係者に連絡したところ「病院の食料や医療用酸素はあと2、3日、薬も無くなり始めている」と聞いた。同市立総合病院のスタッフも通常の半数程度に減ったという。

 JCFなどは21日から第1陣7人、25日から第2陣5人が同市に入り、義援金などで仕入れた医薬品約250万円分と、支援者から集めた成人用紙おむつ、レトルト食品などを4トントラックに満載して届けた。また、同市立総合病院や市内の避難所2か所(避難者計約150人)で被災者の健康状態を診察し、高橋住職は遺体安置所の70体以上の前で一体ずつお経をあげた。

 25日夜に避難所で「おでんパーティ」を開くと、それまで屋外で炊き出しも出来ず、温かい食事を取れなかった避難者の中には泣いて喜ぶ人もいたという。

 関係者によると、第2陣が入った時点でも市内の店は、すべて閉まり、ゴーストタウンのようだった。避難所には、家畜やペットを残して他地域に避難したくないという人のほか、避難もままならない高齢者も目立った。寝たきりの80歳代女性は、放射能漏れ事故の後、同居の息子夫婦がおにぎり3個を置いて避難してしまい、その後救助されて避難所に来たという。

 JCFなどは26日に現地から引き揚げたが、4月以降も義援金を集めて支援を続ける予定だ。

 鎌田理事長は「支援で現地の状況は少し改善したが、困難な生活に変わりはない。原発事故が長期化するなら、政府は曖昧な『自主避難』ではなく、明確な避難指示を出すべきでは」と首をかしげる。高橋住職も「原発周辺に残された住民を見捨ててはいけない」と訴えている。義援金や支援物資はJCF(0263・46・4218)へ。

(2011年3月29日 読売新聞)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/news/20110328-OYT8T01081.htm
支援活動 受け入れ未整備
東日本巨大地震 県社協職員が報告


津波被害に遭った女川町の写真を示し、現地の状況を報告する萩森さん(松山市持田町で)  東日本巨大地震被災地でのボランティア活動を支援するため、現地に派遣されていた県社会福祉協議会の職員2人による報告会が28日、松山市内で行われた。「現状では食料、宿泊場所、移動手段、燃料を自前で確保できる団体しか活動できないと思った方がいい」と話し、ボランティアを受け入れる態勢が整っていない現状を説明した。

 派遣されたのは県社協職員の萩森一路さん(43)と喜安恒賀さん(39)。宮城県女川町で17日~24日に活動した。

 萩森さんは被災地の様子を撮影した写真をスライド上映しながら説明。女川町内の小学校に置かれた災害対策本部に、地元の社協と協力して災害ボランティアセンターを設置したが、18日の時点で被災者約5000人が17の避難所に身を寄せており、センターのスタッフも少なく移動用燃料も乏しいため、十分な支援ができなかったという。

 携帯電話が使えるようになるなど、避難所周辺の環境は改善しつつあるが、萩森さんは「支援する側の食料が足りず、自分も期限切れのパンをかじっていた」と明かした。

 今後の課題に、避難所の巡回や炊き出しの支援、看護師や介護士など医療・福祉系有資格者の派遣増員などを挙げた。萩森さんは「復興にはまだまだ時間がかかる。燃料事情の改善などが進むのと並行し、こちらもボランティアを派遣する態勢などを整えていきたい」と話した。

(2011年3月29日 読売新聞)



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40547/Default.aspx
eラーニング「災害医療と薬剤師」無料で ボランティア実践前に学習
公開日時 2011/03/29 05:02

NPO法人医療教育研究所は3月25日から、eラーニング「災害医療と薬剤師」シリーズ5講座の無料公開を始めた。ボランティア活動を希望する薬剤師が、活動前に学んでほしいとホームページ上 (http://www.ime.or.jp/)で視聴できるようにした。

日本薬剤師会と日本災害医療薬剤師学会の担当者が講師に「災害医療総論」「地域防災計画と薬剤師」「薬剤師の救援活動と災害時の備え」「災害時の薬剤師の救援活動」「自然災害における国際医療救護活動」の5講座を講義。1講座あたり30分。

無料公開は6月30日まで。なお、視聴による日本薬剤師研修センターの認定シールの発行はない。



http://www.nikkei.com/life/news/article/g=96958A9C889DE0E7E5E4EBEAE4E2E0EAE2E1E0E2E3E39180EAE2E2E2;da=96958A88889DE2E0E3EAEAE7E6E2E0E3E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2
被災ショック、不眠・不安 緊張感途切れ症状悪化
2011/3/29 0:29 情報元 日本経済新聞 電子版

 東日本大震災の被災のショックや長引く避難生活のストレスから、不眠や強い不安を訴える人が増え始めている。安否不明の家族の思い出が脳裏に浮かんだり、津波に人が巻き込まれる光景を思い起こしたりするという。医療関係者は「震災直後の緊張感が薄まると、症状はより顕在化する」と指摘。長期的な心のケアに向けた体制づくりの動きも進んでいる。

 「夜になると息子の顔が思い浮かんで……。涙が止まらず寝られないんです」。宮城県南三陸町で被災した60代の男性は、硬い表情で声を絞り出す。男性の息子は震災以降、いまも行方が分からないままだ。

 「無表情で悲しみすら見られない。自分を守るために気持ちをなくしてしまっているようだ」。同町の災害対策本部から往診に訪れた精神科の来住(きし)由樹医師(46)も心を痛める。17日から同町で1週間往診を続けてきた来住医師は、こうした「急性ストレス反応」がみられる被災者を20人ほど診断してきた。

 近隣の住民が津波にさらわれていくのを目撃した女性(64)も夜眠れなくなり、やむなく避難所内を歩き回っている。「その家は5人も亡くなったんです。女の人が『助けてー』って叫ぶ声が夜に思い出されてきて……」。目がくぼみ、肩を落とす女性の声はか細い。

 来住医師は町役場の仮庁舎ができたことや、避難所にお風呂が設置されたことなどを話題に雑談。「少しでも生活が元に戻りつつあることを伝え、負担の軽減につながってくれれば」と話す。

 こうした患者は時を経ても減らないと指摘。「震災直後は気が張っているので耐えられるが、気がつくと仕事も家も、何も心の支えがない。同様の症状が出る患者は増えていく」と危惧する。

 「片時も親のそばを離れない」「思い出したように『怖い』とつぶやいたり、急に泣き出したりする」。福島県新地町で22日から活動する臨床心理士の下田章子さん(56)も、避難所での子供たちの異変を見てきた。

 津波で自宅を流されるなどした小学校低学年の児童には、おねしょなど“幼児帰り”の症状もみられるという。「時がたって現実を理解したり、両親が仕事に復帰したりするにつれ、子供たちの不安は増す」と注意喚起する一方、「継続的支援が必要だが、人員が足りない」とも訴える。

 日本臨床心理士会と日本心理臨床学会は「東日本大震災心理支援センター」を東京都内に立ち上げた。心理支援チームを現地に派遣、支援する側のストレス緩和にも取り組む。同学会の冨永良喜・常任理事は「避難の長期化も予想され、支援する側の連携は不可欠。有効な情報を共有し、被災者の心のケアの中核として支援センターを機能させたい」と話している。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134574/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(行政)
被災がん患者への厚労省の対応は不十分
がん対策推進協議会、がん対策推進基本計画の見直しも議論

2011年3月28日 橋本佳子(m3.com編集長)

 厚生労働省の第19回がん対策推進協議会(会長:垣添忠生・日本対がん協会会長)が3月28日に開催され、同省は、がん関連の今回の東日本大震災の被害状況と対応状況について報告したものの、現時点では同省が主体的に動いた対策はなく、委員からはさらなる体制の情報の充実を求める声が相次いだ。

委員の任期は2011年4月4日まで。4月5日に新委員が選任される予定。

 厚労省は、3月17日の「事務連絡」では、都道府県に対してがん診療連携拠点病院の稼動状況把握に努めること、がん診療連携拠点病院に対しては、国立がん研究センターが情報収集している「がん診療連携拠点病院の状況と受け入れ体制」(同センターのホームページを参照)への協力を求めたほか、各種学会による支援可能病院リストを紹介していると説明。その後、3月18日と23日の2回、同様に学会等の情報を提供したのみ。

 副会長の特定非営利活動法人グループ・ネクサス理事長の天野慎介氏は、「被災地の病院は甚大な被害を受けており、がん患者からは、化学療法や放射線療法を被災地で続けるべきか、被災地以外で受けるべきかを悩んでいる声を多数聞く。透析患者では被災地以外での受け入れが進んでいるが、状態が厳しいがん患者についても他地域で受け入れるなどの早期の対応が必要。その際の移動手段、また経済的負担の軽減なども検討してもらいたい」と述べた。さらに、(1)受け入れる側への手当て、(2)ワンストップで患者が相談できるコールセンターの設置とその周知徹底――なども求めた。

 これに対し、厚労省健康局総務課がん対策推進室長の鈴木健彦氏は、「緊急に対応すべき患者に関しては、疾患を問わず、医政局が調査している。コールセンターの検討はしていないが、災害についての情報提供は積極的に行っていく」としたものの、具体的な内容には踏み込まなかった。また健康局長の外山千也氏も、透析患者や重症患者は治療を継続しないと死に直結するとし、これらの患者への対応と、がん患者についてのがん医療の質をいかに担保するかは「異なる次元のレベルで対応している」と説明。もっとも、国立がん研究センターでは、前述のように各種の被災関連の情報を収集しているほか、「被災がん患者ホットライン」を開設するなど、既に様々な取り組みを行っている。

 神戸大学腫瘍内科教授の南博信氏は、厚労省の理解を示しつつも、「透析患者など生命の危機に直面している患者への対応よりは、がん患者への対応はワンランク下がるのだろう。しかし、関東などには既に被災地からがん患者が来ている。被災地の医師が受け入れ先を探すのは大変」と指摘し、受入要請と受入希望側の「交通整理」が必要だとした。

 そのほか、日本医師会常任理事の保坂シゲリ氏は、首都圏で行われている計画停電を問題視、「がん診療連携拠点病院の中でも、計画停電に入っているところがある。医療機関のすべてとは言わないが、がん診療連携拠点病院などは計画停電の対象外にすることはできないのか」と厚労省に求めた。「神奈川や多摩地域などでは、小児の2次、3次救急医療を担うところでも計画停電の対象となる病院がある。『病院を守る』という形で動いてもらいたい」(保坂氏)。

 外山局長は、「医療が破綻しないよう必要な対策を講じる。非常用電源の確保など、きめ細かく対応していく」と答えた。

 4月以降は新委員での議論を開始

 3月28日の第19回会議の本題は、次期がん対策推進基本計画の見直し。前回(3月4日)までの議論を受けて、がん診療連携拠点病院等の今後の役割等を整理したものが報告されたほか、がんの相談支援・情報提供の今後の在り方(『治療成績や症例数の公開をがん拠点病院の要件に』を参照)、三つの専門委員会からの中間報告について議論した。

 現在のがん対策推進協議会の委員の任期は2011年4月4日まで。次回は、これまでの議論を踏まえ、新たな委員による体制で、2012年度からのがん対策推進基本計画の見直しに向けた議論を進める。もっとも、次期がん対策推進基本計画が、現行計画と同様の構成なのか、あるいは見直すのかなど、その全体構成すら決まっていない。第19回会議でもこの点について委員が厚労省に質す場面があった。見直しの基本的方向性はこれまでの議論である程度見えてきたものの、全体構成および具体的内容の議論など、新体制で議論すべき課題は多い。

 がん研究、小児がん、緩和ケアの3専門委員会が報告書

 三つの専門委員会とは、がん研究専門委員会、小児がん専門委員会、緩和ケア専門委員会。各6回程度議論して最終報告をまとめる予定で、これまでの2回もしくは3回の議論の内容。

 がん研究専門委員会では、「がん対策への貢献」という基本的視点から、(1)創薬に向けたがん研究(基礎、トランスレーショナルリサーチ、臨床研究)、(2)診断法および医療機器開発に向けたがん研究、(3)がん予防放の確立に向けたがん研究、(4)がん医療・がん対策の有効性評価のための研究、(5)がん研究推進のための体制に関して――という5項目について現状と課題について議論。最終報告では、がん対策に資するがん研究の在り方について提言するとともに、次期がん対策推進計画における「がん研究分野の施策と個別目標(案)」を提案する予定。

 小児がん専門委員会の検討項目は、(1)小児がんの診療体制(拠点化、集約化)、(2)患者家族への支援体制、(3)長期フォローアップ体制、(4)難治がん対策、(5)がん登録――の5つ。中間報告では、(1)に関し、小児がん診療情報の一元化、小児がん専門病院を全国数カ所配置し患者集約化を図ることなどを提言している。

 緩和ケア専門委員会の中間報告では、これまで研修を中心に議論してきたことから、(1)緩和ケア研修会の対象者の拡大と必修化、(2)がん診療連携拠点病院の幹部職員に対する緩和ケアの必修化、(3)緩和ケア研修会受講の促進策について、(4)緩和ケア研修における実習プログラムの必要性――を提言。



http://iryojinzai.net/634.html
ニプロが義援金と医療用救援物資で被災地支援
[ 2011/03/28 ]

医療用器具製造のニプロ(大阪市北区)が、東北関東大震災の被災地向に、義援金と医療用物資を送る。24日同社が発表した。

同社はニプロブランドで知られる医療機器メーカー。主力の人工透析(人工腎臓)関連をはじめ、その技術力と品質は世界的にも高く評価されている。また、近時、医薬品の分野でも、医療現場のニーズを捉えた各種キット製剤の製造、ジェネリック医薬品・受託製造で成長を続けている。今回の支援は義援金と医療器材など総額1億4千万円。救援物資の内容としては、プラスチック手袋、医療用マスク、消毒剤等の医療器材・医薬品。さらに、国内外のグループ各社を通じて寄せられた義援金および同社従業員からの義援金も、今後被災地へ寄付する予定という。


http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20110329/news20110329695.html
愛媛のニュース2011年03月29日(火)
山内医師(四国中央出身)が被災地での活動報告

 東日本大震災で日本医師会の災害医療チーム(JMAT)として被災地に派遣され精神医療などを担った山内勇人医師(44)=四国中央市出身、大分市在住=が28日、松山市で「今後は災害で精神的なダメージを負った潜在的な患者を掘り起こしていかなければならない」と避難所での心のケアなどの重要性を語った。
 山内医師は昨夏まで松山市で勤務した関係などから愛媛県医師会のチームとして宮城県気仙沼市で支援。24~26日に約1500人が避難生活を送る市総合体育館で医療活動をした。
 体育館では「津波を思い出すと震えが止まらない」「(被災時の光景が)頭の中に浮かんで眠れない」といった急性ストレス障害を訴える患者がたくさんいた。山内医師は「東北地方の人柄は非常に我慢強い。診察した人たちだけでなく、もっと多くの人が心的ダメージを負って鬱(うつ)症状などもあるはずだが、遠慮して受診を希望しないようだ」と説明する。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/news/20110329-OYT8T00939.htm
地震派遣の医師らが県に活動報告

 東日本巨大地震で被災した宮城県に派遣された県職員の医師らで作る保健医療チームが28日、県庁で蒲島知事に活動内容を報告した。チームは医師のほか、薬剤師や保健師、運転士ら計10人。21~28日に南三陸町を中心に避難住民の健康チェックや避難所の衛生管理などを行った。現地の様子をスライド写真を使って説明。介護や支援が必要な人がいないか調査するため地図を手に全戸を訪ねる様子や、ガソリン不足のため給油所には200~300台の車の列ができ、未明から並んでも正午頃にならないと給油できない状況などが報告された。木脇弘二医師(46)は「津波による被害が広域にわたり、どこまで行っても同じ光景だったことに衝撃を受けた。被災者に最も必要なのは、心の支えにつながるような、将来の見通しだ」と語った。
(2011年3月30日 読売新聞)



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40580/Default.aspx
MR教育センター MRは震災対応の医療現場に配慮を メーカーに注意喚起
公開日時 2011/03/30 05:01

医薬情報担当者(MR)教育センターは3月29日、医療機関が震災後の対応に追われている中で、自社の医薬品のみを宣伝するMRがいて、都内病院から苦情が寄せられたとして、製薬企業の教育研修担当者に対し通知で、MRに状況に配慮して行動するよう指導、周知することを求めた。

同センターによると、苦情は東京都内の病院からあった1件。自社品のみの宣伝活動とともに、ガソリン不足で医師・職員も自転車通勤に切り替えている中で車で訪問するMRがいたことが指摘された。同センターの水野能文事務局長は、「MRとしての仕事をしたまでと思っているのかもしれないが、外からはそのようには見られていないということを注意喚起した」と話している。

今回の地震では発生時から1週間以上は、MRについては自宅待機や内勤の対応をとったほか、医療機関への訪問には電車など公共交通機関を利用しているケースが見られた。



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/234371
「被災者 心身の疲労深刻」 福島で巡回医療 日田の岩里医師
2011年3月30日 01:03 カテゴリー:九州 > 大分

 日田市の聖陵岩里病院理事長の岩里正生医師(64)は22-26日、東日本大震災の被害が大きい福島県相馬市を訪れ、医療ボランティアに加わった。地震直後と比べて改善されたものの、人員、物資ともに不足し、被災者の心身の疲労も深刻という。岩里医師は「これからも支援が必要だと感じた」と訴えている。

 相馬市は、事故が起きている福島第1原発から北へ約40キロの距離。政府の避難指示の区域には入っていないが、放射能漏れへの懸念から報道陣が入らず、救援物資も届かない状態が続いた。海沿いは全壊に近く、現在までに318人が死亡。学校の体育館など10カ所の避難所には約4600人が避難している。

 現地では、8人の開業医が休みなく巡回医療にあたっているが、放射能への対策で換気を行わないため、室内が乾燥。脱水症状になったり、インフルエンザに感染した人もいた。

 心に傷を負い、ストレスを感じる被災者も多く、避難中の生徒が流される瞬間を見たという教師や、身内の遺体が見つからず、「避難指示で捜索が進まない地区に流されたのではないか」と話す人もいたという。「会話をするだけで安心した表情を見せる人もいた。精神的なケアの必要性を実感した」。同行した理学療法士の桑野早苗さん(31)はマッサージやラジオ体操の指導をし、好評だったとしている。

 原発事故は予断を許さない状況が続いている。岩里医師は「現地ではガソリンも水も人手も薬もも足りない。避難生活が長引けば、心身のケアが大切になってくるだろう」と呼び掛けている。

=2011/03/30付 西日本新聞朝刊=



http://www.shinmai.co.jp/news/20110330/a-5.htm
JCFが南相馬市での活動報告
3月30日(水)

 認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)は29日、松本市の事務局で記者会見し、東京電力福島第1原発から半径20~30キロ圏内の「屋内退避区域」にかかる福島県南相馬市で行った医療・生活支援について報告した。
 スタッフや医師を4月に再度派遣することや、松本市などに被災者受け入れを呼び掛けるなど今後の方針も示した。



http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0EBE2E1E78DE0EBE2E1E0E2E3E39191E3E2E2E2;at=ALL
震災の遺体検案書「公費で作成」周知要請、厚労省
2011/3/29 23:42

 東日本大震災の犠牲者の遺体検案書の作成代金を遺族に請求している事例がみられるとして、厚生労働省は29日、岩手・宮城・福島の各県に、代金は災害救助法の適用により公費負担になっていることを、医療機関に周知徹底するよう求めた。

 遺体検案書の作成代金は地域で異なるが、2万~3万円程度が相場。被災して死亡した場合、地域の相場に合わせて公費負担となるため遺族が支払う必要はない。同省は、既に支払われた場合は医療機関が遺族に返還し、改めて県に請求することを求めている。



http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103290022/
東日本大震災:「医療支援組織化を」平塚市民病院医師らが被災地の活動を報告/神奈川
2011年3月29日

 被災地の岩手県釜石市などでDMAT(災害派遣医療チーム)活動などを行った平塚市民病院(南原)のチームが29日までに帰還し、現地の様子を語った。リーダーで外科部長の金井歳雄医師(55)は現場の混乱した状況を踏まえ「被災者のニーズを細かく把握し、組織的に支える医療態勢づくりが重要だ」と訴えた。

 神奈川DMAT隊として12日から活動を始めて19日に帰還。まず羽田空港で搬送された被災者の手当てなどを行った後、チーム5人は17日に自衛隊機とレンタカーで盛岡市や釜石市に入った。拠点にした県立釜石病院では不眠不休で働く地元医師らをサポートしたほか、各医療チームが連携できるような組織づくりに当たったという。「携帯電話も通じない中で情報も混乱し、各チームがばらばら動いていた。人と人をつないで効果的に活動できるよう努めた」と話した。

 一方で現地入りが遅れたため、本来の急性期の災害医療活動の役割が十分に発揮できなかった。「初動が命なので、すばやくスタートを切れなかったのは反省点だ」と述べた。



http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-30/2011033015_01_1.html
公的病院地域守る 仙台社会保険病院
透析患者の命つなぐ
37施設から 震災直後の3日、毎日600人


 東日本大震災で、公的病院が地域の医療機能を守って奮闘しています。仙台市の仙台社会保険病院は、震災から3日間は24時間態勢で、人工透析患者を受け入れました。(田代正則)

 震災によって、広い地域で人工透析に必要な電気と水の供給、設備に大きな被害が出ました。定期的な透析を受けられないことは、命に関わります。
重油と給水確保

 宮城県内の腎泌尿器疾患の最終拠点病院となっている同社会保険病院は、非常用自家発電の重油と給水を確保し、震災翌日の12日から、透析が不可能となった県内37施設の患者を受け入れました。

 同病院での透析は、通常1日あたり数十人~100人程度のところ、12日から3日間は、毎日600人以上にのぼりました。

 同病院腎疾患臨床研究センターの佐藤壽伸センター長は、「宮城県の患者にとって、私たちが最後の頼み。ギブアップするわけにはいかないと、みんなが思っていた」と振り返ります。
患者を背負って

 全職員が、止まったエレベーターの代わりに、患者を背負って階段を昇降するなど協力して乗り切りました。

 臨床工学技士の男性(27)は、「患者も順番待ちでストレスと不安を抱えていた。自分たちより大変な人たちを思い、頑張った」と話します。
民間に売却方針

 現在は、電気・給水が徐々に復旧し、他施設からの透析患者は20人ほどです。落ち着いた23日からは、津波被害を受けた宮城県南三陸町にエコー車とレントゲン車を派遣しています。

 社会保険病院や厚生年金病院は、民間売却の方針が出され、昨年、公的な医療機関として存続させる法案が廃案になったことから、住民から不安が出ています。

 南三陸町の医療支援から帰ってきた同病院事務局長の井上嗣也氏は、「存続の受け皿が決まっていない状態だが、この病院の地域医療に果たす役割は大きい」と強調しました。



http://mytown.asahi.com/areanews/toyama/TKY201103290396.html
「精神的なケアが必要」被災地入りした医師ら報告
2011年3月30日

 東日本大震災で被災した宮城県や福島県で活動した医師や看護師らが29日、富山市の富山協立病院で報告会を開いた。被災者のニーズは刻一刻変わっているといい、精神的なケアや息の長い支援を訴えた。

 同病院が加盟する富山医療生活協同組合は地震後、食料や衛生用品、燃料や医薬品などを、現地の系列病院に送っている。22日からは医師1人、看護師3人を派遣し、宮城県塩釜市の坂総合病院を拠点に避難所や被災者の家を回り、診療やケアにあたった。

 物資を届けた事務職員は「地震だと思ったら、建物自体が傾いて常に揺れていた」と、過酷な環境で診療活動が再開していたことを報告。小児科医は、ぬいぐるみがないと眠れなかったりおねしょをしたりと、精神的なケアが必要な子がいたと語った。

 地域を回った看護師は「被害は実際に見た人じゃないと分からないから、写真を撮って富山のみんなに見せてほしい」と何度も言われたという。地元の人は明るかったが、「張り詰めた妙な明るさだった。プツンと切れたときが怖い」と今後の支援のあり方を提起した。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134634/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
「2週間で大学機能はほぼ正常化、次なる備え開始」

山下英俊・山形大学医学部長、震災2週間後の現状を語る
2011年3月30日 橋本佳子(m3.com編集長)

 「医薬品や食料などは、ほぼ通常通り入ってくるようになった。しかし、医療材料は他の国立大学からの支援も受けるなどして対応してきたが、今でも不足気味。それでも、がんの手術なども開始し、震災から約2週間を経て、ほぼ通常の病院機能を発揮できるようになった。今は次なるフェーズへの備えを始めている」

 山形大学医学部長の山下英俊氏は、3月29日時点の現状をこう語った。3月11日の東日本大震災の直後は、医薬品などが極端に不足し、厳しい状況を強いられてきたが(『助けたくても助けられない、東北全体で支援体制を』を参照)、2週間強が過ぎた今、ようやく通常の状態に戻りつつあるという。

 震災の翌3月14日の週は、手術は緊急の症例に限定していた。3月21日の週の後半になり、がんをはじめ、延期していた手術を再開。それでも山下氏が「ほぼ通常の病院機能」と断わるのは、震災前に行っていた医療は可能になったものの、まだ医療材料の供給が完全ではないこと、さらにはこれまでも東北大学病院から重症患者の受け入れを行ってきたが、今後予想される宮城県からの患者に備える「余力」を確保しておく必要があると考えているからだ。これが、「次なるフェーズへの対応」でもある。

 山形に求められるのは宮城のバックアップ機能


 今回の震災で一番被災者が多いのが宮城県。山下氏らは3月28日、東北大学病院と石巻赤十字病院を訪れた。

 東北大学のある仙台市は、ライフラインの復旧が遅れている上、同病院でも機器等に損害を受けた。例えば、滅菌装置が故障、手術関連の器材は山形大学まで運び、滅菌していた。東北大学は診療機能を回復しつつあるものの、高度医療の一方で、地域医療の支援、つまり宮城県沿岸部の被災が著しい医療機関への医師らの派遣やこうした地域の患者からの受け入れを行っている。

 その沿岸部にあるのが石巻市の石巻赤十字病院。同市は津波の被害もひどく、地域の基幹病院の石巻市立病院などが診療困難に。石巻赤十字病院でも当初は医薬品や物資などの不足が著しかったが、「物資などの供給は徐々に改善されている。本当に石巻赤十字病院の職員はがんばっており、全国から人的な支援も入っている」(山下氏)。

 何とか初期対応を終えつつある今、求められるのは避難所生活を送る被災者の健康管理や医療。宮城県では、いまだガソリン不足が著しい。ガソリン不足が解消すれば、被災者が移動できるようになり、近くの医療機関の外来を受診したり、他地域に移動する動きが活発化してくると見られる。さらには長期化する避難生活で、肺炎をはじめとした感染症などの患者が増える懸念がある。

 キャパシティーが限られる宮城県沿岸部の医療機関から、東北大学などの仙台市の医療機関へ、さらには隣県地域の医療機関へという患者の流れが今後、想定されている。つまり、直接の被災地のバックアップが山形大学に求められる役割だ。

 既に、山形県では、山形市や米沢市の避難所に、福島第一原子力発電所の事故に伴い、主に福島県からの被災者が来ており、山形大学からも医師と看護師などが出向き、健康管理に当たっている。「山形県知事は、3万人まで受け入れるとしている。これは一つの市ができることと同じ」(山下氏)。

 「これまでの連携が危機の際に生きてくる」

 とはいえ、山形大学自身、スタッフに特段の余裕があるわけではない。今後の備えとして、山下氏は、「山形大学だけでなく地域の医療機関が役割分担し、ネットワークで対応していく必要がある」ことを挙げる。「山形県では、『山形大学蔵王協議会』を組織し、地域の連携にこれまで取り組んできたことが、こうした危機の際に生きてくる」(山下氏)。

 さらに、「半年、1年、さらにはそれ以上の長期戦」となることも視野に入れている。「一番怖いのは、誰か一人が倒れると、ドミノ倒しで他の人も倒れていくこと。『自分の体を守り、その中でやれることをやろう』と職員に言っている」と山下氏。

 山形大学では、地震では建物の崩壊などは少なかったものの、直面したのは物資、何よりガソリン不足。「山形市内は、今は1時間待てば満タンにしてもらえるくらいにまで回復したが、当初は何時間並んでも10リットルしか入れてもらえないほど状況はひどかった」(山下氏)。ガソリン不足は、職員の通勤の足を直撃した。大学病院近くの公共の宿を職員用に借りたほか、タクシー券を配り、相乗りして通勤してもらった。こうした中、当初は医薬品なども不足の中、医療を続けてきたことで、職員にもストレスがたまっている状況だという。「長期戦に備えて、今の段階で休みを取るように言っている」と山下氏。並行して、大学としてどんな患者の受け入れが可能か、一方で避難所など大学以外に巡回する場合、どんなチーム編成が可能かなどの検討・準備も進めている。

 さらに、山下氏は今後の備えとして、被災地全体のこととして、「どこで何を必要としているか、その情報を把握、分析して、人と物資の支援につなげるヘッドクオーターを作る必要があるのではないか」と指摘する。支援を必要とする側と支援する側のマッチング機能が必要というわけだ。「被災者が、とにかく命は助かった。しかし、家も財産も仕事を失い、次にどうすればいいか、その先が見えない状況の人も多いのではないか。そうした被災者に対し、我々は医療者としてどう対応するかを考えていく必要がある」(山下氏)。



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110330/ibr11033002380004-n1.htm
東日本大震災 命を守る、筑波大付属病院奮闘 茨城
2011.3.30 02:38

 ■24時間対応の災害本部/他病院の患者受け入れ/全診療科での当直態勢

 東日本大震災で被災した県民の命を守ろうと、筑波大付属病院が奮闘している。

 同病院は震災直後、災害対策本部を設置。その後、予想を超える長期戦となるとして、大震災復興緊急対策本部(本部長・五十嵐徹也病院長)に拡大し24時間態勢で対応している。

 県内でも特に被災状況が深刻な北茨城市や高萩市、水戸市などの病院のほか、土浦保健所や福島県からの避難者が滞在しているつくば市の洞峰公園体育館などに120人以上の医師や職員を派遣。

 医師や医療機器不足で治療が困難になった他病院から患者を受け入れ、呼吸器外科や消化器外科などの手術も行っている。

 一方、病院内では緊急を除き予定されていた手術やCT、MRIなどの検査をキャンセル。35診療科全てが当直態勢をとる。

 副本部長補佐の安田貢医師(47)は11日、日立市の病院から福島県いわき市に向かう途中で被災。すぐに被害が深刻な北茨城市立総合病院に向かい、90人以上の患者の受け入れ手配や心肺停止状態の患者の救助にあたった。

 安田医師は「県北では病院機能がまひしているところもあるが、人と物があれば頑張れる」と話す。

 県医師会には救命救急医などで構成する「日本ACLS(二次救命措置)協会」(境田康二理事長)が、医療機器約20万点を寄贈し、すでに病院や診療所などに配布した。

 このほか、西日本各地の医療機関から医師が続々と県内入りしており、医療環境は改善に向かっている。



http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000331103300005
東日本大震災
【がんばろう!~首都圏から】
被災地の惨状語る「はだしで雪中歩く人も」

2011年03月30日

 大きな被害を受けた東北の各県に、神奈川からも多くの人が援助に入った。地震発生直後の被災地で、彼らが見たものは。

 横浜市立みなと赤十字病院の看護師長永井妙子さん(42)と日本赤十字社神奈川県支部職員の笹子(ささ・ご)敦さん(42)は、ほかの病院の看護師らとともに15~18日の4日間、津波で壊滅状態となった宮城県石巻市にある石巻赤十字病院で、遺族らの対応にあたった。19日未明に帰任後、被災地の惨状を語った。

 14日午後10時ごろ、真っ暗な泥にまみれた街で優先的に電気が復旧し、ぽっかりと浮かび上がる石巻赤十字病院に到着。患者や遺族の「こころのケアセンター」を立ち上げた。

 市立病院も水没し、市内で医療器具が残っているのはここだけ。患者が次々運ばれ、廊下まであふれた。ガスは復旧せず、水は給水車での供給。携帯電話も10回に1回程度しかつながらない。入院患者は缶詰やパンで食いつなぎ、翌日の食事にも事欠いた。地震から5日後、ようやくおにぎり2個とカップみそ汁という温かい夕食が出た。

 地下の駐車場には20~30の遺体が置かれていた。男性の遺体の横が空いたままになっていた。市内はまだ海水がひいておらず、泥沼のような状態。男性の妻は遺体で発見されたものの、引き揚げられないでいた。「両親を並べてあげたい」。夫婦の子どもから依頼されていた。

 遺体は全身を拭くものも、着替えさせる着物もない。泥だらけのまま、顔を拭ってあげることしかできなかった。永井さんが対応した多くの遺族は「自分がしっかりするしかないから、大丈夫です」と言った。「今後どうしたらいいかわからない」と泣き出す人もいた。焼香し、付き添うしかできなかった。

 笹子さんは「中越地震など今まで色々な災害救護の現場へ行ったが、今回は比較にならないほど凄惨(せい・さん)」と絶句した。永井さんは「薄着で雪の中をはだしで歩く人を見たが、何もしてあげられなかった」と涙を抑えられない。「手を打たないと、地震や津波で生き延びた命が消えかかっている」と訴えた。

(小島泰生)

■福島で 県警機動隊員


 「余震、津波、それに原発。被災者は三つの恐怖におびえている。神奈川にいてはわからない、大きな不安を感じた」。広域緊急援助隊として被災地の支援に入った神奈川県警第一機動隊の三浦和彦さん(41)は振り返る。

 三浦さんら37人は震災当日の11日夜に出発し、翌朝に福島県新地町に入った。押しつぶされた家々。静まりかえった街の中で捜索活動を始めた。「津波の怖さは知っていたが、認識の甘さを痛感させられた」という。

 余震のたびに高台に避難し、作業は難航。活動中も福島第一原発で爆発事故が起こり、地元の警察署に戻って待機せざるを得なかった。三浦さんは「捜索したくてもできない。もどかしかった」。

 救助3日目、原発でまた爆発が起きた。避難区域にある病院に取り残された寝たきりの患者やスタッフ約90人を避難させる任務についた。

 政府が用意した観光バス7台に、約2時間かけて慎重に患者を乗せた。原発をめぐる事態は刻々と悪化し、「車内にいる間はナーバスになった。避難することで、むしろ患者が体調を悪くしないか不安だった」という。

 翌朝、同県いわき市の高校の体育館に無事避難させた。三浦さんらも16日夜に神奈川に帰還した。三浦さんは「捜索活動では誰も救うことができなかった。もう一度必ず被災地に行くことになる。この日のために訓練を重ねてきた。一人でも多くの命を救いたい」。

(毛利光輝)

■仙台で 消防援助隊員

 「大変なことになっている」。被災地に緊急消防援助隊として逗子市消防本部から派遣された消防司令補の大庭啓一さん(46)=写真=は悲惨な現状を見て言葉を失ったという。

 大庭さんら5人は、津波被害が大きい仙台市若林区で13日早朝から救助活動を始めた。車の上に車が載り、建物は基礎だけが残ってそばにはつぶれた屋根。腰近くまで水につかり、生存者を捜した。14日夜までに4人の遺体を見つけて収容。活動中に何度も余震に襲われ、高台に避難したという。

 今回の災害は海が近い逗子も、ひとごとでないと大庭さんは感じた。「津波の時はどこに逃げるか、家族の安否をどのように確認するのかを決めていて欲しい」

   ◇

 2階だけになった家屋、根本から引き抜かれた大木、ひっくり返った車・・・。緊急消防援助隊の第1陣として、横須賀市からも若林区周辺に中村達朗さん(46)らが派遣された。「現場を見てあぜんとした。生存者がいるのかと。津波の力のすごさ、怖さを思い知った」

 12日にやはり横須賀市から現地入りした渡辺孝さん(38)は「田んぼが多くぬかるんで沼地のようだった」。泥の中の捜索には棒先に小型カメラのついた簡易画像探索機が役に立った。渡辺さんら2人は後方支援を担当し、捜索・救助にあたる隊員たちの機材の装備や食事の用意などにあたった。

 捜索初日の13日に捜索で見つかった10人のうち3人は生きていたが、7人の意識はなかった。援助隊が見つけた中には、泥にまみれ、娘を強く抱きしめたまま硬直した母親の姿があったという。2人とも既に意識はなかった。

 夜は野営のテントで過ごした。冷え切った体では毛布を重ねても眠れず、体育館などに避難する被災者を思った。渡辺さんは言った。「救助に入る人手は多ければ多い方がいい」

(山元一郎、川上裕央)



http://www.kfb.co.jp/news/index.cgi?n=201103306
医療従事者を避難者から雇用へ 若松
2011年03月30日 11時05分配信

被災者が避難所に多く滞在する会津若松市で、医療機関を中心に避難者向けに雇用を生み出す動きが出ている。

4月には大熊町が市内に集団移転するため、雇用確保は大きな課題となっている。

会津中央病院は看護師や薬剤師、理学療法士ら6職種を、臨時職員として計30人募集する。

希望者には職員住宅などをあっせんし、正職員への登用制度もある。

早期に働きたい人のため、採用は4月1日から行う。

竹田綜合病院は特に大熊町民らの就業を支援。

医師や看護師、介護福祉士などの職種を募る。

避難生活の状況を考慮し、交代勤務など雇用条件は柔軟に対応する。

「生活基盤の安定に少しでも寄与できれば」としている。

問い合わせは会津中央病院電話0242(25)1593、竹田綜合病院電話0242(29)9893へ。



http://www.asahi.com/health/sanada/TKY201103290287.html
震災地の医療
2011年3月30日

 東北地方がとんでもないことになっている。

 テレビで見た津波があがってくる様子は、背筋が凍るようだった。天災の前にどうしようもない無力感に襲われる。テレビの前で呆然とその光景をみている自分に罪悪感すら感じた。

 ほどなく現地での「医療」が問題にされる。

 たくさんの避難民、けが人、病人。妊婦、子供、老人。元気なはずの若い人ですら、過酷な状況下では体調を崩す。

 ずいぶん昔、とあるところである先生の診療を手伝ったことがある。当時の私は半ば研修中の身分で、割と自由に勤務先を決めることができたのだ。そこはずいぶんな田舎で、医療物資も設備も十分なものはなかった。中年のよく太ったおばさん看護師一人に、とっくに定年退職したはずのおばあちゃん看護師が時々お茶を飲みにきていた(本人は手伝いに来ていると言い張っていた)。無口な背の低い男性事務員が一人いて、この人はどうやら別の仕事も持っていそうで、医療事務仕事の合間に別の帳簿仕事をよくしていた。

 「僻地医療っていって馬鹿にしちゃいけないよ。ここは野戦の総合病院なんだから」

 学生時代にワンダーフォーゲル部だったその先生は、あいかわらずのひげ面で豪快に笑った。当時でもすでに珍しくなっていた丸形の石油ストーブの上にやかんが乗っている。板張りの古い形の診療室。時々来る患者さんは子供から高齢者、働き盛りのおじさんや漁師さん、市場のおばちゃんで、診療費代わりなのかなんなのか、野菜や魚を置いていく人もいた。

 風邪も胃腸炎も診た。子供のはしか(麻疹)も。私ははじめて「コプリック斑」というのをこの診療所で診て覚えた。漁師さんが多くて、よく指の怪我なんかをしていた。大きな銛やら針やらで指をざっくり切る人がいのた。あまり上手とはいえなかったけれども、ひげ面先生は器用に縫っていた。

 ある時、地震があった。揺れ自体はそんなにひどくなかったけれども、その後火が出てしまった。隣家からの延焼で、ぼろぼろの診療所はすっかり燃えてしまったとのこと。電話口のひげ面先生の声はそれでも落ち着いていて全然慌てた風じゃなかった。

 「・・・・だからさ、真田先生、もし手が空いていたら明日っから手伝いに来てほしいんだよね」

 「わ、わかりました。あの、何か持って行った方がいいもの、ありますか?水と食料ですよね?あ、毛布とかもですか?」

 いわゆる避難生活を想像した私はサバイバルキットを想像した。

 「PL(総合感冒薬の一種)と、抗生剤と、解熱剤。それからありったけのプレドニゾロン。インスリンがあったらうれしいな。そんだけあれば短い期間ならなんとかなる」

 翌日現地に到着すると、すでに診療所横の駐車場で青いビニールシートでテントが張られ、段ボール箱を机代わりに診療所ができていた。事務の男性はあいかわらず無口だったけれども、レポート用紙でカルテを作って、記録係までこなしていた。太った看護師さんは効率よく患者の受診順を決めて、処置を始めていたし、おばあちゃん看護師がちゃんと看護師として働いている姿を見た。

 「真田先生は薬剤師のかわりしてね。燃え残った中からも使えそうな薬を見つけてね、やりくりしながら管理して次の方策を考えてね」

 医師1、ナース2、事務1、薬剤師1。

 これだけいて薬剤があれば最低限の青空診療所ができあがる。私は被災地での急ごしらえ診療のやり方をこのとき教わった。3日しのげる処方とその間に後方支援に送ること。思えばあの診療所の体制がすでに毎日が被災地診療のようなものだったのかもしれない。

 我々の施設からも医療チームを派遣している。被災された方々にはなんとしてもあと少しがんばっていただきたい。



http://www.asahi.com/health/news/TKY201103300100.html
「計画停電で手術できない」 除外されぬ病院、不安の声
2011年3月30日

 東京電力の計画停電で、救急患者の受け入れ制限や重症患者の手術の延期を余儀なくされる病院が出るなど、医療現場が混乱している。一部の病院は停電の対象外になったが、明確な「除外基準」はない。夏にはさらに電力不足が深刻になる可能性が高く、不安の声が上がっている。

 大動脈瘤(りゅう)など心臓血管の治療実績が全国トップレベルで、救急車の受け入れが年間約6千件の川崎幸病院(川崎市)。関東全域から患者が来院し、通常3カ月先まで心臓手術の予定が入っているが、計画停電が始まってすべて延期した。

 停電の時間が日によって違い、直前までわからないことがあるので、長いと10時間以上になる手術の計画が立てられないからだ。非常用発電機で人工心肺装置を動かしている時に発電機が故障したら患者の命が危ない、という不安もあった。

 大動脈瘤は、破裂した場合の死亡率が高く、いつまでも延期できない。停電が続くなら、4月以降はリスク覚悟で手術を再開するという。

 自治医大さいたま医療センター(さいたま市)も停電時は予約患者以外の外来受け付けを中止し、手術件数を制限している。非常用発電機の燃料の重油が手に入りにくいことに頭を痛めている。

 災害拠点病院でもある上都賀総合病院(栃木県鹿沼市)は停電時でもCT(コンピューター断層撮影)やMRI(磁気共鳴断層撮影)などの画像診断機器を動かせるようにするため、発電機の増設を検討しているが、数千万円かかりそうで簡単に決められない。廣田光一事務部長は「医療機関は計画停電から外してほしい」と訴える。

 一方、計画停電から除外された病院もある。

 救命救急センターであるさいたま赤十字病院(さいたま市)は停電時にCT(コンピューター断層撮影)、MRI(磁気共鳴断層撮影)が使えず、頭部外傷や脳卒中などの救急患者の画像診断ができなかった。交通事故に遭い昏睡(こんすい)状態で搬送されてきた患者は隣の市の大学病院に転送せざるをえなかった。その後、加藤泰一院長が東電に強く要請し、計画停電から外された。

 東電は自衛策を呼びかける一方で、社会的影響が大きいとして、鉄道と病院の一部を停電の対象から外した。明確な基準はなく、除外した病院名や数も公表していない。東電によると、変電所から離れた病院を除外すると、周辺の家庭や事業所にも電気を供給することになり、計画停電の効果が薄れるという。

 川崎幸病院を経営する医療法人の理事長で日本病院会常任理事の石井暎禧(えいき)さんは「苦情を言った病院を除外するなど、東電の対応はばらばら。救急や重症患者を多く治療している病院から優先して送電するべきだ」と話す。(編集委員・出河雅彦)



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/282138.html
石巻出身の砂川市立病院医師 津波の跡「言葉出ない」 医療支援から戻る
(03/30 10:20)

 【砂川】東日本大震災で深刻な被害を受けた宮城県石巻市出身で、砂川市立病院循環器内科の木村俊之医師(31)が、石巻市から約30キロ南西の七ケ浜(しちがはま)町の避難所で26日まで6日間の医療支援活動を行い、砂川に戻った。無事だった両親らにも再会できたが、街の建物が残っていない故郷の姿にショックを受けた。

 木村さんは道の要請で砂川から同僚4人と七ケ浜町へ。21日夕方に到着し、約300人が身を寄せる避難所で診察に当たった。

 避難所は土足のため砂ぼこりが舞い、被災者の多くが風邪などで体調を崩していた。食生活の乱れやストレスで「最大血圧が200(ミリメートルHg)以上の人がたくさんいた」という。

 早めに診察が終わった23日、石巻市を訪ねた。死者、行方不明者が5千人の被害を受けた故郷。高台の住宅に住む62歳の父、59歳の母とは、砂川を出発前に連絡が取れていたが「顔を見てほっとした」。津波で自宅2階に取り残されたと聞いた81歳の祖母も無事救助されていた。

 一方で、変わり果てた街並みに「言葉が出なかった。安否がわからない友人や同級生もいる」と思いやった。

 木村医師は4月1日に九州の病院へ移るが、再び被災地支援に向かう予定という。



http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15682.html
2011/3/30 水曜日
石巻に医療支援第2陣派遣/弘大

 東日本大震災で甚大な被害に遭った宮城県の要請により、同県石巻市に医療支援チームを派遣している弘前大学(遠藤正彦学長)は29日、弘大医学部附属病院(花田勝美院長)の医師、看護師ら5人を第2陣として現地に派遣した。
 弘大では既に第1陣として越前崇医師=循環器内科=ら5人を25日に現地派遣している。当初は1週間ごとにチームを入れ替えて1カ月程度活動する予定だったが「激務のため頻繁にメンバーを交代していかないといけない」(花田院長)ため今後は1チーム当たり3泊4日交代にする。
 29日に第2陣として現地に向かったのは米内山真之介医師=消化器外科=をはじめ、看護師2人、事務職員2人。
 出発を前に米内山医師は「もともと災害医療にも興味があるので志願していた。できることがあれば医療以外でもやりたい」と話し、同病院前で花田院長らの見送りを受け、車で現地に出発した。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110330/dst11033014260031-n1.htm
【東日本大震災】
揺らぐ在宅医療ネットに「第2、第3の危機」も…岩手・釜石

2011.3.30 14:22

地域の在宅診療の中核を担ってきた「釜石ファミリークリニック」の入る釜石市保健福祉センターも津波で被害を受けた。在宅患者の今後のケアが課題になっている=27日午後、岩手県釜石市(小野田雄一撮影)

 東日本大震災で、岩手県の自治体と中核病院が独自に築いた医療ネットワークが崩壊の危機にある。深刻な医師不足を補うため、同県釜石市と大槌町は震災前、在宅診療の拡充に力を入れてきたが、震災で患者らが避難所や転院先にちりぢりになってしまった。医療現場は被災直後の急性期医療は乗り切ったが、慢性疾患の悪化やADL(日常生活動作)の低下という「第2の波」「第3の波」に危機感を募らせる。(小野田雄一、大渡美咲)

 ■「いつまで入居できるか」


 「これからどうなるのか…」。認知症の母(84)と脳梗塞で倒れた夫(69)を同時に在宅介護してきた釜石市の三浦利津子さん(62)は、避難先の市立釜石小学校で呆然(ほうぜん)とした表情を浮かべた。

 被災前は地域の医師らが定期的に自宅を訪問、投薬や検査をしてくれていた。しかし、自宅が津波で壊れて介護ができなくなり、母と夫は内陸部の介護施設に移された。ただ、「いつまで入居できるのか分からないし、請求書も怖い。早くもう一度、母と夫と暮らしたい」と願う。

 同市と大槌町からなる医療地域では平成19年、医師不足を理由に中核病院の県立釜石病院と釜石市民病院が統合された。統合に伴う病床数の減少を在宅診療の拡充で対処。医師や歯科医、看護師ら病院サイドと行政が一体となって患者の情報を共有する仕組みを立ち上げ、「入院は必要がある場合のみ。在宅で対応できる患者は在宅で」という仕組みを作り上げた。

 その結果、「病床数の減少にも関わらず、医療サービスの質を維持してきた」(同市医療関係者)。しかし、津波は自宅や介護する側の家族まで飲み込んでしまった。

 ■第2、第3の危機の波

 「自慢だった在宅診療の仕組みが壊れてしまった」。釜石市の避難所で働く女性保健師はそう嘆いた。

 同地域にいる約430人の在宅患者のうち、約350人を担当してきた「釜石ファミリークリニック」の寺田尚弘院長(48)によると、350人のうち100人以上が自宅を離れ、数十人が死亡・行方不明だ。寺田院長は「被災直後の急性期医療という“第1の波”は乗り切った。しかし、在宅患者には第2、第3の危機の波が襲う可能性がある」と懸念する。

 寺田院長によると、第2の波とは慢性疾患の悪化、第3はADLの低下をいう。「避難生   活の長期化や衛生面の悪化で、これまでは進行が緩やかだった慢性疾患が一気に吹き出る可能性がある。次には、これまである程度は自分で排便や食事などができていた患者が、寝たきりになってしまう恐れもある」と指摘。「応援の医師が全国から入り、急性期医療の支援を受けている間に、われわれ地元の医師が元の在宅診療態勢を再構築しなければならない」と強調した。

 ■ネットでSOS

 寺田院長と同じ問題意識を持ち、インターネットで全国の医師に協力を呼びかけている医師もいる。国立釜石病院の土肥守院長(53)は、自身のブログで「勤務や待遇は保証する」とし、釜石地域での医療を志す医師を募集した。

 土肥院長は「地域医療の再構築には人手がいるが、被災した医師も多い。もともとチームワークで医師不足を乗り切ってきた地域なので、連日の治療で医師、スタッフの疲労は極限に達している」と話す。

 その上で、「今後被災地の医療に必要なのは、患者さんの話を聞き、心も体も治療できる医師。釜石に1年いれば、他の病院の10年分の経験が積めるかもしれない。年齢は問わない。一人でも多くの医師にぜひ釜石の医療に参加してほしい」と訴えた。



http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110330ddm012040123000c.html
東日本大震災:イスラエル政府の医療チーム活躍 宮城・南三陸に診療所

 宮城県南三陸町の避難所に29日、イスラエル政府の医療チームが診療所を設置し、診察を始めた。東日本大震災で、日本が海外政府の医療チームを受け入れるのは初めて。

 同町では全医療機関が津波の被害を受け、大半の医療機器が使用できなくなった。厚生労働省は、大災害時には外国人医師による医療行為も許容されるという見解を示し、被災県に連絡している。

 イスラエル軍の医師や看護師ら計約60人は、町スポーツ交流村の避難所前にプレハブの仮設診療所6棟を設置。日本人医師の指導を受けながら、エックス線検査や血液検査、分娩(ぶんべん)など、幅広い診療を行う。他の避難所への訪問診療も行う。

 最初にエックス線検査を受けた佐藤仁町長は「町内では9000人以上が避難所生活を送っている。大きな助けになる」とあいさつ。オフィル・コヘン医療チーム隊長は「被害は想像以上。幅広い診療を行い、少しでも力になりたい」と語った。【茶谷亮】

毎日新聞 2011年3月30日 東京朝刊



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134654/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
自治医大卒業生ら「6カ月プロジェクト」始動◆Vol.2
「避難所の仕事は多忙極め、神経的にも休まる暇がない」

2011年3月30日 星良孝(m3.com編集部)

 「被災地、当然のごとくたくさんの問題を抱えており、被災地の医療者のストレスたるや、相当なもの」

 3月27日、「自治医科大学医学部同窓会東日本大震災支援プロジェクト」の第1陣に参加した6人の医師が帰還し、入れ替わって7人が新たに被災地に向かった。第1陣のメンバーの一人、三阪高春氏(霧島市立医師会医療センター、自治医大第13期、以下同)は振り返ってこう説明した。

6者6様の支援活動

 三阪氏を含めてプロジェクトの第1陣は、被災地の状況と医療の必要性を見極めながら動いていた。ある医師は病院、ある医師はスケートリンクや体育館などに設置された避難所、ある医師は臨時の診療所など。支援活動の中身は、6者6様といってもいい。

 岩手県南部を中心とした東磐地域を担当した三阪氏は当初は、岩手県の県立千厩病院、国保藤沢町民病院などの医療支援が想定されていたが、実際には気仙沼市の「K-WAVE」と呼ばれるスケートリンクに設けられた避難所の医療支援に回っていた。地震発生から日が浅い段階で、津波被害を受けた沿岸部で支援医師がたどり着けていなかった。ヘリコプターで被災地に到達できたプロジェクトメンバーが、医療支援に駆けつける意味が大きいと判断できたのだ。

 一方で同じ東磐地域担当の牧信行氏(静岡県立総合病院、第21期)は、登米地域を担当した羽田原之氏(長野県のはたクリニック、第14期)、濱口重人氏(大阪大学大学院、第24期)と共に、壊滅的な打撃を受けた宮城県南三陸町志津川の方面の支援に回った。南三陸町が甚大な津波被害を受けていたからだ。

 唯一の病院である公立志津川病院が4階まで浸水。患者のほかスタッフにも犠牲者が出た。公立志津川病院の医師は、津波の直後は屋上で治療。山手の体育館「ベイサイドアリーナ」に避難所が開設されてからは、現場で診療に取り組む日々。県や大学、支援組織など外部との交渉、医療従事者が支援に来た場合には役割管理など、過重な負担が降りかかっていた。奇しくも、公立志津川病院に勤めていた現地医師、西澤匡史氏(第20期)と菅野武氏(28期)も自治医大卒業生だった。

 プロジェクト事務局の石川鎮清氏(第12期)は、「本来ならば、被災者を最もよく知る現地の医師が被災地医療の中心になるべきだが、その余裕は全くなっていた。被災地の医療体制の再建には、現地医師に対する支援が早急に必要だった」と、地震から2週間の段階までの状況について説明する。

医師は「ワイルドカード」の役目に


 様々な業務が支援医師に求められるが、とりわけ気力と体力を要するのが避難所での診療だ。

 南三陸町に3人の支援医師が向かったのも、避難所対応を前提としていたため。羽田氏は、「現地医師は被災後、支援に到着した医療チームの対応やマスコミ対応なども含めて、不眠不休で働いていた。支援医師にとっても、避難所での仕事は多忙を極め、神経的にも休まる暇がなく、後方支援と入れ替わる体制で取り組んでいた」と振り返る。

 被災地との連絡を取る事務局の神田健史氏(第22期)は、「被災地では、やむを得ず保健師や養護教諭らが必要な医療についての判断をしているケースが少なくないようだ。自治医大の卒業生は、いわばトランプで言う特殊な役割を果たせる『ワイルドカード』となり、他職種の方々による医療行為の裏付けをしていくのが役割。全体を見ながら、情報を集約して、医療の方向付けをしていく。今後は、さらに被災地の看護師、薬剤師、リハビリ提供者、行政、製薬企業などと連携していく役目も果たせるように体制を整える必要がありそうだ」と、現地からの情報を分析してこう語る。

 震災から間もない現状では、プロジェクト事務局からは、支援医師の役目として、「保健室機能」という言葉が聞かれた。「生徒からの健康のありとあらゆる要望に応えていく学校の『保健室』のような機能が、被災地の医師には求められる」と神田氏は表現している。

 典型的なのは医薬品への要望かもしれない。「震災から時間が経過されて、止めては困る薬が利用不可能となって問題となっているケースが多い。被災者は生活レベルが1段階下がった状態で、通常はないような疾患にかかっている。医師は日常診療の延長だが、平時よりも疾患の種類の上でも数の上でも多彩な要望に応えていかねばならない。まさに、臨機応変に保健室のように対応していかねばならない」と神田氏は現地の情報について説明する。

 薬剤については、プロジェクトでは出発の際に、医薬品約20種類を数箱のダンボールに入れて持参した。自治医大卒業の開業医が持たせたものだ。例えば、高血圧患者の降圧薬、喘息患者のステロイド、心不全を抱える患者の抗凝固薬や抗血小板薬など。流通は回復しつつあるが、正常化するまでには時間がかかると見られている。患者の様々な症状に応えるため、自由に利用可能な薬剤を各自持参した。

 次回、引き続き、耐震工事の予定直前に被災した釜石病院の状況、臨時の診療所開設、中小病院疲弊の観測など、現地の状況や見方について、第1陣に参加した医師の声からお伝えする。



http://www.yakuji.co.jp/entry22532.html
【東日本大震災】医療関連企業・団体が支援(続報)

 ▽日本製薬:義援金1000万円に加え、医薬部外品を含めた医薬品4000万円相当の総額5000万円を寄付する。

 ▽ガルデルマ:義援金500万円を寄付した。

 ▽エイアンドティー:義援金300万円の寄付を決定した。

 ▽日本製薬工業協会:3月30日に、医療用医薬品約4トンを福島県に輸送した。福島県薬剤師会館に搬送した後、県薬剤師会などの協力を得て、各避難所に配る予定。

 ▽ロート製薬:震災孤児支援のため、社員による震災復興専任支援チームを編成し、「震災復興支援室」を設置した。同社CSR活動の「次世代支援」を実現するため、震災孤児の長期的な生活と勉学の支援を行う方向で検討している。また、震災復興に本格的、継続的に取り組むため、今月から1年間、取締役の月例報酬の10%を自主返上し、危機対応に充てる。

 ▽NPO法人ジャパン・カインドネス協会(JK)=緊急支援として、ゆび募金自動販売機による寄付金の半額を、義援金として寄付することにした。これまでは、募金寄付先を指定する方式を採っていた。

 ゆび募金は、飲料メーカーと自販機オーナーが1本1円ずつ寄付しているが、飲料メーカーの1円分を、日本赤十字社への義援金に充てる。1月から8月までの合計で、300万円を見込んでいる。

 JKのゆび募金自販機は、東邦薬品171台、スズケン46台、九州東邦29台、アルフレッサ24台など29社に377台、調剤薬局関係に約150台が設置されている。

 ▽日本カイロ工業会:経済産業省を通じ、カイロ75万枚を提供した。

 ▽3Mジャパングループ:「ネクスケアマスクバリュー」135万枚、「ネクスケアハンドジェル」(70mL)8万2200本、同(500mL)5520本、日本歯科医師会の要請に基づき歯科関連製品と医療用マスクを提供した。総額で約7000万円相当になる。また、グループ従業員との「マッチングギフト」を実施する。米国の3M社も総額250万ドルの支援を行う。

 ▽ピップグループ:義援金1億円を寄付した。

 ▽ユニチャーム:韓国子会社「LG生活健康」から支援の申し出を受け、同社を通じて、ハンド用消毒剤・液体石鹸8500本、石鹸5000個、シャンプー4000本、歯磨き・歯ブラシ6000本を提供した。また、犬・猫用ペットフード10トン(8万個)の提供を、ペットフード協会に申し出た。

 ▽オムロンヘルスケア:改めて同社グループ窓口を案内した。医療体制復興に同社機器を活用する医療関係者は、オムロンコーリン(フリーダイヤル0120-103-203)まで。既に同社グループでは、関西広域連合(2府5県)と連携し、家庭用血圧計、体温計を届けている。また、他県避難所への提供も開始した。家庭用血圧計、体温計を活用する被災地緊急対策本部/避難所責任者は、経営統括部(TEL075‐322‐9302、FAX075‐322‐9303、月~金の午前9時から午後5時)まで。
  1. 2011/03/31(木) 05:45:58|
  2. 未分類

3月29日 震災19日目

http://mrkun.m3.com/mrq/message/ADM0000000/201103291414563369/view.htm?pageContext=mrq2.0&mkep=&titleId=1&wid=20110329180141184
3/29号 「論文」で復興支援、無料公開広がる
2011年03月29日 (m3ポイントとは)
 東日本大震災では、地震や津波による外傷だけでなく、避難所生活における災害関連疾患や既往症への対応の重要性が増しています。

 これら臨床に役立つ論文を無料で公開し、被災者の救援活動を「情報」の立場から支援する動きが広がっています。例えば、NEJMでは、日本からのオンラインアクセスを2011年5月1日まで無料で使えるようにしています。米国医学図書館NML(National Library of Medicine)も、2011年4月8日まで同様に無料公開。

 日本国内でも、「Medical e-hon」が、9つの出版社の協力を得て「災害医療」関連49コンテンツを、医学中央雑誌(医中誌)では医中誌Webを、医学書院では「今日の診療プレミアムWEB版」を、いずれも2011年4月30日まで無料公開しています。

 さらに、京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻のグループでは、コクラン共同計画(Cochran Collaboration)の正式許可を得て、震災などに伴う健康障害の予防・医療に関する情報を含む同計画のエビデンスエイド(2004年12月のインド洋津波災害の後に開始されたプロジェクトによる)の翻訳および公開を開始しています。

 m3.comの「震災関連サイトリンク集」では、臨床に役立つリンク集を作成していますので、ぜひご活用ください。


【震災関連で論文等を無料公開している主なサイト】

◆NEJM  
 日本からのオンラインアクセスを2011年5月1日まで無料公開(購読者以外でもフルテキストの閲覧が可能、ただし1989年以前の論文は除く)

◆米国医学図書館NML(National Library of Medicine)
 2011年4月8日まで無料公開(Emergency Access Initiativeサイトにアクセスし、提示される文字等を入力してログイン)

◆Medical e-hon  
 2011年4月30日まで、「災害医療」関連49コンテンツを無料公開(無料ダウンロードには、Medical e-honの無料の会員登録が必要)

◆医中誌Web  
 2011年4月30日まで、被災地で医療・救助活動に従事する医療従事者に向けに無料公開(東北地方太平洋沖地震の被災地で、医療・救助活動に従事する医療者が対象。IDとパスワードの発行手続きが必要)

◆医学書院 
 2011年4月30日まで、「今日の診療プレミアムWEB版」を無料公開(サイト上で、IDとパスワードを入力して閲覧)

◆東北地方太平洋沖地震による健康障害の予防・治療に関する学術情報リソース 
 京都大学のグループによる、コクラン共同計画(Cochran Collaboration)のエビデンスエイドの翻訳・公開。



http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20110329ddlk34040670000c.html
東日本大震災:「ほとんど水死」 宮城で遺体を検視した医師、活動報告 /広島

 広島市医師会は28日、同市役所で記者会見し、東日本大震災の支援のため派遣されていた宮城県内での活動を報告した。

 18~26日、医師や臨床検査技師ら延べ7人を派遣。被災者への診療や検視に当たった。眼科医の前谷悟医師(51)は、遺体安置所になっている同県名取市の体育館で検視を担当した。最初の遺体は女性で、抱っこひもをかけていたという。遺体に大きな損傷はなかったが、「一瞬のうちに津波に飲み込まれてしまったことを物語っていた」。検視した遺体のほとんどの死因は水死だった。

 被災地では今後、感染病の危険性や、薬の不足も懸念される。市医師会は、要請があれば追加派遣を検討する。【寺岡俊】

毎日新聞 2011年3月29日 地方版



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38777
[福島・いわきルポ]独自の被災地医療態勢が機能

医師らボランティア受け入れ工夫

 巨大地震から半月。先週末、外科医で順天堂大医学部先任准教授の斎藤光江医師らと共に福島県いわき市に入った。地震と津波、原発事故という前代未聞の“複合災害”に陥った同市では、各地からの助っ人をフルに生かした独自の被災地医療態勢が機能している。(編集委員・前野一雄)

 医薬品、アレルギー児用ミルク、紙おむつ、生理用品、ミネラル水、生活用品などをワゴン車に詰め込んで、東京から常磐自動車道を一路北上した。太平洋沿いのいわき市は、茨城県と接する福島県南部にあり、県内最大の人口を持つ中核都市。北端は福島原発の30キロ圏内にかかる。総面積が全国第2位の広大な市内には60の避難所が点在する。津波で家屋を流されたり、原発事故で地域ごと退避を余儀なくされたりした約3700人が身を寄せる。

 「物資はほぼ満たされるようになりました」。同市医師会の木田光一会長は、持参した支援物資をやんわり断りながら、「原発が収束しない限り、行き場のない人ばかりが集まっています。今、迫られるのは避難所のケアに当たる医療従事者の確保」と訴える。

 市街地のある避難所を訪れた。暖房のない体育館に、この日やっとビニール畳が敷かれたものの、毛布にくるまって寒さに耐える劣悪な環境。とりわけ高齢者には長い避難所生活が、持病の悪化や、感染症の拡大を招く。

 「課題は、小児らの感染症、高血圧や糖尿病など高齢者の慢性疾患、そして被災者の心のケアの3点」と会長は断言する。

 しかし、地域医療を担ってきた診療所は壊滅状態。会長の診療所も浸水するなど、270の診療所は地震直後に約10に減少した。徐々に再開しているが、「午前中のみ」といった時間を区切る所を含めても半数程度。とても被災者の診察に当たる余裕はない。

 長期戦が必至な地域医療の再生。陣頭指揮に立つ木田会長は知恵を絞った取り組みをいち早く始めた。

 放射線被曝(ひばく)の風評被害で物流が途絶え、医薬品不足に陥る中、日本医師会を通じ、愛知県医師会からわずか1日で150品目800キロの医薬品がヘリで到着。19日から避難所の巡回診療を開始した。

負担かけず2、3日ごと交代

 戦力は各地から集まった医療支援チームのボランティアたちだ。受け入れる方は、長期間滞在を望みがち。一方、ボランティア側が過重な負担になれば支援の志が実現できない。そこで、時間を工面して駆けつけた人材をチーム編成し、2、3日ごとに順次交代していくことにした。「支援チームが疲弊しては、長続きしない。とにかく穴を空けないことが重要」(木田会長)。愛知県のチームは6回入れ替わっている。

 医師、看護師、事務らが一組で巡回診療に当たる。日々最低6チームが編成できるよう市医師会のホームページ「医療支援カレンダー」で、募集情報を集約し、人材を分配する。個人参加の各職種の人もチームに組み込み、薬剤師が医薬品の管理にあたる。

 毎日午後5時から一日の診療内容や問題を報告し、翌日の解決策を打ち出す。私たちが訪れた日は福岡、京都、三重、愛知、富山、山梨などの約50人が集合。ぜんそく、気管支炎、感染性胃腸炎、高血圧、パーキンソン病、不眠、津波に巻き込まれたショックによるパニック症状、自主避難地域内に家族と残る90歳代の胃ろう(管で栄養摂取する)患者らが引き継がれた。

 「未曽有の危機には、新たな仕組みに変えていくことが社会の機能を復活させるカギ」と斎藤准教授は評価する。チームのだれもが充実感に満ちている。職場に戻っても、さらなる仲間を呼び込むだろう。

 求められるのは、現場に即した確かな戦略を打ち出す司令塔だと、肌で感じた。

 運んだ支援物資は翌日、約1000人が生活する福島市のあづま総合運動公園の避難所に届けた。

(2011年3月29日 読売新聞)



http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110329/dms1103291125001-n1.htm
【医の常識非常識】生活習慣病・PTSD、エコノミー症候群にも注意
2011.03.29

 東北と関東にかけて1000年に一度といわれる大震災が発生した。大震災が起きると、まず最初に考えなくてはならないのが人命の救助である。そのなかに医療という問題が含まれている。

 地震が発生した直後、最初に必要とされるのは救急救命医療の専門医であり、さらに外科や整形外科の医師である。救出された被災者がケガをしていることが多いので、そうしたケガの治療が必要になるのだ。

 その次に必要になるのが内科医である。なによりも高血圧、糖尿病、心臓病といった生活習慣病の被災者に薬を供給しなくてはならない。さらに、多くの被災者が生活する避難所では、インフルエンザなどの感染症の心配がある。阪神淡路大震災でも多くの被災者がインフルエンザで死亡している。

 その後、しばらくすると精神科の医師や臨床心理の専門家が必要になる。阪神淡路大震災のときには、被災者の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に襲われた。地震が発生して数日後に頭痛、腹痛、食欲不振といった症状が表れ、やがて多弁、いらだち、注意不足といった精神症状が発生する。こうした絶望感にさいなまれた被災者の「心の病」への対応が必要になる。

 車の中で避難生活を送っている被災者にとって心配なのはエコノミー症候群である。エコノミー症候群は、航空機など狭い座席に長時間座っていると足の静脈に血栓ができ、その血栓が肺動脈に詰まることによって起きる病気で、最悪の場合、死亡することがある。

 水不足のために水分を十分に補給できない被災者が、狭い車の中で寝泊まりするのだから、エコノミー症候群が発生しても不思議ではない。どうしても車の中で寝泊まりしなくてはならないときは、エコノミー症候群を予防するために、定期的に車の外に出て体を動かすようにするといい。(新渡戸文化短大学長・中原英臣)



http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110329ddlk03040039000c.html
東日本大震災:「こころのケア」で支援 全国の専門チーム、沿岸被災地で活動 /岩手

 ◇地域機能回復へ「つなぎ役」

 被災者の精神的ケアを専門とする「こころのケアチーム」が県内で活動を始めた。国立病院や都道府県が精神科医、心理療法士らで独自に編成し、国を通じて派遣される。第一陣の12チームが大船渡市、陸前高田市、宮古市などで、地域の精神医療機能が回復するまでの「つなぎ役」を果たす。23日に宮古入りした国立病院機構琉球病院のチームも避難所を巡り、被災者の話に耳を傾けている。【安藤いく子】

 琉球チームが拠点にする宮古地区合同庁舎1階ロビー。24日午後7時過ぎ、メモ帳を手に心理療法士の野村れいかさんが待ち受けていたリーダーの村上優院長(61)に報告した。

 「気になる子がいます」。避難所で片頭痛を訴えていた男子中学生のことだ。村上院長は「震災への恐怖、将来への不安が体に表れているのかもしれない。明日も行こう」と応じた。片頭痛は治ったという中学生は翌日、吐き気を訴えた。野村さんは「見守っていかなければ」と話す。

 琉球チームの構成は精神科医1人、看護師3人、精神保健福祉士と心理療法士各1人の計6人。合同庁舎内の会議室に寝袋を持ち込み、他の復興支援者らと雑魚寝だ。毎日午前7時半、朝食を取りながら打ち合わせをし、午前9時に出発する。26日までに市内約60カ所の避難所のうち5カ所を計11回訪問した。

 村上院長は被災者一人一人に「血圧を測ります」と最初に語りかける。被災から間もない時期に生々しい体験を思い起こさせるのは良くないという。被災者が語り始めても、「そうなんだ」と深く聞かず、受け流すように心掛けている。

 中学生が吐き気を訴えた25日、市街地から遠い別の避難所も回った。津波で家と一緒に常用の精神安定剤を流された女性がいた。無事だった車は燃料不足で使えず、主治医の診察を受けられない。避難後の2週間、不眠を訴える女性の精神状態は不安定だった。村上院長は「移動手段が確保されるまで投薬を続けていく」と、つなぎの役割を説明する。

 村上院長のチームは2週間で同僚のチームと交代する。短期間で被災者と信頼関係を築くことの難しさも含め、ケアチームの活動だけでは不十分だと感じている。26日朝、合同庁舎ロビーで出発準備に忙しいスタッフを見つめながら静かに話した。「私たちのような外部の医療従事者が去った後にどうサポートするのか。地域の医師不足解消から始めなければ、この災害には太刀打ちできない」

毎日新聞 2011年3月29日 地方版



http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032901000941.html
海外から医療支援団、診療開始 イスラエル、南三陸で

 東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町で29日、イスラエルの緊急医療チームが被災者の診療を始めた。今回の震災で外国政府が医療支援団を派遣するのは初めて。

 医師や看護師ら約50人の医療チームは、1500人が避難生活を送る南三陸町のベイサイドアリーナ横に仮設診療所を設置。避難所生活を送る患者に血液検査やエックス線検査などを実施した。

 肺炎の疑いがあった阿部まさきさん(70)は診察を受けて「病状は大したことなかった」とひと安心。津波に流されてから右目に影が見えるという渡辺満さん(60)は眼科を受診して「安心して任せられて本当にありがたい」と医療チームを歓迎した。

 南三陸町では町にある全ての医療施設が津波で壊滅。医療品や医療従事者が不足し、避難生活の長期化で感染症の流行などが懸念されている。

 オフィール・マロム医師(46)は「被災者のニーズに応えられるように精いっぱいやりたい」と意気込んだ。
2011/03/29 19:36 【共同通信】



http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/20110329_2/
ボランティアを始める――
まず情報収集を

2011年3月29日

東日本大震災から2週間が過ぎました。東北自動車道の一般車の利用が可能となり、被災地へのアクセスは改善。それに伴い、物資が届き始めています。とはいえ、場所によっては道路が寸断されたり、電気が回復していなかったり、依然として被災地の状況は厳しく、これから益々、物心両面の被災地支援が大きな役割を果たすとみられています。

その中心となるのが、ボランティアでしょう。
3月25日、政府の「震災ボランティア連携室」からは、「この週末にボランティア活動参加を考えているみなさまへ」と題するメッセージが発表されました。これは主として、初めて災害ボランティアとして活動を考えている人向けのもので、ボランティア団体に所属していない個人で、事前に理解しておくべきことがまとめられています。

●助けあいジャパン「この週末にボランティア活動参加を考えているみなさまへ」
http://tasukeaijapan.jp/message/index02.html

そのポイントは次の5つ。
1・基本的な心構え
2・個人でも受け付けてくれるところを探しましょう
3・被災地で市外・県外のボランティアを受け付けているところは少ない
4・市外・県外ボランティアを受け付けている団体
5・活動の現場は被災地のみではありません

一つひとつ見ていきましょう。
まずはボランティアに参加する心構え。支援活動が長期にわたる可能性、あるいは自身が被災地で生活することを考慮するように述べています。本人の体調も十分考慮する必要がありそうです。また、ボランティアへの参加では、本人の意志だけではなく、家族の理解も必要であることを忘れないようにと述べています。

次に、被災地の受け入れ状況です。
地震発生から2週間が過ぎましたが、「被災地外の一般ボランティアを受け入れているところはまだ少ないと」しています。その理由は多々ありますが、まだガソリンが不足していること、現地側に個人ボランティアを受け付けてコーディネートする余力がないこと、などが挙げられています。

もちろん、人手を求めている被災地は多く、これは直接現地に赴くのではなく、個人でも受け付けているところを探すか、被災地と情報をやり取りして必要なニーズを理解している市外、県外の「一般ボランティアを受け付けている団体」と連絡をとり、その団体の指示に従うことを薦めています。

「助けあいジャパン」のホームページには、現在、ボランティアを募集するNPOや自治体の問い合せ先に加えて、活動期間や装備などボランティアの条件も書かれています。医療・介護、保育、建築、あるいは国境なき医師団のように「緊急援助チームと英語でコミュニケーションがとれること」など、専門分野の知識・技術を持つことが、参加の条件となることもあります。

最後の「5・活動の現場は被災地のみではありません」も、ボランティアを考えている人には重要です。今回の震災で避難されている方は多数に及ぶため、仮設住宅の建築を待つだけでは対処できないことが報道されています。そのため、被災地から離れた場所で、被災者を受け入れる動きが出始めています。既に、神奈川県のように、都市圏でホームステイボランティアを募集している県もあります。

後方支援も重要です。

東京都では、支援物資の仕分け作業のボランティアなどを募集していたり、NPOやNGOの裏方での支援で東京での短期ボランティアが募集されていたりします。

いずれにしても、「自分のできる範囲でのボランティアが何なのか」、情報をしっかり入手することから始めましょう。

被災地の現状を知るサイト

被災地でのボランティアを考えている人も、物資提供などの支援を考えている人も、被災地の現状を知ることは必要です。グーグルやヤフーなど、大手ポータルサイトでも、こうした情報提供が始まっています。グーグルは、避難所や炊き出しの情報をグーグルマップ上に表示する「避難所と被災地の情報」や、消息情報を知らせたり求めたりできる「パーソンファインダー Person Finder」を提供しています。

●グーグル 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)

http://goo.gl/saigai
※携帯電話向けサイトもあります。
http://goo.gl/keitai

ヤフーも、前述のグーグルの「Person Finder(消息情報)」を含めて、避難場所、炊き出し、医療、周辺道路規制など、被災地の情報へのリンクをまとめたサイトを開設しました。

●ヤフー 東北地方太平洋沖地震

http://shinsai.yahoo.co.jp/

現地の状況は日々変化し、「本当に何が必要なのか」も変わります。
国土交通省 東北整備局では、「本格的な通信手段が回復するまでの間、被災した市町村の物資補給に関するニーズを情報提供する」ことを目的に、臨時の掲示板を開設しています。ここには、各市町村から、具体的に被災された方々や被災地で必要な救援物資が具体的に上げられています。被災地が今どんな物資を必要としているかが分かります。

●国土交通省 東北整備局 被災された市町村の臨時掲示板

http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/K00360/taiheiyouokijishinn/keijiban/keijiban.index.html

※日経ナショナル ジオグラフィック社では、東日本大震災を支援のため、ボランティアのための情報を発信していきます。



http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201103290081.html
被災地の医療 継続的な心身のケアを

 厳しい寒さがなおも続く。東日本大震災の発生から半月が過ぎた。過酷な環境で体の不調を訴える被災者が相次いでいる。

 避難所では持病が悪化したり、心労が重なったりして亡くなる人も出てきた。病院や特別養護老人ホームなどから移ってきたケースが目立つ。

 こうした不幸な事態は各自治体がつかんでいるだけでも、すでに数十人に上るという。

 地震と津波から辛うじて逃れ、救われた命である。何としても守り抜かなければならない。

 まずは食料や生活用品を被災地に行き渡らせる必要がある。それとともに急がれるのが医療支援だろう。

 マンパワーが欠かせないのに、病院自体が被災している。福島第1原発の事故が重なり、周辺から医師がいなくなった地域もある。

 避難所は2千カ所に及ぶ。生活している約18万人の被災者のケアは待ったなしだ。

 日本医師会はいち早く、災害医療チームの派遣を決定。医師をはじめ看護師や薬剤師らでつくる各県の約200チームが被災地で順次、診療に当たっている。

 広島県医師会も第1陣として2チーム10人を宮城県石巻市に派遣した。

 現地から届いた報告によると、診察した患者の半数に高血圧や不整脈などの循環器疾患の持病がみられた。脳卒中や心筋梗塞の危険があるため救急搬送した被災者もいた。

 多くの患者が震災で薬をなくしている。医薬品の不足はなかなか解消されていない。薬剤師の応援が切実に求められているという。

 現場での貴重な体験を、これからの支援拡充に生かしたい。

 医師会のほか全国の国立病院や赤十字病院なども被災地に医師らを差し向けている。

 それぞれの活動は心強いが、現地の情報を共有し役割をきめ細かく分担してはどうだろう。

 自宅にとどまっている被災者の中には、寝たきりの家族を抱え、避難所などに移動できない人がいる。戸別の巡回診療ができる仕組みを整えるべきである。

 避難生活の長期化は避けられない。継続的な医療態勢が必要だ。

 病気の予防も大切になる。肺炎などを防ぐ口腔(こうくう)ケアには歯科医師の支援が求められる。

 懸念されるのは身体面だけではない。被災者の心理的ケアに当たる精神科医やカウンセラーなどの専門家の役割は大きい。

 取りあえずの食料は確保できても栄養不良や偏りが心配だ。保健師や管理栄養士らをもっと多く、被災地の避難所などに配置してほしい。健康管理を軸にした避難生活を心掛けたい。

 下水が壊れたため、トイレの問題も深刻だ。バキュームカーが不足している。避難所への仮設トイレの増設が急がれる。

 これら山積する課題をさばく調整役が要る。そうした人員が被災地では不足している。国や各県から職員を派遣してカバーしたい。



http://www.j-cast.com/2011/03/29091639.html
地震で患者が「心因的な病状悪化」 関東地方で55%
2011/3/29 20:50

医療情報サイトを運営するQLife(キューライフ)は2011年3月28日、大震災で直接的には大きな被害を受けていない関東地方(茨城県を除く)において、医療現場で患者の病状が悪化するなどの影響があったかどうか調査し、その結果を発表した。関東圏(1都5県)の医師252人からインターネット上で回答を得た。

震災発生から10日間の間で、震災に関連すると思われる「心因的な病状悪化」が見られる患者がいるか聞いたところ、55%が「見られた」と回答した。小児では持病の「ぜんそく」などが悪化しているといい、大人では持病の「高血圧」「うつ」「不眠症」のほか、精神疾患名を挙げた医師も多かった。また、具体的な症例については、「不眠」「めまい・浮遊感」「血圧上昇」が上位に挙げられている。



http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0329&f=column_0329_007.shtml
患者が強い不安を訴え薬を処方した医師は1/3、不安要因は「余震」「報道」
【コラム】 2011/03/29(火) 12:59  

  総合医療メディア会社のキューライフは2011年3月28日、大震災の医療現場への影響実態調査を発表した。それによると調査母体の医師においては、約 1/3が「強い不安の訴え」をする患者が出て向精神薬の処方を新たに行った・増えたと回答していることが分かった。「強い不安」の具体的内容としては「余震が続く」が最も多いが、次いで「悲惨な映像が繰り返される」が入っている。直接被災を体験していなくとも、映像で精神的な影響を受けた患者が少なくないことが確認できる(【発表リリース: http://www.qlife.jp/square/news/story19911.html】)。

今調査は2011年3月24日から25日にかけて関東地方(茨城県のぞく)の医師に対してインターネット経由で行われたもので、有効回答数は252人。勤め先区分は診療所開業医82人・病院勤務医170人。

  今調査は東日本大地震(東北地方太平洋沖地震)の本震発生から2週間経過した時点で行われている。その時点で「過去10日間」で地震とそれに伴う災害(震災)に関連すると思われる「心因的な病状悪化」が見られる患者が居るか否かを聞いたのが次のグラフ。震災における心理的な影響は子供だけでなく大人、むしろ大人の方が多い現状が確認できる。

  さらに地震に関連する要因で強い不安を訴え、トランキライザーなどの向精神薬を新たに処方した、または増量処方した患者の有無を聞いたところ、約1/3の医師が「居る」と答えていることが分かった。

  こちらも「患者の1/3が増量・新規処方」ではないことに注意。それでも相当数が該当するであろうことは容易に想像ができる。

  そして増量・新規処方をした患者がどのような不安を抱いていたのかを複数回答で聞いた結果が次のグラフ。

  この比率は「増量・新規処方をした患者がいる医師」に対するものではなく、調査母体全体に対するものであることに注意。つまり今調査における回答医師全体のうち2割近くが「自宅・勤務先で余震が続くことを起因とした、精神的な不安を訴えた患者に対し、向精神薬を新たに・増量して処方した経験を持つ」と答えていることになる。

  注目したいのは「震災への漠然とした不安」「被災地域に肉親知人がいる」「原発・放射能トラブル」より上、起因の二番目に「悲惨な映像が繰り返される」がついていること。これに関しては【被災映像、幼い心に傷 身近の出来事だと錯覚 睡眠障害や食欲不振に 専門家「極力見せないで」】などでようやく報じられるようになったが、地震直後から懸念・指摘されている問題である(が、主に報道を行う「4マス」が加害側であることから、報じられることはほとんど無い。指摘されても「報道の自由」を錦の旗として振り回すのが常)。

  同調査別項目の「心因的な病状悪化」の具体的病例でも、テレビ映像などを起因とする病状悪化が複数確認できる。節度・倫理を守らず、自由のみを振りかざし義務を守らない行動は、自由によるものではなく「自由奔放」でしかないことを、関係者は改めて認識してほしいものだ。(情報提供:Garbagenews.com)



http://www.qlife.jp/square/news/story19911.html
東京でも半分以上の医療現場で「心因的病状悪化」みられる。「女性」「高齢者」に多く、PTSD症例発生も4割の医師が予想~大震災の医療現場への影響実態調査~
[ニュース] 株式会社QLife:プレスリリース Powered by PR TIMES | 2011/03/28[月]

日本最大級の病院検索サイト、医薬品検索サイト、医療情報サイトを運営する総合医療メディア会社の株式会社QLife(キューライフ/本社:東京都世田谷区、代表取締役:山内善行)は、『大震災の医療現場への影響(茨城県を除く関東地方1都5県)実態調査』を発表した。茨城県を除く関東地方1都5県の医師 252人の協力を得た。

それによると、関東では直接大きな被害を受けていない地域でも、半分以上の医療現場で、患者に「震災で心因的な病状悪化」が見られることがわかった。病状悪化は、「子供」だけでなく、むしろ「大人」に認められる、特に「女性」「高齢者」に多いとする医師が多数を占めた。

典型内容は、「不眠」「めまい・浮遊感」「血圧上昇」の順で多く、「余震」「TV映像」がきっかけの症例も多い。なかには「自殺傾向を示す(東京・病院)」「定期受診者の全員が血圧上昇(群馬・病院)」「心不全が増悪して入院(千葉・病院)」との報告も。

また、3分の1の医療現場で「向精神薬の処方」が増えた患者さんがいる。その原因不安は、「余震が続く」が1位だが、「悲惨な映像」が2位で、実体験でなくとも映像によって精神的影響を受けた患者さんも少なくない。「放射能」不安で向精神薬の処方に至る症例も、7%の医師において認められた。

さらには、42%の医師が、「今後、自分の患者さんのなかでPTSDを生じる人がいる」と予想。過去にPTSD症例経験ない医師も多いと思われるため、(そもそもPTSDとは何か、も含め)医療者間での診療ノウハウの早期共有が望まれる。

この結果について、精神科医の冨高辰一郎氏は、「災害被害を直接受けていなくても、報道や余震を介して身体症状や精神症状を悪化させる患者が多いということは大変興味深い。このような調査はあまり行われていなかったので大変貴重と思う。」とコメントしている。さらには、「医療者として大切なのは、震災に対する患者の不安や心配を理解しながらも、そういった症状全てを病的なものとして扱わず、かつ冷淡になり過ぎず、重症度に応じた対応をすることではないか。また、避難生活を送っている患者の場合、不安や不眠に対して睡眠薬や精神安定薬を処方する場合、十分注意する必要がある。精神科薬によって静脈血栓症(エコノミー症候群)のリスクが上昇すると報告されている。」と述べた。

また、今後発症が懸念されているPTSDについては、「一般医がPTSDと診断し、患者に説明するのはなるべく控えた方が良いかもしれない。PTSDは生命の危機を感じるような出来事を直接体験した後の心的不調であり、震災で不安になった方をあまり安易にPTSDと診断すると弊害もあるからだ。もちろん、精神的不調が深刻なケースは専門医に紹介した方が良いとは思う。患者や家族は、お互いの不安や不調を配慮しながらも、今、自分たちができることに意識を向けていくことが大切ではないだろうか。」と述べている。

★詳細は、こちらの記事より
http://www.qlife.jp/square/hospital/story19835.html

★詳細なレポートのPDFファイルは以下より
http://www.qlife.co.jp/news/110328qlife_research.pdf


http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110329-OYT1T00809.htm?from=main2
中国軍病院船派遣を日本側が拒否、医療チームも

 中国の程永華駐日大使は29日、在京大使館で記者会見し、東日本巨大地震の支援策として中国が申し出ていた海軍病院船派遣が、「港が壊れているので船が近づけない」との理由で、27日に日本側から断られたことを明らかにした。

 軍の医療チーム派遣も断られたという。

 また、中国はすでに2回にわたって緊急支援物資を届けているが、飲料水やゴム手袋などを送った2回目では、物資が日本に到着した後、日本側の求めにより、中国側が日本国内の運送会社を手配して被災地に運んだという。

 程大使は「被災地への運搬も援助国に頼られると、通れる道まで調べる必要があり、とまどいがある。調整があればもっと迅速に届いたのではないか」と述べ、日本側に支援受け入れ体制の充実を求めた。
(2011年3月29日19時38分 読売新聞)



http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201103290104.html
中国軍の医療船受け入れ断る=日本側の対応に不快感も
2011年3月29日19時6分

 中国の程永華駐日大使は29日、東日本大震災を受けた中国政府の対応について記者会見し、同国国防省が被災地への派遣を申し出た海軍医療船について「港が壊れていて船が近づけない」との理由で日本側が受け入れを断ったと明らかにした。軍の医療チーム派遣も実現しなかった。

 中国政府からの援助物資としては14日に毛布やテントが日本に到着。第2陣としてミネラルウオーター6万本などが28日に到着したが、積み替えなどは「中国側で責任を持ってやってほしいと言われた」といい、避難所までの運搬に関して日本側との見解に相違があるとの認識を示した。

 また16日にガソリン1万トンとディーゼル油1万トンの援助を決定。28日になってようやく遼寧省大連の港で船積みしたが、輸送先は広島県と愛媛県に指定された。これに対しても程大使は「一刻も早く被災地に届けたいのが私たちの気持ちだ」と不快感を示した。 

[時事通信社]



http://diamond.jp/articles/-/11671
石巻市内での3日間の医療支援でわかったこと
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌 (6)


3月11日に発生した東日本大震災。多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた被災地・石巻の赤十字病院へ、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として派遣された30代医師の現場レポートを、可能な限りリアルタイムに更新していく。最終回の今回は、これまでの活動を総括して、被災地で医療支援を考えている医療従事者に向けたメッセージをおくる。

被災地で実際に活動して
わかったこと


 我々、ヘルスケアクリニック厚木の3人のチームは、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」の一員として、神奈川県医師会から宮城県石巻市に派遣された。

 3月23日(水)の夜に神奈川県を出発し、石巻市内で3日間の医療支援を行った。ほんのわずかな期間ではあったが、被災地で実際に活動してわかったことは多い。

 緊急連載・最終回の本稿では、被災地で医療支援を考えている医療従事者に向けて、メッセージをまとめたい。

急性期から
慢性期に変わる被災地


 被災前、石巻赤十字病院は、2次救急・3次救急の拠点病院として機能していた。

 わかりやすく言えば、体の具合が悪いと感じた人はまず地域にある“町のお医者さん”に行き、そこでの治療が難しい場合に石巻赤十字病院が治療していたわけだ。

 つまり同病院は本来、脳神経外科や心臓血管外科、放射線治療科などの専門科を抱えて、より高度な治療技術が求められる疾患に対応していた。

 だが被災後は、包括的にすべての治療を受け入れざるを得ないため、本来の専門領域である「高次医療」を十分に提供できていない。

 そのため同病院では、津波の被害からいち早く立ち直った“町のお医者さん”である地元開業医や病院と連携し、症状の軽い患者の治療を担当するよう呼びかけている。

 1次救急を“町のお医者さん”に任せて、2次救急や3次救急に対応できるようにするためだ。

 また、今回の大震災は津波による被害が大きい。

 そのため阪神・淡路大震災のように切り傷や骨折など、外科系領域の患者はそれほど多くない。がれきの山から救い出した被災者にその場で心肺蘇生や救命措置を施さなければならないような急性期医療のニーズは減り、慢性期疾患を抱えた患者を治療する段階へと移行しつつあるのだ。これらの状況を踏まえ、これから災害地で医療活動をしようと考えているチームに向けて、次の3点の情報を伝えたい。

災害医療�
情報収集の重要性


 身分証などを持っていない避難所の被災者たちにも、処方した薬を間違いないように届けなくてはならない。

 また、第3回の連載でも書いたように、すべての被災者が避難所にいるわけではなく、半壊した住宅の2階で生活を送る被災者もいる。

 石巻赤十字病院はおろか、災害対策本部や行政でも、まだそれらの情報を十分に把握していないのが現状だ。

 そのため被災地では、被災者たちの情報収集に最も力を入れている。調査シートを用意して、現地の情報を体系的に収集して管理しようとしているが、完璧に機能しているわけではない。そのため我々のような災害医療チームには、治療とともに医療に関わる情報収集が求められている。

 だが我々医療者は情報収集の専門家ではないため、有益な情報を伝達できない場面もある。たとえばある特定の被災地で起こった状況をすべての被災地で発生しているように伝えたり、自分の専門領域に偏って報告することも考えられる。あるいは「阪神・淡路大震災時の被災者よりひどい」などと抽象的な表現を使うため、十分に被災地の状況が把握できずにいる可能性もある。

 状況が刻一刻と変化するため、定型のヒアリングシートを作ってもすぐに陳腐化してしまうことが懸念される。

 情報収集を効率化するには、バランスのとれた災害医療チーム編成が求められる。

 たとえば、患者へのヒアリング能力の高い看護師をチームに加えるとか、情報整理がうまい事務員をメンバーに入れることで、正確でタイムリーな情報収集が可能になるのではないか。チームリーダーである医師の指揮のもと、医療に必要な情報が集まるとメリットは大きい。

災害医療�
慢性期対応チームの結成


 石巻赤十字病院では、被災地において適切なタイミングで薬が届けられなかったり、衛生面が悪化していることを受けて、今後は慢性疾患の患者が増えると予想している。

 また、被災後2週間以上が経過し、避難生活への疲労から「心のケア」も必要になってくるとみているようだ。

 これらに対応するには、慢性疾患の治療に詳しい医師や、公衆衛生に詳しい専門家、保健師、カウンセラーなどの医療人材が必要になってくると思われる。これから災害医療支援を検討しているチームは、チームメンバーに留意し、これらの専門家を加えるとより被災地のニーズに合った医療支援ができると考える。

災害医療�
役割別チーム医療


 石巻市では、基幹病院としては唯一石巻赤十字病院だけが、大きく被災しなかった。そのため災害対策本部も同病院に設置され、実質的に石巻市における医療の中心として機能している。

 だが、未曽有の災害で情報が錯綜していることに加え、全国各地から大勢の災害医療チームが入れ替わり石巻市に応援に来ることから、すべての医療ボランティアや災害医療チームに対してきめ細かく役割分担を振り分けるのが難しい状況だ。

 もしかすると、ある災害医療チームが被災地に行ったところ、すでに現地の医療ボランティアが治療していたり、同じ患者を2度診察する事態になりかねない。こうなっては、せっかくの医療支援が十分に機能しなくなる。

 ガバナンスが効いた医療体制を築くには、各々の災害医療チームが石巻赤十字病院など中枢機能を持つ災害医療対策本部に、こまめに指示を仰ぐ必要がある。また、チーム別に役割を分けるのもいいだろう。患者の情報収集に特化したチームや、感染症予防の指導に特化したチームがあってもいい。

 さらに、医療以外の専門家の力も借りたいところだ。

 第3回の連載でも書いたように、薬を効率よく被災者に届けるにはロジスティクスの専門家が必要だ。

 マスコミの一部が被災者一人ひとりの情報を集めて記録してくれるのも助かる。情報システムの専門家が、被災者の仮住所の情報を一覧できる仕組みを作ってくれれば、現場の情報の混乱が少しは落ち着くだろう。医療分野以外からの専門家の力を借りながら、被災者を支援する医療体制ができれば理想的だ。

十二分に頑張っている彼らに、
「頑張れ」とエールを送ることはやめよう


 我々のような災害医療チームはともかく、もともと石巻赤十字病院で働いている医療者たちは、家族が津波の被害者になりながらも、不眠不休に近い状態で治療に取り組んでいる。

 また、同病院に届いた医療物資の量を見ると、日本中の人たちと企業から、精いっぱいの支援が届いていることに、日本の底力を感じた。



http://www.j-cast.com/tv/2011/03/29091604.html
途方に暮れる被災自治体―応援頼みたくても「周辺すべて壊滅」
2011/3/29 18:00

菅原茂・気仙沼市長が言う。

「将来、再び産業の町にできるだろうか。だが、明日、明後日に忙殺されている」

どの自治体も被害や現状の全体象が把握ができない。道路、通信の途絶、食料、物資の不足、どこにどう支援を求めたらいいのか……。

死者・不明1500人を出した岩手・大槌町は、庁舎が津波にのまれて町長が亡くなり、職員136人中30人が安否不明となった。避難所40か所5000人に、担当者は20人だ。安否の確認もままならない。

県内の市町村には緊急時に近隣が応援し合う態勢があった。だが、今回は全部が被災地だ。次の頼りは県だが、県も「県域で対応できる規模ではない」。東日本大震災での人的被害は283市町村に及ぶ。

被災地を調査した室益輝・関西学院大教授は、「災害の規模があまりにも大きくすさまじい。対して自治体は小さく、人手がない。しわ寄せが全部被災者にいっていて、病気になる人も亡くなる方もいる」
阪神淡路経験の兵庫県職員がサポート

注目されたのが「関西広域連合」だ。昨年12月に結成された。何県と何県がどこを担当すると、自治体間の支援の分担が決まっている。宮城県の対策本部に兵庫県職員の姿があった。何が必要かを兵庫県に伝える。衛星電話がほしいというと、兵庫のトラックが8箱31台を届けてきた。

職員も派遣する。兵庫県内各地から集めた医療100+ 件のエキスパートのチームが石巻に入った。ほとんどが阪神・淡路大震災の経験者だ。兵庫・佐用町の職員は、一昨年の台風被害で避難所を運営した経験があった。 350人の避難所を受け持つことになった。それまでの13日間、2人で24時間対応してきた地元職員は役場へ戻る。佐用町の職員は避難者への「声かけ」から始めた。「死んだ人のことを考えれば」と、被災者が声をあげなくなることを知っていたからだ。小さな声を手がかりに避難所の運営を変えていく。

「いいですね。これを持続的、系統的にやると、支援の空白が埋まる。被災地にしかできないこともあるが、応援組が埋める仕事もある」(室崎教授)

いま被災地の自治体が直面しているのは、被災者が散り散りに去って町がバラバラになりはしないかという危機感だ。教授は「自治体のリー ダーシップ、復興のビジョンが必要だ。いつまで我慢して、仮設の見通し、そしてどういう町にしていくかを示すことだ」と提案する。

(続く)



http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/shinsai/201103/519122.html
2011. 3. 29
大震災の現場から Vol.18
ドクターカーを阻む、ガソリン待ち渋滞
青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その7

八戸市民病院救命救急センター・今明秀

 2011年3月11日、宮城県北部の三陸沖を震源とする大地震が発生した。気象庁によると、マグニチュードは国内観測史上最大の9.0。津波や火災で多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた医療機関も多数に上った。そうした悲劇的な状況の中でも、大勢の医師が、被災者に対する医療に尽力している。前例のない被害をもたらした大地震にも負けず奮闘する医師の、現場からのリポートを紹介する。

 3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。

 八戸市民病院救命救急センターのスタッフブログ「青森県ドクターヘリ スタッフブログ」http://doctorheli.blog97.fc2.com/

ガソリンの給油待ちで渋滞中の八戸市内。


震災当日に盛岡へ向かってドクターカーで出動した八戸DMAT隊は、
2日目に大船渡病院で支援活動を行い、3日目の未明に八戸へ帰着した。

震災3日目、青森県ドクターヘリは県内で2回出動後、岩手県へDMATとして出動。
さらにこの夜、ドクターカーで第2陣のDMAT隊が久慈方面へ出動した。

そして震災4日目の朝。
ラピッドドクターカーのスタンバイ前の午前7時15分。
前日は私が当直する月曜日、急患で盛り上がったまま朝を迎えた。
相変わらず余震が来る。

ドクターヘリ通信司令室のテレビを、同じく当直の光銭医師と見ていた。
すると、ドクターヘリ通信司令室で常に傍受している消防無線から、気になる通信が聞こえてきた。
「場所は八戸○○、意識がない男性。救急○○出動、ドクターカー同時要請する」

私はERで、八戸消防への直通ホットラインの受話器を取った。
呼び出し音を聞く間もなく、消防通信指令室が応じる。
「八戸ラピッドドクターカー出動できます。場所は?…了解、これより出ます」
昨夜から当直の安部医師は、すでに準備を済ませていた。「お供します」

八戸ラピッドドクターカー1号RAV4は、赤いLEDとサイレンで出動した。
病院の正門を出ると、車の列が続いている。
普段ならばまだ車が少ない朝7時すぎ。車が渋谷の公園通りのように、両側に列を作っていた。
ほとんど動かない渋滞。こんなのは八戸で初めてだ。

病院前の通りは、200mごとにガソリンスタンドが並んでいる。
渋滞の原因は、ガソリンの給油待ちだった。

国道45号線はさらにひどかった。
片側2車線の道路が3車線になっていた。したがって路肩がない。
ドクターカーは、ウーウーとサイレンを鳴らして、拡声器で叫び、苦労しながら前進した。
八戸中の車の半分が、この国道に集まっているのではと思うほどの渋滞だった。

八戸市内の製油所も、津波や地震で被害を受けている。
ここより南の東北は全滅だという。
早く八戸の製油所が復旧してほしい。
早く八戸の港が復旧してほしい。
東北の正常化には、北の玄関口、八戸が鍵を握っている。

ドクターカーは現場到着、救急車に乗り移る。患者はCPA(CardioPulmonary Arrest;心肺停止)。
安部医師は気道確保、私は静脈ライン、救急隊はCPR(CardioPulmonary Resuscitation;心肺蘇生法)。
ACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)を開始して、搬送。

・・・・

2件目のドクターカー出動も、午前中だった。患者はまたもCPA。
ガソリン完売のスタンドが目立つせいか、渋滞はずいぶん収まっている。

「声門が見えません。気管挿管が難しい」丸橋医師がうめく。
「それじゃ、ガムエラスティックブジーだ」
私は、青い救急バッグの「B」と書かれたポケットを開けた。「B」は呼吸の意味。
細長いガムエラスティックブジーを取りだして丸橋医師に渡す。
銀色の喉頭鏡を左手に、茶色のガムエラスティックブジーを右手に持ち、注意深く正中に沿ってブジーを進める。気管分岐部に当ってブジーが止まれば、うまく気管内に入った証拠だ。

「distal holdup sign(ガムエラスティックブジーは先端が固く、曲がった形をしている。ブジーが気管支に入ると咳が出たり、抵抗を感じる)です。気管チューブ進めます」丸橋医師。
うまく7mm気管チューブが入った。予想通り、痰が湧き出てくる。
患者にACLSを行いながら、八戸ERへ向かった。

八戸DMATは岩手へ救援に向かう。
もちろん、八戸も被災地だ。
八戸の医療をおろそかにするはずがない。
岩手も八戸も、両方救う。



http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110329ddlk27040419000c.html
大阪
東日本大震災:助けに来てくれてありがとう 岩手の避難所、9歳男児から手紙 /大阪
 ◇発熱、嘔吐の苦しみから回復 医療救護班が帰阪

 東日本大震災で、岩手県釜石市に派遣された大阪市病院局の医療救護班看護師、松村京子さん(37)が、1枚の手紙を持ち帰った。食料が行き届かず、あふれかえる人が逃れた避難所。発熱や嘔吐(おうと)に苦しんだ9歳の男の子が託した手紙には、こう書かれていた。「大阪から助けに来てくれてありがとう」--。【平川哲也】

 松村さんは17日、医師ら9人と釜石市に入り、市立小学校に救護所を開設した。児童数30人の学校の体育館には沿岸部の被災者約600人が避難し、わずかな米で炊いた粥(かゆ)やスープで飢えをしのいでいた。脈が速く、脱水症状がみられる被災者が多かったという。

 そんな初日、手紙を託した「こう大君」が体調不良を訴えた。津波で自宅を失い、ストレスからか下痢と嘔吐を繰り返していた。点滴を施す。医療救護班が大阪から来たと知り、こう大君はぽつりと言った。「僕ね、たこ焼きが好きなんだ」

 点滴の間、こう大君は話した。自宅近くのコンビニがなくなり、好物が買えなくなったこと。たこ焼き味のスナック菓子が食べたいこと。自分が被災したことは黙っていた。緊張感漂う救護所は和んだ。治療の甲斐あって3日後、こう大君は粥が食べられるまでに回復した。

 別れ際、はにかんだ笑顔で、松村さんに渡した手紙はA4判1枚。黄色のペンで書かれていた。「大きくなったら、大阪にたこやきをたべに行きたいです。みんなの役に立つ仕事につきたいです」。支援を待つ被災地。医療救護班の活動はなお続く。松村さんはそっと、手紙をしまい込んだ。
【関連記事】

毎日新聞 2011年3月29日 地方版



http://mainichi.jp/area/shimane/news/20110329ddlk32040540000c.html
東日本大震災:長期支援必要に 浜田の診療所長・斉藤さん、延べ200人診療 /島根

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で医療活動をしてきた仙台市出身で国民健康保険あさひ診療所長(浜田市旭町)の斉藤稔哲さん(43)が28日、浜田市役所で活動を報告し、「支援はこれからが本番。長期に渡る必要がある」と語った。

 斉藤さんは今回の被災地で働いた経験があり、県医師会から派遣された。20日朝から24日夜まで石巻市立渡波中学の吹奏楽の楽器を置く部屋を診療拠点にして活動。延べ200人を診療した。

 避難所になっている同中も2階に津波が達したが、到着したときは外傷治療より糖尿病や高血圧など普段診療所で行っている「地域医療のニーズが高かった」と話した。持ち込んだ高血圧用の薬は使い切ったという。また、活動場所の指定が二転三転し「困っている人がどこにいるかの情報を届ける司令塔役が必要だし、調整機能がすごく重要」と指摘。報告を聴いた宇津徹男市長は「参考になることがたくさんある」、稲葉裕男総務部長は「市の防災計画を見直す」と話した。【大西康裕】

毎日新聞 2011年3月29日 地方版



http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110329ddlk07040161000c.html
東日本大震災:移動型総合病院、いわきで始まる 避難所回り診察 /福島

 内科や心身医療科など県立医大の専門医がチームを組んで避難所を回る「移動型総合病院」が28日、いわき市で始まった。市内には福島第1原発事故による避難者も多く、長引く避難生活に対応できるように、お年寄りらの健康状態を見守る。

 同医大によると、看護師らも加わった1組約10人の専門チームが3グループ体制で、市内60カ所の避難所を来週末までに回る。

 県立小名浜高校に避難した女性(64)は「夜眠れない」と訴えた。内科や耳鼻科の医師らが体の具合を調べたり、新たな薬を処方した。内科医の待井宏文医師(36)は「まずは避難所の現状把握から始めたい。集団生活による感染症予防や精神的ケアにも気をつけ、長期的に取り組む」と話した。【森禎行】

毎日新聞 2011年3月29日 地方版



http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/03/29/20110329m_06.html
■ 伊達市職員第1次支援隊が報告、「避難所の混乱収まる」
【2011年3月29日(火)朝刊】

住民基本台帳を活用し、避難所の入所者リストなどを作成する第1次支援隊(伊達市提供)
 東日本大震災で被災した伊達市のふるさと姉妹都市、宮城県山元町で活動した市職員らの第1次支援隊(隊長・武川哲也保険医療課長)は28日、市役所で記者会見し、現地入りして展開した支援の詳細を報告。「避難所は自治会組織が編成され、自主運営がなされつつあり、被災当初の混乱はなくなったと感じている」と述べた。

 1次支援隊は市職員12人、消防職員1人、市赤十字奉仕団5人の18人で編成。山元町で21~27日、避難所対応、救援物資対応、炊き出しの3班に分かれて活動した。

 武川課長は、町内9カ所の避難所のうち、780人が避難する山下中学校など3カ所を受け持ち、疲労困憊(こんぱい)の町職員に休息を取ってもらうため、「夜間要員を申し出て実際に行った」と説明。「自宅で休んで翌朝戻ってきた男性職員の顔が、ひげもなくきれいになっていたのが印象的だった」と話した。

 有珠山噴火の経験を踏まえ、避難所の入所者データや被災者データの必要性を訴え、町民1万6千人の住民基本台帳を活用して短期間に各種リストを作成し、町担当者に提供。「これらは復興対策にも役立つと思う。カスタマイズなどは伊達市役所でも協力できる」としている。

 役場庁舎横で朝夕2回の炊き出しを担当した市赤十字奉仕団の菊谷明美委員長は、「第2次支援隊の救援物資で乳製品が届くと、みんなに万歳された。被災者が欲しい物は刻々と変わっている」と報告した。
(伊藤教雄)



http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001103290006
水不足 食器十分洗えず 伊達市職員ら報告
2011年03月29日

■支援活動の伊達市職員ら報告


 姉妹都市の宮城県山元町で支援活動していた伊達市の職員らが28日記者会見し、現地の被災状況などを報告した。山元町では多数の死者が出ており、海沿いでは集落が跡形ないほどの壊滅的な被害を受けているという。

 同町の死者・行方不明者は950人を超え、9避難所になお3440人が避難している。市職員や日赤奉仕団の女性ら第1次支援隊18人は、21~27日に派遣され、避難所などで活動。疲労が極限状態の町職員に休んでもらうための夜間交代要員になったほか、救援物資の受け入れや避難・被災者データの作成、炊き出し支援などにあたった。

 会見した武川哲也保険医療課長らによると、野菜や肉、乳製品が不足し、水も足りず食器を十分に洗えない状況が続いた。また、町内約6100戸のうち約2500戸が半壊以上の被害を受け、海岸沿いの地域では「全部が水田ではないかと思われるほど津波で流され、集落があった形跡がないほど」の光景も目の当たりにしたという。

 現在は市職員ら9人の第2次支援隊が野菜や乳製品などの支援物資とともに現地入りしている。



http://www.j-cast.com/2011/03/29091545.html
ローソンが福島県立医大「高度医療緊急支援チーム」に食事・お茶提供
2011/3/29 10:40

ローソンは、2011年3月28日から避難所の巡回を始めた福島県立医科大学「高度医療100+ 件緊急支援チーム」の支援を始めた。同チームは、3チームあり、3台のバスを使用。さまざまな分野を専門とする10人の医師が1つのチームをつくり、1台のバスに乗車して1日に3か所の避難所を回って被災者の治療やケアに当たっている。

ローソンが支援するのは、福島県立医科大学付属病院内に店舗がある関係からで、毎日、診療にあたる医師らにサンドイッチ・おにぎり・弁当などの食事とお茶を提供する。



http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15672.html
2011/3/29 火曜日
県病の救護活動へ車両無償提供/青森トヨペット

 東日本大震災で被害を受けた岩手県に医療救護チームを派遣している県立中央病院(青森市)に対し、青森トヨペット(安田亮代表取締役社長)は28日、車両1台を無償で貸し出した。
 県病事務局によると同チームは23日に第1班、26日に第2班が出発。医師、看護師、薬剤師の計5人が、岩手県宮古市の避難所で診療に当たっている。
 貸与車両は、8人乗りのトヨタ・アルファード。車体には「ファイト!東北」のステッカーが張られ、同社が備蓄していた飲料水120リットルも積み込まれている。29日に出発する第3班とともに宮古市に向かい、4月末まで現地で使われる予定。
 28日に県病前で行われた貸与式では、安田社長が成田正行病院局長に、飲料水のペットボトルと車両の鍵を手渡した。
 式の後、安田社長は「車を販売する会社として何かできることがあるのではと思い、申し出た。大きな車なので、患者さんを運んだり、スタッフが中で休んだりするのにも役立つと思う」と話した。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110329/dst11032909300011-n1.htm
【東日本大震災】 「私たちはここに残る」 外国人介護士・看護師 被災地で奮闘続く
2011.3.29 09:30

≪見えない危険≫28日、福島県内で、放射性ヨウ素が蓄積しやすい甲状腺部位の放射線測定検査を受ける女性。外国人女性の介護士や看護師の中にも、わが身の危険を顧みず、震災と立ち向かっている人たちがいる(ロイター)

 東日本大震災の被災地では、多くの医療関係者が昼夜を違わず活動を続けている。その中には、日本との経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護士候補者の派遣事業で滞日中のフィリピンやインドネシアの女性たちも含まれる。「お年寄りを見捨てて去れない」「地震も津波も怖くない。みんなを助けたい」。彼女たちの献身的な姿勢には「国の誇り」(インドネシア政府)、「介護のヒロイン」(フィリピンのメディア)などと称賛の声が上がり、被災者たちも感銘している。

EPAで来日

 福島第1原発事故を受けて在日外国人の「日本脱出」の動きが続く中、死者12人が出た福島県白河市にある特別養護老人ホーム「小峰苑」では、4人のフィリピン人「介護士候補」が働き続けている。ルソン島中部ヌエバビスカヤ州出身の看護師メルセデス・アキノさん(27)、ルソン島バギオ市出身の元NGOスタッフのジュリエット・トバイさん(27)らで、一昨年から昨年にかけてEPAに基づいて来日した。

 故国の家族からは毎日のように「帰って来て」と叫ぶように電話がかかってくるが、アキノさんは「おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。私たちだけ帰国はできない」と話す。小峰苑によると、献身的な介護ぶりは「入所者にも非常に評判がいい」。

退避勧告拒否し支援

 09年に来日したインドネシアの中ジャワ州スマラン出身の「看護師候補」リタ・ルトナニンティアスさん(35)は在日インドネシア大使館による東京への退避勧告を拒否し、大震災の発生から約1週間、勤務先の宮城県山元町(やまもとちょう)の国立病院機構宮城病院に詰めて被災者支援に当たった。
 地震があった11日は休みで自宅にいたが、すぐに病院へ駆け付けた。約10メートルの巨大津波が迫ってくるのが見えて病院内は騒然となり、入院患者ら約120人を上の階へ誘導。病院の前に丘があり、津波は直撃しなかったが、すぐに数百人の避難者が押し寄せた。電気も水もなく、通信も断たれて「1週間、町は孤立状態となった」。

 リタさんは病院で寝泊まりして働く一方、おにぎりと水を避難者に提供した。インドネシアにいる家族が不安がっていたため、休暇をもらい一時帰国して夫と子供2人と再会したが、4月には山元町に戻ると決めている。「病院では毎日、仕事の後、日本語を教えてもらうなど、みんな優しかった。日本が困っている今、少しでも力になりたい」と共同通信に語った。

スマトラ沖の恩返し


 08年に来日し、兵庫県姫路市の姫路赤十字病院で働きながら毎日8時間以上勉強し、3度目の挑戦で今年2月に行われた日本の看護師国家試験に合格(25日発表)したインドネシア人スワルティさん(32)は合格発表後、勤務先で記者会見し、東日本大震災に触れ「できれば(被災地に)行かせてほしい」と涙ながらに話した。2004年のスマトラ沖地震では、現地で災害医療に携わったというスワルティさんは「インドネシアが被災した時も多くの日本人が手伝ってくれた。小さい力だけれど、手伝わせてほしい」と訴えた。(SANKEI EXPRESS)



http://www.u-presscenter.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=2772
京都橘大学
東北地方太平洋沖地震の災害支援ナースとして教員を派遣――京都橘大学

地域貢献 | その他2011/03/29

このたびの東北地方太平洋沖地震におきまして、被災された皆様には心よりお見舞いを申し上げます。この未曾有の大災害に対し、京都橘大学(京都市山科区、学長・青木圭介 2005年4月、京都橘女子大学より校名変更・男女共学)では、京都府看護協会からの要請を受け、看護学部の教員6名が被災地に派遣されることとなりました。

 災害支援ナース(※)として上山晃太朗助手、江間祐恵助教、河原宣子准教授、堀妙子准教授、穴吹浩子助手、災害支援ボランティアとして松本賢哉助教の計6名の教員が被災地に順次出発し、支援にあたっております。

 京都府看護協会では、現在23名の災害支援ナースが登録されています。今回京都府から被災地への派遣予定者8名のうち5名、ボランティアでの派遣予定者 8名のうち1名が本学の教員となっており、被災地で災害看護を実践する教員の姿は、看護職を目指す学生にとっても意義が大きいものと考えております。また、大学としても地域社会への貢献など果たすべき役割について再認識し、今後もこのような活動に取り組んでいく所存です。
 以上および下記をご参照のうえ、貴媒体の読者・視聴者の方々へご紹介いただければ幸いです。また、ご取材いただければ、なお幸甚に存じます。何卒よろしくお願い申しあげます。

※災害支援ナース…災害支援ネットワークシステムに基づき、都道府県看護協会、及び災害支援ナースとして登録しており、看護職能団体の一員として被災地に派遣される看護職である。活動目的としては、被災者に対して適切な医療・看護を提供すること、被災した看護職の心身の負担を軽減し支えることの2つの意味がある。

◆東北地方太平洋沖地震 災害支援活動
【派遣日程・派遣者】 
   2011年3月25日(金)~3月28日(月) 上山晃太朗、江間祐恵
   2011年3月26日(土)~3月29日(火) 河原宣子、堀妙子
   2011年3月27日(日)~3月30日(水) 穴吹浩子
   2011年3月28日(月)~3月30日(水) 松本賢哉
【活動場所】   
 宮城県、岩手県内の避難所、社会福祉施設、病院等 
 *被災地の状況によって、派遣先は決定されます。
 派遣要請のある施設等
  ・宮城県…避難所(仙台市):2ヶ所、保健福祉センター(松島町):1ヶ所、役場(宮城郡):1ヶ所、病院(石巻市、仙台市等)6ヶ所
  ・岩手県…病院(釜石市、北上市):2ヶ所
                             
 お願い: 取材いただける場合は、下記までご一報いただきますようお願い申しあげます。
                                            
▼本件の報道に関する問い合わせ先
 京都橘大学 企画広報課/永野・足立
 〒607-8175 京都市山科区大宅山田町34
 TEL: 075-574-4112(直通) 
 FAX: 075-574-4151



http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/03/20110329s01.htm
東日本大震災救援側の疲労/使命感擦り切れないように

 「旦那に『大丈夫?無理しないで』とメールしたら、『自衛隊なめんなよ。いま無理しないで、いつ無理するんだ?』と返事が」
 被災地に派遣された自衛官の妻らしい人が、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」にこう記した。震災後の「心に残るつぶやき」の一つとして紹介されている。
 「無理」を支えるのは使命感である。できることなら多少の無理を押してでも頑張ってほしいとは思うが、無理がたたればやがて、使命感も擦り切れてしまうかもしれない。
 海外からの救援隊も含めて、さまざまな所からさまざまな職種の人たちが被災地に来てくれている。疲労の蓄積が心配だ。
 遠方から派遣されたのではなく、地元で被災者支援の公務を担い続ける人たちのことも気掛かりだ。自分自身が肉親を失った被災遺族である人も多い。
 交代要員の確保、ローテーションの編成が困難になっているに違いない。自治体職員の場合は全国市長会などが、医療分野では日本医師会といったように、それぞれの職種の中央団体が情報の集約拠点としての機能を果たし、少しでも事態を改善してほしい。
 都道府県職員の被災地派遣は全国知事会の緊急広域災害対策本部が調整役を務める。宮城からの救援要望を受けて鳥取が、福島の要請に福岡が応えたのが皮切りになった。
 全国市長会、町村会も総務省の後押しを得て、被災地への人的支援の拡充を図っている。都道府県間の派遣拡大で地元県から被災市町村に職員を派遣するゆとりが少しは生まれるよう、しっかり連携してほしい。
 沿岸部は市役所や支所庁舎も大きな打撃を受けた。岩手県大槌町のように首長をはじめ職員の4分の1が死亡・行方不明になった自治体もある。残された職員が自分の生活を立て直しながら復興の仕事もこなしていくために、外部からのかなりの支えが必要なのは明らかだ。
 医療スタッフの疲労も、ほぼ限界に近づいているのではないか。地元医師会の要請が県にうまく伝わらない場面もあったようだ。日本医師会と各県、各郡市医師会の情報集約、調整に期待したい。
 医師や看護師、保健師のほか、「師」や「司」「士」の付く資格を持っている人たちの連携強化も、自治体の失われた機能を補い、復興を推進するエネルギーになるはずだ。
 宮城県沖地震に備える枠組みの一つとして宮城では2005年、建築士会、弁護士会、税理士会など8団体が参加して県災害復興支援士業連絡会が設立された。08年の岩手・宮城内陸地震で初めての現地活動を経験している。
 同じような「士業」団体が、中越地震を経験した新潟や東海地震に備える静岡、神奈川などで既に活動実績を積み上げている。これまでの取り組みを生かす手だてを生み出してほしい。
 公務を担う職責に対する深い自覚なしに、打ちひしがれた被災地の救済は望めない。今回の震災は使命感に加えて多くの専門職、プロの人たちの多様な知恵と献身を必要としている。

2011年03月29日火曜日



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110329t13026.htm
被災者の悩み少しでも軽く 気仙沼の心療内科医

 東日本大震災で被害を受けた気仙沼市鹿折地区で、心療内科医が避難所を往診して回る。地元の小松孝男さん(64)。自身の診療所を失い、処方できる薬はない。それでも「少しでも心をほぐしたい」と、体調不良を訴える被災者と向き合っている。
 11日の津波の来襲。小松さんは看護師らと避難して難を逃れた。ただ、2年前に勤務医から転じ、故郷に開設した「地域医療の拠点」は押し流されてしまった。
 「被災した患者たちが心配だ」。その一心で翌12日から避難所に足を運び、自らの患者を無償で診て回った。診療はほかの被災者にも広がり、今では毎日、17カ所の避難所で150人以上の体調をチェックしている。
 大切な人や物を失った空虚感で、不眠やパニック発作に悩む人が少なくない。手元に処方薬はないが、日々の会話で変化を見守る。重症患者には、派遣医療団に分けてもらった薬を届ける。
 「先生の顔を見ただけで落ち着くよ」と避難所の男性(72)。同行する看護師長浅野美保子さん(56)=気仙沼市=は「自分も倒壊した診療所付近を見ると、動悸(どうき)がする。同じ立場だから分かる気持ちがある」と被災者に寄り添う。
 「1人で考え込まずに周囲に相談してほしい。周囲も孤立させないことが大切」と呼び掛ける小松さん。診療所の早期再開を心に期するが、今は避難所が仕事場だ。
 「避難生活を送る住民がいなくなるまで巡回を続けたい」(高橋鉄男)

2011年03月29日火曜日



http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110329ddm041040178000c.html
東日本大震災:福島で保健師不足 厚労省が都道府県に派遣要請

 厚生労働省は28日までに、福島第1原発事故の影響で、福島県内で被災者の健康相談などにあたる保健師が不足しているとして、各都道府県などに保健師の派遣を要請した。

 岩手、宮城、福島の各県と仙台市からの災害対策基本法に基づく要請を受け、厚労省は発生の翌12日から、管理栄養士なども含めた保健医療の有資格者の派遣の調整やあっせんをしている。27日現在、岩手で35チーム、宮城で49チーム、仙台で27チームが活動をしているが、福島は2チーム。厚労省は「原発事故の関係で福島への派遣をちゅうちょしている自治体もあると思うが、活動は原発から半径30キロ以上離れた、避難や屋内退避指示の区域外。派遣の検討をお願いしたい」と呼びかけている。【佐々木洋】

毎日新聞 2011年3月29日 東京朝刊



http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/29/kiji/K20110329000523790.html
ここでも想定外 被災地医師会 対応マニュアル「何の役にも立たなかった」

 宮城県の気仙沼市医師会は昨年10月、近い将来の発生が確実視されていた宮城県沖地震に備え、市と連携した対応マニュアルを策定したばかりだった。今回の震災はその想定をはるかに上回り、「何の役にも立たなかった」(医師会事務局)のが実情だった。

 マニュアルでは、震度5以上の地震が発生した場合、医療機関が電話やファクスなどで施設の被害状況や診療が可能かどうかを医師会に知らせる手はずになっていた。

 しかし、停電などで通信機能が失われたばかりでなく、医師の多くが避難所暮らしを余儀なくされ、医師会職員が避難所を回り、安否確認をしなければならない状況だった。市災害対策本部に入り、連絡調整に当たるはずだった医師会副会長も被災して動きが取れなかった。

 壊滅的被害を受けた南三陸町も医師会の管轄地域だが、町内にいる医師の誰とも連絡が取れず、道路ががれきで埋まって同町に入ることも無理だった。

 医師会などに配備していた衛星電話は電池が切れた後は停電で充電できず、新たな問題も浮かび上がった。

 マニュアルは約2年かけて作成した。「想定外の震災で役に立たなかったが、基本的な考え方が間違っているわけでない」と事務局。今回の経験を踏まえ今後、つくり直す方針だ。

[ 2011年3月29日 07:21 ]

  1. 2011/03/30(水) 05:48:29|
  2. 未分類

3月28日 震災18日目

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38434
[緊急連載] 震災の現場から(1)呼吸器電源 確保に奔走

 その時、訪問入浴で浴槽につかっていた体が、波打つ湯と共に大きく揺れ、部屋の照明が消えた。ヘルパーに支えられた体がガタガタ震えた。

 「恐怖で熱も出たよ」

 全身の筋力が低下する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、仙台市の自宅で生活を送る庄司精悦さん(52)は、体で唯一動かせる額に付けたセンサーで、巨大地震が襲ったときの思いをパソコンでそう書き出した。

 停電の瞬間、真っ先に恐れたのは人工呼吸器を動かす電源が途絶えることだった。バッテリー切れを示すアラーム音が、地震から1時間もたたずに鳴り始めた。バッテリーは通常、古い型で1時間、新しい型で7、8時間持つ。庄司さんのバッテリーも数時間は持つはずだったが、劣化していたのか、早くに消耗した。

 妹夫婦など家族が、急いで近くの消防署で発電機を借り、近所から燃料のガソリンをかき集めた。しかし、発電機は2日後に故障。救急車で東北大病院に緊急入院し、同病院が満床のため翌日、自衛隊のヘリで山形の病院に搬送された。

 庄司さんはこうして命をつないだ。電気が復旧した17日、自宅に戻れたが、「(緊急時の)電気とガソリンが一番心配だった」と振り返る。

 11日の地震直後、庄司さんら420人の患者を往診する仙台往診クリニックの川島孝一郎院長(56)は、電灯が消えた事務所で天を仰いだ。電話がなかなかつながらず、患者が生きているかどうかも確認できない。

 翌日までに、医師5人で手分けして、人工呼吸器を使う重症患者45人などの安否を確認した。発電機や車から電源を取り、窮地を脱していた患者もいたが、19人は緊急入院となった。

 燃料不足も深刻だった。停電中、発電機や車のシガーソケットにつないで動かす人工呼吸器は、ガソリンが切れれば止まってしまう。

 地震の2日後、往診用の車のガソリンもほぼ尽きた。


 警察などと交渉し、災害用の緊急車両指定を取って、優先的に給油を受けられるようにした。市内の多くの地域で電気が復旧した16日まで、医師の仕事は人工呼吸器を付けた患者へのガソリン配りだった。

 川島院長は教訓として、「災害直後は行政の支援が届きにくい。その時、大切なのは自助や共助。緊急時に発電機や燃料を調達できる仕組みや、地域の医療者、介護者同士のネットワーク整備を進めたい」と話す。

 未曽有の被害をもたらした東日本巨大地震。被災地の現場で患者や医療者はどう対処し、支え合っているのか。緊急リポートする。

(2011年3月23日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38489
[緊急連載] 震災の現場から(2)絶望、自責…心の傷深く

 津波の被害が激しかった宮城県東松島市の保健師、門脇裕美子さん(33)は、避難所巡回の帰り道、国道の真ん中でひとり立ちすくみ、号泣する中年男性に出会った。巨大地震の直撃から1週間後のことだ。

 「日にちもたったから、もう生きてないでしょう。せめて遺体だけでも……」

 男性は、おいと車に乗っていた時に津波に遭い、おいだけが流された。この日まで必死に捜し回ったが、それまで張り詰めていた心がぽっきり折れたようだった。落ち着くまで道路脇で話を聞き、いつでも保健所を訪ねるように伝えた。

 「私だけが生き残ってしまった」「不安で眠れない」「津波を思い出して苦しい」

 避難所でそんな声をよく聞くようになったのも、この頃からだ。家族や家を失ったショック、避難所生活のストレスで、心身の不調を訴える人が増えている。

 「命が助かった興奮や生活の混乱から落ち着き、現実に向き合う時。何もかも失って、今後何を支えに生きればいいのか、絶望を感じ始めている」と門脇さんは語る。

 日本赤十字社は14日、宮城県石巻市の石巻赤十字病院に「こころのケアセンター」を設置。臨床心理士と看護師が、被災者や救護にあたる職員の心のケアを始めた。同市では、門脇さんら避難所を回る保健師が、心のケアが必要だと感じた被災者を精神科医や看護師らが訪問する活動も始まった。

 家族全員が津波で流され、避難所で暮らす40歳代の女性は「私一人が生き残ってしまい、つらい」と保健師に明かし、泣き続けた。保健師や看護師がこまめに訪問することが決まった。

 ストレスに弱い精神病患者も深刻だ。薬が切れ、慣れない環境で不安感が高まり、幻聴や幻覚を訴える人も多い。手洗いなど、同じ動作を繰り返す強迫性障害の男性(32)は「避難所に入ってからトイレが近い。イライラする」と訴え、精神科医に不安を抑える薬を処方された。

 被災者の救護に当たる職員のケアも欠かせない。

 門脇さん自身、被災後4日目まで両親の安否がわからないまま働いた。自宅に一度も帰らず働き続ける職員も多い。強制的に交代で休憩を取ることを検討している。

 同病院のこころのケアセンターは、足湯やマッサージを提供する職員向けの休憩所を用意。心配な症状がある人は、臨床心理士が相談に乗る体制を取る。

 石巻市の避難所を巡回した東大病院の精神科医、桑原斉さん(36)は、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が増えるのはこれから。継続的な支援が必要だ」と訴える。

(2011年3月24日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38578
[緊急連載] 震災の現場から(3)抗がん剤中断 一人悩む
 
 揺れに襲われた時、真っ先に手に取ったのは、尿を取る管と、腹部の人工肛門(ストーマ)に着けて便をためる替えの袋、そして抗がん剤だった。「私の命綱ですから」。財布のことなど考えもしなかった。

 仙台市の佐藤千津子さん(40)は、2007年に見つかった小腸がんの治療を続けている。これまで3回の手術を受け、腹部2か所にストーマを作った。ぼうこうの一部も切ったため、自然に尿を出せなくなり、自分で管を入れて出すようになった。

 腹膜にまで散らばったがんは手術で取りきれず、抗がん剤の飲み薬で大きくなるのを抑えている。最近は、朝晩1錠ずつ2週間飲み、2週間休む治療を続けている。当初、休む期間は1週間だったが、副作用の下痢や粘膜の炎症が激しく、2週間に延ばした。

 地震が起きた日は、服用9日目。水、電気、ガスが止まり、不安が襲った。

 断水中の下痢はつらく、入浴できないと粘膜の炎症がひどくなる。そこから感染症を起こす恐れもある。

 「でも、飲むのをやめたらがんが増えるのでは」

 服用を中断するべきか、続けるべきか――。東北大学病院の主治医にたずねたかったが、電話がつながらない。やっとつながっても「被災の重症患者のみ受け入れています」という自動音声が流れるだけだった。

 一人で悩んだすえ、中断を決めた。

 「相談窓口もなく、自己判断で決めるのは不安。非常時には、がん患者はこれほど顧みられないのかと、がく然としました」と語る。

 病院と連絡が取れたのは24日。もう一つの不安だったストーマ用替え袋は、販売業者と連絡が取れ、入手できることになった。

 地域のがん診療の拠点である宮城県立がんセンターも、地震ですべてのライフラインが断絶し、通信回線がダウン。来院患者の診療はしたが、ホームページでの情報発信もできず、患者への連絡が取れなかった。検査も手術も放射線治療も、まったくできなかった。

 大沼繁幸事務局長は「治療や情報発信をしたくても、どうにもできなかった。どうすれば良かったのか今も考え続けている」と語る。

 治療法が進んで、外来に通院しながら、抗がん剤治療を受ける患者は増えている。非常時に、そうした抗がん剤治療を続ける患者はどうしたらいいのか。

 癌(がん)研有明病院化学療法科部長の畠清彦さんは「がんの種類などにより、中断が可能かどうかは変わる。手術後に補助的に抗がん剤を使っている場合は、多少中断しても問題はない。患者と主治医の緊急連絡手段や、いざと言う時に備えた服薬法指導などの取り組みを今後、進めるべきだ」と話す。

(2011年3月25日 読売新聞)



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38688
[緊急連載] 震災の現場から(4)休診続出、医師不足に拍車

 避難所の朝は早い。

 午前8時半、岩手県山田町の町立山田南小学校1階の教室前。60人を超す被災者らがイスに座って整然と順番を待っていた。教室内の仮設診療所で診察や薬の処方を受けるためだ。表情には疲労感が漂う。

 三陸沿岸部に位置する同町は、巨大地震と津波に加え、中心部が猛火に包まれた。仮設診療所で患者を診る開業医の近藤晃弘さん(51)も被災者の一人だ。近藤さんの医院は2階部分まで津波が押し寄せ、大事な診療器具がのみ込まれた。水が引くのを待ち、3階の手術室から添え木やはさみなど器具類を運び出した。

 夜明けを待って家族や医療スタッフと避難所の山田南小に駆け込んだ。負傷者が続々と運び込まれてきた。知り合いの開業医が走り回り、まるで野戦病院のようだった。

 「何とかしなければ――」。そのまま診療チームに加わった。整形外科が専門だが、骨折や打撲だけでなく、腹痛など内科的な手当てもした。すぐに薬が足りなくなり、避難所のスタッフが医院のがれきから痛み止めや降圧剤を掘り出してくれた。泥をきれいに洗い落として使用した。

 現在、山田南小の仮設診療所には全国から医療支援チームも入り、常時3人前後の医師が診療にあたる。避難所外からも含め、多い時には1日360人の患者があるという。

 厚生労働省の「必要医師数実態調査」(2010年6月実施)によると、岩手県は、医療機関が必要とする医師数が現状の医師数の1・4倍と、都道府県別で最も不足の度合いが大きかった。その県内でも三陸沿岸部は深刻で、人口1万8600人の山田町にある医療機関は県立山田病院と4か所の診療所のみ。そのため、30キロ・メートル離れた宮古市やさらに遠い内陸部の医療機関に通う患者も少なくない。今回の震災で、県立病院と三つの診療所が被災して休診に追い込まれており、「医療崩壊」にさらに追い打ちがかかった形だ。

 近藤さんは現在、避難所を出て、知人宅に仮住まいしながら医院の再建準備を進めている。

 「山田町は震災でこれまで以上に医師不足が深刻化する。われわれ地元の開業医は逃げるわけにはいかない。この町の医療を立て直したい」。近藤さんはこう力を込める。

 被災地に多数入った医療支援チームもやがて引き揚げるときが来る。政府与党は復興に向けて、震災支援策の策定を進めているが、崩壊に瀕(ひん)した地域医療の復興についても「処方せん」が必要だ。

(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011032800204
JOC医療チーム、被災地へ=スポーツ界挙げて支援

 スポーツ界を挙げて、東日本大震災の被災者を支援しようと、日本オリンピック委員会(JOC)の救援医療チームが28日朝、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターをワゴン車で出発した。岩手県大船渡市の寺を拠点とし、医師不足が深刻な避難所への往診などを行う。
 第1陣はJOC情報・医科学専門委員会の増島篤氏(整形外科)、赤間高雄氏(内科)ら医師、スタッフ計6人。出発式では、チームリーダーの増島医師が「五輪やアジア大会で培った医療サポートのノウハウを使い、少しでも役立つため全力を尽くす」と決意表明した。
 6人は同日夜に現地へ到着予定。31日まで医療活動を行い、第2陣と交代する。JOCの市原則之専務理事は「長く継続して行い、行政が手の届かないところをサポートしたい」と語った。(2011/03/28-10:11)



http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110328/oth11032809430001-n1.htm
【東日本大震災】
JOCの救援医療チームが被災地に出発

2011.3.28 09:41

 東日本大震災の被災地の医療不足を補うため、日本オリンピック委員会(JOC)が編成した救援医療チームの第一陣が28日、被災地に向けて出発した。被害の甚大な岩手県大船渡市に赴き、31日までの4日間、現地の病院や避難所を巡回して医療活動を行う。

 JOCが、五輪で日本代表選手団の体調管理をサポートする情報・医・科学専門委員会のメンバーに呼び掛けて編成。第一陣は外科、内科、産婦人科、理学療法士の実務スタッフ4人に、JOC職員2人がサポートメンバーとして帯同する。

 大船渡市は津波により漁港など水産関係の施設が大打撃を受けた。53カ所の避難所では約5千人が避難生活を続けている。救援医療チームは現地の寺を拠点に、病院や避難所を巡回し、往診や医薬品の提供などの医療活動を行う。

 28日朝に東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われた出発式では、チームリーダーの増島篤医師(東芝病院スポーツ整形外科)が「五輪で培った医学サポートのノウハウを生かし、全力を尽くして被災者のお役に立ちたい」とあいさつ。NTCで合宿中のアスリートら約100人に見送られ、ワゴン車で出発した。

 JOCは今後も順次、救援医療チームを派遣し、4月末まで医療支援を継続する。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20110328-OYT8T00085.htm
医師ら 被災者の心ケア

 県内唯一の精神科専門公立病院・県立鶴岡病院の大類真嗣医師(34)らのチームが、28日から福島県内で震災後のストレスなどに悩む被災者への支援活動を始める。震災後、山形県内から心のケアを目的に医師が派遣されるのは初めて。

 同病院では東日本巨大地震の発生後、医師や看護師、精神保健福祉士らで「心のケアチーム」を編成。被災地に派遣する準備を進めてきたところ、厚生労働省と福島県から、同県郡山市や田村市周辺での活動を要請された。福島県内では医療機関が大きな被害を受け、医師や看護師が不足したり、必要な医薬品が手に入らなかったりと、以前の医療環境を維持するのが困難な状況だ。

 大類医師らのチームは27日午後、抗不安薬や風邪薬などの医薬品約10キロ・グラムと、マスクなどの衛生用品を持参して鶴岡市を出発。31日まで、現地の医療機関で滞っている精神科治療の引き継ぎに加え、新たに心身に不調をきたす恐れがある住民らの精神的ケアを行う。

 2007年の新潟県中越沖地震や、08年の岩手・宮城内陸地震で、県職員として被災地医療の後方支援を担当した大類医師は「他県のチームと協力し、数か月間は継続してサポートできる体制を作ることが重要だ」と話している。
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40550/Default.aspx
東日本大震災 医師の現地リポート 小児医療が後回しに メドピア調査
公開日時 2011/03/28 05:00

医師限定コミュニティサイト「MedPeer」を運営するメドピアは、3月11日に発生した東日本大震災で被災した医師や救援活動にあたった医師の現地リポートを募集し、3月25日にその一部を公開した。被害の多くが津波によるものだったことから、被災地には死亡者か軽症・無傷の人が多く、重症の救急患者があまり見られなかった状況が複数の医師から寄せられた。また、小児医療を提供できる医師が少なく、小児が後回しにされ、親を亡くすなどした小児の心のケアや治療に十分対応できていないとの意見も見られた。メドピアの会員医師は約3万5000人。

医薬品関係では、「薬や点滴注射の不足が深刻」(宮城県仙台市郊外の中小病院)や「地震から約10日後に内服切れ」(宮城県のクリニック)といった内容や、「(宮城県気仙沼市で)巡回診療を中心に行ったが、重症患者は皆無で、慢性疾患の通常薬がないとの訴えや、トイレ、水分の問題から便秘が多くみられた。また、コンタクトや皮膚の軟膏などの需要も高かった」とのコメントがあった。

メドピアは3月23日から被災地現地リポートを募集。24日15時現在で約300件のリポートが寄せられたという。現在も現地リポートは募集中で、今後も随時公開するとしている。

◎トリアージでは「黒」か「緑」がほとんど 「DMAT活動見直し図られるかも」

メドピアに寄せられたリポートには救急患者のトリアージに関するものも散見された。その内容は、「黒タグ(死亡)が多く、阪神大震災であった赤タグ(緊急治療が必要な重症患者)の数が少ない」や「トリアージの赤が限りなく黒に近く、黒or緑(軽症患者)といった感じ」というものだった。このような状況からリポートを寄せたある医師は、自身も、震災時などに急性期医療を専門に行う「DMAT(災害時派遣医療チーム)」として被災地に入ったものの、「被災者は生きているか死んでいるかの2択で、生きている人は軽症か無傷がほとんどだった。おそらくDMAT活動の見直しが図られるのではないだろうか」とのコメントを寄せた。

また、ある小児科医からは、大規模災害ということから救急、整形、外科の医師が多く駆り出されたこともあって、「親を亡くして立ち尽くす子にどのように接したらいいかわからない、PTSDに関してアドバイスができない、発達が正常かどうか判別できないなど、成人の治療は可能だが、小児は後回し、小児の対処はわからないということが多かったようだ」とし、「小児に対する『心のケア』『治療』ができるスタッフを同行させた方が良い」との意見を寄せた。

一方、医療提供面では物資不足のほか、「ご家族と会えないので、急変時のインフォームドコンセントなどの説明ができていない」や「医師より薬剤師支援が望まれる」とのコメントがあった。

そのほか、大震災を目の当たりにして、「死体検案書作製の仕事に携わった。涙なしではとてもできる作業ではない。現地の状況はテレビ報道や新聞記事の比ではない。悲惨そのものでとても言葉で言い表せるものではない」(宮城県で活動した医師)、「野戦病院というより生き地獄だった」(岩手県で活動した医師)、「DMATで出動した。空港で中等症患者の診療にあたったが、診療中も地震があったりして、被害にあってない私たちでさえトラウマになりそうな状況だった」――とのコメントもみられた。



http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110327/oth11032718350009-n1.htm
【東日本大震災】 ラグビー関係者も被災地でボランティア
2011.3.27 18:34

 東日本大震災で、ラグビー関係者にも被災地でボランティア活動をする動きが広まりつつある。

 青山学院大ラグビー部有志は、東京都が岩手県陸前高田市に派遣する「こころのケアチーム」の活動にボランティアとして参加。医師らを乗せた乗用車の運転手として奮闘している。

 関係者によると、話が持ち込まれたのは16日。経済学部3年の阿部兼利さん(21)は「何か自分にできることはないかと考えていたときだった」と志願した理由を語る。

 23日に医師や保健師らとともに阿部さんら部員2人が東京を出発。26日にも、第2陣が岩手県に向かった。いずれも5日前後の行程。現地では避難所を転々とする医師らの“足”となる。

 阿部さんは「テレビを見て感じていた以上に、被災地の状況はひどい。小さなことでもみんながやれば、大きなことになる」と力を込める。

 日大、リコーでFWとして活躍した整形外科医の龍啓之助さん(37)は22~25日、岩手県北上市と釜石市の病院で治療に当たった。

 ラグビーの試合で何度か足を運んだ岩手が被害を受ける様子をみて、日大OBの医師に手伝いを申し出、勤務先の病院の了承を得て、医師不足の被災地に駆けつけた。

 龍さんは「目の前で家族が津波に流された人、息子さんがいなくなった人…。あまりにもつらい現実があるが、一人一人が力になれることを考えていくことが大事」と訴える。



http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110328ddlk07040112000c.html
東日本大震災:避難中に津波 南相馬の介護老人保健施設、死者・不明33人 /福島
 ◇松林の向こうに海が盛り上がり 車椅子押し高台へ


 南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」。入所者136人のうち30人が死亡し、3人が行方不明だ。津波にのまれた様子を職員が詳細に語った。

 ◇「浸水区域」外、避難中に津波

 東に向かって水田が広がり、2キロ先の海岸に松林が小さく見える。その向こうに海があるが、木の陰になっている。津波後、水田も施設敷地も泥で埋まった。平屋建ての建物のガラスはすべて破れ、室内は天井近くまで汚れた。周囲には入所者の履物や食器が散らばっている。

 施設を運営する医療法人慈誠会の小林敬一事務長(60)は「ここは津波ハザードマップの浸水区域に入っていなかった。こんなことになるなら、入所者を早く逃がしてあげればよかった」と振り返った。

 南相馬市は震度6弱。施設の倒壊や火災の危険があったため、小林事務長ら職員約30人はベッドや車椅子に乗った入所者を玄関前付近の屋外に避難させた。携帯ラジオは大津波警報を伝えていたので、女性職員(49)は高台に逃げることも考えたが、入所者は認知症や体の不自由な人が多くためらいがあった。気付くと、普段は見えない海が松林の向こうに盛り上がって見えた。津波が迫っていた。

 それから4、5分。職員らは慌てて、リフト車3台に入所者を乗せ、約800メートル離れた避難所、県立浜高等技術専門校に連れていこうとしたが、運べるのは1台6人程度。乗れない人は、残りの職員がベッドや車椅子を押して少しでも高い方へと道路を走った。女性職員は「真っ黒な波が水煙を上げながら近づいてきた」と振り返る。

 逃げ切れなかった多くの入所者が流された。職員らは腰まで泥水につかって、おぼれる入所者を助けようとしたが、見つけられなかった人も多い。助かった人の中にも、その後持病が悪化するなどして死亡した人もいる。

 市が09年3月に作った津波ハザードマップでは、浸水想定区域は海岸から約500メートル。施設は昨年秋にマップを入手し、浸水区域に入っていないことを確認して津波の避難訓練はしていなかった。

 県は過去の地震規模を参考に、マグニチュード(M)7程度を想定して浸水地域をシミュレーションし、同市はそれを基にマップを作った。同市防災安全課は「地震と津波は想定外の規模だった」と話した。

 小林事務長は変わり果てた施設を前に「いい所だったんです。これが津波の破壊力なんですね」と肩を落とした。【平川昌範】

毎日新聞 2011年3月28日 地方版



http://mytown.asahi.com/areanews/fukushima/TKY201103270140.html
「動く総合病院」スタート 避難所巡回 専門医が団結
2011年3月28日

 内科や小児科、心身医療科やリハビリテーション科、眼科など、県立医大のさまざまな専門医がスクラムを組んで避難所を巡回する「動く総合病院」が、28日からいわき市で始まる。避難所暮らしが長引く中、避難している人の健康を守ろうとの試みだ。

 併せて、自宅にいて支援から取り残されている高齢者世帯などには、同医大の「家庭医チーム」が訪れ、人々のケアを始める。

 「動く総合病院」は、県立医大小児科学講座の細矢光亮・主任教授が中心。震災後、小児科医がチームを組んで避難所を訪れ、子どもたちを診察する中で、お年寄りなど大人にもケアを広げる必要性を痛感したという。

 「余震があると目がさえて眠れない」という女性や、糖尿病、心臓病など持病が悪化した人々、ずっとじっとしていたため機能が低下して歩けなくなった高齢者……。さまざまなニーズが予想されるという。眼科や耳鼻科、泌尿器科や、理学療法士、看護師なども含めた専門家10人1チームで、地元医師会とも協力しながら「高度な医療」を提供する。3チームがいわき市から活動を始め、いずれは県内すべての避難所に広げたいとしている。

 細矢教授は「病院で患者を待つのではなく、地域に出て行ってこの災害時に対応したい。やり始めればおのずと道は開ける」と話す。

 一方、県立医大の地域・家庭医療学講座の葛西龍樹教授を中心にした「家庭医チーム」は、家庭医だけでチームを組み、南相馬市やいわき市などを回る方針。自宅にいて「支援や治療から取り残された」人々を掘り起こして手当てする。家庭医とは、病気をもつ人を、背景の生活環境や地域、家庭などとのつながりを含めてとらえ、幅広い疾患に総合的に対応する医師。(斎藤智子)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33307.html
再生に向け、動き始めた被災地の医療

 警察庁によると、東日本大震災で最も大きな被害を受けた宮城県の死者数は3月27日午後6時現在、6477人に達し、同県だけで阪神淡路大震災の死者数を超えた。同県沿岸部では、いまも行方不明者の捜索が続き、震災の残した爪あとは依然として大きい。その一方で、電気や水道などの復旧が徐々に進み、県内の医療機関は再生に向けて動き出している。

 津波で壊滅的な被害を受けた同県石巻市―。港からほど近い石巻市立病院の入り口には、津波で流された車が横たわり、ガラスの破片が散乱していた。入院患者は他の医療機関へ搬送され、同病院は既に閉鎖されていた。病院のそばには、完全に水没した調剤薬局があり、被害の大きさを物語っている。

 同病院から車で約5分。同市門脇町にある石巻港湾病院は、津波で5階建ての1階部分がすべて水没した。11日の地震直後、院内には132人の入院患者がいたが、上階に避難させて難をしのいだという。
 その後、同じグループの病院から支援物資が到着して以降、少しずつ回復の兆しが見えてきたが、19日に電力が復旧するまでの間、注射器でたん吸引を行った。「看護師の親指が豆だらけになった」。同病院でマネージングディレクターを務める間山文博さんは振り返る。

 近隣の特別養護老人ホームが一部の患者を引き受けてくれたため、入院患者数は現在90人。まだ水道が復旧しておらず、風呂を沸かすことができないため、毎日、患者の身体をタオルなどで拭いている。26日には患者を通常の病棟に戻したが、160人の職員の約3割が避難所で暮らしているほか、自宅が損壊した 20人は院内での宿泊を余儀なくされている。
 それでも同病院は前向きだ。4月上旬には水道が復旧する見通しで、復旧後には外来を再開する予定だ。「患者さんや地域から必要とされている限り、この場所で医療を続け、地域医療に貢献したい」。間山さんはそう力を込めた。

■29日にも外来再開の病院も


 一方、仙台市宮城野区にある東北厚生年金病院は、間一髪のところで津波の被害から逃れた。田林晄一院長は「本当に、ぎりぎりのところで助かった」と振り返る。同病院の近くを流れる七北田川の水位が急上昇し、堤防を超えそうになったという。
 しかし、強い揺れで病棟の一部や配管が破損。一部のフロアは水浸しになった上、水道や電気などのライフラインはストップした。そんな中、病院には同区内で被災した住民が次々と避難し、一時は約1000人の住民が集まったという。被害の深刻さを考え、患者だけでなく、避難者にも食事を提供した。
 食事が十分に配れない上、暖房も温水もない―。同病院では精神科の患者などを除く323人の入院患者を、他の病院へ一時的に転院することを決め、外来については再来患者の薬の処方のみに応じる方針で臨んだ。一方、1000人いた避難者に対しては、自宅近くの避難所へ移るよう勧めたという。

 その後、電気や水道などのインフラが順調に回復。全国社会保険協会連合会(全社連)からの支援物資も届き、薬も1週間分まで処方できるようになったという。一時転院している入院患者を既に呼び戻し始め、29日には外来診療も本格的に再開する予定だ。
 「患者やその家族と同様に、病院の職員も地震と津波で大きなショックを受けています。そうした職員に対する精神的ケアが今後は重要になってくるでしょう」。田林院長は残された課題をそう指摘し、災害医療の長期化に気を引締めている。

( 2011年03月27日 22:25 キャリアブレイン )



http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/448bf772c4029de3df9144f0a1e30749/
犠牲者は10万人規模のおそれ、厳しい状況認識を持ち長期的支援体制を(1)
- 11/03/27 | 18:25

 戦後最悪の災害となった東日本大震災。3月13日から26日まで福島県いわき市や宮城県気仙沼市で医療活動支援にあたった、永田高志医師(日本医師会救急災害医療対策委員会委員、九州大学病院救命救急センター特任助教、姫野病院勤務)に、被災地での医療支援の状況について聞いた。

――現場の医療支援活動の状況はいかがですか。

 いわきでの支援活動のあと、3月24日の朝に気仙沼に入りました。日本医師会災害支援活動(JMAT)としては支援を被災地にランダムに送るのではなく、拠点ごとに集中して支援を投下する必要があると考えています。気仙沼はそのひとつで、私は適正な支援をするための情報収集の役割もありました。
 
 気仙沼には東京医師会をはじめ、関東の大学病院など各地域からの支援チームが入り、気仙沼市民病院を拠点に医療活動を展開しています。東京医師会のチームが中心に、統率力を持って支援活動を円滑に運営していると感じました。
 
 大震災発生から約2週間たって、もっとも厳しい時期は脱しつつあるようです。しかし、10日以上たった24日でも、気仙沼から仙台に向けて患者さんを広域搬送する必要があるなど、これまでの災害時にはこれだけ時間がたって広域搬送を要することはなく、それだけ状況が厳しいといえます。
 
 気仙沼の厳しいところは、市街地が広範囲に被災し、医療活動にあたるべき地元の医師・医療関係者も被災してしまったことです。まずは、地元医師が自らの診療所を立て直さなければ医療活動に携われません。地域医療のことは地元の医師がもっとも知っています。患者さんもかかりつけの医師のほうが安心です。徐々に活動は回復していますが、通常であれば、外部からの緊急支援は、徐々に地元の医療機関に引き継いでいくのですが、こちらでは2~3カ月は外部の支援が必要になると思います。

――これから必要になる医療活動はなんでしょうか。
 
 いま懸念していることのひとつは、医療支援が届いていない場所が多数あるということです。三陸地域は小さな集落が広範囲に点在しています。今の体制ではこうした小さな集落を回りきれていません。これを解消する必要があります。
 
 今回、私は通常の緊急災害支援時の2倍の期間にあたる約2週間活動をさせてもらいましたが、それでも広大な被災地に対して何も出来ていないという「ある種の無力感」を感じています。
 
 もうひとつ、日常の薬を届ける必要があることです。2週間が経過し、日常的に飲んでいる薬が切れてしまった人が増えています。こうした被災者たちを探して薬を届けていかなくてはなりません。
 
 避難所の環境もとても危惧しています。過密、衛生状態により、インフルエンザや胃腸炎を起こすノロウイルスなど感染症が懸念されます。
 
 私が訪ねた避難所のひとつは、公民館でしたがスペースに比べて人数が多すぎました。避難所では1人あたり4平方メートル以上のスペースが必要とされていますが、遥かに不足しています。トイレも大幅に足りません。また手洗いやお風呂など衛生用の水が圧倒的に不足していました。洗う水が不足していますから、アルコールで殺菌していますが、ノロウイルスはアルコールでは死にません。感染者が出ても隔離するスペースがありません。女性の生理用品の不足も問題です。
 
 通常時であればさほど懸念するようなことがないことが問題になります。衛生環境の確保には保健師が努力していますが、医師にもトイレの数や密度など避難所のざっくりとした状態に注意してほしいとお願いしています。これらの感染症問題は普通の生活環境を取り戻せれば自然になくなります。水の供給や仮設住宅の建設などを一刻も早く進めるしかありません。
 
――気仙沼といわきで必要な支援に差はありますか。

 やはり被災地の置かれた状況により差はあります。いわきは沿岸部の津波被害は厳しいですが、市域が広く、被災の程度が低い医療機関もあり、そうしたところでの対応ができました。しかし、水道が不足し、また物資も拠点となる集積所から、各避難所などに届ける末端の物流が混乱するなどの課題がありました。ただ、現時点では状態はよくなっています。一方、気仙沼は電力・通信も途絶し、街全体が被災したため、地域だけでの対応が困難です。
 
 阪神淡路大震災は被災地域が狭かったので、必要とされる支援の内容がある程度似ていました。しかし、今回は被災地が非常に広い地域にわたっているので、地域ごとに必要なことが大きく違います。地域のニーズを把握して支援する必要を強く感じました。
 
 いわきで特徴的だったのは、原発事故による放射線被曝問題です。被爆そのものが問題になる環境ではもちろんないのですが、一時現地には原発の情報がはっきりとは伝わらず、支援スタッフにも動揺がありました。私自身、専門的な教育を受けているにもかかわらず、恐怖を覚えました。医師として、平常心を保ち、正しく情報を得て的確に判断する重要性を改めて感じました。いわきは一時的に非難していた人たちも戻り始め、支援のシステムはできていると思います。
 
 また、目立たない活動ですが、災害時には亡くなった方の死因を特定して死亡を確定する検案もとても大きな仕事になります。気仙沼で検案に当たっていた法医学の先生によれば、震災後3~7日ごろがピークだったそうですが、私が行った24日にも断続的にご遺体が運ばれてきました。
 
 先生によれば、気仙沼では90~95%が溺水、5%が焼死だそうです。家屋の倒壊などいわゆる地震による被害がほどんどなく、津波の被害が圧倒的だったことがわかります。
 
 復旧作業が進むにつれ、まだまだご遺体は見つかると思います。この状況では、私の経験では、10万人規模の方が犠牲になっていると想定するのが妥当だと思います。現地で活動している方に取材してもその程度という認識を持つ方が多かった。

  救急医療にはオーバートリアージという考えがあります。緊急を要する場合には、症状を悪い方に想定し、治療を施すという考え方です。結果的にそんな治療までする必要はなかったとしても、治療が手遅れになるよりはいいということです。震災発生直後から大規模な救援体制を投入していればもっと救えたのではないかと残念です。 

 東京では死者・行方不明者で3万人弱という災害規模の認識があるように感じますが、そうした認識では被災地の支援・復旧活動が不十分になる恐れがあります。今までの災害の経験は通用しないような厳しい状況という認識で対応に当たる必要があります。細く長い支援を継続していかなければなりません。
(聞き手:丸山 尚文 =東洋経済オンライン)



http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/20110328-OYS1T00361.htm
長崎大チーム24時間奮闘、岩手の被災者と寝食共に

 長崎大の医療チームが、東日本巨大地震の被災者が身を寄せる岩手県大槌町の避難所を拠点に、被災者と寝食を共にしながら24時間体制で救護にあたっている。被災地の医療体制が十分に整わない中、避難者だけでなく自宅で暮らす被災者からも頼りにされ「あそこにいけば、お医者がいるから安心だ」と感謝されている。

 「ばあさんの調子がおかしいもんで、先生ちょっと来てくんねえかな」「避難所生活が長いと体がだるくてねえ」。避難所の医療チームのもとには、体調を崩した高齢者がひっきりなしに訪れる。対応するのは、孫のような年齢の同大研修医、原田直樹さん(26)だ。

 近くの民家の往診も、原田さんの仕事の一つ。21日午後、原田さんは、頭痛とだるさを訴えていた臼沢芳子さん(83)を診察した。「低血糖が原因です。ブドウ糖をしっかりとってくださいね」と優しげに言うと、心配そうに様子を見守っていた親類ら約10人から口々に「ありがとうございます」と感謝され、少しはにかんだ。

 同じ日に診察した阿部七郎さん(66)は糖尿病の持病があるが、薬が流されてしまった。「最近、足の裏に土か砂があるような気がして長靴脱ぐんだけど、何もねえんだよなあ」。ピンと来た原田さんは、「神経障害が起きているのかも」とすぐに言い当てた。「痛くねえから何も気にしてなかった。先生に診てもらってよかった」

 原田さんは将来、外科の開業医である父の跡を継ぐ予定だが、避難所での経験で、総合医療を身に着けたいとの思いを強めた。「避難所では、風邪の人、高血圧の人、何でも診た。困っている人みんなの力になりたい。その思いが間違いじゃなかったと分かりました」

 第1陣である原田さんらは22日夕、長崎県へ戻ったが、後発隊が3月いっぱい救護にあたる。
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.komei.or.jp/news/detail/20110328_4842
東日本大震災 ドクターヘリ、懸命の救出
公明新聞:2011年3月28日付

“空飛ぶ救命救急センター”
被災地に16機が集結
重病新生児、患者らの命つなぐ


“空飛ぶ救命救急センター”と呼ばれるドクターヘリ―。東日本大地震の発生後、16道府県の16機が直ちに被災地に派遣され、負傷者や入院患者らの懸命の救出活動に当たった。

ドクターヘリが小さな命を救った―。地震発生の前日に生まれ、仙台市青葉区の病院に入院していた男児が19日、ドクターヘリで静岡市の静岡県立こども病院に搬送された。

この新生児は重い心臓病を抱えており、被災地では万全の治療態勢が取れないでいた。男児は「予断は許さないが容体は安定している」(同病院)という。静岡県(聖隷三方原病院)のドクターヘリが出動した。

「とにかく津波警報が鳴る中での懸命の作業でした」。こう語るのは、災害派遣医療チーム「DMAT」として群馬の前橋赤十字病院から派遣された町田浩志医師だ。宮城県石巻市で、津波で破壊された市立病院からの患者救出に当たった。

100人を超す患者の搬送に8病院29人のDMAT隊員とドクターヘリ7機が参加、後に自衛隊ヘリも加わり救出は深夜に及んだ。

地震発生の翌日、ドクターヘリで被災地入りした山口大学医学部附属病院・高度救命救急センターの笠岡俊志准教授も、石巻市立病院の患者らを搬送した。笠岡准教授は「医療行為を続けながら患者を運べる点が防災ヘリとの違いだ」と、その有効性を強調する。

今年3月、四国で初めて高知県に導入されたドクターヘリの初出動は、東日本大震災の被災地派遣だった。津波被害が甚大な岩手県大船渡市や釜石市からの患者搬送に力を発揮した。

来年度中に38都道府県に配備

現在、ドクターヘリは、(中略)、全国配備が進んでいる。

12年度中には38都道府県にまで拡大する予定だ(東京都は独自方式)。

藤田保健衛生大学医学部 野口宏教授に聞く
公明党が救急医療現場の悩みを改善して全国的な配備が進んだ

ドクターヘリの全国的な配備などを後押ししてきた藤田保健衛生大学医学部の野口宏教授に話を聞いた。

大震災が起きてから、初動段階だけで、少なくとも100人以上の重症患者を搬送したと聞く。ドクターヘリの特徴である「小回りの良さ」が生かされた結果だ。搬送する“道”が空路であれば、がれきで道路がふさがっている陸路よりも、格段の速さで重症患者を安全な場所へ、ピストン輸送できる。

また、ヘリに医師を搭乗させているので、早くから現場あるいは搬送中にも患者に医療行為ができるのも大きい。全国各地のドクターヘリのさらなる活躍を期待したい。

私は約30年にわたって、災害医学、救急医療に携わってきたが、公明党は、現場で悩んでいることをすぐに受け取り、改善してくれる。

ドクターヘリも、こちらが「こういうのがあれば」と思うことを公明党の皆さんが具体化してくれた。国ではドクターヘリの全国配備を促進する特別措置法の制定を、地域では公明党の地方議員が後押ししてくれた。「悩んでいる時、気がつけば公明党」という印象だ。

それだけではない。公明党は、救急救命士の誕生をはじめ、救急現場や搬送中に高度な医療処置を行うことで救命効果を高める「プレホスピタルケア」(病院前救護)にいち早く取り組んできた。常日頃から地域住民と密接につながっている公明党の活動に今後も期待したい。

のぐち・ひろし 1943年生まれ。名古屋市立大学大学院医学研究科修了。愛知医科大学名誉教授、愛知県救急医療情報センター統括センター長、NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」理事。



http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001103280003
被災地派遣の名大チーム報告
2011年03月28日

●感染症予防など国が態勢作りを


 東日本大震災で、被災地へ派遣されていた名古屋大病院(名古屋市昭和区)の医療支援チームがこのほど帰還し、会見を開いた。指令役を務めた松田直之教授(48)=救急・集中治療医学=は「被災地で求められる医療は公衆衛生や予防医学へ移っている。冷え込みが厳しい避難所で命を落とす人が出ないよう、国が関与して早急に態勢をつくるべきだ」と主張している。
 チームは松田教授ら医師4人を含む計8人で18日に名古屋市を出発。宮城県石巻市の石巻赤十字病院を拠点に4日間活動した。
 松田教授らによると、石巻赤十字病院では、ピーク時に自衛隊などのけが人を乗せたヘリコプターが1日で延べ200機飛来していたが、持病で薬が切れてしまった人や、被災後に病気にかかる人がだんだん増えていったという。
 避難所の巡回で4日間で約400人に声をかけ、180人を診療した。うち150人に薬を渡した。避難所では、水道が復旧しておらず、長靴の泥を地面にたまった水で洗い、手洗いができないまま食事をする人もいた。「感染症のリスクが高まっている。飲料水が不十分な状況では、脱水症状を起こすと死亡につながる可能性もある」(松田教授)という。
 松田教授はさらに、分散している避難者を集約することが重要だと説く。また一時的に遠隔地に搬送された高齢者が地元へ戻ってこられるよう、受け入れるための仮設住宅の整備も必要だと指摘している。同行したチームの医師らからは「長期的な支援が必要」「重症化しないよう早期に医療が介入する必要がある」などの声も出た。
 同病院では第二陣の医療支援チームを25日に派遣、現地で4日間の予定で医療活動をしている。4月上旬以降は、南三陸町の避難所を拠点に、東京大、千葉大などと合同で医療活動を続けるという。
 名古屋大病院では、避難所などでの放射線測定のために、放射線技師ら2人を20日にかけて福島県へ派遣したほか、自衛隊の協力で医療資材2トンを東北大病院(仙台市)へ送っている。



http://mytown.asahi.com/areanews/fukui/OSK201103270090.html
被災地で介護経験者不足 県ボランティア連絡会が報告
2011年3月28日

 県内のNPO法人や社会福祉協議会でつくる県災害ボランティアセンター連絡会は27日、代表者を集めた会議を県庁で開き、東日本大震災の支援について情報交換した。介護経験のあるボランティアが不足していることが報告されたほか、連絡会として岩手県陸前高田市を重点的に支援することを決めた。

 会議は震災の発生後2度目。14日から募集を始めたボランティアは27日までに1438人が集まったが、現地で人手が足りない介護士と介護福祉士は32人にとどまっているという。連絡会は、資格がなくても介護の経験のある人の登録を求めている。

 派遣はこれまで医療関係者に限っているが、4月2日に出発予定の第4陣から、一般のボランティアも加わる可能性があるという。会議では、「派遣を待っている人もいるだろうが、町の再建の歩みに合わせれば出番はもう少し遅くなるだろう」(県社会福祉協議会)との意見も出た。

 また、県社会福祉協議会が岩手県陸前高田市の社会福祉協議会を支援していることなどから、連絡会として今後、同市に重点的にボランティアを派遣することを決めた。状況を見て、他の自治体にも派遣が可能か判断するという。(笹川翔平)



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110328/bdy11032807160000-n1.htm
東日本大震災 被災直後に石巻で医療活動 中西加寿也医師
2011.3.28 07:12

 ■診察場所の確保に苦労 病院内は患者であふれる


 東日本大震災で、被災直後に石巻赤十字病院(宮城県石巻市)で医療活動に当たった、成田赤十字病院(千葉県成田市)の中西加寿也医師(52)に、当時の様子を聞いた。

 --現地にいた期間は

 「12日夜から14日昼まで。日赤の救護班の一員および災害派遣医療チーム(DMAT)として派遣された」

 --病院の状況は

 「到着時、1階のフロアはすべて人で埋め尽くされていた。毛布を敷いて横になっている人もいれば、椅子に座っている人もいた。このフロアでは軽症患者と中等症患者に分けて、それぞれ別のブースで治療に当たっていた。椅子や簡易ベッドを使っての診察だったが、それ自体は大きな支障はなかった。しかし、治療が終わり、避難所に戻ることが可能と判断されても、電気、水道、暖房などライフラインが確保されておらず、過酷な環境のため、病院の中に置いてほしいという人が多く、被災者が院内に滞留する結果になった」

 --日中の病院の様子は

 「早朝から、ヘリコプターや救急車などが、ひっきりなしに救出した患者を搬送してきたので、院内の滞留は続いた。13日は、中等症患者の診療を担当したが、寝かせて診察する場所をつくり出すのに苦労した」

 --医薬品は足りたか

 「医薬品や検査試薬は、一部で残量が少なくなってきて、さらに補給のめどが立っていないため、使用するかどうか判断が難しかった。手術は、器具の洗浄などのための水が不足していることから、原則行われていなかった」

 --病院のライフラインは

 「通常使用の水は屋上のタンクにある貯蔵分だけで、電気も自家発電だったが、その燃料も14日まで、食料は入院患者用の備蓄が14日の昼でなくなってしまうという話だった。幸い電気は13日午後、優先的に供給が始まり、停電という事態は避けられた。食料も14日早朝、救援物資を積んだトラックが到着、何とか間に合ったと思う」

 --一番困ったことは

 「現地で何が起きているのか、情報を発信する手段が不十分だったことだ。インターネットも携帯電話も駄目、衛星携帯電話もなかなか使えない。薬が足りない、赤ちゃんのミルクが足りない、重症患者を別の病院に搬送したいなど、必要なことを伝えたいのに十分できない。病院の会議では、情報発信ができる地域に出た人は、とにかく石巻の惨状をアピールして、広めてくれと、みんなで話し合った」
                   ◇
【プロフィル】中西加寿也
 なかにし・かずや 昭和33年和歌山県生まれ。平成16年から成田赤十字病院救命救急センター長。



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news/20110328-OYT8T00126.htm
「つらい現場だった」国境なき医師団一員宮城で活動

 東日本巨大地震の被災地、宮城県南三陸町で医療支援を行った長崎大熱帯医学研究所助教の鈴木基医師(39)が、同大で活動を報告した。人口の約半数が「安否不明」の状態で、避難所を回った経験を振り返り「支援者にとっても、つらい現場だった」と語った。

 NPO法人「国境なき医師団日本」の一員として16~19日、同町の戸倉地区で活動。公民館など8か所に約600人が避難しており、薬を入れたリュックを背負って訪ね歩いた。地元の医院は津波に流され、医師は行方不明。高血圧や心臓病などを患う被災者は薬を失い、多くが血圧200を超えていた。

 自分でも病名があやふやなお年寄りを前に、1日100人以上から症状を聞き出した。「じいちゃん、流されたんだぁ」。ぼそりと打ち明けるおばあちゃんの話をじっくり聞ける時間はなく、「次の診療を優先せざるを得ない罪の意識を感じた」という。

 避難所ではインフルエンザやウイルス性腸炎などの流行が懸念され、近く仙台市で母校の東北大と感染症調査や予防対策に取り組む。「高齢者が密集する環境で流行すると、多くの命に関わる。次は感染症研究者としての役割を果たしたい」
(2011年3月28日 読売新聞)



http://www.47news.jp/news/2011/03/post_20110328174524.html
感染症に注意、南三陸の避難所 医師「消毒を」

 人口約1万8千人の半数が津波で家を失うなどし、避難生活を送る宮城県南三陸町。約1500人が身を寄せ、町最大の避難所になっている総合体育館で医療ボランティアとして活動した大阪大の浜口重人医師(34)=呼吸器内科=は、現地の衛生状況悪化を懸念、感染症への警戒を呼び掛けている。

 浜口医師は避難所の現状について「1人が結核になったら大量感染が出てもおかしくない。それぐらい危機的な状況」と指摘。「正直できることは限られるが、マスク着用と小まめなアルコール消毒は、避難所に出入りする全員が徹底してほしい」と訴えた。
2011/03/28 17:44 【共同通信】



http://diamond.jp/articles/-/11648
咳ひとつで広がる感染、眼の病気に悩む人たち…
今起こっている「心配なこと」
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌⑤


3月11日に発生した東日本大震災。多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた被災地・石巻の赤十字病院へ、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として派遣された30代医師の現場レポートを、可能な限りリアルタイムに更新していく。災害そして医療の現場で、日々何が起こっているのか。
小学校の救護室に設けた
簡易診療所

 3月26日、昨晩から降り続いた雪が積もり、朝から肌寒かった。

 だが、市内は津波で流された住宅の残骸と泥が多く、美しい銀世界とは程遠い。

 石巻日赤病院で開かれた朝7時のミーティングに出席した後、前日のチームからの引き継ぎ事項を掲示板で確認し、診療のため避難所に向かった。今回は、日赤病院2チームと合同での診療だ。

 避難所は、沿岸部近くの小学校だ。避難所本部のリーダーに話を聞いた後、どのような医療ニーズがあるかを調査。1チームは低学年教室を避難所としているエリアを巡回、もう1チームは高学年教室を巡回することになった。我々のチームは、校内の救護室で簡易診療所を開き、救護室まで自力で来られる被災者を診療した。

現住所の代わりに
「音楽室」「図工室」と記載された処方箋


 この避難所では、被災者は「音楽室の〇〇さん」「図工室の△△さん」と呼ばれていた。もちろん処方箋にも、そのように記入する。ここでは現住所がなく個人を特定することが難しい。

 とはいえ、患者に間違った薬を処方することは是が非でも避けなければならない。

 通常の病院のように今すぐ薬を処方できる体制なら問題ないだろうが、我々医療支援チームは限られた薬剤しか持参していない。現在のところ石巻赤十字病院の薬剤師が手配した薬を、後から運ぶ方法を取っているが、身分証も流されて避難所に来ている被災者をきちんと特定できないと、非常に危険だ。

 そこで、被災者に誤った薬が届かないよう、名前や生年月日、いつもいる教室の場所などをなるべく細かく処方箋に書くよう気をつけた。

患者の半数以上が
嘔吐や吐き気


 本日診察した患者の半数以上は、嘔吐や吐き気の症状があった。

 この状況が、避難所全体を巻き込み感染が拡大しないか非常に心配だ。

 そう心配する理由の1つが寒さだ。

 この避難所では暖房も電気もなかった。私は診察中、カイロを背中に貼り、ズボンを2枚とひざ下までの長靴を履き、ネックウォーマーを巻いていたが、それでも底冷えする寒さだった。気温が低いとそれだけ体力の消耗も激しく風邪などの危険性高くなる。

 心配する理由の2点目が避難所の環境だ。

 ここでは約500人の被災者がいるためどの教室も人が多く、お互いが最大でも1メートル程度離れた状態で生活している。この状況では、誰か1人が咳をするだけで、感染が拡大する可能性が高くなるのだ。実際ある教室では、ほぼ全員が咳が出たりお腹をこわしたりしていた。

 また、お世辞にも避難所内の衛生環境がいいとは言えない。避難所は原則土足で、校内の廊下の大半は泥まみれだった。泥が乾燥し埃が舞い上がると、さらに感染が広がる可能性がある。マスクを着用するよう周知されているようだが、数日間同じ使い捨てマスクを使用しているなど、使い方を誤っている例もある。水道が使えないので、当然こまめに手洗いすることは不可能だ。災害対策本部の目下の重点事項の1つである「公衆衛生の徹底」を痛感した。

目の病気に悩む
被災者が多い


 一方、避難所で診療して気づいたのが、眼の病気に悩む被災者が多いことだ。避難所の通路は乾いた泥が舞い上がり、目に異物が入ることも多くなっている。不潔な手で埃の入った眼をこするため、眼の感染症が増えているのだろう。

 また、避難所には高齢者が多く、白内障の薬も必要だ。

 巡回診療中に「眼科の先生はいつ来るのか?」と問われることがあった。

 我々も神奈川県からたくさんの薬を持参したが、目薬は盲点だった。

 被災地では市販の目薬でも重宝されるので、今後は眼科系疾患にも十分に備えたい。

十人力の働き
「チーム・ヘルスケアクリニック厚木」


 この避難所の救護室にはすでに看護協会から派遣されている看護師が2名いた。

 そこで、私以外のJMATチーム2人は、避難所内のアセスメント(衛生環境や電気・ガス・水道等のインフラ状況のチェック、要介護の高齢者の有無、産科・小児科ニーズの調査)を担当した。

 我々のチームは、医師である私のほか、放射線技師の遠藤と、事務員の成澤から構成される。遠藤は通常、レントゲンの撮影などの業務を行っているが、被災地では、レントゲンフィルムの読影サポートと患者の運搬等を担当し、医師が見落としかけた救急患者の中手骨骨折を指摘するなどしてくれた。

 一方の成澤は普段、事務部長として勤務しているが、被災地では神奈川県医師会との折衝やワゴン車の運転や宿泊先の手配、現地でのガソリンや食料調達など医療チームの生活支援を担当した。

 神奈川県医師会を通じて派遣された「チーム・ヘルスケアクリニック厚木」では、そもそも自分たちの専門領域を超えて十人力の活動をしてくれたことが、今回の災害医療支援活動の大きな成果につながったと思う。

医師や看護師でなくても
できる支援活動がある


 たとえば積極的に被災者に声掛けをして被災地のニーズ調査をしたり、避難所で妊娠中や病気の人がいないか探したりすることは、医師や看護師でなくてもできることだ。

 医師の指示の元でこういった業務外のことに積極的に取り組んでくれるメンバーを集めることが、JMATなどのチーム編成で、重要なポイントだろう。

 我々の災害医療支援活動は、これでいったん終了し、神奈川県に戻ることになった。

 次回はこれまでを振り返り、これからの災害医療支援活動について何点か提言できればと思う。



http://www.rbbtoday.com/article/2011/03/28/75567.html
【地震】医師の42%、今後震災の影響で患者にPTSDと予想……QLife調べ
2011年3月28日(月) 16時15分

 QLife(キューライフ)は28日、東北地方太平洋沖地震の発生を受け、「大震災の医療現場への影響実態調査」の結果を発表した。対象者は、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の医師252名(診療所開業医82人、病院勤務医 170人)調査期間は24日~25日。

 まず「大震災に関連すると思われる“心因的な病状悪化”が見られる患者さんはいますか」という質問には、55%が「見られた」と回答。東京でも57%が「見られた」と回答しており、直接の被災地ではない地域においても精神面へのダメージが見られる患者が多いという結果となった。

 また「心因的な病状悪化」があるとする患者の属性/類型を、「小児」と「大人」のそれぞれについて尋ねたところ、「小児」では「喘息」や「発達障がい」の患者に多いという結果に。男女や年代での傾向は見られなかった。また「大人」では、女性が圧倒的に多く、年代別では高齢者が多いという結果になった。印象的であった症例として、「不眠」「めまい・浮遊感」「血圧の上昇」の順で多くあげられた。

 患者の不安を軽減するために、トランキライザーなどの向精神薬を新たに処方または増量したという医師は34%だった。患者の不安の原因としては、「余震が続く」(19.8%)、「悲惨な映像が繰り返される」(13.5%)、「震災に関して漠然と」(9.1%)、「被災地域に肉親や知人がいる」(7.9%)などとなった。

 また主な被災地域でないにも関わらず、自分の患者に「今後PTSD(心的外傷後ストレス障害)が見られる可能性」については、13.1%が「ほぼ確実」、29.0%が「可能性は高い」、42.9%が「可能性は低い」、15.1%が「おそらくゼロ」と回答した。
《RBB TODAY》



http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138576&servcode=A00
「自衛隊・警察・消防指揮する危機管理指令塔が必要」(1)

3月11日に発生した東日本大地震と津波による日本の被害規模は、死者・行方不明者が2万7000人以上、被災者は50余万人にのぼる。 大地震発生直後、日本政府の危機管理システムはどう作用したのか。 22日、日本の代表的な軍事アナリスト、小川和久・国際変動研究所理事長(65)に会い、自然災害に対応して日本が構築すべき危機管理体制の方向を尋ねた。

--東日本大地震発生直後、菅直人首相は真っ先に「自衛隊5万人の兵力を動員する」と明らかにした。 これまで動員された自衛隊兵力は計10万人を超える。 菅首相の緊急対策をどう評価するか。

「消防と警察は陸上競技に例えると短距離選手だ。 全国どこにでも配置されている。 これに対して軍事組織、軍隊はマラソン選手のようだ。 どこにでも駐屯する存在ではない。 駐屯地から被災地域が遠ければ遠いほど到着するのに時間がかかる。 中央政府の指示があってこそ動ける組織でもある。 菅首相が最初に5万人と述べたのは相当な決断であり、評価に値する。 しかし自衛隊だけでなく現地の人的資源、例えば消防・警察・地方自治体をどう活用すべきか、また必要な救援物資を的確にどこにどの程度投入すべきかを判断する指令塔が存在しなかった」

--中央で一括して指揮するシステムがなかったということか。

「私は安倍晋三(06年9月-07年9月在任)首相当時、首相官邸の国家安保に関する機能を強化するための‘官邸機能強化会議’の委員として活動し、国家安保会議(NSC)と危機管理庁(FEMA)の必要性を主張した。 しかし官僚の90%以上は現システムでも災害や戦争に対応できると政治家らに話した。 いくら専門家といっても、災害や戦争現場にいれば何も考えられない。 しかしさまざまな分野にわたり知識を備えた人が災害地域から離れたところで客観的に判断できる状況なら、さまざまなアイディアを提示できる。 今回も各分野の専門家10人ほどの指令塔を構成したとすれば、より効率的に対応できただろう」

--10人はどんな人たちか。

「リーダーは警察・消防・地方自治体などに関する情報を持っている危機管理通でなければならない。 陸海空自衛隊と警察・消防・海上保安庁・総務省・農林水産省・国土交通性・厚生労働省などで課長級エリートを選抜するのがよい」


http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138577&servcode=A00§code=A00
「自衛隊・警察・消防指揮する危機管理指令塔が必要」(2)

--菅内閣が初期対応で失敗した部分があれば。

 「人材をきちんと動員できず遊ばせたという点だ。 大抵の被害地域は人工衛星や偵察機で把握が可能だ。 首相官邸の司令チームは地震発生直後、陸上自衛隊のOH-6小型ヘリコプター20機ほどを被災地域に飛ばし、情報を収集しなければならなかった。 これを通じて被災住民の規模を把握し、被災者を助ける陸上自衛隊員と医療陣、医薬品、救護物資がどれほど必要かを具体的に判断し、すぐに指示を与えなければならなかった。 次は陸上自衛隊の6機の大型ヘリコプターCH-47を被災地域に往復させれば、日本のどの地域でも2-3時間で兵力を投入できる。 CH-47には55座席があるが、非常時にはこれを除去して全員立って出動するため、1機で125人を運べる」

--地震発生から1週間が過ぎても被災地域に救護物資が行き届いていなかった。

「近代国家ではありえないことだ。 全般的な現況把握さえできていないからだ。 自衛隊も、民間(企業・救援物資提供)も能力があったが、フル稼働できなかった。 陸上自衛隊の場合、250機のヘリコプターがあるが、半分も動けなかった。 原発の大量放水作業も同じだ。 すでに地震発生翌日の12日、最精鋭消防部隊である東京消防庁のハイパーレスキュー隊が現地に入ろうとしたが、放射能対応装備がそろわず保留となった。 結局、18日に現場に入った。 政府は(核対応能力がある)自衛隊に支援を指示し、ヘリコプターで現地に投入するべきだった。 東京消防庁はヘリコプターが6機しかない。 政府は情報が上がってくるのを待ってはならない。 事態が発生すればすぐに自衛隊をはじめとする専門家を集め、情報を収集し、これをもとに即時に対応策を指示できなければならない」

--菅首相は今後どのように危機局面を収拾するべきか。

「首相は柔軟な姿勢で政策をとる必要がある。 専門家が予想する‘大地震’に対応できる危機管理指令塔を構築しなければならない。 復元とともに今後の被災に対応する、そして日本の国家づくりの下絵を描かなければならない」



http://jp.wsj.com/Economy/Global-Economy/node_211294
【コラム】先進国、次の新たな危機には対応できない可能性
* 2011年 3月 28日 16:07 JST

 日本と欧州の危機によって生じた財政の緊張は、深刻化する問題を浮き彫りにしている。つまり、先進国は、新たな惨事が起きた場合、そのコストに対応できなくなりつつある、ということだ。

 日本と欧州は、まったく異なる危機に直面している――ひとつは自然がもたらした危機、もうひとつは人為的な危機だ。しかし、財政上の観点からすると、「災害」を抑えるコストがすでに逼迫状況にある政府の財政を拡張するという点で、それらは非常によく似ている。先進国の中で最も高い水準の債務を抱える日本で、それがどんな結果を招くのかはまだ不透明だ。欧州では、近くポルトガルが救済を求める最新の国となる可能性がある。

 日本とポルトガルの問題は、より大きな意味を持つ。先進国が国民と投資家、銀行、企業を「災害」の痛みから守る責任を果たそうとすると、財源を極限近くまで使ってしまう。もしそうなれば、次に大きな危機に見舞われた時、対応手段がなくなる可能性がある、と一部のエコノミストは指摘する。

 「新たな危機に耐えられるか、と聞かれれば、答えはノーだ。多くの国で、システムを再度救済することのできる政府は、単に存在しない」と2003年から 07年まで国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストを務めたシカゴ大学のエコノミスト、ラグラム・ラジャン氏は言う。

 ピーターソン・インスティテュート・フォー・インターナショナル・エコノミクスのカーメン・ラインハルト氏とハーバード大学のケネス・ロゴフ氏によると、2010年時点で、先進国の中央政府が抱える債務の年間経済生産に対する比率の平均は74%と、1970年の3倍以上となっている。これは第2次世界大戦後以来の高い水準だ。

 先進国の政府が危機の際に果たす役割が様変わりするなかで、債務は増加した。政府は、海辺の町の再建から銀行や民間企業の債務保証まで、すべてのコストを引き受け、「最後の保証人」としての介入を強めてきた。米政府が連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディ・マック)を実質管理下に置いた後、政府債務が急増したことが示すように、とりわけ金融危機の際に政府債務は著しく増加する、とラインハルト氏は指摘する。

 一方、先進国の支払い能力は低下している。成熟経済の成長率は新興国のそれを下回り、高齢化では、増え続ける医療・年金を支える収入もままならない。税金で手当てしようとしても強固な政治的反対に直面する。

 ロゴフ氏は、「政府が常に救いの手を差し伸べてくれるという期待がある。その一方で、税金は常に低いままだと思われている。これは矛盾している」と指摘した。

 各国政府がどの程度債務を増やせるかについて具体的な数値を知るのは困難だが、IMFのエコノミストはそれを試みた。IMFは最近、先進23カ国の政府が過去にデフォルト(債務不履行)に陥ることなく対応した債務の最高水準を調べた。そのうえで、IMFの金利予測や実際の債務水準を使って、各国政府が極限に達するまでにあとどの程度の債務に耐えられるかを試算した。

 その結果、日本、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、アイスランドの5カ国は、すでに極限に達している。つまり、これらの国は、債務を抑制するためにはこれまでにない厳しい手段を取る必要がある。他の国も、安心できるということではない。たとえば米国は、国内総生産(GDP)の51%に相当する債務を増やすことがまだ可能だ。しかしそれは、是正措置を講じなければ、埋めるのに約15年かかる赤字だ。

 IMFの試算は、日本が震災に見舞われる以前、欧州の指導者が新たな救済基金で合意する以前に行われたものだ。現段階の予想では、復興コストは、現在約 226%となっている日本の政府債務の対GDP比率をさらに数%ポイント押し上げる可能性がある。また、欧州の救済基金により、現在約84%のユーロ圏の政府債務の対GDP比を6%ポイント程度押し上げる公算だ。

 これがもたらす結果は安堵できるものでは到底ない。最悪のシナリオは、債務水準に対する投資家の懸念が金融危機を誘発しても、政府が対応手段を持たないという事態だ。

 一方、政府には、貸し手に犠牲を払わせて債務負担を軽減する方法も数多くある。米国や英国など、独自の通貨を持つ国は、インフレを通じて債務を減らすことができる。政府が銀行や年金基金、その他の金融機関に、比較的低利の国債の引き受けを強制または説得することも可能だ――これはアイルランドですでに見られた事象だ。(アイルランドは特別な長期債を年金基金に購入させる計画を発表した)

 しかしながら、政府が収支をバランスさせようとしないかぎり、苛酷な措置は長期間維持できるものではない。それには、何をすべきか、いかに返済するかに関する広範な再考が必要になる。たとえば、銀行や個人が抱えることのできる債務を制限することは、最もコストのかかる種類の危機、つまり金融危機の可能性を低くし、起きたとしても危機の程度を抑えることに大いに役立つ、とのエコノミストらは指摘する。

 とはいえ、先進国は、「増税」か「寛容ではない救済」――もしくはその両方を受け入れる以外に、道はもう残されていないのかもしれない。

記者: Mark Whitehouse



http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=276831&lindID=1
キューライフ、「大震災の医療現場への影響」の実態調査結果を発表

「大震災の医療現場への影響」実態調査


 東北地方太平洋沖地震は、今もなお(2011年3月28日現在)災害拡大が続いています。歴史に例を見ない大災害は、被災者以外の生活・心理面にも大きな影響を与えています。
 そこでQLifeは、茨城県を除く関東地方の医療現場に、「大震災に起因する患者の病状悪化」状況を確認しました。

 その結果によると、直接大きな被害を受けていない地域でも、半分以上の医療現場で「震災で心因的な病状悪化」した患者さんが見られました。大震災による「心因的病状悪化」は、「女性」「高齢者」の患者に多く、小児では「喘息」「発達障害」の悪化、大人では「高血圧」「うつ」「不眠症」の悪化が多く見られました。また、3分の1の医療現場で「向精神薬の処方」が増えた患者さんがいます。その原因不安は、「余震が続く」が1位、「悲惨な映像」が2位でした。実体験でなくとも映像によって精神的影響を受けた患者さんも少なくないという結果でした。
 さらに、42%の医師が、今後、自分の患者さんのなかでPTSD(※)を生じる人がいると予想しています。過去にPTSDの症例経験がない医師も多いと思われるため、(そもそもPTSDとは何かを含めて)医療者間での診療ノウハウの早期共有が望まれます。

※「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」とは…危うく死亡・重症に至るような出来事を経験した後に、不安・不眠やパニックなどの症状が、一か月以上継続する、精神的な病気。(症状が1か月未満の場合は、PTSDではなく、ASD=急性ストレス障害に分類)

1.「東北地方太平洋沖地震」の発生以来、【過去10日間】で、大震災に関連すると思われる「心因的な病状悪化」が見られる患者さんはいますか。

 茨城を除く関東地方(1都5県)全体で、55%の医療現場において、「心因的な病状悪化」の患者さんが見られた。東京でも、57%の医師が、大震災影響での病状悪化症例を診ている。

 病状悪化は、「子供」だけに限らない。むしろ「大人」に認められるとする医師の方が多い。また、「病院」よりも「診療所」の患者さんに、影響を受けている患者さんが多い。

2.大震災関連の「心因的な病状悪化」が多い患者さんの、「属性/類型」傾向を教えてください。

 どんな患者に「心因的な病状悪化」が多いのか、その属性/類型を聞いたところ、【小児】では、喘息や発達障害の患者に多いようだ。あまり性・年齢による傾向は強くない。

 一方、【大人】では、「女性」「高齢者」に多いとの傾向が顕著であった。また、「高血圧症」や「うつ」を患っている患者に多い。「独り暮らし」で、再び大地震が来たらどうしたらよいのか、と不安が強まって持病を悪化させている患者も多い。

◆「心因的な病状悪化」が多い【小児】患者の属性
 性別:男女による多寡報告はほとんどない
 年齢:年代による多寡報告はほとんどない
 持病:「喘息」、「発達障害」の患者に多い
 ※“【小児】に心因的病状悪化が見られる”とした医師45人の回答から読み取り集計

◆「心因的な病状悪化」が多い【大人】患者の属性
 性別:「女性」が圧倒的に多い
 年齢:「高齢者」が多い
 持病:「高血圧」「うつ」「不眠症」が多い他、精神疾患名を挙げる医師が多い
 その他:「独り暮らし」「もともと心配性・神経質」が多い
 ※“【大人】に心因的病状悪化が見られる”とした医師134人の回答から読み取り集計

*以下、調査の詳細は、添付の関連資料を参照
● 関連リンク
* (株)QLife ホームページ http://www.qlife.co.jp/

● 関連資料
* グラフ
* 調査の詳細



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38724
夜の避難所診療体制が手薄…開業医に重い負担

当直交代など支援必要

 避難所の夜間の診療は被災者でもある開業医任せの例が多く、昼間よりも手薄なことから、日本プライマリ・ケア連合学会などは、夜間の診療支援を手厚くし、地元開業医の負担を軽くする必要性を訴えている。

 宮城県気仙沼市で整形外科医院を開業していた志田章さん(51)は、医院が津波で被災し、スタッフと同市総合体育館に避難した。白衣姿だったため、支援に来たと思われ、そのまま診療を開始した。

 日中は多くの医療チームが来てくれるが、夕方には宿舎に戻るため、18日までは避難所の当直医師は志田さんだけだった。見かねた同学会や自治医科大のグループが当直を交代した。

 志田さんは「おかげで安眠でき、体を休ませられた」と話す。同市内の他の避難所でも同様の例があったため、同学会などが当直を交代した。

 同学会から現地派遣された順天堂大の内藤俊夫准教授は「被災した開業医の負担を減らさないと、自分の診療所を再建できない。地域医療の再生を念頭に置いた支援が大切」と話す。

(2011年3月28日 読売新聞)
  1. 2011/03/29(火) 06:10:21|
  2. 未分類

3月27日 震災17日目

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20110326-OYT8T00965.htm
東日本巨大地震 避難所生活「想像絶する」

医師ら大槌町から帰還


 東日本巨大地震で未曽有の被害を受けた岩手県大槌町の避難所で、住民らの健康管理を支援した宮崎市保健所の医師や保健師ら4人が、帰還した。「想像を絶する光景だった」と話し、避難所での生活や住民の様子を振り返った。(饒波あゆみ)

 「私たちには帰る場所があるが、住民はずっとここで生活するんだな」。市保健所副所長で医師の伊東芳郎さん(41)は、避難所である町中央公民館を離れる際、後ろ髪を引かれる思いだった。18日から5日間、伊東さんたち4人は公民館で寝泊まりしながら、住民の衛生管理や健康管理に従事し、23日に帰ってきた。

 公民館は、町内にある13避難所のうち、2番目に多い約500人が生活。食事の配給は1日2回しかなく、朝に少しばかりのサケや卵が入った軟らかいご飯が紙コップ1杯、おにぎりと菓子パンが一つずつで、夜はカップめんなど。伊東さんらは食料を持参していたが、住民と同じように1日2食で過ごした。

 水が通っていない避難所ではバケツのような容器がトイレ代わりになっており、衛生状態は悪く、住民らの生活スペースにも臭いが広がったという。手が洗えないことも問題で、伊東さんは持ち込んだ消毒液でトイレを掃除をしたり、ウエットティッシュや消毒用アルコールで手を清潔にするよう呼びかけたりした。しかし、こうした衛生用品は不足していたという。

 保健師の久枝恵子さん(56)と中森愛さん(35)は住民の血圧を測ったり、爪を切ってあげたり、避難所に来ていた沖縄県の医療チームを受診するよう促したりした。「振り返ると、一緒に逃げていたはずの娘がいなくなっていた」「家の鍵は持っているけど、帰る家がなくなった」。久枝さんらは住民と接し、話をするたびに胸を痛めた。事務職員の日高健一主査は、住民や町職員から「宮崎も口蹄疫(こうていえき)や新燃岳などで大変なのに」と言葉をかけられ、「温かい心遣いに、こちらが元気づけられた」と振り返る。

 「ここを離れたら、家族の安否情報が入らなくなる」「車のガソリンがなくなり、遺体確認に戻れなくなる」。そう言って避難所に残る住民も多い。伊東さんは「よく、内陸に避難した方がいいと言う人がいるが、そんな簡単な話ではない。町を離れられない人もいるという前提で支援しなければならない」と強く語った。
(2011年3月27日 読売新聞)



http://www.sankei-kansai.com/2011/03/27/20110327-051182.php
「避難所の片隅、声出せぬ障害者」 兵庫県医師会訴え

 東日本大震災の被災地で医療活動を行うため、宮城県石巻市に医療救援チームを派遣している兵庫県医師会の先遣隊(第1陣)が帰還し、26日、会見を開き、「身寄りをなくしたり、声をあげられなかったりする障害者らが避難所にいる」などと訴えた。また津波で義足を流された男性を近く神戸に受け入れ、新しい義足の作製とリハビリを支援することも発表した。

 川島龍一会長は、「発生から2週間が経過しても、薬などの物資不足が続いており、阪神大震災とは大きく異なる」と指摘。医師会として「避難所の片隅で、声も出せずにいる方々を見つけていきたい」と訴えた。

 同会がケアする男性は石巻市の避難所にいる斉田道男さん(60)。津波で妻を失い、左足の義足も流されたため、29日に県立総合リハビリテーションセンター(神戸市)に受け入れるという。

(2011年3月27日 05:25)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20110326-OYT8T00782.htm
「被災者、心にも傷」派遣医師語る

 東日本巨大地震の被災地では、県内からも多くの人が支援活動をしている。DMAT(災害派遣医療チーム)の一員として、地震発生直後に被災地へ入った金沢医療センター(金沢市)の太田安彦呼吸器外科部長(50)もその一人だ。太田医師は「被災者は体の傷だけでなく、心にも傷を抱えている」と話す。現地での活動を聞いた。(加藤哲大)

 DMATは、専門の訓練を受け、災害の急性期(発生から約48時間以内)に活動する医療チーム。太田医師は2009年8月に資格を取得、今回が初めての出動となった。不安もよぎったが、高校1年の長女から「1人でも大勢の人を救ってください。パパは私の誇りです」とのメールが届き、背中を押されたという。

 チームは地震当日の11日夕に金沢を出発。12日早朝から13日夜まで、仙台市の仙台医療センターなどで診療した。病院には、ぬれた体で低体温となったり、体を負傷したりした人たちが次々と運ばれてきた。

 太田医師は患者の状態を見極め、施す医療を判断する「トリアージ」作業を担当した。トリアージでは重症者を「赤」、軽症者を「緑」など色で表す。当初は軽症が多かったといい、「助かって無事か、亡くなるか両極端だったのだろう。『赤』の患者が続々と来る通常の現場とは違った」と振り返る。

 同センターも、地震の被害を受けていた。簡単なレントゲン検査しかできず、コンピューター断層撮影法(CT)などの装置は使えない。転送が必要な患者は、止血などの応急処置をして送り出した。

 その一方、治療を拒む患者もいた。「ここから動きたくない」。泥だらけの服に、多数の傷口から出血している中年男性。転送を告げたが、男性は「家族の安否が分からない。自分だけ助けられても仕方がない。動きたくないんです」と断ったという。

 太田医師は「命を救う災害医療に携われて良かった。ただ患者さんは体の傷以外に、心の傷も抱えている。生きる意味を考えさせられた」と語った。
(2011年3月27日 読売新聞)



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33305.html
宮城の医療連携、再構築の糸口見えず- 関係者ら「慢性期医療への支援を」

 東日本大震災が発生して2週間余りが経過し、被災した宮城県内の医療機関にも支援物資が行き渡り始めた。ただ、病状が安定し始めた患者を受け入れる慢性期病院は、未だに十分な機能を果たせないまま。周辺の後方病院を丸ごと失ったため、機能不全に陥る中核病院もあり、地域の医療機関は連携再構築の糸口を見出せずにいる。

■届き始めた支援物資

  3月26日午前9時、仙台市太白区にある杜都千愛病院に、日本慢性期医療協会(日慢協)からの支援物資を積んだトラックが到着した。この日届いたのは医薬品や紙おむつ、栄養剤など約8トン。同病院をはじめ、この地域の周辺で慢性期医療を手掛ける6病院に送られた物資だった。

 職員と共に物資の荷降ろしを行った安カ川鈴美事務部長は、「外部から支援物資が届き始めたのは、先週末くらいから」と語る。
  11日の地震発生時、杜都千愛病院や系列の杜都中央病院(仙台市)にはそれぞれ数日分の食糧の備蓄があった。しかし、それから数日間は、停電などの影響で外部との連絡が付かず、新たな食材確保の見通しも立たなかった。そのため、患者の一日当たりの食事の総カロリーを半分以下に減らしてしのぐほかなかったという。

■このままでは「院内で凍死も」


 地震発生から2週間余りが経過した現在では、電気も水道も回復した。外部との連絡も取れるようになった。
 ただ、ガスの供給再開は遅れており、暖房施設も動かすことはできない。このため、杜都千愛病院や杜都中央病院では、臨時の暖房器具としてストーブを用意したほか、ペットボトルにお湯を満たした即席の湯たんぽを利用者に配るなどの対策を講じている。

 しかし、ストーブだけでは広い病棟内を十分に温めることはできない。特に杜都千愛病院では認知症患者が多く、暖房の切れた病棟内を普段着のまま徘徊した結果、肺炎を発症するケースも出た。そのため現在では、ストーブを集中的に配置した区域内に患者の移動範囲を限定している。

 それでも、安カ川事務部長によると「うちはまだ恵まれている方」という。今後は、被災地で慢性期医療を支える病院や、老健施設などへの支援を強化する必要があると安カ川事務部長は訴える。
 「津波で大きな被害を受けた沿岸部の病院や老健の中には、支援物資や燃料がまだ十分に届いていないところもある。このままでは、病院や老健施設にいながら低体温と低栄養で凍死したり、持病が悪化したりする人も出かねない」
 宮城県医師会の佐藤和宏常任理事も、「(現地で必要な医療は)慢性期に移りつつある」と指摘する。

■急性期病院「手術や検査」に対応できず、災害対応が足かせ

 慢性期病院への支援強化を望む声は、津波で甚大な被害を被った沿岸部の急性期病院からも上がっている。
 県内の拠点病院の一つ石巻赤十字病院(石巻市)の担当者は、地震による直接的な被害は少なかったため、外科的な治療が必要な患者は少なかったという。「生か死かで、真ん中がなかった」と振り返る。

 同病院には現在、高齢者を中心におよそ380人が入院しているが、このうち約10分の1を占める急患患者には、誤嚥性肺炎やストレスによる胃潰瘍など、地震後の避難生活による影響が色濃く出ている。ただ、市中心部が津波で壊滅的なダメージを受けたため、本来なら容体が安定した患者を送り出すはずの周辺の慢性期病院や診療所はほとんど機能していないのが現状だ。「超急性期医療をカバーするうちの病院だけが残っても、後方病床がない」と、この担当者は嘆く。

 宮城県医師会の佐藤常任理事は、急性期病院が未だに災害対応を強いられている状況を問題視する。
 「地震前から予定されていた検査や手術が延期されたままになっている。それぞれの役割を仕分けした上で、(各病院が)本来の業務に戻らないと、うまく回らないのではないか」

( 2011年03月27日 00:19 キャリアブレイン )



http://diamond.jp/articles/-/11614
雪降る中の現地入り
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌①


3月11日に発生した東日本大震災。多数の死傷者が出て、壊滅的な打撃を受けた被災地・石巻の赤十字病院へ、日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として派遣された30代医師の現場レポートを、可能な限りリアルタイムに更新していく。災害そして医療の現場で、日々何が起こっているのか。

3月24日 深夜の現地入り


 日本医師会が派遣する災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)の一員として、神奈川県医師会から宮城県の石巻赤十字病院に派遣されることになった。JMATとは、医師や看護職員、事務職員(運転手)等で構成される災害医療チーム。3日~1週間程度、岩手や宮城、福島、茨城の各県に滞在し、現場の医療チームをサポートするのが使命だ。

 医療者として少しでも被災地の方々のお手伝いが出来たらと思い志願した、いわゆる「ボランティア医師」である。

 我々のチームは、医師と放射線技師、事務職員の3人。3月23日(水)の21時ごろに神奈川県厚木市を出発し、24日(木)の午前3時20分ごろに石巻市に到着した。出発時は、雪が降っていたので渋滞になるかと思ったが、予想していたよりは高速道路は空いていた。

 仮眠を取った後、午前6時に石巻赤十字病院に入り、7時から現地の医師とミーティングした。すでに全国の赤十字病院、都道府県医師会、その他医療機関から、約40の医療チームが現地入りしているらしく、東京からもJMATのチームが参加していた。

直接外傷を受けた人は少ないが…


 我々のチームに最初から何か役割が与えられているわけではなかった。現場の医師からは「どういう医療サポートが出来るか?」と尋ねられたので、「避難所の人たちの健康管理を支援したい」と答えた。他には、病院に残って、急性期の患者の治療をサポートする選択肢もあったが、やめた。今回の大震災は通常の地震とは違い、地震や火事で直接外傷を受けた人は少ないと聞いたからだ。

 避難所にいる人たちの健康管理でポイントとなるのが、慢性疾患と心のケアだ。外傷は少ないものの、精神的に大きなダメージを受けているうえ、長期間にわたる避難生活で疲労も蓄積しやすい。比較的日中は、避難所にいる人たちも外出していることが多いと聞いたので、自宅で避難生活を送っている人たちを戸別訪問して、健康に関する悩みを聞いていこうと思う。石巻赤十字病院でも、避難所以外の人たちが健康に関するどのような悩みを抱えているのか、十分には把握できていないのが現状らしい。

今足りないものは、小児用シロップ容器


 石巻市では、石巻赤十字病院以外に機能している基幹病院がないという。この病院のように、電気やガス(一部)、水道が開通しているところもまだ少ないようだ。全国から石巻市宛に送られてくる薬剤の大半はここに集められ、被災者の治療のために使われている。

 薬剤師からは、小児用シロップ容器(30~100ミリリットル)が足りていないという話を聞いた。現場の医師によると、便秘や花粉症などの症状で悩む被災者は多いものの、「症状が軽いから」と自ら治療を願い出る人は少ないという。

 まだ到着間もないため、具体的に何もできていないが、できるだけ被災者の人たちが健康になるよう支援していきたい。



 このようにとりとめのないレポートになってしまうと思うが、できる限り、我々ボランティア医師ならびに医療関係者が被災地の現場で一日何をしているのかを、包み隠さず皆さんにお伝えしたい。自分に与えられた時間は、極力現地での医療活動に充てたいと考えているため、日誌形式になってしまうことをお許し願いたい。

 刻一刻と状況が変化している被災地。私自身、まだ「全体像」はつかめていない。大震災と立ち向かっていくのは、これからである。

 被災地の現場、とりわけ医療の現場で何が行われているのか。被災地の人々の暮らしはどうなっているのか。

 被災地の「今」を知る一つの情報をとして、この「業務日誌」が皆さんのお役に立てれば、またこの記事を読んだ関係者の皆さんが「次の一手」を判断する手がかりとなればと思う。

■3月24日(木)

AM3:20 宮城県・石巻(現地)到着
仮眠
AM6:00 石巻赤十字病院に入る
AM7:00 現地医師とミーティング、活動開始


http://diamond.jp/articles/-/11631
津波前後、犬に噛まれて化膿した被災者たち
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌②


樹木も住宅の基礎もない、
かつての絶景スポット


 我々の医療チームは、そもそも厚木市にある「ヘルスケアクリニック厚木」に勤務する医師と放射線技師、事務員で構成されている。今回、神奈川県医師会が、日本医師会による災害医療チーム「JMAT」(ジェイマット)に参加する医療チームを募集していたので、当クリニックがそれに応募。宮城県の石巻赤十字病院に派遣されることになった。

 災害支援初日の今日は、石巻赤十字病院で朝7時にミーティングを開き、午後からの医療支援を前に石巻市内全域を視察することにした。同病院の災害対策本部の医師から教えてもらった石巻市の日和山公園に向かう。

 同公園は、石巻市内を一望できる絶景のスポットとして、宮城県のガイドブックにも載っているという。この時期は、梅や桜が咲き、花見客も集まってくるそうだ。

 そこへ車で向かうと、ガイドブックとは対照的な光景があった。

 境界線で区切られたようにある地点から建物がすべてなぎ倒され、更地のようになっている。樹木はおろか、住宅の基礎すらも流されているのが分かった。

 かつての市内の絶景スポットは、津波の大参事をまざまざと映し出していた。我々神奈川県医師会JMATチームは言葉もなく、ただ手を合わせて祈ることしかできなかった。

多かったのが、
脱水症状からくるめまいや疲労感


 無念な思いを胸に石巻赤十字病院に戻ると、救急外来患者が増えているとのことだったので、急遽そちらのサポートに回ることになった。救急外来といっても、外傷を化膿・悪化させてしまった被災者や、急に立ちくらみや失神を起こした患者など、通常の病院ならば一般外来に回るべき人たちであふれていた。

 患者たちは、救急外来のエリアではなく、待合室に10床ほど用意されたベッドに直接運ばれた。

 通常ならば座っての問診後、ベッドに移動してもらうところだが、そのスペースと時間がないため、ベッドに直接横になってもらい、診察と治療を行った。野外病院のようだ。

 病院を訪れる患者の多くは、70歳以上の高齢者だ。

 中でも多かったのが、脱水症状からくるめまいや疲労感だ。

 避難所での生活では、トイレが簡易式ということもあって飲食を控えたり便を我慢する例は少なくない。寒さの影響もあって、積極的に水分を取りたくないということもあるだろう。

 また、日常ではあまり見られない例として、意外にも「犬噛傷=犬にかまれた」という例があった。詳しい状況を聞いたわけではないが、津波の前後に犬に噛まれ、そこが化膿したため処置をするケースが、数件あった。

 このほかには、津波の中を裸足で歩いたせいで足の裏に傷を負ったという患者や、避難所で肺炎を起こした患者、高血圧・高脂血症・糖尿病といった慢性疾患を悪化させた患者が目立った。

飲んでいた薬が
わからない


 高齢者を取り巻く医療上の問題としては、服用していた薬が分からなくなっているケースがある。

 自宅が被災した場合、薬ごと津波に流されている。高齢の患者が、自分が普段から服用している慢性疾患の薬の名前を憶えているケースは、それほど多くない。そこで薬剤師が、患者から疾患名を聞き、覚えている範囲で薬の特徴を教えてもらいながら、服用していた薬を当てている。

看護師が足りない。
インスタント麺は食べられない


 当チームは、7時~18時の勤務体制で医療ボランティアを行っているが、もともと石巻赤十字病院で働いている医師たちは、病院の敷地内にある駐車場にテントを立てたり、医局や診察室に寝袋を持ち込みながら夜勤をこなしている。

 各地から医師を中心としたボランティアチームが駆けつけているために比較的医師は多いが、看護師の数は通常の病院に比べて少ない印象を受けた。そこで我々のチームでは、同行した放射線技師や事務員などに雑用をお願いし、いわゆる「看護助手」として看護師をサポートしてもらった。

 現在のところ、現場の医療チームの食事や飲料は充足しているように見えた。ただ、ガスがまだ一部しかつながっていないため、レトルトカレーやインスタント麺などが届いても食べることができないようだ。

 今日は我々のチームも昼食の機会を逸してしまったので、明日は少し工夫したいところだ。

※編集部注記:医療の現場でも「火を使う食事はとれない」とあるが、宮城県・石巻市では、1日 1食ないしは2食の食料の配給しかない、深刻な食料不足に直面している避難所もある。パンやおにぎりなど、すぐに食べられるものを支援してほしいとのことだ(2011年3月25日現在)。

■3月24日(木)
午前 宮城県・石巻市の日和山公園を視察
昼食なし
午後 石巻赤十字病院にて診療・治療活動


http://diamond.jp/articles/-/11639
海水の引かない道を進み、
瓦礫の山を登りつつの戸別訪問
――被災地に入ったボランティア医師の奮闘日誌③


日中の避難所は
人影がまばら


 災害支援2日目の今日(3月25日)は、石巻市内の住宅を戸別訪問することになった。

 朝7時から石巻赤十字病院内の災害対策本部で開かれたミーティングでは、ある避難所に訪問することになっていたが、そこに行くとすでに地元の医師会等で結成されたチームが診療していた。

 いったん石巻赤十字病院に戻って再び指示を仰ぎ、被害の大きい海沿いの石巻市不動町~湊町の各家庭に回ることになったのだ。

 被災地というとイコール「避難所」という印象が強い。避難所となった小学校や公民館を巡回するだけならこれほど多くの医療チームは必要ないだろう。天気が良いと被災者たちは昼の間だけ避難所を離れ、自宅付近で家財道具を探したり行方不明者を訪ね回ったりしているので、日中は避難所も人影がまばらだったりするからだ。

各家庭を回る、
「医療版御用聞き活動」の開始


 現地に来てわかったことがある。

 被災者の中には、住宅の1階部分のみ被災したので2階で生活をしている人もいれば、津波には襲われなかったものの電気や水道といったライフラインが壊滅的な人もいる。そのような被災者たちが積極的に医療支援を求めているかというとそうではない。

 中には、慢性疾患の悪化に悩みながらも「病院の手を煩わせたくない」と我慢している人もいれば、持病のために自宅から出られない患者もいる。石巻赤十字病院でも、これら顕在化していない患者たち(=患者予備軍)がどの程度いるのか把握しきれていないのだ。

 そこで我々のJMATチームは、受け身で患者を待つのではなく、被災地の各住宅を訪問して病気やけがで苦しんでいないのかを訪ね回る「医療版御用聞き」をミッションとして、目的地へ向かうことになった。

いまだ海水の
引かない町


 写真を見ると明らかだが、メインストリートから1本路地を入ると、道はぬかるみ、いまだ津波の海水もひいていない状況だった。昨日の病院勤務で羽織っていた白衣を脱ぎ、神奈川県医師会から貸与された防災服に身を包んで長靴に履き替えて、車を降りた。

 もう1枚の写真を見てほしい。これは住宅の中に信号機が設置されているのではない。

 ともに津波に流されてここにたどり着いたものだ。だが、こんな住宅にさえも、被災者が身を寄せ合うようにして生活している。

 外から見ただけでは、そこに人が住んでいるかどうかわからない。そこで、がれきに気を付けながら住宅付近に行き、「誰かおられますか?」と声をかけるわけだ。

 瓦礫の山を登りつつの戸別往診。錆びた釘が多数出ているので、慎重に歩かねばならない。

 高齢者が毎日踏み分けて歩きながら生活している人のことを考えると、心配になる。

「大丈夫です」と
気丈にふるまうが…


 宮城県の気質のせいか、こちらから声をかけても「お疲れさまです。私たちは(健康ですから)大丈夫です」という。

 だが、具体的に「薬は十分ですか?」「切り傷・擦り傷は大丈夫ですか?」「便秘や風邪で悩んでいませんか?」と聞くと、ようやく「実は、以前から服用していた薬が切れてしまって…」と重い口を開く人が多かった。

 午前中いっぱい戸別訪問した限りでは、発熱や風邪、下痢・便秘といった症状を持った人ほど、「たいした症状ではないから」と受診を遠慮しているケースは多いようだった。だが被災地ほど、軽症のうちに治療することが望ましい。重症化しても救急搬送に時間がかかるうえ、人手不足から十分な治療を施せない可能性があるからだ。

深夜までフル稼働の
薬剤部チーム


 午前中に被災地の住宅を戸別訪問し、慢性疾患の薬が切れていた患者を重点的にチェック。石巻赤十字病院に戻り、薬剤部には各患者に薬を持っていくように伝えた。だが、薬剤部は、各地から送られてくる薬を必要な地域に分配する作業にかかりきりのようだったので、午後からは我々が薬を持って配達することになった。

 ちなみに、薬剤部も戦場のような忙しさだ。

 避難所や戸別往診への薬剤の遅延ない配達は医療の生命線、一刻も速く薬を届けるため、深夜遅くまでフル稼働しているようだ。

 その姿に頭が下がる。我々も、自分たちでできることはしようということで、薬の配達も行うことにした。

病院にいると助かるのは、
ロジスティクスの専門家


 夕方に災害対策本部で開かれたミーティングでは、主に3つの医療活動に重点を置くことが伝えられた。

 1つはエコノミークラス症候群予防だ。

 高齢者は避難所に終日いるケースも珍しくなく、飲食をあまりせず、かつ体を動かさず体育館の固い床の上に座っているため、同症候群になりやすい。

 重点施策のもう1つは、被災者のメンタルケアだ。避難生活が2週間を越え、被災者のストレスも高くなってくる。

 阪神・淡路大震災の時も、地震から2週間後あたりから心の病気に苦しむ被災者が増えたというデータもある。それを未然に防止するためにも、積極的に医療者側から被災者に声掛けをしていくことになった。

 そして3点目が衛生管理。避難所のトイレは、避難所ごとの程度の差はあれ、まだまだ東北地方は寒く、断水のために流水で手洗いやうがいができないので、アルコール消毒等での衛生管理を徹底していくよう被災者に呼びかけるのが重要になる。

 今日の活動を振り返り1つ気が付いたのが、ロジスティクスの専門家が病院にいると助かるということだ。

 災害対策本部には、毎日大量の医薬品が届く。だが、病院には医療の専門家が大半なので、それを各避難所の仮設診療所や患者に素早く届けることが得意ではない。私見ではあるが、在庫管理や物流の専門家がいれば、必要な医療機関に必要な分だけ医薬品を届けることができるのではないだろうか。

 ロジスティクスの専門家は、ぜひ積極的にボランティアを申し出てもらいたいと思う。

■3月25日(金)

AM7:00 病院内災害対策本部でミーティング
午前 被害の大きい海沿いの石巻市不動町~湊町の各家庭を回る
午後 いったん病院に戻り薬を調達。配達するために、再び家庭を訪問
夕方~夜 病院内災害対策本部でミーティング



http://jp.wsj.com/Japan/node_210068
ルールは、避難者の平常心回復のより所
* 2011年 3月 26日 16:26 JST

 【宮城県南三陸町】津波で壊滅的被害を受けたこの漁業中心の町にある志津川小学校避難所の「本部」は、体育館ステージ脇に置かれたテーブルだ。太い赤のマジックで書かれたボール紙製の看板で、そこが本部だと分かる。

 町民500人の消息を詳述したリストの脇には貸出用の老眼鏡(「使用後はご返却ください」)と、共用のつめ切り(「使い終わったらアルコールで拭いてください」)の入った箱がある。テーブルの縁には、自治会長と3名の副会長の氏名を記した手書きの看板がテープで留められている。

 日本は、常日ごろから、どんなに日常的な仕事をやるにも、細かな手続を設け、肩書や委員会をつくりたがる、ルールずくめの国だ。

 現在、数十万人の国民が避難所生活を送るなか、日本人は、3月11日の地震と津波によってずたずたにされた平常心を取り戻すべく、こうした細部へのこだわりに頼っている。

 避難者を仮設住宅に移すのは数カ月先になりそうだと当局者が見込むなか、専門家によると、避難所の秩序正しい運営は、被災者にかかる長期的な精神的・肉体的負担を軽減する上で大きな役割を果たし得るという。

 避難者が体育館と教室で暮らしている志津川小学校では、秩序が行き渡っている。約500人の避難住民は、それぞれ15名ほどの班に分けられている。

 各班は、班を代表して毎日のミーティングに出席する班長を選んでいる。ミーティングでの議題は、断水中におけるトイレの最良の流し方から、コモンスペースへのペットの持ち込みを許可するかどうか(不可と決定)にまでわたる。

 このやり方は、津波後2日目のおにぎり配給の際に、腹をすかし、いら立った避難者たちがステージに殺到して大騒動になった折りに設けられた。ほどなく、避難者一同は、避難所運営のさまざまの側面を監督する自治会長と3名の副会長を選出した。

 班長たちが5人一列で12列をなして板張りのステージに整列して座り込むなか、自治会指導陣がその日の要点を説明する。ステージ右手には壊れた時計がある。その針は、南三陸町の大部分を流し去った高さ15メートルの津波の原因になったマグニチュード9の地震が襲ってから1分後の2時47分を指したままだ。

 こうした自治会は、多数の避難所でますます大きな役割と自治を引き受けつつある。地方自治体は甚大な被害で身動きがとれず、各避難所をつぶさに管理できないためだ。

 例えば南三陸町は、依然電気がなく、水道は一から再建する必要がある。43個所の避難所には、まだ9000人以上の避難者が寝泊まりしている。南三陸町の佐藤仁町長によると、より恒久的な住宅に住民の大部分を移せるまでには数カ月かかる見込みだという。

 志津川小学校の自治会は、日常生活のさまざまの側面を監督するため、炊き出し、管理、施設・環境、配給、在庫管理、医療という6つの部門を設けている。

 俳優になる夢を断念して東京をあとにし、電気工になるため3カ月前に里帰りした後藤伸太郎さん(32)によると、日本人はルールがたくさんあったほうが安心するタイプ、という。

 後藤さんは、自宅も流されず、家族も無事だが、避難所の衛生・環境問題担当の自治会副会長として近隣の人たちの助けになれると感じる限り、避難所を出ないことにした。

 後藤さんは、毎日午前8時半と午後3時に体育館のロビーに清掃係を集める。清掃係は、各班をA、B、Cのグループに小分けする込み入った輪番制で組織される。

 後藤さんは、ゴミの分別、トイレの掃除、周辺地域の清掃、非飲料用水タンクの清掃といった作業を割り振る。

 混乱を避けるため、自治会は、清掃方法と清掃対象に関する指示書を設けた。これは、ゴミ袋の取り換え方や、リサイクル向けに紙、ペットボトル、ガラス瓶、缶を分別する際の、ペットボトルのつぶし方や、燃えるゴミ、燃えないゴミを分ける方法について事細かに詳述してある。破壊のつめあとが生々しく残るなか、果たしていつどうやってリサイクルできるかは、まだ分からない。

 班長の一人が「使用済みの電池は別にすべきではないか」と、区分の増加を求めた。自治会は電池処分用に別の容器を設けることで合意した。

 清掃とゴミ分別の監督を担当する後藤さんは、意見の相違について判断を下すよう、よく求められる。魚の骨は燃えるゴミとして捨てるべきか、燃えないゴミとして捨てるべきか。断水がまだ続くなか、トイレを流す水を入れておくのにバケツを使うべきか、ペットボトルを使うべきか。

 後者の問題についての後藤さん判断は、大でも小でもペットボトルで流すようにしよう、だった。

 オレンジ色のタオルを頭に巻いた後藤さんは、努めて辛抱強くいるようにしている。自分はかんしゃくを起こすたちだが、大変な目に遭った人たちなのだから冷静さを失わないよう自分に言い聞かせているという後藤さんを、一部の人は「環境大臣」あるいは単に「大臣」と呼ぶ。

 医師や支援関係者によると、災害後できるだけ早期に、たとえどんなに小さな仕事であれ、被災者が何らかの日常業務や責任を見つけることがきわめて大事だという。

 被災地に救援隊員を派遣した人道支援団体「ワールド・ビジョン」の広報担当者クリスティ・アレン=シャーリー氏によると、被災者に仕事を与えることは、「再建と復興のプロセスの一翼を担い、復旧の取り組みに参与しているという意識を被災者に抱かせる助けになる」という。

記者: Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi
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http://www.asahi.com/international/update/0326/TKY201103260448.html
イスラエルが医療部隊派遣、外国から初 南三陸で治療
2011年3月26日23時26分

 東日本大震災を受け、在京のイスラエル大使館は26日、軍の医師らで構成する50人規模の医療部隊を宮城県に派遣すると発表した。各国の支援で、医療部隊の派遣はイスラエルが初めてとなる。

 同大使館によると、26日夜に救援機2機が同国を出発し、27日夜に成田空港に到着する予定。民間防衛軍と軍医療部隊の医師、看護師、薬剤師、通訳ら50人で構成している。宮城県栗原市に活動拠点を置き、同県南三陸町に野外クリニックを設けて負傷者や被災者の治療を行う。救援機には防寒着1万着、毛布6千枚、8千人分の手袋、簡易トイレ150個など約18トンの救援物資も積み込んだ。

 厚生労働省は、東日本大震災の被災地で、日本の医師免許を持たない外国人医師の医療行為を認めると決定。阪神大震災の際も外国人医師の被災地での活動を認めていた。



http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20110326-OYT1T00595.htm
JOC、医療チームを被災地へ派遣

 日本オリンピック委員会(JOC)の市原則之専務理事は26日、JOCの医学サポート部会に登録するスポーツドクターやトレーナーらで作る医療チームの第1陣を、28日に東日本巨大地震の被災地へと派遣することを明らかにした。

 医療チームは4、5人を1組として組織し、3、4組を編成する計画。宮城県や岩手県を中心に各組1週間から10日程度、避難所生活に特有の筋肉や関節の痛みを含む医療サポートに取り組む。
(2011年3月26日18時10分 読売新聞)



http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110326dog00m020036000c.html
ケアネット:被災者支援の医療従事者向けに医薬品検索アプリ提供

 ケアネット(東京都千代田区)は、iPhone対応の医療従事者向け医薬品検索アプリ「DrugOn MD(ドラゴン・エムディー)」を23日から、「Apple Store」で提供している。

 「DrugOn MD」は、同社運営の医療情報専門サイト「CareNet.com」(http://www.carenet.com/)の医師会員限定で提供予定だったが、東日本大震災を受け、5月末までの期間限定で薬剤師や看護師などの医療従事者に無料提供することを決めた。

 同アプリは医師が手軽に素早く薬剤の正しい情報を調べられるツールとして開発されたもので、日常診療に必要十分な1万7000品目の医薬品情報を網羅。部分一致検索のほか、ジェネリック医薬品、薬効分類・同種同効分類などの検索機能もあり、ブックマーク機能や検索履歴閲覧機能なども搭載している。最新情報はアプリのアップデートで対応する。

 アプリの利用は無料だが、「CareNet.com」に登録(無料)し、アンケートに答えることが条件。(毎日新聞デジタル)

2011年3月27日 19時00分



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233989
4月末まで被災地派遣継続 九州・沖縄の日赤救護班
2011年3月27日 19:35 カテゴリー:社会

 日本赤十字社の九州・沖縄8県の支部は、東日本大震災が起きた翌12日から宮城県石巻市へ医療救護班を派遣している。寒くて長い避難生活で体調を崩したり、感染症にかかったり、精神面が不安定になったりと、医療を必要とする人は震災直後よりも増えており、4月末までは派遣を続けるという。

 九州・沖縄ブロックの代表を務める福岡県支部によると、8県からの救護班は石巻赤十字病院での外来診療と、石巻市内の避難所の巡回診療を担当。27日には第8陣となる福岡赤十字病院と宮崎大病院のチームがそれぞれ現地へ出発した。

 この日、活動を終えて帰ってきた第6陣の尾前豪(つよし)医師(49)=福岡市の今津赤十字病院=は「トイレなどの衛生が保てなくなり、各避難所では感染性胃腸炎による下痢が広がっている」。白木潤子看護師(44)=同=は「(精神医療を担う)心のケアチームへの連携も始まったが、本当に必要な人は声を上げられない。十分に目を配り、すくい上げられるようにしなければ」と、より充実した継続的支援の必要性を語った。 

=2011/03/27 西日本新聞=



http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110327ddlk28040203000c.html
東日本大震災:「カルテの整備必要」末永い支援を 県医師会、被災地救護報告 /兵庫

 東日本大震災の被災者を支援するため宮城県石巻市に医療チームを派遣している県医師会は26日、神戸市内で被災地の状況を報告した。現地で活動した県医師会の川島龍一会長は避難所には多くの高齢者や障害者も生活しているほか、被災者が生活基盤を失い、医療機関も大きな被害が出ているとし、「カルテを整備し、医師が代わっても対応できる末永い支援が必要だ」と訴えた。

 川島会長らは21日から宮城県に入り、避難所となっている石巻市立石巻中学校に診療所を設けた。

 避難所について川島会長は「比較的清潔が保たれている」としたが、「糖尿病や高血圧などの慢性疾患を抱えている人の薬が不足している」。さらに阪神大震災との違いについて「ガソリンや軽油が不足し、食料などの物資が入ってこない」と説明した。

 また避難所で生活する、津波で妻が行方不明になり、義足も流された男性に今後、義足を医師会として支援する意向を示した。

 川島会長は「避難所の片隅に高齢者や障害者が声を上げられずにいる。今後もそういう人たちを捜し出し支援しないといけない」と語った。

 一方、神戸市医師会は仙台市に医師を派遣し、遺体の検視作業を続けており、同医師会の中神一人副会長は、亡くなった人のほとんどが津波による水死だったとし、「行方不明者はまだまだおり、遺体への対応も大事だ」と話した。【内田幸一】

〔神戸版〕
毎日新聞 2011年3月27日 地方版



http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032700100
「大丈夫」の一言が特効薬=前向きな被災者に感銘-「陸の孤島」で診察・NGO医師

 東日本震災で孤立した石巻市の雄勝半島。医師がいない状態が続いたこの地域に、国際医療支援に取り組むNGO「ジャパンハート」(東京都台東区)の医師石田健太郎さん(28)が入り、避難所で診察に当たった。「大丈夫の一言が何よりの薬」。こう振り返る石田さんは、前向きに生きようとする被災者の姿に感銘を受けたという。
 雄勝半島は津波により通じる道路が崩れ、インフラも途絶した「陸の孤島」となった。ヘリコプターなどで医療物資は届いたが、人が出入りできるのは干潮時のみ。長時間診療する医師はおらず、医師が来る前に避難所で亡くなった高齢者もいたという。
 石田さんが駐在した大須小学校の避難者は約600人。みな不安な表情で、診察が始まるなり100人以上が殺到した。石田さんは安心させようと、診断を告げる前にまず「大丈夫だよ」と声を掛けた。症状はさまざまだったが、その一言で、みんな生き返ったように表情が和らいだという。
 声をかけ続けた結果、翌日以降は混乱も収束。石田さんは「薬よりも安心できる一言が大事なんです」と強調した。
 服薬記録や検査器具が全て失われた中での診療は困難の連続。患者との会話だけで必要な薬や体調を推し量る手探りの診療で、神経はすり減った。それでも、「こんな若い医師でも必要としてくれると実感できてうれしかった」と振り返る。
 避難所で過ごす中で感銘を受けたのは、悲しみに下を向かず、役割分担しながら復興について話し合う被災者の姿だった。石田さんは「支えられるだけではなく、強く前向きに生きようとする人ばかりだった」と感慨深げに話し、「これからも人のために頑張りたい」と、目を輝かせた。(2011/03 /27-14:25)



http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20110327ddlk14040139000c.html
東日本大震災:平塚の医療チーム、市に活動報告 「今は心のケア必要」 /神奈川

 県の要請で被災地を訪れていた平塚市民病院の外科医、金井歳雄さん(55)ら災害派遣医療チーム4人が25日、平塚市役所を訪れて活動報告をした。金井さんは「外科医の必要な災害発生直後の急性期から、被災者の心のケアや内科医、慢性病治療の医師らが必要な時期に入った」と説明した。

 チームは医師2人、看護師3人、検査技師1人。12日から羽田空港で、搬送されてきた患者の手当てなどをした後、岩手県釜石市の県立釜石病院などで活動した。主に地元医師会や日赤医師らの活動の調整や夜間診療などを行ったという。急性期の医療が一段落していたため、「医療職よりガソリンの必要性を感じた」と金井さん。平塚市には「これから中長期的な支援をお願いしたい」と要望した。【渡辺明博】

毎日新聞 2011年3月27日 地方版



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110327/dst11032719250052-n1.htm
【東日本大震災】
「母国・日本の力になりたい」 「アイク生原」の息子 医療チームで来日

2011.3.27 19:23

 「父のように母国、日本の力になりたい」。各国から国際医療チームが派遣される中、東日本大震災で米国から来日し、被災地で奮闘する医師、生原睦夫さん(49)。父親は日米間の野球交流の発展に尽力し、「アイク生原」の愛称で親しまれた大リーグ・LAドジャース元オーナー補佐、生原昭宏氏(故人)。父の背中を見続けた記憶が、日本への熱い思いを後押しする。

 父と同じ野球関係の仕事を選ぶこともできたが、命を救う仕事に意義を感じてノースウエスタン大学医学部(米イリノイ州)に進学した。「高い目標だったが、米国は実力さえあれば認めてくれる社会だったからこそ、勉強を続けられた」と振り返る。

 シカゴで内科医として診察にあたるかたわら、医師や看護師らで構成されるNGO団体の活動に参加。今回の震災では、緊急災害医療支援を行うために来日。宮城県南三陸町や岩手県陸前高田市の避難所などをめぐり、被災者や行政に対する救援活動を行っている。

 ハイチ沖地震など海外での医療活動経験はあるが、今回の震災はこれまでの被災地の光景とも違っていた。海岸から遠く離れたところに流された漁船や、外壁だけが残った病院。被災地を歩き、「収入の源であり、家族とも思っていた海が数分で変貌した恐怖はどれほどだっただろう」と足がすくんだ。

 昼夜を問わず骨折など大けがを負った被災者の手当てに奔走したハイチ大地震を思い返すと、津波の被害は「残酷なほどに、生きるか死ぬかのどちからしかない」と実感する。宮城県東松島市では、子供たちが小学校の校庭で津波にのみ込まれたと聞き、並んだ小さなひつぎに涙があふれた。

 避難所を回ると、高齢の被災者が「話を聞いてほしい」と引き留める。医師の立場から「被災者は頑張ろう、頑張ろうと我慢強く耐えているが、これから先が心配」と指摘する。

 震災発生から約2週間がたち、支援物資や医療班の数は充実してきたが、心の傷が回復するには時間がかかる。「心の支えになれるよう、日本人として、医者として頑張りたい」と力強く語った。(石井那納子)



http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032700144
エコノミー症候群防げ=避難所で体操指導-宮城

 東日本大震災で、家を失った住民らの避難所生活も2週間を超え、運動不足によるエコノミークラス症候群などが心配されている。宮城県南三陸町の避難所となっている総合体育館では27日、脳梗塞や肺血栓などを予防するため、医療ボランティアが避難者に呼び掛けて体操を指導した。
 14日に同町に駆け付けた東京都千代田区麹町の医療ボランティアリーダー鑓水弘樹さんは「避難された方はトイレや食事の時ぐらいしか動かず、筋力低下や血栓ができることが心配される」と指摘。「医学的観点から体操を行って予防したい」とし、ボランティアのメンバーが体操を指導した。
 食事が終わった昼すぎ、呼び掛けに応じて約20人が参加。約5分間、つま先立ちや屈伸など下半身に重点を置いたストレッチを行った。参加した女性(80)は「腰が悪いが、少しでも動けて良かった」と話し、別の女性(67)も「体が軽くなったようだ」と笑顔を見せた。(2011/03/27-17:43)



http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103270168.html
'11/3/27
福島派遣医師らが帰着報告

 福島第1原発事故を受け、福島県入りしていた広島大の緊急被ばく医療派遣チームの第4陣が26日、広島市南区の広島大病院に戻った。現地では原発復旧作業中に被曝(ひばく)した3人にも対応。チームリーダーの谷川攻一教授(54)は「防護服で防ぎ得た事故」と、現場の安全管理に警鐘を鳴らした。

 チームは、医師と看護師たち計6人で22日に現地入りした。被曝事故後、福島県立医大(福島市)で3人と対面。被曝線量の測定結果や、歩ける状態であったことなどから、搬送先や移送ルートを決めた。

 谷川教授は事故について「水が(靴の中に)漏れてくるのは予想できたこと。もう少し防護が必要だった」と述べ、現場の管理体制に課題があったとの認識を示した。



http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011032790095150.html
終末期患者置いて避難できない 福島の病院
2011年3月27日 09時51分

 福島第1原発から半径20~30キロ圏内にある福島県広野町の高野病院では今も、お年寄り36人が終末期医療を受けている。政府は自主避難を呼び掛けたが、搬送するのは不可能に近い。病院の遠藤行信常務理事(56)は26日、本紙の電話取材に「誰かのケアがなければ安楽死するしかない。この人たちを置いて避難はできない」と語った。

 原発から25キロほどの距離にある病院周辺の放射線量は、この2日間で197マイクロシーベルトに達する。政府は今までの「屋内退避」から25日、「自主避難」を呼び掛け始めた。避難指示への切り替えも検討している。

 遠藤さんはこれまでに、自衛隊の医療チームの協力を得て、入院患者70人を茨城県などへ避難させた。今も残る70代~100歳超の36人は、みな寝たきり。多くが口から食事をとることはできず、大静脈にカテーテルをつなぎ、栄養補給をしている。

 カテーテルは外せず、被災地の悪路を運ぶのは危険性が高い。危険性を少しでも減らすため近くの病院に移そうにも、周辺の病院はどこも震災後の大混乱で、受け入れは相当困難な状態だ。

 震災前は80人いた医師や看護師、介護士らスタッフも多くは避難させた。今は高野英男院長を先頭に15人が、自らの身を危険にさらしながらお年寄りのケアを続けている。人手が足らず、疲労もたまっている。

 厚生労働省の担当者は「患者の状態が安定したら、すぐに搬送できるよう全面支援する。そうとしか言いようがない」と繰り返す。だが、終末期のお年寄りの体調が、搬送できるほど好転するとは限らない。

 放射線量がさらに増え続けたら、どうなるのか。もしスタッフが全員、去ってしまえば、36人が命を保つことはできない。「医師や看護師らも私が採用した人たち。彼らの命も守る責任が私にはある。スタッフは全員退避させ、私は院長と共に残る」。遠藤さんは、そう決めている。

(中日新聞 中崎裕)



http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110327_12
不安募らす要介護者 県内、ヘルパーや物資が不足

 自宅で避難生活を続ける要介護者の中には、専用介護食や必要なケアが十分に受けられず、不安を募らせている人が少なくない。物流が滞りがちな中、医療福祉系物資の入手が難しく、福祉施設やヘルパーらも被災したためだ。在宅の災害弱者への対応が急がれる。

 陸前高田市高田町の佐藤啓太郎さん(70)は脳梗塞、筋肉の委縮症のため寝たきりの母みとりさん(92)、妻雪子さん(65)2人を世話している。自宅は津波の直撃を免れたが、啓太郎さんは「避難命令が出ても家でじっとしているしかなかった。2人を連れて逃げるなんて、とても無理だった」と振り返る。

 インフラや物流、医療福祉などが完全に回復しない中での避難生活は、要介護者世帯にも自活を余儀なくさせる。

 啓太郎さんによると、停電で電動エア・マットレスが動かず、2人は床ずれが悪化。マッサージなどは、福祉施設の多くが被災したため通常の訪問ケアが十分に受けられずにいる。

 体外から胃に直接流し込む専用の介護食も残りわずかだが、市外の病院に買いに行くにもガソリンが心配で、ヨーグルトを湯で溶いて代用しようかと思案している。

 被災後しばらくヘルパーの訪問が途絶えた。市と福祉関係者は20日、安否確認に訪れたが、胃カテーテルの交換時期が来たらどうするか、など不安は拭えないままだという。

 被災地には佐藤さんのような例が無数にあると思われるが、ヘルパーらが被災、福祉施設も損壊し介護者情報の一部が散逸するなどして迅速に対応しきれないのが実情だ。

 同市広田町で避難生活を送る介護ヘルパー畠山のぶこさん(62)は「担当していた方の安否が心配でならない。生き抜くのに精いっぱいだが、無事を祈っている」と要介護者を気遣う。同市米崎町の仮診療所で事務を担当する千葉徳次・市健康推進課長補佐は「調剤やケアマネジャーを含む福祉分野の人員不足は課題だ。長期ボランティアが増えるとありがたい」と話す。

(2011/03/27)



http://www.mbs.jp/news/jnn_4685070_zen.shtml
被災の石巻市立病院など、採用取り消し

 被災地の宮城県石巻市では、津波の被害を受け、診療ができなくなった市立病院などの新規職員全員の採用を取り消すことを決めました。

 「大変遺憾なんですが、採用を取り消させていただく」(石巻市 亀山絋市長)

 石巻市が採用取り消しを決めたのは、石巻市立病院と、併設する夜間急患センターの新規職員18人です。この2つの医療機関では、津波で施設が被害を受け、診療ができない状態が続いていて、石巻市では施設は使用不可能で診療再開も当面困難と判断し、採用取り消しを決めました。

 「(病院は)再建します。あそこには医師が『行きたくない』と(言っている)」(石巻市 亀山絋市長)

 現在いる職員については、震災後、ほかの病院や避難所に派遣されていて、亀山市長は「当面、そのまま市の職員として診療にあたってもらう」としています。(27日17:35)



http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110327000010
保健師、避難所で活動 私が見た被災地 京滋から

 東日本大震災の被災地で、避難者の健康管理を担っているのが保健師だ。寒さやストレスで体調を崩す高齢者らが相次ぐ中、京滋の保健師も被災者に寄り添いながら活動を続けている。

■健康相談次々 何度も一緒に泣いた

 気温が急激に下がり、雪が降り始めたころだった。京都市保健医療課の木村好美さん(56)は16日から4日間、仙台市の避難所に入った。100人を超える被災者の健康相談や高齢者のケアにあたった。小学校の体育館は古く、冷たい隙間風が吹き込んだ。

 震災で鎖骨を骨折した87歳の女性がいた。1人で歩けないためにトイレに行きたがらず、食事も水分もほとんど取らない。「水を飲んで」「トイレに行きましょう」。懸命に説得を続けた。女性は朝から微熱が下がらず、夕方に救急車を呼んだ。肺炎だった。

 下痢や嘔吐(おうと)を訴える被災者が相次いだ。疲労のため、高血圧の人が急増した。地元の医師や保健師との連絡に追われた。

 「命が助かっただけでも良かった」。家を失い、厳しい避難所生活を強いられている被災者から何度も聞いた。前向きな意志に胸を打たれ、「大変だったね」と言うのが精いっぱい。何度も一緒に泣いた。

 同年代の女性は自らも被災し、炊き出しを手伝っていた。「まちを元気にして、また京都に行きたい」。逆境の中でのあふれんばかりの笑顔に、思わずカメラを向けた。

■「無理せず休みましょう」声掛ける


 滋賀県の健康支援チームに加わった宇野千賀子さん(46)が16日から活動した仙台市の小学校。ストーブが少なく、体育館や教室は暖まらない。被災者は肩を寄せ合うように過ごしていた。

 風邪や、間仕切りがない暮らしのストレスで、健康相談は1日50~60件に及んだ。津波の話に泣きだす人。反対に急に明るくなる人も。心の傷の深さは、計り知れなかった。

 狭心症にもかかわらず、物資搬送を懸命に手伝う男性がいた。時折、苦しそうな表情を見せる。でも、みんなの役に立ちたいとの強い思いも感じた。「無理せず少し休みましょう」。声を掛けるのがやっとだった。

 津波で家を流され、財産をすべて失った人もいた。宇野さんは「大きな病院も被害を受けていた。今後どのような医療を提供していくのか。先の見通しが立たないことがつらかった」と明かした。

【 2011年03月27日 08時59分 】



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110327-OYT1T00280.htm
「ふるさとに恩返し」研修医、飛び入り診療

 ふるさとの被災者に何か役立ちたい――。

 東京の研修医が、出身地の宮城県気仙沼市の避難所で診療ボランティアを行った。「生まれ故郷に恩返しを」と始めた活動は、新米医師にとってかけがえのない経験となった。

 被災者1800人が避難していた市総合体育館でボランティアをしたのは、東京の慈恵医大病院で1年目の研修医として働く高橋紘(ひろし)さん(25)。同市に住む祖母(68)の安否を確認するため、22日に現地入りした。

 祖母は無事だったが、近所の人が津波に流され、町並みが変わり果てた姿となったことに胸が痛んだ。「何か自分にできることはないか」。翌日から近くの体育館の避難所の医療チームに飛び入りで参加。医師が手薄な夜間の宿直も担当した。

 避難所での診療は、東京の大病院とは何もかも違った。血液検査もレントゲン撮影もできず、頼れるのは、問診や触診、聴診という医師の基本技術だけだ。

 夕食後、腹痛を訴え、うずくまっていた60代の男性からは、「地震から2週間近く便が出ていない」と聞き出し、腹部を触診。腹部の硬さも腸の音も問題なく、かん腸をすると、翌朝、「先生、楽になったよ」と笑顔で声をかけられた。
(2011年3月27日13時19分 読売新聞)



http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233930
ボランティア 受け入れ態勢を急ぎたい 東日本大震災
2011年3月27日 10:41 カテゴリー:コラム > 社説

 東日本大震災は未曽有の災害であり、被災者への支援は一刻を争うはずだ。発生から2週間以上が過ぎた。九州各地のNPO・ボランティアセンターには、被災地に入りたいと言う市民の申し込みや問い合わせが相次いでいるという。

 なのに、出発できない足踏み状態が続いている。なぜか。現地の受け入れ態勢が十分に整っていないというのだ。

 理由は、いくつかある。

 被災地が岩手、宮城、福島の東北3県を中心に広範囲であり、被災者の避難所だけでも約2千カ所に上ることが一番大きいようだ。さらに、被害の程度も深刻で、加えて東京電力福島第1原子力発電所の事故もあって、一般市民のボランティア活動は制約されているという。

 だから「いまは我慢の時だ」と言う人もいる。やむを得ないのだろう。

 しかし、避難所暮らしは過酷だ。食事や物資、医療支援だけでなく、心のケアも必要だろう。お年寄りや病気の人、妊婦など災害弱者を支えるには、人手が多いに越したことはない。実際、現地では社会福祉協議会などが災害ボランティアセンターを順次開設しており、受け入れ態勢は徐々に整備されつつある。

 現在は避難所で暮らしている中高校生や近くに住む人たちか、支援に精通したボランティア団体が活動の中心だが、人が足りないという声が各地から上がっている。マンパワーが必要なのだ。

 政府が「震災ボランティア連携室」を設けて1週間余りたつ。室長は「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠内閣府参与だ。何をするか、何がやれるのかではなく、どこで何が求められているのか、何をすべきなのかという情報が大事で、その収集にまず全力を挙げる時期だろう。連携室は、情報提供と連絡調整の司令塔的役割を果たすことが期待される。

 困難ななか、善意のパワーを最大限生かす支援態勢づくりを急ぎたい。

 現地では、仮設住宅建設にも一部着手した。復興期に向けて今後、市民ボランティアの出番は必ず来る-。関係者は異口同音に、そう訴える。その際、宿泊先のほか、水、食料など必要な物は自分で確保し、安全には自ら責任を持たねばならない。準備を怠ってはなるまい。

 支援には長期的取り組みが不可欠だ。「ボランティア元年」といわれた1995年の阪神大震災での教訓でもある。そのためには官民連携も必要だろう。

 例えば、福岡県は今後、(1)疲弊している被災自治体の行政機能を支援する(2)新学期以降、子どもの心のケアなどに当たる-ことを目的に、職員や養護教諭の派遣を検討中だが、こういった支援に現職の市町村職員のほか、職員や教員のOBも活用できないか。能力と経験がある人なら一般人でも構わないだろう。

 そうした柔軟さも求めたい。

=2011/03/27付 西日本新聞朝刊=
  1. 2011/03/28(月) 06:04:22|
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3月26日 震災16日目

http://mainichi.jp/select/science/news/20110326ddm012040045000c.html
東日本大震災:3県沿岸部、病院の半数が診療制限 中長期の支援、課題

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島県の沿岸部で、医師会などが診療状況を確認できた医療機関の過半数は、何らかの形で患者の受け入れを制限していることが毎日新聞のまとめで分かった。持病のある人の日常診療や避難生活で体調を崩した人などの受け皿が不足し、必要な医療を受けられない患者の生命が脅かされる事態になっている。地震発生直後の救急医療については阪神大震災を教訓に発足した国の災害派遣医療チーム(DMAT)があるが、被災地の医療体制を中長期的に支える仕組みはなく、災害医療の新たな課題が浮上している。【加藤隆寛、福永方人、松谷譲二】

 各県や県医師会などが25日までに診療状況を確認できた計231の病院と診療所についてまとめた。このうち121機関(52%)は「再来患者のみ」「かかりつけ患者のみ」などと診療を制限。33機関(14%)は診療していない。実際には、建物が流されたり、連絡がつかない医療機関が多数あるため、地域の中で機能している医療機関の割合はさらに低いことが確実だ。

 診療を制限しているのは、岩手県が65機関中31機関(うち診療不可は16機関)▽宮城県が122機関中63機関(同6機関)▽福島県が44機関中27機関(同11機関)。小規模な診療所では「軽症のみ」などと限定するケースが多い。多くの機関は診療時間を大幅に短縮している。
    ◇
 地震発生から2週間が過ぎ、医師らスタッフの疲労度も高まっている。

 気仙沼市立病院(宮城県)は25日から一般診療を一部で再開したが、薬を求めて来院する被災者などに対応するため、内科や脳外科など5診療科は休止したままだ。自宅や車を流されるなどして通勤できない医師ら100人程度が病院に泊まり込み、避難所への往診や自宅に戻った高齢者の巡回診療などもこなす。加賀秀和事務部長は「スタッフは疲労がかなりたまっている」と心配する。

 福島県内では、原発事故を心配して遠方へ避難した医療関係者が多く、「医師や物資の不足より、看護師や検査技師などスタッフの不足がむしろ深刻だ」(病院関係者)という状況に陥っている。
    ◇
 こうした医療の窮状をサポートする役割を期待されているのが、DMATに加え、日本医師会や日本赤十字社などの各団体が避難所などに派遣する支援チームだ。ほかにも、独自の判断で被災地入りした医師らがいる。しかし、初期に入るチームは主に救急医療を想定した装備で乗り込んでおり、多くのチームの活動は3日~1週間を目安にしている。宮城県の担当者は「(支援チームだけでは)慢性的な疾患への対応が難しい」と話す。

 岩手県の担当者も「非常に助かっているが、『1週間でおしまい』というのは困る。継続的に支援してくれるチームに入っていただきたい」と訴える。新たに入るチームとの間で引き継ぎは行われているが、時間の経過とともに患者一人一人の病状に合わせたきめ細かな対応を求められ、メンタルヘルスや感染症予防も課題になってくる。

 厚生労働省医政局指導課は「今後、地域の医療資源をどれだけ有効に活用できるかが重要だ」と地域の自助努力を求めるが、国として中長期的な支援の具体策は打ち出せていないのが現状だ。日本医師会は「被災地から戻ったチームから聞き取りをするなどして検証することが必要」としている。
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 地域医療の機能回復へ向けては、ガソリン不足も大きな壁となっている。福島県医師会の土屋繁之理事は「在宅で治療する患者の回診や緊急時の対応には車が不可欠。ガソリンが足りず、医師の活動が院内に限られてしまっている」と懸念を示す。

 気仙沼市立病院の加賀事務部長も「スタッフが車で通勤できるようにするため、ガソリン不足を早く解消してほしい」と訴える。

 石巻赤十字病院(宮城県)の事務担当者は「慢性疾患の薬でも、在庫切れを防ぐために数日分しか渡すことができない。ガソリンがなくて車で通えない高齢者らは非常に困っている」と話した。

毎日新聞 2011年3月26日 東京朝刊



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134459/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(支援の動き)
全国規模の病院チェーン、救援活動に強み発揮
本部による現地ニーズ把握と支援者のマッチングがカギ

2011年3月26日 橋本佳子(m3.com編集長)

 3月11日の東日本大震災から2週間。被災地では様々な救援活動が続くが、医療分野で迅速に活動を始めたのは全国規模で展開する病院組織だ。

 日本赤十字社だけでなく、国立病院機構などの公的組織に加え、民医連(全日本民主医療機関連合会)や医療福祉生協(日本医療福祉生活協同組合連合会)、徳洲会グループによるNPO法人TMAT(徳洲会医療救援隊)など、全国各地に同一法人あるいは関連法人などとして医療機関を持つこれらの組織は、震災直後から被災地入りし、人的・物的支援を開始した。日ごろから病院運営や職員研修、あるいは物品の協同購入などでつながりがある強みを生かし、迅速に救護活動に従事する医療者を募集できたこと、被災地にある関連の医療機関を拠点に活動を展開できることなどが理由だ。

 主な組織の救護活動実績は以下の通り(人的な救護活動、DMATなどの活動は除く)。また、やや立ち上がりが遅かった日本医師会の災害医療チームJMATも、ここ数日で活動チームが急速に増えている。

◆日本赤十字社(3月25日0時現在)
 救護班を延べ337チーム派遣(活動中42チーム、活動準備中46チーム、活動終了249チーム。救護班は、医師1人、看護師3人、運転手1人、事務管理要員2人が基本)。
◆国立病院機構(3月25日10時現在)
 医療班を延べ46チーム、230人を派遣。
◆民医連(3月24日17時50分現在)
 950人(医師200人超)、延べ4020人を派遣。
◆医療福祉生協(3月23日現在)
 延べ医師100人(うち歯科医師3人)、看護師・保健師134人、技術者33人、事務職員108人、セラピスト(臨床心理士など)20人、その他45人を派遣。
◆TMAT(徳洲会グループ)(3月26日現在)
 延べ300人超を派遣(医師3人、看護師6人、事務職員3人を毎日派遣、現地4カ所の拠点に赴き活動)

◆JAMT(日本医師会災害医療チーム)(3月24日15時現在)
 派遣中もしくは派遣済みは延べ111チーム、派遣準備中93チーム(医師1人、看護職員2人、事務職員1人)

 民医連ではバスで毎日、支援班を派遣


 民医連と医療福祉生協は、共同して支援活動に当たっている。震災当日から被災地の情報収集に当たり、3月12日には本部からも現地入りした。現在、拠点にしているのは、宮城県塩釜市の坂総合病院。357床の地域の基幹病院で、塩釜市も甚大な被害を受け、ライフラインを断たれたものの、同病院は自家発電で4日は持つなど、診療機能は維持できた。

 坂総合病院には、避難者も含め、通常以上の患者が訪れ、職員は自らが被災しながらも、診療に当たっていた。同病院の職員を支えるほか、また地域の避難所を回る活動を展開。「支援する医療者は全国各地から集まっている。短期間では2、3日だが、1週間支援活動に従事する人もいる」(医療福祉生協事務局)。民医連では、支援スタッフの移動のため、東京発と坂総合病院発の2台のバスを毎日運行、物資支援の車も週2便出している。

 民医連は4月1日以降、活動の範囲を広げ、長町病院(仙台市)や松島海岸診療所(宮城郡松島町)にも拠点を置く。「震災当初は急性期の患者への対応が中心だったが、今後は、生活を支えるための医療、介護などが必要になってくる」(民医連事務局)。そのほか、岩手県については、行政や医師会などと相談中で、福島県と茨城県についても、医療機能維持のための支援、原発事故避難者への支援を検討している。

 TMATは広ボランティアを募集して活動

 TMATも動きは早かった。3月11日の夜には、先発隊が被災地に赴いた。東京の徳洲会本部からバスを毎日運行して支援スタッフを派遣、仙台市の仙台徳洲会病院を拠点に、岩手県大船渡市(1カ所)、宮城県の気仙沼市(2カ所)、本吉郡南三陸町(1カ所)の4カ所で、避難所などでの救援活動を展開している。

 TMATの特徴は、徳洲会グループの病院に限らず、広くボランティアを募集し、支援活動に当たっている点だ。現地で必要な診療に必要な備品はもちろん、現地での宿泊・食事などもすべてTMAT持ちで、支援活動に従事する期間の損害保険もかける。

 TMATでは、東京の本部が支援ボランティアの募集を行う上、本部職員も仙台徳洲会病院に派遣、被災地のニーズを把握、両者のコーディネートを行っている。「被災地の通信事情は非常に悪いため、衛星電話を用いて毎日報告を受け、どんなニーズがあるかを把握、派遣するボランティアの調整を行っている」(TMAT事務局)。本部機能がこうした調整役を担うのは民医連なども同様で、ニーズに見合った支援活動につながっている。

 組織間の「ヨコの連携」、長期的対応が課題

 支援活動を行う組織が異口同音に指摘するのが、震災直後の情報把握の難しさ。被災地の自治体、あるいは医師会の職員、会員自体が大きな被害を受け、特に初期段階は情報収集に手間取り、効率的に活動することが容易ではなかった。

 震災後2週間が経ち、こうした状況は改善はされつつあるものの、組織間の連携不足という問題は残る。「ある避難所に行ってみると、別の支援チームが既に入っており、活動場所を変更することが時々あった。自治体自体が被害を受け、また被災者の対応に追われていたので、致し方なかった。状況は刻一刻と変わることもあり、各地域のニーズを把握して、今後は広域で、医療だけでなく、支援活動全体を指揮するコーディネート役が必要なのではないか」と指摘する向きは多い。

 また震災直後の急性期医療への対応に終わるのではなく、半年、1年など長期の支援が必要なことも確かだ。

 被災地で診療を続けている医療機関は、職員自身も被災している中、これまでの診療に加え、診療不能になった病医院の患者も受け入れている。こうした医療機関への支援と同時に、被災した病医院の再建が課題。さらには福島第一原子力発電所の事故に伴い、被災者は遠隔地へ、中には集団で移動するケースもある。これらの被災者、患者への対応という問題もある。既に各地の入院患者、透析患者の受け入れが始まっているほか、各団体は全国の組織下の病院に受け入れ可能状況などの調査を開始している。

 医療提供体制面での支援のほか、医療内容では、メンタルケアをはじめ震災関連疾患への対応に加えて、原発事故に伴う被ばく問題についても、迅速かつ適切な情報発信が必要になっている。さらに、大震災による犠牲者があまりに多い上に、津波による水死が大半のため検視作業も難航、長期化している。

 日医のJMAT の活動は当初1カ月の予定だったが、期間を延長する方針(『JMATに日精協が協力、「心のケアが重要」と横倉日医副会長』を参照)。総力戦かつ長期戦の医療救援活動が続く。


http://www.sanyo.oni.co.jp/feature/shakai/earthquake2011/news/2011/03/26/20110326115719.html
東日本大震災2週間 援金や救援物資続々

 県民一丸で支援―。東日本大震災は25日、発生から2週間を迎えた。県内では各自治体などに総額約15億円の義援金が寄せられ、物不足にあえぐ被災地に救援物資が次々と届けられている。消防、警察、医療関係者も、大津波が襲った地域や避難所で活動を継続。一方、公営住宅も県内に相当数が確保され、受け入れ態勢も整ってきた。24日現在の状況をまとめた。

 県と27市町村は本庁、支所、公民館などに受付窓口や募金箱を設置。企業や団体、一個人などから多くの善意が寄せられ、県や日赤県支部でつくる「募金運動推進本部」に集まった義援金は約5億2300万円。山陽新聞社会事業団には約6億2千万円が託され、各市町村分(判明分)を含めると約15億1千万円に上る。

 【救援物資】
 県には毛布や大人用おむつ、タオル、米など約20種類が集まり、県トラック協会の協力で11トントラック10台、4トントラック1台分を被災地へ届けた。
 市町村単位では、新庄村が農家から寄せられた米1914キロを国際医療ボランティア・AMDA(岡山市)に託した。浅口市は倉庫がいっぱいになり、各町内会が軽トラックで物資を輸送。総社市は現地のガソリン不足を考慮し、電気自動車2台をAMDAに貸し出した。

 【人的サポート】
 県内14消防本部で組織する緊急消防援助隊や県警計約390人のほか、県の消防防災ヘリコプター「きび」が被災地に入り、行方不明者の捜索や負傷者の搬送、交通規制に当たった。AMDAも医師や看護師ら約60人を送り、避難所の巡回診療を行っている。
 陸上自衛隊は三軒屋(岡山市)と日本原(奈義町)両駐屯地から約380人を派遣。被災者のショックを和らげるため、精神科医や児童精神科医ら8人の「心のケアチーム」も現地入りした。

 【ボランティア】
 被災地はまだ災害ボランティアを本格的には受け入れていないが、近く大量のマンパワーが必要となることが予想されるため事前登録が進む。日赤県支部(岡山市)は23日、「防災ボランティアセンター」を開設。市内外の51人が登録した。岡山、倉敷、笠岡市の社会福祉協議会も事前登録を始め、計約220人が受け付けを済ませた。現地の要請があり次第、被災地へ派遣し、炊き出しなど生活支援を行う。

 【被災者受け入れ】
 公営住宅は、県営の山陽住宅(赤磐市)や東岡山団地(岡山市)などに計189戸用意されている。このうち49戸の入居が決まり、7世帯29人が移住した。
 県は今後、県や市町村などの住宅で約1100戸を確保。民間にも協力を求めて5千人規模で受け入れる方針。阪神大震災(1995年)以来の大規模な支援態勢を敷く。
 市町村独自の取り組みでは、久米南町が震災で自宅を失った人のため、定住を条件に、町の分譲宅地20区画の無償譲渡を決定。住居を自費で建築できることなどが条件となる。


http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15638.html
2011/3/26 土曜日
石巻へ医師ら5人派遣/弘大

 弘前大学(遠藤正彦学長)は25日、宮城県からの要請を受け、東日本大震災で被災した同県石巻市に弘大医学部附属病院(花田勝美院長)の医師、看護師ら5人を派遣した。弘大は人員を入れ替えながら1カ月程度現地で活動する。
 第1陣は循環器内科の越前崇医師と看護師2人、病院職員2人で、石巻市の石巻赤十字病院を拠点として医療活動を行い、31日に帰弘する予定。
 25日朝、同病院第二病棟入り口前で行われた出発式では、花田院長が「体に気を付けて頑張ってほしい」と激励。
 医師や職員らの見送りを受け、一行はワゴン車1台に乗り込み現地へと向かった。
 花田院長は、被災地の情報不足を気に掛けながら「とにかくまず行ってみないといけない」と話した。



http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20110326ddlk35040524000c.html
つなごう希望:東日本大震災 関門医療センター、医療チームを再派遣 /山口
 ◇国立病院機構 医師ら7人

 東日本大震災の被災者救援の輪は25日も、広がりをみせた。医療関係者や下関市出身のダンスチームら、行政も民間も官民挙げて支援に取り組んでいる。【三嶋祐一郎、井上大作】

 国立病院機構・関門医療センター(下関市長府外浦町、佐柳進病院長)が、再び医療チームを被災地に派遣することになった。25日、出立式があった。

 同センターは震災直後も災害派遣医療チーム(DMAT)メンバーとして、医師らが岩手県内で救援活動にあたった。第2弾となる今回は医師、看護師、薬剤師ら計7人の医療救護チームを構成し、4月1日まで仙台市にある仙台医療センターを拠点に被災者の救護活動に努める予定。

〔下関版〕

毎日新聞 2011年3月26日 地方版



http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201103/h1103261.html
【陸前高田】復興へ息子とともに 高田病院の佐藤副院長 

 妻が行方不明のまま不眠不休で患者や被災者の治療を続け、過労で一時入院した県立高田病院の佐藤敏通副院長(57)は、長男慧(けい)さん(28)=東京都中野区在住=と被災地の復興支援に乗り出した。ジャーナリストの慧さんは震災直後に仲間と任意NPO団体「みんつな」(本部・東京都)を立ち上げ、ボランティアスタッフを陸前高田市などに投入する計画。慧さんは「避難生活者が一人もいなくなるまで支援を続ける」と意欲を見せる。

 「みんつな」はみんながつながって津波をひっくり返そうという思いから名付けられ、震災後に慧さんが所属する通信社・スタディオアフタモード(本社横浜市)など約50団体で設立。登録者はジャーナリストや心理カウンセラー、大学生などの現地活動スタッフのほか、街頭募金などの後方支援を含めて約千人に上るという。

 震災時はアフリカのザンビアで取材活動をしていた慧さんは13日夜に帰国し、19日夜に盛岡市の県立中央病院に入院していた佐藤副院長と再会。21日に退院した佐藤副院長と陸前高田入りし、行方が分からない母淳子さん(54)を捜索。現地災害対策本部などを視察した。

 慧さんは「まずは現地がどのような状況で、何を必要としているかを国内外に発信したい。現地は支援物資やボランティアが大量に届いてもそれを仕分けする能力がない。仕分けの段階から手伝えば有意義な援助につながると思う」と話す。

 2人は「今後は被災者の心のケアが一番大切になる」と口をそろえる。慧さんは陸前高田市を拠点に、市社会福祉協議会と連携して現地ボランティアスタッフの活動環境を整える。佐藤副院長は当面の間休養し、被災地に適した医療システムの構築などについて助言する。

 みんつなではスタッフや支援情報などを募集している。詳しくはホームページ(http://www.mintsuna.net/)まで。

(2011.3.26)


http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50198
<中国人が見た日本>中国救援隊員が語った被災地での8日間

 2011年3月21日、中国国際救援隊の一行15人が岩手県大船渡市での8日間にわたる救援活動を終え、帰国した。隊員の1人で武警総医院の彭碧波(ポン・ビーボー)医務部副主任が語った当時の様子が23日付で公式ブログに掲載された。

 震災のあった当日の夜10時(現地時間、以下同)、中国国際救援隊は救援隊員50人、医療隊員30人を集めるよう命令を受けた(実際に派遣されたのは15人)。彭氏ら医療分隊は11時には全員が集合した。翌12日の正午には4トンの救援物資とともに羽田空港に到着。軍用機で大船渡まで飛んでいき、救援活動を始めた。

 大船渡は想像以上の惨状だった。多くの家屋が津波で100メートル以上流され、割れたガラスの破片が飛び散っていた。まるで廃墟だった。現場では生存者の捜索と災害状況の調査が主な任務だった。彭氏は首席医療官として隊員を率いた。地元の消防署に割り当てられた捜索区域は計4平方キロメートル、家屋1000戸分だった。15日に遺体を1体発見した。

 14日からは朝6時半から夜6時まで、捜索活動を行った。彭氏は報告書を書く仕事もあったため、就寝時間は毎晩12時を過ぎていた。インドネシア・スマトラ沖地震と四川大地震でも救援活動に参加した経験を持つ彭氏だが、今回の活動で最も大変だったのは寒さと大きな余震、それに放射能汚染への懸念だった。だが、祖国・中国を代表して来ている以上、止めるわけにはいかなかったという。(翻訳・編集/NN)
2011-03-26 10:46:11 配信



http://mainichi.jp/area/niigata/news/20110326ddlk15040082000c.html
この人にとことん:新潟大大学院准教授(臨床精神医学)・北村秀明さん /新潟
 ◇避難者の心のケアは?

 津波に原発事故も重なり、未曽有の被害が広がっている東日本大震災。自宅を失ったり、放射性物質による汚染を逃れて、県内にも大勢の人が避難している。不自由な避難所暮らしと先の見えない不安で、精神的なバランスを崩してしまう懸念も。長期化が見込まれる避難生活で、被災者の心の問題をどうケアしていけばいいのか。新潟大大学院医歯学総合研究科の北村秀明准教授(44)=臨床精神医学=に聞いた。【長谷川隆】

 ◇支援必要だが弱者扱いは禁物 声をかけ、丁寧に耳を傾ける

 --避難生活では、どんなストレスがかかるのか。
 ◆厳しい環境下に置かれれば、誰だって多かれ少なかれストレスを感じ、心や体に異変が出てくる。その時に、周囲が「トラウマだ」「精神的に病んでいる」と言うのは、よくないといわれている。被災して避難生活を送っている場合、ほとんどの人にそういう症状が出る。だが、たいていは時間の経過とともに落ち着いてくる。

 ストレスの原因はさまざまだ。広い体育館で寒くて眠れないとか、普段とは違う食事とか、慣れない布団など。心身にストレスがかかると不眠を訴えることが多い。血圧が高くなることもある。避難生活が長引くと「命は助かったけれど、いったい今後どうなるのか」と、経済的なことや子どもの就学など現実的な不安に直面する。不安と不眠は一緒に出ることが多く、イライラしたり、落ち着きをなくす人もいる。何となく体がだるい、重い、痛いという形でストレスが出ることもある。表面には出なくても、心の中で何らかの不安を抱えている。

 --新潟には原発事故の影響を心配して避難してきた人が多い。
 ◆従来の地震災害とは明らかに性格が違う。肉親を亡くしたり、全財産を失うなど打撃的なストレスではなく、忍び寄る恐怖にジワジワと襲われる。汚染が広がり、飲み水や野菜などに被害が出ているが、十分な情報が入らない。いつになれば帰れるのか先が見えない。そういう不安に長く支配されると、心身に不調が出てくることがある。

 --受け入れ側にとっての注意点は。
 ◆支援の手を差し伸べることは必要だが、弱い者扱いしてはいけない。過去の震災時の経験により医療関係者の間では常識になっている。「自分はだめな人間だ」という意識を植え付けてしまうおそれがあるためだ。受け手がグイグイ聞くのではなく、静かに待つ姿勢が大切だ。「医師や看護師が巡回しているので、もし何かあれば相談して」と伝えるなど工夫が必要だ。

 --子どもや高齢者にはどんな対応を。
 ◆小学校低学年ぐらいまでの児童に「幼児帰り」の症状を見ることがある。反抗的になる子もいる。だんだんと収まるので、見守ることが大切だ。一方、高齢者は体力的に衰えているので、避難生活はこたえる。特に1人暮らしの高齢者は心細いはずで、配慮が必要だ

 --中越地震の際には、被災者支援に奔走した。
 ◆精神ケアの専門家でつくる「こころのケアチーム」の一員として中越地方の避難所を巡回し、全村避難した山古志の人たちのケアにあたった。皆さん気丈にしていたという印象だが、話を聞いてみるとそれぞれ悩みを抱えていた。丁寧に耳を傾けるという地道な作業の積み重ねだった。
 中越地震で得たノウハウは、今回被災した東北や北関東の大学などに参考資料として提供した。ただ、今回の対応は難しそうだ。津波があって、原発事故があって、被災地域も広いためだ。

 --今後の課題は。
 ◆被災直後は命を取り留めることが最優先。けがの治療や、人工透析など中断していた治療の再開などにあたる。一段落すると、心のケアに入る。県内に入ってきた避難者のケアについては、新潟大大学院の染矢俊幸教授が中心となり、どう対応するか具体的に対策を練っている。
 物質的な復興は済んでも、心の修復には時間がかかるケースも多い。半年ぐらいまでの急性期、さらに2、3年、それ以上先をにらんだ中長期的な対応が必要になってくる。

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 ■人物略歴
 ◇きたむら・ひであき
 1966年7月、栃木県生まれ。新潟大医学部卒業。10年3月から現職。新潟大災害復興科学センター生活安全部門こころのケア分野代表も務める。

毎日新聞 2011年3月26日 地方版



http://www.iwanichi.co.jp/ken/item_23210.html
迅速な対応へ体制強化 災害対策本部支援室
 (03/26)

 県は25日、大震災を受け設置した災害対策本部の業務支援組織となる支援室の体制を、6チームから4班18チームに見直した。対策ごとに体制を整えたほか、組織内での情報のやりとりをスムーズにして迅速な対応につなげる。

 災害対策業務に当たっては、支援室が関係部署と連携して取り組んできたが、被害が甚大で膨大な業務が生じている。このため、災害対策の主要な業務ごとに部局横断的な専従チームを設け、体制強化を図った。

 新体制は、支援室長(副知事2人)の配下に、統括、部隊運用、応急対策、復旧対策の4班を配置。このうち応急対策班は、被災者支援、支援物資調達、医療対策、埋火葬支援、がれき・廃棄物対策、市町村支援の6チームで構成されている。



http://medg.jp/mt/2011/03/vol87.html#more
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災害医療・介護コーディネーターが必要です
& 患者搬送の効率的な手配システムはできないものでしょうか?


北里大学医学部神経内科学
荻野美恵子
2011年3月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 先ほど(3月23日夕方)福島県いわき市いわき共立病院から人工呼吸器装着神経難病患者5名自衛隊のヘリで2往復して北里大学東病院まで搬送して帰ってきたところです。今回の搬送の顛末、この4日間を振り返って、皆様にもお知らせしたいと思って、書きました。

 搬送依頼の第1報は4日前の3月20日日曜日にありました。私は救急医や災害専門医でもなく、神経難病を専門としている、ただの神経内科医ですので、こんなに搬送手段の手配が大変という自覚もないまま、「月曜日に搬送になるかもしれないけれど添乗医師確保が現地で難しいので」とのことで、月曜日の早朝福島に向かいました。風評被害で空港からいわき市内にむけて走ってくれるタクシーを確保するのが困難とのことで、病院の車で迎えに来ていただきました。多くの市民が県外に移動しており、町は閑散としていました。

 今回、日本神経学会は地震4日目から「被災地の人工呼吸器装着神経難病患者の受け入れ先手あげリスト」を作成しはじめ、被災地から依頼があったらどこの病院で受けるかというマッチングの手順ができ、すばやい対応だったと思います。しかし、搬送手段の確保となると、大変難しいものでした。一度にたくさんの方を移動させるとなると内閣府の災害本部を通して自衛隊に依頼がいくようですが、おそらく立て込んでいることもあり、なかなか予定がたちませんでした。とにかく、待機しているようにいわれ、福島にいったはよいものの、いつ移動できるともわからず待つのはつらいものでした。なぜ、連絡が来ないかがわかれば、まだ対応のしようもあるのですが、どういう手順、どういう手筈でということがよくわからないまま、いまかいまかと連絡をまつという感じでした。
 その間、少しでもお役にたてばと思い、北里チームをつくり、他の地域からの災害援助隊と同様に避難所の診療のお手伝いをさせていただきました。
 22日の夜になって具体的にヘリの手配ができたことがわかり、23日早朝から亀田総合病院に8名、当院(北里大学東病院)に5名の人工呼吸器装着患者さんの搬送が無事できました。

 いわき共立病院のように地域の基幹病院として、最後の砦のように何でも受け入れなければならない状況になっておられる病院の方々はみなさん同じ思いでおられると思います。夕べもホットラインも頻回になり、「すべて断らない」という指示がでており、患者さんがどんどん押し寄せてきます。本日は、我々を送り出した後から、水道が復旧せずにこれまで自家発電で頑張ってきたけれどもギブアップという病院から百数十名の患者さんを受け入れ予定となっています。先ほどご報告のお電話をいわき共立病院にいれましたが、受け入れでごった返しているようでした。
 こんなことが各地の被災地でおきているのだと思います。同じような大変な状況で、自らも被災者でいながら、医療に奮闘されている方々がいて、一方なんとか力になりたいという全国の医療者がいて、でもその間を取り持つシステムが脆弱なため、有効に活用できない状況です。いわき共立病院にも手伝いたいという申し出が各地より来ているようですが、どのように取り扱ったらよいのか、困っている様子でした。実際ボランティア受けいれ自体に手間がかかってしまいます。
 共立病院の窓口であった小山先生は救急部の責任者で自分も救急患者の診療をしながら、搬送の依頼を同時に各地にされており、もちろん休みはとっていず、数時間仮眠してはまた仕事と、電話するのも申し訳ない状況です。だれかが専任でついて、少なくとも、搬送依頼のやり取りの補助をするだけでもずいぶん違うのにと感じました。この手配のやり取りだけで非常に時間と労力と精神力をロスします。病院の皆様には、頑張っておられることを多くの方々にお伝えする約束と、この状況が落ち着いた暁には一緒にのみに行きましょうと約束して帰ってきました。

 今回の経験を通して感じたことは、このような状況のやり取りをする専任者をボランティアでもよいので、被災地拠点病院に派遣する必要があるのではないか、官のみでなく、民が統率のとれた組織を形成し、補強しないとこの状況を乗り切れないのではないかということです。支援したいという情報を垂れ流すだけでなく、マッチングやコーディネイトする部署が必要です。今後亜急性期に入るにあたって急性期医療だけでなく、慢性期医療・介護についてもコーディネイトが重要となると思います。各被災地を裾野として人を派遣、情報を集約し、内閣府とも連絡交渉するような統制のとれた民の災害支援組織ができないでしょうか?



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000003-rbb-sci
【地震】「生き地獄だった」「トラウマになりそう」……被災地医師による現地レポート
RBB TODAY 3月26日(土)19時22分配信

 メドピアは25日、東北地方太平洋沖地震の被災地で救援活動に従事する医師による現地リポートの一部を公開した。対象となる医師は、同社が運営する医師向けコミュニティサイト「MedPeer」の登録会員で、23日より募集されたレポートは、24日15時現在で371件となるという。現在でもレポートの募集を継続している。

 以下は医師による現地レポートの一部抜粋。

「現地での状況はテレビ報道や新聞記事の比ではありません。悲惨そのものでとても言葉で言い表せるものではありません。死因はほとんど溺水による窒息で、被害は地震の揺れよりも津波によるものが多かったようです」(一般内科、総合診療、他)

「親を亡くして立ち尽くす子へどのように接したらいいか分からない、PTSDに関してアドバイスができない。(一部省略)小児に対する“心のケア”“治療”ができるスタッフを同行させた方がよい」(小児科)

「急患の多くは低体温・感染症・外傷。薬や点滴注射の不足が深刻。医師より薬剤師支援が望まれる」(宮城県若林区の中小病院・一般内科)

「現在は電気や水は復旧したものの、放射線による被曝を最小限にすべくマスクや服装他、飲料水等に気を使う毎日です」(眼科)

「検査は単純レントゲンと採血がなんとか使えますが、CTなどは当然動いていませんでした。野戦病院というより生き地獄でした」(一般内科、総合診療、他)

「慢性疾患の通常薬がないという訴えや、トイレ、水分の問題から便秘が多くみられました。また、コンタクトや皮膚の軟膏などの需要も高かったです」(脳神経外科)

「DMATで出勤しました。空港で中等症患者の診療に当たりましたが、診療中も地震があったりして、被害にあっていない私たちでさえ、トラウマになりそうな状況でした」(一般内科、総合診療、他)

 これらのレポートには、被災地の医療現場の様子や必要な物資などが具体的に記載されている箇所もあり、何らかの形での支援を試みるうえで、参考になるだろう。現地レポートは今後も続く予定で、同社コーポレートサイト(http://medpeer.co.jp/)や「MedPeer」トップページ(https://medpeer.jp)に掲載される。


https://medpeer.jp/posting_view_review?rid=20110325-1
【医師による現地リポート】(抜粋

* 3月19日~22日まで宮城県仙台市郊外 若林区近くの中小病院にて支援。内科当直 日直業務 リハビリ室からの臨時病棟診療に携わる。時間外の患者数は予想以上に少ない。救急患者のトリアージは黒タグ(溺死多数)と緑タグが多く阪神震災であったような赤タグの患者さんの数が少ない。急患の多くは低体温・感染症・外傷。薬や点滴注射の不足が深刻。医師より薬剤師支援が望まれる。支援 の中心はおそらく避難所に移るも避難所自体は長く続けない方が健康によい。半年から1年位必要でないか。(一般内科)

* 地震発生時偶然仙台の病院に出張中であったため診療に協力した。沿岸部からは距離があり津波の被災者は運ばれなかったが転落や外傷等の初期治療にあたった。情報が乏しく混乱は大変なものであった。 (一般外科, 消化器外科)

* 石巻に手伝いに行ってきました。 現地では食料はもとより、医療物資も不足しており、満足な医療ができませんでした。 今回のような大災害ではトリアージの赤が限りなく黒に近く、黒or緑といった感じです。(放射線科)

* 県北の病院が壊滅的被害を受けたために入院ができなくなった患者さまを引き受けています。 後方支援ぐらいしかできないのが現状です。困っていることは、 ご家族と会えませんので、急変時のICなどの説明ができていません。 また、電話での連絡もうまくできないので、災害時伝言ダイヤルを使用しています。 (リハビリテーション科, 整形外科・スポーツ医学)

* 回復期病棟の主治医をしております。震災直後、患者を安全な1階リハビリ室へ、全員搬送し、ナース・リハスタッフを交代勤務とし、一元管理した。環境を整える余裕はなかったが、転倒の危険性は減り、一周目ごろからはリハビリも可能となり、何とか病院機能を維持できました。劣悪な環境の病院から、患者を引き受けられる余裕もできつつあります。しかし、依然断水のままであり、食材不足の状況は続き、まだまだ“通常営業”とは行かないようです。(一般内科, リハビリテーション科, 他)

* 私自身、被災者でもあります。地震で停電(2日間休診)や断水(約5日間トイレ使用不能&消毒は市販のもの使用)で診療に従事しました。患者さんも来院に苦労されるので人数は少なかったものの、薬を切らすわけにはいかない人には感謝されました。現在は電気や水は復旧したものの、 放射線による被曝を最小限にすべくマスクや服装他、飲料水等に気を使う毎日です。鉄道も約50%の間引き運転、もしくは液状化現象で復旧の見通しなしの状態なので車が重要な移動手段です。が、給油が大変で、営業しているガソリンスタンドが約20%位でしかも並ばないと給油できません。知人は先週、並んでいたにもかかわらず2か所共、途中でガソリンが無くなって給油できなかった経験をしています。出来ることから着実にやるしかない!この頃です。(眼科)

* 現在は帰京しましたが、14日・15日の釜石市では電気、水道、電話、携帯など復旧の見込みもなく、救急車も連絡手段が無く 突然搬送されて来るのを待つ状況でした。検査は単純レントゲンと採血がなんとか使えますが、CTなどは当然動いていませんでした。野戦病院というより生き地獄でした。 (一般内科, 総合診療, 他)

* 19日昼出発22日早朝帰着の超過密スケジュールで県医師会主導の医療ボランティアに参加させていただき、宮城県での死体検案書作製の仕事に携わってきました。涙なしではとても出来る作業ではありませんでした。現地の状況はテレビ報道や新聞記事の比ではありません。悲惨そのものでとても言葉で言い表せるものではありません。死因はほとんど溺水による窒息で、被害は地震の揺れよりも津波によるものが多かったようです。従って生きるか死ぬかの二者択一で、崩壊したがれきの中から救出される場面は少なかったようです。自衛隊員の方や警察の方が黙々とてきぱきと任務をされている姿に心打たれました。小生の医院に設けた義援金箱には短期間にたくさんの患者さんからのご厚志をいただきました。今後もいろいろな形で復興支援に携わっていく所存です。 (一般内科, 総合診療, 他)

* 小児を診ることがない医師(救急・整形外科・外科医)が多く駆り出されたが、親を亡くして立ち尽くす子へどのように接したらいいか分からない、PTSDに関してアドバイスができない。発達が正常かどうか判別できない、など成人の治療は可能だが、小児は後回し、小児の対処は分からないということが多かったようだ。小児に対する「心のケア」「治療」ができるスタッフを同行させた方がよい。 (小児科)

* DMATとして発生直後に被災地に行ったが,今回の災害は津波によるものが主で,被災者は生きているか死んでいるかの2択で,生きている人は軽症か無傷がほとんどであった.おそらくDMAT活動の見直しが図られるのではないだろうか.災害には医療従事者の派遣はもちろん重要だが,それだけでは如何ともしがたくインフラの復興などの方が重要であり無力感を感じた次第であった(その他)

* 宮城県のクリニックで診療中の地震でした。ドアを開けて、スタッフに大きいよ、と声かけるのが精いっぱいで・・あとは揺れにまかせるだけ。動くことはできませんでした。 治まってきても余震が強く、患者さん、スタッフの無事と、危険な機材の異常がないことを見極めたら、支障なく休診に移行し、患者さんとスタッフを帰すことを考えました。停電とともに電子カルテは無停電電源装置に切り替わり、アラームがなり始めていましたので、決めてあったマニュアルに従い(これがとても再開時に役立ちました)データ損傷なく電源を落とせました。 大惨事の被災地では命にかかわる、医療が必要ですが、いざというときの(殊にカルテはじめ機器の)マニュアルを簡略化しておくことが必要だと感じました。 地震から約10日後の内服切れ、避難所生活、被災地から避難してきて具合が悪くなってしまった患者さんの診療に追われてます。大被害の場所ではありませんが、後方支援に徹してます。 (一般内科, 代謝・内分泌科, 他)

* 東北地方ほどの被災地ではありませんが、茨城にある当院も病院にヒビが入り、一時的に患者さんを病院隣の体育館に避難させました。病態の軽い患者さんは退院させ、比較的新しい病棟に患者さんを収容しました。体育館から患者さんの移動は停電のなか、全職員で階段を利用して行われました。ベッドがたりず、会議室に布団をひいて病棟として利用しないと行けない状況でした。震災から1週間は朝夕出席可能な職員で対策会議を開き、乗り切った状況でした。現在は病院そのものの耐震性に問題はないとの診断結果を得、閉鎖した病棟を順次オープンしている最中です。手術室の滅菌機器が使えず、滅菌は外注と他病院の協力を得ながら行っている状態ですが手術を再開しました。もう少し落ち着けば福島県からの患者さんも引き受け可能になると思います。震災後1週間当院の透析室は福島や近隣透析病院から多いときには1日100名もの患者さんを引き受けていました。 (消化器外科, 呼吸器外科)

* 気仙沼市で4日間活動しました。医療チームはそれなりの数が集まっていました。 巡回診療を中心に行いましたが、重症な患者さんは皆無で、慢性疾患の通常薬が ないという訴えや、トイレ、水分の問題から便秘が多くみられました。 また、コンタクトや皮膚の軟膏などの需要も高かったです。 一番の問題は情報統制で、電話通じず、ガソリンなくどこで医療が受けられるかわからない、などが一番多く聞かれました。 日々、各方面のがんばりで、道路他ライフラインが徐々に復旧しています。 外傷患者さんが多いかなと思って現地に入りましたが、実際は異なっていました。 今後も機会があれば、再度気仙沼に行こうと思っています。(脳神経外科)

* DMATで出動しました。 空港で中等症患者の診療に当たりましたが、診療中も地震があったりして、被害にあっていない私たちでさえ、トラウマになりそうな状況でした。 地震発生後数日経ってから救助された泥まみれの患者さんを診療した時は、本当に日本で起きていることなのかと信じられませんでした。 移動もままならない時期から、全国各地からDMAT、救護隊、消防などが現地入りし、活動しているのをみると、日本も捨てたもんではないなあと感動しました。 まだまだこれからが大変ですが、日本人として共にこの状況を乗り越えていければと思います。 私たちも今度は救護隊として再度出動すると思います。 (一般内科, 総合診療, 他)



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000302-mailo-l46
つなごう希望:東日本大震災・鹿児島から 宮城で救助活動、県警航空隊帰還 /鹿児島
毎日新聞 3月26日(土)16時31分配信

 ◇祖母と孫救い「うれしい」
 東日本大震災でヘリによる救助活動を行った鹿児島県警航空隊が25日、鹿児島空港に帰還。9日ぶりに倒壊家屋から救助された女性(80)と孫(16)を病院に搬送するなど、被災地での活動を報告した。
 県警航空隊は18~23日の6日間、宮城県内全域で上空から行方不明者の捜索や救助、遺体の発見に全力を挙げた。
 20日、宮城県石巻市で「2人生存」の一報が入り、現場近くにいた県警ヘリ「はやと」に搬送要請があった。慣れない土地だが、病院の場所や地名を事前に勉強していたことが役立ち、現場に急行。ヘリの風による二次被害が起きないよう慎重に上空でホバリングを続け、救出の時を待った。
 ヘリに収容された女性に高田巌隊長(54)が「大丈夫ですか」と問いかけると、女性は少し表情をこわばらせながらも「大丈夫です」と答え、その様子に安堵(あんど)したという。操縦かんを握った和田正治副隊長(41)は「女性の顔を見た時はやっぱりうれしかった」。病院に無事搬送後は感極まり目に涙が浮かんだため、高田隊長に操縦かんを渡したという。
 高田隊長は「活動中は『とにかく安全に』ということだけを考えた。沿岸全域が被災していて、上空から見て津波災害の恐ろしさを感じた」と話した。【川島紘一】



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000265-mailo-l33
東日本大震災:心のケア最前線に 盛岡出身の小野さん、復興の願い胸に福島へ /岡山
毎日新聞 3月26日(土)16時13分配信

 ◇吉備国際大大学院卒業「困っている所支援
 高梁市の吉備国際大大学院臨床心理学研究科修士課程を今月卒業した小野舟瑛(しゅうえい)さん(24)=盛岡市出身=は4月、福島県郡山市の病院「あさかホスピタル」に就職し、心理士として被災者の心のケアの最前線に立つ。【山本麻美子】
 東日本大震災が起きた時は「ひどすぎた。津波が街をさらう映像を見た」と言う。直後に電話で家族や親族の無事は確認できたが、その後は音信不通が続いた。出身の県立盛岡第一高の友人や両親の職場には家屋が全壊したり、今も安否が不明な人もいる。
 両親がレントゲン技師と医療事務に就いていて「自分も病院で仕事がしたい」と思って育ち、「人の心が見える」と心理学を選んだ。盛岡から高梁に来て、アルバイトで塾講師や岡山市児童相談所夜間相談員、倉敷市教育センターの訪問カウンセリングを体験。地域のクラブでバレーボールも続けた。修士論文は「不登校の予防」。不眠症の治療などの研究もした。22日の卒業式では、院生を代表した謝辞も述べた。
 就職の内定は12月に得た。「盛岡から高梁に来てこんな状況の時に福島に行く。ご縁です」。就職先の郡山市は、福島第一原発から60キロ離れているものの「被災者は今、緊張状態が続いているが、落ち着いた時にしわ寄せが来る。そんな時に自分たちとのかかわりが必要になるだろう」と予測する。そして「患者さんは増えると思う。できることを積み重ねていきたい。自分が体験していないのに、つらかったですね、とも頑張ってくださいとも言えない。今生活で困っている所に支援ができないかな、と思う」と慎重な言葉に復興への熱い思いを込めた。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032620230065-n1.htm
【東日本大震災】「阪神より物資が不足」 医師会、障害男性を支援
2011.3.26 20:21

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で医療活動をした兵庫県医師会が26日、神戸市内で活動内容を報告した。阪神大震災と比べて物資がなかなか入ってこない現状を指摘したほか、津波で義足を失った被災男性を同医師会として支援決定したことも明らかにした。

 医療救援チームとして21日から現地に赴いた川島龍一会長は、阪神大震災との違いについて「ガソリン、灯油、食料などの物資が入らず、移動が非常に不便だった」と説明。施設ごと流された医療機関が多いため「長期、継続的な医療支援が必要」と語った。



http://medg.jp/mt/2011/03/vol89.html#more
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後方搬送は負け戦の撤退作戦に似ている:混乱するのが当たり前

亀田総合病院 小松秀樹
2011年3月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 東北・関東大震災で、2件の後方搬送に関わった。この経験から、後方搬送は負け戦の撤退作戦と心得るべきだと痛感した。

1 関わった撤退作戦
 2011年3月17日:いわき市からの透析患者搬送作戦
 2011年3月21日:いわき市からの介護老人保健施設(老健)疎開作戦

2 いわき市のライフラインと燃料供給
 いわき市の一部は原発事故に伴う屋内退避地域にかかっていたが、大半は避難地域ではなかった。しかし、地震のため上下水道が使えなくなった。風評被害で食料を含めて外部から物資が届かなくなった。ガソリンが極端に不足した。各種設備の修理のための業者がいなくなった。外部の業者はいわき市に入るのを嫌がった。
 
3 いわき市の医療状況
 寒さ、栄養不足、環境衛生の悪化で、高齢者の肺炎が急増。いわき共立病院が患者であふれた。避難地域から、いわき市の病院に移送された患者が多数死亡したことが報道された。
 3月19日ごろ、友人から、いわき共立病院の肺炎患者95名の後方搬送の相談を受けた。
 3月20日、人工呼吸器使用中、あるいは気管内挿管されている患者8名をいわき共立病院から亀田総合病院にヘリ搬送する作戦開始。2日間、悪天候のため、ヘリが飛べず、待機せざるを得なかった。3月22日搬送。主目的は現場の負荷を減らすこと。

4 3月17日透析患者搬送
 7百数十名の透析患者を新潟、東京、鴨川に搬送するための準備作業は生半可なものではない。患者リスト、病歴サマリーなど情報伝達のための作業は膨大だったはずである。
 劣悪な環境のため、患者の全身状態は通常より悪化していた。患者の多くがバスから自力で降りられなかった。
 民間人のネットワークで、数十台のバスを用意した。前日、福島県が用意したバスで搬送予定だったが、県が厚労省に許可を求めるという悪手をうって、厚労省に止められた。そこで民間だけで搬送した。薬品会社が搬送費用を負担した。
 亀田総合病院は45名の患者を受け入れた。受け入れ本部では、送り出し側のいわき泌尿器科病院が超多忙で混乱しているかもしれないとの想定で、連絡を最小限にした。翌日聞いたところでは、予想通り、送り出し側は徹夜の作業だった。
 受け入れ側の最重要情報は、患者の氏名、生年月日。これは受診カードを作成するためである。前もってカードを作成しておくと、本人確認が容易になり、早急に診療が開始できる。この情報についても、完璧なものを現地に要求しないようにした。
 一部の診療科からは、細かい情報を現地に問い合わせるよう要請されたが、現地を混乱させるだけだと考えて、すべて握り潰した。現地の生活状況まで聞けという馬鹿もいた。
 撤退作戦では、短い言葉で表現できる情報で全体を想像する。動きながら、刻々変化する状況を判断し、決断していくしかない。
 重症患者についての細かい連絡は、バスが出発してからすることにした。

5 介護施設の生活環境
 上下水道が破壊されたため、水が得られず、トイレが使用できなくなった。排泄物がたまり悪臭がでた。しかも、放射性同位元素の室内への侵入を防ぐために換気しなかった。食糧不足で、職員は地震以後おにぎりのみで副食なし。入所者も食糧不足のため1日2食になった。水分がとれず、脱水気味になった。地震後、少なくとも3月21日までは、全員、風呂に入れなかった。車での通勤が不可能になり、職員の多くは施設に泊まり込んだ。
 建物が1棟損壊して、危険な状況になった。50人が別の2棟(それぞれ50名収容)に割り振られたため、生活範囲が狭くなった。車椅子に乗って動くスペースがなくなった。リハビリができなくなった。
 運動機能、全身状態がみるみる悪化した。

6 3月212日老健(小名浜ときわ苑)疎開作戦(松浦新「要介護者の避難に、広がれ『鴨川モデル』」ウェッブ論座) http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2011032200012.html?iref=webronza
 大形バスと施設所有の車で搬送。いわき側では、救援のために小名浜に入港する予定の神奈川県の船の利用を検討したと聞いた。定員が少ないことに加えて、2段ベッドで、重症者の観察、介護が不可能だと判断したという。自衛隊は連日の大活躍で過剰な負荷がかかっていた。自衛隊への出動命令がなかなか出せない状況だったかった。実際、人工呼吸器を使用している患者の亀田総合病院へのヘリ搬送を実現するのに、政治的働きかけが必要だった。米軍は、日本政府が要請しないので、被災者を搬送できなかった。結局、入居者120名と職員、家族、全体で200名弱、セラピー犬2頭、飼い犬1頭がバスと施設の車で移動した。
 劣悪な環境にいたので、入所者の体調は悪かった。移動するにも危険はあったが、現地にとどまることにはさらに大きな危険があった。さらに、原発の状況で避難範囲が広がると、混乱状態になり、組織だった避難が不可能になる。少数の職員と入所者が取り残される可能性が高くなる。後述するように、避難範囲に含まれる病院や介護施設で、取り残される事例が実際に発生した。負け戦での潰走状態に酷似した状況になる。組織的対応が可能な間に搬送することになった。

7 現場の邪魔になった各種馬鹿
○詳細情報要求馬鹿
 残念ながら、行政やメディアだけでなく一部の医師にも観察された。苦境にある相手の状況を想像せずに、細かい情報を要求する。
 潰走状態にある戦闘部隊に人数、年齢構成、携帯している食糧の種類と量、武器と弾薬の種類と量、到着予定時間などの情報をよこせというのは、馬鹿としか言いようがない。

○5W1H馬鹿
 自称Y新聞の記者が、亀田総合病院の地震対策本部に電話してきた。老健の出発が何時か聞いてきた。10時目標だがいつになるか分からないと返事。それでも、予定は何時かとしつこく尋ね続けた。入所者をバスに運び込むのに、ひどく時間がかかるので、出発時間など分かるわけがないというと、到着時間の予定は何時かと尋ねてきた。出発時間が分からない移送の到着時間の予定などあるはずがない。超多忙で事態に当たっていたので、馬鹿ものと怒鳴って電話を切った。上司が真正5W1H馬鹿で、本人は馬鹿追随馬鹿かもしれない。
 
○「正義の味方」馬鹿
 自分を正義の立場におき、善悪の基準で物事を判断する。誰かを悪人に仕立てて非難することが事態の改善につながなると思っている。あるいは、習性でそのような行動しかとれない。
 老健疎開作戦についての、3月221日の毎日新聞の見出しは「集団避難中に2人死亡 福島から千葉 長距離移動にリスク」だった。2人の死亡を、記事の最後の2つのバラグラフで大きくとりあげた。「長距離移動にリスク」をとりあげるのなら、同時に「劣悪な環境に残すことのリスク」をとりあげる必要がある。
 今回の震災で、逆の報道もあった。福島県の双葉病院で、避難中入院患者が「置き去り」にされて20数名が死亡したとされる事件があった。で、同院の医師と思われる人物(未確認)の掲示板への書き込みを、友人の神田橋宏治医師が紹介してくれた。正しいかどうか確認する手段を持たないが、この事件の報道が一瞬で途絶えたことから判断すると、事実の可能性が高い。
 以下一部を引用する。

 自力で歩ける患者さんを中心に209名の患者さんと私を含め数十名の職員が5台のバスと数台の病院の車に乗って、数日分の薬と非常食を積んで大急ぎで避難しました(避難したのは最初の爆発の2時間前でした)。この時は一時的な避難で、病院に数日以内に帰ると思っていました。私たちの出発時に院長は病院に間違いなく残っていました。
(中略)
 さて、病院に残った院長と数名のスタッフは、1回目の水素爆発の後も電気も水道も通信手段もない(携帯も公衆電話も不通)病院で点滴やオムツの交換をしつつ次の救援を待っていたそうです。自衛隊の救援が来たのは、丸2日後の3/14の午前で、近くの老健の入所者98名と双葉病院の寝たきりの患者さん30名をバス8台で連れて行きました。その後院長を含む4名が警察官と共に次の救援を待っている間に3回目の水素爆発があり、3/15午前1時に警察の車で強制的に川内村まで避難させられたそうです。
 院長一行は川内村から再び病院に戻ろうとしましたが、避難指示のエリアということで戻ることは許可されず、1回目とは別の自衛隊員だけで最後まで残された90数名の患者さんを避難させたそうです。自衛隊によって避難させられた患者さんは、名前も病名もわからない状態で医療機関や施設に収容され、中には亡くなった患者さんもおり、各病院の先生方にはご迷惑をおかけし、大変申し訳なく残念に思っております。
 以上の経過の通り、患者さんが全員避難するまで院長は病院に留まろうとしていたのにもかかわらず、強制的に警察に退避させられたのです。間違っても患者さんを置いて「逃げた」わけではないのです。
 おそらく最後に患者さんを避難させた自衛隊員の報告を聞いた県の担当者が、何の裏づけも取らず「なぜ入院患者だけがいたか、現段階では分からない。避難する中で混乱が起きることはあるが、もし高齢者だけを置いて避難したとしたら許せない」と発言し、新聞が横並びに報道したものと思われます。後になって県は訂正しましたが、果たしてどれほどの人がこの訂正を知っているでしょうか?

 老健疎開作戦についての毎日新聞の記事には。駒木智一という署名が入っていた。この記者は少なくとも、当日鴨川には取材に来ていなかった。記者がよくとる方法だが、責任を回避するために、明確な主張をしていない。あいまいさやほのめかしに徹している。見出しと合わせて、無理な移動で人命を失ったという印象を誘導しているように思える。
 東京電力の記者会見に出席している記者の多くは、この範疇に入るかもしれない。原発事故の現場で、命がけで頑張っている東京電力社員を、安全地帯にいる記者が攻撃する図は正視に堪えない。質問する記者を名前入りで撮影すべきではないか。

○電話馬鹿
 電話をかけることが、相手に迷惑になることが想像できない。自分が欲しい情報、しかも、事態を改善するのに役にたたない情報を得るために、超多忙な現場に電話をかける。

○前例踏襲馬鹿
 危機的状況でも、前例がないと動けない。

○目立ちたがり馬鹿
 大きな寄与をしていない、あるいは、ときに阻害要因になることすらあるのに、メディア(ネットメディアを含めて)に自身を露出することには熱心に動く。メディアに売り込むためには、疲れ果てた当事者に負担をかけることを厭わない。

8 英雄
 前例がない中で、疎開後もこれまで通りの介護報酬請求を認めることを確約してくださった渡辺敬雄いわき市長の英断にエールを送る。
 高齢の要介護者を迎え入れるために、80kgのベッド120台をエレベーターなしで搬入し、翌日には入所者をけがさせないように丁寧に運びいれてくださった市民のボランティアに感謝する。
 絶望的な状況の中で、10日間持ちこたえ、さらに、死に物狂いの大搬送作戦を完遂した弱冠39歳の施設長とスタッフに満腔の敬意を表する。

  1. 2011/03/27(日) 06:22:35|
  2. 未分類

3月25日 震災15日目

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110325/bsc1103250503002-n1.htm
製薬協、被災地へ医薬品70トン緊急搬送 自治体との連携課題
2011.3.25 05:00

 日本製薬工業協会は24日、東日本大震災の被災地に向けて感染症や高血圧症治療薬など約70トンの緊急搬送を開始した。医薬品メーカーは19日にも製品を無償提供しており、「量的には十分」(製薬協)としている。

 24日、埼玉県三郷市の物流基地から、岩手、宮城、福島県に向けて大型トラック3台分の医薬品の輸送が開始された。現地で不足しているとされる感染症薬に加え、高血圧薬、糖尿病薬などだ。地元の医師会や各自治体などと連携し、各医療機関や避難所に配布する。

 製薬業界では19日にも、ロート製薬、エスエス製薬など約50社が日本OTC医薬品協会、日本医師会を通じて、被災地からの要望が多いかぜ薬や胃腸薬を中心に約10トンを岩手、宮城両県に空輸したのに続く動きだ。

 避難所ではインフルエンザが流行の兆しをみせていることから、中外製薬は抗インフルエンザ薬「タミフル」6万人分を提供することも決めた。

 ただ、被災地が広範囲に及び、患者が各地に分散。医療機関の多くも被害を受けており、治療を十分に行えていないのが現状。「とにかく早く薬が欲しいとの声が多いが、避難所ごとに個別のニーズがあり、対応しきれていない」(製薬協)のが現状で、自治体などとの綿密な連携が課題になっている。

 今後も安定的に医薬品を供給するには物流面の不安も残る。製薬各社とも「少なくとも1カ月分の在庫は確保している」(大手)ことから、在庫不足は現在のところ起きていないもようだが、卸業者の物流基地も損壊しており、「安定供給のめどが立たない」(医薬品卸)との声も聞かれる。ガソリン不足も支障となっている面もある。

 生産面では、東京電力管内の計画停電も足かせとなる。一部の医薬品は製造過程で継続的に無菌状態を保つ必要があり、停電になれば作り直す必要があるからだ。製薬協は厚生労働省を通じて、東電に対して生物製剤工場を計画停電の対象地区から外すように求めたが、自社施設が被災した会社も多く、被災地への供給体制が元通りになるにはまだ時間がかかりそうだ。


http://mytown.asahi.com/areanews/toyama/TKY201103240377.html
薬都から被災地救え 30社、医薬品30万個の搬送開始

2011年3月25日

 薬都・富山から被災地へ薬を――。県薬業連合会と県医薬品工業協会に加盟している約30社の会員企業が、宮城県や岩手県へ向けて風邪薬や胃腸薬など約30万個の一般用医薬品を送り始めた。県などの呼びかけに応じ、週内にも届け終わる予定だ。

 県くすり政策課によると、全国知事会や被災地にある自治体の災害対策本部からは医薬品の不足が指摘されている。これを受けて薬関係の県内2団体に災害救援物資の提供を呼びかけた。店頭などで購入できる一般用医薬品について、23日段階で解熱鎮痛剤、下痢止め、殺菌消毒薬、点眼薬など100品目余、約24万個(600箱)の提供があった。

 23日午後から上市町久金の「日立物流 富山医薬品物流センター」で10トントラックによる搬送が断続的に始まり、すでに福島県などに送った約6万個の一般用医薬品を合わせると、総量は30万個に及ぶという。これとは別に、県薬剤師会も消毒薬や包帯、使い捨てマスクなどを提供している。富山市歯科医師会も歯ブラシ2万2800本を寄贈することを決めた。

 「富山と言えば薬で、300年以上の歴史があり、医薬品生産額も全国2位。『富山のくすり』として被災地に運んで役立ていきたい」と同課は話す。


http://www.m3.com/iryoIshin/article/134370/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(医療関係団体)
被災地を支える医療機関にも問題山積
保団連が薬不足、患者負担、計画停電などで厚労省に要望

2011年3月25日 橋本佳子(m3.com編集長)

 全国保険医団体連合会が3月24日開いた「緊急マスコミ懇談会」で、副会長の竹崎三立氏は、「被災地への支援とともに、それを支える医療機関でもどう診療を継続していくか、いろいろな問題が生じている」と述べ、関東などでも、被災者への保険診療の取り扱い、計画停電や医薬品の不足などの問題があり、これらに対応する必要性を強調した。保団連ではこれまでも、様々な要望を厚生労働省に行ってきたが、3月 25日、改めて「東日本大震災における被災者医療と医療提供体制確保に関する再度の要請」を厚労省に提出する。

 「医薬品では、チラーヂンSが不足になったが、他の医薬品についても工場の稼動停止などで問題が生じてきた。計画停電のために、X線撮影ができなくなったり、人工透析にも支障が生じている。また予約患者が、診療時間を変更しなければならないこともある」などと竹嶋氏は指摘する。医薬品の不足状況は日々変わると言い、「チラーヂンSは何とかなりそうだが、今、問題になっているのが、エンシュアリキッド(経腸栄養剤)などの不足」(竹崎氏)。

 懇談会に出席した、日本医療福祉生協協同組合連合会専務理事の藤谷恵三氏も、「我々は共同購入を実施しているが、100以上の品目で既に品薄になっている」とし、被災地に医薬品を送ってきた医療機関側が薬不足に直面しているとした。

 一部負担金は「猶予」ではなく、「免除」を

 竹崎氏は東京都杉並区で開業するが、ここ1週間、親戚のもとに身を寄せるなどした被災地からの患者が増えているという。厚労省は、対象者の要件を満たす被災者については、保険証がなくても保険診療を認めたり、一部負担金の支払いを2011年5月31日まで猶予するなどの措置を講じている(『「被災者の受診、性善説に基づき対応を」、日医が周知要望』を参照)。これら保険診療の取り扱いでも問題が生じている。

 一つは、保険資格の確認。「今、薬がほしい、という患者にしわ寄せすることはできない。住所がどこであるかを確認しているが、医療機関がレセプト請求する際にいろいろなトラブルが生じてくるのではないか」と竹崎氏は見る。該当する対象地域も、徐々には拡大されているものの、東京など他の地域の医療機関が、患者の住所を聞き、それが対象地域に該当するか否か、確認するのも容易ではない。

 さらに今の一部負担金の減免は5月31日までだが、兵庫県保険医協会事務局次長の小川昭氏によると、1995年の阪神・淡路大震災の際も、一時負担金の免除期限が切れた後、慢性疾患患者の1割強は受診を中断したという。

 保団連では、災害救助法の適用や、「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」と同様の立法措置を行うなどして、被災者については、一部負担金の支払いの「猶予」ではなく、「免除」を行うことを求めている。

 そのほか保険診療で問題になっているのが、他院受診した際の入院料の減額措置(『他院受診の要件変更、「受診日以外の投薬費用も算定可」に』を参照)。「被災者の入院を受け入れることができても、人工透析ができない場合、他施設に依頼すると、入院料は7割に減額される」と竹嶋氏は問題視する。3 月25日の「再度の要望」では、2011 年3 月分の診療報酬請求期限の延長や、2011 年5 月支払い分(2011年3 月請求分)の早期支払い措置など被災医療機関への支援も求めている。

 被災医療機関への公的助成が必要

 一方で、保団連では、震災の被害を受けた地域への支援も、厚労省に対して要望。3月16日から18 日、岩手県、宮城県、福島県の各保険医協会に行き、被災地の現状を見た、兵庫県保険医協会の小川氏は、「地震後、数日経っていたが、通信事情も悪く、ガス、水道、電気もなく悲惨な状況だった。阪神・淡路大震災との違いは地理的な規模の違い。大阪から40kmくらい歩けば、被災地に物資を届けることができた。しかし、今回の被災地は広い上にガソリン不足で身動きができない」などと、今回の震災への対応の難しさを語る。

 その上で、「地域医療を成り立たせるためには、開業医などの零細な医療機関を立ち直らせることが重要」とする小川氏は、阪神・淡路大震災の時は、1施設当たり診療所は約1000万円、病院では約2億5000万円、計230の医療機関に、総額約94億円の公費が投入されたとし、今回も被災民間医療機関に対する公費助成が必要だとした。

 医療福祉生協では延べ100人の医師を派遣

 「緊急マスコミ懇談会」では、医療福祉生協の藤谷氏のほか、日本医療労働組合連合会中央執行委員長の田中千恵子氏が、被災地の支援状況を介。

 日本医療福祉生協協同組合連合会では、3月23日までに、人的支援では、50の医療福祉生協から延べ人数にして、医師100人(うち歯科医師3人)、看護師・保健師134人などを宮城県塩釜市の坂総合病院に派遣、物的支援でも、30の医療福祉生協から、約150トン(ガソリン、日用品、衛生用品、医療材料、医薬品など)を、坂総合病院のほか、みやぎ県南など計6つの医療福祉生協に送っている(詳細は、医療福祉生協のホームページを参照)。

  医労連でも、被災地域の医労連の組合員が働く医療機関について、詳細な被害状況の把握に努めると同時に、全国各地で義援金募集活動などを展開するほか、救援活動を行っている(詳細は、医労連のホームページを参照)。

 避難所では口腔ケアも重要

 そのほか、被災地の医療における歯科の重要性も指摘された。厚生労働科学研究(大規模災害時における歯科保健医療の健康危機管理体制の構築に関する研究)によると、阪神・淡路大震災では、災害関連死のうち最も多かったのが、肺炎(24.2%)。「肺炎の何割かは誤嚥性肺炎であり、避難所での口腔ケアが重要になる。しかし、水不足などもあり、十分にできているとは言えず、義歯を外さない人もいる」と保団連副会長の宇佐美宏氏は指摘、企業等に歯ブラシの支援を求めたことを紹介した。 


http://sankei.jp.msn.com/region/news/110325/osk11032502260001-n1.htm
東日本大震災 岩手・釜石などの避難所で医療活動 大阪
2011.3.25 02:25

 ■府の救護チーム

 東日本大震災の被災地の医療活動を支援する府の医療チームが24日、岩手県釜石市などの避難所で、医療活動を始めた。

 医師不足や衛生環境悪化を懸念した厚生労働省の要請で、府立病院機構が医師や看護師らを派遣。保健師や心のケアにあたる精神科の医師らも被災地に入り、医療サポートを行う。

 23日に府庁で行われた出発式では、綛山哲男副知事が「避難所のみなさんに一日も早く元気になってもらうよう、活躍してほしい」と激励した。


http://www.sankei-kansai.com/2011/03/25/20110325-051109.php
岩手・釜石などの避難所で医療活動 大阪府の救護チーム

 東日本大震災の被災地の医療活動を支援する大阪府の医療チームが24日、岩手県釜石市などの避難所で、医療活動を始めた。

 医師不足や衛生環境悪化を懸念した厚生労働省の要請で、府立病院機構が医師や看護師らを派遣。保健師や心のケアにあたる精神科の医師らも被災地に入り、医療サポートを行う。

 23日に府庁で行われた出発式では、綛山哲男副知事が「避難所のみなさんに一日も早く元気になってもらうよう、活躍してほしい」と激励した。

(2011年3月25日 06:58)


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110325/t10014890771000.html
閉鎖や診療制限“半数以上”
3月25日 5時47分

 25日で東北関東大震災から2週間を迎えますが、岩手、宮城、福島の3県にあるベット数が100を超える病院のうち半数以上で、医療スタッフや医薬品の不足などから一時的な閉鎖や診療の制限などを余儀なくされていることが分かりました。

 NHKは、今回の地震で特に甚大な被害が出た岩手、宮城、福島の3県にあるベット数が100以上の病院、あわせて255か所を対象に、24日までの2日間にわたって聞き取り調査を行いました。その結果、17の病院が一時的に閉鎖しているほか、117の病院で患者の受け入れを一部制限するなど、全体のおよそ52%で診療に影響が出ていることが分かりました。このうち、宮城県石巻市の「石巻港湾病院」では、いまも水道とガスが復旧しておらず、ガソリンも不足していることから医師などの医療スタッフが出勤できず外来の受け付けを中止しているということです。このほかの病院でも、診療に影響が出ている理由として「医療スタッフの不足」と答えたのが43病院、「医薬品の不足」が30病院、「病棟や設備の損壊」が22病院、「ライフラインの復旧の遅れ」が20病院、また、被災地域から患者が集中したことを理由に挙げた病院が46に上りました。被災地では、被害が大きかった地域で医療機関に対する早急な支援が喫緊の課題となっています。


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/news/20110325-OYT8T00012.htm
梨大チーム会見「情報整理し、指示する人不足」

 東日本巨大地震で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町へ派遣された山梨大医学部付属病院の医療救護チームの第1陣4人が戻り、23日に同大で報告記者会見を行った。救急治療が専門の森口武史医師(40)は「インフラが壊滅し、今までに経験したことがないような状態だった。各地から集まった医療チームが避難所で得た情報を整理し、指示を出す人手が不足していた」と振り返った。

 森口医師と看護師2人、薬剤師で構成されたチームは18日に山梨を出発。南三陸町の志津川病院を拠点に19~21日に活動し、約170人を治療した。地震発生から約1週間が経過し、重傷のけが人よりも避難所にいる生活習慣病の患者を主に診療したという。

 森口医師によると、避難所の中にはテレビやラジオがないため、情報が全く入らない場所もあった。「日本中があなたたちを助けようとしている」と伝え、被災者を励ました。被災地の状況については「現地の医師が派遣チームを割り振っていたが、被災地が多すぎてパンクしていた。担当するのが毎日違う避難所で、チーム間の引き継ぎも十分にできず、どんな患者がいてどんな薬が必要かも分からなかった」と指摘した。

 同大は21日朝に出発した第2陣から事務職員2人を加え、現地で後方支援を行わせる。医療チームの派遣は第3陣まで決まっており、4月まで続ける予定だ。
(2011年3月25日 読売新聞)


http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20110325ddlk34040703000c.html
東日本大震災:派遣・応援 /広島

 ▽県医師会は24日、日本医師会災害医療チーム(JMAT)の要請に基づき、医師や看護師、薬剤師らで構成する災害医療チームの派遣を始めた。宮城県の石巻赤十字病院で診療に当たる。同県医師会からは、同病院が多数の患者を抱えて人手不足との連絡が来ているという。第1班は10人で、25日朝から支援を始める。10チーム程度を組み、来月末ごろまでの活動を予定。

 ▽広島ガスは24日、同社や協力会社などの職員の派遣を始めた。ガス管の点検や修繕に当たる約40人は工作作業車約30台で仙台市へ出発。開栓作業をする職員約50人も25日に被災地へ出発する。派遣は、日本ガス協会の要請に基づき、約1カ月間の予定。

毎日新聞 2011年3月25日 地方版


http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110325t33054.htm
「孤立世帯なくそう」 住民組織で救援物資配送

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県山田町の大沢地区で、住民グループが民家を一軒一軒回って物資を届け、孤立世帯の解消に力を尽くしている。町は電気や水道のライフライン復旧に全力を挙げており、住宅への細かい支援は行き届いていないのが実情。グループは「こんな時こそ住民同士の支え合いが大切」と奔走している。
 町の沿岸北部にある大沢地区には震災前、約700世帯が暮らしていた。海沿いなどが大津波にのみ込まれ、100人以上が犠牲となった。
 小学校などに設けられた避難所に身を寄せている住民もいるが、住宅が高台にあって損壊を免れたり、道路ががれきで寸断されて身動きが取れなかったりして、自宅にとどまったままの住民も数多い。
 このため地区のコミュニティー推進協議会が18日から、自宅で暮らす世帯向けに、避難所に届く水や食料などの救援物資を配送している。
 避難所に物資が届いた23日も、会員3人が2時間以上かけて約35軒を回り、水やパン、リンゴ、トイレットペーパーを配給した。受け取った住民たちは「こんな時なのに、本当にありがたい」と感謝した。
 推進協の昆暉雄会長(68)は「家屋への被害が少なくても、食料の入手が困難な住民が多い。ようやく地区全体に行き渡ってきたようだ」と胸をなで下ろす。
 活動は、町が把握していなかった住民の安否確認や、医師が巡回診療する際の情報提供でも役立っているという。
 佐藤勝一副町長は「役場職員も多く被災し、人手が不足している。住民が地域力を発揮している大沢地区の取り組みには頭が下がる」と話している。(布施谷吉一、菅谷仁)

2011年03月25日金曜日


http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001103250006
被災地へ 被災地から/医療支援に広がり
2011年03月25日

 ◇県南・県央病院

 県内の病院で、東北地方へ医療支援の動きが広がっている。県北や鹿行地域では断水や燃料不足などでぎりぎりの治療を余儀なくされている病院が多いが、県南・県央地域では通常の外来が再開。診療態勢の立て直しが進み、被害の大きかった東北の病院への協力が進みつつある。

 21日、笠間市の県立中央病院に自衛隊車両と救急車2台が到着した。災害派遣医療チーム「DMAT」の同院医師と看護師が、福島県いわき市内の患者4人を運び入れた。搬送は一回3時間。前日20日も同じ医師らが同市を4往復し、患者5人を搬送した。

 同院は地震で400床の本館が損壊。直後は別棟の廊下や手術室にマットレスを敷いて患者を移した。その後本館の安全を確認。外来に続き、22日に手術も再開した。

 県内で被災した病院からの患者受け入れなどが一段落した18日。いわき市の福島労災病院の医師からこんなメールが届いた。「患者を転院させたいが、どこに相談すればいいのかわからない」

 翌日、同院へ医師を調査に派遣し、搬送につながった。今後も可能な範囲で受け入れる方針だ。福島労災病院は「状況は徐々に改善しているが、手術ができないなど態勢は不十分。茨城の病院が受け入れてくれるのは、非常にありがたい」と話す。

 取手協同病院は23日、医師と看護師、事務員ら計5人を福島県塙町の避難所へ派遣した。福島第1原発から半径20キロ圏内に住む住民らが暮らしている。訪れた馬場百合子看護師長によると、重症患者はいなかったが、着の身着のままで薬も持たずに逃げた人、将来への不安から夜も寝付けず高血圧が続く人がいた。24人を診察し、薬を処方。25日にも再度訪問する予定だ。

 同院の佐藤長典リスクマネジャーは「被災地には全国から医療支援が寄せられつつあるが、声が届かない地域はまだあると思う。避難生活が長引く中、避難所での診療や健康管理にできる限り貢献したい」と話す。

 福島県など東北地方からの入院患者受け入れは17日時点で132人だった。22日現在では県南や県央地域を中心に51病院に265人と2倍に増えている。(中村真理)


http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38628
被災地に家庭医が必要…山梨

自治医大OBチーム「現地、殺到患者で手いっぱい」

 東日本巨大地震で、自治医科大OBと地域医療の充実に取り組む日本プライマリ・ケア連合学会が、大きな被害を受けた東北地方への医師派遣に取り組んでいる。

 発生から2週間が過ぎ、被災地で、流行が懸念されるインフルエンザなどの感染症や、慢性疾患などの持病に対応する「家庭医」が求められているためだ。16日から宮城、岩手両県に入った同大OBで山梨市立牧丘病院の古屋聡院長(48)は「今後、地域医療への継続的な支援が必要」と話している。

 古屋院長らが地震後、メールなどを使って呼びかけたところ、150人以上の医師が派遣に手を上げた。すでに18日から2人、20日から6人の医師が岩手県の藤沢町民病院を拠点に周辺の病院や避難所で活動している。医師は1週間交代で派遣する。

 古屋院長は島根県の医師とともに被災地に入り、20日まで宮城県気仙沼市や登米市、岩手県藤沢町などの病院や避難所を回った。

 宮城県気仙沼市の避難所で出会った80歳代の女性は膝が悪く、動くのに介助が必要で、「迷惑をかけたくない」とトイレに行かなくて済むように水を飲むのを我慢し、脱水症状を起こしていた。ほかの避難所でも、多くの被災者が「大丈夫」という言葉を口にしたが、より詳しく話を聞くと「常用薬がない」「全く眠れない」などと語った。古屋院長は「現地の医師は殺到する患者への対応で手いっぱい」と感じたという。

 古屋院長は近く、再び被災地に赴くつもりという。「この地震を人ごとと思わず、みんなが直接支援していくことが大事だ」

(2011年3月25日 読売新聞)


http://www.afpbb.com/article/pressrelease/contribution/2792299/7000350
東日本大震災被災者支援レポート(5)
* 2011年03月25日 10:13 発信地:東京
【日本国際民間協力会(NICCO)】
2011年3月24日 事務局長 折居 徳正

前回に続いて陸前高田市からレポートします。

3月22日から、小友町にて巡回診療サービスを開始しました。

陸前高田市では、地域の医療機関が全て被災したため、地震から10日間は県立高田病院の医療スタッフを中心に、現地の医療者が急性期の医療を担って、奮闘されて来られました。

その後全国各地からの医療チームがサポートに来て体制を整えたことで、各地区をそれぞれの医療チームが分担して医療を担い、自身も被災された被災地の医療関係者の方々には、ある程度休んで頂くことが可能となっています。

NICCOの医療チームは、千葉県派遣の旭総合病院のチームと協力して、小友町の遠隔地の診療を担当しています。

この地区には元々吉澤医院という地域の病院がありましたが、津波で医院は倒壊しており、県外からのチームが吉澤医院をサポートをしている状況です。

初日の診療は関西医大公衆衛生学教室からNICCOチームに参加された黒田医師、NICCO派遣の中山看護師に加えて、東京のNGO SHAREの澤田医師と越藤看護師の計4名による、合同チームで行いました。

午後2時からの限られた時間で取り急ぎスタートしたたため、初日に診察した方々は28名でしたが、これから毎日この遠隔の地での診療を続け、地域の数百名の被災者の方々の健康を、地域医療が復興して来るまでの間、サポートしていく予定です。

NICCOでは、東日本大地震地震被災者支援募金を受け付け 、被災者に対する緊急支援に役立てたいと考えております。
皆様の温かいご支援をお待ちしております。

●クレジットカード募金(安全なPaypal決済での募金です。)
http://kyoto-nicco.org/give/e000.html
●銀行振込:
銀行・支店名:三菱東京UFJ銀行 京都中央支店
口座番号:普通口座 2873092  口座名:社団法人 日本国際民間協力会
領収書について:領収書ご希望の方は、できるかぎり事前に、お振込み日、金額、お名前、ご住所、電話番号をNICCO(TEL:075-241-0681 / FAX:075-241-0682、E-mail:info@kyoto-nicco.org)までご連絡ください。
上記は、東北太平洋沖地震被災者支援の専用口座ですので、こちらにお寄せ頂いたご寄付は、東北太平洋沖地震被災者支援に活用させていただきます。

(c)公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)


http://sankei.jp.msn.com/region/news/110325/chb11032523230010-n1.htm
【東日本大震災】
石巻で日赤千葉県支部の医師らが活躍
2011.3.25 23:20

 東日本大震災で全国各地から医師団や救護班が被災地に入る中、宮城県石巻市では日本赤十字千葉県支部、成田赤十字病院の医師や看護師らが8人でひとつの班を作り、24時間態勢で被災者の救護にあたっている。

 全国でも有数の漁港を持ち、水産加工業で栄えた石巻市。震災では市中心部が壊滅的な被害を受け、多くの医療機関も津波に沈んだ。地域の災害拠点病院である石巻赤十字病院には、既往症を持つ患者や初診患者が殺到し、現在もロビーや廊下などに被災者約500人が身を寄せている。

 成田赤十字病院の救護班が活動するのは、石巻市立蛇田中学校の救護所だ。

 救護班に初めて参加したという医師、河野貴史さん(28)は22日に被災地に入った。目にしたのは「想像を絶する光景」。いまだに海水の引かない市中心部は、なぎ倒された信号機や倒壊した家屋などのがれきが、大きな山となっていた。

 不調を訴え救護室を訪れた被災者は口々に「津波で夫を失った」「親族と連絡がとれない。生きていると信じたい」とおえつを漏らしながら語ったという。

 早朝から深夜まで働き、やっと寝る時間がとれても、「自分は何かできているのだろうか」と河野さんは自問自答するばかりだった。被災者の話を聞くことが何よりも助けになると気づいたのは、しばらく時間がたってからだった。

 今では避難所の中を歩いていると、被災した人たちから「ご苦労さまです」「頑張ってください」と声をかけられるようになった。苦しい状況にありながら、他人を思いやり助け合う被災者の姿に幾度となく心を打たれた。

 今回の震災では、河野さんの実家のある長生村も大きな揺れに襲われた。父も同じ医師。昼夜を問わず患者のために働く姿を見て、医師を目指したという河野さんは、多くの被災者と接する中で「体の治療だけでなく、患者が抱える目に見えない不安や精神的な面をくみ取っていきたい」と力を込めた。(石井那納子)


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110325-OYT1T00776.htm
被災地の入院患者、県外転院調整の窓口設置へ

 厚生労働省は25日、被災した岩手、宮城、福島の3県の入院患者について、3県以外の都道府県に対し、転院受け入れの調整窓口を設置するよう通知した。

 3県では医療機関が被災するなどして、各県内での転院が困難になっている。このため、通知では、各都道府県は、転院受け入れについての調整窓口を設置し、29日までに連絡先を厚労省に報告するよう求めており、厚労省では、被災地の医療機関に調整窓口の情報を周知することで、転院の体制を整える考え。
(2011年3月25日22時15分 読売新聞)


http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011032501111
災害援助隊を日本に=創設後初の国外派遣-インド

 【ニューデリー時事】インド国家災害対策局は25日、東日本大震災の被災者支援のため、同局の災害即応部隊46人を宮城県に派遣することを明らかにした。28日に日本に到着し、県内でがれき除去作業や医療補助を行う。同局によると、2006年の部隊創設後、国外派遣は初めて。
 宮城県利府町を宿営地とし、活動期間は10~12日を予定。部隊幹部は「派遣を通じてわれわれの支援の手を広げたい」と話した。ニューデリーの日本大使館によれば、震災後、日本に援助隊を派遣したのは計16カ国で、現在は南アフリカ共和国とトルコの部隊が被災地入りしている。(2011/03/25-23:43)
  1. 2011/03/26(土) 07:33:28|
  2. 未分類

3月24日 震災14日目

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/2011032401000038.htm
避難住民の3割弱に血栓 宮城で医師が簡易検査

 被災地でのエコノミークラス症候群の研究をしている新潟大大学院助教の榛沢和彦医師が、東日本大震災で大きな被害が出た宮城県内の三つの避難所で被災者39人を簡易検査した結果、約28%にあたる11人に同症候群につながる血栓が見つかっていたことが24日、分かった。
 榛沢医師は「血栓は水分不足や身動きが取りづらい環境でできやすい。大変な状況が続くが、雑魚寝をしないような環境整備が必要。車中に泊まるのもやめたほうがいい」としている。
 榛沢医師によると、検査は19日と20日に、宮城県の石巻市、登米市、南三陸町の避難所で実施。足にむくみがある人のほか、長時間横になっていたり、車中泊を3泊以上続けたりした37~81歳の39人をエコー(超音波診断)装置で調べた。
 その結果、足の静脈に血栓が見つかったのは11人に上り、平均年齢は67・2歳。特に車中泊をしていた8人のうち、4人に見つかった。
 同症候群は長時間、同じ姿勢で座り続けるなどして静脈に血栓ができる症状。流れた血栓が肺で詰まり死亡するケースもある。水分摂取と適度な運動などで予防できるとされる。
 新潟県中越地震などの被災地を見てきた榛沢医師は「今回は福島原発の事故を受けて外に出ず、運動不足の人もいる。トイレの設備が不十分な避難所もあるが、水分を取らないと危険なので改善してほしい」と話す。
 警察庁によると、23日時点で、東北や関東地方などに設けられた約1800カ所の避難所には、原発事故の影響などによる避難を含め20万人以上が暮らしており、健康管理が課題になっている。

2011年03月24日木曜日


http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2011032402000064.html
避難所で体調崩さないために…  歩いて筋肉使おう
2011年3月24日

 東日本大震災の避難所では、厳しい冷え込みや物資不足の中、体調を崩すお年寄りが相次いでいる。過酷な環境で、少しでも体調の悪化を防ぐためにできる手だては何か。専門家に聞いた。 (生活部震災取材班)

 硬く冷たい床の上で続く集団生活。余震や原発事故の不安が募る。睡眠不足に加えて、温かいものが少ない普段と違う食事。とりわけ、高齢者は持病の悪化や風邪、インフルエンザに最大限の注意が必要だ。

 「お年寄りは、我慢をしがちだということを最も考慮しないといけない」。防災ネットワークプラン代表の井上浩一さん(48)は訴える。

 避難所ではトイレに行くとき以外、自分のスペースで寝たり、座るなどして動かずに過ごしがちだ。同じ姿勢を継続すると血流が滞り、いわゆるエコノミークラス症候群の原因となる血栓もできやすくなる。

 関東学院大人間環境学部の鈴木秀雄教授(生涯スポーツ論)は「とにかく歩くこと」と呼び掛ける。「歩いて、うなじからかかとにつながる『抗重力筋』を使った方が良い」

 人間は不安な気持ちになると、肺の換気量が落ちる。歩行には換気量を上げる効果もあるという。

 「朝起きたら、できるだけ何かを食べることが大切」とも。朝食を食べないと、体は自然と体内のエネルギーを“倹約”し、活動性が下がる。朝食を取り、時折歩くことで「血液循環が良くなり、毛細血管に血液が行き渡って、全身に活力が出る」。

 血栓予防には積極的な水分補給が不可欠だ。トイレに行く回数を減らすために水分を減らす被災者もいるが、理想は「一日二リットル」と鈴木教授。加齢に伴い、のどの渇きを自覚しづらくなるが、「五百ミリリットルのペットボトルを活用し、量を把握しながら飲むと良い」と助言する。

 寝る際の姿勢についても注意が必要だ。日本脳神経外科学会評議員の真田祥一医師によると、同じ姿勢で眠り続けると、肺炎やぼうこう炎の危険性に加え、硬い床の上では皮膚が赤くなるなど床擦れの第一段階も起きる。

 そこで真田医師が勧める姿勢は、横向きで、座っているような膝の曲げ具合=イラスト。「一晩のうちに最低でも四回ぐらい、横向きから横向きへと寝返りを打って」

 周囲にぶつかるのではと遠慮しがちだが、寝返りの大切さを話し、融通し合おう。

 避難所内で周りの理解を得られれば、大きな声で雑談したり、一緒に歌ったりするなど、横隔膜を動かしてから寝ると循環障害の予防になり、ストレスの発散も期待できる。

 寝起きには血流が滞りやすい足の部分をやや持ち上げ、深呼吸を繰り返してから体を起こすとよい。横隔膜が大きく動き、肺や心臓のポンプ作用が増強される。

 さらに、真田医師は「たばこは血管を収縮させる」として、受動喫煙も含め、極力避けるよう呼び掛けている。


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20110323-OYT8T01102.htm
風邪患者増受け製薬9社、薬寄付

 県は23日、県内製薬9社から救援物資として一般用医薬品の寄付を受けた、と発表した。福島県に向けて24日朝に出発する派遣職員のバスに載せ、現地に届ける。

 一般用医薬品は医師の処方がなくても服用が認められ、常備薬として避難所などに置くことができる。県によると、被災地の避難所では暖房不足などから風邪などの症状を訴える被災者が増え、一般用医薬品の需要が高まっている。

 今回の寄付は風邪薬や胃腸薬、せき止めなど段ボール約30箱分。県は今後も寄付を募り、最終的には一般用医薬品計約4トンを届けたいとしている。寄付企業は以下の通り。

 伊丹製薬(高島市)鼻炎カプセルなど▽大昭製薬(甲賀市)マスク▽昭和化学工業(同)胃腸薬▽日新製薬(同)総合感冒薬など▽日新薬品工業(同)トローチ剤など▽日本製薬(同)下剤など▽滋賀県製薬(同)うがい薬など▽日野薬品工業(日野町)総合感冒薬▽有川製薬(彦根市)健胃薬など
(2011年3月24日 読売新聞)


http://www.m3.com/iryoIshin/article/134334/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(医療関係団体)
JMATに日精協が協力、「心のケアが重要」と横倉日医副会長
3月22日現在62チームを派遣、期間延長の方針

2011年3月24日 村山みのり(m3.com編集部)

 日本医師会は3月23日、定例記者会見において、日本精神病院協会から協力の申し出を受け、今後、JMAT(日本医師会災害医療チーム)に、精神科・心療内科を専門とする医師を加えて活動を行うよう準備を進めていることを発表した。横倉義武・副会長は、「被災から10日が過ぎた。今後、心のケアの問題が重要となってくる」と述べた。

 JMATは、全国の都道府県医師会において編成されたチームが、1チーム当たり3日から1週間、岩手県、宮城県、福島県、茨城県の4県で被災地の医療機関や避難所の医療を支援するもの(『「医薬品等の不足はガソリン不足が原因」、原中日医会長』参照)。警察の検視官、歯科医師とも連携して活動に当たっている。横倉氏は、3月22日現在、62チーム(岩手県10チーム、宮城県37チーム、福島県10 チーム、茨城県5チーム)が派遣済みまたは派遣中であり、さらに68チームが派遣のできる状況にあると説明。今後の派遣について、「岩手県は、ガソリン不足の問題により、現地から派遣を待つよう要望されていたが、4月1日から増強する予定。他の県については、場所によっては他の地域に住民が移っていることもあるので、それを勘案しながら現場の要請に応じて対応していきたい」とした。

 また、横倉氏は、3月22日に東北6県ならびに茨城県医師会長とテレビ会議を行ったと報告。「各県から状況を聞いた。JMATの派遣を受けた県の医師会長からは、今回の活動について非常に感謝するとの言葉をいただいた。現場の医療機関も一生懸命頑張っているが、どうしても疲れてくる。そこに新しいチームが入ると、医療機関でも避難所の巡回診療においても非常に助かっているという。各県の会長の意見では、できるだけ継続した長期の支援が必要になるとのことだった。派遣を行う都道府県ごとに担当地域を決めるなど、チーム間での連絡が円滑にできる仕組みも考えたい。JMATを派遣し支援を行った石川県や富山県の医師会からは、活動内容や問題点についての報告を受けた。避難所も徐々に集約されつつあり、地元の医療機関が十分にケアを行える地域も出ている。これらを踏まえ、今後の活動の方向性を検討していきたい」と説明した。なお、会議は全国の30都道府県医師会も視聴し、情報共有を図ったとのこと。

 原中氏は、JMATの派遣を、当初予定の1カ月より延長し、長期的に支援を行っていく考えを示した。「チーム数は、全国の郡市医師会数に匹敵する数になると推定している。DMATは短期間で終了するが、その後のケアが重要。JMATの働く場所は、避難所、患者が救急搬送される病院でなど、現地の判断で決定している。避難者は、地震・津波による被災者、原子力発電所事故により帰宅できない住民など、それぞれに環境が異なる。一生懸命に心を癒し、味方になれるような活動を行いたい」(原中氏)


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110324-OYT8T00084.htm
被災地宮城で検視 府監察医「息長い活動必要」

 東日本巨大地震の被災地で遺体を検視した府監察医で堺市医師会の河野朗久医師(49)が23日、同市役所で記者会見し、活動を報告した。遺体の大半は津波による水死で、中には我が子を抱いたままの母親もいたという。今後も多くの身元不明遺体が収容されるとみられ、息の長い検視体制の必要性を訴えた。

 仙台市医師会の要請で15~17日、宮城県利府町に派遣された。堺市、府両医師会の医師3人や現地警察官、歯科医師とチームを組んで体育館に搬入される約100体を検視したという。

 河野医師は阪神大震災でも検視に携わった。未明に発生した同震災では、就寝中に倒壊した自宅で圧死した遺体が多く、身元の特定は比較的容易だった。

 しかし、今回は屋外に流されているうえ所持品のない遺体も多く、身元が判明したのはわずか7~8体。指紋やDNA鑑定に用いる血液など、将来の身元特定につながる試料の採取に力を入れているという。

 遺体の中には、津波から我が子を守ろうとしたのか、赤ちゃんをしっかり胸に抱きかかえた母親のほか、手をつないだままの成人男性2人もいたという。2人は兄弟とみられ、河野医師は「逃げる間もなかったのだろう。一瞬にして町を破壊し、命を奪ったことがうかがえる」と厳しい表情で振り返った。

 被災地では運び込まれる遺体の数はピークを過ぎたが、河野医師は「検視は今後も数か月から半年は続く」とみており、医師と歯科医師、警察の3者がバランスよく長期的に取り組める体制づくりが必要だという。

 今後、遺体は損傷が進んで検視はさらに困難になるとみられるが、河野医師は「遺族のために、たとえ時間がかかっても丁寧に分析すべきだ」と語った。

 <大阪空港就航先 物資輸送で支援 きょうから豊中市>

 東日本巨大地震を受けて豊中市は23日、大阪(伊丹)空港からの就航先で被災地の3市1村に救援物資を送ると発表した。全日空が実施している救援物資無償輸送協力を利用し、第1便として24日に福島空港のある福島県須賀川市、玉川村へ運ぶ。

 ほかは仙台空港のある宮城県名取、岩沼の両市。浅利敬一郎・豊中市長が国内線就航都市との連携強化のために4月に両空港への訪問を計画していたが、地震の発生で物資輸送による支援に変更した。

 届ける物資は、各市村の要望に基づき、豊中市の災害用備蓄品でまかない、不足分は購入する。第1便は粉ミルク87缶、哺乳瓶87個、紙コップ1000個を手配。現地の状況確認と支援策の検討のため、市空港室の職員2人も同行する。

 宮城県の2市には、現在、空港が閉鎖されているため、輸送手段を調整して支援を行う。

 <府、産直品も流通制限 放射性物質検出で独自策>

 橋下知事は23日の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、基準値を超す放射性物質が検出された農産物の出荷制限を政府が指示したことに関連し、市場を通らずに産地直送された対象品目についても流通を制限する府独自の対策を発表した。出荷制限は市場の流通を防ぐだけで、量販店や飲食店などが独自に産地直送で仕入れるケースまで規制がかからないことから、流通制限の網の強化を図ったものだ。

 府では、関係する業界団体に対し、出荷制限がかかっている地域から産地直送で仕入れた対象品目の回収要請を行うほか、食品衛生監視員が店舗などへの立ち入り検査も行う。未回収の場合は、食品衛生法に基づいて強制回収する方針で、橋下知事は「ダメとされる農産物は府内で流通させない。消費者は安心してほしい」と強調した。

 <ノーパンク自転車 被災地の足に 堺市、仙台へ144台送る>
トラックに積み込まれるパンクしない自転車(堺市西区で)

 自転車製造が地場産業の堺市は23日、地震被災地での救援活動に使ってもらおうと、タイヤに樹脂を詰めたパンクしない自転車144台を仙台市に送った。阪神大震災の時にはパンクして使えなくなった自転車が相次いだため、教訓を生かして工夫した。

 被災地では、道路事情の悪さやガソリン不足で車が使いにくく、救援活動にあたる人や、肉親捜しのために避難所を回りたい人の移動手段が課題になっている。

 堺市は、自転車の製造品出荷額の市場占有率が全国の6割を占める。市が堺自転車製造卸協同組合に協力を要請したところ、1台あたり実売価格の約半額の2万2000円で購入できた。

 同組合の武田正理事長は「くぎやガラス片が散らばっている被災地の足として役立つはず」と話し、仙台市内の区役所やボランティアの拠点などに配備される。市は、近くあと156台を別の被災地にも送る予定。
(2011年3月24日 読売新聞)


http://www.cyzo.com/2011/03/post_6832.html
東日本大震災「現場はもう限界だ!」メーリングリストで叫ぶ医師たちのSOS

 死者・行方不明者が1万9,000人を超えた東日本大震災は、医療施設にも壊滅的な打撃を与えている。医薬品や燃料、治療に当たる医師や看護師らも不足する中で、現場からは「もう限界を超えている」との声が次々とあがっている。

 窮状を訴えているのは、被災地の医師や現地に派遣された医療関係者らによるメーリングリスト(以下ML)「地震医療ネット」。過酷な状況下で命を落とす患者も後を絶たない中、このMLを立ち上げたのは、東京大学医科学研究所特任教授・上昌広(かみ・まさひろ)氏。そのメールの中身は、どれも極めて深刻だ。救援物資が被災地へ届き始めたことを伝えるニュース映像をたびたび目にする一方で、その流れからまったく取り残されて「今日、明日が限界」と切実に訴える医療機関が数多くあるのだ。

 たとえば、ネット上で「茨城の情報がテレビでほとんど流れない! どうなってんだ!?」との声も聞かれる茨城県。このMLに参加する、ある病院の医師によれば、茨城県内の病院小児科29施設のうち、今回の地震で1施設が入院受け入れを現在中止し、10施設(34%)が外来機能を一部制限、さらに16施設(55%)が手術を制限せざるを得ない状態にあるという(3月18日現在)。これにより、地域の子どもたちの命が重大な危機にさらされているのである。

 また、実際には深刻な事態に陥っていながら、避難勧告エリアに入っていないなどの理由で「物資が素通りして」いる施設も少なくない。以下は福島県「村松総合病院」医師のメールより。

「こちらは『他の地域ほどの惨状ではない』という印象をもたれており、報道されることもないのですが、非常に困惑しています。県には報告しておりますが、こちらの窮状が伝わらず、今のところ何もしてくれません。(略)物流が悪く、まだ先が見えません(略)食料も限界に近づいています。特にレトルト食品をせめて送ってもらえれば助かります」(3月18日12:20のメール)

 こうした過酷な状況は、患者はもちろん医師たちにも大きなストレスとなって蓄積している。

「じわりじわりと、そろそろ職員の間でも健康障害を訴える人が出てきました(略)震災から一週間がすぎ、職員が倒れかけています。一般市民と同様に、職員も家族をなくして、それでも懸命に働いておりますので、疲労とともに精神状態もかなり不安定になってきています。現状では職員のケアまで手が回る状態ではなく、ボランティアで来てくださるカウンセラーの団体等の(心のケアの)情報を必死で求めている状態です」(3月18日16:38 秋田社会保険病院)

 この他にも「(医師の)不用意な発言によりパニックになったナースがいる」(施設名不明)など、医療従事者らの精神状態は限界に近づいている。

 さらに「石巻赤十字病院」からは次のような信じたくない声も届いている。

「避難所への支援が遅れているため、市内の店や住宅で略奪が頻発しています。日本でですよ!」(3月19日0:20のメールより)

 まさに修羅場と化している被災地の医療現場。こうした現状を専門家はどう見るのか。「株式会社医療タイムス社」の元取締役で、医療問題に詳しいフリー記者の小野貴史氏は次のように言う。

「私の実家の茨城県の家屋も被災しました。不眠不休で懸命に治療にあたっている医療従事者には心から敬意を表します。これだけ想定外の事態となれば、政府の指揮命令系統には期待しないほうが現実的でしょう。柔軟な対応が必要です。有事において手続き原理主義は被害を拡大させるだけですから。情報は現場にあり、最も的確な判断ができるのは現場です。行政をあてにせずに民間同士・専門家同士のネットワークとフットワークをフルに活用する仕組みが有効です。その意味で、『地震医療ネット』のようなネットワークの情報を、関係者らは即座に活用して被災地の救援に動いてほしいと思っています」

 おりしも厚労省は、病院同士で許可なく薬や医療機器のやりとりをしても薬事法違反にならないという特例を、地震発生からようやく一週間が経過したこの18日に定め、各都道府県に通知して被災地への援助を遅まきながら後押しした。これを受けて、医師の中には個人的な人脈を駆使し、地方議員を動かしながら地元のタクシー会社やバス会社を使い、病院から病院への医薬品の輸送を始めている例もあるという。「地震医療ネット」に関わる関係者は、この惨状を多くの人が知り、情報が拡散することで、輸送手段や人員を確保する道筋が開けることを期待している。患者や医療従事者に残されている体力にもはや余裕はない。

「疲労のピークである。休息のない仕事はミスも呼ぶ。人手が欲しい」(石巻市・相馬中央病院)

 今も現場からは血の叫び声が届いている。
(文=浮島さとし)

※編集部より
当記事は、MLに参加する医療関係者からの情報提供と「被災地の医療現場の実情を多くの人に知ってもらいたい」という記事化の依頼にもとづいて作成しましたが、一部医師が投稿したメールの内容に関して、「事実と異なる報告がされている」といった指摘を読者からいただきました。編集部で検討した結果、当該メールの内容は、個人による主観的な見解も含まれており、誤解や風評を生む恐れがあるため、該当箇所のみ削除させていただきました。ご了承ください。


http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20110324/CK2011032402000094.html
被災者支援、息長く ケアに当たった県内保健師訴え
2011年3月24日

 東日本大震災で、県内の保健師が避難所に身を寄せる人たちの健康状態のケアに当たっている。活動する岩手県大槌町の大槌高校には物資が届きつつあり、電気も復旧したが、保健師たちは「今は皆さん気が張っているが、長期化して心身両面で一気に疲れが出てくるときが心配」と途切れのない支援を訴える。

 保健師は4人1チームで第1陣が15日に出発し、17日に大槌高の避難所に保健師として初めて入った。現在は交代した第2陣が泊まり込む。

 「愛知から来ました。お体どうですか」「気に掛かるところはないですか」

 670人が寝食を共にする体育館や教室で一人ずつ声を掛けて回り、お年寄りの血圧を測ったり、持病のある人に手持ちの処方薬を尋ねたり。「健康相談票」に記入し、経過観察する。切迫早産の可能性がある妊婦も見つかり、落ち着ける教室に移し、受診できるよう手配したという。

 避難所では炊き出しが始まり、医師による救護所も設置された。ただ、ガソリン不足で、避難所から離れた病院に薬をもらいに行くのは難しい。衛生状態も悪く、頭から海水に漬かりながら、体を洗えない避難生活に疲れ切った人も。第1陣で派遣された一宮保健所の竹島久美子さん(49)は「髪は潮のにおい、かゆみも出て、感染症のリスクも高まる」と心配する。

 県は当面、5月上旬まで交代でチームを派遣する計画を組み、避難所だけでなく自宅にとどまる被災者の訪問も始めた。第1陣のリーダーだった瀬戸保健所の中沢和美さん(52)は「今は集団感染もないが、避難疲れが深刻になれば、免疫力も低下する。精神面も含め、あらゆることを予測した対応が必要だ」と話している。

 (岩崎健太朗)


http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/280599.html
薬剤師不足も深刻 支援活動の道薬科大教授ら語る
(03/24 06:55)

 【小樽】北海道薬科大(小樽市)の古田精一教授(51)と野呂瀬崇彦准教授(42)が23日、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市での6日間の医療支援活動を終え、小樽に戻った。2人は「血圧、糖尿病など慢性疾患の薬だけでなく、目薬や皮膚炎の塗り薬も足りない」などと話した。

 薬剤師の資格を持つ2人は宮城県薬剤師会の要請を受け、16日早朝にワゴン車で小樽を出発。17日早朝に石巻市に入り、災害派遣医療チームに加わった。

 古田さんは同市役所の避難所を拠点に他の避難所を巡回し、必要な薬を確認したり、届けたりした。野呂瀬さんは石巻高校の避難所に泊まり込み、1日300人以上の患者に薬を渡したという。

 野呂瀬さんは災害対策本部を通じて行っていた薬の手配を、避難所などの仮設診療所が薬品卸業者に直接連絡して手配する仕組みをつくった。

 処方箋に書かれた薬がない場合は医師の了解を得て、効き目が同じ別の薬に変えるなど、臨機応変に対応したという。

 2人は「避難所も医療チームも薬剤師が不足していた。被災しながら奮闘する医療関係者への支援が必要だ」と口をそろえていた。


http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20110324ddlk42040524000c.html
つなごう希望:東日本大震災・長崎から 民医連が支援報告 /長崎

 全日本民医連の医療支援で4日間、宮城県塩釜市の災害拠点病院で活動した長崎市・上戸町病院の医師、宮崎幸哉さん(52)ら4人が23日、長崎市で支援報告した。

 4人は1日30~40台の救急車がやってくる中、重傷度に応じて患者を振り分けて診察。ガソリン不足のため、歩いて周辺の避難所を回り、被災者の健康状態を診たという。宮崎さんは「精神的ストレスは高齢者や子どもたちに強く出ていた。結核やインフルエンザの集団感染もあり、感染症対策は重要」。さらに「離れた診療所は医療支援がまだ十分ではない。往診した避難所の管理者は『医師がいない間に急病人が出たら』と不安な様子だった」と課題を話した。
〔長崎版〕

毎日新聞 2011年3月24日 地方版


http://gendai.net/articles/view/syakai/129570
【東日本大震災関連情報】
米「タイム」が指摘 日本の支援は途上国以下
2011年3月24日 掲載

来日した外国人医師は診療できず…
 日本の救援体制は開発途上国以下――。22日、米誌「タイム」(電子版)がこんな批判的な記事を掲載した。
「官僚機構が救援を遅らせているのか?」というテーマで、「日本よりはるかにインフラ整備が遅れている開発途上国でさえ、災害発生から4日もたてば援助物資が被災民の手に届く。だが東北では10万人の自衛隊が救援活動を行っているにもかかわらず、援助物資が届くのに恐ろしいほど時間がかかっている」と指摘した。
 同誌は日本の入り組んだ官僚機構に問題があり、規制好きな国民性が“合法的な壁”として立ちふさがっているとして、以下の実話を挙げている。
 日本の船会社が湾岸地域に救援に向かうコンテナ船をヘリの着陸用に提供すると申し出たが、政府は船会社に正式な資格がないことからこの提案を断った。
 来日した外国人医師団が患者の診察を申し出ても、日本の医師免許がないという理由で門前払い。医師らは医療行為ともいえない最小限の援助活動をするしかなかった。政府は地震から6日後の17日になって外国人医師の医療行為を認める方針を打ち出したが、遅きに失したといわざるを得ない。
 また、海外から高齢の被災者のために薬品が寄付されたが、日本の行政当局が承認していないという理由で現地に届けることができなかった。
 輸送業者は許認可特権を持つ官僚ににらまれるのを恐れて表立っては口にしないが、不満タラタラで物資を運ぶ許可を待っている。寄付された物資は地震と津波の数時間後には東京に届いたのに、いまも倉庫に眠っているというからバカげた話だ。
 もちろん、政治家がその気になれば、こうした規制を取っ払うことができる。官僚機構と政治の怠慢が被災者を見殺しにしたといえそうだ。

元記事
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2060773,00.html
Is Japan's Bureaucracy Strangling Humanitarian Aid?
By Hannah Beech / Tokyo Tuesday, Mar. 22, 2011

By 9:30 a.m. local time on March 22, the emergency shelter at Saitama Super Arena, just north of Tokyo, had reached its maximum capacity of 500 volunteers. The other 1,500 do-gooders wanting to help the displaced people of Futaba, the town closest to ground zero of the earthquake- and tsunami-damaged Fukushima Daiichi nuclear plant, were turned away by volunteers holding hand-printed cardboard signs that said "We are sorry, but we cannot take any more volunteers. Please try again tomorrow."

Inside the arena, which normally hosts rock concerts, some 5,000 earthquake, tsunami and nuclear-plant refugees, including those from Futaba, were trying to carve out a normal routine in their makeshift homes, composed of squares of blankets and mats. There to help them were the volunteers, who handed out free bananas, blankets, diapers, toys and other necessities for people who escaped with little more than the clothes on their backs. Some volunteers held signs presenting complimentary day-care services, while others offered free shampoos, blow-dries and shaves at local beauty parlors. "It's the least I can do," said Hideyuki Tanaka, a stylist with dyed blond hair who held a sign offering free salon services. "I don't have any other skills except for this, so I thought I could make this small contribution." By noon, some 60 evacuees had taken advantage of free services at his Maggie Friends beauty salon.

The Saitama emergency shelter is a model of organization and goodwill, with masking-tape arrows pointing the way to the bath, food and clothing lines. Bowing, smiling volunteers shepherd dazed-looking evacuees from one line to another. But in northeastern Japan, where an estimated 21,000 are dead or missing and another 350,000 are homeless as of March 22, the country's labyrinthine bureaucracy has seriously hampered efforts to deliver aid. Some shelters still have no heat, while others are rationing rice balls. In a country that prides itself on efficiency, the fact that 11 days after the earthquake, displaced people are still hungry and, even if they have cars, cannot get food because of a shortage of fuel is a shocking turn of events. The aid bottlenecks are all the more surprising given that most Japanese anticipated that their government would respond quickly. "There are very high expectations of the government here, and civil society is struggling to find its place," says Randy Martin, director of global emergency operations for Mercy Corps, a U.S.-based NGO. "The most important thing is to get the supply chain going again."

In other natural disasters that I've covered, steady streams of local and international aid have usually converged upon the stricken area within four days of the event. This has happened even in developing-world countries with far less infrastructure than Japan has. But in Tohoku, as Japan's northeast is called, aid has trickled in agonizingly slowly, despite the mobilization of 100,000 Japanese soldiers for the relief effort. It took more than a week after the earthquake, for example, for the region's highways, which are reserved for emergency vehicles, to be filled with the kind of aid convoys that typically race to disaster scenes.

One major bottleneck has been Japan's fondness for red tape. "In special times, you have to do things in a special way," says Kensuke Kobayashi, an IBM employee in Tokyo who has tried to organize relief efforts to Tohoku from the Japanese capital. "But in Japan, there is a legal wall that stops everything." Japanese shipping company NYK offered to provide a container ship for helicopters to land on when ferrying in relief supplies to coastal areas. But the government rejected the offer because the NYK shipmates lacked the proper licenses to help with such work. After some wrangling, volunteer foreign doctors were told that because they didn't have Japanese medical licenses, they could conduct only the "minimum necessary medical procedures" in the disaster zone.

Some medicine donations from overseas haven't reached the many elderly suffering in the earthquake's aftermath because Japanese regulatory agencies have not yet given the drugs approval. Local logistics companies have complained ― off the record, for fear of angering the bureaucrats whom they depend on for future licensing ― of days-long waits for permission from the central government to deliver donated goods. Only when their trucks get the magic pass can they start moving toward Tohoku. Until then, the boxes of relief goods, some of which were donated just hours after the earthquake and tsunami hit, sit in Tokyo warehouses.

Then there's fuel, which is in plentiful supply in southern Japan but all but impossible to procure easily in the north without special permits. To get even a 2.6 gal. (10 L) ration, cars in Tohoku often have to wait for half a day. When TIME wanted to accompany an NGO helicopter delivering aid to one stricken area, we were given permission on one condition: that TIME hire a car to drive the aid supplies to the airfield. The NGO's cars were out of gas and had no way to get the relief goods to the chopper. Such shortages have been repeated writ large, hampering even the efforts of major organizations like the International Federation of Red Cross and Red Crescent Societies, which was one of the first groups on the scene.

There have been some extenuating circumstances. The radiation leaking from the Fukushima plant has meant that aid vehicles have to take a wide berth around a region contaminated by higher-than-normal radiation levels. Nevertheless, there are other ways to Tohoku. Indeed, one of the first organizations to start relief convoys in the northeast was none other than the yakuza, Japan's famous gangsters. Unconstrained by reams of regulations, the underworld representatives, whose business tentacles extend to the trucking business, simply started delivering aid on their own, without government approval.

Citizen volunteers have been actively discouraged by the government from jumping into their cars and delivering aid themselves. That's because after the 1995 Kobe earthquake, roads into the area were jam-packed with well-meaning citizens whose endeavors hindered larger aid efforts. But there's a fine balance to be struck between not overwhelming damaged infrastructure and leaving it worryingly underutilized. And while U.S. military aid sorties conducted from American bases in Japan have been accepted by the Japanese government, other international organizations have been quietly told they're not needed ― a stunning response given the magnitude of the disaster. "Everything has to go through government emergency centers," says one international NGO representative in Tokyo. "But they're very slow to respond and can't keep up with the flow of aid. They should let us get in there and start getting relief to people instead of worrying about paperwork."

Meanwhile, back at Saitama Super Arena, Kouhei Nagatsuka, 18, ponders the strange fact that he just graduated from high school without a proper ceremony in Futaba, the town next to where the Fukushima plant is located. On March 11, the earthquake destroyed his home ― or so he has heard from a friend who went back to the ravaged town to take a look. Nagatsuka and his family were first herded into an emergency shelter for earthquake and tsunami victims. Then, just as they were contemplating trying to salvage what they could from their home, a Fukushima reactor began spewing radioactive material into the air. Four days ago, they arrived as nuclear-plant refugees to Saitama.

As Nagatsuka scrounged for warm clothes for his four siblings in a heap of donated goods, news that steam and smoke were again pouring from two of the plant's damaged reactors spread among the displaced Futaba residents. (By Tuesday evening, plant engineers said they had laid power cables to all six of the facility's nuclear reactors, though it's not clear whether the electricity can be turned on or whether pumps needed to cool down overheating reactors will work.) Already, reports of vegetables, water and milk tainted by small levels of radiation from the leaking nuclear plant have raised concerns about the accident's long-term effects ― even if engineers are able to tame the reactors in the coming days and weeks. "I'm afraid I'll never be able to go back there," says Nagatsuka, who spent time volunteering when he was in high school. "I was supposed to start my adult life, but I guess I'll have to do that someplace else."



http://www.yakuji.co.jp/entry22445.html
【東日本大震災】支援推進で日病薬会長が談話‐医療チームへの参加も申し入れ

 日本病院薬剤師会の堀内龍也会長は、東日本大震災に関する会長談話を発表した。談話では、避難場所や病院との連絡が困難な中、可能な限り情報を収集し、日病薬として医薬品不足や医療従事者不足などへ、全力で取り組む決意を示した。

 具体的には、[1]情報収集[2]医療チームへの薬剤師参加に関する病院団体への申し入れ[3]ボランティア募集[4]義援金募集--などに取り組んでいく。

 日病薬対策本部では、正確な現地の情報収集を急いでおり、休日も本部役員や事務局が対応し、情報を受け付けている。特に、薬剤師の救援活動や活動予定、医療チームへの参加などの情報収集に力を入れているが、そのほか、被災地に関する様々な情報も提供を呼びかけている。

 現地からの情報では、DMAT(災害派遣医療チーム)を含め、医療チームで薬剤師が活動していることが明らかになっている。医療チームの派遣は、長期になることが予想されているが、現場では薬剤師が大きな役割を担っており、日病薬では医療チームに薬剤師を参加させるよう、日本病院団体協議会と日本病院会に申し入れを行った。日病協は申し入れを受け、会議で徹底することにしている。

 また、日病薬では、被災地の病院薬剤師が絶対的に不足し、疲弊状態にあることから、長期的な視点に立って、多くのボランティアを募っている。ボランティア募集は、基本的に日本薬剤師会と連携して取り組むが、それとは別に、病院薬剤師らしい活動を行うボランティアを独自に募集し、現地へ派遣することにしている。

 既に、独自に募集し、被災地の病院薬剤部や医療チームで働くボランティア登録者は、23日現在で55人に上っており、6人が被災地に派遣された。日病薬では被害の大きい宮城、福島、岩手の3県について、それぞれ東北大学病院、いわき市立総合磐城共立病院、岩手医科大学病院の薬剤部を拠点とし、各拠点病院薬剤部の要請に応じて、ボランティア薬剤師を派遣する。

 6人の派遣先は、東北大2人、岩手医大2人、共立病院1人、舞子浜病院1人。その他7人が出発準備中だ。現地での具体的な活動内容や医療支援チームへの参加は、各拠点病院が采配する。

 また、被災地へお薬手帳を支援物資として送付した。被災地では投薬日数を制限して処方しているが、複数の医師が交代で診察しているため、患者の投薬状況が十分に把握できない状況にある。そこで、被災者の投薬状況確認に役立てるため、東北大病院に約3000冊、岩手医大病院に約2000冊を送付した。

 義援金も、4月30日まで受け付けている。振込口座は、[みずほ銀行(0001)渋谷中央支店(162):口座名義=日病薬東北関東大震災義援金(ニチビョウヤクトウホクカントウダイシンサイギエンキン)、貯金種別=普通貯金、口座番号=1413296]

 問い合わせ先は、日病薬事務局経理課(電話03・3406・0485、FAX03・3797・5303)
  1. 2011/03/26(土) 05:20:58|
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3月23日 震災13日目

http://mainichi.jp/select/science/news/20110323ddm001040012000c.html
東日本大震災:病院・避難所、死亡相次ぐ 岩手・釜石の入院患者、9人肺炎死

 東日本大震災後、被災地の病院や避難所などで患者や高齢者らの死亡が相次いでいる。22日は新たに、岩手県釜石市の病院で入院患者9人が死亡していたことが判明し、死者は少なくとも35人に上る。被災地では医薬品や燃料などの不足に加え、ライフラインも完全には復旧していない。23日以降、冬型の気圧配置で最低気温は氷点下に下がる見込みで、専門家からは「このままではさらに死者が出る可能性がある」と懸念の声が上がっている。【福島祥、金子淳】
 ◇「政府の支援調整、足りぬ」

 地震と津波でボイラーが故障した上、停電にも見舞われた同市大渡町の「釜石のぞみ病院」。寒さにさらされ、19日までに入院患者の男女9人が肺炎で死亡した。いずれも高齢者だった。医師によると、病棟内の温度が0度を下回ることもあったという。

 病院関係者によると、地震発生時の入院患者は151人。停電中も医師らは、たんの吸引などは手動の機器で対応したが、寒さの中で患者の体力が低下し続け、衰弱して死に至ったとみられる。釜石市によると、電気が復旧したのは16日昼過ぎだったという。

 病院は13日から他の病院へ患者の移送を始めており、23日までに入院患者を58人にする計画。一方、ボイラー復旧のめどは立たず、患者は寒さに震えているという。病院関係者は「支援物資に電気ストーブを要望しているが、ほとんど届かない」と話す。

 病院の患者では他にも、原発事故で避難指示圏内にあった福島県大熊町の双葉病院の入院患者21人が、適切な医療処置を受けられないまま避難先で死亡したことが17日に判明している。介護老人保健施設でも同県いわき市の施設で21日、女性入所者2人が県外に避難するバスの中で心肺停止となり死亡した。

 避難所で死亡するケースも続いている。

 宮城県によると、仙台市若林区の小学校の避難所で16日朝、70代の女性が仮設トイレの前で倒れているのが見つかり、病院に運ばれたが死亡した。18日夜には同区の別の小学校でも、避難中の男性(87)がうつぶせに倒れているのが見つかり、翌19日朝に病院で死亡した。

 茨城県大洗町では15日、体育館に避難していた女性(86)が体調を崩して死亡。町によると心肺停止となり、その原因は分かっていないという。

 室崎益輝・関西学院大教授(都市防災)は「重病者は直ちに被災地から移送し、現地で治療を続ける人たちのために医薬品や物資、医療スタッフを多く送らないといけない。避難所で高齢者が人知れず倒れるような惨状を防ぐには、多くのボランティアの力が不可欠だ。これらの支援を政府が積極的にコーディネートする必要があるのに、現段階では決定的に欠けている」と話している。

毎日新聞 2011年3月23日 東京朝刊



http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33216.html
被災地外での医薬品の長期処方「自粛を」- 震災受け日医

 日本医師会は3月23日の記者会見で、東日本大震災の被災地への医薬品供給を優先するため、被災地外の医療機関などでは長期処方を自粛するよう改めて求めた。

 会見した中川俊男副会長は、震災の被害を受けた「あすか製薬」の工場(福島県いわき市)で生産されていた甲状腺機能低下症治療薬チラーヂンについて、「全国的に供給不足になるのではないかとの心配がある」と指摘。通常、3-6か月の長期処方がなされていることが多いとして、当面は長期処方を自粛するよう求めた。
 また、チラーヂン以外にも不足が懸念される品目が複数あるとの認識を示し、「長期処方の自粛は、チラーヂンに限定せず、薬品全般に対してのお願いだ」と強調した。

 日医では、被災地外の医療機関や薬局に対し、当面、医薬品の長期処方の自粛や分割調剤を考慮するなど、必要最小限の処方・調剤への協力を要請。卸に対しても、ガソリン消費抑制のための納品回数の削減などを求めている。
 今後、被災地外の患者に理解を求めるため、近くポスターを作成し、全国の医療機関に配布するという。

( 2011年03月23日 22:57 キャリアブレイン )




http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011032300836
被災地へ医薬品供給を加速=「タミフル」6万人分など-製薬業界

 東日本大震災の被災地が医薬品不足となっていることを受け、製薬業界が避難所などへの医薬品供給を加速させている。日本製薬工業協会は23日、感染症や高血圧症の治療薬など約70トン分の追加無償提供を発表。避難所でのインフルエンザ流行の兆しを踏まえ、中外製薬も同日、抗インフルエンザ薬「タミフル」6万人分の無償提供を決めた。
 製薬協は厚生労働省と連携し、医療用医薬品メーカー三十数社から提供を受けた薬を24日に岩手、宮城、福島各県にトラックで輸送する。19日に日本医師会を通じて約10トン分の医薬品を岩手、宮城両県へ空輸したのに次ぐ動きだ。
 また、佐藤製薬、ゼリア新薬工業など約40社は、業界団体の呼び掛けに応じ、大衆医薬品の無償提供に名乗りを上げた。19日から22日にかけて、岩手、宮城、福島各県に、被災地での要望が多い風邪薬や胃腸薬などを輸送。現地のニーズは高いため、さらなる支援を検討している。(2011/03 /23-18:40)



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280376.html
気仙沼の被災地から札幌や千歳へ 透析患者受け入れ
(03/23 07:30)

 東日本大震災で津波被害にあった宮城県気仙沼市立病院の人工透析患者44人が22日、航空自衛隊千歳基地(千歳市)に到着し、道内の医療機関に運ばれた。被災地で透析ができる施設が少なくなり、同病院に患者が殺到したことから道内の医療機関が受け入れた。

 患者は、航空自衛隊松島基地(宮城県)からC130輸送機に乗り、午後1時ごろに千歳基地に到着。自衛隊員に背負われたり、体を支えられながらバス2台に乗り換え、札幌、千歳、恵庭の11医療機関に移動した。

 透析患者は通常、週3回程度の治療を行う。しかし、津波被害にあった気仙沼市では水、電力、薬剤の不足で透析ができない施設が多く、気仙沼市立病院に患者が殺到。患者数が病院の能力を超え、十分な治療ができない状態になった。

 このため、東北大が国を通じ支援を要請。道透析医会、札幌市透析医会、道透析療法学会が受け入れた。

 受け入れ団体の窓口となった札幌北楡病院の古井秀典医師は「治療や食料の不足で、患者はかなり消耗していた。まずは体を落ち着かせてほしい」と話していた。

 道内に避難する透析患者は23日も37人が予定され、2日間で81人になる。被災地の透析施設の機能回復が進むまで道内に滞在する。



http://www.tomamin.co.jp/2011c/c11032301.html
「恐ろしかった」と透析患者 治療のため北海道へ
(2011年 3/23)

 透析治療のため、東日本大震災下の宮城県から81人が来道した。22日に到着した患者のうち4人は千歳市の井川医院(田中智彦院長)に入院した。患者らは、治療を受けられることに安堵(あんど)の表情の一方、「恐ろしかった」と被災の様子を語った。

 千葉勝行さん(70)は、気仙沼市立病院に入院していた。「すごい揺れだった」と振り返り、「高い所にある病院の下の道路まで水が来た。ごみだらけだった。恐ろしかった」と語った。水や電気も不足し、「いつも5時間の透析は、1人2時間ずつに制限されていた。やっと落ち着いた感じです」とも。

 同じく気仙沼市立病院に入院していた阿部輝芳さん(60)は「津波で母親が亡くなった。タンカーから油が漏れ火災になったのが見えた。いくらか落ち着いたが、早く戻って様子を見たい」と語った。

 震災後初めて入浴したという同じ市立病院に通院していた菅原美智江さん(55)は「暖かいところで寝られるだけでうれしい」とほっとした表情。週に3回通院して透析を受けていた。透析の時間制限に、「不安だった」と明かし、地域では「避難してきた老人ホームのお年寄りをみんなでお世話をしていた」と支え合って頑張っている被災地の様子も語った。家は高台にあり無事だった、という。

 人工透析患者は22~23日に、航空自衛隊松島基地から自衛隊機で輸送された。

 多くは、気仙沼市立病院で透析を受けていた。水、電気、薬などの不足から十分な透析治療ができなくなり、北海道透析医会、札幌市透析医会、北海道透析療法学会の3団体が中心となり受け入れた。

 22日午後1時に、32歳から86歳までの男性28人、女性16人が松島基地からC130輸送機で到着。医師の健康チェックを受けた後、バス2台に分かれ、千歳市や恵庭市、札幌市の11医療機関に向かった。23日も37人を迎えた。

 3団体は「最大で300人の受け入れ可能」としているが、今後は未定という。



http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/40519/Default.aspx
震災受け、全国での放射線治療、がん薬物療法受け入れ可能病院を公開
公開日時 2011/03/23 05:01

国立がん研究センターと日本放射線腫瘍学会、日本臨床腫瘍学会は22日までに、東日本大震災を受け、東北地方の放射線治療の施行状況と、全国での放射線治療とがん薬物療法について、受け入れ可能な施設一覧を公開した。被災者支援に向け、学会発の取り組みも広がりをみせている。


国立がん研究センターHP(http://www.ncc.go.jp/jp/)では、放射線治療について、東北がんネットワークを活用し、施行状況を随時更新。がん薬物療法については、全国的な受け入れ施設一覧を掲載したほか、被災地でのがん治療薬の不足状況なども明らかにしている。


また、被災地で必要ながん治療を受けることができない患者のために、「被災がん患者ホットライン」を開設。がん治療を実施できず、患者の紹介を考慮している医療従事者や、がん治療を受けていた施設で治療ができず、他院での治療を望む患者に、治療が可能な施設を紹介するとしている。


日本放射線腫瘍学会では、全国レベルでの受け入れ可能な施設を公開した。学会では、コーディネーターを置き、患者の受け入れ施設とのマッチングを手助けする考え。詳細は、学会HP(http://www.jastro.or.jp/news/detail.php?eid=00190)まで。そのほか、日本臨床腫瘍学会は、がん薬物療法について、受け入れ可能な診療範囲、連絡医師のリストをHP(http://jsmo.umin.jp/oshirase/20110315.html)に掲載している。




http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20110323ddlk19040007000c.html
支える・山梨から:東日本大震災 支援プロジェクト設立、古屋聡さんに聞く /山梨
 ◇避難所の衛生改善、急務 積極的に情報収集を--山梨市立牧丘病院長・古屋聡さん

 山梨市立牧丘病院院長の古屋聡さん(48)は東日本大震災の発生直後、全国の自治医大(東京都)同窓生らと「震災支援プロジェクト」をつくり、被災地で医療活動を始めた。大規模病院の医師らが組織する災害派遣医療チーム(DMAT)の手が届かない慢性疾患患者や中小病院のサポートを目指す。16日から5日間活動した古屋さんに聞いた。【聞き手・曹美河】

 --プロジェクトの趣旨は

 災害現場の医療ニーズは時間とともに変化する。発生直後は救急医療、次に負傷者対応、第3段階が避難生活での感染症対策や慢性疾患患者への対応だ。DMATは第1、2段階の支援が中心だが、現状のニーズは第3段階にある。多くの避難所は衛生環境が悪く、インフルエンザや下痢など感染症の拡大が心配される。高齢者が多く、慢性疾患への対応も必要だ。

--5日間、どんなことを

 地震直後、被災地の同窓生らに連絡を試みたがつながらず、現地の状況を把握するため、島根県の同窓生医師と先遣隊として16日未明に車で宮城県に入った。岩手県南部と宮城県北部の病院や避難所などで医療活動をしながら情報を収集した。
 気仙沼市の避難所の80代女性は、体調に問題がなさそうだったが、丁寧に聞き取ると何日も便通がなかった。「トイレに行くと周りに迷惑がかかる」と水も飲んでいなかった。このように、多くの高齢者に便秘や脱水の兆候が見られた。細やかな応診が必要だが、地元の医師らも被災。人手が不足している。

--課題は

 阪神大震災や中越沖地震に比べ、今回は被害が広範囲。情報収集が困難だ。行政機能が失われた地域もあり、ニーズの把握が遅れている。その結果、現地の医療従事者が不足しているのに、「要請がないので派遣できない」という事態が起こっている。政府や支援する側の自治体は、積極的に現地情報を取りに行くべきだ。
 うれしいこともあった。現地では、通信会社1社の携帯電話だけが辛うじて通話できる状態。インターネット上で短文をやり取りするツイッターに、この会社の携帯が必要だと書き込むと、通信会社の方が病院まで携帯電話20台を届けてくれた。地元の医師や避難所代表者らに配り、活動がスムーズになった。

--今後の支援は

 岩手県の藤沢町民病院にプロジェクトの拠点を置いた。すでに同窓生ら100人以上が被災地入りを希望しており、1週間交代で4~5人ずつ派遣する。
 被災地以外の自治体では、被災者受け入れの必要性がさらに高まる。多くの県民が継続的に被災地を支えていくことが重要だ。

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 ◇27日までの県内の計画停電予定
問い合わせは 専用ダイヤル   電話0120・925・433
       東京電力山梨支店 電話0120・995・882

毎日新聞 2011年3月23日 地方版



http://www.nara-np.co.jp/20110323101854.html
宮城の避難所で診療 - 交代で寝泊り/県医師会
2011年3月23日 奈良新聞

 東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町の避難所で、県医師会(塩見俊次会長、約2000人)の救護活動が始まった。日本医師会災害医療チームの要請を受けて20日に宮城県入りし、歌津中学校に設置された避難所で、医師らが保健室に寝泊りして診療。4日ずつメンバーが交代し、当分の間、活動を継続する。

 県医師会によると、22日現在、同避難所の電気、水道は復旧しておらず、灯油やガソリンが不足。当初約500人いた被災者は少しずつ減っているが、避難所暮らしの長期化が予想される中、体力のない高齢者の多さが心配だとい…

記事の詳細は本紙をご覧下さい



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38434
[緊急連載] 震災の現場から(1)呼吸器電源 確保に奔走

 その時、訪問入浴で浴槽につかっていた体が、波打つ湯と共に大きく揺れ、部屋の照明が消えた。ヘルパーに支えられた体がガタガタ震えた。

 「恐怖で熱も出たよ」

 全身の筋力が低下する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、仙台市の自宅で生活を送る庄司精悦さん(52)は、体で唯一動かせる額に付けたセンサーで、巨大地震が襲ったときの思いをパソコンでそう書き出した。

 停電の瞬間、真っ先に恐れたのは人工呼吸器を動かす電源が途絶えることだった。バッテリー切れを示すアラーム音が、地震から1時間もたたずに鳴り始めた。バッテリーは通常、古い型で1時間、新しい型で7、8時間持つ。庄司さんのバッテリーも数時間は持つはずだったが、劣化していたのか、早くに消耗した。

 妹夫婦など家族が、急いで近くの消防署で発電機を借り、近所から燃料のガソリンをかき集めた。しかし、発電機は2日後に故障。救急車で東北大病院に緊急入院し、同病院が満床のため翌日、自衛隊のヘリで山形の病院に搬送された。

 庄司さんはこうして命をつないだ。電気が復旧した17日、自宅に戻れたが、「(緊急時の)電気とガソリンが一番心配だった」と振り返る。

 11日の地震直後、庄司さんら420人の患者を往診する仙台往診クリニックの川島孝一郎院長(56)は、電灯が消えた事務所で天を仰いだ。電話がなかなかつながらず、患者が生きているかどうかも確認できない。

 翌日までに、医師5人で手分けして、人工呼吸器を使う重症患者45人などの安否を確認した。発電機や車から電源を取り、窮地を脱していた患者もいたが、19人は緊急入院となった。

 燃料不足も深刻だった。停電中、発電機や車のシガーソケットにつないで動かす人工呼吸器は、ガソリンが切れれば止まってしまう。

 地震の2日後、往診用の車のガソリンもほぼ尽きた。

 警察などと交渉し、災害用の緊急車両指定を取って、優先的に給油を受けられるようにした。市内の多くの地域で電気が復旧した16日まで、医師の仕事は人工呼吸器を付けた患者へのガソリン配りだった。

 川島院長は教訓として、「災害直後は行政の支援が届きにくい。その時、大切なのは自助や共助。緊急時に発電機や燃料を調達できる仕組みや、地域の医療者、介護者同士のネットワーク整備を進めたい」と話す。

 未曽有の被害をもたらした東日本巨大地震。被災地の現場で患者や医療者はどう対処し、支え合っているのか。緊急リポートする。

(2011年3月23日 読売新聞)



http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110323-751881.html
73歳女医が診療所守る すぐに再開/ルポ

 親子2代で震災に立ち向かう医師一家が被災地にいる。宮城県七ケ浜町で震災後、すぐに再開した「新仙台湾鈴木診療所」の医師で所長の鈴木ヒトミさんは73歳。「いても立ってもいられず避難所を回った後、診療所を再開しました」。22日は午前8時半から午前中だけで90人を診察した。主にガソリンなどの燃料不足で移動できない被災者の患者の診察をしている。

 73歳という高齢が心配されるが「そんなことは言っていられない。私は幸いにも命もあるし家もある。医師にしかできないことがある」と言い切った。

 ヒトミさんは東北大医学部在学中に夫の寛さんと学生結婚し、4人の子供を授かった。4人の子供のうち3人は寛さんが多賀城市で開業した仙塩総合病院で働いている。同病院も津波の影響で地下と1階部分が現在も土砂と水で埋まっており通常業務はできないままだ。

 ヒトミさんの長男で理事長の寛寿さん(48)は「入院患者さん、医師スタッフは全員無事です。入院していた200人の患者さんは転院や退院してもらって現在50名を医師6人とスタッフで何とかやっています」と話す。次女の石垣五月医師、次男で事務長の崇寛さんは「何とか場所を確保して被災された地域の方の役に立ちたい」と話し、診察環境の整備に奔走している。

 この仙塩総合病院は1986年(昭61)に大洪水で被害にあっており今回が2度目の被害だが、ヒトミさんは「子供たちは1度経験しているから大丈夫。心配ごとは、そうねえ、次男がまだ結婚しないことかしら」と笑って答えた。【蔦林史峰】

 [2011年3月23日8時33分 紙面から]



http://mytown.asahi.com/areanews/yamanashi/TKY201103220497.html
劣悪な避難所環境・医師不足深刻 医療支援の古屋さん
2011年3月23日

 山梨市立牧丘病院の古屋聡院長(48)が、東日本大震災で孤立状態になった被災地で支援活動にあたった。目の当たりにしたのは劣悪な避難所の環境と深刻な人手不足。緊急で医師を募ったところ、自治医大の卒業生を中心に約150人が賛同し、22日までに一部が現地入りした。古屋さんに活動への思いを聞いた。

 食糧と寝袋を車に詰め込み、当直明けの13日、ひとり山梨を発った古屋さん。

 途中で合流した自治医大の後輩で島根県の隠岐島前病院の白石吉彦院長(44)と、大学や大学同窓会などに掛け合い、14日に医療支援チームを立ち上げた。「僕たち2人の任務は先遣隊。通信が途絶えていた岩手、宮城両県に入り、必要な医療支援は何か情報を集める仕事を始めた」

 被災地で見たのは、行政の対応が後手に回る情景。宮城県気仙沼市の避難所は感染症などの病気がはやる寸前の状態だった。仮設住宅を建てるなどして人口密度を低くしないと大変なことになる。それなのに「現地から要請がなくて動けない」と、周辺自治体や国の担当者は繰り返した。

 海岸から20~30キロ内陸の被災地はでこぼこ道が続いていた。古屋さんは16日から5日間、岩手と宮城を避難所から避難所へと要望を聞いて回った。走行距離は1500キロにのぼった。

 「東北の人は我慢強い。窮屈な避難所でも静かにしていた。声を掛けると『ありがとう、大丈夫です』と答える。重ねて聞くと、ようやくぽつりぽつりと話してくれた」

 ひざが不自由な85歳の女性はひとりでトイレに行くことができず、「迷惑をかけたくない」と水を飲むのを我慢していた。寝る姿勢を変えてあげないといけない高齢者も大勢いた。過疎化と医師不足という地域が抱えていた問題が避難所では顕在化していた。

 地元の医師たちは避難所で深夜まで診療してくたくたになっていた。災害派遣医療チーム(DMAT)の人命救助活動が一段落した後、日々の診療は地元の医師たちに委ねられる。白石さんは岩手県藤沢町にある国保藤沢町民病院につめて、必要な物資や人の手配に奔走していた。

 14日に同窓会のメーリングリストなどで現地で活動する医師を募り、約150人が手を挙げた。「現地入りした医師を迎えに行った時は、仲間の頼もしさに胸が熱くなった。今後半年間、交代で活動し、地元の医師が少しでも休めるように日々の診療を手助けしていく」

 今回の震災で、「情報化時代の長所ともろさの両方を痛感した」と古屋さんは言う。現地の通信手段が足りなくてツイッターでつぶやくと、翌日、仙台市のauの支店から携帯20台が届けられた。一方で、電話が通じないため、病院まで歩いて救急車を要請する住民の姿も目にした。

 「僕自身、現地で感情的になることも何度かあった。避難所近くのがれきの上を、子どもたちが泣きわめきもせず歩いていくのを見たとき、胸が痛くなった。災害はひとごとではない。皆で長期的な支援をしてほしい」(福山亜希)



http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-03-23_15758/
沖縄派遣医師団、長期支援訴える
2011年3月23日 09時47分

 東日本大震災の被災地支援のため、現地で活動していた県内の医師や看護師らが22日までに沖縄に戻った。避難所では、廃虚と化した町で行き場を失い、寒さと空腹に耐える被災者の姿。現場を見た医師らは「現場は想像以上だった。被災者の心のケアなど長期的な支援が必要だ」と訴えた。

 日本赤十字社沖縄支部の第1次医療救護班7人は16~20日まで、宮城県の石巻赤十字病院を拠点に活動。同救護班は、雪が積もり、がれきで埋もれた道路を迂(う)回(かい)しながら現地入りし、ガソリンが不足する中で市内8カ所の避難所で100人余りの被災者を診療した。

 22日に県庁内で会見した班長の佐々木秀章医師(48)は「現地では高血圧や糖尿病など慢性疾患のある高齢者を診療した。避難所では衛生状態が悪化し、インフルエンザや下痢がまん延していたため衛生指導を行った」などと報告。

 今後については「先が見えない中で生きる被災者にとって、心のケアが必要になる。今から現場に向かう医師らに経験を引き継ぎ、長期的な支援を続けたい」と訴えた。

 津波で町民の半数に当たる8千人が行方不明になった岩手県大槌町では、県医師会(宮城信雄会長)の災害救助医療班第1班とAMDA県支部の大城七子看護師(53)=天久台病院=が支援に当たった。それぞれ22日までに戻った。

 大城看護師は「避難所は肉親や親類の安否を気遣う重苦しい雰囲気。土ほこりが舞い、みんなせきが止まらない状況だった」と説明。「衛生用品などが不足している。現地に必要な物資を送ってほしい」と呼びかけた。

 県医師会は6人のチームで被災者約430人を診察。山間部に点在する避難所では、津波による骨折患者の処置に奮闘した。名桜大学の出口宝医師は「今後は眼科や歯科など緊急ではない医療ニーズも高まってくる。長い支援が必要だ」と訴えた。

「映像以上に悲惨」
消防援助沖縄隊が帰還報告

 緊急消防援助隊沖縄県隊として、被災地で活動していた県内11消防本部の56人が22日夜、沖縄に帰還した。危険な任務を終えた隊員は、那覇空港で出迎えた家族や同僚を前にほっとした表情を見せ、活動の意義をかみしめていた。

 緊急消防援助隊は17日に被災地へ出発。岩手県野田村で20日まで不明者の捜索に当たった。余震が続き津波の不安もある現場では、家屋や車がいくつも重なる危険な状況。隊員の安全確保を第一に捜索を続けた。

 空港内で取材に応じた隊長の照屋雅浩さん(47)=那覇市消防本部=は「現場まで向かう約700キロの道のりは険しく、テレビ映像以上に悲惨な状況だった。行方不明者の発見には至らず、たくさんの涙を流し、悔しさを募らせながら帰ってきた」と報告。

 「活動を通して、被災者を勇気付けることはできたと思う。私たちも被災者が前を向いて生活している姿を見て、強い気持ちになった」と力を込めた。

 空港内では帰還した隊員らが疲れた表情をみせず、出迎えた同僚と握手を交わしたり、家族と抱き合ったりする姿があった。

 空港で夫の宮平晃さん(32)=同=を待っていた泰子さん(28)は「夫とはメールで連絡を取りながら応援していた。任務は過酷だったと思う。無事に帰ってきてくれて、本当にほっとした」と笑顔を浮かべていた。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110323/dst11032303040002-n1.htm
日本財団会長・笹川陽平 「民」も総力を挙げて協力しよう
2011.3.23 03:04

 ◆寒冷地で救援待つ被災者

 唖然(あぜん)とするばかりの惨状である。東日本を襲った巨大地震。日本は総力を挙げて、この未曾有の国難に臨まなければならない。われわれ「民」も、可能な限りの協力をする必要がある。

 これに対し政府はボランティアなど「民」の現地入りを控えるよう求め、内閣府に震災ボランティア連携室を設け全体の調整を行うという。被害が東日本の太平洋側全域に広がり、大津波が家屋から車まで根こそぎ奪い去った今回の災害は、特定地域に被害が集中した過去の災害と明らかに違う。

 1995年の阪神淡路大震災の後、全国の災害ボランティア団体が日本財団の支援を受けて結成した、「震災がつなぐ全国ネットワーク」は過去28回、被災地に出動しているが、蓄積した知恵と教訓がどこまで通じるか、予測不能の感じさえある。

 大震災から1週間以上経て、仙台市など拠点には既に多くの支援物資が集積されている。しかし肝心の被災地は食糧や飲料水、薬など生活物資が大幅に不足し、家や家族を失った被災者が救援を待つ約2500カ所の避難所には、物資がほとんど届いていない。

 道路や電気、水道など大動脈の復旧を自衛隊、警察、消防団やそれぞれの専門家が担うのは当然として、広く点々と散在する避難所に物資を届けるには、ボランティアの力が欠かせない。政府が一刻も早くその活用に道を開くよう求める。高速道路の通行許可証すら得られないのでは誰も動けず、寒冷の地でひたすら救援を待つ被災者の窮状は救えない。

 ◆有償ボランティアも検討

 阪神淡路大震災でわれわれは百万円未満の救済事業を書類審査だけで受け付けた。慎重と公平を期すあまり支援が間に合わない事態を恐れたためだ。被災地にストーブもガソリンもないのなら、使い切りカイロをヘリコプターで大量投下し、少しでも暖を取ってもらうような柔軟な発想があっていいのではないか。「民」の力には限界があるが、経験を生かし、直近の対策から長期の支援策までできるだけ用意したいと考える。

 まず急ぐべきは被災地の老人、障害者、さらに肉親を失った災害遺児や外国人労働者への対策だ。これらの被災者をサポートするには、医師や看護師、心理療法士、介護士、手話通訳や外国語に堪能な人材が欠かせない。WHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局長も務めた尾身茂・自治医科大教授にお願いし、同大OB医師の協力をいただく予定で、医薬品は当財団で用意する。

 その他に関しても、長年の支援活動で培ったネットワークを通じて有為な人材に協力を呼び掛けている。当然、長期の活動となり善意だけに頼るのは無理がある。有償ボランティアとすることも検討している。

 被災地の宮城県名取市では地元NPOが2年前、予想される大地震に備え重度身体障害者の支援施設を立ち上げた。アドバイザーとして参加する日本財団OBによると、突然の惨事に茫然(ぼうぜん)と座り込む高齢者を足湯で暖め目線を合わせて励ますと、ようやく生気を取り戻すという。きめ細かいケアこそ「民」の重要な役割と考える。

 不幸にして肉親を失った災害遺児もかなりの数に達すると予想する。遺児たちの将来にわたる生活と教育を保証する必要があり、各地の里親の方々にも受け入れ準備を進めてもらっている。奨学金制度のような長期の支援策の検討も進めている。

 ◆必要なものを必要な場所に

 災害復旧には膨大な資金が必要となる。既に内外で広範な募金活動が始まっており、日本財団もウエブサイトCANPAN上に「東北地方太平洋沖地震支援基金」を立ち上げ、事業を通じ交流のあった外国の団体、個人にも広く協力を呼び掛けている。NHKや各紙で紹介いただき浄財が集まり始めた。あらかじめ使用目的を明示して一層の理解を得るとともに、使途に関する説明責任を徹底することで、助け合い精神旺盛なこの国の寄付文化の育成に一役買いたいと考えている。

 次いで災害現場で混乱も見られた支援物資の有効活用。CANPAN上に東証1部上場会社を中心に提供可能な支援物資や責任者名の一覧を掲載する準備を進めている。3月16日付の産経新聞朝刊には被災した各自治体の連絡先やガス、水道、医療機関など生活情報をまとめた「支援掲示板」が掲載された。これらを照合することで支援物資の有効活用が進むと期待する。「必要なものを必要な場所に必要な時に届ける」のが有効活用のポイントである。

 災害は、福島第1原発の炉心損傷事故を含め現在も進行中で、計画停電も続く。この国には各国が驚きを込めて絶賛する国民の冷静さと規則正しさがある。全国民が支援に参加することで絆は一層強まる。とりわけ内向き志向が指摘される若者には、ツイッターやフェイスブックを利用して大きく立ち上がってほしいと思う。それがこの国の底力となる。(ささかわ ようへい)



http://www.asahi.com/paper/editorial20110323.html
社説 2011年3月23日(水)
医療支援―分かち合いの精神こそ

 「医師も看護師も被災者です。家族の安否が確認できないまま勤務を続けている人もいます。勤務の合間に、携帯電話に家族からの着信がないか確認しているのです」

 重傷患者がヘリで次々と搬送されてくる宮城県石巻市の病院で、入院患者が目にした光景である。

 自らの家族より、患者への対応を優先する。被災地で働く医療従事者のプロ意識に敬意を表したい。

 地震発生直後から、200近い災害派遣医療チーム(DMAT)が全国の病院から送り込まれた。阪神大震災での救急医療の遅れという教訓からできたシステムが稼働したのだ。

 日がたつにつれ、慢性疾患を抱える患者への対応など日常的な医療の提供が課題となっている。多数の遺体の検案といった仕事も膨大だ。

 まずは開業医中心の医師会が力を発揮する場面だ。すでに日本医師会は災害医療チーム(JMAT)への参加を募り、会員たちが被災地で活動を始めている。高速道路の通行許可や燃料の優先的な提供で支えたい。

 それでも避難所の数が多いため、まだ医療が十分に届いていない。低体温症などによって避難所で亡くなる人をこれ以上、出してはならない。

 医薬品はもちろん、燃料や電力も含めて支援の拡大が必要だ。自治体や厚生労働省、医師会には、情報収集の徹底と効率的な連携を期待する。

 関東圏では、計画停電の医療への影響が大きい。たとえば人工透析のスケジュール変更が調整できなければ、患者の健康悪化に直結しかねない。在宅で療養しながら人工呼吸器などの医療機器を使う患者への影響も心配だ。

 厚労省は停電の正式決定まで本格的に動かず、対象地域内に計2600カ所近くある在宅療養支援診療所や訪問看護ステーションへの準備の呼びかけが出遅れた感は否めない。

 政府は停電が命や健康に及ぼす深刻な状況を直視し、国民ぐるみの「計画節電」を実施すべきだ。そうすれば停電を回避できるのではないか。

 大震災の被害で、医薬品の供給も滞るようになっている。数十万人が使う甲状腺機能低下の治療薬の場合、98%を生産する製薬会社の工場が福島県にあり、震災で生産が止まっている。

 厚労省は在庫を患者に行き渡らせるため、なるべく分割して処方するよう病院や薬局に呼びかけている。

 だが、生産再開までこのやり方で乗り切れる保証はない。緊急輸入などの措置をとって、患者や医師の不安を一刻も早く解消しなくてはいけない。

 私たち国民の側も、不安にかられて自分だけ多く薬をもらおうなどとすることがないように努めよう。

 苦難の時こそ、分かち合いの精神が大きな力を発揮する。
  1. 2011/03/25(金) 22:17:09|
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3月22日 震災12日目

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110322_16
家を失ったまま不眠不休 県立大船渡病院スタッフ

 東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市の県立大船渡病院(八島良幸院長)で、医療スタッフの住居確保が課題になっている。津波で家を失った医師や看護師は入居先のめどが立たないまま、院内に泊まり込みで被災者の救急対応などに当たっている。市内のアパートや宿泊施設は津波で崩壊。家族の安否さえ分からない職員もいる中、先の見えない不安を抱えながら不眠不休の業務が続く。

 避難生活で体調を崩し運び込まれる被災者、薬を求める長い列。大震災から10日がたち、医師や看護師に疲労の色がにじむ。

 同病院では、医師や看護師ら約150人が津波で帰る家を失ったり、ガソリン不足で帰宅できない人も。院内の診療ベッドや処置台、椅子、床に敷いた段ボールの上で夜を過ごしている。津波で医師公舎や市内のアパート、宿泊施設の多くが損壊。被災した職員の住まいのめどは立っていない。

 村田幸治事務局長は「寝ずの勤務で疲弊はピークに達している。できるだけ休ませながら病院機能を維持したい」と話す。内陸部からは医師や看護師、薬剤師らが応援に駆け付け、業務の負担軽減を図っている。

 しかし、県立高田病院が被災したため、陸前高田市の患者も薬を求めて大船渡病院に押し寄せる。避難生活が長引くことで今後、救急患者が増えることも予想される。薬や入院患者の食料、暖房用の重油や寝具の確保、家族の安否など職員の不安は尽きない。

 八島院長は「職員はみんな頑張っているが環境が劣悪だ。衣食住の特に住を安定させたい」と解決策を模索するが、なかなか妙案は見いだせそうにない。

(2011/03/22)



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110322k0000e040016000c.html
東日本大震災:5歳児急病、医師求め転々 病院受け入れず

 津波に襲われた南三陸町戸倉長清水(とくらながしず)の民宿に避難していた5歳の男児が深夜、「息が苦しい」と訴えた。国道が寸断され救急車を呼べない。父は避難所の仲間に手伝ってもらい、交代で息子を背負って3キロの悪路を歩いた。やっと救急車に乗せると、今度は病院が負傷者でいっぱいで受け入れてくれない。診察を受けられたのは翌日の昼だった。男児は回復したが、父は「いつも通りのことができない災害の恐ろしさを知った」と振り返った。

 青森県に単身赴任していた会社員、須藤正一さん(55)は、家族が地震で避難したと聞き、戸倉長清水の民宿「ながしず荘」で妻や子どもと合流した。

 次男竜平君(5)が発熱し、風邪の症状を訴えたのは18日のことだ。須藤さんは市販の風邪薬をすりつぶし、量を減らして飲ませたが、夜になって竜平君はせき込み始め、呼吸も苦しげになった。「早く医師にみせなければ」と近くの避難所にいた女性看護師に言われたが、近くに医師はいない。

 戸倉長清水は町の中心部から南東に約7キロ。海岸沿いを走る国道398号は、津波が運んだがれきで所々埋まり、折立(おりたて)川の橋も流されていた。深夜でヘリも飛べず、正一さんは救急車が来られる折立川の北まで、竜平くんを背負って行くことを決めた。

 友人の男性が懐中電灯で足元を照らし、須藤さんの親戚の男性と交代で体重が25キロ以上ある竜平君を背負った。ぬかるんだ凹凸の道を40分歩き、待機していた救急隊員に託した。

 しかし、救急隊員が搬送を打診すると、付近の病院はみな「重篤な負傷者が多数いて、受け入れる余裕がない」「その子は重症とは言えない」などと受け入れを断った。1時間以上転々とした末に受診をあきらめ、隣の登米市の避難所で親子は一夜を明かした。「町から遠く離れて医師を見つけても、今度は帰れなくなる。待機するしかなかった」と須藤さんは言う。

 翌19日昼、鳥取県から来た医師が避難所に来たため、幸い診察を受けることができた。風邪と薬のアレルギーが原因だった。竜平君は今、症状もほとんどなく元気だという。

 被災地の医師不足はこれからも続き、道路はいつ開通するか分からない。須藤さんは「つらかったが、自分だけのことではないので、あきらめるしかない」と話した。【杉本修作】



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110322/dst11032206540010-n2.htm
医師ら疲労深く 泊まり込みで不眠不休、家族とまだ連絡取れず
2011.3.22 06:52

 東日本大震災による大勢の負傷者への緊急対応や、津波や福島第1原発事故で避難生活を強いられ体調を崩した住民に対するケア。不自由な生活を強いられている住民はもちろんだが、被災地の医療施設で不眠不休で働いている医療関係者らも疲労を深めている。
  事故が相次ぐ福島第1原発がある福島県。県立医大病院(福島市)では、断水が長く続き、手術や人工透析、検査などに大きな支障が出た。水道は19日に復旧 したが、今も一部医薬品の供給が滞っている。外来患者が病院の建物に入る際は、放射性物質の有無を調べるスクリーニングを実施している。同病院で物資調達 を担当する井出孝利さんは「うちは地域の拠点として重い患者を受け入れる3次救急病院。早く通常の診療体制に戻したいが、ガソリン不足で物流が回復しない のが悩みだ」と話す。
 福島県沿岸部のいわき市立総合磐城共立病院によると、原発事故の影響で市内の多くの薬局が休業。薬を求めて訪れる市民が多く、1カ月分を2週間分にするなど処方量を減らしてしのいでいる。
 被災したり、ガソリン不足で通勤できないなどの理由でスタッフは通常の半分程度。100人以上が病院に泊まり込み、震災後からほぼ全員が休みなく働いている。担当者は「せめて1日でも休みが取れるようにしないと、医師も看護師も職員もいつか倒れる」。
 宮城県女川町の女川町立病院は高さ16メートルの高台に位置するが、それでも1階まで津波が押し寄せた。難を逃れた入院患者や隣接するデイケア施設から移った高齢者計約80人を抱える上、外来患者は通常の3倍を超す1日300人以上だ。

 もともと深刻な医師不足で常勤医はわずか4人。4月から公設民営化を予定していたことが幸いし、委託先の地域医療振興協会を通じて関東の複数の民間病院が急遽(きゅうきょ)、ヘリコプターで医師や看護師を送り込んでくれた。おかげで周辺避難所に医療スタッフを派遣し、来院できない被災者のケアにも当たれるようになった。だが、家や家族を失ったり、家族といまだに連絡が取れないスタッフも多い。阿部敏彦事務長は「みんな見た目は気丈に、一生懸命働いているが、抱えているであろう心の傷が気掛かりだ」と話した。



http://www.m3.com/iryoIshin/article/134236/?portalId=iryoIshin&pageFrom=openIryoIshin
東日本大震災(被災地の現場から)
外来再開で1000人もの患者が来院、気仙沼市立病院
内科、脳神経外科、泌尿器科を中心に薬剤処方のみの対応に(3月22日時点)

2011年3月22日 星良孝(m3.com編集部)

 甚大な震災被害を受けた宮城県気仙沼市。この地域の医療を支える、気仙沼市立病院で3月22日、震災以来初めて従来の時間帯で外来が再開した。初日は患者がおよそ1000人殺到、病院に長い列ができる状態となった。被災地の外来ではどんな患者が受診し、これから注意すべき疾患は何だったのだろうか。

 「私自身は通常50人ほどを診療するが、今日は100人強の診療を行った」と1日を振り返る内科医長の相澤宏樹氏に状況を聞いた。

内科、脳神経外科など薬処方のみ

 気仙沼市立病院は気仙沼港の近くに位置するが、丘の上に位置するため津波の打撃を受けなかった。相澤氏は、「病院の1階でも浸水しては診療に支障が出たと思うが、病院の上り口、1階のぎりぎりまでで波が止まった」と地震直後を語る。

 地震発生からは救急患者のみを受け付けてきたが、外来患者を受け入れられるようになったのは、人的、物的な支援が集まり、体制が整ったことが大きい。もっとも、外来を再開したといはいえ、初日から従来通りの診療を行ったのは、小児科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科といった患者数が比較的少ない診療科だ。内科や脳神経外科、泌尿器科などの外来患者が多数に上る診療科は震災前のようには診療を行うことが難しい。

 相澤氏は、「内科全般を見ているが、現状は、患者の震災前に服用していた薬剤の通りに、医薬品を処方するので手一杯の診療内容になっている。周辺の医療機関が電気やガスが通っておらず、診療ができないので、患者が市立病院にやってきている。初めて受診する患者では、前に何の薬を処方されているか分からず、対応は難しくなる」と言う。相澤氏は、震災前には消化器を専門として内科を受け持っていたが、当面は幅広い疾患を訴える患者を受け入れる構えだ。

 今後も問題となりそうなのは高齢者の医療という。相澤氏は、「外傷の患者はほとんどいない。中心は避難所にいる方の診療となっている。高齢の方が来院者の中では多く、肺炎を起こしているケースや経管栄養で問題なっているケース、ストレス性胃潰瘍のケースなどで感染症や慢性疾患が問題となる。インフルエンザやノロウイルスが流行する兆しがあり、警戒している」と話す。

 現在、肺炎などの重症例では、病棟で入院してもらうことになる。問題は病棟のキャパシティーを超えつつあること。「東北大学病院に加え、内陸の病院など支援してもらえる病院に、重症の患者、透析の患者などを紹介している状況」と相澤氏は説明する。

「無傷の国道が救い」

 気仙沼市立病院のインフラ面では、徐々に復旧してきたが、完全ではない。気仙沼で5日間にわたって続いた火災は、病院の手前まで迫った。火事は免れたものの、14日は非常用電源も重油切れになったこともあった。幸い、電力会社からの電気が当日につながり、水道こそ利用可能になったものの、現在もガスは利用できない状態だ。

 「気仙沼市立病院への物流を支える284号線が地震の被害を受けずに通じているのは救い」と相澤氏は言う。徐々に食料、医薬品の調達が可能となってきているからだ。相澤氏は、「チラーヂンSといった全国的に不足している医薬品は例外とすれば、医薬品は充足されてきている」と話す。

 医師は東北大学病院をはじめとした支援の医師が駆けつけて、状況は改善の方向にあるが、看護師をはじめとした医療従事者全体で見ると人手不足は解消されていない。震災の発生以来、ガソリン不足の影響で、自動車を使うのが難しいのは大きい。相澤氏は、「外来を全科にわたって震災前の通りに再開するにはしばらく時間がかかりそう」と見ている。

 気仙沼市立病院の主に同じ宮城県内の医療機関の間では、病院間の支援の輪が広がっているようだ。「支援してくれる医療機関が増えており、徐々に、医療体制が改善する方向」と相澤氏は言う。今後、高齢者を中心に慢性的な疾患や感染症が問題となる兆候があり、医療機関同士の連携により注意を要することになりそうだ。



http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110323k0000m040058000c.html
東日本大震災:病院・避難所 死亡相次ぐ 支援調整足りぬ

 東日本大震災後、被災地の病院や避難所などで患者や高齢者らの死亡が相次いでいる。22日は新たに、岩手県釜石市の病院で入院患者9人が死亡していたことが判明し、死者は少なくとも35人に上る。被災地では医薬品や燃料などの不足に加え、ライフラインも完全には復旧していない。23日以降、冬型の気圧配置で最低気温は氷点下に下がる見込みで、専門家からは「このままではさらに死者が出る可能性がある」と懸念の声が上がっている。【福島祥、金子淳】

 地震と津波でボイラーが故障した上、停電にも見舞われた同市大渡町の「釜石のぞみ病院」。寒さにさらされ、19日までに入院患者の男女9人が肺炎で死亡した。いずれも高齢者だった。医師によると、病棟内の温度が0度を下回ることもあったという。

 病院関係者によると、地震発生時の入院患者は151人。停電中も医師らは、たんの吸引などは手動の機器で対応したが、寒さの中で患者の体力が低下し続け、衰弱して死に至ったとみられる。釜石市によると、電気が復旧したのは16日昼過ぎだったという。

 病院は13日から他の病院へ患者の移送を始めており、23日までに入院患者を58人にする計画。一方、ボイラー復旧のめどは立たず、患者は寒さに震えているという。病院関係者は「支援物資に電気ストーブを要望しているが、ほとんど届かない」と話す。

 病院の患者では他にも、原発事故で避難指示圏内にあった福島県大熊町の双葉病院の入院患者21人が、適切な医療処置を受けられないまま避難先で死亡したことが17日に判明している。介護老人保健施設でも同県いわき市の施設で21日、女性入所者2人が県外に避難するバスの中で心肺停止となり死亡した。

 避難所で死亡するケースも続いている。

 宮城県によると、仙台市若林区の小学校の避難所で16日朝、70代の女性が仮設トイレの前で倒れているのが見つかり、病院に運ばれたが死亡した。18日夜には同区の別の小学校でも、避難中の男性(87)がうつぶせに倒れているのが見つかり、翌19日朝に病院で死亡した。

 茨城県大洗町では15日、体育館に避難していた女性(86)が体調を崩して死亡。町によると心肺停止となり、その原因は分かっていないという。

 室崎益輝・関西学院大教授(都市防災)は「重病者は直ちに被災地から移送し、現地で治療を続ける人たちのために医薬品や物資、医療スタッフを多く送らないといけない。避難所で高齢者が人知れず倒れるような惨状を防ぐには、多くのボランティアの力が不可欠だ。これらの支援を政府が積極的にコーディネートする必要があるのに、現段階では決定的に欠けている」と話している。

毎日新聞 2011年3月22日 19時16分(最終更新 3月22日 22時34分)



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110322/fks11032217490019-n2.htm
「いっそ避難指示に…」20~30キロ圏内 医師まで退避、機能停止
2011.3.22 16:45

 福島県の東京電力福島第1原発から半径20~30キロ以内の屋内退避指示が出た自治体が対応に苦慮している。「放射能濃度が高い町」という「風評被害」で物流が滞り、街の機能がストップ。医師が避難し、治療を受けられない状況も発生している。「いっそ避難指示にしてくれた方がよかった」。関係者からため息も漏れる。

 「汚染された危険な地域という印象なんです」

 「屋内退避圏」にある人口約7万人の福島県南相馬市。津波で沿岸部は壊滅的被害を受け、避難所には最大約6千人が詰めかけたが、混乱に拍車をかけたのは原発事故後の「屋内退避指示」だった。

 南相馬市によると、指示以降、民間の支援組織や物流を担当するドライバーなどから市まで物資を運べないという連絡が相次ぐようになったという。放射線量が高い地域という印象のためだ。「屋内退避圏外の福島県郡山市まで運ぶから、役場の人が取りに来てくれという連絡もあった」と市担当者は話す。

 さらに公立病院の医師らも自主的に避難。「残った医者は薬を処方することで手いっぱいで、とても地域医療が成立しない」(市関係者)。市は県外に避難するバスを用意したが市民5千人が殺到。現在残っているのは、寝たきりの高齢者を抱える家庭など、何らかの理由で動けない人が多いという。

 市役所では毎日放射線量を計測しているが、21日夕の数値は2マイクロシーベルト。「福島市や他の自治体とさほど変わる数字ではない。風評被害の一種です」と市関係者はため息をつく。

 人口約34万人の同県いわき市でも状況は似ている。

 いわき市は数百人が居住する市北部2地区が「30キロ以内」にギリギリ掛かっている。「市の大半は半径30キロより外。ただ報道では『いわき市は屋内退避』という扱いになってしまった」と同市災害対策本部は説明する。ドライバーが市内への物資搬入を渋り、市職員が受け取りに行くという南相馬市とまったく同じ状況も起きた。物資不足は解消されつつあるが、ガソリンは不足し、市民に行き渡っていない。

 いわき市に住む男性は「安全だとは信じているが、もしかしたらどこかに逃げた方がいいのかもしれないとも思う。半径30キロから少しでも外にいれば安全なのだろうか」と戸惑いを隠さなかった。



http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/03/20110322s01.htm
東日本大震災 避難所の高齢者/体調管理に手を差し伸べて

 能登半島地震を覚えておいでだろうか。2007年3月、石川県の輪島市などで震度6強を観測した。集落の家屋が倒壊して高齢者をはじめ、多くの住民が避難所生活を余儀なくされた。
 お年寄りたちは我慢強く、なかなか弱音を口にしなかったそうだ。そこで行政が大掛かりな聞き取り調査を行ったところ、「高血圧でつらい」「なかなか寝付けない」などと初めて悩みを打ち明けたという。
 東日本大震災で被災した人の避難所暮らしが長引きつつある。寒さもあって亡くなる事例も出始めた。
 常備薬が切れたが、かかりつけの病院が開いていない、外のトイレに行きたくないから水分を取らない、同じ場所に座って一日中動かない。厳しい環境で高まるストレス。「なんでこんな目に…」と思いたくなるだろう。
 避難所を見回してみたい。全国から保健師さんが応援にやって来て随時、健康相談を行っている。
 診察を再開した病院も増えてきた。避難所によっては医師が巡回している。我慢せず、「苦しい」と訴えよう。体に良いアドバイスをくれるはずだ。
 阪神大震災では、避難所の高齢者に対する自治体などのケアが後手に回り、900人以上が慢性疾患の悪化、肺炎、ストレスによる胃潰瘍などで死亡した。
 同じ轍(てつ)を踏んではならない。行政や医師会などの医療団体は、細かい目配りができる持続可能な態勢をいち早くつくり、健康、体調維持のための手だてを講じてもらいたい。
 仙台市健康福祉局によると、高齢者で心配されるのは高血圧や心臓疾患などの症状という。
 かかりつけ医の診察、薬の処方を受けられないと悪化する恐れがある。ただ、国の震災特例として、薬の使用歴が書かれた「お薬手帳」を薬局で示すと、医師の処方箋がなくても調剤してくれることになった。
 今後、各地から医薬品が届いて薬局が営業を再開すれば、近くで手に入れることができる。
 仮設トイレは衛生状態が悪く、最小限にしたい気持ちになるが、「水分を控えすぎると血管の中に血栓ができて、脳卒中や心筋梗塞を引き起こす」(同市健康福祉局)という。摂取不足に気をつける必要がある。
 過去の地震では、風邪やインフルエンザ、ノロウイルスなどがまん延したことがあった。狭い場所での共同生活で感染が広がると、取り返しのつかないことになりかねず、注意が必要だ。少しでも疑いの事例があったら消毒、清掃などを徹底し、素早く対処してほしい。
 これからは、駆け付けたボランティアの活用が有効と思われる。屋内外に積み重なったごみの分別と収集などに協力してもらい、清潔できれいな環境整備に一役買ってもらおう。
 震災に遭いながらも、なんとか助かった命。再建を果たして、自宅に戻る前に失われるような悲劇は目にしたくない。

2011年03月22日火曜日



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110322t23027.htm
岩手県立高田病院、仮診療所で奮闘 患者と職員、一時孤立

 岩手県陸前高田市で唯一の総合病院で震災により建物が使えなくなった岩手県立高田病院が、市内に開設した仮診療所で外来診療を続けている。患者や職員は津波で孤立し、極限状態の中で救助された。犠牲になった人もいるなど、失ったものは計り知れないが、職員たちは「地域医療を守る」と奮闘している。

 高田病院は13日、陸前高田市の米崎コミュニティセンターで診療を再開した。聴診器、血圧計など最低限の器具を集め、15日に仮診療所を本格化させた。会議室を卓球台で仕切って「診察室」を設け、土日も診療。1日100人以上が訪れる。
 課題は数多い。自分が服用していた薬をしっかり記憶している患者は少ない。津波でカルテや処方箋を流され、採血検査もできない。
 通常の医療には程遠いが、医師らは症状などを聞きながら、支援物資の薬を処方する。市内の訪問診療にも乗り出した。
 仮診療所の開設当初、スタッフは家族の安否確認もままならないまま泊まり込んだ。その後ようやく応援が来て、交代できるようになった。女性看護師は「いろんな苦労はあるが、笑顔で頑張ろうと話している。目の前の患者さんの力になりたい」と話す。
 4階建ての病院を丸ごと襲った11日の大津波。屋上に避難した入院患者や職員約160人は12日午後、ヘリでようやく救助された。
 壮絶な脱出劇だった。毛布やマットレスは海水でぬれ、保温にビニール袋を羽織った。患者をボイラー室内に入れたり、棚や雑誌を燃やしたりして寒さをしのいだ。入院患者51人のうち、屋上までたどり着いたのは40人。うち5人は衰弱し、救出前に死亡した。行方不明の職員もいる。
 「病室が浸水したのに助かったのは奇跡。ただ、なくなった人たちを思うと心が張り裂けそう」。看護師の大久保勝子さん(48)はうつむく。
 まちは壊滅し、高田病院だけではなく、医療機関のほとんどが被災した。地域医療はまさに危機的状況にある。
 「地域医療再編のため、みんなで力を出し合おう」。石木幹人院長は仮診療所の入り口に、介護士らも含めた医療スタッフ募集の案内を張り出した。「市民は不安でしょうがないと思う。継続的な医療を提供するのが医療者の務めだ」。石木院長は力を込めた。(宮崎伸一、坂井直人)

2011年03月22日火曜日


http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/82baf6f18cc27f0938d8cae2ad97b438/
被災地・宮城にいち早く医療支援、立川相互病院が派遣チーム報告会【震災関連速報】(1) - 11/03/22 | 11:31

 「東日本大震災の被災地に一刻も早く救援チーム派遣を」

 大震災の翌々日の3月13日午前2時、宮城県塩釜市内の民間病院にたどりついたのが、立川相互病院(東京・立川市、345床)など「社会医療法人社団健生会」に所属する職員たちだった。

 山田秀樹副院長を団長とする看護師、事務職員ら、第一次支援メンバー9人がステーションワゴンタイプの乗用車3台に医療物資を満載して立川相互病院を出発したのは12日午後5時。地元の警察署で「緊急通行車両確認標章」の取得に1時間半を要した後、東北自動車道を通って仙台南インターチェンジで一般道に下り、塩釜市内の坂総合病院(357床)に5時間半かけて到着した。

 「地震直後の東北自動車道はところどころに損壊があり、路肩の崩壊でぎりぎり一車線しか通れないところも数カ所あった。ただ、道路はものすごくすいていたうえ、損壊の程度は全般的には軽いようだった。そのため、スムーズに現地に到着することができた」(山田副院長)。また、健生会では阪神淡路大震災や中越地震で支援隊を出した経験を持つことから、「早い時期から被災者の初期治療に従事することができた」と山田副院長は話す。

 坂総合病院の受け入れ態勢もしっかりしていたという。同病院は塩釜市を中心とする2市3町(ほかに多賀城市、七ヶ浜町、利府町、松島町)および仙台市東部地域の人口約25万人を支える中核病院で、宮城県から災害拠点病院の指定を受けている。ふだんから災害への備えを怠っていなかったこともあり、着任した立川相互病院の職員らはすぐさま病院での診療や患者のトリアージ(重症度判定)、避難所にいる被災者への訪問診療・訪問看護などを分担。3日間の診療を終えて16日午後9時に立川に帰還した。この間、約200人の被災者の診療に従事した。

 立川相互病院は全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)に所属している。坂総合病院も1953年の全日本民医連結成時の医療機関の一つで、ふだんから横のつながりが強い。全日本民医連は加盟事業所数が全国47都道府県で1700以上に上り、約6万2000人の職員が勤務している全国でも有数の民間医療機関ネットワーク。特に、生活困窮者に対する医療支援に力を入れており、無料低額診療所の多くも民医連の医療機関が運営している。現在、全国にある全日本民医連加盟医療機関は坂総合病院に数百人もの応援人員を派遣。被災地の医療支援に従事している。

 3月18日午後6時、立川相互病院では、第一次支援メンバーによる報告集会が開催された(写真)。そこでは、物資・医薬品不足に加えトイレも十分になく、インフルエンザや風邪が蔓延しやすい避難所での衛生環境の改善や、働き詰めになっている現地医療スタッフの休養確保の必要性などがメンバーの間から早急に対処すべき課題として報告された。

 立川相互病院自体も、震災当日は大きな揺れに遭遇し、手術中の患者を看護師らが身を挺して守った。それからまもなくの第一次支援メンバー派遣に際して、草島健二院長ほか多くの職員が病院前に出て見送った。

 「病院の迅速な対応により、医療従事者の現地入りでは、全日本民医連加盟医療機関の中で一番乗りを果たした」と山田副院長は胸を張る。19日には第三次支援メンバーを派遣。長期にわたり、支援活動を継続していく考えだ。

(岡田 広行=東洋経済オンライン)


  1. 2011/03/25(金) 22:13:06|
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3月21日 震災11日目

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110321/dst11032108470024-n1.htm
被災地医療、新たな局面 感染症防止が課題
2011.3.21 08:45

 東日本大震災の被災地での医療活動は、重傷者の救命を中心とした緊急対応から、避難住民の長期的なケアに向け新たな局面に移りつつある。災害発生から48時間以内に活動する災害派遣医療チーム(DMAT)は徐々に撤収し、代わって被災者の健康相談などに当たる保健師が続々と現地入り。今後は避難所での感染症防止などが課題となる。

 厚生労働省によると、災害医療の専門訓練を積んだ医師や看護師で構成されるDMATは193チームが展開した13日をピークに、17日には12チームまで減った。厚労省では「被災地では緊急医療がその役割をほぼ終えつつある」とする。

 一方、全国の自治体からは保健師が派遣され、避難所や高齢者施設を回り、健康相談や感染症予防対策を本格化させ始めた。18日現在、宮城など3県で60チームの120人以上が活動。さらに40チームが被災地に向かっている。

 阪神大震災では避難所の厳しい生活で風邪や肺炎にかかる高齢者が続出、犠牲者も出た。今回も同様の事態が起きており、感染症対策にはきめ細かい対応が求められる。

 また、被災地の医師らを悩ませているのが医薬品不足。厚労省では自治体の要請に応じて医薬品を搬送しているが、集積所に積まれたまま病院などに届いていない例も。政府は自衛隊ヘリなどによる空輸も検討する。



http://japan.techinsight.jp/2011/03/furuse2011031914400.html
【巨大地震・盛岡から】その14 医師が過労で緊急入院も。医療看護現場はもう限界。
2011年3月21日 17:00

震災からすでに1週間が経過、余震は徐々に減っているというのに、医療現場からは不安の声が高まる一方です。医薬品不足も深刻な中、いよいよ診療にあたっている医師や看護師の疲労が限界に達しているのです。

19日の地元紙「岩手日報」は、被災地である県立高田病院の佐藤敏通副院長が、盛岡市の県立中央病院に緊急入院したことを大きく報じました。食事も睡眠もままならない状態で、心と体の疲労を休めることなく5日間も診察にあたって来たそうです。

副院長を支えて来たのは、恐らく医師としての使命感ひとつでしょう。しかしついに力尽きてしまい、自らも “患者” となってしまったのです。残してきた患者への心配に加え、実は妻・淳子さんがこの震災で行方不明となっているため、副院長は抗不安薬の力を借りて眠ったとのこと。肉体は疲れているのに神経が不安、恐怖、苦悶などで高ぶってしまい眠れない。記者の周囲でもそう口にする人が増えています。

被災地の医師、看護師らの中には、自らも被災者あるいは行方不明となっている家族を抱えている人も多いのです。医療ボランティア体制がいまだ確保されていないことが、今回の件でも浮き彫りになりました。ヘルプ要請が続々と被災地から伝えられています。 全国から大勢の医療ボランティアスタッフが集まり、スムーズに配置されることを祈ってやみません。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)



http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20110321/CK2011032102000089.html?ref=rank
「弱者、一番の苦しみ」 岐阜で宮城派遣の医師ら報告
2011年3月21日

 宮城県塩釜市の総合病院に派遣されていた県民主医療機関連合会(岐阜市、岐阜民医連)の支援チームが岐阜市に戻り、20日、市内で報告会を開いた。

 チームは岐阜市北山のみどり病院の医師、看護師、職員の4人で、15日に出発、19日に戻った。報告会には岐阜民医連の関係者約150人が出席した。

 医師日比野将也さん(29)は病院での診療のほか、避難所を回った。昼間の避難所は、多くの人が家の片付けに出掛ける一方で、お年寄りが残り、病院にも行けない状況と説明。「高齢者ら弱者が一番苦しんでいる」と指摘した。

 「現地ではガソリンや灯油などの燃料が不足している。避難所では毛布1枚で夜を過ごしている人も多い」と訴えた。 (寺本康弘)



http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY201103210280.html
被災者悩ます便秘 水分不足や心労、1週間出ない人も
2011年3月22日0時9分

 東日本大震災の被災地で便秘に悩むお年寄りや女性が増えている。大地震があった11日以来1週間以上便が出なかった人も。慣れない避難所暮らしが影響しているようだ。

 「おばあちゃんが、おなかが苦しいというんです。診てやってもらえませんか」

 宮城県石巻市の高台にある避難所を訪れた石巻赤十字病院の医療チームに80歳の女性の家族が訴えた。もともと3日に1回だった大便が1週間以上出ないという。横になったまま起き上がれなかった。

 長野県医師会から派遣されたミサトピア小倉病院看護師の高山順一さん(37)が、女性のおなかを「の」の字にマッサージしながら、ビニール手袋を二重に着け、肛門(こうもん)に指を入れ便をかき出した。栓のようになっていた肛門付近の便が少しずつ動き出し、10~15分後、たまっていた便が出てきたという。

 「スッとしました」と女性の表情が和らいだ。高山さんは「水をたくさん飲んで。できれば軽い運動も」と助言した。女性は震災で生活が乱された心労や、疲れが重なって便秘がひどくなったようだ。

 「言い出しにくく、最後の最後まで我慢してしまう。悩んでいる人は大勢いると思います」と高山さん。同行した工藤猛医師は、お年寄りや女性を中心に、避難所で暮らす人たちの半分が便秘に悩んでいるとみる。

 名古屋大准教授の葛谷雅文医師(老年科学)によると、避難所暮らしになって食事や排便の習慣が変わったり、水分や運動が不足したりすることが便秘の原因と考えられる。ストレスや、避難所での食事に野菜や果物などが不足しがちなことも関係する。3日以上出ないと、腹痛などの症状のほか、便が固く栓のようになって出にくくさせるので早めの手当てが必要だという。

 避難所暮らしの中で改善を図る方法もあるが、難しい場合もある。そのときは医師に診てもらい薬物療法になるが、「お年寄りには、心臓や腎臓の機能が弱っている人や、緑内障や前立腺肥大症のある人が多く、使ってはいけない薬もあるので注意が必要です」と言う。(熊井洋美、寺崎省子)



http://sankei.jp.msn.com/region/news/110321/fkk11032101360000-n1.htm
東日本大震災 福岡市医師会、検視チームを派遣
2011.3.21 01:35

 ■「医療と並行してサポート」

 東日本大震災で福岡市医師会は、犠牲者の死因などを調べる検視チームを宮城県へ派遣した。宮城県が安置所に用いている総合運動公園「グランディ21」には1日に100体もの遺体が運び込まれ今後もさらに増えるとみられることから、仙台市医師会からの要請に応えた。
                   ◇
 福岡県警の警察医を務める大木実医師ら検視チーム4人は18日午前、福岡空港から出発。山形空港から陸路で宮城県に入った。

 検視チームに先立って現地入りした福岡市医師会の江頭啓介会長によると、グランディ21では医師14人と警察官らが遺体の検視を行っている。

 江頭会長は「津波の被害に遭った沿岸部には入りにくい状況で、まだ搬送できない遺体も多いと聞いた。今後、医療と検視を並行してサポートしていく」と語った。

 また、現地の状況については「医薬品以前に食料、燃料が不足している。食料がないため、入院患者に帰宅してもらっている病院もある。仙台医師会の話では被災者の忍耐、我慢は限界に近い」と述べ、物流網の早期復旧が必要との考えを示した。

 また、福岡県医師会は災害医療チームの第一陣として、20日に北九州市医師会の13人らを茨城県に派遣、日立市などで活動を始めた。

 福岡市も仙台市太白区の避難所で、健康に関して被災者らの相談を受けるなどする保健師らの第2次チーム4人を派遣した。



http://sankei.jp.msn.com/world/news/110321/mds11032122230017-n1.htm
風邪などへの通常医療が必要 イスラエル先遣隊
2011.3.21 22:20

 東日本大震災で被災した宮城県栗原市に入ったイスラエル緊急医療チーム先遣隊のアリエル・バル医師は21日、現地では「風邪やインフルエンザ、発熱などに対する通常の医療」が必要とされていると報告した。イスラエル放送の電話取材に語った。

 イスラエル政府は先遣隊の調査に基づき、近く本隊を派遣する。バル医師は、震災による重症者は既に病院に搬送されており、必要なのは比較的軽症の患者への治療だと指摘。被災地では医師が足りず、燃料不足も深刻だと述べた。(共同)



http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001103210004
災害弱者どう守る
2011年03月21日

 被災地を逃れて来た人たちの避難所生活はいつまで続くのか。県内各地の避難所では乳幼児や障害者、高齢者といった「災害弱者」へのケアの動きが目立ってきた。県災害対策本部によると、20日午後3時現在、55カ所の避難所に3834人が避難している。

 ▽ 高齢者・子供の体調ケア

 千人以上が寝起きしている山形市総合スポーツセンターの避難所では18日から、山形済生病院の医師らが「エコノミークラス症候群」の検査を始めた。長時間同じ体勢でいたりすると起こる症状で、足の静脈が滞って血栓ができる。新潟県中越沖地震でも避難者に発症者が相次いだ。

 20日までに寝たきりの高齢者や下半身にむくみやだるさを感じている人ら約100人が受診。医師が足の状態を診察し、看護師が「水分をこまめにとり、循環をよくするように」などと助言した。軽度の血栓が確認された人には医療用ストッキングを配る。

 検査を受けた福島県南相馬市の高倉幸さん(89)は「異常がなくてよかった」と一安心していた。統括診療部長の折田博之さんは「血栓が肺静脈に届くと重大な症状になることもある。啓発して予防することが大事」と強調する。

 整体院などを経営する愛楽グループ(山形市)は20日に整体師を派遣し、無料で整体などをしている。

 市は避難所の一角に健康相談室を開設している。保健師や助産師が常駐し、不定期ながら医師の診察もある。「持病の薬が不足している」という高齢者や、子どもの体調不良の相談が多いという。

 食事も20日から、炊きだしで離乳食と高齢者用の食事が別に配られるようになった。南相馬市の会社員藤井慎吾さん(32)の長男陽太君(9カ月)は、離乳食のおかゆをおいしそうに食べた。母の浩子さん(31)は「おにぎりをみそ汁などでやわらかくして食べさせていたが、便の調子がよくないなど心配だった。ありがたい」と笑顔で話した。

 手話通訳のボランティア舟越芳子さん(62)らも活躍している。聴覚障害者で相馬市から家族と避難している管野三博さん(64)は、近隣の入浴施設の場所など生活情報を舟越さんから聞き、役立てている。管野さんは「支援してくれる人とコミュニケーションがとれて大変助かる」。

 約200人が避難する上山市体育文化センターでは、市医師会の医師が2日に1回、健康相談に乗っている。「心配なことがある方は声をかけて下さい」。ボランティアの助手が声をかけると、「クスリが切れそうです」「足が痛い」と訴えが相次いだ。南相馬市の女性(70)は「お医者さんにアドバイスをいただけると安心できます」と話す。

 市医師会の佐藤紀嗣会長によると、今後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状が表れる可能性もあるという。佐藤会長は「精神的な面でもしっかり考えていかなくては」と話した。
  天童市にある県の施設「青年の家」は市と協力し、未就学児のいる家庭専用の避難所になっている。8人部屋に2段ベッドがあり、風呂も使える。市の担当者は「子どもは泣いたり騒いだりするので、周りの入所者もストレスを感じるし、親も気を使う。居場所を分けるのは、互いにとっていい」。青年の家で6歳と9歳の子と暮らす南相馬市の女性(35)は「前にいた公民館では子どもが布団の上を走り回ってしまった。ここは気を使わなくていい」と話す。

 相馬市の漁師、原田陵次さん(21)は両親や兄弟、婚約者の宍戸有美惠さん(21)を連れて17日から鶴岡市が設けた羽黒農村改善センターの避難所に避難している。宍戸さんは妊娠5カ月。原発事故が起き「赤ちゃんのために」と相馬市に残った家族と離れて避難した。

 鶴岡市は市内6カ所の避難場所を、保健師が毎日巡回して健康相談に応じ、市の施設で妊婦検診や希望によっては予防接種なども行っている。
  「温かい畳の上で過ごせ、診断も受けられるのでありがたい。でも本当は家族のいる場所で産みたい。これからどうなるのかな」と宍戸さんは不安そうに語った。



http://jp.wsj.com/Japan/node_205314
高齢避難者への対応を迫られる日本
* 2011年 3月 21日 7:46 JST

 【石巻】タカハシ・カツタロウさん(71)は、11日に東北地方を襲った大震災以降、避難所となっている鹿妻小学校に寝泊まりしている。津波で車3台が乗員ごと自宅の一階に突っ込み、糖尿病の薬と義歯も津波にさらわれた。

 それまで毎日、糖尿病を抑える注射を打ってもらっていたが、薬を失っても、今のところ問題はない。ほとんど食事をとっていないからだ。

 被災地の石巻を見渡しながら、タカハシさんは言う。「今の状況は戦時中よりもっとひどい。戦時中は、われわれ子どもは空襲のある場所から疎開先に逃げることができた」

 高齢者の多さは、大震災と津波襲来以降の救援活動が直面している日本特有の難題の一つとなっている。日本の人口の20%以上は65歳以上であり、国民の平均年齢はほとんどの諸外国よりはるかに高い。日本のへき地では、高齢者が人口の約30%を占めている。多くの避難所では、滞在者の大半が高齢者だ。

 先週の津波で甚大な被害を受けた被災地に到達すべく、救助隊が依然必死の努力を続けるなか、震災に見舞われる前からすでに病弱の身だった何万人もの高齢者にとって、危機が時々刻々迫りつつある。

 国連人道問題調整事務所(OCHA)や地元の報道によると、避難所生活や医療補給物資不足が原因で、すでに15人以上の高齢者が死亡した。OCHAによると、食料、医薬品、暖房が依然不足しているため、多くの避難所では状況が悪化しつつあり、高齢被災者がとりわけ危険にさらされているという。

 国際的医療・人道援助団体、国境なき医師団(MSF)日本のエリック・ウアネス事務局長は「高齢者の慢性疾患治療を再開することが焦眉の急」と語る。震災で薬や処方せんをなくしてしまっているため、高齢者は、けがや心の傷を負ったばかりか、心臓病、糖尿病といった持病の治療に必要なものを持ち合わせていない。

 高齢被災者についての懸念が高まるなか、少なくとも一部の地域ではより多くの救援物資が届き始めている。とはいえ、食料や医薬品の多くの配達便は、悪路や荒天のため、依然、立ち往生したり遅れに見舞われている。OCHAによると、停電世帯数は1日前の約45万世帯から約37万5000世帯に減った。しかし、日本政府は、国際救援機関への支援要請を手控えており、救援物資は被災者の元までなかなか届かない。

 宮城県の三陸沿岸にある人口1万7000人の漁村、南三陸町にある避難所は、何枚も重ねた毛布に身をくるんだ高齢者であふれかえっていた。

 南三陸町の主要避難所である総合体育館「ベイサイドアリーナ」では、トレーニングルームが臨時診療所に模様替えされている。正午過ぎ、高齢者が午後3時の医薬品配布のため、表に並び始めた。行列は数百人にも達した。

 たった一人の医師が、患者を一人あたり約30秒で診て、テーブルに並べられた12種類ほどの中から薬を処方する。医師から薬を処方された患者は、看護師のところへ行って薬を受け取る。列で待っている最中に立っていられなくなった2人の高齢者は診療所に運び込まれた。

 診療所のドアの張り紙にはこう書かれていた。「普段2錠以上服用されている場合でも、1錠しかお出しできませんので、ご了承ください」

 同様の難問はほかの場所でも持ち上がっていた。太平洋岸の福島・宮城両県からの避難者の多くは、被害の少なかった西側の隣県、山形県に避難している。山形市総合スポーツセンターは16日、避難者に門戸を開放し、家を失った避難者や原発の近くから逃れてきた避難者を目下約1000人収容している。

 山形市企画調整課政策推進総括主幹の原田実氏は、「高齢者の健康問題にこれから取り組もうとしているところ」と語った。

 ちょうどそのとき、別の市職員が駆け込んできて、「お取り込み中すみませんが、困ったことになりました。車いすに乗って独り言をつぶやいている、おそらく80代のお年寄りの女性が運び込まれてきました。どうしましょう」と尋ねる。

 原田氏は、「ここには認知症に対応できる設備はない。適切な施設に運んでもらえ」と指示してこちらに向き直り、肩をすくめる。「そうした介護のできる人員も設備もここにはないもので」

 原発の放射能を恐れて福島県太平洋岸の南相馬市から避難してきた避難者たちによると、多くの住民は高齢の親の面倒をみるため、地元に残ることを決断したという。

 「うちの夫は、母を置き去りにできなかった」と語るコハタ・ミチエさん(63)は、避難命令が出た後に自宅にとって返した夫(63)といまだ連絡がとれずにいる。81歳の義母は、急ごしらえの避難所では対応できそうにない医療ニーズを抱えており、家に残ると言い張ったため、そばに付き添うべく、息子である夫は家に戻った。コハタさんは、「二人の無事をただ祈ることしかできない」と話している。

記者: Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi and Eric Bellman



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110321t73010.htm
窮迫する医療現場 原発事故が追い打ち

 東日本大震災が各地の医療現場に深刻な影を落としている。宮城県内ではライフラインの停止や物資の供給難で、水や医薬品、食料が欠乏する中、病院内に患者があふれる。停電、断水の施設で多くの入院患者を抱え、窮地に立つ病院もある。福島県浜通りでは、東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で病院や福祉施設が「陸の孤島」と化し、人、物資ともに不足する。各地の現場で「限界が迫っている」との声が上がる。

◎宮城/水・医薬品・食料・燃料/物資欠乏危機的に

 石巻市の石巻赤十字病院は震災後、食料、水、医薬品が著しく不足した。16日までに40人近い赤ちゃんが生まれたが、断水で、もく浴も満足にできなかった。阿部雅昭企画調整課長は「健康に影響が出かねないが、水不足で体を清める程度しかできない」と話す。

 402床は被災者で埋まった。あふれた患者は、1階の受付前に設置された30床ほどの臨時病床で、治療を受けている。
 医療機関が集中する仙台市内でも、診察に支障が出ている。
 宮城野区の東北厚生年金病院は、断水や停電、変電設備の損傷のため、医療機器が使用できない状態が続く。約380人の入院患者の退院、転院を余儀なくされている。

 エレベーターも使用不能で、病院内の移動にも影響が出ている。順次、患者を救急車に乗せて、電気、水道が通じている青葉区や山形県内などの医療機関に搬送した。

 予約のあった患者への投薬に対応しているが、医薬品の供給が不十分で、3日分しか処方できない。八島信男事務局長は「入院患者の食事も1日2食で、まきで調理している。早く病院機能を復旧させたい」と語る。
 津波被災地から離れた県南の内陸部も、一時孤立状態に陥った。

 柴田町の仙南中央病院は、老朽化した病棟の柱にひびが入るなど倒壊の危険が生じ、入院患者100人が近くの体育館で避難生活を送る。
 鈴木健院長は「体育館の暖房用の灯油や食料、ガソリンが不足し、震災後4日間ほど危機的な状況が続いた」という。19日も職員が、トイレ用の水をくむため、近くの川に通った。

 精神科専門の同院の入院患者は、精神疾患や重度の認知症を抱え、手厚いケアの必要な患者が少なくない。鈴木院長は「現在もガソリンスタンド周辺で渋滞が起き、物資調達や職員の出勤に支障が出ている。最低限の物流、搬送ルートを確保してほしい」と訴える。

◎多賀城・仙塩病院の入院患者死亡12人に/停電・断水、転院進まず

 多賀城市の仙塩総合病院は東日本大震災で津波の被害に遭い、一時孤立状態となった。現在も停電、断水が続く中、転院も思うように進まず、震災後、20日午前までに12人の入院患者が亡くなった。病院を運営する医療法人宝樹会の鈴木寛寿理事長は「寒い中で家族の面会も少なく、患者のストレスは大きい。亡くなった方々には気の毒なことをした」と苦悩する。

 津波で建物は1階部分まで浸水し、地下の電源や自家発電設備が使えなくなった。当時、病院には200人の入院患者がいたが、水が引いた12日午後まで外部との行き来ができなかった。
 病院の窮状が報道されてから仙台市や利府町の病院、介護老人保健施設などが患者の受け入れを開始。18日ごろから転院が本格化したが、現在も52人の患者が入院している。発電設備など施設の復旧は進んでおらず、患者をケアする上で不安定な状況が続く。

 市内全域で断水が続く中、医療に使える水が市から提供されたり、食料などの救援物資が届くようになったりしたが、暖を取る手段は湯たんぽや毛布などに限られる。

 鈴木理事長によると、震災後に亡くなったのはいずれも80代以上の重篤患者で、停電が続く院内の寒さや震災のショックなどが死期を早めた可能性もあるという。

 病院は来春、利府町に一部機能を移転する予定だった。鈴木理事長は「もっと早く移転できていれば」と悔やむ一方、「転院させたくても家族と連絡が取れない患者もいる。そういう方は引き続き病院でケアするしかない」と厳しい表情で語った。

◎福島/人手不足、看護綱渡り 

 福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域に含まれる南相馬市原町区の「大町病院」には、19日朝まで約150人の患者がいた。医師5人、医療スタッフ十数人で対応してきたが、人員不足によって限界になり、19日と20日、前橋市などに患者79人を搬送した。

 病院付近にはヘリコプターの発着地がなく、搬送には救急車を使う。
 県内では、原発事故を受け、避難する人が増えている。事務職の男性は「看護師はへとへと。いま一番必要なのは交代スタッフだ」と語る。
 原発の南、いわき市では物資難に陥っている。同市で屋内退避地域(原発から20~30キロ)に入るのは北部のごく一部だが「いわき市は危ない」との噂が立ち、物資が調達しにくいという。

 松村総合病院は、津波で調理室が使えなくなった系列病院にも食事を提供する。医療スタッフの分までおにぎりが回らず、カップラーメンを分け合って食べている。阿部真弓事務局長は「行政には、患者とともに医療スタッフへの支援もお願いしたい」と言う。

 いわき市立総合磐城共立病院は、ガソリン不足で通勤できないスタッフが日に日に増え、働いているのは全体の半分の約350人だけになった。うち100人は自宅に帰れず泊まり込んでいる。
 退院や転院で入院患者を半分以下の約260人に減らし、外来は重症者に限定して負担を軽減している。上遠野裕美総務課長は「いる人で何とか踏ん張っているが、今がぎりぎりだ」と訴える。

 南相馬市原町区の特別養護老人ホーム「福寿園」も、食料不足で危機に陥っていた。横浜市の医療法人社団「愛優会」が窮状を知り、受け入れを申し出たため、入所者約220人と職員ら約40人が20日までに横浜市に避難した。

 「1日2食でしのぎ、20日にも食料がなくなる状況だった。ぎりぎりで避難できた」と福寿園の男性職員(34)。愛優会の担当者は「厳しい状況を知り、横浜市や神奈川県に相談したが動いてくれなかった。居ても立ってもいられず、独自の判断で迎えに行った」と話した。

2011年03月21日月曜日



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110321/bdy11032107370000-n1.htm
【東日本大震災】
国が災害医療チームと連携 自衛隊輸送機で首都圏や北海道に

2011.3.21 07:35

 未曽有の大災害となった東日本大震災では「災害派遣医療チーム(DMAT)」と関係省庁が連携し、負傷者を自衛隊の輸送機で被災地外に運ぶ「広域医療搬送」が初めて実施された。阪神大震災などを教訓に訓練を続けた官民一体の取り組み。懸命の救助作業を続けた。

■ 特殊部隊

 発生翌日の12日。既に暗くなった北海道・新千歳空港の滑走路に、岩手県の花巻空港をたった自衛隊機が降り立つ。重症患者4人にDMATの医師や看護師が付き添い、道内の災害拠点病院へと向かった。

 DMATは医師や看護師、事務調整者を含む5人程度でチームを編成。概ね災害発生後48時間以内に、ライフラインが途絶した劣悪な環境下で、挫滅(ざめつ)症候群(クラッシュシンドローム)など特有の外傷に対応するための訓練を受けた「特殊部隊」だ。

 地震などの大規模災害の場合、被災地では病院自体が被害を受けるなどして医療態勢を確保できないことが想定されてきた。厚生労働省によると、6千人超が犠牲になった阪神大震災では「被災地外の医療機関で迅速に治療をしていれば、約500人の負傷者は救命できた」との研究報告もあるという。

 こうした状況を踏まえ、国が準備を進めてきたのが広域医療搬送だ。DMATを軸に厚労省と防衛省などの関係省庁が連携。厚労省は「自衛隊の輸送機を使って、多くの患者をまとめて被災地外に迅速に運べるのが特徴」と説明する。

 今回の震災では、これまでに北海道と東京に計約15人を搬送。「ミッションを実際に運用できた意義は大きい」と同省の担当者。

■ 出動200班

 DMATが本格的にスタートしたのは平成17年。新潟県中越地震を受けて各地に設置され、災害現場などで活動してきた。

 「病院のライフラインの機能が下がっている。携帯電話など情報手段もズタズタ。どこに行っても連絡が取りづらいと考えてください」

 14日午後、宮城県内のDMATの活動拠点となっている仙台医療センター。秋田から派遣された平鹿総合病院の岩間直・小児科診療科長が、被災現場に向かう隊員の医師らに指示を出した。

 内閣府などによると、今回は、茨城、福島、宮城、岩手の4県からの要請で全国から200超のチームが出動し、主に各県の災害拠点病院で活動。中には消防隊とともに壊滅状態の被災地に入り、救出者の初期治療に当たる医師もいた。

■ 課題

 岩間医師は「大災害時には被災地の状況に関する情報に影響を受け、隊員ごとに重症度の見方が異なることがある。複数の隊員の見解を確認し、症状を慎重に見極めることが必要だ」と話す。

 厚労省によると、DMATはあくまで初期対応が目的で、順次撤収していく方向。だが、岩間医師は「一人でも多くの人を救出したい。それが隊員のみんなの願いです」。

 病院防災が専門の摂南大の池内淳子准教授は、DMAT参加による広域医療搬送を「画期的。多くの医療従事者を被災地に入れ、負傷者を外に出すことで被災地は助かる」と評価。そのうえで、「今は医療従事者のモチベーションに頼りすぎ。もっと行政や自衛隊が音頭を取るべきだ」とした。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110321-OYT1T00373.htm
署内に怒声、医療関係者に緊急通行許可下りず

 岩手県内陸部の警察署。交通課の窓口で、「被災者の命を見捨てるんだな」という鋭い声が響いた。

 声を荒らげたのは緊急通行車両の申請に訪れた医療関係者。被災地で必要な薬を届けたいという。

 結局、許可は下りなかった。

 この警察署では、地震後、緊急通行の許可を求め、医療、行政関係者の申請が殺到、1週間余で数百枚が発行された。

 「緊急」の文字が記された「標章」があれば、通行規制区間への進入が可能だ。同時にガソリンスタンドでの給油を優先的に受けられるため、被災地への支援や連絡に往復するためのガソリン確保をと、申請する人が後を絶たない。

 一方で、岩手県内では徐々に通行規制が解除され、主な道路では東北道のみになった今、緊急通行許可は、高速道を使った長距離移動を除いて下りなくなった。

 しかし、ガソリン不足は深刻で、盛岡市や近郊では、ガソリンスタンドの行列が数キロの長さになることもある。奥州市内では、ガソリンを節約するために車内で眠るのに石油ストーブで暖を取っていた男性が一酸化炭素中毒死する事故も起きた。

 許可証へのニーズは高まるばかりだ。ある警察署幹部は「助けたい気持ちは痛いほどわかる。でも、今の制度のままでは車の給油を目的に許可は出せない」と苦しい胸の内を明かした。
(2011年3月21日14時35分 読売新聞)


http://mainichi.jp/select/science/news/20110321ddm012040150000c.html
東日本大震災:避難所「ストレス極限」 「情報も足りない」--責任者アンケート
 ◇インフル、下痢 トイレの衛生も劣悪

 「嘔吐(おうと)する人が目立つ」「ストレスが極限に来ている」。宮城、岩手、福島の避難所運営責任者アンケートからは、被災者の心身の状態が日々悪化していることが浮かんだ。医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い。着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で衛生面にも課題がある。先行きが見えないこともストレスの原因となっている。

 岩手県大船渡市の綾里中学校(避難者120人)では、風邪をひいている人が若い世代も含め10人程いるという。同県釜石市の甲子小学校(同283人)では、十数人が感染性胃腸炎を発症し、下痢や嘔吐などの症状が出ている。ともに医薬品は「ある程度ある」状態だが、患者全てが最適の薬を使えるわけではないという。

 宮城県石巻市の湊小学校(同650人)は暖房が十分でなく、温かい食事も何日かに1度。医薬品もあまりないと回答している。胃腸を壊す人が出始め、「建物1階が泥だらけで食中毒やノロウイルスが心配」という。

 長引く避難生活で体調を崩す人が目立ち、各地の避難所では、インフルエンザ患者も出始めている。

 断水で水が流せず、トイレが不潔な状態になっている避難所も。宮城県東松島市の避難所では、足の悪いお年寄りは廊下の簡易トイレで用を足さざるを得ない状況だ。

 岩手県大槌町の安渡小学校(同約800人)でも「和式の簡易トイレが来たが、洋式便座がないとお年寄りが使えない」。温かい食事も何日かに1食しか食べられず、高齢者によりつらい状況となっている。

 プライバシーが保てず、窮屈な避難所ではストレスも大きな課題だ。岩手県宮古市の愛宕小学校(同180人)は満員で、「寝る場所が狭く、避難者同士のけんかもある」。

 物資ではガソリン不足を挙げる声が圧倒的で、移動も困難な状況だ。下着や衣類が足りず、着替えのできない避難者が多い。津波で多くの行方不明者が出た岩手県では安否情報を求める声が上がり、原発事故が起きた福島県では「放射線量の測定値などの情報が足りない」という声が聞かれた。

 福島県川俣町の南小学校(同150人)に避難した人の多くは、原発事故で避難指示が出された浪江町の住民。「着の身着のまま来ているので、お金もなく、自宅に一度帰りたいという人も出てきている」という。

 避難者たちの不安は募る。宮城県南三陸町の避難所に入る無職、菅原みちゑさん(79)は持病の緑内障の目薬が手に入らず「このまま失明するんじゃないか」と語る。同県気仙沼市の飲食店経営、佐々木美佐子さん(64)は「周りで風邪をひいている人が多いので心配。早くお風呂に入りたい」と話した。

毎日新聞 2011年3月21日 東京朝刊
  1. 2011/03/25(金) 22:00:07|
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